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マタイ福音書第27章25節


 キリスト教関係でYouTube動画を見ていたところ(YouTube動画でキリスト教関連のことばで検索すると、ほとんどキリスト教の異端(モルモン、エホバの証人、統一教会とその分派、中国の全能神教会、韓国系のキリスト教異端の諸団体)や破壊的カルト団体、若しくはキリスト教に否定的な動画ばかりが出てきます。ちゃんとしたキリスト教会や教団、また信徒のYouTubeチャンネルはなかなか出て来ないので困りものです。)、一般のキリスト教徒と思われる方の個人的動画が目につきました。以前にもこの方の動画はいくつかの日本語訳聖書についてのものを二つ三つ見たことがありました。今回はハマスによるテロ行為を発端としたイスラエルによるガザ地区における報復的な民族浄化的な虐殺により、イスラエルに対する批判(ユダヤ人どもは反ユダヤ主義だと論点をすり替えてはいるけれども)がいろいろと見聞きされるようになった時節にアップされたものでした。

『「イエスの創成の書と反ユダヤ主義払拭(協会共同訳による)」ゆるゆるキリスト教雑記帳』 (亀さんのゆるゆるキリスト教)

 この動画の中で、新約聖書のマタイ福音書第27章25節について、次のように語っておられました。

" 新共同訳では、「その血の責任は、我々と子孫にある。」となっていたんですね。同じく新改訳2017は、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と言う風にですね直訳しているんですね。協会共同訳の「かかってもよい」と言うのはですね、付け足しで補っているわけなんですね。これはまあ、新改訳2017のように直訳の方が良いと私は思いますね。「我々と子孫にある」という風に訳しますと、イエスを十字架刑にした責任は、未来永劫にユダヤ人たちにあるということになるとなるんですねぇ。未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。そうではなくて、「私たちや私たちの子どもらの上に」であれば、限定的なんですねぇ。イエスが十字架刑にかけられたのが、紀元30年頃だといたしますと、その40年後に起きた、いわゆるユダヤ戦争によってですね、エルサレムの神殿は破壊されて、ユダヤ人たちは離散してしまうわけで、まさしく子供らの上に、離散の運命が訪れるわけで、マタイ福音書通りになったということができるんですね。マタイはですね、エルサレム神殿の破壊、ユダヤ人たちの離散を見ておりまして、この個所を書いたかもしれませんね。まあ、日本語訳がより良い訳になっていると、この個所を見ると実感いたします。 "

 批判や否定ではなく、主張に対する感想と意見としてちょっと書きたいと思います。新共同訳の意訳と直訳の問題は置いておいて(この個所において新共同訳の意訳が、別に原文の意味を変えているようなものではないので)、この動画ではユダヤ人たちがイエスの十字架の「血の責任は、我々と子孫にある」(共同訳)と言ったのを、新改訳2017で「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と直訳しているのは、子々孫々までではなく、親子二代だけの限定的な話しなんだと受けとられたようです。根拠としてユダヤ人の離散を第一次ローマ・ユダヤ戦争における神殿の破壊と離散によって成就したように考えているようです。しかし、ユダヤ人離散は紀元前から緩やかに始まっていて、第一次ローマ・ユダヤ戦争(これについてはヨセフスの「ユダヤ古代誌」や「ユダヤ戦記」、「自伝」なんかが参考になります。)、そして、バル・コホバの乱(第二次ローマ・ユダヤ戦争)の敗戦で決定的になったのはエウセビオスの「教会史」なんかを読むと分かりやすいように見えます。

"  バル・コホバの乱
 (6) ・・・
 戦争は〔ハドリアヌスの〕治世18年に(134年8月から135年8月まで)、ベッテラでその頂点に達した。そこはエルサレムからそれほど遠くない堅固な要塞の小さな町だった。包囲は長期間続き、ついに叛徒たちも飢えと渇きで破滅に追いやられ、彼らを狂気に駆り立てた張本人もそれにふさわしい罰を受けた。ハドリアヌスは法令と勅令により、〔ユダヤ人の〕民族がそれ以後はエルサレム近くの土地に立ち入るのを禁じた。そのために彼らは、父祖たちの土地を遠くから眺めることさえできなくなった。ペラびとのアリストンが〔そのように〕語っている。こうして、ユダヤ民族の都は荒廃し、古くからの住民も完全に姿を消し、外国人の植民地になった。そして、その後ローマ風の町になったその都は名を改められ、ときの支配者アエリウス・ハドリアヌスを記念してアエリアと呼ばれた。・・・ "
(「エウセビオス「教会史」」 秦剛平訳 講談社学術文庫 p.221)


" バル・コホバの乱が失敗した後、ユダヤ人はエルサレムの入場を禁止された。彼らはローマ帝国内の各地へ離散し、世界各地でユダヤ教とその文化を守り、育んでいった。"
(「聖書考古学 遺跡が語る史実」 長谷川修一著 中公新書 p.209)


 ハドリアヌス帝の勅令により、荒廃したエルサレムだけでなく近郊の土地にもユダヤ人の立ち入りが禁止され数世紀の間続きました。イエスの十字架から親子二代ではなくひ孫玄孫の代になって起こったことになり無理筋な解釈じゃないのかなーと思いました。

 また、「未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。」とも述べておられましたが、「その血の責任は、我々と子孫にあ」ったとして、その責任を問い追及されるのは父なる神であって、われわれ人間が行うものではありませんし、そもそも権利もありません。キリスト教がローマ帝国の公認宗教となり、さらにヨーロッパにおいて力を持った中、よそからやって来て住み着いたこの異質な文化や風習を持ったユダヤ人が差別や迫害がなされたこと、その理由づけの一つにマタイのこの個所が使われたのは聖書の悪用です。長い歴史の中で、欧米においてそのような悪用がなされたからと言って、それで親子二代解釈が可能かと言えば無理じゃないかと思います。

 主な日本語訳といくつかの外国語訳を引用しますが、親子二代と解釈できるようなものはないと思います。

ヘボン訳(1873年)
民みなこたへていひけるはその血はわれらとわれらのすゑにかかるべし

明治元訳
民みな答て曰けるは其血は我儕と我儕の子孫に係るべし

大正改訳
民みな答へて言ふ『其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし』

口語訳
すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新翻訳事業パイロット版
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と我々の子孫にある。」

聖書協会共同訳
民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」

新改訳(第一版)、新改訳(第二版)、新改訳(第三版) 
すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

新改訳2017 
すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」

詳訳聖書
すると人々はみな答えた、「彼の血〔の責任〕は私たちと私たちの子孫の上にかかれ」。[ヨシュア21・9]

リビングバイブル(1982年版、1993年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまうもんか。 責任はおれたちが負ってやらあ。 子供らの上にふりかかってもいいぜ」とざわめき立てるのでした。

リビングバイブル(2016年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまわない。責任はおれたちや子どもたちの上にふりかかってもいい!」と叫びました。

上田将訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「馬太傳聖福音」1892(明治25)年)
民皆對へて曰く其血ハ我等と我等の子孫に歸せん

正教会訳
民皆對へて曰へり、其血は我等及び我等の子孫に歸すべし。

高橋五郎訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「聖福音書 上」1895(明治28)年)
民擧(こぞ)りて答えて曰ふ、彼の血ハ我等の上および我等の子孫の上に〔歸せよ〕。

ラゲ訳(1910年)
人民皆答へて、其血は我等と我等の子等との上に[被れかし]、と云ひしかば、

ラゲ訳(1959年)
人民みな答えて、その血は、われらとわれらの子どもとの上に〔かかれかし〕、と言いしかば、

バルバロ訳新約1953年
人民は皆答へて、「その血は、我らと我等の子孫の上に」と言つた。

バルバロ訳新約改訂版1957年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

フェデリコ・バルバロ=デル・コール共訳聖書1964年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

バルバロ訳聖書1980年講談社版
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

バルバロ訳新約聖書1981年新装改訂版講談社
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

フランシスコ会訳(1977年四福音書、1979年版中型新約、1980年版小型新約、1984年改訂版)
人々は皆これに答えて、「その人の血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上に」と言った。

フランシスコ会訳(2011年改訂版)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

フランシスコ会訳2013(Web)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

本田哲郎訳
すると民はいっせいに言った、「その男の血はわれわれが、われわれの子孫がかぶる」。

ケセン語訳(山浦治嗣訳)
国民(くにだみ)ァこぞって答(こで)ァだ。「その血の責めァ、俺等(おら)ど、俺等(おら)ァ子孫(すそん)さ掛がれ。」

山浦治嗣訳(「ガリラヤのイェシュー」)
そこに集まっていた者どもは口を揃えて答えて、言った。「その血ィの責めは、われらと、われらの孫子の上にかかってもよろし!」□(原書、このセリフを京都弁に訳したことを表す京の字の四角の囲み文字。)

キリスト新聞社口語訳
これに對して民のすべては言つた。「その血については私たちと私たちの子孫とが責任を負おう。」

永井直治訳(1928年Web)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の兒等の上に。

永井直治訳修正版(1960年)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の児等の上に。

前田護郎訳
民は皆いった、「彼の血はわれらと子孫の上に」と。

塚本虎二訳
民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

岩隈直訳
全民衆は答えて言った、「彼の血(の報い)はわれわれとわれわれの子孫の上に(来い)」。

柳生直行訳
群衆たちが異口同音に答えて言った、「その血の責任はわれわれとわれわれの子孫が負う。」

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳1995(Web)、2004年
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、われわれとわれわれの子孫の上に〔ふりかか れ〕」。

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳2023年改訂新版
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、我々と我々の子らの上に〔ふりかか れ〕」。

田川建三訳
そしてすべての民が答えて言った、「その血は我らと我らの子孫に(ふりかかるがよい)」。

国際ギデオン協会New Bible(泉田昭訳)
民衆全体が答えて言った、「彼の血は、われわれと子孫の上にふりかかってもよい」

エマオ出版訳(山岸登訳 2008年版)
すると、民衆はみな答えて、「その人の血は、私たちや子どもたちの上に(かかれ)。」と言った。

金の器社「ギリシャ語直訳新約聖書コンコルダンス付」
すると民衆はみな答えて言った。「彼の血は、私たちの上に、また私たちの子どもたちの上に」

「聖書から差別表現をなくす試行版新約聖書・詩篇(英語・日本語)」
すると人々はこぞって、「この男の血の責任はわれわれとわれわれの子孫に」と答えた。

TR新約聖書(エターナル・ライフ・ミニストリーズ)
すると民はみな答えて言った。「彼の血は、我々の上に、また我々の子どもたちの上にあれ」

新和訳(池田博訳)
民はこぞって答えて言った、「彼の血は我々の上に、我々の子らの上に!」

「ALIVE+ERV 新約聖書/NEW TESTAMENT BIBLE」
「そう言われなくとも彼の死の責任はすべて私たちがとりますよ!私たちとその子どもから子孫までのせいにどうぞしてください!」

電網聖書(Web)
民全体が答えた,「彼の血は,我々と我々の子孫の上にふりかかってもよい!」

新世界訳(1973年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子どもとにふりかかってもよい」。

新世界訳(1982年日本語版、1985年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」。

新世界訳(2019年日本語版)
民は皆、「彼の血についてはわれわれと子供たちが責任を負ってもよい」と答えた。

・日本語訳で現代訳(尾山令仁訳)、創造主訳(尾山令仁訳)、回復訳は省略。


***

KJV
Then answered all the people, and said, His blood be on us, and on our children.
それから民全員に答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

Revised Version
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

ASV
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

RSV
And all the people answered, “His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。

The Message
The crowd answered, “We’ll take the blame, we and our children after us.”
群衆は「私たちと私たちの子供たちが責任を負います。」と答えた。

Amplified Bible, Classic Edition
And all the people answered, Let His blood be on us and on our children!
すると民は皆、「主の血が私たちと私たちの子供たちに降りかかるように!」と答えた。

Amplified Bible
And all the people answered, “Let [the responsibility for] His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血の責任を私たちと私たちの子供たちに負わせましょう!」と答えた。

New King James Version
And all the people answered and said, “His blood be on us and on our children.”
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

New International Version
All the people answered, “His blood is on us and on our children!”
人々は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかっています!」と答えました。

New American Standard Bible
And all the people replied, “His blood shall be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかるだろう!」と答えた。

James Moffatt New Testament
To this all the people replied, "His blood be on us and on our children!"
これに対して民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。


**

Luther Bibel 1545
Da antwortete das ganze Volk und sprach: Sein Blut komme über uns und unsere Kinder.
すると民は皆答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

***

聖經 (和合本)
衆人都回答說、他的血歸到我們、和我們的子孫身上。
すると彼らは皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。


 ここで「子孫」「子ら」「子供たち」と訳されている語はテクノンという語で、子供、息子と訳される語で、複数形の場合「子孫」などとも訳されます。七十人訳聖書においてヘブライ語acharith(#319)、ben(#1121)、taph(#2945)、yeled(#3206)など15個の単語などがテクノンと訳されたりしています。

τέκνον LXXコンコルダンス
(Edwin Hatchによる七十人訳聖書のコンコルダンスより)

レビ記25:46 新改訳2017
あなたがたは彼らを、あなたがたの後の子孫にゆずりとして与え、永遠に所有として受け継がせ、奴隷とすることができる。・・・
七十人訳聖書秦剛平訳
おまえたちはおまえたちの後の子らに、彼らを分け与えることができる。・・・
καὶ καταμεριεῖτε αὐτοὺς τοῖς τέκνοις ὑμῶν μεθ᾽ ὑμᾶς・・・
そして、それをあなたの子らに分け与えなさい。(Google翻訳)

使徒13:33 新改訳2017
神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二編に、
ὅτι ταύτην ὁ θεὸς ἐκπεπλήρωκεν τοῖς τέκνοις [αὐτῶν] ἡμῖν ἀναστήσας Ἰησοῦν ὡς καὶ ἐν τῷ ψαλμῷ γέγραπται τῷ δευτέρῳ·
これは、詩篇第二篇に書かれているように、神が復活のイエスによって私たちの子供たちに明らかにされたことだからです。(Google翻訳)

 ギリシャ語新約聖書のコンコルダンス 「Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament」 (Württembergische Bibelanstalt Stuttgart 1973年)などには

 τέκνον filius ᵇfiliotus ᶜfilia ᵈnatus ᵉsemen
1) proprie dictum : progenies, stirps

τέκνον 息子(・子孫・後継者) ᵇ息子 ᶜ娘 ᵈ生まれる(誕生) ᵉ 種(・子孫)
1) 正確に言えば、子孫、血統

Mat
   27 25 τὸ αἷμα αὐτοῦ - καὶ ἐπὶ τὰ τ. ἡμῶν


2) τέκνον significatione translata

2) τέκνον の意味の翻訳 

とマタイのこの個所は 「1) 正確に言えば、子孫、血統」 の方に入れています。


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掛け軸風の創価学会の御形木本尊と掛け軸の日蓮正宗の御形木本尊


 以前、「日蓮」関係について動画検索していた時に、よく「ニセ本尊」という言葉が使われている法華講員(日蓮正宗の信者)による創価学会・顕正会批判の動画が目につきました(今も仏教関係で検索すると変わらず出てきます。あと顕正会の折伏被害動画や法華講員による顕正会批判動画、浄土真宗系の新興宗教団体の親鸞会系の動画なんかもよく出てきます。本当にこの系統は邪魔です)。その中のどれかで、創価学会の本尊はペラペラの一枚刷りのものという批判があったのを思い出し、創価学会の御形木本尊と日蓮正宗の御形木本尊を見比べてみました(印刷機の無い時代は「形木」(書写した本尊を木の形木に彫り込んだもの。版木)で木版印刷したことからきた名称だろう。ようはこの本尊は手書きじゃなく印刷されたものですよということだろう)。

正宗・学会 御形木本尊


 大きさは創価学会の方が幅が3cmほど広く、縦も創価学会の本尊の八双(掛軸の一番上に付いている半円形の木製の棒)と軸棒(掛軸の一番下に付いている、掛軸を巻く時の木製の芯棒)の間に正宗本尊が収まる感じで、見た目も学会の方がずんぐりして、正宗の方が長方形でスリム(小さい)という感じです。

日蓮正宗御形木本尊と創価学会御形木本尊を重ねたもの
(二枚を重ねて、片方を揃えてみると学会の方が幅広なのが分かりやすい)

 学会の方は本当に日寛書写(江戸時代の日蓮正宗のトップ(法主)だった坊さんが書いたもののコピー。著作権も切れているから使っているのかな?)の曼荼羅も、掛け軸の表装も、一緒に1枚の紙に印刷した1枚刷りの紙に八双と軸棒を付けただけの掛け軸風の本尊です。昔、日蓮の曼荼羅をポスターにしたものが、たまたま暇つぶしに買った月刊ムーの付録としてついていて(80年代か、90年代か忘れたけれど)、それをちょっと思い出してしまいました。

創価学会御形木本尊
(創価学会の御形木本尊)

 日蓮正宗の御形木本尊の方は、正宗で一番偉い坊さん(法主)が、日蓮の「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」としているものを書写したもので(同じ法主書写でもずっと同じものではなく、本尊に書かれている書写年月日ごとに新たに書いたものなのだろう)、この本尊は八双、天、左右の柱、一文字、本尊の印刷された本紙、一文字、地、軸棒とちゃんと掛け軸になっており、シンプルな「丸表装」という表装になっています。本紙が少し厚くなっているので、少なくとも本紙に裏紙があり、ベースとなる総裏紙も本尊の裏を見てみますとあります。ただちゃんとした掛け軸みたいに、表装(紙)・本紙と総裏紙の間に肌裏紙、増裏紙、中裏紙まであるかは不明です。YouTube動画で、今の正宗で一番偉い坊さん(法主)の日如さんの御形木本尊を破いている動画なんかがアップされていて、それを見ると本紙部分は裏紙が複数枚あるように見えました。本紙以外の部分は総裏紙しか無さそうにも見えました。

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏
(日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏)

掛け軸構成
(掛け軸の裏紙など。正宗の御形木本尊がこうかは分からないが、本紙部分以外は表装が総裏紙に貼られているように感じられる。)

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕)の掛け軸構成
(「丸表装」の掛け軸の構成)

 創価学会の本尊よりはお金かかってそうだけど、一般の仏具屋で廉価で売っている表装に金襴緞子使った「仏表装」の本尊とは違い、表装も紙製で、さらにシンプルな「丸表装」、更にサイズも小さいので、一般の物に比べるとチープ感はあります。1枚刷りの掛け軸風の創価学会の本尊よりはマシな印象を持ちました。

キリスト教の異端・モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)資料(主にモルモン聖典関連)

モルモン經の各刷の装丁・発行年月日・印刷会社・定価記載(昭和訳19刷まで、20刷以降記載なし)

明治訳
 初版 明治42(1909)年10月10日発行 株式会社秀英舎第一工場 壹圓
 再版 昭和25(1950)年 6月15日再版 株式会社十一房印刷社 参百五拾円

昭和訳(佐藤龍猪訳、➀第一装丁、➁第二装丁、➂第三装丁、④第四装丁)
初版 ➀ 
再版 ➀ 1958年 7月10日再版発行 三省堂ミタカ工場 弐百円
3刷
4刷
5刷
6刷
7刷
8刷 ➁ 1969年 8月15日 太陽印刷工業株式会社 180円
9刷
10刷 ➁ 1969年11月10日  太陽印刷工業株式会社 250円
11刷 ➁ 1969年12月10日 株式会社三省堂三鷹工場 250円
12刷
13刷 ➁ 1970年 2月10日 太陽印刷工業株式会社 250円
14刷
15刷
16刷 ➁ 1970年 4月 1日 株式会社エコー商事印刷紙器部 250円
17刷 ➁ 1970年 7月 1日 株式会社エコー商事印刷紙器部 250円
18刷
19刷 ➂ 1972年 9月 1日 株式会社サンエコー 250円
20刷 ➂ 1974年 3月 1日 株式会社サンエコー 
21刷 ➂ 1974年11月 1日 凸版印刷株式会社
22刷
23刷 ➂ 1975年10月 1日 凸版印刷株式会社
24刷
25刷 ➂ 1976年 8月 1日 凸版印刷株式会社
26刷 ➂ 1976年12月10日 凸版印刷株式会社
27刷 ➂ 1977年 6月20日 凸版印刷株式会社
28刷 ➂ 1977年11月10日 凸版印刷株式会社
29刷 ➂ 1978年 5月20日 株式会社精興社
30刷
31刷 ➂ 1979年 9月20日 株式会社精興社
32刷 ➂ 1980年 6月20日 株式会社精興社
33刷
34刷
35刷
36刷 ④ 1985年 9月20日50M 株式会社精興社
37刷 ④ 1986年 3月31日100M 株式会社精興社
38刷 ④ 1987年 3月20日100M 株式会社精興社
39刷 ④ 1987年 9月30日100M 株式会社精興社
40刷 ④ 1988年 8月31日47.5M 株式会社精興社
41刷 ④ 1989年 2月20日50M 株式会社精興社 ソフトカバー
42刷 ④ 1989年 6月30日50M 株式会社精興社
43刷
44刷 ④ 1990年 3月31日20M 株式会社精興社
45刷 ④ 1990年12月15日50M 株式会社精興社
46刷
47刷 ④ 1991年 9月 8日50M 株式会社精興社
48刷
49刷 ④ 1992年12月10日50M 株式会社精興社
50刷
51刷 ④ 1993年10月15日60M 株式会社精興社
52刷 ④ 1994年 7月25日30M 株式会社精興社

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インターネットアーカイブ

・1828 Printers Manuscript Of The Book Of Mormon

https://archive.org/details/20977511828PrintersManuscriptOfTheBookOfMormon/mode/2up?q=Book+of+Mormon+RLDS


・1830 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco1830smit/mode/2up


・1830 ファクシミリ版

https://archive.org/details/book-of-mormon-1830-digital-replica/mode/2up


・1840 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookmormon01smitgoog/mode/2up


・1858 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormon00smit/mode/2up


・1905 The Book of Mormon Orson Pratt編

https://archive.org/details/bookmormonanacc00smitgoog/mode/2up


・1908 The Book of Mormon Orson Pratt編

https://archive.org/details/bookmormonanacc04pratgoog/mode/2up

https://archive.org/details/bookmormonanacc04pratgoog


・1914 The Book of Mormon

https://archive.org/details/trueoriginofbook00shoo/mode/2up


・1917 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormon00lamo/mode/2up


・1920 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco00bookuoft/mode/2up?ref=ol

https://archive.org/details/bookofmormonanac027933mbp/mode/2up

https://archive.org/details/cu31924090875299/mode/2up

https://archive.org/details/bookofmormonacc00smit/mode/2up


・1964 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco1964smit/mode/2up


・1981 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonbook00smit/mode/2up


・The Doctrine & Covenants (1845)

https://archive.org/details/the-doctrine-and-covenants-1845/mode/2up?q=Joseph+Smith%2C+Jr.


ジョセフ・スミス霊感訳聖書

https://archive.org/details/holyscriptures00smit

https://archive.org/details/holyscripturestr00smituoft

https://archive.org/details/threebiblesschol00etzerich

ジェームズ・E・タルメージ 信證講義
https://archive.org/details/shinshokogi00talm/mode/2up

ブルース・R・マッコンキー Mormon Doctrine
https://archive.org/details/mormon-doctrine-1958-bruce-r-mc-conkie-lds/page/3/mode/2up?q=Doctrines+of+Salvation

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米国議会図書館のウェブサイト(the Library of Congress Web site)

1830 The Book of Mormon
The Book of Mormon; an account written by the hand of Mormon upon plates taken from the plates of Nephi.
https://www.loc.gov/item/49034953/

1869 テゼレット・アルファベット版The Book of Mormon
https://archive.org/details/bookofmormdeseretalpha00/mode/2up

1835
Doctrine and covenants of the Church of the Latter-Day Saints
https://www.loc.gov/item/unk82003210/


1851 The pearl of great price
The pearl of great price
https://www.loc.gov/item/09015653/

****

Joseph Smith Papers

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 1948 Photographs
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-1948-photographs/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, circa 1968 Photographs
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-circa-1968-photographs/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 2017 MSI Photographs, Best Wavelength
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-2017-msi-photographs-best-wavelength/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 2017 MSI Photographs, Color
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-2017-msi-photographs-color/1

・Book of Mormon Manuscript Excerpt, circa June 1829 [1 Nephi 2:2b–3:18a]
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-manuscript-excerpt-circa-june-1829-1-nephi-22b-318a/1#!/paperSummary/book-of-mormon-manuscript-excerpt-circa-june-1829-1-nephi-22b-318a&p=1

・Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, 1923 Photostatic Copies
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/printers-manuscript-of-the-book-of-mormon-1923-photostatic-copies/1

・Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, circa August 1829–circa January 1830
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/printers-manuscript-of-the-book-of-mormon-circa-august-1829-circa-january-1830/1

・Book of Mormon, 1830
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1830/1

・Book of Mormon, 1837
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1837/1

・Book of Mormon, 1840
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1840/1

・Book of Mormon, 1841
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1841/1

・Book of Commandments, 1833
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-commandments-1833/1

・Doctrine and Covenants, 1835
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/doctrine-and-covenants-1835/1

・Doctrine and Covenants, 1844
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/doctrine-and-covenants-1844/1

・Grammar and Alphabet of the Egyptian Language, circa July–circa November 1835
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/grammar-and-alphabet-of-the-egyptian-language-circa-july-circa-november-1835/1

ニーファイ第一 3章10節、モーサヤ29章15節


the Utah Lighthouse Ministry
 the Utah Lighthouse Ministry のトップページ

 さて、ジェラルド&サンドラ・タナー夫妻の the Utah Lighthouse Ministry (ユタの灯台ミニストリー)のサイトのモルモン書の1920年版と 1981年版の間の変化の中から二か所を取り上げたいと思います。

 まず一つ目はニーファイ第一 3章10節です。

 この個所で1981年英語版と2013年英語版はそれ以前の版と単語一つが変わりました。

 まず2013年版から10節を引用します。

10 And it came to pass that when we had gone up to the land of Jerusalem, I and my brethren did consult one with another.

 この中で gone up という語が以前の出版された Book of Mormon では違っていました。

 最初にオリジナル原稿では、1981年英語版と2013年英語版と同じ gone up という語が使われていました。

Book of Mormon Manuscript Excerpt, circa June 1829 1 Nephi 3:10
 1829 Book of Mormon Original Manuscript ニーファイ第一 3:10


 そして、1929年に製本するために印刷業者に渡すための手書き写し原稿(1829 Printers Manuscript)が作られ、そこでこの語は come up と変更されました。


1829 Printers Manuscript Of The Book Of Mormon ニーファイ第一 3:10
 1829 Printers Manuscript ニーファイ第一 3:10


 1830年初版、1837年版、1840年版、1841年版、1908年版、1920年版、1961年版と改正されて行きましたが、 come up と変化がありませんでした。最初の三つの版はジョセフ・スミスが生きていた時になされた修正版で、1830年版と1837年版の印刷された誤りをジョセフ・スミスは印刷者の原稿(1829 Printers Manuscript)を用いて校正したのが1840年版でした。


The Book Of Mormon 1830 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1830年初版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1837 p.12 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1837年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1840 p.11 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1840年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1841 p.6 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1841年版 ニーファイ第一 3:10


The Book of Mormon by Orson Pratt 1908
 The Book of Mormon 1908年版(Orson Pratt) ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1920 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1920年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1981 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1981年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 2013 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 2013年版 ニーファイ第一 3:10


 1981年版において変更されたのは、オリジナル原稿を用いて印刷業者原稿の20箇所の大きな誤りを修正し、他の個所は印刷業者原稿と1840年版に基づいて修正をしたようです。しかし、金版を見たこともない人間が、教祖ジョセフ・スミスの修正を超えて修正してしまえるというのも不思議です。


 続いてモーサヤ29章15節を見たいと思います。また、2013年版から引用します。

15 And whosoever has committed iniquity, him have I punished according to the crime which he has committed, according to the law which has been given to us by our fathers.

 ここでは1837年版、1840年版、1920年版、1961年版では、「according to the crime which he has committed,」(彼が犯した罪に応じて、)の文言が削除されています。これは日本語訳でも確認できます。

モルモン経明治訳・昭和佐藤龍猪訳、平成訳、平成訳改訂版


罪惡を犯したる者あらば、我は我等の父祖より傳わる法に據(より)て之を罰せリ。
 明治訳初版(明治42(1909)年)

罪悪を犯す者は、これをわれらの先祖から伝わった方によって罰してきた。
 昭和訳、第一装丁1958年再販(2刷)、第二装丁1969年10刷、第三装丁1981年34刷、第四装丁1992年49刷

また、わたしは罪悪を犯した者に、それがだれであろうと、わたしたちの先祖から与えられた法に従って、その者の犯した罪科に応じて罰を与えてきた。
 平成訳、1995年ハードカバー版、2005年ソフトカバー版、平成訳2009年改訂版


1829 Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1829 Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, モーサヤ29:15


1830 Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1830 Book of Mormon, モーサヤ29:15


1837 Book of Mormon, p.232 モーサヤ29:15
 1837 Book of Mormon, モーサヤ29:15


1840 Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1840 Book of Mormon, モーサヤ29:15


 しかし、もはや金版もないし(天使が訳し終えたらサッサと天に持って行った。ジョセフ・スミスは金版の写しも作ることなく、拓本も作らなかったのでもはや原本を確認のしようがない。)、オリジナル原稿と印刷業者原稿の間には違いもあり、さらに印刷業者原稿と印刷された1830年初版にも開きがあり、ジョセフ・スミスが存命中校正した1840年版とも1981年以降の英文 Book of Mormon は違いがある。金版を見て訳したと称しているジョセフ・スミスによる校正が正しくて、オリジナル原稿の方が間違っている可能性もあるのに、それに合わせた改正というものはどうなんだろうね、と思う。


五島勉著「ノストラダムスの大予言」のトンデモ人魚


 平成19(2007)年か、平成20(2008)年頃の帰り道に古本屋に立ち寄ったところ、100円ワゴンの中に五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズがありました。1999年が過ぎて何年も経ちますから、外れた予言解釈本などは投げ売り状態でした。そこでドゥームズデイカルト(終末カルト)を調べる一環で五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズを全巻揃えてみました(当時は1冊100円程度なのでお財布にも優しかった)。あと、「トンデモ ノストラダムス本の世界」とか、トンデモシリーズも買いました。

 「トンデモ ノストラダムス本の世界」を読んで、その中で印象深く残っているのが、「ノストラダムスの大予言」の初期の版には、予言詩の3巻21番の詩の成就として出てくる人魚の写真(夕刊フジに載せられていたものを転載)が、上半身が魚で下半身が人間という「魚人」のようなものだったのが、コペンハーゲンの人魚像の写真に差し替えられたというものでした。

トンデモ ノストラダムス本の世界(山本弘(と学会会員)著 洋泉社 1998年)


トンデモ ノストラダムス本の世界(山本弘(と学会会員)著 洋泉社 1998年 p.59)
(「トンデモ ノストラダムス本の世界」 山本弘(と学会会員)著 洋泉社 1998年 p.59)

“  また『大予言』の初版本には、アラビア西海岸でつかまったという、上半身魚、下半身人間のヘンてこりんな怪物の写真(『夕刊フジ』からの転載)が載っていた。どう見ても、海外のタブロイド新聞によくあるインチキな合成写真なのだが、之こそノストラダムスの予言した「怪奇な人魚」(第三巻二一番)だというのである。しかし、これはさすがに自分でも無理があると感じたのか、後の版ではコペンハーゲンにある人魚像の写真に差し替えられている。 ”
(「トンデモ ノストラダムス本の世界」 山本弘著 洋泉社 1998年7月14日初版 p.58)

 その時持っていた、「ノストラダムスの大予言」は新しい版(ノストラダムスWikiの「『ノストラダムスの大予言』の各版の違い」によると水色版)のものだったので、本の中の写真もコペンハーゲンの人魚像でした。最近になって思い出して、検索してノストラダムスWikiとかを見たり、画像検索とかしたらいくつか出て来てその記事を見たりしたら、ベルギーの画家ルネ・マグリットによる1934年の油彩作品「共同発明 (The Collective Invention)」を使ったものだったようです(この作品については.renemagritte.org https://www.renemagritte.org/the-collective-invention.jsp#prettyPhotoや、「Artpedia(アートペディア)」の作品解説がわかりやすかったです。 https://www.artpedia.asia/the-collective-invention/ )。

 ルネ・マグリットの元絵と、それを新聞の荒い写真画像に似せるために点画加工したものと、「ノストラダムスの大予言」に夕刊フジから転載されていたものを並べて見ますと、ルネ・マグリットの絵が元なんだとわかります。

ルネマグリットの1934年の作品「共同発明」(Collective Invention)、それを点画加工したもの、ノストラダムスの大予言に掲載された写真

 さて、この写真記事の個所を五島勉著の「ノストラダムスの大予言」の青版と水色版から引用したいと思います。

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「ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日」 青版(昭和49年(1974年)2月23日158版)、水色版(平成4年(1992年)3月10日448版)


“ それは第三巻の二一、次のような常識では考えられない詩である。

 アドリアの海を通ってクルスタミンに
 おそろしい魚があらわれるだろう
 それは一匹の奇怪な人魚
 釣り針を使わずとらえられることになるはずだ

 時日は指定されていない。汚染魚や奇形魚をあつかった時の全部が、現代を示していることから見て、同じ表現の「おそろしい魚」(un horrible poisson)という言葉がふくまれるこの一篇も、そうした現代関連詩の一つと見ていいだろう。
 ノストラダムスは、指し示す時代によって、形容詞や動詞を微妙に変に変えて使うくせがあるので、私のこの推定はまず確実だ。
 とすると、現代、おそらくは汚染魚や奇形魚が出てくるのと同じ時期に、ローレライの歌に出てくるような人魚が一匹つかまえられるということになる。
 その場所はクルスタミン(Crustamin=甲殻類つまりエビ・カニ・サソリなどがとれる土地を意味する古語。中世の地理用語では紅海地方を指す)。捕える状況は釣り針を使わず―たぶんアミか素手。
 これは考えられない。人魚は完全に虚構の動物だ。船員や漁民が人魚を見た、という話はむかしときどきあったが、それは全部アザラシかジュゴン(水棲哺乳類の一種)の見誤りだった。生物学上、人間と魚の混血動物が存在するということは、天地がひっくりかえってもありえない。
 したがって、その発見と捕獲をノストラダムスが予言したとすれば、それはいからも中世人らしいエラーというべきで、ここから彼の予言体系すべてが崩れてくる。
 私はそう思って、救いへの突破口をようやく見つけ出した気になった。
 ところが、その数日後、電車に乗っていた私は、たまたま隣の人がひろげた新聞(夕刊フジ、七三年四月七日)を見て、息が止まるのをおぼえた。
 そこには、三面トップ扱いで、アラビア西海岸で一匹の人魚がアミにかかったこと、しかもそれは、顔が魚、体が人間という奇怪きわまる人魚だったことが、現地新聞(カイロのアルゴムホウリア紙)からの特電として、くわしく報道されていたのである。
 この報道は、その後、二、三の週刊誌でも伝えられたので、お読みになった方も多いと思う。それは必ずしも権威のあるものではなく、続報もなかったので、あるいは現地新聞のまちがいだったのかもしれない。しかしこの場合、ことの真偽は問題ではない。そういう人魚さわぎが、四百年前の予言者によって見通されていたということが問題なのだ。
 ノストラダムスの時代からいままで、人魚が実際につかまったこと―少なくともつかまったと人びとが広く知ったことは、この事件一回しかない。そうであるなら、彼はあきらかにこの事件を予知したことになる。
 それが的中したということは、さっきの突破口と逆の意味で、彼の全予言が的中することを証明してはいないだろうか。
 つけ加えるなら、この詩の最後の「釣り針を使わず」の原文は dehors de I'hamecon (釣り針の外に)であり、これには「いったんつかまえたものをとり逃がす」という意味もあり、それが報道されたのちウヤムヤになってしまう状況さえ示しているように感じられるのである。
 実際、現地紙によると、漁師たちは一旦その人魚を岸にひきあげたが、すぐに可哀そうになり、また祟りがおそろしいと思って、アミからはずして逃がしてやったことになっている。
 ともかく、この人魚ショックは、私の絶望にダメ押しの一点を加えた。ここまでピタリと当たった以上、そしてほかの詩も(ヒトラーが Hyster であるような未完成のミスを除いて)すべて的中している以上、人類破滅の予言もまず絶対に疑うことはできない。
 この、もはや逃げ道のない確信をいだいて、私たちはとうとう、一九九九年の滅亡予言に取りくまなければならない瀬戸ぎわに立たされてしまったようである。 ”

「ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日」 五島勉著 祥伝社 昭和49(1974)年2月23日158版(青版) pp.136-140

****

“  それは第三巻の二一、次のような常識では考えられない詩である。

 アドリアの海を通ってクルスタミンに
 おそろしい魚があらわれるだろう
 それは一匹の奇怪な人魚
 釣り針を使わずとらえられることになるはずだ

 時日は指定されていない。しかし、汚染魚や奇形魚をあつかった時の全部が、現代を示していることから見て、同じ表現の「おそろしい魚」(un horrible poisson)という言葉がふくまれるこの一篇も、そうした現代関連詩の一つと見ていいだろう。
 ノストラダムスは、指し示す時代によって、形容詞や動詞を微妙に変に変えて使うくせがあるので、私のこの推定はまず確実だ。
 とすると、現代、おそらくは汚染魚や奇形魚が出てくるのと同じ時期に、ローレライの歌に出てくるような人魚が一匹つかまえられるということになる。
 その場所はクルスタミン(Crustamin=甲殻類つまりエビ・カニ・サソリなどがとれる土地を意味する古語。中世の地理用語では紅海地方を指す)。捕える状況は釣り針を使わず―たぶんアミか素手。
 これは考えられない。人魚は完全に虚構の動物だ。船員や漁民が人魚を見た、という話はむかしときどきあったが、それは全部アザラシかジュゴン(水棲哺乳類の一種)の見誤りだった。生物学上、人間と魚の混血動物が存在するということは、天地がひっくりかえってもありえない。
 したがって、その発見と捕獲をノストラダムスが予言したとすれば、それはいからも中世人らしいエラーというべきで、ここから彼の予言体系すべてが崩れてくる。
 私はそう思って、救いへの突破口をようやく見つけ出した気になった。
 ところが、その数日後、電車に乗っていた私は、たまたま隣の人がひろげた新聞(夕刊フジ、七三年四月七日)を見て、息が止まるのをおぼえた。
 そこには、三面トップ扱いで、アラビア西海岸で一匹の人魚がアミにかかったこと、しかもそれは、顔が魚、体が人間という奇怪きわまる人魚だったことが、現地新聞(カイロのアルゴムホウリア紙)からの特電として、くわしく報道されていたのである。
 この報道は、その後、二、三の週刊誌でも伝えられたので、お読みになった方も多いと思う。それは必ずしも権威のあるものではなく、続報もなかったので、あるいは現地新聞のまちがいだったのかもしれない。しかしこの場合、ことの真偽は問題ではない。そういう人魚さわぎが、四百年前の予言者によって見通されていたということが問題なのだ。
 ノストラダムスの時代からいままで、人魚が実際につかまったこと―少なくともつかまったと人びとが広く知ったことは、この事件一回しかない。そうであるなら、彼はあきらかにこの事件を予知したことになる。 また西欧では、人魚は人間の正気を失わせ、舟をおびきよせて難させる破滅の象徴であり、 この詩はそういう誘惑と破滅の時代が来ることをあらわしたの破だ、という説もある。 いずれにしろ、これはデタラメな詩ではない。
 つけ加えるなら、この詩の最後の「釣り針を使わずに」の原文は dehors de I'hamecon (釣り針の外に)であり、これには「いったんつかまえたものをとり逃がす」という意味もあり、それが報道されたのちウヤムヤになってしまう状況さえ示しているように感じられるのである。
 実際、現地紙によると、漁師たちはいったんその人魚を岸にひきあげたが、すぐに可哀そうになり、また祟りがおそろしいと思って、アミからはずして逃がしてやったことになっている。
 ともかく、この人魚ショックは、私の絶望にダメ押しの一点を加えた。ここまでピタリと当たった以上、そしてほかの詩も(ヒトラーが Hyster であるような未完成のミスを除いて)すべて的中している以上、人類破滅の予言もまず絶対に疑うことはできない。
 とくに最近おそろしいと感じさせられたのは、118ページにあげた「大地と大気が冷えていく」の詩である。本書がはじめて発行された段階では、この詩は、まだ文字どおりの未来への予言だと受けとられていた。ところが、発行の数ヵ月後あたりから、この詩が暗示する状況は、すでに科学的に確定した事実として、私たちにふりかかってきた。大気汚染を原因のひとつとする異常気象によって、地球の気温が冷えはじめたこと、そしてそれが、かつてない世界的な食糧危機をもたらすだろうことを、いまでは多くの科学者や国連の専門家たちさえもが、一致して警告している。
 つまり、この氷河期接近の詩は、百パーセント的中したとみなければならない。ほかに食糧については、「小麦の値段がはね上がる」も的中したし、西アフリカの飢饉も百パーセント当たった。さらに世界的な飢え、局地的な大地震の暗示も、このぶんではどうやら的中しそうな雲行きだ。とすれば、そのつぎにはいったい何がおそって来るのか?
 この、逃げ道のないおそれを抱きながら、私たちはとうとう、一九九九年の滅亡予言に取りくまなければならない瀬戸ぎわに立たされてしまったようである。 ”

「ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日」 五島勉著 祥伝社 平成4(1992)年3月10日448版(水色版) pp.136-140

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変更点

p.137 2行目加筆
「しかし、」

p.138 水色版13-15行目加筆(誤植「舟をおびきよせて難させる・・・をあらわしたの破だ」難破の文字の破文字が別な場所に)
「 また西欧では、人魚は人間の正気を失わせ、舟をおびきよせて難させる破滅の象徴であり、 この詩はそういう誘惑と破滅の時代が来ることをあらわしたの破だ、という説もある。 いずれにしろ、これはデタラメな詩ではない。」

P.138 青版14-15行目削除
「 それが的中したということは、さっきの突破口と逆の意味で、彼の全予言が的中することを証明してはいないだろうか。」

p.139の写真の差し替え

p.140 1-11行目までを加筆挿入
「 とくに最近おそろしいと感じさせられたのは、118ページにあげた「大地と大気が冷えていく」の詩である。・・・そのつぎにはいったい何がおそって来るのか?」

p.140 水色版12行目変更(青版の1行目)
「この、もはや逃げ道のない確信をいだいて」→「この、逃げ道のないおそれを抱きながら、」

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ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1557年) 3巻21
ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1557年) 3巻21


 第3巻21番の予言詩は

Au crustamin par mer Hadriatique
Apparoistra vn horride poisson,
De face humaine,& la fin aquatique,
Qui se prendra dehors de l’ameçon.

となっていて、

“ Among the Crustacea, ncsr the Adriatic Sea,
A horrid fish shall appear,
Having a man's face and a fish's body,
Which shall be taken without a hook. ”
(The complete prophecies of nostradamus by Henry C. Roberts p.84)

The Complete Prophecies of Nostradmus , Henry C. Roberts p.84
The Complete Prophecies of Nostradmus , Henry C. Roberts p.84

“ アドリア海¹の近くで、カニのような
こわい魚があらわれ
それは人の顔と魚の体をしていて
釣針なしでとらえられるだろう  ”
(「ノストラダムス 大予言 原典 諸世紀 仏和対訳」 ヘンリー・C・ロバーツ編 大乗和子訳 内田秀男監修 たま出版 p.102)

“ アドリア海近くのクリュスチュマンに、
 人間の顔と水棲の端(はし)をもちし
 おぞましき魚が現れ、
 釣針で外に釣り上げられん。
 〔アドリア海の近くにあるクルストゥメリウムの地方で、人間の顔をもち水棲動物の尾を生やした、おぞましい魚が現れ、それは釣針で水中から釣り上げられるだろう。〕 ”
(「ノストラダムス予言集」 P.ブランダムール[校訂] 高田勇・伊達進[翻訳] 岩波書店 p.232)

“ アドリア海を通ってクルストゥメリアで、
戦慄すべき一尾の魚が現われるだろう。
人の顔と水棲の尾を持ち、
釣り針で (水の) 外に釣り上げられるだろう。 ”
(「ノストラダムス Wiki」)

と人間の顔をもって水生生物の尾を持った生き物とあるのに、「それは一匹の奇怪な人魚」と原書とは違う文言にしてしまっています。また五島勉が持ってきた夕刊フジ1973年4月7日の元記事「現地新聞(カイロのアルゴムホウリア紙)」の写真とされるものには、写真の下の方にアラビア語でイエメンで捕らえられた"人魚"(عروس البحر التي اصطيدت باليمن)とあります。このイエメンで捉えられた生き物(マグリットの絵を使ったフェイク記事ですか)がなぜこの予言詩と関係するのか理解できません。

 五島勉は “ 続報もなかったので、あるいは現地新聞のまちがいだったのかもしれない。しかしこの場合、ことの真偽は問題ではない。そういう人魚さわぎが、四百年前の予言者によって見通されていたということが問題なのだ。 ”  と語っているが、そもそも予言詩では人間の顔をもって水生生物の尾を持った生き物で、写真は魚の上半分と人間の下半身という全く違ったもので、アドリア海近くの(通った)「クリュスチュマン」(Crustumin)で釣り上げられるのが、イエメンというまったく別な場所の出来事を結びつけてしまうご都合主義と思い込みがすごいなーと感じましたね。

 革命後の1954年に革命新政府の代弁者として創刊されたカイロの日刊紙Al Gomhuria紙も、40万部(2000年)ほどの発行部数しかない新聞ですから、そういったローカルな新聞のフェイク記事・飛ばし記事をもって  “ 人魚が実際につかまったこと―少なくともつかまったと人びとが広く知ったことは、この事件一回しかない。 ”  として根拠にしてしまうのは無理筋。「ノストラダムス予言集」 (P.ブランダムール[校訂] 高田勇・伊達進[翻訳] 岩波書店)によれば、

“ 三-二一
 アドリア海近くのクリュスチュマンに、
 人間の顔と水棲の端(はし)をもちし
 おぞましき魚が現れ、
 釣針で外に釣り上げられん。
 〔アドリア海の近くにあるクルストゥメリウムの地方で、人間の顔をもち水棲動物の尾を生やした、おぞましい魚が現れ、それは釣針で水中から釣り上げられるだろう。〕

 ブランダムールは「クリュスチュマン」(Crustumin)を「クルストゥメリウム」(Crustumerium)というサビニ人の町に由来するものと解釈しているが、これをカットリカでアドリア海に流れ込むコンカ河とする注釈者もいる。いずれにせよ、そこで上半身は人間で下半身が魚の怪物 ― セイレーンか ― が捕えられるだろう、というのである。アンブロワーズ・パレはコンラート・ゲスナーの記述をもとに次のように書いている。「一五二三年一一月三日、五、六歳の子どもの大きさで、臍までは耳を除いて人間の上半身をしており、下半身は魚に似た、海の怪物(図28)がローマで目撃された†¹」(『怪物と驚異について』第三四章)。これに類したさまざまな海の怪物の目撃談が、当時の動物誌から瓦版、驚異譚に至るまでおびただしく記されている。
†1 A.Paré, op. cit., p.105. “
(「ノストラダムス予言集」 P.ブランダムール[校訂] 高田勇・伊達進[翻訳] 岩波書店 pp.232-233)

「ノストラダムス予言集」 P.ブランダムール[校訂] 図28
「ノストラダムス予言集」 P.ブランダムール[校訂] 図28

『怪物と驚異』(Des Monstres et Prodiges) 1573年
『怪物と驚異』(Des Monstres et Prodiges) 1573年

と、ノストラダムスの当時、人間の上半身と魚の下半身をした怪物の目撃談があったようですし、日本でも人魚の目撃話なんてものは昔からあるわけで、なんでも思い込みとこじつけはできるものだと感じましたね。



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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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