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キリスト教の異端・モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)資料(主にモルモン聖典関連)

モルモン經の各刷の装丁・発行年月日・印刷会社・定価記載(昭和訳19刷まで、20刷以降記載なし)

明治訳
 初版 明治42(1909)年10月10日発行 株式会社秀英舎第一工場 壹圓
 再版 昭和25(1950)年 6月15日再版 株式会社十一房印刷社 参百五拾円

昭和訳(佐藤龍猪訳、➀第一装丁、➁第二装丁、➂第三装丁、④第四装丁)
初版 ➀ 
再版 ➀ 1958年 7月10日再版発行 三省堂ミタカ工場 弐百円
3刷
4刷
5刷
6刷
7刷
8刷 ➁ 1969年 8月15日 太陽印刷工業株式会社 180円
9刷
10刷 ➁ 1969年11月10日  太陽印刷工業株式会社 250円
11刷 ➁ 1969年12月10日 株式会社三省堂三鷹工場 250円
12刷
13刷 ➁ 1970年 2月10日 太陽印刷工業株式会社 250円
14刷
15刷
16刷 ➁ 1970年 4月 1日 株式会社エコー商事印刷紙器部 250円
17刷 ➁ 1970年 7月 1日 株式会社エコー商事印刷紙器部 250円
18刷
19刷 ➂ 1972年 9月 1日 株式会社サンエコー 250円
20刷 ➂ 1974年 3月 1日 株式会社サンエコー 
21刷 ➂ 1974年11月 1日 凸版印刷株式会社
22刷
23刷 ➂ 1975年10月 1日 凸版印刷株式会社
24刷
25刷 ➂ 1976年 8月 1日 凸版印刷株式会社
26刷 ➂ 1976年12月10日 凸版印刷株式会社
27刷 ➂ 1977年 6月20日 凸版印刷株式会社
28刷 ➂ 1977年11月10日 凸版印刷株式会社
29刷 ➂ 1978年 5月20日 株式会社精興社
30刷
31刷 ➂ 1979年 9月20日 株式会社精興社
32刷 ➂ 1980年 6月20日 株式会社精興社
33刷
34刷
35刷
36刷 ④ 1985年 9月20日50M 株式会社精興社
37刷 ④ 1986年 3月31日100M 株式会社精興社
38刷 ④ 1987年 3月20日100M 株式会社精興社
39刷 ④ 1987年 9月30日100M 株式会社精興社
40刷 ④ 1988年 8月31日47.5M 株式会社精興社
41刷 ④ 1989年 2月20日50M 株式会社精興社 ソフトカバー
42刷 ④ 1989年 6月30日50M 株式会社精興社
43刷
44刷 ④ 1990年 3月31日20M 株式会社精興社
45刷 ④ 1990年12月15日50M 株式会社精興社
46刷
47刷 ④ 1991年 9月 8日50M 株式会社精興社
48刷
49刷 ④ 1992年12月10日50M 株式会社精興社
50刷
51刷 ④ 1993年10月15日60M 株式会社精興社
52刷 ④ 1994年 7月25日30M 株式会社精興社

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インターネットアーカイブ

・1828 Printers Manuscript Of The Book Of Mormon

https://archive.org/details/20977511828PrintersManuscriptOfTheBookOfMormon/mode/2up?q=Book+of+Mormon+RLDS


・1830 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco1830smit/mode/2up


・1830 ファクシミリ版

https://archive.org/details/book-of-mormon-1830-digital-replica/mode/2up


・1840 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookmormon01smitgoog/mode/2up


・1858 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormon00smit/mode/2up


・1905 The Book of Mormon Orson Pratt編

https://archive.org/details/bookmormonanacc00smitgoog/mode/2up


・1908 The Book of Mormon Orson Pratt編

https://archive.org/details/bookmormonanacc04pratgoog/mode/2up

https://archive.org/details/bookmormonanacc04pratgoog


・1914 The Book of Mormon

https://archive.org/details/trueoriginofbook00shoo/mode/2up


・1917 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormon00lamo/mode/2up


・1920 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco00bookuoft/mode/2up?ref=ol

https://archive.org/details/bookofmormonanac027933mbp/mode/2up

https://archive.org/details/cu31924090875299/mode/2up

https://archive.org/details/bookofmormonacc00smit/mode/2up


・1964 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonacco1964smit/mode/2up


・1981 The Book of Mormon

https://archive.org/details/bookofmormonbook00smit/mode/2up


・The Doctrine & Covenants (1845)

https://archive.org/details/the-doctrine-and-covenants-1845/mode/2up?q=Joseph+Smith%2C+Jr.


ジョセフ・スミス霊感訳聖書

https://archive.org/details/holyscriptures00smit

https://archive.org/details/holyscripturestr00smituoft

https://archive.org/details/threebiblesschol00etzerich

ジェームズ・E・タルメージ 信證講義
https://archive.org/details/shinshokogi00talm/mode/2up

ブルース・R・マッコンキー Mormon Doctrine
https://archive.org/details/mormon-doctrine-1958-bruce-r-mc-conkie-lds/page/3/mode/2up?q=Doctrines+of+Salvation

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米国議会図書館のウェブサイト(the Library of Congress Web site)

1830 The Book of Mormon
The Book of Mormon; an account written by the hand of Mormon upon plates taken from the plates of Nephi.
https://www.loc.gov/item/49034953/

1869 テゼレット・アルファベット版The Book of Mormon
https://archive.org/details/bookofmormdeseretalpha00/mode/2up

1835
Doctrine and covenants of the Church of the Latter-Day Saints
https://www.loc.gov/item/unk82003210/


1851 The pearl of great price
The pearl of great price
https://www.loc.gov/item/09015653/

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Joseph Smith Papers

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 1948 Photographs
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-1948-photographs/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, circa 1968 Photographs
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-circa-1968-photographs/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 2017 MSI Photographs, Best Wavelength
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-2017-msi-photographs-best-wavelength/1

・Original Manuscript of the Book of Mormon, 2017 MSI Photographs, Color
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/original-manuscript-of-the-book-of-mormon-2017-msi-photographs-color/1

・Book of Mormon Manuscript Excerpt, circa June 1829 [1 Nephi 2:2b–3:18a]
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-manuscript-excerpt-circa-june-1829-1-nephi-22b-318a/1#!/paperSummary/book-of-mormon-manuscript-excerpt-circa-june-1829-1-nephi-22b-318a&p=1

・Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, 1923 Photostatic Copies
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/printers-manuscript-of-the-book-of-mormon-1923-photostatic-copies/1

・Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, circa August 1829–circa January 1830
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/printers-manuscript-of-the-book-of-mormon-circa-august-1829-circa-january-1830/1

・Book of Mormon, 1830
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1830/1

・Book of Mormon, 1837
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1837/1

・Book of Mormon, 1840
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1840/1

・Book of Mormon, 1841
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-mormon-1841/1

・Book of Commandments, 1833
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/book-of-commandments-1833/1

・Doctrine and Covenants, 1835
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/doctrine-and-covenants-1835/1

・Doctrine and Covenants, 1844
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/doctrine-and-covenants-1844/1

・Grammar and Alphabet of the Egyptian Language, circa July–circa November 1835
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/grammar-and-alphabet-of-the-egyptian-language-circa-july-circa-november-1835/1

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ニーファイ第一 3章10節、モーサヤ29章15節


the Utah Lighthouse Ministry
 the Utah Lighthouse Ministry のトップページ

 さて、ジェラルド&サンドラ・タナー夫妻の the Utah Lighthouse Ministry (ユタの灯台ミニストリー)のサイトのモルモン書の1920年版と 1981年版の間の変化の中から二か所を取り上げたいと思います。

 まず一つ目はニーファイ第一 3章10節です。

 この個所で1981年英語版と2013年英語版はそれ以前の版と単語一つが変わりました。

 まず2013年版から10節を引用します。

10 And it came to pass that when we had gone up to the land of Jerusalem, I and my brethren did consult one with another.

 この中で gone up という語が以前の出版された Book of Mormon では違っていました。

 最初にオリジナル原稿では、1981年英語版と2013年英語版と同じ gone up という語が使われていました。

Book of Mormon Manuscript Excerpt, circa June 1829 1 Nephi 3:10
 1829 Book of Mormon Original Manuscript ニーファイ第一 3:10


 そして、1929年に製本するために印刷業者に渡すための手書き写し原稿(1829 Printers Manuscript)が作られ、そこでこの語は come up と変更されました。


1829 Printers Manuscript Of The Book Of Mormon ニーファイ第一 3:10
 1829 Printers Manuscript ニーファイ第一 3:10


 1830年初版、1837年版、1840年版、1841年版、1908年版、1920年版、1961年版と改正されて行きましたが、 come up と変化がありませんでした。最初の三つの版はジョセフ・スミスが生きていた時になされた修正版で、1830年版と1837年版の印刷された誤りをジョセフ・スミスは印刷者の原稿(1829 Printers Manuscript)を用いて校正したのが1840年版でした。


The Book Of Mormon 1830 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1830年初版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1837 p.12 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1837年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1840 p.11 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1840年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1841 p.6 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1841年版 ニーファイ第一 3:10


The Book of Mormon by Orson Pratt 1908
 The Book of Mormon 1908年版(Orson Pratt) ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1920 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1920年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 1981 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 1981年版 ニーファイ第一 3:10


The Book Of Mormon 2013 ニーファイ第一 3:10
 The Book Of Mormon 2013年版 ニーファイ第一 3:10


 1981年版において変更されたのは、オリジナル原稿を用いて印刷業者原稿の20箇所の大きな誤りを修正し、他の個所は印刷業者原稿と1840年版に基づいて修正をしたようです。しかし、金版を見たこともない人間が、教祖ジョセフ・スミスの修正を超えて修正してしまえるというのも不思議です。


 続いてモーサヤ29章15節を見たいと思います。また、2013年版から引用します。

15 And whosoever has committed iniquity, him have I punished according to the crime which he has committed, according to the law which has been given to us by our fathers.

 ここでは1837年版、1840年版、1920年版、1961年版では、「according to the crime which he has committed,」(彼が犯した罪に応じて、)の文言が削除されています。これは日本語訳でも確認できます。

モルモン経明治訳・昭和佐藤龍猪訳、平成訳、平成訳改訂版


罪惡を犯したる者あらば、我は我等の父祖より傳わる法に據(より)て之を罰せリ。
 明治訳初版(明治42(1909)年)

罪悪を犯す者は、これをわれらの先祖から伝わった方によって罰してきた。
 昭和訳、第一装丁1958年再販(2刷)、第二装丁1969年10刷、第三装丁1981年34刷、第四装丁1992年49刷

また、わたしは罪悪を犯した者に、それがだれであろうと、わたしたちの先祖から与えられた法に従って、その者の犯した罪科に応じて罰を与えてきた。
 平成訳、1995年ハードカバー版、2005年ソフトカバー版、平成訳2009年改訂版


1829 Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1829 Printer’s Manuscript of the Book of Mormon, モーサヤ29:15


1830 Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1830 Book of Mormon, モーサヤ29:15


1837 Book of Mormon, p.232 モーサヤ29:15
 1837 Book of Mormon, モーサヤ29:15


1840 Book of Mormon, モーサヤ29:15
 1840 Book of Mormon, モーサヤ29:15


 しかし、もはや金版もないし(天使が訳し終えたらサッサと天に持って行った。ジョセフ・スミスは金版の写しも作ることなく、拓本も作らなかったのでもはや原本を確認のしようがない。)、オリジナル原稿と印刷業者原稿の間には違いもあり、さらに印刷業者原稿と印刷された1830年初版にも開きがあり、ジョセフ・スミスが存命中校正した1840年版とも1981年以降の英文 Book of Mormon は違いがある。金版を見て訳したと称しているジョセフ・スミスによる校正が正しくて、オリジナル原稿の方が間違っている可能性もあるのに、それに合わせた改正というものはどうなんだろうね、と思う。


ニーファイ第一2章2節~9節、レーマン川、モルモン書の「紅海(Red Sea)」の語


「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 1989年改訂版


80年代の終わりごろにモルモンのアメリカ人宣教師に、 ウィリアム・ウッド氏の著書「モルモン教とキリスト教」の次の記述から

" ―たとえば、ニーファイ第一書の二章五‐八節によると、「紅海に注ぐ」川がありますが、実際にはそのような川は存在しません。 "
(「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 p.43)

との記述から、「紅海の頭に注ぐ」(昭和訳「モルモン経」)川というものはないのではないかと質問したところ

『英文聖典には頭(かしら)にあたる語は無く、紅海に注ぐ川とある。
この川は、紅海すなわち現在のアカバ湾に注ぐ川であって、スエズ湾にではない。
また、アカバ湾の側面から注がれた川であろう。』

との回答を得ました。特に当時はモルモンについては詳しくはなく、関心も少なかった中、キリスト教側の現代の異端に対する簡単な論駁書(モルモンについて触れているものは少ない)を読んだくらいの知識で、たまたまモルモンの宣教師の伝道に会い、何回かお話をする中での質問でした。

 この回答を聞いた時には、なんとなくなんかあいまいで逃げた感じを受けました。

 まずはニーファイ第一2章の2節から9節を昭和訳から見てみたいと思います。

2 そして主はまことに夢の中で私(わたくし)の父に妻子(つまこ)をつれて荒野(あれの)へ出て行けと命じたもうた。
3 私(わたくし)の父は主の言葉によく聞き従ったから、主が命じたもうた通りにした。
4 そして父は荒野(あれの)へ出て行った。父は自分の家と相続した土地と、所有の金銀および貴重品をあとにのこして、ただ妻子(つまこ)と食料と天幕のほかには何ももたずに荒野に旅立った。
5 父はまず紅海の海辺に近い国境のそばにきて、それからさらに一そう紅海に近い国境にある荒野の中を進んで行った。父はまことに荒野(あれの)の中をその妻子(つまこ)をつれて旅をしたのであるが、その妻子(つまこ)とは私(わたくし)の母サライアと3人の兄達レーマン、レミュエル、サームとであった。
6 私(わたくし)の父は三日の間荒野(あれの)の中を進んでからある谷間に止(とどま)り、そこを流れる川のほとりに天幕を張った。
7 そこで父は石で一つの祭壇を築き、主に奉物(ささげもの)を捧げてわれらの神である主に感謝をした。
8 父はこの川にレーマンと言う名をつけたが、この川は紅海に注ぐ流れであって、その谷は川口に近い国境にあった。
9 父はこの川の水が紅海の頭に注ぐのを見てレーマンに向かい「この川がたえず流れて海に入(い)るように、汝もたえ間なくあらゆる正しさの海に流れこんでくれるように」と言い、

 8・9節の明治訳と平成訳

8 我父は此河にレーマンなる名を附けぬ。此(こ)は其(その)末(すえ)紅海に注ぐ流(ながれ)にて、谷は河口(かはぐち)に近き國界(くにざかひ)に在りき。
9 父は此(この)河の水の紅海に落つるを見、レーマンに向ひて言ひけるは『此(この)河の混々として海に入る如く、汝が晝夜(ちうや)を舍(や)めず總(すべて)の義の海に流れんことを』と。
(明治訳)

8 さて,父はその川をレーマンと名付けた。その川は紅海に注ぎ,その谷は河口(かこう)に近い境(さかい)の地にあった。
9 父は,その川の水が紅海の源(みなもと)に注ぐのを見て,レーマンに向かって言った。「おお,おまえはこの川のように,絶え間なくあらゆる義の源に流れ込むように。」
(Web2021年改訂版)

The Book of Mormon ed.2013、1989四聖典英文合本、The Book of Mormon ed.1830(Facsimile)


 さて、宣教師が『英文聖典には頭(かしら)にあたる語は無く、紅海に注ぐ川とある。』と言うことについて、1981年版の英文モルモン書は次のようになっています。

9 And when my father saw that the waters of the river emptied into the Ⓐfountain of the Red Sea, he spake unto Laman, saying: O that thou mightest be like unto this river, continually running into the fountain of all righteousness!

ⒶIE fount, or source, like the Gulf of Akaba, which empties into the Red Sea.
IE 紅海に注ぎ込むアカバ湾のような源泉、または源。


9節はthe river emptied into the fountain of the Red Sea (紅海の源に流れ込む川)となっています。宣教師の回答は9節から質問しているのに、8節を見ているようで今思うとなんか話が合っていないな~と感じます。モルモンの外国人宣教師と話すと日本語があまりできないのでこの手のすれ違いはよくありました。

さて、この1981年版の英文モルモン書には欄外注があり。そこに「IE」という記号がふられています。これは「An explanation of idioms and difficult wording(熟語や難しい言葉遣いの解説)」を表しています。モルモンにとっては難しい問題なのでしょう(日本語版には9節には欄外注はありません)。

巻末のTopical Guide(日本語訳でこれにあたるのが「聖句ガイド」)にFountain(噴水・泉・源・源泉)の語の項目があります(日本語版にはありません。日本のモルモン教徒は疑問は起きないようです)。

Fountain
See also Spring [noun]; Well [noun]
fountains of the great deep broken up, Gen. 7:11.
in Elim were twelve fountains of water, Num. 33:9.
took counsel … to stop the waters of the fountains, 2 Chr. 32:3.
I went on to the gate of the fountain, Neh. 2:14.
with thee is the fountain of life, Ps. 36:9.
law of the wise is a fountain of life, Prov. 13:14.
forsaken me the fountain of living waters, Jer. 2:13 (17:13).
fountain shall come forth of the house of the Lord, Joel 3:18.
fountain opened to the house of David, Zech. 13:1.
Doth a fountain send … sweet water and bitter, James 3:11.
shall lead them unto living fountains of waters, Rev. 7:17.
I will give … of the fountain of the water of life, Rev. 21:6.
river emptied into the fountain of the Red Sea, 1 Ne. 2:9.
rod of iron … led by the head of the fountain, 1 Ne. 8:20 (8:32).
word of God, which led to the fountain of living waters, 1 Ne. 11:25.
fountain of filthy water, 1 Ne. 12:16.
come unto the fountain of all righteousness, Ether 8:26 (12:28).
bitter fountain cannot bring forth good water, Moro. 7:11.
his bowels shall be a fountain of truth, D&C 85:7.
worship him that made … the fountains of waters, D&C 133:39.


「末日聖徒イエス・キリスト教会の教義、実践、歴史に対する批判に対して、十分に文書化された回答を提供することに専念する非営利団体」というFAIRという団体のサイトには

Question: Is the description in the Book of Mormon of a "river running into a fountain" absurd? (質問:モルモン書の「川が噴水に流れ込む」という記述はばかげていますか?)

こういう記事を出すくらいですから、このことについては、やはりモルモンへの批判として多いのでしょう。

この記事の中で、the fountain of the Red Seaを、KJVの創世記7:11のthe fountains of the great deep (口語訳「大いなる淵の源」)と絡めて説明しようとしています(この個所はTopical Guideの「Fountain」の項目にも出てきます)。参考にしている論文も1988年のもので、この当時の考え方としてはこうだったのでしょう。明治訳の訳文はこの解釈に近い感じがします。

モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料 第二刷発行日1988年1月31日


当時のインスティテュートテキストでも

(2-11) Ⅰニーファイ2:6‐7
 ここには、モルモン経が書かれたものではなく翻訳されたものであることを示す興味深い証拠がふたつある。北米では川はすべて「流れる川」であるが、中東では1年を通じて水の流れる川はまれである。雨季になると、普段は水のない河底に雨水が流れ込んで川になる。しかし乾期になれば、干上がって「流れる川」ではなくなるのである。「石の祭壇」は、出エジプト20:24‐26および申命記27:5‐6に記されている戒めにそのまま従ったものである。
(「モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料」 第二刷発行日1988年1月31日 p.16)

と、レミュエルの谷にあるレーマン川は乾季には水が枯れる川であることを示唆しています。

2007年にJournal of Book of Mormon Studiesにのせられた論文で、

The Hunt for the Valley of Lemuel
S. Kent Brown
レムエルの谷の狩り
S・ケント・ブラウン(ブリガム・ヤング大学)
https://scholarsarchive.byu.edu/jbms/vol16/iss1/8/

が発表されると Wadi Tayyib al Ism がレミュエルの谷で、そこを流れる小川がレーマン川ではないかと考えられるようになりました(2017年ころからモルモン教徒のブログやサイトでこの手の記事が見かけられる)。

 ここはモーセがエジプトを逃れてアラビアのこの場所に来て、約10年間住んだことからモーセの谷と言われる有名な場所です。

論文の始めの方を見ますと

" The possi ble locati on of the Valley of Lemuel has captured the attention of students of the Book of Mormon, particularly following the publication of an attractive site in northwestern Arabia whose characteristics include canyon walls that rise more than 2,000 feet above the valley floor and a stream that runs year around. The canyon, called Wadi Tayyib al-Ism, appears to fit snugly with Nephi’s description of a “valley, firm and steadfast, and immovable” featuring a “river, continually running” (1 Nephi 2:9–10).1 This find is set into profile all the more because surveys have concluded that “the Red Sea . . . is left without a single flowing river. In this respect the Red Sea is unique.”2 Only on the coast of Yemen does one find year-round streams such as Wadi Hagr that drain to the south, but not into the Red Sea: “Wadi Hagr . . . which, at the point where it reaches the sea, is that great rarity of Arabia, a perennial stream.”3 The rare water source in Wadi Tayyib al-Ism, therefore, had seemingly settled the question about the location of the Valley of Lemuel. But other competing views demand to be taken seriously.
The question is whether these alternative suggestions carry the merits of Wadi Tayyib al-Ism. Let us examine three other proposed sites, all in northwest Arabia and within a few dozen miles of Wadi Tayyib al-Ism. The first and northern-most candidate is Wadi Nuwaybi>, a streambed which lies a mere twelve or so miles south of Aqaba, close to the 1961 border between the modern states of Jordan and Saudi Arabia. The streambed reaches the Red Sea within Jordanian territory, two miles north of the Saudi border town al-Durrah.4 According to one report, Wadi Nuwaybi> is a canyon wherein one can find a running stream in its “lower portion.”5 If this information is correct, the stream, apparently freshened by springs, is not seasonal, that is, it does not depend on winter or monsoonal rains. "

レムエルの谷の可能性のある場所は、モルモン書の学生の注目を集めました。特に、谷底から 2,000 フィート以上の高さの峡谷の壁と、 一年中流れている流れ。 Wadi Tayyib al-Ism と呼ばれるこの峡谷は、ニーファイが説明した「堅固で確固たる不動の谷」であり、「絶え間なく流れている川」を特徴としているように思われます (1 ニーファイ 2:9–10)。 調査が「紅海. . . 川が一本も流れずに残っています。 この点で、紅海はユニークです。」 . . それが海に到達する点では、アラビアのその非常にまれな、多年生の流れです。」 . しかし、他の競合する見解は真剣に受け止められる必要があります。
問題は、これらの代替提案がワディ・タイイブ・アル・イズムのメリットをもたらすかどうかです。 他の 3 つの提案されたサイトを調べてみましょう。これらはすべてアラビア北西部にあり、ワディ タイイブ アル イズムから数十マイル以内にあります。 最初の最北端の候補はワディ・ヌワイビで、これはアカバからわずか 12 マイルほど南にあり、ヨルダンとサウジアラビアの 1961 年の国境近くにあります。 河床はヨルダン領土内の紅海に達し、サウジの国境の町アル・デュラの北 2 マイルにある 4。 この情報は正しいです。明らかに春によって新鮮になった小川は季節的ではありません。つまり、冬やモンスーンの雨には依存しません。

 この場所にモルモン教徒の関心が向きWikipediaにも

Wikipedia Tayyib Al Ism アラビア語のページ
https://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%B7%D9%8A%D8%A8_%D8%A7%D8%B3%D9%85

Tayyib Al Ism は、サウジアラビア北西部のタブーク州にある地域です。 約314メートルの高台にあります。 紅海であるアカバ湾の東海岸から東に 10 km の場所にあります。 村の西側には手付かずのサンゴ礁があります。 タイブの場所は一部のモルモン教徒にとって重要であり、モルモン書で言及されていると考えられています。

場所
Tayyib Asmは、マクナの中心部、州の西、28 kmの距離にあり、アカバ湾のほとりにあるタブーク市から253 kmの場所にあります。

命名法
サイトは人間の女性器官の説明と呼ばれるため、別の名前で呼ばれていたため、まったく別の名前が付けられていました。 類似性と景色の近さから、Tayyib Asm という名前の理由は、山の近くで羊を放牧していた少女の話から来たと言われています。謙虚さと純潔に覆われた彼女の本能的な知性で彼女を促し、その名前ジャバル(良い名前)は井戸からの脱出であることを彼らに伝えるために、山の本当の有名な名前を発音することを控えました。女性の女性器全般を象徴する通称。

説明
「Tayyib Asm」は高い山の真ん中にある裂け目で、一年を通して真ん中に水が流れています. Al-Bahri の入り口にはヤシの木のオアシスがあり、裂け目は非常に狭く、車が 1 台しか通行できません。合格。 谷間には 3 つの泉があり、その中で最も甘いのは海に近い泉です。

アクセス方法
Al Bidda から Maqna までの海岸を横切る、 ムクナの指導者からの許可を必要とする道路。
アル ビダからの険しい砂漠の道 (33 km) は、そこに到達するのに 1 時間かかる場合があります。
(このページの最終更新日は 2022 年 12 月 11 日 13:43 です。)

 と記載されています。

グーグルマップ「Wadi Tayyib al Ism」


 しかしながらエルサレムからWadi Tayyib al Ismまで、グーグルマップで道路を最短で測って約390kmもあります。まず、エルサレム在住のリーハイ一家が(ヨセフの子孫が何故かダビデの町であるエルサレムに嗣業を持っている不可思議は置いておくとして)旅慣れているとは思えませんし、エルサレム在住なら家畜を飼う家業ではないわけで、そんな人間が荒野と砂漠を天幕と食料をラクダに積んで家族と家畜を引き連れてそんな距離行くなんてまず不可能でしょう(現代人に比べて古代人が足腰丈夫だとは言え)。けどモルモン教徒はそういう矛盾は気にならないのでしょうね(笑)この谷を出てアラビア湾までの旅も、まともに考えればあり得ないんですけどね。

リーハイ一行

モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料 第二刷発行日1988年1月31日 P.42

 モルモン経を読むとリーハイ一行がエルサレムを出発してから3日でレーマン川とかってにリーハイが名付けた川に着いたように読めますが、2009年版のインスティテュートテキストでは

1 ニーファイ2:5 -10 リーハイはエルサレムから紅海の浜辺まで旅をした
• エルサレムから紅海までは,距離にして約180 マイル(約290 キロ),昔から多くの略奪者が横行する,暑く不毛の地域を通過しなければならない。リーハイと家族はこの地点からさらに「三日の間旅をし〔た。〕」( 1 ニーファイ2:5 - 6参照)これはエルサレムからレムエルの谷の仮の住まいまでを12 日から14 日間かけて旅したことになる(付録394 ページの地図「リーハイの家族がたどったと考えられる経路」参照)。
(「モルモン書 生徒用資料 宗教コース121-122」 2009年改訂版 p.12)

エルサレムから紅海までの道程は含めずに、紅海からさらに三日の旅をしたとモルモン経のテキストにはない解釈をしています。そうしないとレーマン川がスエズ湾のアラビア半島側にあるいずれかの川とすることが出来ないからでしょう。いやはやなんとも・・・・。

 続いてモルモン書の「紅海」という訳語に付いて、ヘブライ語の聖書ではYam Suph(葦の海)で、「紅海」は七十人ギリシヤ語訳聖書でΘάλασσα των Καλαμιών(サラッサ・トーン・カラミオーン、「葦の海」)とは訳さずに、Ερυθρά Θάλασσα(エリュスラ・サラッサ、「紅海」)としたことから、七十人訳聖書を使用していたキリスト教で一般化しました。ラテン語を使う西方キリスト教でも七十人訳聖書の影響から古ラテン訳聖書、ラテン語ウルガタ聖書でもMare Rubrum(紅海)と訳されました。もちろんKing James VersionもRed Sea(紅海)と誤訳したままです。しかし、紀元前3世紀以降に訳された七十人ギリシヤ語訳聖書の訳語の影響が、ゼデキア王の時代のニーファイの記録に出てくること自体あり得ないことです。

 そうすると前掲のFAIRという団体のサイトでは次のような記事で回答しているつもりになっています。

Question: Should the phrase "Red Sea" in the Book of Mormon actually be the "Reed Sea" based on a suspected mistranslation in the Bible? (質問:モルモン書の「紅海」という言葉は,聖書の誤訳の疑いから,実際に「葦の海」であるべきでしょうか。)

"・・・
 モルモン書:欽定訳の「紅海」が間違っていたとしても,モルモン書の翻訳の正しさについて結論を出すことはできません。使徒パウロの新約聖書の書物がセプトゥアギンタ(旧約聖書のギリシャ語訳)の言語を使用していたように、今日知られている初期のより正確な写本が存在するにもかかわらず、ジョセフ・スミスは欽定訳聖書の言語を使用しました。どちらの場合も,預言者は当時最も一般的に使われていた聖文の言葉を使いました。

 KJV聖書:皮肉なことに,モルモン書の正確さの問題とは無関係であるにもかかわらず,「葦の海」の主張は,それ自体が現代の理解の誤りの産物です。

・・・"

 これもとんちんかんな回答と言わざるを得ません。まずジョセフ・スミスJrは金版に刻まれていた改良エジプト文字(変体エジプト文字)を読解して英訳したわけではありません。金版と一緒に発見した胸当てについている銀のつるでメガネのようになっているウリムとトンミムというものを通して金版を見ると、あら不思議! 英訳された文章が見え、それを朗読して、オリバー・カウドリが口述筆記したとされるものです。ジョセフ・スミスJrがKing James Versionを愛用したかどうかは関係がありません。モルモンの説明って、一つ回答すれば目先のものは解決したように見えて、実はさらに矛盾を生み出すだけのものです。

By David A. Baird/Historical Arts and Castings, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16968127
Wikipedia画像「A 21st-century reconstruction of the golden plates and the Urim and Thummim connected to a breastplate.」By David A. Baird/Historical Arts and Castings, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16968127

注) 2018年に出版された「聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語 第1巻 真理の標準 1815–1846年」 のp.58(18行目から)には、

"  それと同時に、ジョセフとオリバーは翻訳を始めました。翻訳作業は数週間休みなく順調に進み、エマも同じ部屋にいて日常の家事をこなすことがよくありました。ジョセフは時折、解訳器をのぞいて翻訳し、版に刻まれた文字を英語で読み上げました。
  聖見者の石は一つだけ用いる方が扱いやすいと感じることがよくありました。ジョセフは帽子に聖見者の石を入れると、帽子に顔をうずめて光を遮り、石をのぞき込みました。石が暗闇の中で光を放って輝くと、言葉が現れます。それをジョセフが口述し、オリバーが素早く書き写したのでした。"

とあり、解訳器だけでなく、かつて詐欺で使っていた石ころである「聖見者の石」と称する石を帽子に入れて、そして帽子をのぞき込むという、かつては地下に埋蔵されている昔のインディアンの財宝が見えるといった方法と同じ仕方で翻訳にも使うと、今度は金版の翻訳された文字が見えるとして、それじゃあ金版なんかいらんだろという方法で訳していたと、末日聖徒イエス・キリスト教会の出版している本にはあります。

聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語 第1 巻 真理の標準 1815–1846年 URL


***

モルモン教が発行しているKJVの出エジプト記10:19、15:4、23:31の 「Red sea」の訳語に付された注

10:19注、 23:31注
OR Reed Sea.

15:4注
OR Reed Sea (also v.22).


邦語訳旧約聖書の出エジプト記10:19、13:18、15:4、23:31のYam Suphの訳語に付された欄外注

・秦剛平訳「エリュトラ海」

出エジプト10:19の欄外注
11 エリュトラ海―へ→「葦の海」(新共同訳、岩波版)、「紅海」(フランシスコ会訳)。後出13-18、15-4、23-31にも見られる。「エリュトラ海」は、たとえばヘーロドトス『歴史』1-1、1-180、1-189、1-202他の用例によれば、紅海ばかりか、アラビア湾やペルシャ湾も含む。
(「七十人訳ギリシア語聖書 Ⅱ 出エジプト記」 秦剛平訳 河出書房新社 p.55、p.57)


・バルバロ訳(講談社版) 「あしの海」

13:18注
 「あし」と訳したヘブライ語は、「い草」のことで、「海」は「湖」とも訳せる。ギリシア語訳は「紅海」と訳するが、ヘブライ人がそのとき紅海を通って脱出したとは思えないし、紅海に、あしや、い草があったかどうか疑問である。今のスエズ、あるいは紅海までは、あまりに遠い道のりで、信じがたい(14・2)。

23:31注
 アカバ湾のこと(荒野14・25)。「ペリシテ人の海」は地中海、「荒野」はアラビア砂ばく、「川」はユーフラテス川。


・フランシスコ会訳2011年合本版 「紅海」

10:19注
 (3) 「紅海」は、アジア大陸に位置するアラビアとアフリカ大陸に位置するエジプトの間を北方へ伸び、シナイ半島東側のアカバ湾と同半島西側のスエズ湾に二分する。23・31と他の個所(民14・25、21・4、申1・40など)に出る「紅海」は、アカバ湾を意味するが、本節の紅海はスエズ湾を指すと考えられる。ヘブライ語ではあらゆる箇所で「葦の海」が使われるが、これは恐らく、現在はスエズ運河の水路の一部である(葦が生育可能な)淡水湖と解するのが正しいと思われる。イスラエルの子らはエジプトを脱出したとき、この場所を足をぬらすことなく渡った(13・18参照)。他方エジプトで成立した七十人訳では、あらゆる場所で「紅海」が用いられている。


・岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳 「葦の海」
10:19注
 八 この候補地として、次の三箇所が挙げられている。シナイ半島東側のアカバ湾(王上九26と同所の注を参照)、シナイ半島西側のスエズ湾、地中海沿岸でバルダウィル湖など複数の湖がある所(巻末の地図3 「葦の海、荒野、シナイ」参照)。


The Book of Mormon 1830年 p.25 ニーファイ第一 11章16節~31節 の改訂


「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 1989年改訂版


 キリスト教からモルモンについて書かれた本の整理をしていた時に、いのちのことば社から出ていた「モルモン教とキリスト教」(ウィリアム・ウッド著)という本が出て来たので、ちょっとパラパラと開いて見ていたところJerald and Sandra Tannerの夫妻によって書かれた「3,913 Changes in the Book of Mormon」という著書からの画像を転載していて、そういえば昔モルモンのアメリカ人宣教師にこの画像(タナ―夫妻のサイトにあるその元画像→ 3913changes_p25)を示して、どうしてこんなにも聖典を書き換えるのか(原書とされる「金版」は翻訳が終わった後に天使モロナイが天に持って行ってしまったとされる)質問してみたところ、画像がどこの個所かわからないので答えられないと言って逃れました。しかし、画像にはニーファイ第一書であることが示されていますし、いくら1830年の初版と1879年に現行の章と節がふられ、1920年に二段組みになり、1981年に欄外注や索引をつけてページ数が違っても、本文読めばどこいらへんの話しかわかりそうなものです。キリスト教徒に例えばマタイによる福音書の中から一ページを抜き出して見せてもどこいら辺の話か分かりますが、モルモンの宣教師が自分たちの聖典のことばがどこのものかわからないという逃げ口上はおかしなものに聞こえました。

The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1963年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)
The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1961年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)


それでその箇所を実際にどうなのかを確認したくなりJoseph Smith Papersのサイトの「Book of Mormon, 1830」から画像の個所の英文本文をブログの下書きに引用し、それを見ながら手元に「The Book of Mormon 2013 Edition」を開いて、指で本文を追いながら比較して変更部分を書き込み、それが終わったら1830年初版の復刻版(ファクシミリ版)と確認し、1981年版と比べ、公式サイトの2021年電子版とも比べて見ました。また変更箇所が古いものかどうかを見るためにJoseph Smith Papersの1837年の「The Book of Mormon」の第二版と比べて、変更箇所が第二版になされた箇所にはその旨書き込みました。最後にタナー氏のサイトの画像と見比べて完了しました。以下のようになります。

1930 p.25
1930 p.25



The Book of Mormon , 1830 p.25

unto me「, → : 変更」 Knowest thou the 「condescention → condescension 1837年二版で変更」 of God? And I said unto him「, → : 変更」 I know that he loveth his children; nevertheless, I do not know the meaning of all things. And he said unto me「, → : 変更」 Behold, the virgin 「which → whom 1837年二版で変更」 thou seest, is the mother of 「1837年二版で加筆 the Son of」 God, after the manner of the flesh.

And it came to pass that I beheld that she was carried away in the spirit; and after 「that→1837年二版で削除」 she had been carried away in the spirit for the space of a time「,→ 削除」 the angel spake unto me, saying, look! And I looked and beheld the virgin again, bearing a 「chid → child 1837年二版で変更」 in her arms. And the angel said unto me, behold the Lamb of God, yea, even the 「1837年二版で加筆 Son of the」 Eternal Father! Knowest thou the meaning of the tree which thy father saw? And I answered him, saying: Yea, it is the love of God, which sheddeth itself abroad in the hearts of the children of men; wherefore, it is the most desirable above all things. And he spake unto me, saying, Yea, and the most joyous to the soul. And after 「that→ 削除」 he had said these words, he said unto me「,→: 変更」 look! And I looked, and I beheld the Son of God going forth among the children of men; and I saw many fall down at his feet and worship him.

And it came to pass that I beheld that the rod of iron which my father had seen, was the word of God, which led to the fountain of living waters, or to the tree of life; which waters are a representation of the love of God; and I also beheld that the tree of life was a representation of the love of God. And the angel said unto me again「,→: 変更」 Look and behold the 「condescention → condescension 1837年二版で変更」 of God! And I looked and beheld the Redeemer of the world, of 「which→whom 1837年二版で変更」 my father had spoken; and I also beheld the prophet「, which → who 1837年二版で変更」 should prepare the way before him. And the Lamb of God went forth, and was 「baptised → baptized 変更」 of him; and after 「that → 1837年二版で削除」 he was 「baptised → baptized 変更」, I beheld the Heavens open, and the Holy Ghost come down out of Heaven and 「abode → abide 変更」 upon him in the form of a dove. And I beheld that he went forth ministering unto the people, in power and great glory; and the multitudes were gathered together to hear him; and I beheld that they cast him out from among them. And I also beheld twelve others following him.

And it came to pass that they were carried away in the spirit, from before my face, 「that → and 1837年二版で変更」 I saw them not. And it came to pass that the angel spake unto me again, saying「, → : 変更」 look! And I looked, and I beheld the Heavens open again, and I saw angels descending upon the children of men; and they did minister unto them. And he spake unto me again, saying, look! And I looked, and I beheld the Lamb of God going forth among


 原本の「金版」が無いけども1829年のオリジナルの手書き原稿や1829年の印刷業者のための手書き原稿などを参照して1837年の第二版は出されたようですが、どちらとも違う修正は何なんでしょうかね。お得意のインスピレーション(霊感)何でしょうか。


◎1 Nephi 11:18

Original manuscript(オリジナル手書き原稿)
behold the virgin which thou seest is the Mother of god after the manner of the flesh

Printer's manuscript(印刷業者用手書き原稿)
behold the virgin which thou seest is the Mother of God after the manner of the flesh


◎1 Nephi 11:21

Original manuscript(オリジナル手書き原稿)
& the angel said unto me behold the lam of god yea even the eternal father knowest thou the meaning of the tree which thy father saw

Printer's manuscript(印刷業者用手書き原稿)
& the Angel said unto me behold the Lamb of God yea even the Father knowest thou the meaning of the tree which thy father saw

 そして、公式サイトの日本語訳の同箇所を、1995年平成訳片手に見比べていましたら訳文が違う箇所があり、2009年の平成訳の改訂版も引っ張り出して来て比べて見たら、1995年平成訳と2009年改訂版は同じで、公式サイトの2021年改訂電子版とは違っていたので、これが2021年版による小改訂箇所の一つなんだろうなと思いました。


「モルモン書」(2021年電子版(公式サイトのものは読点はカンマですが引用するにあたり(、)にしました。あと本文は総ルビのところ読みが紛らわしいものだけ括弧書きとしました。))

2021年電子版 p.27
2021年電子版 p.27


2021年電子版 p.28
2021年電子版 p.28

***

・・・「神が御自身を低くされることがあなたに分かるか」と言った。

17 それでわたしは、「わたしは、神がその子供たちを愛しておられることは知っていますが、すべてのことの意味を知っているわけではありません」と言った。

18 すると天使は言った。「見よ、あなたが見ているおとめは、肉に関して神の御子(おんこ)の母である。」

19 そしてわたしは、そのおとめが御霊に連れて行かれるのを見た。そのおとめが御霊に連れて行かれてからしばらくして、天使がわたしに「見なさい」と言った。

20 それで眺めると、腕に幼子(おさなご)を抱いたおとめが見えた。

21 すると天使がわたしに言った。「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見なさい。あなたは父が見た木の意味を知っているか。」

22 それでわたしは答えて言った。「はい、その木は人の子らの心にあまねく注がれる神の愛です。だから、どんなものよりも好ましいものです。」

23 すると天使はわたしに、「そのとおり。それは人にとって最も喜ばしいものである」と言った。

24 天使はこれらのことを言ってから、またわたしに「見なさい」と言った。眺めると、神の御子が人の子らの中に進んで行かれるのが見えた。また多くの人がその足もとに伏して、御子を拝むのが見えた。

25 そしてわたしは、父の見た鉄の棒が生ける水の源すなわち命の木に導く神の言葉であることを知った。その水は神の愛の表れである。そして、命の木が神の愛の表れであることも知った。

1995年・2009年版〔25 そしてわたしは、父の見た鉄の棒が生ける水の源、すなわち、命の木に導く神の言葉であること、またその水が神の愛の表れであり、命の木もまた神の愛の表れであることを知った。〕

26 そして、天使がまたわたしに、「神が御自身を低くされる様子を眺めてみなさい」と言った。

27 それで眺めると、父の語った世の贖い主が見え、また贖い主の前に道を備える預言者も見えた。また神の小羊が進み出て、その預言者からバプテスマを受けられた。バプテスマを受けられると、天が開いて聖霊が鳩の形を取って降って来て、神の小羊のうえにとどまられるのが見えた。

28 またわたしには、小羊が出て行き、力と大いなる栄光をもって人々にお仕えになるのが見えた。また、幾つもの大勢の人々の群れが、その小羊の言葉を聞くために集まるのが見えた。そして、彼らが自分たちの中から小羊を追出すのが見えた。

1995年・2009年版〔28 またわたしには、小羊が出て行き、力と大いなる栄光をもって人々を教え導かれるのが見えた。また、幾つもの大勢の人々の群れが、その小羊の言葉を聞くために集まるのが見えた。そして、彼らが自分たちの中から小羊を追出すのが見えた。〕

29 そして、ほかに十二人の人が小羊に従うのも見えた。すると、この十二人の人は,わたしの前から御霊によって連れ去られ、姿が見えなくなった。

30 そこで、天使がまた「見なさい」と言うので眺めると、天がまた開いて、天使たちが人の子らのもとに降って来て、彼らに仕えるのが見えた。

1995年・2009年版〔30 そこで、天使がまた「見なさい」と言うので眺めると、天がまた開いて、天使たちが人の子らのもとに降って来て、彼らを教え導くのが見えた。〕

31 天使がまたわたしに、「見なさい」と言うので眺めると、神の小羊が人の子らの中に出て行かれるのが見えた・・・ 

***

 平成訳と21年改訂版の違いのある個所の昭和訳も引用します。

昭和訳第四装丁版
25 私(わたくし)はまた父の見た鉄の棒は、生命(いのち)のある水の源(みなもと)、または生命(いのち)の木へ行く神の言葉であるのを覚り、また生命(いのち)の水は神の愛を象(かたど)り生命(いのち)の木もまた神の愛を象(かたど)るのを知った。

28 ついで私(わたくし)は子羊が出(い)で行きたまい、能力(ちから)と大きな栄光とを以て民に恵みを施したもうのが見えた。そしてその言葉を聞こうと多くの人々が集り合ったがついにその中からかれらが子羊を追い出すのが見えた。

30 すると天使がまた「見よ」と仰せになるから眺めると、私(わたくし)は天がまた開けて天使たちが人間に降りこれに恵みを施すのが見えた。

異端のモルモンの聖典「高價なる眞珠」についてちょっと気になったところ


 ちょっと気になったことですが、キリスト教異端の末日聖徒イエス・キリスト教会、通称モルモン教の標準聖典の一つ「高価な真珠」について、その巻末の方に「ジョセフ・スミスー歴史」という文書があり巻末の注のような形で「オリバー・カウドリの証」があります。

 この出典が昭和訳と平成訳では違っていました。

 昭和版は (タイムズ、エンド、シーズンズ。第二巻、二百一頁) となっていたのが、

高價なる眞珠 p94


平成訳では Messenger and Advocate(『メッセンジャー・アンド・アドボケイト』)第一巻(千八百三十四年十月),十四-十六ページ となっていました。本文自体は変わりありません。

高価な真珠 p80


 「Pearl of Great Price」の初版である1851年版には ―T. & S. p.201. と昭和訳と同じ出典になっていました。

The pearl of great price 1851 pp.46-47
The pearl of great price 1851 pp.46-47


 しかし、「Pearl of Great Price」の1983年版、2013年版を見て見ますと、 —Messenger and Advocate, vol. 1 (October 1834), pp. 14–16. と平成訳と同じ出典に変更されています。

The pearl of great price 2013 p59
The pearl of great price 2013 p.59

 インスティチュートテキストの「高価な真珠 生徒用資料 宗教 327 2002年」方をまず先に見てみたら何も記述は無く、「高価な真珠 教師用資料 宗教 327 2002年」には

" ジョセフ。スミスー歴史巻末の注オリバー・カウドリの証
各生徒に以下のことを想像するように言う。たった今あなたは交通事故に遭った。あなたに過失がないことは明白だが,相手の車の運転手はあなたのせいだと言っている。警察官はだれを信じればよいのか分からずにいる。警察官はどうすれば真実を知ることができるだろうか。次に,一人の目撃者が進み出て,事故についてのあなたの説明が真実であることが立証されたとする。あなたはその目撃者に対してどのように感じるだろうか。ジョセフ・スミスー歴史の後にある巻末の注は,教会歴史の初期の出来事についての,その場にいた人物によるさらなる証言であることを生徒に話す。このオリバー・カウドリの証を読むよう生徒に言う(またはクラス全員で読んでもよい)◎オリバーの記述から,ジョセフ・スミスー歴史には含まれていない情報を生徒に探させ,発表させる。オリバーはこれらの経験についてどのように感じていたかを話し合う。生徒にオリバーの記述の中で最も印象的なこととその理由を話させる。 "

という短い記述のみで、出典変更についての記述はありませんでした。

メッセンジャー・アンド・アドボケイト紙(1834年10月創刊、1837年9月休刊)の方が元記事なのかもしれません。1834年11号のメッセンジャー・アンド・アドボケイト紙にこのオリバー・カウドリの記事(1834年9月7日付)

Norton. Medina co. Ohio, Sabbath evening, September 7, 1834.

があります。

月二回発行の新聞タイムズ・アンド・シーズンズ紙(1839年11月創刊、1846年2月休刊)の1840年11月1日号に、同じ記事が、記事見出しに「O・カウドリが神権の回復について書いた手紙の写し。」の文言をつけ加えた形で掲載されていました。

Copy of a Letter written by O.Cowdery, on the restoration of the Priesthood.
Norton. Medina co. Ohio, Sabbath evening, September 7, 1834.

 おそらく元記事の方に出典を変更したのでしょう。

しかし、まあ、よくコロコロと聖典の中身を書き換える団体だなと思いました。そして、そういう変更を教えないところでもあるなと思います。

Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p201
Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p201



Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p202
Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p202


Messenger and Advocate Vo.1, p14
Messenger and Advocate Vo.1, p14


Messenger and Advocate Vo.1, p15
Messenger and Advocate Vo.1, p15


Messenger and Advocate Vo.1, p16
Messenger and Advocate Vo.1, p16

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athanasius

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