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掛け軸風の創価学会の御形木本尊と掛け軸の日蓮正宗の御形木本尊


 以前、「日蓮」関係について動画検索していた時に、よく「ニセ本尊」という言葉が使われている法華講員(日蓮正宗の信者)による創価学会・顕正会批判の動画が目につきました(今も仏教関係で検索すると変わらず出てきます。あと顕正会の折伏被害動画や法華講員による顕正会批判動画、浄土真宗系の新興宗教団体の親鸞会系の動画なんかもよく出てきます。本当にこの系統は邪魔です)。その中のどれかで、創価学会の本尊はペラペラの一枚刷りのものという批判があったのを思い出し、創価学会の御形木本尊と日蓮正宗の御形木本尊を見比べてみました(印刷機の無い時代は「形木」(書写した本尊を木の形木に彫り込んだもの。版木)で木版印刷したことからきた名称だろう。ようはこの本尊は手書きじゃなく印刷されたものですよということだろう)。

正宗・学会 御形木本尊


 大きさは創価学会の方が幅が3cmほど広く、縦も創価学会の本尊の八双(掛軸の一番上に付いている半円形の木製の棒)と軸棒(掛軸の一番下に付いている、掛軸を巻く時の木製の芯棒)の間に正宗本尊が収まる感じで、見た目も学会の方がずんぐりして、正宗の方が長方形でスリム(小さい)という感じです。

日蓮正宗御形木本尊と創価学会御形木本尊を重ねたもの
(二枚を重ねて、片方を揃えてみると学会の方が幅広なのが分かりやすい)

 学会の方は本当に日寛書写(江戸時代の日蓮正宗のトップ(法主)だった坊さんが書いたもののコピー。著作権も切れているから使っているのかな?)の曼荼羅も、掛け軸の表装も、一緒に1枚の紙に印刷した1枚刷りの紙に八双と軸棒を付けただけの掛け軸風の本尊です。昔、日蓮の曼荼羅をポスターにしたものが、たまたま暇つぶしに買った月刊ムーの付録としてついていて(80年代か、90年代か忘れたけれど)、それをちょっと思い出してしまいました。

創価学会御形木本尊
(創価学会の御形木本尊)

 日蓮正宗の御形木本尊の方は、正宗で一番偉い坊さん(法主)が、日蓮の「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」としているものを書写したもので(同じ法主書写でもずっと同じものではなく、本尊に書かれている書写年月日ごとに新たに書いたものなのだろう)、この本尊は八双、天、左右の柱、一文字、本尊の印刷された本紙、一文字、地、軸棒とちゃんと掛け軸になっており、シンプルな「丸表装」という表装になっています。本紙が少し厚くなっているので、少なくとも本紙に裏紙があり、ベースとなる総裏紙も本尊の裏を見てみますとあります。ただちゃんとした掛け軸みたいに、表装(紙)・本紙と総裏紙の間に肌裏紙、増裏紙、中裏紙まであるかは不明です。YouTube動画で、今の正宗で一番偉い坊さん(法主)の日如さんの御形木本尊を破いている動画なんかがアップされていて、それを見ると本紙部分は裏紙が複数枚あるように見えました。本紙以外の部分は総裏紙しか無さそうにも見えました。

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏
(日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏)

掛け軸構成
(掛け軸の裏紙など。正宗の御形木本尊がこうかは分からないが、本紙部分以外は表装が総裏紙に貼られているように感じられる。)

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕)の掛け軸構成
(「丸表装」の掛け軸の構成)

 創価学会の本尊よりはお金かかってそうだけど、一般の仏具屋で廉価で売っている表装に金襴緞子使った「仏表装」の本尊とは違い、表装も紙製で、さらにシンプルな「丸表装」、更にサイズも小さいので、一般の物に比べるとチープ感はあります。1枚刷りの掛け軸風の創価学会の本尊よりはマシな印象を持ちました。

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法華経や日蓮について感じたこと 6


創価学会本尊 スタンプ 縮小


創価学会本尊 スタンプ 水彩画 七字目隠し 縮小

いろいろとネットで「日蓮」について見て行くと、よく「ニセ本尊」という言葉と「南無妙法蓮華経」の文字を、まるで犯罪者の目隠しやHな絵や画像の性器を隠す「黒目線」で隠してしまっていて、「南無妙法蓮華経」という題目は世間に見せたらダメなものなのか(笑)と思ってしまいます。


 その手の動画や記事や反論などを見ていると、本紙のみの印刷か天地や柱、中廻しも一緒に印刷した一枚刷りかの違いはありますが、双方ともに印刷されたものらしく、批判している側は手書きだと思ったら印刷で、「なんだ印刷かよ!」と思ってしまいました。

常住本尊(手書き本尊) 縮小


日蓮正宗 楠板摸刻大曼荼羅 サイズ


日蓮正宗 本尊が届くまで 縮小
(ネット検索して読んだものを画像にしてみたもので、実際はどうなのかはわかりません。)

 結局寺側は、誰かが書いた十界曼荼羅を楠の板に摸刻し(弘安二年十月十二日に日蓮が図顕した十界曼荼羅を楠の板に摸刻したと日蓮正宗とその元信徒団体はしている)、それを「本門戒壇の大御本尊」としていて、それを「唯授一人血脈相承」した法主の大石寺貫首だけ (これも「御書」でこの団体以外では偽筆とされているもので、自分たちの団体だけが認めている文書が根拠。) が「書写」でき、それを元に印刷するのも法主の許可のもとに行い、その印刷したものに開眼できるのも法主だけと、ものすごく権力というかそういうものを集中させていると感じるものです。その許可と資格のない創価学会がその構成員に下付したものは偽物ということになるのでしょう。しかし、自分たちが破門して別の団体になったのだから偽物もないと思ってしまいます。

 それよりもなぜわざわざ法主が書写するのか不思議です。その日蓮が図顕したものの摸刻である「本門戒壇の大御本尊」なる板曼荼羅から、法主の許可の元に、その「本門戒壇の大御本尊」から拓本をとって摸刻させて版木を作り刷って「御形木本尊」として下付したり、現代なら写真を撮ってそれから筆で書いた形に復元して印刷して下付した方がいいんじゃないかと感じます。それとも日蓮が図顕した「本門戒壇の大御本尊」は不完全で、法主が内証を書写して初めて完成するとか言うのならわかりますが、そうでないと日蓮より法主の方が上にあるように感じてしまいます。

 あと日蓮宗の信徒と思われるあまり言葉上手でない人を折伏している動画を見たが、素朴な信仰に生きている人に「御文証」「御文証」とその根拠を御書から示せみたいな言動があり、エホバの証人の訪問伝道をもっと傲慢にした感じに感じられました。まあ、相手を言い負かして信仰を変えさせるというのはあり得ないことであると思います。そんなもの口の達者な奴、会話の機転や切り替えがうまいヤツ、経典をやたらと読み込んで覚えられる奴がそうでない人間をやり込めただけにすぎません。折伏・破折くだらないやり方だと思いますね。

 そんなたわいもないことを思いました。

法華経や日蓮について感じたこと 5


 なぜ、法華経や日蓮、日蓮系カルト宗教に対して嫌悪感を持ってしまうのか。普通の日蓮宗(普通の釈迦本仏論に立つ日蓮宗)については、嫌悪感もなく、日本式仏教の宗派やお寺の一つくらいにしか感じないものの、日蓮本仏論に立つ日蓮系とその破壊的カルト的信徒団体。それの元信徒団体で宗門から離れて行った新興宗教諸団体に関しては、ウジ虫が湧いてコバエが飛んでいる状態の生ごみの入った台所の三角コーナーの生ごみ汁のように、思わずその腐臭と状態に嘔吐いてしまうほどの嫌悪感を覚えてしまいます。

 講員の書いた自分たちの教えの普及のための破折パンフレットなるものを見た時、1 表 1 裏 、 2 表 2 裏 、三角コーナーの生ごみの汁がはねてひっかかって付いたような嫌な感じを受けます。以前YouTubeでこのパンフレットができたのを講員同士で自画自賛している動画を見た時、此れこそ日蓮が「立正安国論」で言っている"辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。"(「平成新編日蓮大聖人御書 大石寺」p.242)、というやつなんだろうなぁと思いました。

 謗法と罰、そして謗法の者の臨終の相、他宗への誹謗しか無いパンフレット。破門した宗門側の講員に残る、あのいやらしい戸田城聖時代の創価学会の体質が今も色濃く残っているのでしょう。昔、仕事中、「お兄さんどんな宗教を信じているの?」とこちらの宗教を訪ねてきて、それに答えると学会員のおばはんが聖教新聞片手に「あなた○○なんて信じていると不幸になるわよ」なんて初対面にも関わらずぶしつけに言ってきたあの醜悪な顔を思い出します(その後も何日もしつこかった。: この当時はまだ学会は講中)。また、町内の学会員がしつこく聖教新聞を取るように勧誘してきたり、時にはかってに何カ月間送って来たり(向こうでお金払っているんだろうけど)、選挙時期になれば近所の学会員が熱心に公○党の応援をお願いに来りしたものです。あるクリスチャンの最近の体験には、顕正会の勧誘にあって「いいですか、教会に行ったって幸せになれませんからね・・・・」と後ろから罵倒されたという体験談があり、富士門流は講中も破門された団体の信徒も体質は同じだなと思いました。YouTubeなんかで見ると、顕正会はより強く言葉がまるで通じないようではあるなとも感じました。

 「守護國界主陀羅尼經卷第十 阿闍世王受記品第十」(経典の個所としては「SAT DB 大正新脩大蔵経テキストデータベース」で言うならT0997_.19.0574a02:~T0997_.19.0574c24:の個所記述)の臨終の相を援用していたり、日蓮の遺文で以下のものなど

報恩抄  建治二年七月二一日 (霊艮閣版 報恩抄(下))

"死してありければ身やう(漸)やくつヾ(縮)まりちひ(小)さく、皮はくろ(黒)し、骨あらわ(露)なり等云云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1023 、霊艮閣版 p.1488)


千日尼御前御返事 弘安元年閏一〇月一九日 

" 人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1290 、霊艮閣版 p.1816)


神国王御書 弘安元年(霊艮閣版 建治元年、乙亥)

 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)・金剛智(こんごうち)三蔵・不空(ふくう)三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人々、即身成仏の根本なり等云云。日蓮勘(かんが)へて云はく、法偸(ほうぬす)みの元師なり、盗人の根本なり。此等の人々は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしっじ)経等を齎(もたら)し来る。此の経々は華厳・般若・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣なり。経文に見へて赫々(かくかく)たり明々たり。而るを漢土に来りて天台大師の止観(しかん)等の三十巻を見て、舌をふるい心をまどわして、此に及ばずば我が経弘通しがたし、勝れたりとい(言)はんとすれば妄語(もうご)眼前なり、いかんがせんと案ぜし程に、一つの深き大妄語を案じ出だし給ふ。所謂(いわゆる)大日経の三十一品を法華経二十八品并(なら)びに無量義経に腹あ(合)わせに合はせて、三密の中の意密をば法華経に同(どう)じ、其の上に印と真言とを加へて、法華経は略なり、大日経は広なり、已(い)にも入れず、今(こん)にも入れず、当(とう)にもはづれぬ。法華経をかた(方)うど(人)として三説の難を脱れ、結句は印と真言とを用ひて法華経を打ち落して真言宗を立てゝ候。譬へば三女が后と成りて三王を喪(ほろぼ)せしがごとし。法華経の流通の涅槃経の第九に、我れ滅して後(のち)悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとしと記し給へるは是なり。されば善無畏三蔵は閻魔(えんま)王にせめられて、鉄の縄七脈(すじ)つけられて、から(辛)くして蘇(よみがえ)りたれども、又死する時は黒皮隠々として骨其れ露(あらわ)ると申して無間(むけん)地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後(のち)色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1303 、霊艮閣版 pp.1360-1361)


法尼御前御返事    弘安三年七月一四日

めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。
 法華経に云はく「如是(にょぜ)相乃至(そうないし)本末(ほんまつ)究竟等(くきょうとう)」云云。大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」等云云。守護経に云はく「地獄に堕つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」等云云。
 夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬(なおたと)へにあらず。かし(賢)こきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんが(勘)へあつ(集)めて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこ(少)しもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生(せいほうじょうどおうじょう)とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだん(讃歎)し、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてやま(病)するがごとし。
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1482 、霊艮閣版 pp.1749-1750)


光日上人御返事    弘安四年八月八日

"悪人は風と火と先づ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水と先づ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生まるゝ相なり。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1564 、霊艮閣版 p.2062)


などの文証を根拠に、あのいやらしい考えを載せていたりします。わたしの亡くなった両親などは、生前一貫して大の学会嫌いでしたが(昔学会の幹部から受けた仕事で、支払いもされずにドロンされたこともあって)、死ぬときには肌は黒くなることもありませんでしたし、安らかな顔で苦しむことなく旅立って逝きました。あの嫌悪すべきいやらしいパンフレットのようなことは何もありませんでした。

 また、多くの人もあんな死相が現れたり、苦しんだり、肌が黒くなったりなんて、癌だとかその他の病気、器質的な要因でそうなったり、社会的な状態に起因するのであって(日蓮の時代の医療や衛生、食料摂取の水準、また社会情勢だろう。記述状態なんかは野ざらしの屍のことだろ。この当時の仏教の宗祖などの記述にも屍が道端にあるような記述もあったと記憶しているが、そういうものを見ている日蓮が守護國界主陀羅尼經なんかの記述と自身の頑迷さが相まって、そのよう信じ込み、それを書き送っただけだろ。)、法華経や日蓮を信じるとか誹謗したからと云う事で変わるわけではない。そういう古代の文書のバカげた迷信を現代社会で布教に利用するあたり盲目になっているのだろう。

つづく



法華経や日蓮について感じたこと 4


立正安国論の巻物


 日蓮について感じたことは、当時、世情に天変地異や飢饉、疫病、などの災害が立て続け起きていたことや日蝕・月食、彗星を見たことや、当時はやり始めていた法然の念仏信仰などを信じたり、「薬師経」を信じて薬師如来に頼ったり、真言や禅、般若経典の空を信じ頼り、それに対して日蓮が正法とする法華経は顧みられないことなどに対して、「仁王般若経」巻の下の護国品第五、「金光明最勝王経」の巻の第六の四天王護国品第十二、「大集経」、「薬師経」などから国の禍のがどうして起こるのか、どうなるのかについて書かれた箇所を引用しつつ、邪宗邪義の蔓延と正法(日蓮は「法華経」と信じているが、引用した文証はそれぞれの経典を指している)をおろそかにすること、正法の流布を邪魔すること、これこそがこういった禍の原因であると思いこんで、「立正安国論」を書いて、それを鎌倉幕府の執権北条時頼に送っています。

昭和新纂国訳大蔵経 経典部 第四巻 記名


 引用した経文の中に、隣国からの侵略されることについての言及があったことから(三災(「大集経」)七難(「薬師経」「仁王般若経」)の中の「薬師経」の他国侵逼難、「仁王経」の悪賊難が他国侵略についての個所)、元寇が来た時には、当たったことを声高に主張し、そら見たことかと執権と幕府要人や有力寺院の十一か所に手紙(十一御書)を書き送ったりしていましたが、結局、朝廷も幕府も日蓮を用いることなく、謗法の者たちが天下に満ちていて、もちろん法華経に帰依することもないのに日本は滅びることもなく、蒙古に支配されることもなく、内乱もなく、台風にて逆に蒙古の船が沈んでしまう始末。


霊艮閣版縮刷日蓮聖人御遺文、新編日蓮大聖人御書全集創価学会版、平成新編日蓮大聖人御書大石寺版 URL



 そして、もはやかつてのように当たったなどと吹聴するのを止め、弘安四年に「小蒙古御書」を書いて


"小蒙古御書 弘安四年六月一六日 六〇歳
                             花押
小蒙古の人大日本国に寄せ来たるの事
 我が門弟並びに檀那等の中に、若しは他人に向かひ、将又(はたまた)自ら言語に及ぶべからず。若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由(よし)存知する所なり。此の旨を以て人々に示すべく候なり。
  弘安四年太歳辛巳六月十六日
 人々御中"

(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1559 、 霊艮閣版 p.2055)

などと十一御書に比べて手のひらを返したようなことを書いていたりします。

 何かに似ているなぁと思ったところ、あっ、ノストラダムスの予言と数多く世に出た解釈書に似ている、と思いました。その中でうっすらと記憶に残っているもので、ノストラダムス解釈で1991年のソ連崩壊を言い当てたヴライク・イオネスクになんとなく似ている感じがしました。

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 それが当たっていても、無理くりな解釈でも、言ったのはノストラダムスで解釈者に栄光が帰せられるのもおかしなことで、それと同じことが「立正安国論」にも言えて、他国侵逼難や悪賊難はそれぞれの経典を書いた人のもので、日蓮のものではないです。

 また、それらの経典を書いた人は、「法華経」なんて頭の中に無かったでしょうね。もちろん日本のことも念頭にはないでしょう。それを日本で日本の現象に当てはめること自体、現代のドゥームズデイ・カルトに見る終末預言の類と変わらないです。日蓮は日本最古の終末カルトの教祖かもしれません。

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 あと、ドゥームズデイ・カルトが終末の日時予測を外した時の対応にも似ています。ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)が終末の日時を外した時、ハロルド・キャンピングのFamily Radioとその終末日時を受け入れた団体が、その予言解釈を外した時、その対応が日蓮と似ています。そして、そのような団体が間違っていて外しても、一部軌道修正を施したりすることはあっても、根本的には自説に固執して間違いを認めないことも、既存団体に対してとても攻撃なところ、布教に熱心で、暴力に屈しないで、加えられる迫害や患難に対してより確信を深め孤立化していくところもよく似ています。


法華経や日蓮について感じたこと 3


 「大乗非仏説」という "大乗仏教の経典は釈尊の直説ではなく、後世に成立したものだという説" (Wikipedia) というものがあそうですが、釈迦が死んで何百年も後に書かれたもの、それもそれが出るまでそのような教説があった痕跡もないものを釈迦の仏説だと信じてしまうのが(特に法華経)、ちょっとと言うかかなり理解しがたい感じがします。

 Wikipediaで「法華経」の項目を見ますと、成立時期について

 "『法華経』の成立時期については諸説ある。
代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品〜如来神力品が同時成立した」とする説が唱えられたり、「勝呂信静によって27品同時成立説が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は『振り出しにもどった』というのが現今の研究の状況だ」と管野博史は1998年刊行の事典において解説した。
中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した。また、渡辺照宏も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会はバラモンを中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない」と述べた。 "

などとあります。手元の本とも大差がないので、こういう感じなんだろうと思います。

 口伝で大乗の在家信徒に伝承されていたというのは無理があるでしょう。第一次結集が阿羅漢果を得ている弟子たちによってなされていることと、結集当日の朝に阿羅漢果を得て参加が認められた弟子の中で多聞第一で、仏説をよく記憶していた阿南尊者によって「如是我聞」として教えが語られまとめられたとされます。

 法華経が言うように、釈迦の本当の優れた教えであるのなら、まずそれが結集されていなければおかしな話です。この結集には釈迦の十大弟子と文殊菩薩(大乗経典)をはじめ阿羅漢果を得た弟子たちが集まっていたわけですから、それはまた法華経の中で、釈迦から直接その教えを受けた弟子たちと云う事になりますから、まずは何をさておき結集しておかなければおかしな話ですが、この思想が出てくるのは、それよりも何百年も後で、完成したのは釈迦が死んでから6世紀も後の事。これを仏説と呼ぶのは無理があると思います。

 また、口伝伝承は非凡な才能と長い訓練が必要なもので、誰でもできるものではないでしょう。だからこそ第一次結集の時、仏説をよく記憶していた阿南尊者が望まれていたのでしょう。単に話を多く聞いていても、記憶していなければ意味はありません。また、多くの神話や民族譚の伝承者たちが非凡な才能と厳しい訓練を受けていることは、多くの神話や民族の間で見られたことです。

 古事記の稗田阿礼は、
"時有舎人。姓稗田、名阿礼、年是二十八。為人聡明、度目誦口、払耳勒心。即、勅語阿礼、令誦習帝皇日継及先代旧辞"
"そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。"

と、"聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。" という才覚の持ち主であったと伝えられています。また、アイヌのユーカラやウエペケレにしても、それぞれ伝承者がいて語り伝えてくれ、それを文書化してくれた人たちがいて、そのおかげで現在のわれわれも知ることができています。

 つづく

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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