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ルカによる福音書第3章に見る翻訳の推移 共同訳(1975年パイロット版)、共同訳(1978年)、新共同訳、新翻訳事業パイロット版、聖書協会共同訳の対照


 今回はカトリックとプロテスタント共同翻訳の聖書の訳文の変遷を見やすく節ごとの対照にしてみました。共同訳(1978年)のパイロット版がルカによる福音書(「ルカスによる福音」)だけなので、各訳のルカによる福音書から第三章を抜き出して対照してみたいと思います。ルカ第三章は各訳において語句訂正がなされていないので初版と訳文が変わっているところはありません。

ルカス:→「ルカスによる福音」 1975年
共同訳:→「共同訳 新約聖書」 1978年
新共同:→「新共同訳」 1985年
パイロ:→「新翻訳事業パイロット版 ルカによる福音書」 2016年
協会共:→「聖書協会共同訳」 2018年


1

ルカス:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティウス=ピラトゥスがユダヤの総督、ヘロデスがガリラヤの領主、その兄弟フィリポスがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアスがアビレネの領主であり、

共同訳:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティウス・ピラトゥスがユダヤの総督、ヘロデスがガリラヤの領主、その兄弟フィリポスがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアスがアビレネの領主、

新共同:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、

パイロ:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、さらに、リサニアがアビレネの領主、

協会共:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、



2

ルカス:ハンナスとカイアファスとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアスの子ヨハンネスに降った。

共同訳:ハンナスとカイアファスとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアスの子ヨハンネスに降った。

新共同:アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

パイロ:アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。

協会共:アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。


3

ルカス:そこで、ヨハンネスはヨルダンの盆地をあまねく歩き、罪のゆるしをもたらす悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

共同訳:そこで、ヨハンネスはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

新共同:そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

パイロ:ヨハネはヨルダン川流域一帯に行き、罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

協会共:ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。

4

ルカス:これは預言者イェシャヤの書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ人の声がする。/『主の道を用意せよ。/その道筋をまっすぐにせよ。

共同訳:これは、預言者イシャヤの書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ人の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。

新共同:これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。

パイロ:これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ。/その道筋をまっすぐにせよ。

協会共:これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ/その道筋をまっすぐにせよ。


5

ルカス:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

共同訳:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

新共同:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

パイロ:すべての谷は埋められ/すべての山と丘は低くされる。/曲がった道はまっすぐにされ/起伏の多い道は平らにされる。

協会共:谷はすべて埋められ/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに/でこぼこの道は平らになり


6

ルカス:人はみな神の救いを仰ぎ見る。』」

共同訳:人は皆神の救いを仰ぎ見る』と」。

新共同:人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

パイロ:すべての人は神の救いを見る。』」

協会共:人は皆、神の救いを見る。』」


7

ルカス:そこで、ヨハンネスは、洗礼を受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫ども、差し迫った神の怒りを免れるようにと、だれが教えたのか。

共同訳:そこでヨハンネスは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子孫ども、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

新共同:そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

パイロ:ヨハネは、彼から洗礼を受けようとして出て来た群衆に向かって言った。「毒蛇の子らよ、来るべき神の怒りから逃れるように、誰がお前たちに教えたのか。

協会共:そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。


8

ルカス:悔い改めにふさわしい実を結べ。自分の先祖はアブラハムだ、などと思ってもみるな。お前たちに言っておく、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子孫を造ることができるのだ。

共同訳:悔い改めにふさわしい実を結べ。自分の先祖はアブラハムだ、などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子孫を造り出すことができるのだ。

新共同:悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

パイロ:それならば、悔い改めにふさわしい実を結べ。そして、『われわれの父祖はアブラハムである』などと心の中で言い始めるな。お前たちに言う。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる。

協会共:それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。


9

ルカス:斧は、すでに、木の根もとに置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれる。」

共同訳:斧はすでに木の根もとに置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」。

新共同:斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

パイロ:すでに斧も、木の根元に置かれている。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒され、火に中に投げ込まれる。」

協会共:斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒され、火に投げ込まれる。」


10

ルカス:そこで群衆はヨハンネスに、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

共同訳:そこで群衆は、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。

新共同:そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

パイロ:群衆はヨハネに尋ねた。「では、わたしたちはどうすればよいのですか。」

協会共:群衆は、「では、私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。


11

ルカス:彼は、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持つ者も同じようにせよ」と答えた。

共同訳:ヨハンネスは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。

新共同:ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。

パイロ:ヨハネは彼らに答えた。「下着を二枚持っている者は、持たない者と分かち合え、食べ物を持っている者も同様にせよ。」

協会共:ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。


12

ルカス:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

共同訳:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」と言った。

新共同:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。

パイロ:徴税人たちも洗礼を受けるためにやって来て、ヨハネに尋ねた。「先生、わたしたちはどうすればよいのですか。」

協会共:徴税人も洗礼(バプテスマ)を受けるために来て、「先生、私たちはどうすればよいのですか」と言った。


13

ルカス:ヨハンネスは、「規定以上のものは取り立てるな」と答えた。

共同訳:ヨハンネスは、「規定以上のものは取り立てるな」と答えた。

新共同:ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。

パイロ:ヨハネは彼らに答えた。「お前たちに命じられたもの以上に、誰からも取り立ててはならない。」

協会共:ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。


14

ルカス:兵士も、「では、われわれはどうすればいいのですか」と尋ねた。彼は、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と答えた。

共同訳:兵士も、「では、我々は何をすればよいのですか」と尋ねた。ヨハンネスは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と答えた。

新共同:兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

パイロ:兵士たちもヨハネに尋ねた。「では、わたしたちはどうすればよいのですか。」ヨハネは彼らに答えた。「人をゆすったり、うその告発をしてはならぬ。自分の給料で満足せよ。」

協会共:兵士も、「この私たちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「誰からも金をゆすったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

15

ルカス:民衆は救い主を待ち望んでいて、もしかしたら、ヨハンネスが救い主ではないかと、みな心の中で考えていたので、

共同訳:民衆はメシアを待ち望んでいて、もしかしたら、ヨハンネスがメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

新共同:民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

パイロ:民はメシアを待ち望んでいたので、皆がヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、心の中で思い巡らした。

協会共:民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。


16

ルカス:そこで、ヨハンネスはみなに向かって言った。「わたしは、お前たちに水で洗礼を授けるが、わたしよりもすぐれたかたがあとから来られる。わたしは、そのかたのくつのひもを解く値うちすらない。そのかたは、聖霊と火でお前たちに洗礼を授ける。

共同訳:そこで、ヨハンネスは皆に向かって言った。「わたしはお前たちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れたかたが、あとから来られる。わたしは、そのかたの履き物のひもを解く値うちすらない。そのかたは、聖霊と火でお前たちに洗礼をお授けになる。

新共同:そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

パイロ:ヨハネは皆に向かって言った。「わたしは水であなたがたに洗礼(バプテスマ)を授けるが、わたしよりも力のある方が来られる。わたしにはその方の履物のひもを解く値打ちもない。その方はこそが、聖霊と火によってあなたがたに洗礼をお授けになる。

協会共:ヨハネは皆に向かって言った。「私はあなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私よりも力のある方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。


17

ルカス:そして、手に箕を持って脱穀場の麦を残らずふるい分け、麦は集めてその倉に入れ、殻は消えることのない火で焼き払う。」

共同訳:そして、手に箕を持って脱穀場の麦を残らずふるい分け、麦は集めてその倉に入れ、殻は消えることのない火で焼き払われる。」

新共同:そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

パイロ:その方は手に箕を持ち、そして、脱穀場をきれいにして、麦を集めて倉に納め、もみ殻を消えることのない火で焼き尽くされる。」

協会共:その手には箕がある。そして、麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる。」


18

ルカス:こうして、ヨハンネスは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を伝えた。

共同訳:こうして、ヨハンネスはほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を伝えた。

新共同:ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

パイロ:ヨハネは、ほかにも多くのことを勧め、民に福音を告げ知らせた。

協会共:ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

19

ルカス:ところで、領主ヘロデスは、自分の兄弟の妻ヘロディアスとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハンネスに責められたので、ヨハンネスを牢屋に閉じ込めた。

共同訳:ところで、領主ヘロデスは、自分の兄弟の妻ヘロディアスとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハンネスに責められたので、

新共同:ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、

パイロ:しかし、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、彼が行った数々の悪行について、ヨハネから非難されたので、

協会共:しかし、領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、


20

ルカス:こうしてヘロデスはすべての悪事にもう一つの悪事を加えた。

共同訳:ヨハンネスを牢屋に閉じ込めた。こうしてヘロデスは、これらすべての悪事にもう一つの悪事を加えた。

新共同:ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。

パイロ:ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事の上にさらに悪事を重ねた。

協会共:ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、さらに悪事を重ねることとなった。


21

ルカス:民衆がみな洗礼を受け、イエススも洗礼を受けて祈っていると、天が開いて、

共同訳:民衆が皆洗礼を受け、イエススも洗礼を受けて祈っていると、天が開け、

新共同:民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、

パイロ:さて、民衆が皆洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると天が開け、

協会共:さて、民が皆、洗礼を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、


22

ルカス:聖霊が鳩のような目に見える姿で彼の上に降りて来た。そして、天から声がした。「お前はわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」

共同訳:聖霊が、鳩のように見える姿で、イエススの上に降って来た。すると、「お前はわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声が、天からきこえてきた。

新共同:聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

パイロ:聖霊が鳩のような形でイエスの上に降り、そして、天から声がした。「あなたこそ、わたしの愛する子、わたしの心に適う者。」

協会共:聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。



23

ルカス:およそ三十歳で、イエススは宣教を始めた。彼はヨセフの子と思われていた。このヨセフはエリの子、それから先祖をたどると、

共同訳:イエススが宣教を始めたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それから先祖をたどると、

新共同:イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、

パイロ:イエス自身が宣教を始められたのは、およそ三十歳の時であり、ヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子であり、それからさかのぼると、

協会共:イエスご自身が宣教を始められたのは、およそ三十歳の時であり、人々からはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それから遡ると、


24

ルカス:マタト、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、

共同訳:マタト、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、

新共同:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、

パイロ:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、

協会共:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、


25

ルカス:マタティアス、アモス、ナフム、ヘスリ、ナンガイ、

共同訳:マタティアス、アモス、ナフム、ヘスリ、ナンガイ、

新共同:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、

パイロ:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、

協会共:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、


26

ルカス:マハト、マタティアス、セメイン、ヨセク、ヨダ、

共同訳:マハト、マタティアス、セメイン、ヨセク、ヨダ、

新共同:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、

パイロ:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、

協会共:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、


27

ルカス:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

共同訳:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

新共同:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

パイロ:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

協会共:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、


28

ルカス:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

共同訳:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

新共同:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

パイロ:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

協会共:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、


29

ルカス:イエスス、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

共同訳:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

新共同:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

パイロ:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

協会共:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、


30

ルカス:シメオン、ユダス、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

共同訳:シメオン、ユダス、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

新共同:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

パイロ:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

協会共:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、


31

ルカス:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビド、

共同訳:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビド、

新共同:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

メパイロ:レア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

協会共:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、


32

ルカス:イシャイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

共同訳:イシャイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

新共同:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

パイロ:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

協会共:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、


33

ルカス:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

共同訳:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

新共同:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

パイロ:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

協会共:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、


34

ルカス:ヤアコブ、イツハク、アブラハム、テラ、ナホル、

共同訳:ヤアコブ、イツハク、アブラハム、テラ、ナホル、

新共同:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

パイロ:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

協会共:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、


35

ルカス:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

共同訳:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

新共同:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

パイロ:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

協会共:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、


36

ルカス:カイナム、アルパクシャド、シェム、ノア、レメク、

共同訳:カイナム、アルパクシャド、シェム、ノア、レメク、

新共同:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、

パイロ:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、

協会共:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、


37

ルカス:メトシェラ、ハノク、イエレド、マハラルエル、カイナム、

共同訳:メトシェラ、ハノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

新共同:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

パイロ:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

協会共:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、


38

ルカス:エノシュ、シェト、アダム。そして、神に至る。

共同訳:エノシュ、シェト、アダム。そして、神に至る。

新共同:エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。

パイロ:エノシュ、セト、アダム、そして神に至る。

協会共:エノシュ、セト、アダム、そして神に至る。

「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」の詩篇を読んで感じたこと


舊約聖書 ウルガタ全譯光明社譯

光明社譯舊約聖書 全四巻、ラゲ訳(1910年版、1959年版)新約聖書


 カトリックの翻訳した聖書で現在も手に入りやすいものには、フランシスコ会聖書研究所訳(カトリック系のサンパウロ社からの出版)とバルバロ訳聖書(講談社)の二つがあげられるでしょう。現在絶版になっていますがオークションサイトや古本屋のサイトなんかで探せば、それなりのいい値段はするものの「公教宣教師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書」(1910年)、「エ・ラゲ訳 イエズス・キリストの新約聖書 文語体」(1959年)、「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」(全四巻)なども購入することができるでしょうか。

 今回はこの中の「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」についてちょっと書こうかと思います。この全四巻本の旧約聖書は、現在の聖書と違いラテン語訳ウルガタ聖書から日本語に翻訳された聖書です。ラテン語ができる人は必要ないかもしれませんが、そうでない人がウルガタ聖書の訳文に触れることが出来るので便利でしょう。ただ、古本屋なんかのHPなんかを見ますと、四巻セットで函付きで3万5千円~4万円とちょっとお高い。オークションサイトなんかで極稀に一万円程度で出品されていたり、単巻で数千円程度で出品されていることもありました。そんな高いのはいいよという人には、インターネット上でPDFファイルで公開しているサイトなんかがあるのでそちらでもいいんじゃないでしょうか。ただそちらのサイト、「出エジプト記」のところをクリックすると「創世記」がサイトのURL間違いで表示されます。URLの最後の km_gen.pdf のところを km_exo.pdf に代えてやれば「出エジプト記」のPDFファイルが表示されます。

 現在は詩篇を読み終わって創世記をのんびりと読んでいます。この光明社訳の第三巻には詩篇が二つ収録されています。一つはウルガタ聖書の訳で、もう一つが巻末にあり、そちらは教皇ピオ十二世(ピウス十二世とも現在では表記されたりもします)の典礼改革(教皇ピオ十世の時からのものを引き継いだもの)により典礼での母国語の使用や母国語での聖歌の使用、そして1945年3月24日付の教令 In cotidianis precibus によって典礼で使用される詩篇に、ヘブライ語から訳された新しいテキストを使用することが許可されました。その流れによって、光明社訳の第三巻にはこの新しいテキストから訳された詩篇も収録されています。

↓ Wikipedia
In cotidianis precibus
Liturgical reforms of Pope Pius XII
Latin Psalters

 創世記とウルガタテキストからの詩篇を読んでみて、詩篇はとても読みづらい感じがします。なんか学校の古文なんかで出てくるような終助詞の「~かし」とかあり古文かよって思ってしまいます。聖書協会の文語訳聖書(明治元訳舊訳聖書)と比べると、明治に訳された方が読みやすいというのも、やはり翻訳の補助に当たった日本人の補佐人たちは、士族階級の出というのもあるのでしょう。昭和30年代に光明社訳の日本訳に当たった方は、漢文や文語文を公用語として生活の中で使っている士族階級方とは違うのでしょう。あくまでも個人的に感じたこととして朗読の語感がとても悪い感じがします。しかし、詩篇のような詩歌とは違い創世記になると、それほど読んでいて気にならない程度にはなっています。新しいテキストから訳された詩篇はまだ読んでいませんが(詩篇を二回続けて読むのもねぇ)、ウルガタテキストの詩篇で気になった箇所を何か所か見てみたら、こちらは読みやすくなっていました。

個人の感想です いらすとや

フランシスコ会聖書研究所訳のマタイ福音書の1980年版と1984年改訂版の改訂箇所比較


 今回はカトリック教会のフランシスコ会聖書研究所訳の新約聖書、その中でマタイ福音書の1980年版と1984年改訂版の改訂箇所の訳文の比較をしてみました。

 まだ新約の分冊版が出版されている時に「四福音書」だけが一冊にまとめられ「原文校訂による口語訳・注 新約聖書 四福音書」として1977年に出版された(まだこの時はパウロ書簡三分冊が未刊。分冊版の最後の一冊が1978年に刊行され、翌1979年11月に新約聖書が一冊にまとまったものが中型版として発行、1980年には小型版も発行されました)ものと2011年の旧新約聖書の合本版もついでに載せてみました。2011年版は全面的な改訂なので、これらの個所以外にも1984年改訂版と比べると違いがあります。-追記 1979年中型版も載せてみました。


フランシスコ会訳(1977年四福音書、1984年改訂版)


***

1:24(1:24-25)

四福音書 1977年
ヨセフは眠りからさめると、主の使いに命じられたとおり、妻マリアを家に迎え入れた。が、それまでヨセフは彼女を知ることはなかった。そして、マリアは男の子を産んだ。ヨセフはその子をイエズスと名づけた。

新約聖書 1979年中型
ヨセフは眠りからさめると、主の使いに命じられたとおり、妻マリアを家に迎え入れた。が、それまでヨセフは彼女を知ることはなかった。そして、マリアは男の子を産んだ。ヨセフはその子をイエズスと名づけた。

新約聖書 1980年
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の使いに命じられたとおり、妻マリアを家に迎え入れた。が、それまでヨセフは彼女を知ることはなかった。 25 そして、マリアは男の子を産んだ。ヨセフはその子をイエズスと名づけた。

新約聖書 1984年改訂版
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の使いに命じられたとおり、妻マリアを家に迎え入れた。 25 そして、マリアが男の子を産むまで、ヨセフは彼女を知ることはなく、その子をイエズスと名づけた。

2011年旧新約聖書合本版
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の使いに命じられたとおり、彼女を妻として迎え入れた。 25 マリアが男の子を産むまで、ヨセフは彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

 四福音書版と1979年中型版は25節がなく、24節と25節が24節になっています。1980年版で25節の節番号と節区分線が付きました。

***

5:16(5:15b-16)

四福音書 1977年
こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。このように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。そうすれば、人々はあなたがたのよい行いを見て、天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。

新約聖書 1979年中型版
こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。このように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。そうすれば、人々はあなたがたのよい行いを見て、天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。

新約聖書 1980年
・・・こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。 16 このように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。そうすれば、人々はあなたがたのよい行いを見て、天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。

新約聖書 1984年改訂版
・・・こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。 16 このように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。そうすれば、人々はあなたがたのよい行いを見て、天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。

2011年旧新約聖書合本版
・・・こうすれば、家にいるすべての人々のために輝く。 16 このように、あなた方の光を人々の前に輝かせなさい。そうすれば、人々はあなた方の善い行いを見て、天におられるあなた方の父をほめたたえるであろう。


四福音書と1979年中型版は「こうすれば、・・・」から16節が始まっていますが、1980年版からは16節が「こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。」の部分の後にはじまり、この部分は15節になりました。

***

6:6

四福音書 1977年
あなたがたは祈るとき、奥のへやに入って戸をしめ、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをごらんになるあなたの父は、あなたに報いてくださるであろう。

1979年中型版
あなたは祈るとき、奥のへやに入って戸をしめ、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをごらんになるあなたの父は、報いてくださるであろう。

新約聖書 1980年
あなたは祈るとき、奥のへやに入って戸をしめ、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをごらんになるあなたの父は、報いてくださるであろう。

新約聖書 1984年改訂版
あなたは祈るとき、奥のへやに入って戸をしめ、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをごらんになるあなたの父は、報いてくださるであろう。

2011年旧新約聖書合本版
あなたは祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。

***

6:12

四福音書 1977年
わたしたちの負いめをゆるしてください。
 わたしたちも同じように負いめのある者をゆるしました。

1979年中型版
わたしたちの負いめをゆるしてください。
 わたしたちも同じように負いめのある者をゆるしました。

新約聖書 1980年
わたしたちの負いめをゆるしてください。
 わたしたちも同じように負いめのある者をゆるしました。

新約聖書 1984年改訂版
わたしたちの負い目をゆるしてください。
 同じようにわたしたちも、
 わたしたちに負い目のある者をゆるします。

2011年旧新約聖書合本版
わたしたちの負い目をお赦しください。
 同じようにわたしたちに負い目のある人を
 わたしたちも赦します。

***

6:27

四福音書 1977年
あなたがたがどんなに思い煩っても、寿命を一刻でものばすことができようか。

1979年中型版
あなたがたが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。

新約聖書 1980年
あなたがたが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。

新約聖書 1984年改訂版
あなたがたのうち、だれが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。

2011年旧新約聖書合本版
あなた方の誰かが思い煩ったからといって、一刻でも寿命を延ばすことができるだろうか。

***

6:33

四福音書 1977年
まず、父の国と義を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

1979年中型版
まず、父の国と神のみ旨を行なう生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

新約聖書 1980年
まず、父の国と神のみ旨を行なう生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

新約聖書 1984年改訂版
まず、神の国とそのみ旨を行なう生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

2011年旧新約聖書合本版
まず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて、あなた方に与えられる。


1979年中型版・1980年版・1984年改訂版はどうして「そのみ旨を行なう生活を求めなさい。」と訳したのか? この個所に欄外の注が付いているが、そちらには

"「父(直訳では彼)の国と義」の「と義」はルカ12:13では見られない。マタイは5:20の考えに合わせて、「と神のみ旨を行なう生活」をつけ加え、本句の山上の垂訓の文脈にさらによく合うものにしようとしたのであろう。"(1979年中型版・1980年版)

"「神の国とそのみ旨を行なう生活(直訳では、彼の国とその義)」の「~とそのみ旨を行なう生活」はルカ12:31では見られない。マタイは5:20の考えに合わせて、この語句をつけ加え、本句の山上の垂訓の文脈にさらによく合うものにしようとしたのであろう。"(1984年改訂版)

 この注を読んでも意味が解らない。注ではここの個所は「直訳では、彼の国とその義」としているのに、δικαιοσύνη(ディカイオシュネー)の語を「~とそのみ旨を行なう生活」とマタイ3:15なんかに見られるよう広い意味の語意の訳文をわざわざとっている。カトリックの行動義認的思想と言うのがよく表れている訳文かもしれない。2011年版では形式等価の訳文に戻り「神の国とその義を求めなさい。」としている。

***

12:16

四福音書 1977年
そして自分のことを言いふらさないようにと、戒められた。

1979年中型版
そして自分のことを言いふらさないようにと、戒められた。

新約聖書 1980年
そして自分のことを言いふらさないようにと、戒められた。

新約聖書 1984年改訂版
そしてご自分のことを言いふらさないようにと、戒められた。

2011年旧新約聖書合本版
そして、ご自分のことを言いふらさないようにと、戒められた。

***

13:23

四福音書 1977年
よい土にまかれた者とは、みことばを聞いて悟り、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ人のことである」。

1979年中型版
よい土にまかれた者とは、みことばを聞いて悟り、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ人のことである」。

新約聖書 1980年
よい土にまかれた者とは、みことばを聞いて悟り、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ人のことである」。

新約聖書 1984年改訂版
よい土にまかれたものとは、みことばを聞いて悟り、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ人のことである」。

2011年旧新約聖書合本版
善い地に蒔かれたものとは、み言葉を聞いて悟り、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ人のことである」。

***

24:6

四福音書 1977年
また、戦争のうわさなどを聞くであろうが、あわてないように注意しなさい。そういう事はたしかに起こる。だが、まだ終わりが来たのではない。

1979年中型版
また、戦争のうわさなどを聞くであろうが、あわてないように注意しなさい。そういう事は確かに起こる。だが、まだ終わりが来たのではない。

新約聖書 1980年
また、戦争のうわさなどを聞くであろうが、あわてないように注意しなさい。そういう事は確かに起こる。だが、まだ終わりが来たのではない。

新約聖書 1984年改訂版
また、戦争の騒ぎや戦争のうわさなどを聞くであろうが、あわてないように注意しなさい。そういう事は確かに起こる。だが、まだ終わりが来たのではない。

2011年旧新約聖書合本版
また、戦争の騒ぎや戦争のうわさなどを聞いても、慌てないように注意しなさい。そういうことは確かに起こる。しかし、まだ終わりが来たのではない。

***

25:10

四福音書 1977年
彼女らが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできていた乙女たちは、花婿といっしょに婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。

1979年中型版
彼女らが買いに行っている間に、花婿といっしょに婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。

新約聖書 1980年
彼女らが買いに行っている間に、花婿といっしょに婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。

新約聖書 1984年改訂版
彼女らが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできていた乙女たちは、花婿といっしょに婚礼の祝宴場に入り、戸はしめられた。

2011年旧新約聖書合本版
彼女たちが買いに行っている間に、花婿が到着した。用意のできていたおとめたちが、花婿と一緒に婚礼の祝宴の間に入ると、戸は閉められた。


 ここは1979年中型版と1980年版がなぜ大きく削ったのかな? と思います。注もありません。

ἦλθεν(来た) ὁ νυμφίος(花婿が) , καὶ(そして) αἱ ἕτοιμοι(準備していた者たちは)の部分を削った本文があるのでしょうかね。

 UBSで1975年発行の「ギリシア語新約聖書第三版」を1980年版と1984年改訂版は底本にしているようですが、UBS第三版も1983年の第3版の修正版 も持っていないので、持っている第三版と同じ時期のネストレ25版を見てみましたが、本文も本文批評欄にもそういうものはありませんでした。あとUBS第四版(こっちには参照箇所として黙19:7,9があるだけです)とネストレ27版も25版と同じです。

 「用意のできていた乙女たち」が、カトリックのゆりかごから墓場までの緩やかなありかたが「準備を整えている」に合わないから。まさかね。それはないでしょう。

ギリシヤ語直訳新約聖書コンコルダンス付 金の器社発行


 今回は金の器社というところで発行している「ギリシヤ語直訳新約聖書コンコルダンス付」について見てみたいと思います。

ギリシヤ語直訳新約聖書コンコルダンス付 金の器社

 読まなければならない本が渋滞起こしているので通して読んではいません(現在、教父やキリスト教書のほかに聖書は光明社訳の旧約聖書をのんびり読んでいる最中なので)。それらを読んでからとなるといつになるのかわからないので(また他の聖書と一緒に置いておくと読むの忘れそうなのと気が付いた今書いておかないと忘れそうなので)マタイのいくつかの個所を読んだ感想みたいな感じになります。

 発行所の住所をGoogleマップで見ますと、山梨県にある「キリスト集会所」という文字が書いてある建物が出てきます。HPみたいなものがなさそうなので、プレマスブレザレン系のキリスト集会と関係があるのか、無教会系の集会と関係があるのかちょっとわかりません(発行された聖書を見ると無教会系とは考え辛いと思います)。

 この聖書開いて、左手に永井直治訳 新契約聖書修正改版、右手に新改訳(第二版)持って見比べてみましたが、一からギリシヤ語から翻訳した感じではなく、永井訳に新改訳も交えながら口語化したように見えます(若干両者と異なるところも見られます)。

 新潟で唯一の代理販売店とされる「きのーる」というHPのこの本の所見ますと(2024年2月22日に見てみましたら、閉店したのか分かりませんがHPが無くなっていたので、ウェイバックマシンにてアーカイブで見れます。→ https://hschikari.shopselect.net/items/26003879) "欽定訳キングジェームスバージョンKJV(1611年版)と日本語訳永井訳を基にした、ギリシャ語直訳の新約聖書" という説明があります。前書きやあとがきも加味しますとやはり重訳みたいなものなのかなとも思えます。奥付の所の発行者も訳者になっていないので何とも言えない感じです。

 「きのーる」のサイトの説明文みますと、ケネス・ヘーゲン系のエターナル・ライフ・ミニストリーズのサイトURL参照に挙げているので、エターナル・ライフ・ミニストリーズと同じく学術的な批判的校訂本に否定的なのでしょう。King James Versionやステファヌス版のテクストゥス・レセプトゥスを持ち上げているアメリカのキリスト教原理主義に近い立ち位置のものなのかもしれません(米キリスト教原理主義ではKing James Only movementなんてものもある)。

 エターナル・ライフ・ミニストリーズからは「新約聖書 TR日本語訳」というテクストゥス・レセプトゥス(おそらく英国の三位一体聖書協会から出ている1800年代後半にF.H.A.スクリブナーによって準備されたTextus Receptus)から訳された新約聖書が出ています(他に著作権の切れているテクストゥス・レセプトゥスから訳された「明治元訳新約聖書」や「永井直治訳 新契約聖書修正版」も出版しています)。

 あと英訳聖書によくみられるイエスのことばが赤い文字になっているのと単語にストロングナンバーが付いていて、巻末のストロングナンバー順のごく簡単なコンコルダンスあるのが特徴でしょう。ストロングナンバーはジェームズ・ストロング(1822–1894)によってKing James Version(ジェームズ王欽定英語訳聖書)のすべての単語にナンバーを付し、元のヘブライ語やギリシャ語の単語アクセスできるようにした索引に簡単なヘブライ語やギリシャ語辞書も付いている「STRONGEST STRONG'S」という有名なコンコルダンスのことです。

 自分もよく調べ物をする時に、ストロングナンバーの付いたJay Patrick Green Srのインターリニアと「STRONGEST STRONG'S」、あとストロングナンバーで調べられるThayer's Greek-English Lexiconという希英辞典なんかを利用しています(ネットだとストロングナンバーはBible Hubなんかをよく利用します。インターリニアなど有名な聖書の学習サイトなどでストロングナンバーは使われているので便利です)。

 そのストロングナンバーがこの聖書には付されているので便利と言えば便利です。ただ「STRONGEST STRONG'S」と違いギリシヤ語が使われていないで、「STRONGEST STRONG'S」のギリシヤ語の英語の読み仮名になっているのは残念ですが、価格も考えるとしょうがないのかなと思います。

 残念なところとして単語で頻出するものは最初だけストロングナンバーが付き、二回目以降はアンダーラインにしてナンバーを付けないというのでは初出箇所がわからないので(巻末のストロングナンバーのコンコルダンスでは補完できない。せめて巻末のものが日本語からさかのぼれるようになっていたならよかったのでしょうが、そうはなっていないので)、別に日本語のコンコルダンスが必要になるという不便さがあるところでしょうか。どうせならすべてにストロングナンバーを付すか、ストロングナンバー付きのインターリニア聖書にした方がよかったかもしれません。

 まあ、現代訳や創造主訳、新世界訳(2019年日本語版)なんかを買うよりはこちらを買った方が聖書の学びにはいいかもしれませんが、福音派や原理主義バイアスに気を付けて使う分には便利な部類かもしれません。

個人の感想です いらすとや

新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 THE NEW TESTAMENT AND PSALMS An Inclusive Version

 キリスト教徒が僅か1%しかいない国で、なんでこんなに聖書の翻訳が次から次へと出て来るのか不思議に思います。

 今回は、「新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 THE NEW TESTAMENT AND PSALMS An Inclusive Version」 (1999年 株式会社DHC出版事業部 7800円+税)について簡単に見て行きたいと思います。

新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 URL


 聖書から差別表現を取り除いた翻訳とうたっています(日本語版は英語版からの翻訳)。序文にて

"序文

本書の包括的な特徴
 ・・・
 本書では、男女どちらかの性に偏ったことばのうち、特定の歴史的人物を示さないものはどれも、説明的なことばや別の訳語などで、言いかえたり、言いたしたりしてきました。また、人種や肌の色や宗教に対する軽蔑的なことばも、身体的な障害だけで人を判断するようなことばもすべて、包括的な表現で言いかえています。
 ・・・"

ということから包括訳とも表現しています。

 新約聖書全体を読んで思ったのは、これは聖書の改ざんだなということです。

 まず、聖書ら出て来る 「父なる神」 という言葉について

"聖書の翻訳と隠喩
・・・
 もう一つ、見慣れてしまった隠喩に、「父なる神」というのがあります。神が父であると言うとき、いわゆる良い父親には、愛と思いやりといった資質があることから、神と人間の父親とが似ていると言っているのです。しかし、世の父親全員がかならずしも愛と思いやりを示すわけではないし、もっと突きつめれば、神は人間の父親のようにかぎりある存在ではないのですから、神はすべての人間の父親に似ていないこともまた明らかです。というわけで、神は人間の父親に似ていないところがたくさんあります。隠喩の力は、類似性と相違性の双方から生まれるのです。しかし、どの聖書の隠喩も硬直化して、文字どおり神は父だと言い切ってしまったら、なぜ神が父親に似ているのか、なぜ神が父親以上の存在なのか、と考えさせるコミュニケーションの力を失うことになります。
 わたしたちは、隠喩の本質に迫るこの見識をもとに、包括訳の大部分を作ってきました。本書で「父母(Father-Mother)」という新しい隠喩を作った目的は、その隠喩がどのように読まれているのかを読者に考えてもらい、どうしてそれと神とが同じなのか、また違うのか、と質問せしめる隠喩の力を体験してもらうためです。
・・・
神の言いかえ「父」
 神の言いかえとして使われる「父」という隠喩は、新約聖書では、いちばん短い文章であるⅢヨハネ書を除いて、全文書に出てきます。ヨハネ福音書だけでも百回以上、神の代わりにこの隠喩が使われています。当然、男性を意味する隠喩ですから、それをくり返し読んだ人は、神が男性だと考えてしまいます。それに家族の親密さとか、威厳、さらに扶養や保護などの意味を言外に含み、人性を色濃く示した隠喩です。しかし、隠喩というのはどれも、くり返し読むことによって、隠喩としての意味が失われ、ただの命題として、文字どおりのことばとして受け取られる傾向があります。教会では、この傾向が新約聖書の「父」という隠喩に表れています。神が「父」であると話すことによって、また神を何度も「父」に言いかえることによって、神は文字どおり「父」であり、したがって、男性でもあると思いはじめるのでしょう。しかし、「父」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、神を表す隠喩に閉口します ― 父と言いかえたくもないし、父と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。
 ところが、聖書ではときどき、神は母と類似するものであると考えられています。しかも、教会では、神が文字どおりの父だと考えずに、「父」が一つの隠喩だと理解しているので、本書では、「父(Father)」という隠喩を、「父母(ちちはは Father-Mother)」という新しい隠喩に訳しています。この新しい隠喩なら、文字どおりのことばに受け取られることはなく、隠喩的な意味にしか考えられないでしょう。一人の人間が文字どおり父母(ちちはは)であるはずがないので、その隠喩を読んだ人は、神には父性と母性があると考え、「父」なる神と「母」なる神の間で気持ちが揺れ動くことになるのです。
 ・・・""

 本文を読む前に、まずこの序文を読むわけですが、なにも響かないというか、難癖つけているようにしか感じられなかったのと、「父母(ちちはは Father-Mother)」という表現についてものすごい違和感を覚えたことです。


>しかし、「父」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、神を表す隠喩に閉口します ― 父と言いかえたくもないし、父と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。

特にこの部分は難癖以外の何物でもないよねって思いました。母親に捨てられたり、虐待されていた子供では 

しかし、「母」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、 母と言いかえたくもないし、母と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。

と言い換えれると思います。また、両親からの虐待を受けた子供では、父を「母」「親」「父母」に置き換えても同様に否定的感情が沸き起こるのではないかなどとも読みながら心の中で反論してしまいます。

 また、「父母(ちちはは Father-Mother)」という訳語についても、英語ならハイフンで単語をつないで一つの複合語になるのでしょうけど、日本語で「父母(ちちはは)」とすれば、それは「父」と「母」と二人であって、一人の人物を指す言葉ではありません。父なる神と母なる神がいるように思ってしまうでしょう。

 ヨハネ1:14なんかはもう多神教の神みたいです。本文(英文・日本語訳)と欄外注を引用します。

14 And the Word became flesh and lived among us, and we have seen the Word's glory, the glory as of a parent's only child, d full of grace and truth.
d Or the only Child of the Father-Mother
14 言葉は肉となって、わたしたちの間で暮らした。わたしたちは言の栄光を見た。それは両親の独り子dとしての栄光であり、恵みと真理に満ちていた。
d または「"父母(ちちはは)"の独り子」

 ここでは「父母」が「両親」と訳され、神がまるで夫婦神のようになって、イエス(言葉)はその子供ということになっています。オイオイ、モルモン教じゃないんだからとツッコミたくなります。



 ⅠコリントやⅠテモテなんかでは、同性愛者を表す「男色」という訳語も聖書の中から削ってしまっています。

Ⅰコリント6:9
9 不正を行う者が神の国を受け継ぐことができないことを知らないのですか。惑わされてはいけません。性的に不道徳な者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、
9 Do you not know that wrongdoers will not inherit the dominion of God? Do not be deceived! People who are sexually immoral, idolaters, adulterers, male prostitutes,
 
 同じ個所の他の邦語訳聖書をいくつか見てみましょう。

口語訳
9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

新共同訳
9 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、

聖書協会共同訳
9 それとも、正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけません。淫らな者、偶像を礼拝する者、姦淫する者、男娼となる者、男色をする者、

新改訳(第一版) 
9あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

岩波翻訳委員会訳1995
9 それともあなたがたは、不義なる者たちが神の王国を受け継ぐことはないであろう、ということ を知らないのか。あなたがたは惑わされてはいけない。不品行を行なう者たちや、偶像礼拝をする者たちや、姦淫を為す者たちや、男娼た ちや、男色者たちや、

原語のギリシヤ語では
οὔτε πόρνοι(性的に不道徳) οὔτε εἰδωλολάτραι(偶像崇拝者 ) οὔτε μοιχοὶ(姦淫者) οὔτε μαλακοὶ(男娼) οὔτε ἀρσενοκοῖται(男の同性愛者)

となっいるのに、この包括訳ではἀρσενοκοίτης(arsenokoites アルセノコイテス)を故意に落としています。

続いてⅠテモテを見てみましょう。

Ⅰテモテ1:10
10 for those who are sexually immoral, for male prostitutes, slave traders, liars, perjurers, and whatever else is contrary to the sound teaching
10 性にみだらな者や男娼、人身売買をする者、偽りを言う者、偽証する者、その他健全な教えに反することを行うすべての者のためにあるのです。

口語訳
10不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。

新共同訳
10 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。

聖書協会共同訳
10 淫らな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、噓をつく者、偽証する者のためにあり、そのほか健全な教えに反することがあれば、そのためにあると知っています。

新改訳(第一版)
10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。

 この個所ではⅠコリント6:9と同じ言葉ἀρσενοκοίτης(arsenokoites アルセノコイテス)を「男娼」と訳しています。これも故意による変更と見えます。

 この包括訳の英語版はNRSVをベースに使用したものですが、NRSVでこの個所はSodomy(同性愛者)としていますが、包括訳で取り除いたり用語を変更したのでしょう。これは改ざんです。

 同性愛者に対して偏見を与えると考えそれを取り除いたのでしょう。近年、聖書の同性愛に対する禁忌表現について、日本ですと日本基督教団あたりの牧師・神学者の書いたものなのでは、同性愛を罪としない見方・解釈にたった本や注解が出ています。しかし、それとそこにあるものを自分たちの解釈に合わないからと言って取り除いたり改ざんするのは別なことだと思います。



 あともう一つ奴隷という表現について

"「奴隷たち(Slaves)」か「奴隷にされた人々(Enslaved people)」か
 本書がギリシャ語の慣用句に従って、「盲人」「らい病人」の代わりに、「目の見えない人」「重い皮膚病を患う人」という言い方をしたように、「奴隷」も「奴隷にされた人」に変えました。「奴隷」ということばを使うと、その人間のもつさまざまな状態のうちの、一つを指すのではなく、その人間の丸ごとの特性を指すことになります。「奴隷」と明言された人について、大事なことは言い尽くされたとばかりに。しかし、「奴隷にされた人」ということばの場合、その人について、いろいろな特性があげられるが、その中の一つが奴隷だと言っているのです。ですから、本書では後者のことばを用いています。
 ・・・"

 これもなんかね~。「奴隷にされた人」という訳も違うよなって感じです。借金などで自ら奴隷となった人、奴隷の子として生まれ、生まれながらの奴隷で生涯解放されない者、戦争で負けて奴隷に落とされた者、奴隷と言ってもいろいろ違いはありますが、共通しているのは「奴隷」であるということです。「された人」という一つだけではないのにそういう訳語にしてしまうと意味が一つになってしまいます。あと実際の訳なんか見るとなお

テトス2:9
9 奴隷にされた者には、自分を奴隷として雇った人の権威を受け入れ、あらゆる点でその人を喜ばせるように言いなさい。口答えをせず、

口語訳
2:9奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、

 包括訳では、「奴隷」が単なる雇われ人のようになっています。

 その他にもひどいなぁ~と思う箇所が何十カ所とありますが、ただ一ついい点は、この本の値段が高くて買う人が少なくなることくらいでしょう。

 エホバの証人の新世界訳、現代訳(尾山令仁訳)、創造主訳(尾山令仁訳)と並ぶ、いらない聖書の一冊と思いました。

個人の感想です いらすとや
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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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