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マタイ福音書第27章25節


 キリスト教関係でYouTube動画を見ていたところ(YouTube動画でキリスト教関連のことばで検索すると、ほとんどキリスト教の異端(モルモン、エホバの証人、統一教会とその分派、中国の全能神教会、韓国系のキリスト教異端の諸団体)や破壊的カルト団体、若しくはキリスト教に否定的な動画ばかりが出てきます。ちゃんとしたキリスト教会や教団、また信徒のYouTubeチャンネルはなかなか出て来ないので困りものです。)、一般のキリスト教徒と思われる方の個人的動画が目につきました。以前にもこの方の動画はいくつかの日本語訳聖書についてのものを二つ三つ見たことがありました。今回はハマスによるテロ行為を発端としたイスラエルによるガザ地区における報復的な民族浄化的な虐殺により、イスラエルに対する批判(ユダヤ人どもは反ユダヤ主義だと論点をすり替えてはいるけれども)がいろいろと見聞きされるようになった時節にアップされたものでした。

『「イエスの創成の書と反ユダヤ主義払拭(協会共同訳による)」ゆるゆるキリスト教雑記帳』 (亀さんのゆるゆるキリスト教)

 この動画の中で、新約聖書のマタイ福音書第27章25節について、次のように語っておられました。

" 新共同訳では、「その血の責任は、我々と子孫にある。」となっていたんですね。同じく新改訳2017は、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と言う風にですね直訳しているんですね。協会共同訳の「かかってもよい」と言うのはですね、付け足しで補っているわけなんですね。これはまあ、新改訳2017のように直訳の方が良いと私は思いますね。「我々と子孫にある」という風に訳しますと、イエスを十字架刑にした責任は、未来永劫にユダヤ人たちにあるということになるとなるんですねぇ。未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。そうではなくて、「私たちや私たちの子どもらの上に」であれば、限定的なんですねぇ。イエスが十字架刑にかけられたのが、紀元30年頃だといたしますと、その40年後に起きた、いわゆるユダヤ戦争によってですね、エルサレムの神殿は破壊されて、ユダヤ人たちは離散してしまうわけで、まさしく子供らの上に、離散の運命が訪れるわけで、マタイ福音書通りになったということができるんですね。マタイはですね、エルサレム神殿の破壊、ユダヤ人たちの離散を見ておりまして、この個所を書いたかもしれませんね。まあ、日本語訳がより良い訳になっていると、この個所を見ると実感いたします。 "

 批判や否定ではなく、主張に対する感想と意見としてちょっと書きたいと思います。新共同訳の意訳と直訳の問題は置いておいて(この個所において新共同訳の意訳が、別に原文の意味を変えているようなものではないので)、この動画ではユダヤ人たちがイエスの十字架の「血の責任は、我々と子孫にある」(共同訳)と言ったのを、新改訳2017で「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と直訳しているのは、子々孫々までではなく、親子二代だけの限定的な話しなんだと受けとられたようです。根拠としてユダヤ人の離散を第一次ローマ・ユダヤ戦争における神殿の破壊と離散によって成就したように考えているようです。しかし、ユダヤ人離散は紀元前から緩やかに始まっていて、第一次ローマ・ユダヤ戦争(これについてはヨセフスの「ユダヤ古代誌」や「ユダヤ戦記」、「自伝」なんかが参考になります。)、そして、バル・コホバの乱(第二次ローマ・ユダヤ戦争)の敗戦で決定的になったのはエウセビオスの「教会史」なんかを読むと分かりやすいように見えます。

"  バル・コホバの乱
 (6) ・・・
 戦争は〔ハドリアヌスの〕治世18年に(134年8月から135年8月まで)、ベッテラでその頂点に達した。そこはエルサレムからそれほど遠くない堅固な要塞の小さな町だった。包囲は長期間続き、ついに叛徒たちも飢えと渇きで破滅に追いやられ、彼らを狂気に駆り立てた張本人もそれにふさわしい罰を受けた。ハドリアヌスは法令と勅令により、〔ユダヤ人の〕民族がそれ以後はエルサレム近くの土地に立ち入るのを禁じた。そのために彼らは、父祖たちの土地を遠くから眺めることさえできなくなった。ペラびとのアリストンが〔そのように〕語っている。こうして、ユダヤ民族の都は荒廃し、古くからの住民も完全に姿を消し、外国人の植民地になった。そして、その後ローマ風の町になったその都は名を改められ、ときの支配者アエリウス・ハドリアヌスを記念してアエリアと呼ばれた。・・・ "
(「エウセビオス「教会史」」 秦剛平訳 講談社学術文庫 p.221)


" バル・コホバの乱が失敗した後、ユダヤ人はエルサレムの入場を禁止された。彼らはローマ帝国内の各地へ離散し、世界各地でユダヤ教とその文化を守り、育んでいった。"
(「聖書考古学 遺跡が語る史実」 長谷川修一著 中公新書 p.209)


 ハドリアヌス帝の勅令により、荒廃したエルサレムだけでなく近郊の土地にもユダヤ人の立ち入りが禁止され数世紀の間続きました。イエスの十字架から親子二代ではなくひ孫玄孫の代になって起こったことになり無理筋な解釈じゃないのかなーと思いました。

 また、「未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。」とも述べておられましたが、「その血の責任は、我々と子孫にあ」ったとして、その責任を問い追及されるのは父なる神であって、われわれ人間が行うものではありませんし、そもそも権利もありません。キリスト教がローマ帝国の公認宗教となり、さらにヨーロッパにおいて力を持った中、よそからやって来て住み着いたこの異質な文化や風習を持ったユダヤ人が差別や迫害がなされたこと、その理由づけの一つにマタイのこの個所が使われたのは聖書の悪用です。長い歴史の中で、欧米においてそのような悪用がなされたからと言って、それで親子二代解釈が可能かと言えば無理じゃないかと思います。

 主な日本語訳といくつかの外国語訳を引用しますが、親子二代と解釈できるようなものはないと思います。

ヘボン訳(1873年)
民みなこたへていひけるはその血はわれらとわれらのすゑにかかるべし

明治元訳
民みな答て曰けるは其血は我儕と我儕の子孫に係るべし

大正改訳
民みな答へて言ふ『其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし』

口語訳
すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新翻訳事業パイロット版
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と我々の子孫にある。」

聖書協会共同訳
民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」

新改訳(第一版)、新改訳(第二版)、新改訳(第三版) 
すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

新改訳2017 
すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」

詳訳聖書
すると人々はみな答えた、「彼の血〔の責任〕は私たちと私たちの子孫の上にかかれ」。[ヨシュア21・9]

リビングバイブル(1982年版、1993年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまうもんか。 責任はおれたちが負ってやらあ。 子供らの上にふりかかってもいいぜ」とざわめき立てるのでした。

リビングバイブル(2016年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまわない。責任はおれたちや子どもたちの上にふりかかってもいい!」と叫びました。

上田将訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「馬太傳聖福音」1892(明治25)年)
民皆對へて曰く其血ハ我等と我等の子孫に歸せん

正教会訳
民皆對へて曰へり、其血は我等及び我等の子孫に歸すべし。

高橋五郎訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「聖福音書 上」1895(明治28)年)
民擧(こぞ)りて答えて曰ふ、彼の血ハ我等の上および我等の子孫の上に〔歸せよ〕。

ラゲ訳(1910年)
人民皆答へて、其血は我等と我等の子等との上に[被れかし]、と云ひしかば、

ラゲ訳(1959年)
人民みな答えて、その血は、われらとわれらの子どもとの上に〔かかれかし〕、と言いしかば、

バルバロ訳新約1953年
人民は皆答へて、「その血は、我らと我等の子孫の上に」と言つた。

バルバロ訳新約改訂版1957年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

フェデリコ・バルバロ=デル・コール共訳聖書1964年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

バルバロ訳聖書1980年講談社版
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

バルバロ訳新約聖書1981年新装改訂版講談社
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

フランシスコ会訳(1977年四福音書、1979年版中型新約、1980年版小型新約、1984年改訂版)
人々は皆これに答えて、「その人の血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上に」と言った。

フランシスコ会訳(2011年改訂版)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

フランシスコ会訳2013(Web)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

本田哲郎訳
すると民はいっせいに言った、「その男の血はわれわれが、われわれの子孫がかぶる」。

ケセン語訳(山浦治嗣訳)
国民(くにだみ)ァこぞって答(こで)ァだ。「その血の責めァ、俺等(おら)ど、俺等(おら)ァ子孫(すそん)さ掛がれ。」

山浦治嗣訳(「ガリラヤのイェシュー」)
そこに集まっていた者どもは口を揃えて答えて、言った。「その血ィの責めは、われらと、われらの孫子の上にかかってもよろし!」□(原書、このセリフを京都弁に訳したことを表す京の字の四角の囲み文字。)

キリスト新聞社口語訳
これに對して民のすべては言つた。「その血については私たちと私たちの子孫とが責任を負おう。」

永井直治訳(1928年Web)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の兒等の上に。

永井直治訳修正版(1960年)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の児等の上に。

前田護郎訳
民は皆いった、「彼の血はわれらと子孫の上に」と。

塚本虎二訳
民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

岩隈直訳
全民衆は答えて言った、「彼の血(の報い)はわれわれとわれわれの子孫の上に(来い)」。

柳生直行訳
群衆たちが異口同音に答えて言った、「その血の責任はわれわれとわれわれの子孫が負う。」

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳1995(Web)、2004年
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、われわれとわれわれの子孫の上に〔ふりかか れ〕」。

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳2023年改訂新版
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、我々と我々の子らの上に〔ふりかか れ〕」。

田川建三訳
そしてすべての民が答えて言った、「その血は我らと我らの子孫に(ふりかかるがよい)」。

国際ギデオン協会New Bible(泉田昭訳)
民衆全体が答えて言った、「彼の血は、われわれと子孫の上にふりかかってもよい」

エマオ出版訳(山岸登訳 2008年版)
すると、民衆はみな答えて、「その人の血は、私たちや子どもたちの上に(かかれ)。」と言った。

金の器社「ギリシャ語直訳新約聖書コンコルダンス付」
すると民衆はみな答えて言った。「彼の血は、私たちの上に、また私たちの子どもたちの上に」

「聖書から差別表現をなくす試行版新約聖書・詩篇(英語・日本語)」
すると人々はこぞって、「この男の血の責任はわれわれとわれわれの子孫に」と答えた。

TR新約聖書(エターナル・ライフ・ミニストリーズ)
すると民はみな答えて言った。「彼の血は、我々の上に、また我々の子どもたちの上にあれ」

新和訳(池田博訳)
民はこぞって答えて言った、「彼の血は我々の上に、我々の子らの上に!」

「ALIVE+ERV 新約聖書/NEW TESTAMENT BIBLE」
「そう言われなくとも彼の死の責任はすべて私たちがとりますよ!私たちとその子どもから子孫までのせいにどうぞしてください!」

電網聖書(Web)
民全体が答えた,「彼の血は,我々と我々の子孫の上にふりかかってもよい!」

新世界訳(1973年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子どもとにふりかかってもよい」。

新世界訳(1982年日本語版、1985年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」。

新世界訳(2019年日本語版)
民は皆、「彼の血についてはわれわれと子供たちが責任を負ってもよい」と答えた。

・日本語訳で現代訳(尾山令仁訳)、創造主訳(尾山令仁訳)、回復訳は省略。


***

KJV
Then answered all the people, and said, His blood be on us, and on our children.
それから民全員に答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

Revised Version
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

ASV
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

RSV
And all the people answered, “His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。

The Message
The crowd answered, “We’ll take the blame, we and our children after us.”
群衆は「私たちと私たちの子供たちが責任を負います。」と答えた。

Amplified Bible, Classic Edition
And all the people answered, Let His blood be on us and on our children!
すると民は皆、「主の血が私たちと私たちの子供たちに降りかかるように!」と答えた。

Amplified Bible
And all the people answered, “Let [the responsibility for] His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血の責任を私たちと私たちの子供たちに負わせましょう!」と答えた。

New King James Version
And all the people answered and said, “His blood be on us and on our children.”
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

New International Version
All the people answered, “His blood is on us and on our children!”
人々は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかっています!」と答えました。

New American Standard Bible
And all the people replied, “His blood shall be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかるだろう!」と答えた。

James Moffatt New Testament
To this all the people replied, "His blood be on us and on our children!"
これに対して民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。


**

Luther Bibel 1545
Da antwortete das ganze Volk und sprach: Sein Blut komme über uns und unsere Kinder.
すると民は皆答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

***

聖經 (和合本)
衆人都回答說、他的血歸到我們、和我們的子孫身上。
すると彼らは皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。


 ここで「子孫」「子ら」「子供たち」と訳されている語はテクノンという語で、子供、息子と訳される語で、複数形の場合「子孫」などとも訳されます。七十人訳聖書においてヘブライ語acharith(#319)、ben(#1121)、taph(#2945)、yeled(#3206)など15個の単語などがテクノンと訳されたりしています。

τέκνον LXXコンコルダンス
(Edwin Hatchによる七十人訳聖書のコンコルダンスより)

レビ記25:46 新改訳2017
あなたがたは彼らを、あなたがたの後の子孫にゆずりとして与え、永遠に所有として受け継がせ、奴隷とすることができる。・・・
七十人訳聖書秦剛平訳
おまえたちはおまえたちの後の子らに、彼らを分け与えることができる。・・・
καὶ καταμεριεῖτε αὐτοὺς τοῖς τέκνοις ὑμῶν μεθ᾽ ὑμᾶς・・・
そして、それをあなたの子らに分け与えなさい。(Google翻訳)

使徒13:33 新改訳2017
神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二編に、
ὅτι ταύτην ὁ θεὸς ἐκπεπλήρωκεν τοῖς τέκνοις [αὐτῶν] ἡμῖν ἀναστήσας Ἰησοῦν ὡς καὶ ἐν τῷ ψαλμῷ γέγραπται τῷ δευτέρῳ·
これは、詩篇第二篇に書かれているように、神が復活のイエスによって私たちの子供たちに明らかにされたことだからです。(Google翻訳)

 ギリシャ語新約聖書のコンコルダンス 「Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament」 (Württembergische Bibelanstalt Stuttgart 1973年)などには

 τέκνον filius ᵇfiliotus ᶜfilia ᵈnatus ᵉsemen
1) proprie dictum : progenies, stirps

τέκνον 息子(・子孫・後継者) ᵇ息子 ᶜ娘 ᵈ生まれる(誕生) ᵉ 種(・子孫)
1) 正確に言えば、子孫、血統

Mat
   27 25 τὸ αἷμα αὐτοῦ - καὶ ἐπὶ τὰ τ. ἡμῶν


2) τέκνον significatione translata

2) τέκνον の意味の翻訳 

とマタイのこの個所は 「1) 正確に言えば、子孫、血統」 の方に入れています。


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イザヤ書40章22節 地の円


イザヤ書40章22節を新世界訳 新世界訳 1982年日本語版と1985年日本語版で見ますと


22 地の円の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ,


となっていましたが、新世界訳 2019年日本語版では


22 丸い地の上に住む方がいる。地に住む者たちはバッタのようだ。その方は天を薄織りの布のように広げ,天幕のように張って住まいとする。


と、「地の円の上に」が「丸い地の上に」と変更され、まるで第二イザヤ(1~39章までは預言者イザヤによって書かれたもので、40~55章は預言者イザヤとは別の名は分かっていない人物によって書かれたもので、第二イザヤと便宜上呼ばれています。56~66章は前二者とは別の名前の分かっていない人物によって書かれたもので、第三イザヤと呼ばれる。キリスト教原理主義者やキリスト教の異端、キリスト教系の破壊的カルト宗教はイザヤ書全体が預言者イザヤによって書かれたと信じ込んでいる。)によるこの個所が、科学に先駆けて地球が丸いと書いていたとしたいのでしょう。そういう風に読める訳に改変したのでしょう。

 アメリカのキリスト教原理主義では、20世紀のはじめごろにサライス・I・スコフィールドというファンダメンタルなディスペンセーション主義者によって、聖書の英訳King James Versionに注釈をつけた「The Scofield Reference Bible」というものが出版されました。その中でこの個所に次のような注釈がつけられました。

The Scofield Reference Bible イザヤ40:22

The Scofield Reference Bible イザヤ40:22注

g A remarkable reference to the sphericity of the earth.
See, also, Isa.42.5 ; 44.24 ; 51.13 ; Job9.8 ; Psa.104.2 ; Jer.10.12.

g 地球の球形についての注目に値する言及。
イザ.42.5 も参照。 44.24; 51.13; ヨブ9.8 ; 詩.104.2 ; エレ.10.12。


 エホバの証人では、彼らの機関誌の一つ「目ざめよ」誌の1978年3月22日号に「地球 ― 平らか,それとも丸いか 」という以下に引用する記事が掲載されました。

" 地球 ― 平らか,それとも丸いか
● 地球は平らではなく丸いということを,人間が初めて感づいたのはいつごろだったのでしょうか。クリストファー・コロンブスの時代ですか。いいえ,それよりも前のことです。アービング・ロビンは次のように書いています。「西へ向かって航海して,東方へ行き着けると信じるには,地球が球体であることをも信じていなければならない。ジェノバに住む船長,クリストファー・コロンブスはそのことを信じていたが,それを信じていたのは彼一人だけではなかった。それを信じていた人は幾世紀も昔から存在していた。というのは,西暦前500年の昔に,ギリシャの学者ピタゴラスが地球は丸いと主張していたからである。1250年に書かれたノルウェーの一教科書には同じことが述べられているだけでなく,地球の四季,一年間の太陽の角度の変化,そして卓越風などがある理由も説明されている。古代の知識すべてが失われてしまったわけではない。それはただ一時期人気がなかったにすぎないのである」― 探検と発見の過程と原因百科
● ピタゴラスは西暦前540年から500年ごろの人です。しかし,それよりもさらにずっと前,西暦前8世紀の人であるヘブライ人の預言者イザヤは,地球が球体であることを示し,こう書き記しました。「地の円の上に住んでおられる方[エホバ神]がおられ,その中に住んでいる者たちはばったのようである」。(イザヤ 40:22,新)ここで「円」と訳出されているヘブライ語は,「球」とも訳せます。(B・デビッドソン著,「ヘブライおよびカルデヤ語聖書聖句索引」)興味深いことに,この節の「円」という言葉に関して,スコフィールド参照聖書は,欄外の注で,「地が球体であることに対する,驚くべき言及」と述べています。モファット訳は,「彼は丸い地の上に座っておられる」と訳出し,カトリック・ドウェー訳はここを,「地の円球の上に座られる方こそその方なり」と訳しています。古代の人々は全般的に地は平らであると考えていたとはいえ,地球の創造者の霊感によって記された言葉が地球は丸いということを正しく示しているのは当然のことです。 "
(p.17)

 この記事が出て以降の80年代に入ってから、エホバの証人の雑誌や書籍なんかで、聖書が神の霊感を受けて書かれた書物の証拠の一つとしてよく使われるようになりました。2019年版日本語版新世界訳では、その解釈に合わせて本文も変えたのでしょう。英文は「the circle* of the earth」と変わらないのですが、2013年版では「circle」のところに*が付いていて、欄外注(Footnote)を見るように促されます。そこには「*Or “sphere.”」と、サークル(円)はスフィア(球体、玉)とも訳せるとしています。

 この「円」と訳されているヘブライ語はフーグ(chug)で、ヘブライ語辞典などを見ますと円や地平線、回る、円を描くなどの意味の語です。球体や丸・ボールを示す語はカドゥㇽ(kadúr)で、ヘブライ語の地球(כדור הארץ)という言葉もこの語から来ています。


2329. chug フーグ
chug


kadúr
kadúr


 この個所の他の日本語訳聖書を見てみましょう。欄外注などのあるものは併せて引用します。口語訳聖書には日本基督教団出版局から出ている略解を脚注代わりに載せておきます。


口語訳
主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、

【地球のはるか上に座】する者、【天を幕のようにひろげ】る者、これは皆ヤㇵウェではないか。「地球」と訳されているが、古代へブル人は地上を平盤なものとし、その上に天が幕のように張られていると考えた。
(「旧約聖書略解」 日本キリスト教団出版局 1957年 p.696)


新共同訳
主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。地に住む者は虫けらに等しい。主は天をベールのように広げ、天幕のように張り その上に御座を置かれる。


聖書協会共同訳
主は地を覆う天蓋に住まわれる方。/地に住む者はばったのようなもの。主は天を幕のように伸ばされる方。これを天幕のように広げて住まわれる。


岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳
地を覆う天蓋²の上に住む方よ、地に住む者どもはいなごのようだ。天を薄布のように張り巡らす方は、これを天幕のように張って住む。
² 原語フーグは元来「円盤」を表す。「薄布を張り巡らす」イメージと共に、創一6の蒼穹(ラーキーアウ)同様、平たい地を覆う半球形の幕としてのヘブライ的天体観による。


フランシスコ会聖書研究所訳
主は地を覆う空の上に着座される。地に住む者は、蝗のようなもの。主は天をとばりのように張り広げ、天幕のように張って住まいとされる。(8)
(8) 本節は、前節の最後の行と同様、下方にある水の深淵、地、天蓋のように地の上に広がり神が着座される大空、という三段階構造をもつと考える、古代の宇宙観を反映している。


バルバロ訳聖書1980年講談社版
主は世のはるか高いところに座り、その住人をいなごのように見られる。主はベールのように天をひろげ、住みかとする幕屋のように張られる。


関根正雄訳岩波文庫版
彼は蒼穹の上にすわり
地に住む者は蝗にひとしい。
天を絹布(けんぷ)のようにひきのばし
これを天幕のようにひろげ住む。
ニニ節 「蒼穹」地の円盤が原語、他の個所からここも蒼穹と解す。


新改訳(第二版)註解・索引・チェーン式引照付
主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。
注解 詩的な表現。 天蓋―大空。


新改訳2017
主は、地をおおう天蓋の上に住む方。地の住民はバッタのようだ。主は、天を薄絹のように延べ広げ、これを天幕のように張って住まわれる。


 やはりこれらのちゃんとした聖書学者たちの訳では、聖書のこの個所以外の文言や古代イスラエルやカナーン、シリア、メソポタミヤ、エジプトの等の宇宙観などを考慮して訳語を選んでいます(図1の世界最古のバビロニアの世界地図(紀元前7世紀)などを見ますと、大地は円盤状の平面なものとして描かれています。Babylonian Map of the World 。 図2.ユダヤの宇宙観は、 放送大学教材8224 「宇宙像の変遷と化学」 二間瀬敏史・中村士 著 放送大学教育振興会 pp.16-19の「4. バビロニアとユダヤの宇宙観」より)。

図1.世界最古のバビロニアの世界地図
Babylonien und Assyrien by Meissner, Bruno, 1868-1947. p.378
(Babylonien und Assyrien by Meissner, Bruno, 1868-1947. p.378)


図2.ユダヤの宇宙観
放送大学教材8224 「宇宙像の変遷と化学」 二間瀬敏史・中村士 著 放送大学教育振興会 p.17
(放送大学教材8224 「宇宙像の変遷と化学」 二間瀬敏史・中村士 著 放送大学教育振興会 p.17)


図3.ユダヤの宇宙観
聖書の宇宙観
(フランシスコ会訳(2011年改訂版)の旧約聖書p.7の挿絵)


 そもそも聖書には、天と地には果てがある描かれています。

申命記
4:32試みにあなたの前に過ぎ去った日について問え。神が地上に人を造られた日からこのかた、天のこの端から、かの端までに、かつてこのように大いなる事があったであろうか。このようなことを聞いたことがあったであろうか。

申命記
30:4たといあなたが天のはてに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。

イザヤ
40:28あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

エレミヤ
12:12滅ぼす者どもが荒野のすべての、はげ山の上にきた。
主のつるぎが、地の、この果から、かの果までを滅ぼすのだ。
命あるものは安らかであることができない。

詩篇(新共同訳などは19:5)
19:4その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。

詩篇
103:12東が西から遠いように、
主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。

ネヘミヤ
1:9しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。


天には丸天井があり

新共同訳ヨブ記22章14節
雲に遮られて見ることもできず、天の丸天井を行き来されるだけだ」と。

バルバロ訳聖書1980年講談社版 創世記1:6
また神が、水の間に*屋根ができて、水と水とを分けよ」と仰せられた。そして、そのようになった。
注 6 「屋根」はヘブライ語の「ラキハ」で、ギリシア語で「ステレオマ」、ラテン語で「フィルマメントゥム」と訳されている。旧約聖書では、詩的表現として「屋根」と言ったのであろうが、当時の宇宙観を表す「かたくて、まるいもの」の意味が含まれている(イザヤ40・22、詩篇103・2、ヨブ26・11)。この「屋根」の上には「上の水」があり、下には雨や雲になる「下の水」があり、上の水と下の水は異質のものだと考えていた。

フランシスコ会聖書研究所訳 創世記1:6
次に、神は仰せになった、「水の中に大空⑷あれ。そして水と水を分けよ」。すると、そのとおりになった⑸。
⑷ 直訳では「打ち延ばされた(金属)板」。古代セム人は大空を「上に水を蓄えた堅い天井」と考え、その穴から大雨が降ると思っていた。

岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳 創世記1:6
神は言った、「水の中に蒼穹㈦があって、水と水の間を分けるものとなるように」。
㈦ 地を覆う天蓋。


 そして、地の下にはシェオル(陰府)がある。

民数記16章30節
しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。


 そう言った世界観を無視して、「地が円(フーグ)と呼ばれているんだ、地球が丸いことを言っているんだ、すごい、すごい」なんて切文で解釈して利用するのはどうなのかな~と思います。

また、エホバの証人ではないがネットなんかを見ると、イザヤ書のこの個所で、タルムードのアヴォダー・ザラー 41a:4:1で地が球状であると書いてあるなんてことを言いだす人も見られました。

アヴォダー・ザラー 41a:4:1


Tosafot on Avodah Zarah 41a:4:1
Like a ball - That the world is round, as stated in the JerusalemTalmud, that Alexander of Macedon ascended above until he sawall of the world like a ball, and the sea like a basin, meaning thegreat ocean that entirely encompasses the Earth.

アヴォダー・ザラー 41a:4:1
球のように - エルサレムタルムードに述べられているように、世界は丸い、マケドニアのアレキサンダーは世界を球のように、海を盆地のように見渡すまで上空に昇り、地球を完全に取り囲む大海を意味します。

これは4世紀か5世紀のラビの言葉で、ユダヤのアレクサンダー大王伝説のアレクサンダー大王の昇天について語ったもので、イザヤ書関係ないよねと思います。この記述について、「公開講演会 二本角が表すもの ― 西アジアにおけるアレクサンドロス大王の神聖化 2005年12月17日(土) 14:00-16:00 講師:山中由里子(国立民族学博物館民族文化研究部助手)」の中で次のように述べられていました。

" ・・・・ユダヤ教徒の間でもアレクサンドロスの昇天は伝説として古くから伝わっていたようで、エルサレム・タルムードの中にはラビ・ヨナという4世紀の人の言葉として、こんなことが書かれています。「マケドニアのアレクサンドロスは天に昇ろうと望んだ際にどんどん高く上がり、遂にこの世が球のように見え、海が大皿のように見えるところまで達した。これゆえに彼の肖像は球を手にしているのである。なぜ皿を持っていないかというと、彼でさえ海までは征服できなかったからである。聖なるもの(神)、彼に幸あれ、聖なるものは海をも陸をも支配しておられる」。これはユダヤ教徒のアレクサンドロス昇天伝承です。タルムードに含まれているこの

 一節はタバリーを引用しているウクバの伝承と直接かかわりはないかもしれません。アレクサンドロスが天高く昇って、眼下に見下ろすと、世界とそれを取り巻く海が見えるという点ではタバリーの記述と共通しています。しかしこのユダヤ教徒の伝承において、アレクサンドロスは天使の助けを借りたのではなく、自ら望んで天に昇っていきました。アレクサンドロスは天に昇ろうと望んだ。そのためにどのような方法を用いたかは記されておりません。キリスト教伝承にあったようなグリフィンを使ってということはここには書いてありません。

 一部のキリスト教の解釈ほどアレクサンドロスの傲慢を否定的にとらえているわけではありませんが、しかしこの逸話の趣意は明らかに「アレクサンドロスほどの征服王にも力の限界があって、神の全能には及ばない。聖なるものは海をも陸をも支配しておられる。しかしアレクサンドロスは海までは征服できなかった」という、アレクサンドロスですら神の全能には及ばないということを示すエピソードであります。

 このようにキリスト教徒、ユダヤ教徒のアレクサンドロス昇天伝説と比べてみると、イスラーム教、ムスリムの伝承のアレクサンドロス伝承のみが、自らの野望、傲慢、好奇心によるのではなく、神様に選ばれた人間として天使に導かれて天に昇っています。眼下に見える全世界の布教の任務を啓示されています。アレクサンドロスを神に対抗しようとする無謀な王様ではなく、真の教えをあまねく広める使命を担った神の従僕とするムスリムの伝説の展開は、アレクサンドロスが『コーラン』の二本角と同一視され、神聖化されていた独自のものであったと言えましょう。 "

 やっぱりイザヤ書40章22節とは関係が無いですし、使われているのもフーグではなく「kadúr」(球体)という語です。そして、このタルムードの前には

Avodah Zarah 41a:4
§ The mishna teaches: And the Rabbis say: The only statues that are forbidden are: Any statue that has in its hand a staff, or a bird, or an orb, as these are indications that this statue is designated for idolatry. The Gemara explains that each of these items symbolizes the statue’s supposed divinity, indicating its dominion over the world: A staff symbolizes dominion as the idol rules itself under the entire world, i.e., it rules the entire world, like one rules over an animal with a staff. A bird symbolizes dominion as the idol grasps itself under the entire world, i.e., it grasps the entire world, as one grasps a bird in his hand. An orb symbolizes dominion as the idol grasps itself under the entire world, i.e., it grasps the entire world, as one grasps a ball in his hand.

アヴォダー・ザラー 41a:4
§ ミシュナは教えます: そしてラビたちはこう言います: 禁止されている唯一の彫像は、手に杖、鳥、または球体を持っている彫像です。これらは、この彫像が偶像崇拝のために指定されていることを示しています。 ゲマラは、これらのアイテムのそれぞれが像の神聖性を象徴し、世界に対するその支配を示していると説明しています。偶像が全世界の下で自らを支配するように、杖は支配を象徴しています。つまり、動物を支配するのと同じように、偶像は全世界を支配します。 スタッフ。 鳥は、偶像が全世界の下で自らを把握するので、つまり、人が鳥を手に握るように、偶像が全世界を把握するので、支配を象徴します。 オーブは、偶像が全世界の下で自らを把握するとき、つまり、人がボールを手に握るように、全世界を把握するとき、支配を象徴します。

とあってから先ほどの41a:4:1のアレクサンダー大王の昇天が来るわけです。ゲマラの方も偶像崇拝について語っています。


 こういう胡散臭いやり方で聖書の正当性を宣伝するって、なんかおかしいと感じます。ましてやそれを聖書に落とし込むというのはね・・・






新共同訳聖書の詩編139編11節の訳文についてちょっと思ったこと

 キリスト新聞の「【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 読んではいけない小説はある? 平山正実」という記事を見ていたところ、新共同訳聖書から詩編139編11節の「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す」という言葉が引用されていました。そんな言葉もあったんだ~と思い新共同訳を開いて見てみて、新共同訳も何回も通読はしているのだけれどもこの言葉は記憶になかったので気になりました。いつも家で使っている口語訳で見てみたら訳が全く違っていて、あれっ? と思い他の訳も見比べて見ますと、こういう訳になっているのは、パイロット版である「詩編(抜粋) 共同訳」(1983年)と新共同訳聖書だけでした。

 共同訳と新共同訳から、その箇所を前後も合わせて見てみましょう。


共同訳 詩編(抜粋)
7 どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。/どこに逃れれば/御顔を避けることができよう。
8 天に登ろうとも/あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。
9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも/あなたはそこにもいまし
10 御手をもってわたしを導き/右の手をもってわたしをとらえてくださる。
11 わたしは言う。/「闇の中でも主はわたしを見ておられる。/夜も光がわたしを照らし出す。」
12 まことに、闇もあなたにとっては闇ではなく/夜は昼のように光を放ち/闇も、光も、変わるところがない。


新共同訳
7 どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。
9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
10 あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない。


 神は私たちがどのような場所、状況にあっても何の障害も無く、共にいまして、見守り、御手をもって助けて下さる方への信頼が歌われていて、個人的にはニュッサのグレゴリウスの著書「モーセの生涯」とそこで根拠として引用されている出エジプト記の20章21節と詩編18章12節。そして、ヨブ記3章が想起されますが、共同訳と新共同訳は11の訳文で原文から離れて意訳していて、この訳文ではこれらの言葉は思い出されないな~と思いました。

 原文では

wā·’ō·mar (And if I say そして私が言うなら) ’aḵ- (surely きっと) ḥō·šeḵ (the darkness 闇) yə·šū·p̄ê·nî (shall fall on me 私に襲いかかります) wə·lay·lāh, (and Even the night そして夜さえ) ’ō·wr (shall be light 光です) ba·‘ă·ḏê·nî (about me 私について)
(Bible Hub の Interlinearより。 英文の日本語訳はWeblio 翻訳、Google翻訳使用)

となっており、共同訳と新共同訳以外は原文通りの訳になっています(尾山令仁氏の「現代訳」と「創造主訳」は最初から見ていません)。以下に引用します。


明治元訳
7 我いづこにゆきてなんぢの聖霊をはなれんや われいづこに往(ゆき)てなんぢの前をのがれんや
8 われ天にのぼるとも汝かしこにいまし われわが榻(とこ)を陰府にまうくるとも 觀(み)よなんぢ彼處(かしこ)にいます
9 我あけぼのの翼をかりて海のはてにすむとも
10 かしこにて尚なんぢの手われをみちびき汝のみぎの手われをたもちたまはん
11 暗(くらき)はかならす我をおほひ 我をかこめる光は夜(よ)とならんと我いふとも
12 汝のみまへには暗(くらき)ものをかくすことなく 夜(よる)もひるのごとくに輝けり なんぢにはくらきも光もことなることなし


口語訳
7 わたしはどこへ行って、/あなたのみたまを離れましょうか。/わたしはどこへ行って、/あなたのみ前をのがれましょうか。
8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。/わたしが陰府に床を設けても、/あなたはそこにおられます。
9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、/あなたの右のみ手はわたしをささえられます。
11 「やみはわたしをおおい、/わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
12 あなたには、やみも暗くはなく、/夜も昼のように輝きます。/あなたには、やみも光も異なることはありません。


聖書協会共同訳
7 どこに行けば、あなたの霊から離れられよう。/どこに逃れれば、御顔を避けられよう。
8 天に登ろうとも、あなたはそこにおられ/陰府に身を横たえようとも/あなたはそこにおられます。
9 暁の翼を駆って、海のかなたに住もうとも
10 そこでも、あなたの手は私を導き/右の手は私を離さない。
11 「闇は私を覆い隠せ。/私を囲む光は夜になれ」と言っても
12 闇もあなたには闇とはならず/夜も昼のように光り輝く。/闇も光も変わるところがない。


新改訳(第一版、第二版、第三版)
7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。/私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、/私がよみに床を設けても、/そこにあなたはおられます。
9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
10 そこでも、あなたの御手が私を導き、/あなたの右の手が私を捕えます。
11 たとい私が/「おお、やみよ。私をおおえ。/私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
12 あなたにとっては、やみも暗くなく/夜は昼のように明るいのです。/暗やみも光も同じことです。


新改訳2017
7 私はどこへ行けるでしょう。/あなたの御霊から離れて/どこへ逃れられるでしょう。/あなたの御前を離れて。
8 たとえ、私が天に上っても/そこにあなたはおられ/私がよみに床を設けても/そこにあなたはおられます。
9 私が暁の翼を駆って/海の果てに住んでも
10 そこでも あなたの御手が私を導き/あなたの右の手が私を捕らえます。
11 たとえ私が 「おお、闇よ 私をおおえ。/私の周りの光よ 夜となれ」 と言っても
12 あなたにとっては 闇も暗くなく/夜は昼のように明るいのです。/暗闇も光も同じことです。


舊約聖書 ウルガタ全譯 第三巻 光明社譯 (第138編(第139編)) 旧テキストからの訳
7 我汝の御霊を離れて、何処にか行くべき。また汝の御面前(みおもてまえ)より、何処にか逃ぐるべき。
8 我天に昇るとも、汝彼処(かしこ)に在(ましま)し、我冥府(よみ)に下るとも、汝そこに在(ましま)す。
9 我黎明(あけぼの)に翼を借りて、海の涯(はて)に住むとも、
10 彼処にてさえ、汝の御手我を導き、汝の御(おん)右手我を保たん。
11 また我は云いぬ、「或は我を蔽(おお)い、夜はわが喜悦(よろこび)によりてわが光とならん。」と。
12 されど闇すら汝には暗からずして、夜も汝には昼の如く明るからん。その闇の如く、その光も然り。


舊約聖書 ウルガタ全譯 第三巻 光明社譯 (第138編(第139編)) 新テキストからの訳
7 我汝の御霊を離れんとて何処にか行くべき、汝の御面(みかお)を避けんとて何処にか逃ぐべき。
8 我天に上るとも汝彼処(かしこ)に在(いま)し、我冥府(よみ)に臥すとも、汝其処(そこ)に在(いま)す。
9 我黎明(あけぼの)の翼を借るとも、海の涯(はて)に住むとも、
10 彼処にてさえ汝の御手我を導き、汝の御(おん)右手我を保たん。
11 「せめては暗黒(くらやみ)我を蔽(おお)い、夜光の如く我を囲むべし。」と我云うとも、
12 暗黒(くらやみ)すら汝には暗からずして、夜も昼の如く明るからん、汝には闇も光の如し。


バルバロ訳 「詩篇」(139(138)) 1959年 ドン・ボスコ社
7 あなたの霊を、遠くはなれられようか?/御顔から、どこに逃げられようか?
8 天にかけ上っても、あなたはそこにおられ、/冥土を床にしても、あなたはおられる。
9 私が、暁のつばさを駆って、/海のはてに住もうとしても、
10 そこでも、御手は私におかれ、/御(おん)右は、私をとらえる。
11 "闇が私をおおえ、/私を囲む光が夜となれ" といっても、
12 闇さえも、あなたには、暗くなく、/夜は、ひるのように輝く。


バルバロ訳聖書1980年講談社版(138編(137))
7 主の霊を遠く離れられようか。/み顔からどこに逃げられようか。
8 天にかけ上っても、主はそこにおられ、/黄泉を床にしても、主はおられる。
9 私が暁の翼を駆って、/海のはてに住もうとも、
10 御(おん)手は私に置かれ、/御(おん)右は私をとらえる。
11 「やみよ私をおおえ、/私を囲む光が夜となれ」と言っても、
12 やみさえも、あなたには暗くなく、/夜は昼のように輝く。


フランシスコ会訳2011年合本版、フランシスコ会訳2013Web
7 どこへ行ったら、あなたの霊か ら離れられようか。/どこへ行ったら、あなたの前から逃れられようか。
8 わたしが天に昇っても、あなた はそこにおられ、/陰府に横たわっても、あなたはそこにおられる。
9 わたしが曙の空に翼を駆って も、/西の果ての海に住みつこうとも、
10 あなたの手はわたしを導き、/あなたの右手はわたしを離さない。
11 「闇はわたしを覆い、/わたしを囲む光は夜となれ」/とわたしが言ったとしても、
12 あなたには、闇さえも暗くはな く、/夜も昼のように明るく、/闇も光と変わるところがない。


関根正雄訳(岩波文庫版) 138
7 わたしは何処へ行ったらあなたのみ霊を離れ、/何処に逃げたらあなたのみ前を離れられるのか。
8 わたしが天に昇ってもあなたはそこに在し、/陰府にわが床を設けても、見よ、あなたは居られる。
9 わたしが曙の翼を借りて昇り/海の果てに降り見ても
10 あなたのみ手はそこでわたしをつかまえ、/右のみ手はわたしを捕えるであろう。
11 暗闇だけがわたしを囲み/わがまわりの光が夜になれとわたしが言っても
12 あなたのみ前には暗闇も暗闇ではなく、夜も昼のように明るい。


岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳 2005年
7 どこに行きましょう、あなたの霊を離れて/あなたの顔を離れて、どこに私は逃げましょう。
8 たとえ天に私が上っても、そこにあなた〔がいまし〕、/冥界(よみ)に床を伸べても、あなたがいます。
9 曙光(あけぼの)の翼を挙げても、/海の果てに住まっても、
10 そこでも、あなたの手が私を導き、/あなたの右手が私をとらえるのです。
11 私は言った、「だが闇は、私を覆い隠してくれ、/夜は光を〔覆い隠してくれ〕、私のために」と。
12 〔しかし〕闇もあなたには暗くなく、/夜も昼のように輝く。/―暗闇も〔あなたには〕光明と同じ―


リビングバイブル 1982年、1993年改訂版
7 神様の視界から逃れることは決してできません。 身を隠すことも、不可能です。
8 たとい天までのぼろうと、神様はそこにおられ、死の世界まで降りて行こうと、神様はそこで待っておられるのです。
9 たとい朝風に乗り、地球の果てまで飛んで行こうと、
10 神様の力強い腕は、私を導き、支えてくださいます。
11 もし暗やみにまぎれ込もうとしたりすると、夜はさっと私を照らし出す光となるのです。
12 神様の目をさえぎるのに、暗やみは、何の役にも立ちません。 神様のためなら、夜も昼のように輝くのですから。


リビングバイブル2016Web(Bible Gateway)
7 あなたの視界から逃れることは決してできません。/身を隠すことも不可能です。
8 天まで昇ろうと、あなたはそこにおられ、/死者の世界まで降りて行っても、/あなたはそこで待っておられるのです。
9 朝風に乗って、地の果てまで飛んで行っても、
10 あなたの力強い腕は、私を導き、支えてくださいます。
11 私が暗闇にまぎれ込もうとしても、/夜は私を照らし出す光となるのです。
12 暗闇も、神から隠れることはできません。/神から見れば、暗闇も光も同じようなものなのです。


新世界訳(1985年日本語版)
7 わたしはあなたの霊のもとからどこへ行くことができるでしょうか。/あなたのみ顔のもとからどこへ走り去ることができるでしょうか。
8 たとえわたしが天に上ろうとも,あなたはそこにおられます。/たとえわたしがシェオルに寝いすを設けようとも,ご覧ください,あなたは[そこにおられるのです]。
9 わたしが夜明けの翼を取って,/最果ての海に住もうとしても,
10 そこでもまた,あなたのみ手がわたしを導き,/あなたの右手がわたしを捕らえることでしょう。
11 また,わたしが,「闇ならきっと素早くわたしをつかまえてくれるだろう」と言うなら,/そのときには夜がわたしの周りで光となることでしょう。
12 闇でさえ,あなたにとって暗すぎることはなく,/夜といえども,昼と同じように輝くのです。/闇も光と変わるところがありません。


 詩編139編11節を共同訳と新共同訳はどうしてこう訳したのかな?と気になったのですが、「新共同訳 旧約聖書略解」(日本基督教団出版局)を見ても

"11 詩人の告白。«闇»夜、また、苦難の時。«光» ヤハウェの恵み深い配慮。"
(「新共同訳 旧約聖書 略解」 日本基督教団出版局 p.665)

としか書いておらず、どうしてこう訳したのかは分かりませんでした(日本基督教団出版局の新共同訳の注解書の方には記載があるのかもしれませんが持っていないので分かりません)。ネットで検索などすると、いくつかの教会のホームページや個人のブログなどを見てみますと、無批判にこの意訳の訳文を引用して話やメッセージなどが書かれていました。なんとなく、原文とまったく違うのに、原文に無い言葉なのに、それでメッセージをつくってもいいのかな? 書くに当たって他の訳と比べて見ないのかな? とも思いました。

ルカによる福音書第3章に見る翻訳の推移 共同訳(1975年パイロット版)、共同訳(1978年)、新共同訳、新翻訳事業パイロット版、聖書協会共同訳の対照


 今回はカトリックとプロテスタント共同翻訳の聖書の訳文の変遷を見やすく節ごとの対照にしてみました。共同訳(1978年)のパイロット版がルカによる福音書(「ルカスによる福音」)だけなので、各訳のルカによる福音書から第三章を抜き出して対照してみたいと思います。ルカ第三章は各訳において語句訂正がなされていないので初版と訳文が変わっているところはありません。

ルカス:→「ルカスによる福音」 1975年
共同訳:→「共同訳 新約聖書」 1978年
新共同:→「新共同訳」 1985年
パイロ:→「新翻訳事業パイロット版 ルカによる福音書」 2016年
協会共:→「聖書協会共同訳」 2018年


1

ルカス:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティウス=ピラトゥスがユダヤの総督、ヘロデスがガリラヤの領主、その兄弟フィリポスがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアスがアビレネの領主であり、

共同訳:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティウス・ピラトゥスがユダヤの総督、ヘロデスがガリラヤの領主、その兄弟フィリポスがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアスがアビレネの領主、

新共同:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、

パイロ:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、さらに、リサニアがアビレネの領主、

協会共:皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、



2

ルカス:ハンナスとカイアファスとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアスの子ヨハンネスに降った。

共同訳:ハンナスとカイアファスとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアスの子ヨハンネスに降った。

新共同:アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

パイロ:アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。

協会共:アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。


3

ルカス:そこで、ヨハンネスはヨルダンの盆地をあまねく歩き、罪のゆるしをもたらす悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

共同訳:そこで、ヨハンネスはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

新共同:そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

パイロ:ヨハネはヨルダン川流域一帯に行き、罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

協会共:ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。

4

ルカス:これは預言者イェシャヤの書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ人の声がする。/『主の道を用意せよ。/その道筋をまっすぐにせよ。

共同訳:これは、預言者イシャヤの書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ人の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。

新共同:これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。

パイロ:これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ。/その道筋をまっすぐにせよ。

協会共:これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ/その道筋をまっすぐにせよ。


5

ルカス:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

共同訳:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

新共同:谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、

パイロ:すべての谷は埋められ/すべての山と丘は低くされる。/曲がった道はまっすぐにされ/起伏の多い道は平らにされる。

協会共:谷はすべて埋められ/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに/でこぼこの道は平らになり


6

ルカス:人はみな神の救いを仰ぎ見る。』」

共同訳:人は皆神の救いを仰ぎ見る』と」。

新共同:人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

パイロ:すべての人は神の救いを見る。』」

協会共:人は皆、神の救いを見る。』」


7

ルカス:そこで、ヨハンネスは、洗礼を受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫ども、差し迫った神の怒りを免れるようにと、だれが教えたのか。

共同訳:そこでヨハンネスは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子孫ども、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

新共同:そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

パイロ:ヨハネは、彼から洗礼を受けようとして出て来た群衆に向かって言った。「毒蛇の子らよ、来るべき神の怒りから逃れるように、誰がお前たちに教えたのか。

協会共:そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。


8

ルカス:悔い改めにふさわしい実を結べ。自分の先祖はアブラハムだ、などと思ってもみるな。お前たちに言っておく、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子孫を造ることができるのだ。

共同訳:悔い改めにふさわしい実を結べ。自分の先祖はアブラハムだ、などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子孫を造り出すことができるのだ。

新共同:悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

パイロ:それならば、悔い改めにふさわしい実を結べ。そして、『われわれの父祖はアブラハムである』などと心の中で言い始めるな。お前たちに言う。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる。

協会共:それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。


9

ルカス:斧は、すでに、木の根もとに置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれる。」

共同訳:斧はすでに木の根もとに置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」。

新共同:斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

パイロ:すでに斧も、木の根元に置かれている。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒され、火に中に投げ込まれる。」

協会共:斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒され、火に投げ込まれる。」


10

ルカス:そこで群衆はヨハンネスに、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

共同訳:そこで群衆は、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。

新共同:そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

パイロ:群衆はヨハネに尋ねた。「では、わたしたちはどうすればよいのですか。」

協会共:群衆は、「では、私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。


11

ルカス:彼は、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持つ者も同じようにせよ」と答えた。

共同訳:ヨハンネスは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。

新共同:ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。

パイロ:ヨハネは彼らに答えた。「下着を二枚持っている者は、持たない者と分かち合え、食べ物を持っている者も同様にせよ。」

協会共:ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。


12

ルカス:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

共同訳:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」と言った。

新共同:徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。

パイロ:徴税人たちも洗礼を受けるためにやって来て、ヨハネに尋ねた。「先生、わたしたちはどうすればよいのですか。」

協会共:徴税人も洗礼(バプテスマ)を受けるために来て、「先生、私たちはどうすればよいのですか」と言った。


13

ルカス:ヨハンネスは、「規定以上のものは取り立てるな」と答えた。

共同訳:ヨハンネスは、「規定以上のものは取り立てるな」と答えた。

新共同:ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。

パイロ:ヨハネは彼らに答えた。「お前たちに命じられたもの以上に、誰からも取り立ててはならない。」

協会共:ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。


14

ルカス:兵士も、「では、われわれはどうすればいいのですか」と尋ねた。彼は、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と答えた。

共同訳:兵士も、「では、我々は何をすればよいのですか」と尋ねた。ヨハンネスは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と答えた。

新共同:兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

パイロ:兵士たちもヨハネに尋ねた。「では、わたしたちはどうすればよいのですか。」ヨハネは彼らに答えた。「人をゆすったり、うその告発をしてはならぬ。自分の給料で満足せよ。」

協会共:兵士も、「この私たちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「誰からも金をゆすったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

15

ルカス:民衆は救い主を待ち望んでいて、もしかしたら、ヨハンネスが救い主ではないかと、みな心の中で考えていたので、

共同訳:民衆はメシアを待ち望んでいて、もしかしたら、ヨハンネスがメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

新共同:民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

パイロ:民はメシアを待ち望んでいたので、皆がヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、心の中で思い巡らした。

協会共:民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。


16

ルカス:そこで、ヨハンネスはみなに向かって言った。「わたしは、お前たちに水で洗礼を授けるが、わたしよりもすぐれたかたがあとから来られる。わたしは、そのかたのくつのひもを解く値うちすらない。そのかたは、聖霊と火でお前たちに洗礼を授ける。

共同訳:そこで、ヨハンネスは皆に向かって言った。「わたしはお前たちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れたかたが、あとから来られる。わたしは、そのかたの履き物のひもを解く値うちすらない。そのかたは、聖霊と火でお前たちに洗礼をお授けになる。

新共同:そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

パイロ:ヨハネは皆に向かって言った。「わたしは水であなたがたに洗礼(バプテスマ)を授けるが、わたしよりも力のある方が来られる。わたしにはその方の履物のひもを解く値打ちもない。その方はこそが、聖霊と火によってあなたがたに洗礼をお授けになる。

協会共:ヨハネは皆に向かって言った。「私はあなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私よりも力のある方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。


17

ルカス:そして、手に箕を持って脱穀場の麦を残らずふるい分け、麦は集めてその倉に入れ、殻は消えることのない火で焼き払う。」

共同訳:そして、手に箕を持って脱穀場の麦を残らずふるい分け、麦は集めてその倉に入れ、殻は消えることのない火で焼き払われる。」

新共同:そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

パイロ:その方は手に箕を持ち、そして、脱穀場をきれいにして、麦を集めて倉に納め、もみ殻を消えることのない火で焼き尽くされる。」

協会共:その手には箕がある。そして、麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる。」


18

ルカス:こうして、ヨハンネスは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を伝えた。

共同訳:こうして、ヨハンネスはほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を伝えた。

新共同:ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

パイロ:ヨハネは、ほかにも多くのことを勧め、民に福音を告げ知らせた。

協会共:ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

19

ルカス:ところで、領主ヘロデスは、自分の兄弟の妻ヘロディアスとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハンネスに責められたので、ヨハンネスを牢屋に閉じ込めた。

共同訳:ところで、領主ヘロデスは、自分の兄弟の妻ヘロディアスとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハンネスに責められたので、

新共同:ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、

パイロ:しかし、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、彼が行った数々の悪行について、ヨハネから非難されたので、

協会共:しかし、領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、


20

ルカス:こうしてヘロデスはすべての悪事にもう一つの悪事を加えた。

共同訳:ヨハンネスを牢屋に閉じ込めた。こうしてヘロデスは、これらすべての悪事にもう一つの悪事を加えた。

新共同:ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。

パイロ:ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事の上にさらに悪事を重ねた。

協会共:ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、さらに悪事を重ねることとなった。


21

ルカス:民衆がみな洗礼を受け、イエススも洗礼を受けて祈っていると、天が開いて、

共同訳:民衆が皆洗礼を受け、イエススも洗礼を受けて祈っていると、天が開け、

新共同:民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、

パイロ:さて、民衆が皆洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると天が開け、

協会共:さて、民が皆、洗礼を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、


22

ルカス:聖霊が鳩のような目に見える姿で彼の上に降りて来た。そして、天から声がした。「お前はわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」

共同訳:聖霊が、鳩のように見える姿で、イエススの上に降って来た。すると、「お前はわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声が、天からきこえてきた。

新共同:聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

パイロ:聖霊が鳩のような形でイエスの上に降り、そして、天から声がした。「あなたこそ、わたしの愛する子、わたしの心に適う者。」

協会共:聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。



23

ルカス:およそ三十歳で、イエススは宣教を始めた。彼はヨセフの子と思われていた。このヨセフはエリの子、それから先祖をたどると、

共同訳:イエススが宣教を始めたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それから先祖をたどると、

新共同:イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、

パイロ:イエス自身が宣教を始められたのは、およそ三十歳の時であり、ヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子であり、それからさかのぼると、

協会共:イエスご自身が宣教を始められたのは、およそ三十歳の時であり、人々からはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それから遡ると、


24

ルカス:マタト、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、

共同訳:マタト、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、

新共同:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、

パイロ:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、

協会共:マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、


25

ルカス:マタティアス、アモス、ナフム、ヘスリ、ナンガイ、

共同訳:マタティアス、アモス、ナフム、ヘスリ、ナンガイ、

新共同:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、

パイロ:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、

協会共:マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、


26

ルカス:マハト、マタティアス、セメイン、ヨセク、ヨダ、

共同訳:マハト、マタティアス、セメイン、ヨセク、ヨダ、

新共同:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、

パイロ:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、

協会共:マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、


27

ルカス:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

共同訳:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

新共同:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

パイロ:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

協会共:ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、


28

ルカス:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

共同訳:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

新共同:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

パイロ:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

協会共:メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、


29

ルカス:イエスス、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

共同訳:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

新共同:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

パイロ:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

協会共:ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、


30

ルカス:シメオン、ユダス、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

共同訳:シメオン、ユダス、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

新共同:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

パイロ:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

協会共:シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、


31

ルカス:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビド、

共同訳:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビド、

新共同:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

メパイロ:レア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

協会共:メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、


32

ルカス:イシャイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

共同訳:イシャイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

新共同:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

パイロ:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

協会共:エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、


33

ルカス:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

共同訳:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

新共同:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

パイロ:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

協会共:アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、


34

ルカス:ヤアコブ、イツハク、アブラハム、テラ、ナホル、

共同訳:ヤアコブ、イツハク、アブラハム、テラ、ナホル、

新共同:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

パイロ:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

協会共:ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、


35

ルカス:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

共同訳:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

新共同:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

パイロ:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

協会共:セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、


36

ルカス:カイナム、アルパクシャド、シェム、ノア、レメク、

共同訳:カイナム、アルパクシャド、シェム、ノア、レメク、

新共同:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、

パイロ:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、

協会共:カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、


37

ルカス:メトシェラ、ハノク、イエレド、マハラルエル、カイナム、

共同訳:メトシェラ、ハノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

新共同:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

パイロ:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

協会共:メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、


38

ルカス:エノシュ、シェト、アダム。そして、神に至る。

共同訳:エノシュ、シェト、アダム。そして、神に至る。

新共同:エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。

パイロ:エノシュ、セト、アダム、そして神に至る。

協会共:エノシュ、セト、アダム、そして神に至る。

「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」の詩篇を読んで感じたこと


舊約聖書 ウルガタ全譯光明社譯

光明社譯舊約聖書 全四巻、ラゲ訳(1910年版、1959年版)新約聖書


 カトリックの翻訳した聖書で現在も手に入りやすいものには、フランシスコ会聖書研究所訳(カトリック系のサンパウロ社からの出版)とバルバロ訳聖書(講談社)の二つがあげられるでしょう。現在絶版になっていますがオークションサイトや古本屋のサイトなんかで探せば、それなりのいい値段はするものの「公教宣教師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書」(1910年)、「エ・ラゲ訳 イエズス・キリストの新約聖書 文語体」(1959年)、「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」(全四巻)なども購入することができるでしょうか。

 今回はこの中の「舊約聖書 ウルガタ全譯 光明社譯」についてちょっと書こうかと思います。この全四巻本の旧約聖書は、現在の聖書と違いラテン語訳ウルガタ聖書から日本語に翻訳された聖書です。ラテン語ができる人は必要ないかもしれませんが、そうでない人がウルガタ聖書の訳文に触れることが出来るので便利でしょう。ただ、古本屋なんかのHPなんかを見ますと、四巻セットで函付きで3万5千円~4万円とちょっとお高い。オークションサイトなんかで極稀に一万円程度で出品されていたり、単巻で数千円程度で出品されていることもありました。そんな高いのはいいよという人には、インターネット上でPDFファイルで公開しているサイトなんかがあるのでそちらでもいいんじゃないでしょうか。ただそちらのサイト、「出エジプト記」のところをクリックすると「創世記」がサイトのURL間違いで表示されます。URLの最後の km_gen.pdf のところを km_exo.pdf に代えてやれば「出エジプト記」のPDFファイルが表示されます。

 現在は詩篇を読み終わって創世記をのんびりと読んでいます。この光明社訳の第三巻には詩篇が二つ収録されています。一つはウルガタ聖書の訳で、もう一つが巻末にあり、そちらは教皇ピオ十二世(ピウス十二世とも現在では表記されたりもします)の典礼改革(教皇ピオ十世の時からのものを引き継いだもの)により典礼での母国語の使用や母国語での聖歌の使用、そして1945年3月24日付の教令 In cotidianis precibus によって典礼で使用される詩篇に、ヘブライ語から訳された新しいテキストを使用することが許可されました。その流れによって、光明社訳の第三巻にはこの新しいテキストから訳された詩篇も収録されています。

↓ Wikipedia
In cotidianis precibus
Liturgical reforms of Pope Pius XII
Latin Psalters

 創世記とウルガタテキストからの詩篇を読んでみて、詩篇はとても読みづらい感じがします。なんか学校の古文なんかで出てくるような終助詞の「~かし」とかあり古文かよって思ってしまいます。聖書協会の文語訳聖書(明治元訳舊訳聖書)と比べると、明治に訳された方が読みやすいというのも、やはり翻訳の補助に当たった日本人の補佐人たちは、士族階級の出というのもあるのでしょう。昭和30年代に光明社訳の日本訳に当たった方は、漢文や文語文を公用語として生活の中で使っている士族階級方とは違うのでしょう。あくまでも個人的に感じたこととして朗読の語感がとても悪い感じがします。しかし、詩篇のような詩歌とは違い創世記になると、それほど読んでいて気にならない程度にはなっています。新しいテキストから訳された詩篇はまだ読んでいませんが(詩篇を二回続けて読むのもねぇ)、ウルガタテキストの詩篇で気になった箇所を何か所か見てみたら、こちらは読みやすくなっていました。

個人の感想です いらすとや
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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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​一応、特に聖書の引用表記のないものにつきましては、著作権の保護期間を過ぎている日本聖書協会の「口語訳聖書」(1​955​年版の旧約聖書、19​54年版の新約聖書)を使用させていただいています。後の改定された口語訳聖書と違い、一般に差別用語や不快語とされていしまった言葉がそのままですのでご注意ください。

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