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偶像崇拝・他

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偶像崇拝
2012/5/31(木) 午前 0:06

 ファンダメンタリストを見てみると、まあ、キリスト教に限らずイスラム教などにおいても、両宗教においては偶像崇拝が厳しく禁じられていますが、けれども実際には双方ともある意味広義の偶像崇拝に陥っています。

 ムスリムやムスリマをテレビなどのメディア媒体を通じてですが見ると、とてもアル・クルアーンを大切に扱います。敬虔な人になれば手で触れる前には手を清めたりし、決してクルアーンの上に物を置いたりしません。わたしたちから見ると、それはBiblolatryに見えます。そのためカルト牧師のテリー・ジョーンズ氏などが、クルアーンを焼くというこに対してイスラム圏では大きな反響を呼び、その報復として殺人などが誘発されたりしています。

 また、キリスト教ファンダメンタリストたちにも、似たような傾向が見て取れます。聖書の十全霊感や逐語霊感、その無誤性を強調するこれらの人々にも、このムスリムなどに見られるBibliolatryはあります。ムスリムらとは違い、聖書それ自体を焚書に処せられても、彼らのような過激な行動に出ることはありませんが、その崇拝性においては負けないものがあります。これらファンダメンタリストなクリスチャンにとって、まるで聖書は天からそのまま与えられたものであるかのように、とても絶対的なものとなっており、学問的な批判や批評も、また考古学的な事実や発見も、その他あらゆる事象も、彼らの信仰の事実こそが真実とされるメンタリティにあります。

 これらキリスト教ファンダメンタリストたちは、カトリック教会の聖変化したとされる聖体が崇拝されることを偶像崇拝だと非難しながら、実際には自分たちもBibliolatryに陥っています。

 まるで古代イスラエルにおいて、自分たちを導き上った神だとして、金の子牛を作り出し、それを崇拝しているかのようです。神のことば聖書が、いつの間にか神やキリストになり替わり崇拝の対象となってしまっています。

聖なる高台 金の子牛

 また、もう一つの偶像崇拝は、牧師や宣教師などの専従の教会奉仕職である牧会者たち個人に向けられるもので、これらの人たちに対する依存心はそのまま人間崇拝に結びつきやすいものとなっています。牧師が変われば教会の出席者も変わる傾向が、ファンダメンタルに限らずリベラルでも見られます。カルト化教会ではそれを利用して、信徒に服従を求め奴隷化したり、それらの人々への崇拝や崇敬行為を求めたりすることに至っている偽メシア現象まであります。

 こういった偶像崇拝に陥らないように、十分注意しなければなりません。崇拝している意識は無くても、いつの間にか神になり替わってしまっている場合があります。


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なんでもかんでも悪霊のせいにする
2012/6/12(火) 午前 0:43

 ペンテコスタルな教会の牧師の著書などを読むと、まともな教会の牧師や神学者たちのものとは違い、『悪霊(あくれい)』という言葉が頻繁に見られます。

 これらのことを強調する人は、よく東南アジア、南米、アフリカなどの地での宣教の体験を根底に置いている場合が見られ、これらの地で悪霊憑き状態の人の問題に出会い、悪霊の追い出しをするようになり、やがてこれらの宣教者の周りでも外的攻撃(オブセッション)が見られるようになり、それに対して「賛美」や「勝利の宣言」、「み名による命令」などをすることによってそれらを制するなどということも見られ、さらにこれらの行為や考え、信仰に埋没して行き、それがこちらの世界に戻ってからも第三世界で培ったマインドのままで、その体験に基づく信仰を実践しようとします。

 この結果としてシャーマン牧師による悪霊論が、聖書による「悪魔論」を追い出し、教会を異教のシャーマニズム化させる結果となり、キリスト教の「霊性」ではなく、オカルト的スピリチュアルな教会となってしまっています。

毒蛇を手でつかむパフォーマンスを行う教会


 これらのシャーマン牧師は、マルコ福音書の長い結びと呼ばれる後代の加筆箇所の『信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」』(マルコ16:17,18)の箇所を過度に強調し、時として毒蛇を手でつかむパフォーマンスを行う教会などもアメリカなどには見られます。

 これらの教会の礼拝は、パフォーマンスだけではなく、癒しや異言、ゴスペル音楽などといった、集団的恍惚状態を引き起こしやすい方式を行うことにより、アフリカや南米のシャーマニズムに見られる集会を都市型な形にして提供しています。このような精神の高揚状態により、様々な慿霊状態なども信徒の間に誘発されたりしやすくなります。

 これらのシャーマン牧師の教えるイエスは、当然のことながら現世利益的で、生臭いシャーマンといえます。

 伝統的なローマ・カトリック教会やギリシャ正教などに見られる「悪魔払い」とは、明らかに違います。カトリック教会などの場合、悪魔憑きの認定にはとても慎重です。「ローマ典礼定式書(Rituale Romanum)」というラテン語の儀式書には、エクソシズムに関する項目があり、それらに対する諸条件が記されています。

 また、これらペンテコスタルのシャーマン牧師は、カトリックのように慎重な姿勢や儀式の際に医師などの医療従事者などの立ち会いを求めたり、悪霊憑きと認定する場合もカトリックのように医師との協力関係に行うのではなく、医師や医療自体を否定し、病気の原因を気質的要因に求めるのではなく、信仰がないためだとか、安易に悪霊によるものと判断し、医師による治療ではなく悪霊払いを受けることを強要します。

 このようなシャーマニズムは、聖書のいう「悪魔払い」や「いやし」などとは全く関係がなく、異教の第三世界から持ち込まれたものにすぎません。もし、行っている教会にこのような特徴が見られたのなら、一度立ち止まり冷静になってから、他の教派・教会を回ってみるのもいいと思います。


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なぜに独立させないのか
2012/6/15(金) 午前 0:11

 カルト化や問題のある団体などを見て行くと、メガ・チャーチとセル化という現象が視界の片隅にちらちらと見えてきます。霊的権威性や牧師などの独裁化と、何となくどこかが繋がっているようにも感じられます。

 米国や南米、アフリカ、韓国などに顕著に見られるメガ・チャーチですが、何百人、何千人もの人が一つの教会のワーシップに与り、人気牧師の宗教ショーに一喜一憂するのですが、まあ、一つの会場に入りきれませんと、別会場とネットや電話回線などを通じてメイン会場のステージで繰り広げられる宗教ショーが配信され、それらの会場でも一つのワーシップに与るという方式です。

 しかし、この方式だと牧師による牧会というものは不可能ですので、これをいくつかの小グループに分けて、ホームチャーチやホームティーチングなどを別なスタッフである牧師や伝道者、またはその他のスタッフや奉仕者に任せて、牧会をしているようです。体は一つですが、それを細胞単位に小分けにして管理しているのでしょう。

 信徒にとってメインパーソナリティーである牧師は、まるであこがれのTVスターのようです。しかし、一人の牧師が信徒一人一人を認識したり、こと細かく牧会したりすることは不可能です。

 このような団体を見ると、なぜ分会して独立した教会にしないのかと思います。しかし、そうはできないのでしょう。これは普通の教会と違い、人気スターに群がるファンのようなもので、メイン牧師のパフォーマンスやショーに群がっている集団なのでしょう。そのためメイン牧師のスキャンダルが発覚すると求心力が低下して、一気に教会の信徒離れに繋がったりします。

 この風潮が牧師などの勘違いを助長し、奉仕者から主人へ、キリストの座を独占してしまう原因ともなっているのかもしれません。

 そこには、かつての信徒の事なら何でも知っていて、信徒から親しまれる村の主任司祭や牧師のような姿はありません。再び考えて見てもいいのかもしれません。このような傾向は果たして良いのかと。


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偽預言者
2013/10/25(金) 午後 2:20

“申命記18:20ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。 18:21あなたは心のうちに『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。 18:22もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。”

リトル・ペブル

日本でリトル・ペブルことウィリアム・カムが日本に広く一般に紹介されるきっかけとなった鬼塚五十一著 ムーミステリーブックス「戦慄の聖母預言」(上・下) 学研を古本で買ってちょっと読み返してみました。

旋律の聖母預言上・下 URL


 その本ではリトル・ペブルについて“オーストラリアのウーロンゴング(シドニーから南に50㌔)に住み、1983年から聖母の出現を受けているリトル・ペブル(37歳)だ。彼もまたトランペッターと同じく「黙示録」に預言されている人物である。”(p.64)と紹介されています。そして、出現した聖母を幻視してメッセージを受け取ったとし、いろいろとその聖母とやらの預言というのかメッセージなるものを、鬼塚氏はこの手のオカルト雑誌月刊ムー的な手法で、この手の雑誌の読者に信じ込ませるようにいろいろと周りを信憑性を持たせるために、カトリックの聖母出現譚やその手の話題で固めて紹介しています。その中で、“1980年代後半にリトル・ペブルが来日し、当時戦後の日本のカトリック教会復興事業で既に著名であったメリノール宣教会のカトリック司祭、レオ・スタインバックを感化・活動に加入させ”(Wikipedia)ていたので、利用される形であったスタイバック神父などもリトル・ペブルの周りを固める材料とされています。現役のカトリックの司祭の登場は信憑性を持たせるには十分な素材であったといえます。

京都教区時報 1992年5月1日発行(4・5月号) レオ・スタインバック神父について
( http://www.kyoto.catholic.jp/new/backno/177.pdf )

 この本の中から、リトル・ペブルが受けたと称しているメッセージを少し見てみましょう。

“「ヨハネ・パウロ2世の治世は終わりに近づいています。子供たちよ、まもなく彼は声明を発表し、そして何回も預言されたとおり、(ヴァチカンの)大分裂がもたらされます。そのとき、善人と悪人が区別されます。」(1984年10月7日)”、“…愛するわが子よ、あなたこそは真にペテロであり、この岩であるあなたの上に私はわが教会を再建し、刷新し、救うからである。あなたはヨハネ・パウロ2世教皇の逝去、つまり殉教のあと、真の後継者となるからである。そしてこのことは、あなたと一致しているすべての幻視者を通じて、全世界に知れわたるだろう。それだから、わが子よ、確信していなさい。天は、ヨハネ・パウロ2世の真の唯一の後継者は、あなたであると公教会と世界が知るための計画を持っている。そしてあなたは『Peter the Roman, Peter the Second』(ローマ教皇、ペテロ2世)と呼ばれるのである。あなたは歴代の教皇が選挙で選ばれたように選出されるのではないが、これは最後の教皇が世の終わりまで統治するようにと定めた天の計画なのである。わが子よ、このことを今日私があなたを通して伝えたこのメッセージにより、全世界に知らせなさい。それからヨハネ・パウロ2世の逝去後、ペテロの聖座に自分でつく者は反教皇であることに注意せねばならぬ。その名は(枢機卿の)カザローリであり、彼は悪魔を拝んでいる者なのである。…”(1987年6月19日、キリストがリトル・ペブルに与えたと称するメッセージ)

ピウス12~フランシスコ

 第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は2005年4月2日逝去され、18日から開かれたコンクラーベにて、翌19日午後6時(日本時間20日午前1時)にドイツ出身の教理省長官であったヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー枢機卿が第265代ローマ教皇として選出され、ベネディクト16世となられました。リトル・ペブルに現れたとする聖母もキリストもものの見事に預言を外しました。そして、この年の7月、2002年8月に15歳の少女への性的虐待で逮捕されて裁判にかけられていたリトル・ペブルことウィリアム・カムに、懲役5年の有罪判決が下りオーストラリアのニューサウスウェールズ州のシルバーウォーター刑務所にて服役しました。なんとも皮肉なことです。

申命記18・20-22

 しかし、教祖がこのようになってもオーストラリアの聖シャーベル修道会も、また日本にある聖シャーベル修道会から破門のようになったリトル・ペブル同宿会も、いまだにリトル・ペブルを信じている姿に宗教の持つ麻薬性のようなものを感じます。これはオウム真理教の継承団体である「アレフ」が麻原回帰を果たし、いまだに熱心に帰依しているのと同じなのでしょう。

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自称預言者

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始まりの日に立ち帰れ

Yahoo!ブログに2012/6/13(水) 午前 0:31にアップした記事

 繁栄の神学に立つ一部の米国型福音派やペンテコスタルな教会を見て行くと、仮にもプロテスタントを僭称しているのならその始まりに立ち返るべきだと思います。
 
 ルターがその95箇条の提題を、1517年10月31日にウィッテンベルクの城教会の門に貼り出して、提題に掲げられた諸問題について論じ合うことを求めたその内容を思い起こすべきです。

95箇条の提題


 提題には『27 箱の中へ投げ入れられた金がチャリンと鳴るや否や、魂が煉獄から飛び上がると言う人たちは、人間を宣べ伝えているのである。 28 金が箱の中でチャリンと鳴ると、確かに利得と貪欲とは増すことになる。しかし、教会のなすところはただ神の御心にのみかかっている。』と、ローマの聖ペトロ大聖堂建設資金を集めるためと、芸術の愛好家であり派手好きな生活を好む教皇ユリウス二世の散財による教会の財政難を解決するためになされた贖宥券の販売と、当時のドミニコ会士ヨハネ・テッツェルに見られる贖宥券の販売の呼び込み説教に関する批判がなされていますが、この言葉はそのまま繁栄の神学と什分の一献金を強調する輩に当てはまることでしょう。

ドミニコ会士ヨハネ・テッツェル


 現在、一部の福音派と多くのペンテコスタルは、宗教改革の精神性から大きく外れ、天国販売をしています。「地獄の沙汰も金次第」を地で行くようなその姿勢は問題があります。

贖宥状販売

 
 お金と救いが一つの秤にかけられて、多く献げる者に救いと祝福が、少なく献げる者には不信仰者のレッテルと神の呪いが。これでは当時の贖宥券に関するマインツの大司教アルブレヒトの発した贖宥券販売に関する寄付額についての司令で述べられている、階級別の割合表に書かれた割合よりあくどいものがあります。その割合表では、『王とその家族、司教などは25ライン金貨、修道院長、伯爵、男爵などは10、それ以下の貴族、聖職者、その他、収入500の者は6ギルダー、自分の収入を持つ市民は1ギルダー、それ以下の者は1/2、何も持たぬ者は、「天国は富める者に対すると同じく貧しい者にも開放されているべきであるから」祈りと断食とをもって寄付に代えるものとする。』(『キリスト教文書資料集』ヘンリー・ベッテンソン編より)とあります。これに比べて繁栄の神学や什分の一献金を強調する輩の何と強欲なことかと思います。
 
 今こそ立ち返り、現代のユリウス二世やテッツェルを捨て去るべきです。もともとプロテスタンティズムが否定したその道を離れるべきです。

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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