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The Emphatic Diaglott(エンファティック・ダイアグロット訳)②

前回の記事  

今回もエンファティック・ダイアグロット訳から少し。

The Emphatic Diaglott URL


 ベンジャミン・ウィルソンはキリスト・アデルフィアン派の信仰をもった人物ですので、地獄での永遠の刑罰というのは否定するわけですので、それがエンファティック・ダイアグロット訳の行間訳と訳ではどうなっているか見てみました。

 エホバの証人の聖書辞典に当たる「聖書に対する洞察」(全二巻)を見てみますと

”*** 洞‐2 516ページ ハデス ***
ハデス
(Hades)
これはハーイデースという対応するギリシャ語の言葉を音訳した一般的な語です。これは恐らく「見えない場所」という意味でしょう。「ハデス」という言葉はクリスチャン・ギリシャ語聖書の最初期の写本に合計10回出て来ます。―マタ 11:23; 16:18; ルカ 10:15; 16:23; 使徒 2:27,31; 啓 1:18; 6:8; 20:13,14。“

と、新約聖書に10回出てくると言っています。そこでエンファティック・ダイアグロット訳の当該箇所を見てみました。訳はHadesかHADES(ルカ16:23と黙示録の四か所は大文字)です。行間のみ違いがありました。

マタイ11:23 行間 invisibillity
マタイ16:18 行間 hades
ルカ 10:15 行間 invisibillity
ルカ 16:23 行間 unseen
使徒 2:27 行間 invisibillity
使徒 2:31 行間 invisibillity
黙示 1:18 行間 unseen
黙示 6:8 行間 unseen
黙示 20:13 行間 invisibile
黙示 20:14 行間 invisibile

 なんかねぇー。(目に)見えない。不可視。って文脈と合わないよね。

 マタイ11:23に欄外注があったので見てみますと

23. Hades - from a, not , and idein, to see; and literally means hidden, obscure, invisible. It is found eleven times in the New Testament. In the Common Version. it is rendered grave in 1 Cor. xv. 55, and in allother places hell; but the latter is now universally admitted to be an ineorrect translation. See Appendix - word hades.

23.ハデス-aからではなく、ideinから。 文字通り、隠された、曖昧な、見えないことを意味します。 それは新約聖書で11回発見されています。 共通バージョン。 それは1コリントで墓になります。 xv。 55、そして他のすべての場所では地獄。 しかし、後者は現在、不正確な翻訳であると広く認められています。 付録-単語ハデスを参照してください。(Google翻訳)

 付録を見ろということでそちらも

HADES, occurs 11 times in the Greek Testament, and is impoperly
translated in the common version 10 times by the word hell. It is the word used in the Septuagint as a translation of the Hebrew word sheol, denoting the abode or world of the dead. and means literally that which is in darkness, hidden, invistble, or obseure. As the word
hades did not come to the Hebrews from any classical source, or with any classical meaning, but through the Septuagint, as a translation of their own word sheol, therefore in order to properly define its meaning recourse must be had to the varioug passages where it is found. The Hebrew word sheol is translated by hades, in the Septuagint, 60 times out of 63; and though sheol in many places, (such as. Gen. XXXV. 35; xiii. 38; 1 Sam .ii.7; Kings 11. 6; Job xiv. 13; xvii. 13, 16, &e., ) may signify keber, the grave, as the common receptacle of the dead, yet it has the more general meaning of death; a state of death; the dominion of death. To translate hades by the word hell, as it is done ten times out of eleven in the New Testament, is very improper, unless it has the Saxon meaning of helan, to cover, attached to it. The primitive signiflcation of hell, only denoting what was SECRET OR CONCEALED, perfectly corresponds with the Greek term hades and its Hebrew equivalent sheol, but the theological definition to it at the present. day by no means expresses it.
(The Emphatic Diaglott p.892 ALPHABETICAL APPENDIX)

HADESは、ギリシャの遺言で11回発生し、機能不全に陥っています
地獄という言葉で一般版に10回翻訳されました。これは、セプトゥアギンタでヘブライ語のシェオルの翻訳として使用されている言葉であり、死者の住居または世界を示しています。そして、文字通り、暗闇の中にあるもの、隠されているもの、不可解なもの、または不明瞭なものを意味します。言葉として
ハーデースは、古典的な情報源から、または古典的な意味でヘブライ人に来たのではなく、セプトゥアギンタを通して、彼ら自身の単語シェオルの翻訳として、したがって、その意味を適切に定義するために、それが存在するさまざまな箇所に頼らなければなりません見つかった。ヘブライ語のシェオルは、セプトゥアギンタ訳で、63回のうち60回、ハデスによって翻訳されています。そして、多くの場所でシェオルがありますが(たとえば、Gen。XXXV。35;xiii。38; 1 Sam .ii.7; Kings 11. 6;Jobxiv。13; xvii。13、16、&e。、)死者の共通の受け皿としての墓であるケベル、それでもそれは死のより一般的な意味を持っています。死の状態;死の支配。新約聖書では11回のうち10回行われているように、地獄という言葉でハデスを翻訳することは、サクソン人のヘランの意味がない限り、非常に不適切です。地獄の原始的な意味は、秘密または隠されたものを示すだけで、ギリシャ語のハデスとそれに相当するヘブライ語のシェオルと完全に一致しますが、現在のところ、神学的な定義です。日は決してそれを表現しません。(Google翻訳)

 エホバの証人の聖書の巻末付録と書籍でよく見る説明によく似ています。


 次にゲヘナはどうなっているのかな? 訳しているのか音訳か。

 こちらは行間訳と訳ともに音訳でGehenna(大文字・小文字)でした。

 これを確認していたらエホバの証人印刷版のThe Emphatic Diaglott 1942 Editionにミスプリントがあるのを発見しました。すぐに持っている1891 Editionも開いて確認してみましたら、こちらにはミスプリントがなく、またインターネットアーカイブでダウンロードしたPDFなんかも確認しました。エホバの証人版のみのエラーであることがわかりました。一段挟んで下の行間をもってきてしまったのだなと(画像で見てください)。エンファティック・ダイアグロット訳を購入することができ(1990年にパブリックになり在庫切れまで頒布)熱心にこのインターリニアを調べたエホバの証人なら知っている人もいるかもしれませんね。しかし、ものみの塔協会もよく50年近く気が付かなかったもんかねー。それとも気づいていたけど放置した?

マタイ5:29-30 1891 Edition
(The Emphatic Diaglott 1891 Edition PDFより)

マタイ5:29-30 1942 Edition
(The Emphatic Diaglott 1942 Edition)

 
 あと、Watchtower Libraryでエンファティック・ダイアグロット訳で検索しますと、「論じる」の本が出てきます。その中の

”*** 論 104ページ 王国 ***
神の王国は現実に存在する政府ですか
それとも,人間の心の中のある状態のことですか
ルカ 17:21,前田: 「『見よ,ここに』とか,『あそこに』ともいえない。見よ,神の国はあなた方のうちに[今英,バルバロも同様; しかし欽定(欄外),フランシスコ,共同は,「あなたがたの間に」; 口語,改標,新世は,「あなたがたのただ中に」]ある」。(注目すべき点は,20節にあるように,イエスはパリサイ人に向かって話しておられたということです。イエスはまた,それらのパリサイ人を偽善者と非難したのですから,その王国がそれらパリサイ人たちの心の中にあるという意味で言われたはずはありません。しかし,キリストによって代表されるその王国は,彼らのただ中にありました。ですから,エンファティック・ダイアグロット訳では,「神の王国の威光はあなたがたの間にある」となっています。)“

とあり、エンファティック・ダイアグロット訳で “God’s royal majesty is among you.”(神の王国の威光はあなたがたの間にある)になっているそうで、これも見てみると ἡ βασιλεία(王国、Kingdom) という語の行間訳にthe majesty を当てていました。やっぱりベンジャミン・ウィルソン信仰や思想に合わせているのだなと改めて感じました。



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The Emphatic Diaglott(エンファティック・ダイアグロット訳)①

 さて久しぶりにエホバの証人系の気になったところを一つ。エホバの証人では新世界訳聖書の日本語改訂版(2013年改訂英訳からの翻訳)が2019年に出版されましたが、今は昔と違って紙媒体ばかりでなくネットなどで、ものみの塔聖書冊子協会が現在信者や研究生、一般の人に読んでもらいたい聖書、雑誌、冊子、書籍などが公開されています。これは70年代以降のものならオフラインでも使えるダウンロード版のWatchtower Libraryやオンラインで使えるWatchtower ONLINE LIBRARY で読むことができます。

 現在、「ものみの塔聖書冊子協会」が公開している聖書では、英語版は「New World Translation of the Holy Scriptures (1984 Edition)」、「New World Translation of the Holy Scriptures (2013 Revision)」、「New World Translation of the Holy Scriptures (Study Edition)」、「The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures」、「American Standard Version」、「The Bible in Living English」、「King James Version」などがあります。あと日本語訳では「新世界訳聖書(1985年版)」、「新世界訳聖書(2019年改訂版)」、「聖書 ― マタイによる福音書」、「新世界訳聖書(スタディー版)」などです。

 紙媒体聖書の方は新しいものが出ると古いものは印刷出版されないので、在庫がなくなれば手に入れられなくなります(これは他の出版物も同じ)。そして、この中で彼らが版権と著作権を買い取って長い間販売してきた(著作権が1952年に切れて以降も1990年まで配布)「The Emphatic Diaglott」が公開されていないのに気が付きます。

The Emphatic Diaglott 1891Edition URL
(The Emphatic Diaglott 1891 Editionのリプリント版)


The Emphatic Diaglott URL
(The Emphatic Diaglott 1942 Edition)

 出版権を得て販売したりしていた「American Standard Version」、「The Bible in Living English」、「King James Version」などはもう著作権などは切れていますが、このように公開していますが「The Emphatic Diaglott」はそうはしていません。

 The Emphatic Diaglott(エンファティック・ダイアグロット訳)はインターリニア(テキストの行間に翻訳を載せたもの。多くの場合行間訳の横に何らかの翻訳を対照として載せている形態のものが一般的です。エンファティック・ダイアグロット訳の場合はベンジャミン・ウィルソンの訳を載せている)版の聖書で、1864年にベンジャミン・ウィルソンによって出版されたもので、彼の死後、著作権相続者から出版権と版板をチャールズ・テイズ・ラッセルが第三者を通じて買い取ったものです。そのことについてはものみの塔誌にこうあります。


”*** 塔70 2/15 113–115ページ 6–9節 聖書の「行間逐語訳」 ***
6 その後200年を経て,一般の聖書研究生にとってさらに実用的な翻訳が世に出ました。1857年のこと,アメリカのイリノイ州ジュネーブの一新聞編集者ベンジャミン・ウィルソンが,霊感の下にしるされたギリシア語聖書の行間逐語訳の第1部を出版したのです。その最後の巻は1863年に出版され,1864年には全巻が1冊にまとめて出版されました。これが「エンファチック・ダイアグロット訳」です。「ダイアグロット」とは文字どおりには「ことばによって」という意味ですが,「行間翻訳」を意味するものとされています。1902年,この「ダイアグロット訳」の版権および金属版はニューヨークのファウラー・ウェルズ社から買い取られ,当時,チャールズ・T・ラッセルが会長を勤めていた,アメリカの,ものみの塔聖書冊子協会に寄贈されました。1927年,同協会は協会所有の印刷機でこのダイアグロット訳を印刷出版しはじめ,以来今日でも出版し続けています。
7 「ダイアグロット訳」は,ドイツのJ・J・グリースバッハ博士が1775年から1777年にかけて行なった校訂に基づくギリシア語本文を各ページの左側の広い欄に載せ,その本文の下に各々のギリシア語に対応する英語のことばをしるしています。そして各ページの右側の狭い欄にはベンジャミン・ウィルソンの行なった近代英語の翻訳が掲げられています。
8 ものみの塔協会初代会長C・T・ラッセルが,霊感の書であるギリシア語聖書がキリストの再「臨」について述べていることを知ったのはこの「エンファチック・ダイアグロット訳」からでした。「ダイアグロット訳」は問題のギリシア語「パルーシア」を欽定訳聖書の場合のように,「来る」という意味に訳さず,正確に「臨在」と訳出しています。したがってC・T・ラッセルは1879年7月に刊行した新しい聖書雑誌を,「シオンのものみの塔およびキリスト再臨の先ぶれ」と命名しました。90年後の今日,この雑誌は「エホバの御国を知らせる,ものみの塔」と呼ばれており,72か国語で発行されています。1862年つまり「エンファチック・ダイアグロット訳」が完成された前年,ロバート・ヤング博士がスコットランドのエジンバラで「ヤングの逐語訳聖書」を出版しました。この訳もギリシア語の「パルーシア」を,「来る」という意味に訳出せず,「臨在」という意味に翻訳していました。しかし「ものみの塔」誌の編集者ラッセルは当誌の名称を最初に定めた1879年当時,このことを知らなかったようです。ヤングはまた,「聖書分析索引」を出版しました。その188ページ第1欄に「パルーシア」は「そばにいること」,または「臨在」を意味するとしるされています。「ものみの塔」誌1883年4月号はこの聖書索引を聖書研究生に推薦しました。
9 「エンファチック・ダイアグロット訳」の出版後,聖書の他の行間逐語訳が世に出ました。1877年,英国,ロンドンのサムエル・バグスター・アンド・サンズ社がいわゆる「英国人のギリシア語新約聖書」を刊行しました。これは1550年ステファヌス版ギリシア語本文の下に行間逐語訳を付し,各々のページの外側の欄に1611年版「欽定訳」の訳文を載せたものです。後日,1960年にこの同じ出版社は「新約聖書 希英行間逐語訳」を刊行しました。この聖書は各ページの右側の欄に,1898年ドイツの学者エベルハルト・ネストルの編さんしたギリシア語原文を掲げ,その下にアルフレッド・マーシャルの行間逐語訳を載せ,各ページの左側の欄には欽定訳聖書の訳文を収めたものです。 ヘブル語聖書の行間逐語訳については1896年,アメリカのイリノイ州シカゴで「ヘブル語旧約聖書 行間逐語訳」が出版されました。これはジョージ・リッカー・ベリー哲学博士による行間逐語訳ですが,創世記と出エジプト記を収めた第1巻が出版されたにすぎません。“


 このエンファティック・ダイアグロット訳について検索しますと、引用のようなものみの塔協会の書籍や雑誌などの情報しかないので、そういったものから得られるネットの記事の批判もそれに基づいたものになり、例えばベンジャミン・ウィルソンが利用した「新約聖書の学問的批評の始まり」(「新約聖書本文研究」 B.M.メッガー著 日本基督教団出版局)であるJ・J・グリースバッハの本文自体の批判はギリシャ語の能力や聖書学の知識などからできないので、J・J・グリースバッハ博士(ドイツの聖書学者)個人の信仰である永遠の裁き(地獄)を否定していることを批判したりしています。はっきり言って全く筋違いの攻撃をしていたりします。そんなこと言えば現在の翻訳聖書の底本となっているネストレ=アーラントやUBS版の校訂本文などはユニテリアンの学者なども入っていますからけしからんとか、旧約聖書の底本の一つ「ビブリア・ヘブライカ・クインタ」にはモルモンの学者が入っているからけしからん、信用できんなどと言うのと一緒で(米国のKing James Only movementや福音派の原理主義者、聖霊派などにみられる)頓珍漢なものです。

 ベンジャミン・ウィルソンとものみの塔のチャールズ・テイズ・ラッセルとは直接的なつながりはありません。なのでものみの塔関連での批判は意味がありません。しかし、聖書学者でもなく、神学教育などを受けたわけでもない独学のベンジャミン・ウィルソンのこのエンファティック・ダイアグロット訳が学問的かといえば疑問でしょう。

 そして、ベンジャミン・ウィルソン自身の信仰的立場、所属団体を知れば、実にチャールズ・テイズ・ラッセルやものみの塔協会が利用するのに都合の良いインターリニア聖書であったことがわかります。

 まず、ものみの塔協会のこのインターリニア聖書の利用個所で、特にものみの塔独自の教義の裏付けのように使われているものとしては、

●18か所でJehovah(エホバ)を使っている。
●ギリシャ語パルーシア(παρουσία)をキリストの再臨の個所において再臨(Coming)ではなく臨在(presence)と訳している。
●イエスが神ではなく被造物であるとしている。
●地獄の否定

といった四点でしょう。


”*** 論 89ページ 9節 エホバ ***
エンファティック・ダイアグロット,ベンジャミン・ウィルソン訳: クリスチャン・ギリシャ語聖書のこの翻訳の中では,エホバという名がマタイ 21章9節と他の17箇所に出ています。“


”*** 聖8‐参 1768ページ 5ロ キリストの臨在(パルーシア) ***
5ロ キリストの臨在(パルーシア)
マタイ 24:3 ― ギ語,τὸ σημεῖον τῆς σῆς παρουσίας(ト セーメイオン テース セース パルーシアス)
1864年
『汝の臨在のしるし』
エンファティック・ダイアグロット訳(エ21),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。“

”*** 塔83 11/1 23–24ページ 8節 「神のイスラエル」と異邦人の時の終わり ***
8 メシアなるイエスが目に見えないご自分の「臨在」の証拠として描写された「しるし」は,1914年における異邦人の時の終わりに目に見えるようになりました。イエスが殉教する少し前に使徒たちはイエスにこう尋ねました。「これらのことがいつ生ずるか,― あなたの臨在と時代の終結のしるしが何であるか,わたしたちに告げてください」。(マタイ 24:3,J・ロザハムによるエンファサイズド・バイブル。ベンジャミン・ウィルソンによるエンファティック・ダイアグロット訳。“


”*** 塔99 5/1 4ページ すべての人が自由を得る ***
すべての人が自由を得る
「今の時期のいろいろな苦しみは,わたしたちのうちに表わし示されようとしている栄光に比べれば,取るに足りないものとわたしは考えます。創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです」― ローマ 8:18‐22。
*** 塔99 5/1 5ページ すべての人が自由を得る ***
「虚無に服させられました」
ここで出てくる「創造物」という言葉について,ベンジャミン・ウィルソンは「エンファティック・ダイアグロット訳」の中で,これは一部の人たちが示唆しているように「獣類や無生の被造物」を意味するのではなく,「全人類」を指していると述べています。(コロサイ 1:23と比較してください。)この言葉は,人間家族全体,つまり自由を待ち望むわたしたちすべてに言及しているのです。わたしたちは,最初の二親の取った行動ゆえに「虚無に服させられました」。そうなったのは,「[わたしたち]自らの意志によるのではなく」,また個人的に決定した事柄の結果でもありません。わたしたちはその状態を受け継いだのです。聖書的な観点から見ると,「人は生まれながらに自由」であると述べたルソーは間違っていました。わたしたち一人一人は罪と不完全さの束縛のうちに生まれ,欲求不満と虚無に満たされた体制のいわば奴隷となっているのです。―ローマ 3:23。“

上に引用した記事に関連した箇所
” †19.20.21.22. has the same signiflcation here as in Mark xvi. 15: ''Proclaim the GLAD TIDINGS to the Whole ,'' that Is, all mankind ; and also CoL. 1. 23, where a similar phrase occurs. That the brute and inanimate creation is not here spoken of, but mankind , is evident from the hope of emancipaton from the ''SLAVERY of CORRUPTION'' held out in the 21st verse, and the contrast introduced in the 23rd verse, between the ktisis and those ''possessing the FIRST-FRUIT of the SPIRIT.'' ( †19.20.21.22。 ここでは、Markxviと同じ意味があります。 15:「全体にGLAD TIDINGSを宣言する」、つまり、すべての人類; そしてまたCoL。 1. 23、同様のフレーズが発生します。 野蛮で無生物の創造物はここでは話されていませんが、人類は、21節で行われた「腐敗の奴隷」からの有生性の希望と23節で導入されたktisis間のコントラストから明らかです そしてそれらは「精神の最初の果物を所有している」。)“
(「The Emphatic Diaglott」 ローマ8:19の欄外注 p.531、Google翻訳)

”*** 塔88 6/1 13–14ページ 17節 イエス・キリスト ― 神の愛するみ子 ***
17 イエスは決して神ご自身ではあり得ませんでした。神によって創造されたからです。ベンジャミン・ウィルソンのエンファティック・ダイアグロット訳が黙示録(啓示)3章14節をどのように訳出しているかに注目してください。「アーメンなる者,忠実かつ真実なる証人[イエス],神の創造の始めである者がこれらのことを言う」。同様に,コロサイ 1章15節と16節はイエスについてこう述べています。「彼は見えない神の像であって,全創造物の初子です。なぜなら,他のすべてのものは,天においても地においても……彼によって創造されたからです。他のすべてのものは彼を通して,また彼のために創造されているのです」。したがって,全能の神は天においてみ子を直接に創造してから,ちょうど熟練した職人が自分の代わりに,訓練を受けた徒弟に仕事を行なわせるように,「彼によって」,あるいは「彼を通して」他のものを創造されました。それら「彼によって」創造されたものにイエス自身は含まれていませんでした。神はすでに彼を創造しておられたからです。それで彼は「初子」,「独り子」と呼ばれています。子供が初子,独り子であれば,子供が父と同じであることは絶対にありません。どんな場合でも,父と子供という,二つの異なった人格的存在が関係しているのです。“


”*** 千 15章 291–292ページ 18節 やぎのような人たちが王国を受け継げない理由 ***
18 この問題に関するそうした論理的で,聖書にかなった理解と合致するものとして,ベンジャミン・ウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳(1864年版)は,マタイ 25章46節を次のように訳出しています。「かくて,これらの者は永久<アイオニアン>の切断をこうむり,義人は永久<アイオニアン>の命に至らん」。新世界訳聖書(1971年版,英文)は同様にこう訳しています。「そして,これらの者は去って永遠の切断にはいり,義なる者たちは永遠の命にはいります」。この「切断」ということばについて,その新世界訳は脚注でこう述べています。「文字どおりには,切り取ること,したがって,切り詰める,抑制すること。ヨハネ第一 4:18を見よ」。この翻訳は何と適切でしょう。というのは,不義の「やぎ」は永遠の死をこうむることにより,いかなる領域における命からも永遠に切り断たれるからです。ですから,彼らの場合,意識を保ったまま永遠に責めさいなまれるということは不可能です。彼らは滅ぼしつくされます。それは悪魔とその使いたちである悪霊がついにはそうされるのと同く同様です。「大患難」の後,悪魔とその使いたちは「底知れぬ深み」に投げ込まれます。しかし,キリストの千年統治が終わった後,回復された人類を実際に試みるため,しばらくの間解き放たれ,その後永遠に滅ぼされます。“


”*** 聖8‐参 ルカ 10:15 ***
「ハデス」,シナ写,アレ写,バチ写,エ21; エ7‐18,22,「シェオル」。“


”*** 聖8‐参 1771ページ 6イ イエス ― 神のような者; 神聖を備えた者 ***
ギ語,καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος(カイ テオス エーン ホ ロゴス)
1808年
「言葉は神(a god)であった」
「新約聖書」(ニューカム大主教の新しい翻訳に基づく改訂訳: 修正本文付き),ロンドン。
1864年
「神(a god)は言葉であった」
エンファティック・ダイアグロット訳(エ21,行間の読み),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。“

The Emphatic Diaglott St.Jon 1:1
(The Emphatic Diaglott ヨハネ福音書1:1-3)

 ベンジャミン・ウィルソンはキリスト・アデルフィアン派のChurch of the Blessed Hope(the Church of God of the Abrahamic Faith)という教会の創設者の一人です。キリスト・アデルフィアン派は

” キリスト・アデルフィアンは ~派 〔英〕Christ-adelphians 1848年アメリカに生まれた教派。創立者ジョン・トマス(Jon Tomas, 1805-71)の名にちなんでトマス派とも呼ばれる。キリスト・アデルフィアンズとは<キリストの兄弟たち>の意。トマスは<クリスチャン>という呼称をさけて、この語を用いた。彼らは、原始教会の信仰と生活に帰るべきことを主張し、キリストの再臨の切迫を信ずることが福音の根本であるとした。バプテスマの浸礼のみを有効とし、悪しき者は絶滅すると信じた。教職制をもたず、信徒の数は公表しない。“
(「キリスト教大辞典 改訂新版」 教文館 昭和52年改訂新版第4版 p.307)

 辞典の情報だと彼らが何を信じているのかがわからないのでWikipediaを見ますと

”教義
以下はバーミンガム修正信仰声明(the Birmingham Amended Statement of Faith)によっている。

・聖書は全的に神の霊感によっており、誤りを含まない。
・三位一体の教義を拒絶する。
・子は紀元前5年に文字通り生まれた(子はそれ以前には存在せず、それゆえ過去から永遠である父と同じく永遠なのではない)
・子は人の汚れた本性を共有する被造物であり、バプテスマにおいて聖霊によって清められた。
・イエスは試みを受けたが、罪を犯さず、それゆえ罪を負う人類に救済をもたらす供犠となった。
・聖霊は父と区別される位格ではない。「聖霊」は文脈によって、神の創造と救済の働きを指す場合と、神の性格/精神を指す場合がある。キリスト者として生きることに必要とされる「聖霊」は前者ではなく後者であり、それは聖書を学ぶことによって我々のうちに涵養される。
・霊魂消滅説。地獄における永遠の苦しみは存在しない。信仰によって永遠のいのちに入らない魂は滅ぼされ、消滅するのみである(第二の死)。
・キリストは千年紀の始まりにあたって地上に来臨する。
・千年紀の初めにおける死者の復活。ただし、復活した死者は不死ではなく、千年紀の終わりに悪しきものは永遠にほろび、善きものは永遠のいのちに入る。
悪・魔は超自然的存在ではなく人類の有する罪への傾きのことである。“

Church of the Blessed Hope(the Church of God of the Abrahamic Faith)の信仰
https://cotbh.org/what-do-we-believe-teach/

 この団体はキャンベル派の覚醒運動やウィリアム・ミラーの再臨運動の流れ(「セブンスデー・アドベンチスト教会」も「ものみの塔」もこの再臨運動の流れ)からできた団体ですから、実にものみの塔と近しい教義を持ったということです。そういう信仰の人物が出したThe Emphatic Diaglottというインターリニア聖書はものみの塔の教義を援護に利用できたということです。またこのキリスト・アデルフィアン派は ”教派は1845年頃にアメリカで誕生し“ た団体ですから1870年のラッセルのグループ(後のものみの塔)に先駆けてできた団体でもあります。

 チャールズ・テイズ・ラッセルとベンジャミン・ウィルソンの信仰の系譜は実によく似ていると感じます。

王国行間逐語訳とエンファティック・ダイアグロット訳 URL


 The Emphatic DiaglottでJehovaの語がつかわれている箇所は、
マタイ21:9、21:42、22:37、22:44、23:39。
マルコ11:9、12:11、12:29(2か所)、12:30、12:36。
ルカ10:27、13:35、19:38、20:37、20:42。
ヨハネ12:13。
使徒2:34。

 パルーシアは24か所ありますが、行間と訳の両方で「coming」としているのはテサロニケ第一3:13と4:15。訳の方だけ「Appearing」としているのはコリント第一15:23、テサロニケ第一2:19、ペトロ第二1:16。そして「COMING」としているのがテサロニケ第二2:1、2:9、ヤコブ5:7、5:8です。他は行間も訳も「presence」でした。

 このパルーシアを王国行間逐語訳(Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures )で見てみると、行間も訳(新世界訳)も両方「臨在、いる(presence)」になっています。日本語訳は「臨在」と「いる・いた・いさせて」と「置かれている」となっていますが英訳はすべて「presence」でした。

The Pocket Interlinear New Testament by Jay Patrick Green,Sr. 記名

Greens Literal Translation Athanasius


 米ファンダメンタル系のグリーンのインターリニア「Pocket Interlinear New Testament」(Jay Patrick Green Sr. 1991年 BAKER)、 「The Interlinear Bible Hebrew-Greek-English With Strong's Concordance Numbers Above Each Word」(Jay Patrick Green Sr. 2011年 HENDRICKSON)などを見てみますと、エホバの証人の王国行間逐語訳などと違い行間ではパルーシアに「presence」としていても訳においては、コリント第二7:6、10:10、フィリピ1:26、2:12の四か所のみが「presence」で他は「coming」です。「The Emphatic Diaglott」もグリーンのインターリニアも訳すか所の文脈によってある程度柔軟にしていますが、王国行間逐語訳みたいに一つの訳語で統一するのは乱暴なことに見えます。

 「The Emphatic Diaglott」は、現在はもう印刷配布はされていないもののWatchtower Libraryなどの聖書では、「参照資料付き聖書 新世界訳」が使われているので、資料「エ21」として名前が出てきています。

***

マルコ12:36 The Emphatic Diaglott 欄外注 p.175 Google翻訳
† 36. In the original (Psa. cx. 1) it is Jehovah. But the Evangelist has adopted the version of the LXX. who I suppose, could not venture to translate that word which every Jew regarded with the profoundest reverence. and could pronounce it without danger of forfeiting his claim to a future state. - Wakefield.
†36。原文(詩篇cx。1)ではエホバです。 しかし、伝道者はLXXのバージョンを採用しました。 私が思うに、すべてのユダヤ人が最も深い敬意を持って見なしたその言葉を翻訳することはできませんでした。 そして将来の状態への彼の主張を失う危険なしにそれを発音することができました。 -ウェイクフィールド。

続き ②

新世界訳聖書聖書出版年と「ごきぶり」「毛虫」の訳語の変化


 久しぶりに本棚にただ並んでいるだけの「新世界訳聖書」を手に取ってみました。ふと、新世界訳の出版歴というかそういうものがどうなっているのか気になりちょっと検索してみたところ、あまり日本人は気にしないのかこれと言ったものはなく(元信者やキリスト教サイドからの翻訳への批判や誤訳の指摘などや信者やシンパからの称賛や批判への批判といったものはよくあるが)、英語圏のサイトの記事などを見て、こんなものではないかと簡単にまとめてみました。

・英語版

1950年 New World Translation of the Christian Greek Scriptures が出版。

1951年 New World Translation of the Christian Greek Scriptures(revised ed. 1951) の改訂版が出版。
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1953年から1960年までにヘブライ語聖書が分冊で出版。

1953年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume I 創世記~ルツ記
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1955年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume II サムエル記第一~エステル記
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1957年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume III ヨブ記~ソロモンの歌(雅歌)
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1958年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume IV イザヤ書~哀歌
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1960年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume V エゼキエル書~マラキ書
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1961年 コンプリート版(旧新約合本)改訂版である New World Translation of the Holy Scriptures Rendered from the Original Languages by the New World Bible Translation Committee - Revised A. D. 1961 - が出版される。

1963年 スチューデント版 New World Translation of the Holy Scriptures (1953年から1960年までのヘブライ語聖書の分冊と1951年クリスチャン・ギリシャ語聖書改訂版の合本)が出版される。

1969年王国行間逐語訳 The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures 出版。

1970年 コンプリート版第二改訂版 New World Translation of the Holy Scriptures が出版。

1971年 コンプリート版第三改訂版 New World Translation of the Holy Scriptures Rendered from the Original Languages by the New World Bible Translation Committee - Revised 1971 C.E. - が出版。

1981年 コンプリート版第三改訂版の新版(New Edition) New World Translation of the Holy Scriptures Rendered from the Original Languages by the New World Bible Translation Committee 出版。

1984年 コンプリート版1984年改訂版 New World Translation of the Holy Scriptures Rendered from the Original Languages by the New World Bible Translation Committee Revised 1984 出版。

1985年王国行間逐語訳改訂版 The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures (-1985 Edition-) 出版

2013年 コンプリート版2013年改訂版 New World Translation of the Holy Scriptures Rendered from the Original Languages by the New World Bible Translation Committee Revised 2013 出版。

2015年 コンプリート版スタディー版 New World Translation of the Holy Scriptures (Study Edition) (2015, revised annually) 公開。

・日本語版

1973年 クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳 (1971年英訳版から翻訳)

1982年 聖書 新世界訳 (1971年英訳版から翻訳)

1985年 聖書 新世界訳 (1984年英訳版から翻訳)
 参照資料付き、普通版、デラックス版(革装、黒と赤の二色)の三つの版が出版される(細かい順番は記憶から抜け落ちてます)。後にソフトカバー版、ソフトカバーポケット版、大文字版(分冊)、デラックスポケット版などのバリエーションも出版される。

2013年 聖書 マタイによる福音書(新世界訳)が出版(2013年英訳版から翻訳)。

2014年 2013年改訂英訳版の冒頭付録と巻末付録が日本語訳され小冊子として出版。
 冒頭付録部分が「神の言葉の紹介」、巻末付録部分が「神の言葉の研究ガイド」のタイトルの二冊の小冊子。

2019年 聖書 新世界訳 (2013年英訳版から翻訳)が出版。

2020年 新世界訳スタディー版 (2013年英訳版から翻訳) 公開

聖書 新世界訳 1982年版 1985年版 URL

新世界訳改訂版 英2013、日2019 URL


 ネットの公開年はちょっと気にしてなかったのでいつごろから公開というのは不正確です。

 はじめてエホバの証人と接触した時は、まだ1982年版が出版されてからそれほど経っていない時でした。研究生の時にはよく担当の兄弟から「昔はクリスチャン・ギリシャ語聖書と文語訳聖書の舊訳を印刷屋で製本していた人がいた」なんて話を聞いたものです。85年に「参照資料付き聖書」と「デラックス版」を買った(エホバの証人お得意の寄付という名の販売)のを覚えています。

 デラックス版は革皮装で、今の2019年改訂版の表装より厚手で表面もボコボコしていたと記憶しています。今の2019年改訂版はそれとは違いツルンとしてしてます。同じころに「王国行間逐語訳」と「ダイアグロット」をものみの塔協会に直接注文しました。今と違い直接購入できたのはよかったですね。今はめんどくさいことにエホバの証人を介さないとダメみたいで、訪問してきたエホバの証人に注文して取り寄せてもらうので会衆に在庫のない文書は時間がかかります。

参照資料付き聖書 新世界訳の初版についていた広告 URL


 また、参照資料付き聖書の初版の巻末付録の後についていた出版物の広告を見ますと、新世界訳聖書・普通版1200円、参照資料付き聖書4000円、ギリシャ語聖書王国行間逐語訳1400円、エンファティック・ダイアグロット訳1400円の寄付額で買うことが出来ました。当時の日本聖書協会(口語訳聖書や新共同訳聖書)やいのちのことば社(新改訳聖書第二版)の価格と比べて、かなり安いことがわかります。いま改めてみて「安いな!」と思ってしまいます。

 個人的な感想としては、訳としてはエホバの証人の教義に合わせたもので、エホバの証人でもなければ必要のない日本語訳聖書という感じです。特に今の「聖書 新世界訳 (2013年英訳版から翻訳。2019年日本語版出版)」は原文の形が失われて、教義に合わせていいようにされた産物です。

Joel 1:4 Interlinear
 ↑Bible Hubのサイトのインターリニア

 本としての新世界訳聖書を検索していたときに、新世界訳聖書に「ごきぶり」が出てくるという結構前のYahoo!知恵袋の投稿やブログ記事なんかを発見し、そんな変な訳あったんだと思いちょっと見てみました。

 すると「ごきぶり」の訳語は、列王第一 8:37、歴代第二 6:28、詩編 78:46、イザヤ 33:4、ヨエル 1:4、ヨエル 2:25の六か所に出てきて、内ヨエル書の二か所には「毛虫」まで出てきていました。


まず新世界訳聖書の1985年日本語版から

(列王第一 8:37) 37 「もし,この地に飢きんが起きたり,疫病が起きたり,立ち枯れや白渋病,いなごやごきぶりが生じたりする場合,敵が彼らの門の地で彼らを攻め囲む場合でも―どんな災厄,どんな疾病であれ―

(歴代第二 6:28) 28 「もし,この地に飢きんが起きたり,疫病が起きたり,立ち枯れや白渋病,いなごやごきぶりが生じたりする場合,敵が彼らの門の地で彼らを攻め囲む場合でも―どんな災厄,どんな疾病であれ―

(詩編 78:46) 46 そして,彼らの収穫をごきぶりに, 彼らの労苦をいなごに与えはじめた。

(イザヤ 33:4) 4 そしてあなた方の分捕り物は,密集するときのごきぶり[のように],人に向かって来襲するいなごの大群の来襲のように実際に集められるであろう。

(ヨエル 1:4) 4 毛虫が食い残したものは,いなごがこれを食べた。いなごが残したものは,はい回る翼のないいなごがこれを食べた。そして,はい回る翼のないいなごが残したものは,ごきぶりがこれを食べた。

(ヨエル 2:25) 25 こうしてわたしは,いなご,はい回る翼のないいなご,またごきぶりと毛虫,すなわちわたしがあなた方の中に送ったわたしの大いなる軍勢が食い荒らした年月に対して償いをする。


 続いて2019年日本語版

列王第一 8:37
37 この国に飢饉や疫病,立ち枯れや病害,バッタの大群が発生したり,この国のいずれかの町が敵に包囲されたり,ほかの何らかの災厄や病気が生じたりした場合,

歴代第二 6:28
28 この国に飢饉や疫病,立ち枯れや病害,バッタの大群が発生したり,この国のいずれかの町が敵に包囲されたり,ほかの何らかの災厄や病気が生じたりした場合,

詩編 78:46
46 作物を食欲旺盛なバッタに,労苦の実をバッタの大群に与えた。

イザヤ 33:4
4 食欲旺盛なバッタが集まる時のように,あなた方の戦利品は集められる。人々はバッタの大群のようにそれに群がる。

ヨエル 1:4
4 食らい付くバッタが残したものは,群がるバッタが食べた。群がるバッタが残したものは,羽のないバッタが食べた。羽のないバッタが残したものは,食い荒らすバッタが食べた。

ヨエル 2:25
25 群がるバッタ,羽のないバッタ,食い荒らすバッタ,食らい付くバッタ,あなたたちの所に私が送り込んだ大軍が食い尽くした年月を,私は埋め合わせる

Hebrew Scriptures (Old Testament) Volume 5 - Ezekiel-Malachi - 1960 JOEL1:4 アンダーライン
 ↑1960年 New World Translation of the Hebrew Scriptures, Volume Vのヨエル書1:4

 手元にある英語版(1971年改訂版、1984年改訂版、2013年改訂版)なんかも見比べてみますと、日本語訳で「ごきぶり」と訳されている個所は、1971年改訂版と1984年改訂版は「(the) cockroach(s)」、2013年改訂版は「the voracious locust」、そして、「毛虫」と訳されている個所は、古い改訂版はみな「the caterpillar」で、2013年改訂版では「the devouring locust 」に替わっていました。

新世界訳英語版 2013年改訂版 1984年改訂版 1971年改定版 URL


 この訳語について、彼らの聖書辞典とも呼べる「聖書に対する洞察」という二巻本の大型書籍(1994年発行)の中で、

*** 洞‐1 919ページ ごきぶり ***
ごきぶり
(Cockroach)[ヘ語,ハースィール]
「むさぼり食う」という意味の語根から派生したと考えられているこのヘブライ語のハースィールがどの昆虫を指すのか,確かなことは分かっていません。(申 28:38と比較。)この語は,「毛虫」,「こおろぎ」,「はぎ取る者」,「毛を刈る者」,「いなご」,「ばった」,「ごきぶり」など,様々な言葉に訳されてきました。(ア標,聖ア,エルサレム,リーサー,および新世のイザ 33:4およびヨエ 1:4と比較。)ケーラーおよびバウムガルトナー共編のヘブライ語・アラム語辞典(319ページ)によれば,ヘブライ語のハースィールの指す有害な昆虫は,いなご(アルベ)とは違っており,ごきぶり(Periplaneta furcata および Blatta orientalis)であろうと思われます。
・・・

*** 洞‐1 860ページ 毛虫 ***
毛虫
(けむし)(Caterpillar)[ヘ語,ガーザーム]
蝶や蛾の幼虫。ヘブライ語のガーザームは「切る」という意味の語根から派生したと考えられています。毛虫の集団はいなごのように,植物の葉を少しずつ,あるいは1枚ずつ文字通り切り取るように,もしくは刈り取るようにして,最後にはその植物から青葉をほとんど全部なくしてしまいます。(ヨエ 1:4; 2:25; アモ 4:9)伝統的な見方によれば,このヘブライ語ガーザームは「いなご」という意味ですが,セプトゥアギンタ訳の翻訳者は毛虫という意味のギリシャ語カムペーを用いています。さらにケーラーとバウムガルトナーも,ガーザームを毛虫と訳すことに賛成しています。(「旧約聖書辞典」,ライデン,1958年,178ページ)アイザック・リーサーの訳や新世界訳では,ヨエル 1章4節や2章25節でそのように訳されています。ジェームズ王欽定訳では「キバガの幼虫」,またアメリカ訳では「刈るもの」と訳されています。
毛虫はほとんど草だけを食べます。食欲は旺盛で,1日に体重の2倍の青葉を食べる毛虫もいます。そのため,大集団になると草木に相当な被害を出します。

 などと訳知り顔で説明されていたことは誤りで、実は「ごきぶり」と「毛虫」ではなく the voracious locust (「食い荒らすバッタ」)と the devouring locust (「食らい付くバッタ」)が正しかったんですという事になるのでしょう。

 新世界訳聖書以外で「ごきぶり」や「毛虫」とは訳出しているものはありません。とりあえずこの二語が出てくるヨエル書1:4から主な日本語訳と欄外注のあるものはそれも併せて引用したいと思います。

ヨエル 1:4

明治元訳(文語訳)
1:4噬(か)みくらふ蝗虫(おほねむし)の遺(のこ)せる者は群(むれ)ゐる蝗虫(おほねむし)のくらふ所となりその遺せる者はなめつくすおほねむしのくらふ所となりその遺せる者は喫(く)ひほろぼす蝗虫(おほねむし)の食ふ所となれり

口語訳
1:4かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごがこれを食い、群がるいなごの残したものは、とびいなごがこれを食い、とびいなごの残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った。

新共同訳
かみ食らういなごの残したものを/移住するいなごが食らい/移住するいなごの残したものを/若いいなごが食らい/若いいなごの残したものを/食い荒らすいなごが食らった。

聖書協会共同訳聖書
かみ食らうばったの残したものを/群がるばったが食らい/群がるばったの残したものを/若いばったが食らい/若いばったの残したものを/食い荒らすばったが食らった。

新改訳(第一版から第三版)
1:4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。

新改訳2017
噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。

フランシスコ会聖書研究所訳2011年合本版
噛み食う蝗が残した物を移住蝗が食い、移住蝗が残した物を跳び蝗が食い、跳び蝗が残した物を残した物を食い荒らす蝗が食った⑵。
⑵ ここに登場する四種の蝗の名称が指示する厳密な意味とその翻訳については、七十人訳以来、今日に至るまで一貫したものがないが、一般的に次のように言えよう。「アルベ(移住蝗)」はパレスチナ地方で見られる最も一般的な蝗の種類の名称で、生物学的には完全に発育した状態の蝗を指す。「無数」というその語源からも推測できるように、大群をなして移住する。ほかの三種は、それぞれ異なる種類の蝗を指すというより、同じ「蝗」で、その発育段階に対応した呼び名のようである。それは特に「跳び蝗」「食い荒らす蝗」と訳出した「イェレク」と「ハシール」で、「ガザム(噛み食う蝗)」(アモ4・9参照)は発育上では「食い荒らす蝗」の次の段階に属すると考えられ、その語源に「嚙み切る」の意があることに基づいている。しかし、この「ガザム」を元来パレスチナで生育した蝗の一般的呼び名とする説もある。

岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳
噛み喰らう蝗が残したものを渡り蝗が食べ、渡り蝗が残したものを跳び蝗が食べ、跳び蝗が残したものを食い荒らす蝗が食べた3。
3 ヘブライ語で記された蝗そのものの種類や名称は八つほどあり、その他にも蝗を暗示するものが二つほどあるが、それぞれの違いや成長段階に応じた名称などの識別はよくわかっていない。

関根正雄訳(岩波文庫)
大いなごの食い残しを群れいなごが食べ、群れいなごの食い残しを幼いいなごが食べ、幼いいなごの食い残しを若いいなごが食べた。
注釈 四節 ここに出てくるいなごの種類は何らかのいなごの発達段階を表しているらしい。便宜上それを訳に表した。叙述は先ず群生でないいなごの親が食べた残りを群生のいなご(これは発達段階に関係ない語)が食べ、その生んだ子が二、三ヵ月後に、或は翌年春に、二段階にわたって食い尽くしたので、もう何も残らない、ということらしい。

 フランシスコ会聖書研究所訳の注釈なんかは分かり易いです。また、関根正雄訳のヨエル書は1967年(昭和42年)発行ですから今から53年も前からキリスト教では分かっていたことが、今の2013年(日本語版は2019年)改訂版の訳文を見る限り、まだいなご(バッタ)の成長過程の語という理解までは至っておらず、それぞれが別のものを表わす言葉として訳しているのでしょう。

 そして、もう一つ気になったのが『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』という書籍のヨエル書の記述で、

*** 感 146–147ページ 聖書の29番目の書―ヨエル書 ***
ヨエル書の内容
6 いなごの侵入がその地を裸にする。エホバの日は近い(1:1‐2:11)。何と恐ろしい災いの幻をヨエルは見たのでしょう。毛虫と,いなごと,はい回る翼のないいなごと,ごきぶりの群れの破壊的な襲来です。ぶどうの木といちじくの木はまる裸にされ,餓死がその地に忍び寄ります。エホバの家のための穀物の捧げ物や飲み物の捧げ物もありません。ヨエルは祭司や神の奉仕者たちに悔い改めを勧める警告をします。彼はこう叫びます。「ああ,その日よ! エホバの日は近く,全能者による奪略のようにしてそれは来る」。(1:15)動物たちは混乱してさまよい歩きます。炎が牧草地と樹木を焼き,荒野は火によって焼かれました。

 この中の "毛虫と,いなごと,はい回る翼のないいなごと,ごきぶりの群れの破壊的な襲来です。" そりゃあ怖いよな(笑) けど、スピード違い過ぎるだろ(笑)

 などというくだらないことを思ったり、思い返したりしました。


***追記20200727 19:56***

「聖書に対する洞察」の本が出版されるまでエホバの証人版聖書辞典として使われていた「聖書理解の助け」(英文。日本語訳はなし)より

AID TO BIBLE UNDERSTANDING (「聖書理解の助け」 p.363)

COCKROACH ihha-sil', considered to be derived
from a root meaning "to finish off," "to consume,"
"to cut off," "to devour"]. There is uncertainty as
to the particular insect referred to by the Hebrew
word hha-sil'. It has been variously rendered "caterpillar,"
"cricket," "stripper," "shearer," "locust,"
"grasshopper" and "cockroach." (Compare Isaiah 33:4
and Joel 1 :4 in AS, AT, JB, he and NW.) According to
a recent Hebrew and Aramaic lexicon by Koehler
and Baumgartner, the noxious Insect designated by
the Hebrew word hha-sil' is different from the locust
('ar-beh'), probably the cockroach.
The cockroach has long, strong legs, enabling it
to run with amazing speed. It is, In fact, one of
the fastest of Insect runners. This insect has a flat
face and a short head, equipped with long threadlike
antennae or feelers, and gives the appearance of
looking slightly downward. Its compact-shaped body
enables the cockroach to slip into narrow openings.
Most of the species are somberly colored In black
or brown and have a flattened, slippery body covered
with a shiny casing. Disliking bright light, cockroaches
usually come out only at night to feed.
Considering that the cockroach devours almost anything,
including vegetation, garbage, clothing and
furniture, it may well be the insect corresponding
to the Hebrew hha-sil'.
The prophet Joel foretold a devastating onslaught
by a horde of insects that would desolate the land,
mentioning the hha-sil' last, as the insect that
consumes whatever has been left behind by the
others. (Joel 1:4) Later, the prophet tells of the time
when there will be blessings and forgiveness. The
invader will be turned back and compensation made
for what the hha-sil' and the other members of
God's "great military force" have eaten. (Joel 2:25)
With respect to such a divinely sent plague of insects,
including the hha-sil', Solomon prayed that Jehovah
might forgive his people if they repented of their
sins. (1 Ki. 8:37-40; 2 Chron. 6:28-31) The hha-sil'
also figured In the devastation Jehovah brought upon
Egypt during the plague of locusts.—Ps. 78:46.
In chapter thirty-three of Isaiah, the prophet takes
note of the terrifying days of the Assyrian aggression.
King Sennacherib's army had been ravaging cities,
and Isaiah asks for God's favor, recalling that Jehovah
had risen up against nations before, and
assures the people that the Almighty will smite the
enemy, forcing him to leave behind great spoil.
The plunder of the Assyrian army would be collected
by the Israelites, just as the hha-sil' spread over a
land, moving to and fro without molestation, gathering
in whatever is in their way, consuming everything
—thus God's people would gather In the spoils of the
Assyrian army. (Isa. 33:1-4) This would be a very
striking figure of speech in a land that knew such
devastation by hordes of hha-sil'.

Google翻訳
COCOROACH ihha-sil '、派生と見なされます
「終わらせる」、「消費する」を意味する語根から
「断ち切る」「むさぼり食う」]。不確実性があります
ヘブライ語で言及されている特定の昆虫に
「ハシル」という言葉。さまざまにレンダリングされた「キャタピラー」、
「クリケット」、「ストリッパー」、「シアラー」、「イナゴ」
「バッタ」と「ゴキブリ」。 (イザヤ書33:4と比較
そして、ジョエル1:4、AS、AT、JB、彼とNW。)によると
ケーラーによる最近のヘブライ語とアラム語の辞書
と指定された有害な昆虫バウムガートナー
ヘブライ語のhha-sil 'はイナゴとは異なります
( 'ar-beh')、おそらくゴキブリ。
ゴキブリは長くて強い足があり、それを可能にします
驚くべき速度で実行する。それは、実際には、
最速の昆虫ランナー。この昆虫はフラットを持っています
顔と短い頭、長い糸のような装備
アンテナまたは触覚、およびの外観を与える
少し下向き。コンパクトなボディ
ゴキブリを狭い開口部に滑り込ませることができます。
ほとんどの種は黒くくすんだ色をしています
または茶色で、平らで滑りやすい体を覆っています
光沢のあるケーシング。明るい光を嫌うゴキブリ
通常、餌を与えるために夜間にのみ出てきます。
ゴキブリが食い尽くすことを考えると、
植生、ゴミ、衣類、
家具、それは対応する昆虫かもしれません
ヘブライ語hha-sil 'に。
預言者ジョエルは壊滅的な猛攻撃を予告した
土地を荒廃させる昆虫の大群によって、
最後のハシルに言及し、その昆虫として
によって残されたものを消費します
その他。 (ヨエル1:4)後に、預言者はその時を告げます
祝福と赦しがあるとき。の
侵略者は引き返され、補償が行われます
何のために」と他のメンバー
神の「偉大な軍事力」が食べられました。 (ヨエル2:25)
神のように送られた昆虫の疫病に関して、
ソロシルを含めて、ソロモンはエホバが
彼らが悔い改めれば彼の人々を許すかもしれません
罪。 (王一8:37-40;歴代6:28-31)ハシル
エホバがもたらした荒廃にも思いを巡らせた
イナゴのペスト中のエジプト。—PS。 78:46。
イザヤ書第33章で、預言者は
アッシリアの侵略の恐ろしい日々のメモ。
セナケリブ王の軍隊は都市を破壊していました、
イザヤは神の恵みを求め、エホバが
以前に国家に対して立ち上がった、そして
全能者が打たれることを人々に保証します
敵は、彼に大物を残さざるを得なかった。
アッシリア軍の略奪品が回収されます
イスラエル人によって、ちょうどハシルが広がったように
土地、痴漢なしであちこちに移動し、集まる
彼らの邪魔になるものは何でも、すべてを消費する
—したがって、神の民は略奪品に集まる
アッシリア軍。 (イザ33:1-4)これは
そのようなことを知っていた土地での驚くべき演説
ハシルの大群による荒廃。

新世界訳聖書2019年改訂版 ヨハネ1章1節


新世界訳改訂版 英2013、日2019 URL


 エホバの証人の新世界訳聖書の1985年改訂版(参照資料付きの欄外の注)ヨハネ福音書1章1節を見たいと思います。

1985年改訂版
1 初めに言葉*がおり,言葉は神と共におり+,言葉は神'であった。

欄外注(本文に付した*+'などの記号は新世界訳聖書の方では皆*なので、この記事に引用する際に別な記号にしました)
*または,「ロゴス」。ギ語,ホ ロゴス; ラ語,ウェルブム; エ17,18,22(ヘ語),ハッダーヴァール。
+字義,「神のほうに向いており」。ギ語,エーン プロス トン テオン; エ17,18(ヘ語),ハーヤー エート ハーエローヒーム。
'「神」(a god)。ギ語,テオス。同じ文中のトン テオン,「神」(the God)との対照に注意; エ17,22(ヘ語),ウェーローヒーム,「そして神」。「神」(a god)については付録6イ参照。


続いて新世界訳聖書の2019年改訂版のヨハネ福音書1章1節を見たいと思います。

1 初めに,言葉と呼ばれる方がいた。言葉は神と共にいて,言葉は神のよう*だった。

脚注
*直訳,「神」。ギリシャ語で冠詞は付いていない。


 キリスト教は、ギリシャ正教やローマ・カトリック教会であろうと、ルーテル派教会であろうと、カルヴァン主義の教会、アングリカン・コミュニオン(聖公会)、ウェスレアン・アルミニウス主義(メソジスト教会)とその系統(ホーリネス運動、救世軍、ペンテコステ運動、カリスマ運動、後の雨運動、聖霊の第三の波運動、他の諸教派)の諸教会、ピューリタン系(長老派、バプテスト、会衆派など)の教会、アナバプテスト系(メノナイト派)の教会にしても三位一体の神を信じていますが、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、世界平和統一家庭連合(旧称、世界基督教統一神霊協会)や他の異端と呼ばれる団体は、そのようには信じてはいません。すなわち同じ聖書を用いていても信じている神が違うという事です。

 今回の新世界訳聖書2019年改訂版のこの個所では、自分たちの教義に合わせた改ざんがなされています。85年版以前では、さすがに聖書自体の訳文をいじることはせずに(英訳版では大文字のGodではなく、小文字のgodとしているものの)、新世界訳聖書の巻末の付録や彼らの出版物などにおいて、自分たちの教義的主張をしていましたが、今回の日本語版においては、本文自体を改ざんしていました。底本の英訳「New World Translation of the Holy Scriptures」2013年改訂版においては、英訳1984年改訂版と同じく、小文字の「god」表記で日本語訳に見られる「神のようだった」とはなっていません。英訳版を見てみましょう。

英訳1984年改訂版
1 In the beginning the Word was, and the Word was with God, and the Word was a god.

英訳2013年改訂版
1 In the beginning was the Word,a and the Word was with God,b and the Word was a god.

 今回は本文自体を改ざんしたせいか、巻末付録にてヨハネ1:1の説明がちょっと見当たりませんので、1985年改訂版の巻末付録から見てみたいと思います。

"・・・
ギリシャ語θεός(テオス)は単数形の叙述名詞で,動詞の前に置かれており,しかも定冠詞を伴っていないため,上記の翻訳では,「神」(a god),『神性を備えている』,「神のような者」といった表現が用いられています。これは無冠詞のテオスです。「言葉」であるロゴスが共にいる神(the God)は,原文において ὁ θεόςというギリシャ語の表現を取っており,テオスの前に定冠詞「ホ」の付いた形で示されています。これは冠詞の付いたテオスです。冠詞を伴う名詞の構造は実体や人物を指し示すのに対し,動詞に先行する単数形の無冠詞の叙述名詞はあるものの特質を示します。ですから,「言葉」もしくはロゴスが「神」(a god)であった,または「神性を備えていた」,または「神のような者」であったというヨハネの表現は,「言葉」もしくは「ロゴス」が,これと共にいた神(the God)と同じであったことを意味するものではありません。それは単に,「言葉」つまりロゴスのある特質を表わしているに過ぎず,その方が神と全く同一であることを示すものではありません。

ギリシャ語本文中には,マルコ 6:49; 11:32; ヨハネ 4:19; 6:70; 8:44; 9:17; 10:1,13,33; 12:6など,動詞に先行する単数形の無冠詞叙述名詞の例が数多く見られます。対象となっているものの特質や特性を明らかにするため,英訳聖書の場合,翻訳者たちはこれらの箇所で,叙述名詞の前に不定冠詞“a”を挿入しています。これらの句において叙述名詞の前に不定冠詞が挿入されているのですから,ヨハネ 1:1の無冠詞の叙述名詞θεόςの前に不定冠詞“a”を挿入し,これを“a god”(神)と読むようにするのはそれと同様に正当なことです。聖書はこうした訳し方が正確であることを確証しています。

フィリップ・B・ハーナーは,「聖書文献ジャーナル」(Journal of Biblical Literature,第92巻,フィラデルフィア,1973年,85ページ)に掲載された,「限定詞としての無冠詞叙述名詞: マルコ 15章39節およびヨハネ 1章1節」と題する自分の論文の中で次のように述べています。ヨハネ 1:1にあるような,「無冠詞の述語が動詞に先行している[文節]は主として限定詞的意味を持つ。これは,ロゴスがテオスの特質を有していることを示しているのである。述語であるテオスについて,これを特定されたものと取る根拠はどこにもない」。ハーナーは結論として,その論文の87ページでこう述べています。「ヨハネ 1:1の場合,述語の持つ限定詞的働きは極めて顕著であるゆえに,その名詞を特定されたものとみなすことはできない」。

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 冠詞の有無で「the God」と「a god」と区別をしたいようですが、この個所のもう少し後の6節、12節、13節、18節では冠詞がなくても「God」としています。

6 ἐγένετο ἄνθρωπος ἀπεσταλμένος παρὰ θεοῦ, ὄνομα αὐτῶ ἰωάννης·
6 神の代理として遣わされた男性がいた。ヨハネという名前だった。
6 There came a man who was sent as a representative of God; his name was John.

12 ὅσοι δὲ ἔλαβον αὐτόν, ἔδωκεν αὐτοῖς ἐξουσίαν τέκνα θεοῦ γενέσθαι, τοῖς πιστεύουσιν εἰς τὸ ὄνομα αὐτοῦ,
12 しかし,彼は自分を受け入れた人全てに,神の子供となる権利を与えた。その人たちが彼の名に信仰を抱いていたからである。
12 However, to all who did receive him, he gave authority to become God’s children, because they were exercising faith in his name.

13 οἳ οὐκ ἐξ αἱμάτων οὐδὲ ἐκ θελήματος σαρκὸς οὐδὲ ἐκ θελήματος ἀνδρὸς ἀλλ᾽ ἐκ θεοῦ ἐγεννήθησαν.
13 その人たちが誕生したのは,血筋によるのでも親の意志によるのでもなく,神による。
13 And they were born, not from blood or from a fleshly will or from man’s will, but from God.

18 θεὸν οὐδεὶς ἑώρακεν πώποτε· μονογενὴς θεὸς ὁ ὢν εἰς τὸν κόλπον τοῦ πατρὸς ἐκεῖνος ἐξηγήσατο.
18 これまで神を見た人はいない。しかし,天の父のそばにいる,神のような独り子が,神について説明した。
18 No man has seen God at any time; the only-begotten god who is at the Father’s side is the one who has explained Him.

 6節、12節、13節は文脈からΘεόςは父なる神を指しているので大文字の「God」にし、18節なんかは滑稽で、Θεόςが二か所に出て来ますが、どちらも冠詞はありません。しかし、文章から、イエス・キリストについてΘεόςの語がふられている個所は「神のような(英訳:god)」としていることです。彼らの巻末付録の主張が正しいのなら18節の最初のΘεόςも「god」にすればいいのに、そうしない所が、自分たちの教義に合わせたご都合主義です。

 次に冠詞についてですが、Southern Baptist Theological Seminary (SBTS)の新約聖書解釈学の教授であったA.T.ロバートソンの 「Word Pictures of the New Testament」のヨハネ1:1の注解を見てみたいと思います(https://www.biblestudytools.com/commentaries/robertsons-word-pictures/john/john-1-1.html)。

"And the Word was God (καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος). By exact and careful language John denied Sabellianism by not saying ὁ θεὸς ἦν ὁ λόγος. That would mean that all of God was expressed in ὁ λόγος and the terms would be interchangeable, each having the article. The subject is made plain by the article (ὁ λόγος ) and the predicate without it (θεὸς ) just as in John 4:24 πνεῦμα ὁ θεός can only mean "God is spirit," not "spirit is God." So in 1 John 4:16 ὁ θεὸς ἀγάπη ἐστίν can only mean "God is love," not "love is God" as a so-called Christian scientist would confusedly say. For the article with the predicate see Robertson, Grammar_, pp. 767f. So in John 1:14 ὁ λόγος σὰρξ ἐγένετο, "the Word became flesh," not "the flesh became Word." Luther argues that here John disposes of Arianism also because the Logos was eternally God, fellowship of Father and Son, what Origen called the Eternal Generation of the Son (each necessary to the other). Thus in the Trinity we see personal fellowship on an equality."

"そして言葉は神であった。(καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος)。ヨハネは正確かつ注意深い言葉使いで、すなわち ὁ θεὸς ἦν ὁ λόγος. と言わないことによって、サベリウス主義を否定した。神のすべてが ὁ λόγος と表現されるなら、冠詞を持つ各々の用語は交換可能となるのである。主語は冠詞によって (ὁ λόγος ) そして述語は冠詞がない (θεὸς ) ことによって決められる。ちょうどヨハネ 4:24 において、 πνεῦμα ὁ θεός がただ "神は霊です" を意味し、 "霊は神です" と意味しないように。第一ヨハネ 4:16 においても ὁ θεὸς ἀγάπη ἐστίν は ただ "神は愛です" であり、 "愛は神です" という意味ではない。クリスチャン・サイエンスの人々は、この点において混同している。冠詞と述語に関してはロバートソンの文法書pp.767f. を見なさい。ですからヨハネ 1:14 において ὁ λόγος σὰρξ ἐγένετο "言葉は肉となった" であり "肉は言葉になった" ではない。ルターは、ヨハネがアリウス主義をも非難していると論じている。というのは、言葉は永遠の神であり、父と子の交わりがあった。オリゲネスは「永遠の産出」と言った。(各々は他者を必要とする)。このように、三位一体において、私たちは同等で人格的な交わりを見つける。"

 エホバの証人の主張だと、そもそも三位一体ではなく、異端として斥けられたサベリウスの様態論をキリスト教が信じていることになってしまいおかしな話になってしまいます。

 前回も書きましたが、この日本語訳2019年改訂版を読んで、エホバの証人の出版物を学んだ人は、より過ちに気付き辛い状態になってしまっています。

新世界訳聖書2019年改訂版


 エホバの証人のNew World Translation of the Holy Scripturesの2013年改訂版の日本語訳が今年の4月13日に発表され、寄付金と引き換えに頒布されました(「「あらゆる良い活動を行う用意が完全に整い」ました! 日本語の「新世界訳聖書」改訂版が発表される」)。また、公式サイトなどで読むことやPDFファイルなどでダウンロードできます(「「新世界訳聖書」(2019年改訂版) 聖書をオンラインで読む」)。

 その割に新世界訳聖書改訂版とか、新世界訳聖書2019年改訂版などで検索してみても、あまり反応がない感じです。エホバの証人自体が、95年の教義改訂以前のような元気で活発的なものではなくなり、落葉の団体みたいになっているように見えます。そのため以前ほど人目も引かず、脱会者などの反発もあまり目につかなくなっている気がします(たとえTwitterやFacebookで批判書き込みなどがあったとしても、所詮一過性の書込みで、遡って読み返されることはありませんから書き捨てみたいに思えます)。

 今回の新世界訳聖書2019年改訂版のマタイだけを読んだ感想として、相変わらずのエホバの証人の解釈や教義に沿った翻訳なのですが、1985年改訂版(底本は英訳1984年改訂版)までは字義直訳を売りにしていましたが、今回はエホバの証人の解釈や教義に沿った意訳、というか小説モドキ。キリスト教サイドで言うのなら尾山令仁氏の「現代訳聖書」や「創造主訳聖書」レベル。リビングバイブルも入れてしまうとリビングバイブルに失礼になるかな。

新世界訳 1984en,1985jp,2013en,2019jp URL

 雑誌を以て訪問伝道されるエホバの証人の方たちは、この新しい改訂版に対してやたらと絶賛しているのですが、それを引きつった笑みで聞きながら心の中では、「イヤイヤイヤ、それが本心ならヤバいぞ」と思いつつ「そうですか」と力なく相槌打ってました。

 まず、装丁は表装も小口もグレイです。手触りはいいです。本文の紙質は1985年版に比べて落ちている感じがします。安っぽい紙質です。底本の2013年英語改定版の方が紙質はいいですが日本語版はかなり落ちる感じです(そして、まとまりが悪い開いてから閉じた時、だらしなく少し広がったまま)。内容は、確かに字義直訳の出来損ないの前の1985年改訂版に比べたら、読みやすさという面では良くはなっているのでしょう。ただ原文から大きく逸脱しすぎてはいます。

 原語の訳し分けが無くなっている場合があり、彼らの教義的用語への置き換えもなされていて、この聖書(?)を読んで、ものみの塔聖書冊子協会の出版物を通して学ぶと、今までのように自分で過ちに気づくとかキリスト教サイドの論駁書読んで気づくというのは難しくなるように感じました。

 山上の垂訓の冒頭などは原語の影も形も無くなっています。

"3 「神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。天の王国はその人たちのものだからです。"

 マカリオイ、ホイ、プトーコイ、プネウマティ。の各語を語意の中で拡大解釈して、そして類似する別な語に置き換えたり、語意にはないがこうではないかと解釈して訳語を作ったりした結果が、この創作文になった感じです。

 また、「聖霊」という訳語をすべて、彼らの独自解釈に従った訳語「聖なる力」に置き換え、聖霊を無人格な単なるエネルギーやパワーといったものにしてしまいました。そのために

マタイ28章
"19 それで,行って,全ての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し"

ヨハネ14章
"16 私は天の父にお願いします。父は別の援助者を与えて,あなたたちと共に永久にいるようにしてくださいます。 17 それは真理を伝える聖なる力です。"

のようなおかしな訳文になっている個所も出てきています。

 まあ、この聖書は、エホバの証人やその学びをしている人、また彼らを批判・論駁する人でもない限り必要のないものかな。

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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