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日本福音ルーテル教会 N3次式文 1949(昭和24)年


日本福音ルーテル教会式文

N3次式文 1949(昭和24)年


礼拝式
※牧師は礼拝の間会衆に向かって語る時以外は、聖壇に向かって立つことを得


   聖歌

※この聖歌は聖霊への祈願にして、会衆は起立すべし
※つゞいて、牧師は次の如く云うべし

聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊との聖名(みな)によりて、

会衆 ♪アーメン


   懺悔

※牧師は云うべし

主に在りて愛する兄弟姉妹よ、我等、真心を以て聖父なる神の聖(み)前に近ずき、我等の罪を懺悔し、そのゆるしを主イエス・キリストの聖名によりて希い奉るべし。

牧師―我等の助は主の聖名にあり、

会衆 ♪あめつちをつくり給いしは主なり

牧師―聖心(みこころ)に背ける事を主にいいあらわさん。

会衆 ♪主はわが罪のよこしまをゆるしたまえり

※牧師は云うべし

 我等を創造(つく)り、贖いたまいし全能の神よ、か弱き罪人なる我等は、生れながら罪ふかくして潔(きよ)からず、なお、思念(おもい)と言葉と行為(おこない)とにより、聖心にそむき、罪をおかしたる事を謹みて懺悔したてまつる。されば、我等主イエス・キリストの功績(いさお)によりて主の聖恵(めぐみ)を慕いもとめ、その量(はかり)なき憐恤(あわれみ)を我等の庇護処(かくれが)となさん。

※会衆は牧師と共に云うべし

 最(いと)慈悲(あわれみ)深き神よ、主は我等の為に御独子を與え、その十字架の死をさえ惜み給わざりし程我等を愛し給えり。願わくは聖子の故に我等を憐み、凡ての罪を宥し給え。又聖霊によりてみすがたとみむねとに対する真の智識にとませ、常に真心より聖言に従わせ、窮(かぎり)なき生命(いのち)に至らせんが為め我等を恵み給え 主イエス・キリストによりて希いたてまつる。

※牧師は云うべし

 天の父なる全能の神は、我等を憐み、我等に代りて死せんが為に御独子を降し給えり。而して彼によりて我等の罪を悉く宥し給う。又、主は聖名に頼る人々に神の子となる権(ちから)を與え、我等の上に聖霊を注ぎ給う。故に、信じて洗礼を受くる者は救わるべし。主よ、願わくは我等に此等の聖恵を與え給え。

会衆 ♪アーメン

※牧師はこゝにて聖壇の前に上る


   讃美頌 

※定めたる讃美頌(54頁以下にあり)は聖歌隊
之を歌い、或いは牧師之を唱え、つづいて会
衆グロリアパトリを歌い又は唱う
※会衆は特祷の終るまで起立すべし


   グロリア パトリ
      Ⅰ
♪父、み子、みたまのかみに みさかえあれ
はじめにありしごと、いまも のちも ときわに アーメン

      Ⅱ(受難節用)
♫父、み子、みたまのかみに みさかえあれ
はじめにありしごと、いまも のちも ときわに アーメン


   キリエ

※キリエは牧師会衆交互に歌い或いは唱うべし

牧師―主よ、あわれみたまえ、

会衆 ♪主よ、あわれみたまえ

牧師―キリストよ、あわれみたまえ、

会衆 ♪キリストよ、あわれみたまえ

牧師―主よ、あわれみたまえ、

会衆 ♪主よ、あわれみたまえ


   グロリア イン エキセルシス

※牧師は云うべし

いとたかきところには、栄光(みさかえ)、神にあれ、

※会衆は歌い又は唱うべし

♪いと高きところには、みさかえ かみに
地には平和、主の悦び給う ひとにあれ
全能の父 天の王 主なる かみよ
我ら主をほめ、主をたゝえ、主を あがめ
主の大いなるみさかえの故に 感謝 しまつる
御独子主キリスト イエスよ
世の罪を負い給う、神の こひつじ
父のみ子、主なる かみよ 我らをあわれみ
たまえ 世の罪を負い給う 主よ
我らの祈をうけたまえ 父なる神の右に坐し給う
主よ 我らをあわれみ たまえ
主のみ 聖なり 主のみ 主なり
主のみ 聖霊と ともに 父のみいずをそなえ給いて
いともたかし アーメン

牧師―主汝等と共にいまさん事を

会衆 ♪主汝の霊と共に、いまさん、ことを

※牧師は云うべし

我等共に祈り奉らん

※牧師はここに於て当日の特祷を唱うべし


   特祷(54頁以下にあり)

※特祷終りて、会衆は歌い或いは唱うべし

会衆 ♪アーメン


※次に牧師は当日の使徒書を誦すべし

   使徒書

※使徒書の前に他の聖書の個所を朗読することを得
※使徒書の誦読後、会衆はハレルヤを歌い又は唱うべし

♪ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

※受難節中はハレルヤの代りに次のセンテンスを歌い又は唱うべし

♪キリストは、己を ひくうし かみのみむねのまゝに
十字架の死をさえ、甘んじて うけたまえり

※牧師当日の福音を次の如く報告(・・・・・主日の聖
  なる福音は・・・・・伝・・・・章・・・・節より始まる)す
※会衆は直ちに起立して次のごとく或は唱うべし

会衆 ♪主にみさかえあれ

   福音書

※聖福音を読み終りて牧師は次の如く唱え(こゝに聖な
  る本日の福音は終わる)
※会衆は次の如く歌い或は唱うべし

会衆 ♪キリストよ、主にほまれあれ


※次に牧師は会衆と共に信経を唱うべし

    信経

※凡ての祝日及び聖餐式にはニケヤ信経を用い、
  その他は使徒信経を用いることを得

    Ⅰ ニケヤ信経

 我は見ゆると見えざるものとを問わず、天地万物を悉く創造(つく)り給いし全能の父なる神を信ず。
 我は唯一の主イエス・キリストを信ず。主は独子(ひとりご)にして萬世(よろずよ)の前に聖父より生れ、神にして神、光にして光、真正(まこと)の神にして真正の神、造られずして生れ、万物の創造主(つくりぬし)、父なる神と一体なり。主は我等人類のため、又、我等を救わんが為に、天より降り、聖霊によりて処女(おとめ)マリヤに宿り、人となり給えり。而して我等の為にポンテオ・ピラトの管下(もと)に十字架に磔けられ、苦難(くるしみ)を受けて葬られ、聖書に応(かな)いて第三日目(みっかめ)に甦り、天に昇り、聖父の右に座し給えり。又、生ける人と死にたる人とを審判(さば)かんが為め、栄光の中に再び来り給わむ。その聖国(みくに)は終ることなし。
 我は生命(いのち)の主にして、その付與主(あたえぬし)なる聖霊を信ず。聖霊は聖父と聖子とより出で、聖父と聖子と共に崇められ、預言者によりて語り給いし主なり。
 我は使徒達より伝わりし唯一の聖なるキリスト教会を信ず。罪の宥恕(ゆるし)を得る唯一の洗礼の信認す。死者の復活(よみがえり)と来世の生命とを待望む。
 アーメン

      Ⅱ 使徒信経
 我は天地の創造主(つくりぬし)、父なる全能の神を信ず。
 我はその独子、我等の主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトの管下(もと)に苦難(くるしみ)を受け、十字架に磔けられ、死して葬られ、冥府(よみ)に降り、第三日(みっかめ)に甦り、天に昇り、父なる全能の神の右に座し給えり。生ける人と死にたる人とを審判(さば)かんが為、彼処(かしこ)より再び来り給わん。我は聖霊を信ず。又、聖なるキリスト教会、即ち聖徒の交際(まじわり)、罪悪(つみ)の宥恕(ゆるし)、身体(からだ)の復活(よみがえり)、窮(かぎりなき)の生命(いのち)を信ず。
アーメン


※ここに於て聖歌を歌うも可なり

    聖歌

※次に説教すべし

    説教

※説教終わりて会衆は起立し、牧師は次の如く云うべし

人の凡ての思いに優る神の平安、汝等の心と意(おもい)とをキリスト・イエスによりて守らん。

※次に奉献唱、又は他の適切なる奉献唱を歌う
  も可なり。歌い終るや会衆は着席すべし

    奉献唱

♪ああ かみよ、わがために きよき こころを つくりたまえ
わがうちに、なおき霊を あらたに おこしたまえ
我をみまえより すてたもうなかれ
汝のきよきみたまを、 我より とりたもうなかれ
汝の救いの よろこびを われにかえし
自由のみたまをあたえて われをたもちたまえ


    献金

※ここに於て献金を集め、牧師は之を聖壇の上に置くべし


    教会の祈祷(総祷)

※特別の祈願、代祷、感謝の依頼ありし時及び会員に死亡者あ
  りし時は之を総祷の前に報告す
※総祷は祝日、聖餐式は必ず用うべきも、それ以外には、他の
  適当なる祈を用いることを得
※次の各項の終る毎に、会衆は括弧内の言葉を唱うるも可なり

 全能の神、我等の主イエス・キリストの父よ。
 我等は爾(なんじ)の諸々の善き賜物と、測り難き御憐みとに対し、厚き感謝を捧げ、我等を創造(つく)り、日毎夜毎に支え給う御慈しみに対し、謹みて聖名を讃美し奉る。又我等の救い主なる御子を與え、彼により聖旨(みむね)と聖恵と願わし給いし事を感謝し奉る。爾の賜う慰め主なる聖霊と、聖なる教会と、恩恵(めぐみ)の手段と、凡ての忠実にして信仰篤き人々の働きと、来世の希望の故に感謝し奉る。願わくは我等の為に主のなし給いし総ての事を常に覚え、身も霊魂(たましい)もあげて爾に仕え奉り、我等真心より感謝することを得しめ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 主イエス・キリストの尊き血を以て贖い給いし爾の公同教会を助け護り給え。すべての牧師、伝道者、宣教師に、聖霊によりて御力を與え、其の働きを教訓(おしえ)とを通し、爾の民を導き養わせ給え。聖言(みことば)と聖礼典とを以て爾の教会を強め、聖徒に與えられし信仰を固うせしめ給え。世界の一切(すべて)の信徒を潔め一つとなし、唯一の聖なる教会をして、全人類の神にして、父に在す爾の善き証しとならせ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 聖光(みひかり)と真正(まこと)とを地の果迄遠く輝かせ給え。忠実なるキリストの僕を多く起し、我国のみならず、万(よろず)の国々に福音を宣伝え、又愛の御業にいそしませ、彼等を護り其の働きを祝し、多くの善き果を結ばしめ、聖名の栄光を顕わさせ給え。
 願くは地上の諸々の国に、天の祝福を豊かに蒙らしめ給え。殊に我等の愛する此の国を恵み、天皇陛下を祝し、行政、立法、司法の任にある人々に、御助(みたすけ)と健康とを與え給え。斯して正義と愛とが隈なく行われ、主に悦ばるゝ国となり、我等をして愈々敬虔と正直とを以て、平穏(おだやか)なる生涯を送らしめ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 凡ての教育機関、殊に教会の諸学校と、其中にありて尊き霊魂(たましい)を教え導く人々とを祝福し給え。願わくは彼等に爾の真理(まこと)と智恵とを與え、教会と社会とに於て爾に奉仕する者となし、又人々をして爾の真理と正義に基き、共に働き、共に生活を営ましめ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 爾の聖光(みひかり)と喜びとを以て我等の家庭を潔め給え。洗礼によりて結び給える御約束の中に我等の子女を護り、彼等をして信仰と聖旨に適う良き生涯を送るよう、其の親たるものをして、彼等を養育せしめ給え。信徒の家庭の者をして、此の世に於てよく汝の聖名に誉を帰し奉るよう、真の愛情と奉仕の精神に富む生涯を送らしめ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 願わくは凡て悲しむ者、貧しき者、病める者、艱難の中に在る者に聖霊の聖恵(みめぐみ)を豊かに與え、彼等を慰め給え。殊に信仰の為に迫害を受くる者を憶え給え。死に瀕する者に憐みを垂れ給え。愛する者を喪いて悲難(かなしみ)に暮るゝ者に、爾のみよく與え給う天の慰めを下し、彼等の一人々々に満ち溢るゝ愛を與え、慈しみ深き御手の裡(うち)に彼等を守り給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 願わくは四季折々に我等が必要なる地の産物を得んが為に、之等をして豊かなる果を結ばしめ給え。海陸に於ける正当なる諸々の職業、並に文化の上に祝福を與え、成功の冠を被らせ給え。主と隣人(となりびと)に奉仕する凡ての者を爾の御護りの下に置き、其の勤労に正しき酬いを得しめ、其の働きをして、総てのものゝ創造主(つくりぬし)、且つ維持主(ささえぬし)なる主の聖前(みまえ)に於て、善き業とならしめ給え。
 (会衆―あゝ、善き主よ、我等の祈りを聴きあげ給え)
 この世に於て爾を愛し、爾に仕へ奉りし人々、殊に我等の心にいと親しき者にして今やその働きを終え、限りなき憩いに入れる者の名を感謝をもてこゝに記憶(おぼ)え、願わくは我等をして凡ての聖徒との交りを保ち、終(つい)には天の御国の歓びに入らしめ給え。
  ※(此処に於て特種の祈願、代祷、及感謝の祈祷をなすも可なり)
 父よ、願わくは之等の総てと、其の他主が我等に必要と認め給うものを我等に與え給え。死して甦り、父と聖霊と共に唯一の神として今尚生き、代々窮(かぎ)りなく統べ治め給う我等の主、爾の御子イエス・キリストによりて希い奉る。アーメン


※ここに於て会衆と牧師は共に主の祈祷を唱うべし
※聖餐式を行う時は、主の祈祷を省略することを得

    主の祈祷

天にまします我等の父よ。願わくは聖名(みな)をあがめさせ給え。御国(みくに)を来たらせ給え。聖心(みこころ)の天になる如く地にも成らせ給え。我等の日用の食(かて)を、今日も與え給え。我等に罪を犯す者を、我等がゆるす如く、我等の罪をも宥(ゆる)し給え。我等を誘惑(こころみ)にあわせず、悪より救い出し給え。国と権威(ちから)と栄光(さかえ)とはかぎりなく汝の有(もの)なればなり。アーメン


※次に聖歌を歌うべし

    聖歌


※次に聖餐式を執行せざる時は、牧師は聖壇の前に立ちて祝祷をなすべし

    祝祷

願わくは、主、汝を祝し、汝を保護(まも)り給え。
願わくは、主、聖顔(みかお)の光を汝に注ぎ、汝を憐み給え。
願わくは、主、慈愛(いつくしみ)を以て汝を顧み、汝に平安をたまわん事を。

※次に会衆は歌い又は唱うべし

会衆 ♪アーメン

※又は

    ♪アーメン アーメン アーメン



****

     聖餐式


    聖歌

※聖歌を歌う間に、牧師は聖壇に近づき、黙禱して、恭しく聖餐
  器の覆物を取除き、パンと葡萄酒の準備をなすべし
※会衆はアグヌスデイの終るまで着席すべからず

    序詞

※牧師は云うべし

牧師―主汝等と共に在(いま)さん事を。

※会衆は歌い又は唱うべし

 ♪主 汝の霊と共にいまさんことを

牧師―汝等心にて主を仰げよ。

 ♪われらあおぎて、主をのぞまん

牧師―主なる神に感謝し奉らん。

 ♪そわ せい当にして なすべきことなり

※牧師は聖壇に向いて云うべし


牧師―永遠(とこしえ)にいます全能の神、主なる聖(きよ)き父よ、我等が何時何処にても
     主に感謝を捧ぐるは真に正当にして有益なり。
※是に於て祝日或は季節に適応したる適用詞を用い、若し
  なきときは直に『故に万の天使・・・・・』と唱うべし
※但し各祝日の適用詞は、その祝日の季節中用いるが、三位
  一体祝日の適用詞は、その祝日及び次の祝日にのみ用う

    適用詞

    聖降誕主日

 聖言(みことば)の肉体と成り給いし神秘により、主は我等に栄光(みさかえ)の新なる啓示(けいし)を與え給えり。こは我等御独子の聖格(みすがた)に於て主を仰ぎ、目にて見えざるものを愛するに至らんためなり(故によろづの天使と・・・・・)

    顕現祝日

 我等は汝が御独子を降し、肉体をとり人となり給いしに彼によりて、汝の全き栄光(みさかえ)を現し給える事をほめたゝえ奉る(故によろづの天使と・・・・・)

    受難節

 主は十字架の木の上に於て、救拯(すくい)を人類に與え給えり。これ死の起りし所に生命も亦起り、一度木を以て勝を得しものは、又我等の主イエス・キリストにより、十字架の木にて征服せられん為なり(故によろづの天使と・・・・・)

    復活祭

 殊に聖子(みこ)我等の主イエス・キリストの尊き復活(よみがえり)のゆえに、主を頌讃(ほめたた)え奉るべし。聖子(みこ)は真実(まこと)の過越(すぎこし)の羊にして、我等のため屠られ、世の罪を除き、その尊き死によりて死を亡ぼし、又、復活(よみがえり)によりてかぎりなき命を與え給えり(故によろづの天使と・・・・・)

    昇天祝日

 我等の主イエス・キリストは、甦り給いし後、公然(あきらか)に弟子達に現れ、又その神性を我等に分ち與えんとて、我等の眼前(めのまえ)において天に昇り給えり(故によろづの天使と・・・・・)

    聖霊降臨日

 汝の聖子(みこ)、我等の主イエス・キリストは天に昇り、汝の右に座し給えり。又、主はその選び給いし弟子達の上に、御約束にしたがい、今日聖霊を注ぎ給えり。之によりて全地は大いなる喜悦(よろこび)に充つ(故によろづの天使と・・・・・)

    三位一体祝日

 汝は御独子と聖霊と共に唯一の神、唯一の主なり。我等唯独一(ひとり)の神を信じ、三位一体の聖格(みすがた)、単一の本質、同等の稜威(みいず)を備え給う神を拝み奉る(故によろづの天使と・・・・・)

※序詞終りて云うべし

 故によろづの天使と、その長(おさ)、及び天の群衆と共に栄光(さかえ)かゞやく聖名(みな)をあがめ、常に主をたゝえて云わん。


※次にサンクタスを歌い或いは唱うべし

    サンクタス

 ♪聖なる 聖なる 聖なるかな 万軍のかみ 主の栄光 てん地にみてり、 いと高きところにホザナ 主のみ名によりて きたるものは、 さちなるかな いと高きところにホザナ


    主の祈祷

※次に牧師は云うべし

天にまします我等の父よ。願わくは聖名(みな)をあがめさせ給え。御国(みくに)を来たらせ給え。聖心(みこころ)の天になる如く地にも成らせ給え。我等の日用の食(かて)を、今日も與え給え。我等に罪を犯す者を、我等がゆるす如く、我等の罪をも宥(ゆる)し給え。我等を誘惑(こころみ)にあわせず、悪より救い出し給え。国と権威(ちから)と栄光(さかえ)とはかぎりなく汝の有(もの)なればなり。

※次に会衆は歌い或いは唱うべし

 ♪アーメン


※次に牧師は聖壇に向かい、聖餐設定の聖言を唱うべし

    聖言

 我等の主イエス・キリスト売渡さるゝ夜、麵包(パン)を取り(此の時皿を手に取るべし)謝して之を擘(さ)き、弟子達に與えて云い給う「取りて食せよ、これは汝等のために與うる我が体なり、斯く行いて我を憶えよ。」食して後杯を取り(この時杯を手に取るべし)先の如く謝し、これを彼等に與え、また云い給う「汝等皆この杯より飲めよ、是は汝等及び多くの人の罪を赦さんとて流す、我血によれる新しき契約なり、斯く行いて飲む毎に我を憶えよ。」

※次に牧師は会衆に向かいて云うべし

主の平安常に汝等と共にあらんことを。

※会衆は次の如く歌い又は唱うべし

 ♪アーメン


※次にアグヌスデイを歌い或は唱うべし

    アグヌスデイ

 ♪世の罪をおいたもう かみのこひつじなるキリストよ 我らを憐みたまえ 
世の罪をおいたもう かみのこひつじなるキリストよ 我らを憐みたまえ
世の罪をおいたもう かみのこひつじなるキリストよ 我らにやすきをさづけたまえ
あーめん


※次に陪餐者は聖壇の前に進み、聖餐に與かるべし
※配餐の途中において、パンか葡萄酒が不足したる時は、牧師
  は必要量を聖餐器にうつし、聖餐設定の聖言の中、それに関
  する部分のみを唱うべし

    配餐

※牧師は聖餅を配與するとき云うべし

取りて食せよ、是は汝の為に與え給いしキリストの体なり。

※又牧師は杯を配付するとき云うべし

取りて飲めよ、是は汝の罪の為に流し給いし新約の血なり。

※配餐の後牧師は云うべし

 願わくは我等の主イエス・キリストの体とその尊き血とは、真実(まこと)の信仰に於て汝等を強め、護り、窮(かぎ)りなき生命に至らせ給わん事を。


※次に会衆は起立し、左のヌンク デイミチスを歌い或いは唱うべし
※牧師はヌンク デイミチスが歌われる前に、聖餐器及びパンと葡
  萄酒に覆をなすべし

    ヌンク デイミチス

 ♪⒈主よ、今こそみことばに、したがいて
   ⒉我目ははや、主の救ひをみたり
   ⒊異邦人を輝す ひかり
   ⒋父、みこ、みたまの かみに
   ⒌はじめに在りしごと、今も のちも
   僕をやすらかに、去らしめたもうなれ
  これ もろもろの民の前に、そなえ給ひし ものなり
  み民イスラエルの さかえなり
  みさかえあれ
  ときはに アーメン


※次の如く感謝すべし

    感謝

牧師―主に感謝せよ、その恩恵(めぐみ)はふかし

会衆 ♪主のあわれみは、とこしえに絶ゆることなし

牧師―全能の神よ、この有益なる賜物を以て我らを養い給いしことを感謝し奉る。願わくは聖恵(みめぐみ)により我等を強め、我等益々主を信じ、益々互いに相愛することを得させ給え。聖子(みこ)我等の主イエス・キリストによりて希い奉る。主は汝と聖霊と共に永遠(とこしえ)に唯一(ひとり)の神に在(いま)して、代々かぎりなく生きて宰り給う。

※次に挨拶及びベネデイカムスを歌い或は唱うべし

牧師―主汝等と共に在さん事を。

会衆 ♪主の霊と共に、いまさん、ことを

牧師―主に感謝をささげん


※次に牧師は祝祷を唱うべし

    祝祷

願わくは、主、汝を祝し、汝をまもり給え。
願わくは、主、聖顔(みかお)の光を汝に注ぎ汝を憐み給え。
願わくは、主、慈愛(いつくしみ)を以て汝を顧み、汝に平安をたまわんことを。

※次に会衆は歌い又は唱うべし

 ♪アーメン

※又は

  ♪アーメン アーメン アーメン




***ブログ筆者注***

この式文の原文の漢字は旧漢字が使われていますが、書き写すに当たってなるべく常用漢字に改めました。

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洗礼文 第8次式文(1982年) 


    洗礼式

  #洗礼式は、通常の礼拝では、説教の後に行なう。
  #洗礼式の前に讃美歌を歌ってもよい。
  #会衆は着席し、受洗者(幼・小児の洗礼の場合はその親が伴う)と教保は洗礼場に進み出る。
  #通常の礼拝以外で洗礼が行われる場合には、司式者は「父と子と聖霊のみ名によって」を唱え、「勧め」のことばをいう。


1.勧め
 恵み深い天の父は、洗礼によって私たちを主イエス・キリストに結びつけ、その死と復活と共に、私たちを罪と死から解き放ってくださいます。罪の子として生れた私たちは、洗礼によって神の子として新しく生れ、永遠のいのちを継ぐ者とされます。水と霊によって、キリストのからだである教会の肢(えだ)とされ、主と共に、また主の民と共に生き、神のみ旨に従う者へと育てられます。
  #司式者は、教保、親、保護者に向かっていう。 

 あなた(がた)は、キリストにある信仰と愛をもって、この兄弟姉妹(○○)を、洗礼にあずからせるためにここに伴いました。
 あなた(がた)は、彼(ら)と神の家の礼拝を共にしつつ、教会の交わりを保ち、彼(ら)のために心をくばり、神のみ旨に従って彼(ら)を助け、イエス・キリストの日まで、共に洗礼の恵みの約束のうちに生活しなさい。

  #幼・小児の受洗者の(居る)場合は、続けていう。

 また、この子どもらが成長するに従って、その手に聖書を持たせ、主の祈り・使徒信条・十戒を教え、堅信に至るまでキリストへの信仰を堅く育てなさい。


2.祈り
 洗礼を受けるためにみ前に出たこの(幼な子・兄弟・姉妹)○○のために祈りましょう。
  #司式者は聖卓に向かい、次のいずれかによって祈る。

 (1)
 全能、永遠の神、主イエス・キリストの父よ。
 この幼な子・兄弟・姉妹のためにお願いします。どうか、この幼な子・兄弟・姉妹に、洗礼の賜物と生まれかわりの洗いによる永遠の恵みを与えてください。 愛するみ子によって「求めよ。そうすれば与えられるであろう。捜せ。そうすれば見いだすであろう。門をたたけ。そうすれば開けてもらえるであろう」と約束してくださったように、彼(ら)とその願いを受けいれてください。
 み子、私たちの主イエス・キリストによって祈ります。

 (2)
 全能、永遠の神よ。
 あなたは、信仰深いノアとその家族に、洪水によって罪の終わりを示し、彼らを大きなあわれみのうちに救い、新しいいのちの始まりである洗礼をかたどってくださいました。主の民がエジプトを脱出したとき、水の中を通って約束の地へ至らせ、洗礼を受ける者のしるしとしてくださいました。あなたのみ子イエスは、ヨルダン川でヨハネから洗礼の水を注がれ、聖霊を受けられました。み子の十字架の死の洗礼と新しい復活によって、私たちを罪と死から解き放ち、永遠のいのちの喜びへと導いてくださいました。
 主はまた、洗礼の水をみ国のしるしとし、私たちの新たないのちの保証として、洗礼を弟子たちに委ねられました。私たちは主の命令によって、洗礼を受け、また洗礼を施します。
 どうか今、この幼な子・兄弟・姉妹をかえりみ、まことの信仰のために祝福してください。あなたの恵みの洪水によって、すべての罪を滅ぼし、聖なる箱船である教会のうちに彼らを守り、み霊に燃えて主に仕える者へと育ててください。 こうして、すべての信仰者と共に、約束された永遠のいのちへ導いてください。
 私たちの主イエス・キリストによって祈ります。

衆) 「アーメン」


3.聖書

   #司式者は次のうちから聖書を読む。

 聖なることばを聞きましょう。

  (一) ローマ 6:3-4

  (二) マルコ 10:13-16

  (三) ヨハネ 3:3-6

  #洗礼式が、礼拝以外のときに行なわれる場合は、司式者は洗礼者の頭に手を置き、周りの者と共に主の祈りをする。

司) 祈りましょう。
全) ~主の祈り~

5.宣言

  #司式者は、受洗者(また幼・小児の洗礼の場合には親または保護者)の各々に、もしくは一同にその信仰を問い、受洗者(また親、保護者)は答える。
  #受洗者が少年少女の年齢に達した者である場合には、その受洗者及び親(または保護者)も共に、問答が交わされたがよい。またその年齢に応じて、ここで説教を行なってもよい。
  #信仰についての問答は次の(一)(二)のいずれかによる。

主と会衆の前で、あなた(がた)に尋ねます。

 (一)
 あなたは、悪魔と その力と その空しい約束をことごとくしりぞけますか。

(答)「はい、しりぞけます。」

 全能の父なる神を あなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 父のひとり子、私たちの主 イエス・キリストをあなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 聖霊を信じますか。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを、あなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 あなたは この信仰のもとに キリストのからだに連なる者となり、みことばの教えを守り、恵みの手段を尊び、生涯をおくりますか。

(答)「はい、神の助けによって約束します。」


 (二)
あなたは、悪魔と その力と その空しい約束をことごとくしりぞけますか。

(答)「はい、しりぞけます。」

 天地の造り主、全能の父なる神を あなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 父のひとり子、聖霊によってやどり、おとめマリヤから生れ、ポンテオ ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られたかた、そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれる私たちの主 イエス・キリストをあなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 聖霊を信じますか。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを、あなたは信じますか。

(答)「はい、信じます。」

 あなたは この信仰のもとに キリストのからだに連なる者となり、みことばの教えを守り、恵みの手段を尊び、生涯をおくりますか。

(答)「はい、神の助けによって約束します。」 


6.授洗

  #受洗者は洗礼場にひざまずく。幼児の場合は親または保護者が抱いて洗礼場に立つ。
  #教保は受洗者と並んで側に立つ。

 私たちの主イエス・キリストは言われました。
「私は天においても地においても、いっさいの権威を授けられました。それゆえ、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊のみ名によって洗礼(または、バプテスマ)を施せ。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」

  #司式者は受洗者の頭に水を三度注ぐ。

「○氏名○」。私は あなたに洗礼を施します。
父と、
子と、
聖霊のみ名によって。

(受洗者)「アーメン。」

  #司式者は受洗者の頭に手を置いて祝福する。

 あなたのすべての罪をゆるし、水とみ霊とによってあなたを新たに生まれさせてくださった全能の神、私たちの主イエス・キリストの父が、永遠のいのちに至らせる恵みによって、あなたを強めてくださいます。


7.受洗者のための祈り

 私たちの主イエス・キリストの父なる神よ。
 洗礼によって、罪の力から解かれて 新しいいのちを与えられ、この幼な子・兄弟・姉妹が、み国の世継ぎの一人として受け入れられました恵みとみ心に感謝します。
 みことばと霊の糧によって彼(ら)を育て、日ごとに、あなたと共にある喜びを豊かに与えてください。
 み子、私たちの主イエス・キリストによって祈ります。

衆) アーメン


8.新しい「しるし」

  #司式者は親指で受洗者の額に十字をしるす。

「○氏名○」。聖霊によって刻印された神の子であるあなたに キリストの十字架をしるします。

  #受洗者に洗礼名を与えることができる。

「○洗礼名○」。これがあなたに与えられる洗礼名です。


9.教会員への勧め

  #洗礼者は立って、会衆の方を向く。会衆は起立する。
  #司式者は会衆に向かっていう。

 神は、洗礼によってこの「○○」(または、幼な子・兄弟・姉妹)をキリストの家族、み国の世継ぎとしてくださいました。
 この兄弟・姉妹を受け入れ、この兄弟・姉妹のうちに始められた神のみわざが達成されるように祈ってください。

  #受洗者(と教保、親)は席にもどり、一同着席をする。
  #洗礼式を終えて堅信が行なわれる場合は堅信式に続く。
   堅信式のない場合は、通常の礼拝では「祝福の交換」とともに「奉献」に続く。

改訂式文の感想


 さて、日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の共通式文の改訂版が出版されました。このことは「機関紙るうてる」の2019年3月号に

"改訂礼拝式文が発行 されました
2016年総会においてテキストが、そして2018年総会において典礼音楽が承認され、これまでの礼拝式文に加えて、各教会の主日礼拝などで使用できる改訂礼拝式文が発行されました。2月には各教会へ配布しました。ぜひ、新たな選択肢として提供された式文を使用してみていただきたいと思います。
 今後、必要な修正を加え、主日礼拝以外の諸式の式文と合わせ、2026年には現行の最新の式文集である「青式文」(1996年)以来の新たな式文として出版の運びとなります。折しも、日本聖書協会共同訳『聖書』の出版と重なりました。新たな翻訳の聖書からも刺激を受けて、礼拝のために吟味されることを期待しています。
 日本聖書協会共同訳『聖書』は朗読されるみ言葉ということにも一層の配慮がなされたものです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ローマ10・17)とのパウロの言葉にもあるように、文字を読むことによって言葉が味わわれる以前より、み言葉は空気の振動とそれによって響く声として届けられるものでもあります。そこから、朗読により適した言葉や文節が選択されることには大きな意味があるでしょう。
 同時に現代社会においてその重要性が叫ばれる多様なあり方を尊重する姿勢(ダイバーシティ)を教会内においても推進するために、長く当たり前のように用いられてきた言葉を、例えばそこに差別や排他的な感覚が含まれていないかを点検し、そうではない言葉に置き換えるなどの作業が必要であると思います。そのような立場から、目で読むことに偏重せず、聞くことや聞かれることへの意識を高めていくことも大切なことであると思いますから、新たな翻訳の活用は伝道的な側面も持つと言えます。
 これらは礼拝式文にもそのまま当てはまります。言葉の変化や神学的な研究の成果を反映させるべく、継続的に礼拝式文を見直していく必要がありますが、2007年にアンケートを実施し、具体的に改訂式文作成へと歩みだすきっかけとなったのは、式文の中で用いられている「生まれながら罪深くけがれに満ち」という言葉への問いでした。それは原罪を表現すると共に日本の歴史的かつ具体的な状況下における差別的な表現ともなるのではないかとの問いかけが、式文を生きたものとして用いていくために大切なものでした。
 また改訂式文の作成中には、国民という言葉について、国境線で区切られた従来の国家を想定しているのであれば、難民を始めとする世界の課題と現実から目を背けることになるのではないかとの指摘を受けました。委員会にとってそれは大切な気づきを得ることとなり、「諸国民」としている言葉について、検討を続けています。
 つまり、30年ほどの時間は一つの目安にしつつも、より重要なことは、30年を経過するならば、自分たちの用いている言葉そのものを点検、評価し、修正すべきは修正するということです。変化は私たちの姿勢を問い、動かすものであり、容易なことではありません。しかし、教会は世に存在し、世に福音を伝えていく使命を与えられているのですから、自身の正しさを疑わないということではなく、世に語る神に聞く群れとして、ふさわしく整えられていきたいと思います。
 さて、改訂式文として用意されたものは4種類です。テキストは共通であり、洗礼という恵みを思い起こすこと、ヌンク・ディミティス(シメオンの賛歌)を聖餐への応答と位置づけたこと、献げものを聖餐と切り離し派遣の意味を強めたことなど、いくつかの特徴があります。
 典礼音楽は、3つの新曲と「青式文」の礼拝式Aの音楽を編曲したものを含め、ルーテル教会に連なる4人の作曲家が作成ました。それぞれに個性を持った音楽を楽しみながら、礼拝を形作っていただければと思います。なお、各教会の礼拝のテンポなどに合わせて、音源データを作成することも可能です。楽器がなくともスマートフォンやパソコンなどで演奏が可能です。それぞれの状況に合わせて用いていただければと思います。"

とある通りです。その本文は昨日アップした記事「日本福音ルーテル教会・日本ルーテル教団 「式文」(2019年2月1日発行)」に本文の全文をアップしました。

 一言で言ったら、「酷い」に尽きるでしょう。改訂した人たちは、神をないがしろにし、権威主義で、カトリックにすり寄り、日本語がそもそもできないで、人間中心主義、さらに左翼で多文化共生の活動家といった人たちとの印象を受ける改訂文でした。

 改訂試案第一版(最終版)2014.3.4と同じく、[告白]の部分から原罪条項「私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、」は削除になったままです。そして、「思いと言葉、行いと怠り、また無関心によって、」と「思いと、言葉と、行いと、怠り、また無関心によって」と読点を打つのではなく、「思いと言葉」、「行いと怠り」、「無関心」とブロック分けすることにより、政治的意味合いにも利用できる形になっています。(二)を見ますと、これらは「心を尽くして・・・隣人を自分のように愛しませんでした」ということが、これ等に該当するということですから穿った見方をすれば、隣人のために社会、貧困、環境問題、差別、原発、戦争や軍事、基地問題などに「無関心」であることは罪であり、又何もしないことは「怠り」だと言いたいのだと、改訂者の本心がそこにあるのだと見える感じがします。まあ、残念なことにルーテルの牧師には、左翼活動家色の強い人はよく見かけます。個人としてそういう思想信条を持つことは自由ですし、プライベートでそういう活動をすることも自由ですが、こと教会に対してはそういうものは持ち込んでもらいたくはありません。

 [赦し]の

司) 神は、御子イエス・キリストの十字架によって、私たちを赦し、洗礼の約束により、新たに生まれさせ、永遠の命へと導いてくださいます。

は祈りの言葉ではありません。これは「くださいます」ですから宣言の言葉です。


[グロリア]はまた一段と酷い文章です。

司) いと高きところには栄光、かみに。
全) 地には平和、み心にかなうひとびとに。
   主をあがめ、主をあおぎ、主をおがみ、主をたたえます。
   主なる神、天の王、全能のちち。あなたの栄光にかんしゃします。
   主なる神、神の小羊、父のひとり子、主イエス・キリスト。
   世の罪を取り除く主。わたしたちをあわれみ、いのりを聞いてくだ
   さい。
   父の右におられる主。わたしたちをあわれんでください。
   あなただけが聖なる主、いとたかきイエス・キリスト
   あなたは聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。
   アーメン。

間投助詞 「○○よ」 が使われていないためギリシャ語で言うなら呼格の文になっていません。それに加えて句点が打たれているので、前段と後段が分断されています。

「主なる神、天の王、全能のちち」 ここで句点「。」が打たれているので文章が終わり、「あなたの栄光にかんしゃします。」と二つの短い文章が並記されているだけです。しかし、これが「全能のちちよ、あなたの栄光に・・」と間投助詞を入れて、句点ではなく読点に変えるなら明確に父なる神に呼びかけていますし、祈りや讃美の文言になります。

奉献の部は完全に削除となり、残念ながら奉献唱も当然のことながら無くなっています。

[教会の祈り]の

# 司式者または他の祈祷者はその日に必要な祈りを祈る。
  教会、福音宣教、平和と正義、貧困、抑圧、孤独、
  癒し、和解、その日の特別な事柄等

司) ・・・各項目の祈りの最後を「キリストのみ名により」で結ぶ
衆) 「主よ聞いてください」または「主よあわれんでください」で応答
   する
司) キリストのみ名により
衆) 主よ、聞いてください。
司) キリストのみ名により
衆) 主よ、あわれんでください。

これは書き方がオカシイんだろうなぁ。以下のように

# 司式者または他の祈祷者はその日に必要な祈りを祈る。
  教会、福音宣教、平和と正義、貧困、抑圧、孤独、
  癒し、和解、その日の特別な事柄等

司) ・・・各項目の祈りの最後を「キリストのみ名により」で結ぶ
衆) 「主よ聞いてください」または「主よあわれんでください」で応答
   する
司) ・・・キリストのみ名により
衆) 主よ、聞いてください。
司) ・・・キリストのみ名により
衆) 主よ、あわれんでください。

と「・・・」を「キリストのみ名により」をした二つの司式者の言葉に配置していないから、一見すると意味不明のやり取りに見える。

そして、サルタティオ(挨拶)が司式者と会衆で交わされるわけですが、この改訂では

[平和の挨拶]
司) 主の平和がみなさんと共にありますように。
衆) またあなたと共に。
司) 互いに平和の挨拶を交わしましょう。
        (*「主の平和」 と言いながら挨拶を交わす。)

と、司式者と会衆だけではなく、なんとも偽善的でうざったい会衆間の挨拶「行為」を強要するわけです。偽善的に笑顔を貼り付けて挨拶し合う姿には背筋が寒くなります。

「その日の序詞」の文言も違和感があります。

司) 聖なる主、全能の父、永遠の神様。
    いつどこででも・・・
    あなたに感謝するのは、正しい務めであり、また私たちの喜び
    です。

改訂前の「その日の序詞」は「礼拝式通常文およびその取扱い」という冊子本に出ていますが、今までですと「いつどこででも、あなたに(私たちの主イエス・キリストにより)感謝するのは当然であり、また、ふさわしいことです。」というものがよく使われていますが、これですと問題もないのですが、改訂文ですと、神への感謝が「正しい務めであり」と、職責になってしまっています。

 主の祈りは、なぜか(一)も(二)もよその団体の訳文です。聖壇の交換や合同礼拝でもやらない限り、よその団体がルーテルの式文で礼拝などしないのだから自分たちの訳を使うか、公式採用している日本語訳聖書(新共同訳や聖書協会共同訳)の主の祈りを使えよと思います。

 [アグヌス デイ]も[グロリア]同様、間投助詞が使われていないので呼びかけになっていません。

世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 平和をお与えください。アーメン。

 聖餐の「設定」は第八次式文の(一)だけが採用になっていて、「ベルバ」(みことば)のみとなっています。このベルバのみの形がよく使われているためなのでしょう。しかし、使われなくとも式文の中に(二)や(三)としてアナムネーシス(記念)やエピクレーシス(聖霊祈願)の文言のある設定辞が残されていれば、聖餐や礼拝史理解の助けにもなります。使わないから「はい」削除では味気も素っ気もありません。

 聖餐の感謝の歌
 司) 主に感謝しよう。主は恵み深く。 衆) そのいつくしみは とこしえに絶えることがない。

が無くなったのは、なんかしまりが悪いと言うか、会衆の主の恵みへの感謝応答の表現の場が奪われた感じがします。


 ヌンクディミティスも文言変わってるし、献金は味気もそっけもない単なる集金に成り下がっている。

最後の派遣は、こりゃあまたまたひどいね。

[派遣の祈り]
司) 世界の創り主、全能の神様。
   イエス・キリストにより、私たちを一つの体として結び合わせてく
   ださり、感謝いたします。
   私たちを希望と忍耐と勇気で満たし、隣人を愛することができる
   ようにしてください。今捧げられたものがあなたを証し、世界の
   人々に届けられますように。痛み悲しむ人々の隣人として、私た
   ちを聖霊によって送り出してください。主イエス・キリストのみ名に
   よって祈ります。
衆) アーメン。

 これは前にも書きましたが、「今捧げられたものがあなたを証し」、なんだそりゃ!! 献金が多ければ神への証も大きくなるということか。そして、「世界の人々に届けられますように。」って、席上で献げられた献金を「世界の人々に届け」るとしか読めないよね。おそらくは「今捧げられたものによって、あなたが証され、世界の人々へ届けられ」と言いたいのではないかと推測はするが、文言を読む限り、献金が神を証し、その献金を世界に届けるとしか読めない悪文。

[派遣の言葉]は今までのものと違い、リ・クリエイションして強められ、この世の平常の日々に背中を押して送りだしてもらえていたものが、何かをしろ、しろと急かされるように無理矢理押し出される感じがします。

(一)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) (アーメン)私たちは行きます。
   神の助けによって。

(二)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) 私たちは分かち合います。恵みを。
   伝えます。福音を。

 そして、なんか左翼のスローガンみたいでもあります。

 握りこぶしと赤い本を持った手を掲げて行進する労働者を扇動する政治指導官が、労働者たちに奉仕を迫っていることばにも聞こえます。

赤い改訂式文

日本福音ルーテル教会・日本ルーテル教団 「式文」(2019年2月1日発行)

2019年2月1日に発行された改訂「式文」 

2019年改訂式文会衆用 記名

●招き

[招き]  (*礼拝堂の入口または洗礼盤の横に立ち、これを行う。)

(一)
司) 神は、すべての人が救いの恵みに与るように、礼拝に招いて
    くださいました。
衆) 私たちは招かれて、ここにいます。
司) 父と子と聖霊のみ名によって。
衆) アーメン。

(二)
司) 父と子と聖霊のみ名によって
衆) アーメン。
司) 憐れみ深い神さま。
   私たちはあなたを賛美し、聖なる御名
   を崇めます。私たちの心を開き、
   聖霊によって、清めてください。
   主イエス・キリストによって。
衆) アーメン。


[告白]
(一)
司) 神の御前で私たちの罪を告白し、
   心を合わせて赦しを求めましょう。

全) 神さま。
   私たちは思いと言葉、行いと怠り、また無関心とによって、
   あなたから遠く離れ、御旨に背いてきました。今、ここに
   罪を告白します。

(二)
司) 神と会衆の前で、私たちの罪を告白しましょう。
全) 神さま、罪に囚われている私たちは、みずから自由に
   なることができません。思いと言葉、行いと怠り、また
   無関心によって、御前に罪ある者です。私たちは、心を
   尽くしてあなたを愛さず、隣人を自分のように愛しませんで
   した。御子イエス・キリストのゆえに、私たちを憐れんでくだ
   さい。私たちを赦し、新たにし、導いてください。御旨を喜び、
   あなたの道を歩み、御名の栄光をあらわす者としてください。
   アーメン。

(黙祷)

[赦し]
(一)
司) 恵みの神さま。
衆) 私たちを赦してください。
司) 神は、御子イエス・キリストの十字架によって、私たちを赦し、
   洗礼の約束により、新たに生まれさせ、永遠の命へと導いて
   くださいます。
衆) アーメン。

(二)
司) 全能の神は、御子イエス・キリストを死に渡し、その死によって、
   私たちのすべての罪を赦してくださいます。
   (キリストに委ねられた務めにより、私は、罪の赦しをあなたたち
   に宣言します。)
   父と子と聖霊のみ名によって。
衆) アーメン。


[招きの歌]
(*歌いつつ入堂、という形をとることもできる)

[キリエ]
キリエ①
司) 平安のうちにいのりましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 神からの平安と私たちの救いのためにいのりましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 世界の平和と神の教会の成長と主の民の一致のためにいのりま
   しょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) この聖なる教会とここに集い礼拝に与る者のためにいのりましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 恵みの主よ、私たちを救い、守り、助け、あわれんでください。
衆) アーメン。

キリエ②
司) 主よ、あわれんでください。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) キリストよ、あわれんでください。
衆) キリストよ、あわれんでください。
司)  主よ、あわれんでください。
衆) 主よ、あわれんでください。

キリエ②-2
 主よ、あわれんでください。
 キリストよ、あわれんでください。
 主よ、あわれんでください。

[グロリア]
司) いと高きところには栄光、かみに。
全) 地には平和、み心にかなうひとびとに。
   主をあがめ、主をあおぎ、主をおがみ、主をたたえます。
   主なる神、天の王、全能のちち。あなたの栄光にかんしゃします。
   主なる神、神の小羊、父のひとり子、主イエス・キリスト。
   世の罪を取り除く主。わたしたちをあわれみ、いのりを聞いてくだ
   さい。
   父の右におられる主。わたしたちをあわれんでください。
   あなただけが聖なる主、いとたかきイエス・キリスト
   あなたは聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。
   アーメン。

[つどいの祈り]
司) 祈りましょう。
   ・・・・・・・・・・私たちの主イエス・キリストのみ名によって
   祈ります。
衆) アーメン。

●みことば

司) みことばを聞きましょう。

[第一の朗読]
朗読者) 本日の第一の朗読は、「書名○○」○○章○○節から始まります。
      (朗読)  第一の日課を終わります。

応答唱
(その日のために選ばれている詩編、栄唱等を、朗読、交読、交唱、
またふさわしい讃美歌などで唱える。
また、ここで詩編、栄唱等を用いない場合は、福音書朗読前の讃歌、
または説教後のみことばの歌に替えて用いてもよい。)

栄唱
    父と子と聖霊の神に栄光、始めも今も、永遠に限り無く。アーメン。

[第二の朗読]
朗読者) 本日の第二の朗読は「書名○○」○○章○○節から始まります。
      (朗読)  第二の朗読を終わります。

讃歌 (「ハレルヤ/キリスト詠唱」 または讃美歌)

   ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

*四旬節、受難週には特に次の詠唱を用いる。

キリストは、へりくだり、死に至るまで、十字架の死に至るまで
従順でした。

[福音書の朗読]
朗読者) 本日の福音は「書名」○○章○○節から始まります。

   栄光は主に

朗読者) (朗読)福音書の朗読を終わります。

  賛美はキリストに

[説教]

[みことばの歌]

[信仰告白]
       (ニケヤ信条または使徒信条を用いる。)
衆) 天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主、
   全能の父である唯一の神を私は信じます。唯一の主 
   イエスキリストを私は信じます。主は神のひとり子であっ
   て、すべての世にさき立って父から生まれ、神の神、光の
   光、まことの神のまことの神、造られたのではなく、生ま
   れ、父と同質であって、すべてのものは主によって造られ
   ました。主は私たち人間のため、また私たちの救いのため
   に天から下り、聖霊により、おとめマリヤから肉体を受けて
   人となり、ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架に
   つけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書のとおり三日目に
   復活し、天に上られました。そして父の右に座し、栄光のう
   ちに再び来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
   その支配は終わることがありません。主であって、いのちを
   与える聖霊を私は信じます。聖霊は父と子から出て、父と子と
   ともに礼拝され、あがめられます。また、預言者をとおして語ら
   れました。唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を私は信じ
   ます。罪のゆるしの唯一の洗礼を私は受けいれます。死人の
   復活と来たるべき世のいのちを待ち望みます。
   (アーメン)

司) 使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
衆) 天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主、全能の
   父である唯一の神を私は信じます。唯一の主 イエスキリストを
   私は信じます。主は神のひとり子であって、すべての世にさき立っ
   て父から生まれ、神の神、光の光、まことの神のまことの神、造ら
   れたのではなく、生まれ、父と同質であって、すべてのものは主に
   よって造られました。主は私たち人間のため、また私たちの救い
   のために天から下り、聖霊により、おとめマリヤから肉体を受けて
   人となり、ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけら
   れ、苦しみを受け、葬られ、聖書のとおり三日目に復活し、天に上
   られました。そして父の右に座し、栄光のうちに再び来て、生きてい
   る人と死んだ人とをさばかれます。その支配は終わることがありま
   せん。主であって、いのちを与える聖霊を私は信じます。聖霊は父
   と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられます。また、預
   言者をとおして語られました。唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教
   会を私は信じます。罪のゆるしの唯一の洗礼を私は受けいれます。
   死人の復活と来たるべき世のいのちを待ち望みます。
   (アーメン)

[教会の祈り]
司) 祈りましょう。
   神さま。私たちは主イエス・キリストによって成し遂げられたあな
   たの御わざを称えます。あなたは御言葉によって全てのものを
   創り、イエス・キリストを命の言葉として、この世にお贈りください
   ました。この世の智恵では見出すことが出来ない深い憐れみと
   愛に感謝します。

司) 恵みの神さま。あなたの御言葉から受けた恵みに応え、私たちは
   心を合わせ、父なる神であるあなたに祈ります。私たちの祈りを、
   聞き届けてください。

­­­­­̶
(諸祈祷)
­­­­­̶
# 司式者または他の祈祷者はその日に必要な祈りを祈る。
  教会、福音宣教、平和と正義、貧困、抑圧、孤独、
  癒し、和解、その日の特別な事柄等

司) ・・・各項目の祈りの最後を「キリストのみ名により」で結ぶ
衆) 「主よ聞いてください」または「主よあわれんでください」で応答
   する
司) キリストのみ名により
衆) 主よ、聞いてください。
司) キリストのみ名により
衆) 主よ、あわれんでください。

結びの祈り
司) 恵みの神さま。
   あなたの憐みに信頼し、私たちのすべての祈りを委ねます。
   私たちの救い主、イエス・キリストによって祈ります。
衆) アーメン。

[平和の挨拶]
司) 主の平和がみなさんと共にありますように。
衆) またあなたと共に。
司) 互いに平和の挨拶を交わしましょう。
        (*「主の平和」 と言いながら挨拶を交わす。)

●聖餐

[聖餐の歌]

[序詞]
司) 主が共におられるように。 衆) また、あなたとともに。
司) 心をたかくあげて 主をあおぎましょう。 衆) 主をあおぎます。
司) 主に 感謝しましょう。 衆) 感謝と賛美をささげます。

その日の序詞
司) 聖なる主、全能の父、永遠の神様。
    いつどこででも・・・
    あなたに感謝するのは、正しい務めであり、また私たちの喜び
    です。
    ・・・(特別序詞)・・・
    今、地上のすべての教会は、あなたの御名をあがめ、
    永遠の賛美を天のみ使いと聖徒たちと共に声を合わせて歌います。

[サンクトゥス]
 聖なる 聖なる 聖なる力の主。
 天と地に、主の栄光は満ちています。
 いと高きところにホサナ。
 主のみ名によって来られる方に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。

[設定]
司) 私たちの主イエス・キリストは渡される夜、パンを取り、感謝し、
   これを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って食べなさい。
   これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。
   わたしの記念のため、これを行いなさい」。食事ののち、
   杯をも同じようにして言われました。「取って、飲みなさい。
   これは 罪の赦しのため、あなたがたと多くの人のために流す
   わたしの血による新しい契約である。わたしの記念のため、
   これを行いなさい」。
衆) アーメン。


[主の祈り]

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとのかてを今日も
お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン。
(ローマ・カトリック教会/日本聖公会 共通口語訳、2000年)

天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行われるように、
地上でも行われますように。
私たちに今日もこの日の糧を
お与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、
悪からお救いください。
み国も力も栄光も とこしえにあなたの
ものだからです。
アーメン
(NCC統一訳、1971年)

[アグヌス デイ]
世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 平和をお与えください。アーメン。

[聖餐への招きと聖餐]
司) 洗礼の礼典にあずかったかたは、聖卓へお進みください。
   (上記以外に聖餐への招きのふさわしい言葉や洗礼を受けて
   いない人に配慮したことばを用いてもよい。)

司) キリストの体です。
衆) アーメン。
司) キリストの血です。
衆) アーメン。

[配餐後の祝福]
司) 私たちの主イエス・キリストの体と血とは、信仰によって、あなたが
   たを強め、守り、永遠のいのちに至らせてくださいます。
衆)アーメン。

[聖餐の感謝]
司) 憐れみ深い神さま。
   この救いの賜物により、新たに力をお与えくださったことを感謝とし
   ます。私たちがますます主を信じ、互いに愛し、仕え合うことができ
   るようにしてください。あなたと聖霊と共にただ独りの神であり、永
   遠に生きて治められる御子イエス・キリストによって祈ります。
衆) アーメン。

[ヌンクディミティス]
今 わたしは 主の救いを 見ました。
主よ あなたは みことばのとおり しもべを安らかに 去らせてください
ます。これは すべての民に 備えらた救い諸国民のこころを ひらく
光、 み民イスラエルの 栄光です。

●派遣

[感謝のささげもの]

[派遣の祈り]
司) 世界の創り主、全能の神様。
   イエス・キリストにより、私たちを一つの体として結び合わせてく
   ださり、感謝いたします。
   私たちを希望と忍耐と勇気で満たし、隣人を愛することができる
   ようにしてください。今捧げられたものがあなたを証し、世界の
   人々に届けられますように。痛み悲しむ人々の隣人として、私た
   ちを聖霊によって送り出してください。主イエス・キリストのみ名に
   よって祈ります。
衆) アーメン。

[派遣の歌]

[祝福]

(一)
司) 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
                  (-守られます)
   主が御顔を向けてあなたを照らし、
     あなたに恵みを与えられるように。
             (-与えられます)
   主が御顔をあなたに向け、
     あなたに平安を賜るように。
             (-賜ります)
   父と子と聖霊のみ名によって。
衆)アーメン。

(二)
司) 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりが、
   あなたがた一同と共にあるように。
衆) アーメン。

[派遣の言葉]

(一)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) (アーメン)私たちは行きます。
   神の助けによって。

(二)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) 私たちは分かち合います。恵みを。
   伝えます。福音を。


***

譜面には四つのバージョン(スペード、クラブ、ハート、ダイヤ)があるが、式文本文は共通。

式文改訂に思う 5


第7次式文と第8次式文 記名


さらに奉献について

2015年1月号
" 「奉献」は、その言葉が示すように、神への献げものです。同時に神の恵みによって生かされている私自身を献げることでもあります。それは私たちが神に犠牲を献げる行為ではありません。神は、み子イエスをただ一度だけ十字架において犠牲としてくださったことで、救いを完成しているのであり、私たちからの犠牲など必要とされないのです。ゆえに私たちは犠牲ではなく、みことばに与った恵みを分かち合うために献げます。これは「サクラメントを十分に理解するように民衆に教えたので、人々は外的な食物や資産をも持ち込み、必要とする者たちに分け与えた。ミサにはコレクタということばが残っており、共同に集めるという意味である。貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じ。」(『キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントについて、及び兄弟団についての説教』)というルターの言葉とも重なります。そのため、困難の中にある人々と分かち合うための奉献であることを「派遣の祈り」の中心に据えました。"

 これについて理解するために、「教会員ハンドブック」の説明を読んでみましょう。

"第二章 教会について 二、礼拝—主に使えられ、主に使える
・・・
 三、奉献の部
 神の恵みへの応答として、自らをささげることのしるしとして、献金がささげられます。教会は信徒の献金によってその働きのすべてをまかないます。月約献金を含め、それぞれの者が心に定めた額をささげます。それによって教会の働きに、みなで参加していくのです。
 奉献唱として詩篇五一篇が多く歌われます。それは、決して私たちが何かをささげうるというのではなくて、神の恵みの働きを願うこと、言い換えると、「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂です」という信仰が言い表されるのです。
 聖餐が守られない時は、このあと派遣の部に続きます。"

 
 "私自身を献げることでもあります" との意味が、 "自らをささげることのしるしとして、献金がささげられます。" とのことです。しかし、この解釈には無理があると思います。

 また、教会から送られてくる献金袋には、このような文言が記された紙が毎年入って来ます。

"20○○年維持献金のお願い。
 ・・・
献金は『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 』(ローマの信徒への手紙12章1節)とありますように、神さまの恵みに対する応答です。収入の中から、まず最初に献げましょう。・・・"

 この言葉の背景には、そのような理解が教会の理解として定着しているという事なのでしょう。

 しかし、ローマの信徒への手紙12章1節はそんなことを言っているのでしょうか。

"こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 "(新共同訳)

 "こういうわけで" とはじまりますから、前章を読んでみなければなりません。しかし、11章を読んでも献金が "私自身を献げることで" あるなどとは読み取れません。

普通に文法上も文脈上も、また聖書注解や略解などを見ても、ルターの「ローマ書講義」を見ても、そんな解釈にはなっていません。アクロバティックな、ほとんどいかさまともいえる読み方というかこじつけをしているとしか言いようがありません。

 また、式文改革において護教教父のユスティノス(100?-162?)を引き合いに出して、

るうてる2014年11月号
"キリスト者は、その初めから聖書を読むこと、神の言葉を聴くことと「パンを裂くこと」(聖餐)を礼拝の中心に据えました。主日礼拝を具体的に記録した最古のものと言われるユスティノス(2世紀前半)の『第一弁証論』にこうあります。「太陽の日と呼ぶ曜日には、…一つところに集まり、使徒達の回想録か預言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。 朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。…一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと…パンとブドウ酒と水とが運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。…会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配を受け、これに与ります」。改訂式文の「みことば」と次の「聖餐」の繋がりが良く分かります。というより、これまでのどの時代のどんな礼拝でも、基本は、この2世紀の記録そのままであったことがお分かりでしょう。
・・・「とりなしの祈り」をここに置いたのは、先のユスティノス以来の説教に続けて行われた伝統の回復と、現在、しばしば起こる献金(奉献)の祈りとの混同を避ける意図があります。"

と述べていますが、意図的なのか献金についての記述を引用していません。

キリスト教教父著作集1ユスティノス Athanasius記名入り


以下に前後も含めて引用します。

"67・1. この儀式が済んだ後もさらに、私共はたえず前述の記念の式を執り行います。そして持てる者は窮するすべての者のために扶助し、何時も協力し合って生活しているのです。

2.また神の恵みあたえたもうすべてのもののゆえに万物の創造者を、その子イエス・キリストと聖霊を通じてたたえるのです。

3.太陽の日と呼ぶ曜日には、町ごと村ごとの住民すべてが一つ所に集い、使徒たちの回想録か予言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。

4.朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。

5.それから私共は一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと前述のように、パンとブドウ酒と水とが運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。これにたいし会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配をうけ、これに与ります。また欠席者には、執事の手で届けられるのです。

6.次に、生活にゆとりがあってしかも志ある者は、それぞれが善しとする基準に従って定めたものを施します。こうして集まった金品は指導者のもとに保管され、

7.指導者は自分で孤児ややもめ、病気その他の理由で困っている人々、獄中につながれている人々、異郷の生活にある外国人のために扶助します。要するに彼はすべて窮乏している者の世話をするのです。"

(アントニヌスに宛てたキリスト教徒のための弁明 「キリスト教教父著作集Ⅰユスティノス」 教文館 p.85)

 共同に集めるということが、どのようなことに使われていたのかについてユスティノスは明確に書いています。果たしてこれが今日の教会における献金と同じでしょうか。都合の良いところを斬り文で利用するそのように見えます。

 律法の神殿祭儀に関わる什分の一のささげものはまったくキリスト教とは関係がありませんし、使徒書簡や使徒言行録に出てくるのは、飢饉にあえいでいるエルサレム教会を助けるための義援金で一過性のものですし、また、初期教会における共同に集めた行為は現在の教会の献金とはまったく質を異にしています。

 いい加減に、根拠にならないものを根拠にして、権威付けする行為や精神はやめてもらいたいものです。献金など聖書に根拠はないのですから聖書の悪用や初期教会を悪用すべきではありません。

神への感謝と教会維持と活動に必要なお金を献金するということで理由は十分だと思います。

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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