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エクソシズムについて ①


 現在、プロテスタントを見てみますと、新興キリスト教であるピューリタンや英国の分離派の末裔であるアメリカの福音派やペンテコステ系が広まっています。彼らの奥地伝道を行った宣教師たちが米国に戻って来て、そのシャーマニズム的な体験をもとにキリスト教を変質させて、新しい異形のキリスト教を作り上げ、それがアメリカのキリスト教の持つ終末論やペンテコステ系と融合し、そして再び第三世界、南米やアフリカ、韓国などに広まり、惨い形のキリスト教モドキを作り上げました。80年代あたりから日本でも顕著になってきています。最近では韓国経由などをウリスト教などと揶揄されたりもしています。

 これらの中で、特に悪霊の強調が目立っています。80年代のフラー神学校の講座から始まった「力の伝道」、それらから「聖霊の第三の波運動」という聖霊刷新運動に発展し広まりました。彼らの中に見られる地域を支配する霊という考えやそれを祈りによって縛るという行為、また悪霊祓いなどといった安易な悪霊憑き認定や悪霊祓いなどの体験談や勧めなどの文書を読みますと、キリスト教とは全く異質なものを感じます。

 確かにキリスト教において、古い時代から祓魔師(エクソシスト)という存在があったことはよく知られています。

 四世紀の教会史家エウセビオスは、ローマの第20代目の総大主教コルネリウス(251年から253年までの間在職)のアンティオキア教会の第13代目の総大主教ファビウス(252年から255年まで在職)に宛てた書簡を引用し、コルネリウスがローマ教会の長老ノウァトスの性格と彼についての見解と彼の正体についてファビウスに説明する中で、

゛正統教会には一人の監督しかいてはならぬことを知りませんでした。〔このローマ教会では〕彼も知っていますように­­­­­̶知らないことはありません­­­­­̶46人の長老と、7人の執事、7人の副執事、42人の侍者、〔総勢〕52人の祓魔者がいます。・・・˝(「エウセビオス「教会史」」 秦剛平訳 講談社学術文庫 p.90)

と語って、当時のローマの教会に祓魔師が52人いたことが解ります。

 カトリックにおける悪魔祓いは誰でもが行えるものではありません。ゼーノ・フレック著「修徳神秘神学概説」(光明社、昭和31年)にはこのように説明されています。

“三、救治策
・・・
 眞に悪魔に憑かれていることが分かつた場合には教会の祓魔式をうけねばならない。これは非公式のものと公式的のものとの二種があり、非公式の悪魔祓いは司祭でも行うことができるが、公式的悪魔祓いは司教或いはその特別の許しを得た司祭でなければ行うことができない。
・・・”(pp.608-609)

 司教若しくは司教の特別の許可を得た司祭が行う公式祓魔式と司祭が行える非公式の祓魔式の二種類があるということです。


ローマ典礼定式書

 これはローマ典礼定式書(Rituale Romanum)のTITULUS X CAPUT Ⅰ DE EXORCIZANDIS OBSESSIS A DÆMONIO(pp.318-342)のものが公式祓魔式なのでしょう。ラテン語が解らないのでよくわかりませんが、第二部のpp.183-186のEXORCISMUS IN SATANAM ET ANGELOS APOSTATICOS が非公式祓魔式になるのかもしれません。これは第二部が洗礼から始まっているので、洗礼は悪魔祓いの一つであるのでその流れで出てきているのかもしれません(プロテスタントでも宗教改革者マルチン・ルターのルター派教会(ルーテル派)では、今日も洗礼に悪魔を祓う意味が込められています。)。

 教会法によれば
゛第Ⅳ集 教会の聖化する任務

 第2巻 他の聖なる崇敬行為
  第1部 準秘跡
・・・
 第1172条 
(1)なんぴとも,地区治権者から特別に明白な許可を得ない限り,悪魔につかれた者に対して適法に祓魔式を行うことはできない。
(2)前項の許可は,地区治権者によって,信心,学識,賢明及び品行方正な生活において秀れた司祭のみ与えられなければならない。˝(「カトリック新教会法典 〔羅和対訳〕」 有斐閣 p.621)

と厳格に規定されています。教会法典はカトリック信徒でもあまり持っていないかもしれませんが、カトリック信徒ならカテキズムは持っていることでしょう。そこにもこのようにあります。

゛第2部 教会の七つの秘跡
 第4章 他の典礼儀式
  第1項 準秘跡
・・・
1673 教会がイエス・キリストのみ名により、公に権威をもって、人あるいは物が悪魔の支配から保護され、その支配力から引き離されることを求める式は、祓魔式と呼ばれます。イエスはそれを実行なさいました。教会は、イエスから祓魔の権能と勤めを受けています。簡単な形では洗礼式のときに行われます。「大祓魔式」と呼ばれる盛儀祓魔式は、司教の許可を得た司祭だけが行います。それは、教会が定めた規則を厳守して、慎重に行われなければなりません。祓魔式の狙いは悪魔を追放し、悪魔の支配から解放することにありますが、これはイエスがご自分の教会にゆだねられた霊的権能によるものです。病気、とくに精神的病気の場合は祓魔式は行わず、医学的治療にゆだねます。したがって、祓魔を行う前に、当人の苦しみの原因が病気ではなく、悪魔の働きであることを確かめる必要があります。˝(「カトリック教会のカテキズム」 カトリック中央協議会 p.508)

 特に注目すべきは、カテキズムの"病気、とくに精神的病気の場合は祓魔式は行わず、医学的治療にゆだねます。したがって、祓魔を行う前に、当人の苦しみの原因が病気ではなく、悪魔の働きであることを確かめる必要があります。"とある箇所です。

 ローマ典礼定式書においても、悪魔憑きかどうかについて、観察すべき留意点が21項目がまず初めに出てきます(pp.318-321)。これについては島村奈津氏の著書「エクソシスト急募」(メディアファクトリー新書)に1952年版のイタリア語訳を著者が訳し解説を付したものが出ていますので、とても参考になります(私が見ているラテン語版は1906年版ですので、改定前の典礼書なので、違っています。)

 島村氏の訳から第3項目目を引用したいと思います。

"3,簡単に悪魔が憑依したなどと信じてはいけない。
 そのためには、取りつかれたと訴える人がなんらかの病を抱えてはいないか、殊に心理的な病を抱えていないかをよく見極める必要がある。・・・"(p.117)

 現在のカテキズムも島村氏が訳した改訂版のローマ典礼定式書にも、病気への配慮がよく表れています。またカトリックでは儀式に際して医師や医療従事者の立ち合いなんかを推奨しているようです。プロテスタント系の英米新興キリスト教の安易なものとの違いがあります。

Below The Line _ Marcel Vercoutere On The Exorcist.mp4_000009013


 ローマ典礼定式書と1974年の映画「エクソシスト」を比べてみますと、定式書の英訳をかなり簡略して使っているのが解ります。この映画には3人のカトリックの神父が出演したり、またテクニカルアドバイザーとして参加しているために、とても宗教的にクオリティーが高い仕上がりになっています。カトリックでは絶賛されたもののプロテスタントでは、米国の新興キリスト教のビリー・グラハムやファンダメンタリストのハル・リンゼイあたりが、キリスト教的無知ゆえに批判し、そのイメージが今も残っていてオカルト映画などと看做されたりしています。

 英訳の定式書が読めるサイトはこちらになります。ただし21の留意点は訳出されていません。また、第二部の方は英訳がなされています。
http://www.holygrail-church.fsnet.co.uk/Roman%20Ritual.htm

 第2部を見ますと現在のローマ典礼定式書では削除された「大天使ミカエルへの祈り」の1902年に短く編集されたものが英訳されています。1906年ラテン語版定式書では、1890年のオリジナルの長いバージョンの祈りが載っています。
Wikipedia Prayer to Saint Michael

つづく 
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教会


スティグマーター パッケージ Athanasius記名入り


1999年のアメリカのホラー映画(日本公開は翌年)に「スティグマーター 聖痕」(STIGMATA)」という作品がありました。パトリシア・アークエットやガブリエル・バーンが主演です。映画の内容なんかはWikipediaやポンコツ映画愛護協会『スティグマーター/聖痕』なんかで詳しく説明されていますので、そちらを見た方が解り易いでしょう。

 この作品の中に次のようなやり取りがありました。アンドリュー神父(ガブリエル・バーン)のもとに、かつての福音調査会の一人であったマリオン・ペトロチェリー元神父(レイド・セルベッジア)が、アンドリュー神父が主人公のフランキー(パトリシア・アークエット)が憑依状態でアラム語で書いたものについて、バチカンの秘文書間で翻訳の仕事をしているジアーニ神父に電話で相談し、ジアーニはその書かれたものがかつてアラメイダ神父・ジアーニ神父・マリオン神父が調査と翻訳をしていて、文書が公になることが教会の権威を失わせるとして拒否していたをした福音調査会の責任者であるハウスマン枢機卿によって、アラメイダとマリオンは欠席のまま破門になり、その時アラメイダはその文書が抹殺されることを恐れそれを盗み出し行方をくらましていたその失われたはずの文書と同じ内容のものが出てきたこと知り、それをもとの同僚マリオンに知らせ、彼はジアーニ神父からそれを聞いてアンドリュー神父のもとやって来ました。その時のやり取りが実に興味深い。


日本語は字幕ではなく、吹き替えのセリフです。英文は原文シナリオ。

スティグマーターセリフ 01


マリオン
これは紀元一世紀ごろのアラム語の文章だが、エルサレム郊外の死海文書のあった洞窟近くで発見された。
アラメイダと私がこれを分析した結果、この文書はキリスト本人が語った福音だと断定した。
だが、バチカン内には、この文書が教会の権威を失墜させるのだと考える一部党派があった。
PETROCELLI
It's an Aramaic scroll from the 1st century, discovered near the cave
of the dead sea scrolls outside Jeruselum. Alameida and I concluded
that it is a gospel of Jesus Christ. In his own words: Aramaic. There
are some from the Vatican who believe that this document could destroy
the authority of the modern church.

アンドリュー神父
なぜ?
KIERNAN
How?

マリオン
福音は、イエスが最後の晩餐で語った言葉だった。
イエスが死んだ後に、いかにして彼の教会を続けるかを指示したものだった。
PETROCELLI
It was Jesus' words to his disciples on the night of his Last Supper.
His instructions to them on how to continue his church after his death.

アンドリュー神父
なぜ、それがバチカンにとって脅威なんです?
KIERNAN
Why would that be so threatening?

マリオン
我々が福音調査会に最初のレポートを上げた時、ハウスマンは調査の中止を命令したが、アラメイダは拒み、文書を盗み姿を消した。
ハウスマンは欠席裁判で我々を除名にした。
PETROCELLI
When we gave our initial conclusion to the gospel commission, Houseman
ordered us to stop our work immediately. Alameida refused. He stole the
document and disappeared. Houseman excommunicated us in our absense.

アンドリュー神父
誰もアラメイダの行先は?
KIERNAN
You have no idea where he is?

マリオン
福音の翻訳を終えるまでは、どこかで潜伏を続ける気だろう。
ここに写真がある。ジアーニと私、アラメイダの三人でその福音を翻訳した。
PETROCELLI
He doesn't want to be caught until he finishes the translation.

PETROCELLI
That's Delmonico, me and Alameida. We were all translating the new
gospel together.

アンドリュー神父
彼に遇いましたよ。三週間前。ブラジルで。
KIERNAN
I've seen this man. Three weeks ago. In Brazil.

マリオン
えっ?
PETROCELLI
Yeah?

アンドリュー神父
死んでます。
KIERNAN
He's dead.

マリオン
なぜそんなことが?
PETROCELLI
How do you know this?

アンドリュー神父
棺に納まっていました。ペロキントの教会で、残念ですが。
KIERNAN
Because I saw him in his coffin in the church in Belo Quinto. I'm
sorry.

マリオン
(溜息)、では終わりだな。福音は失われた。
PETROCELLI
Then it is all over. It's gone forever.

アンドリュー神父
なぜあなたも除名に?
この福音の何が脅威なんです?
KIERNAN
Why was your work stopped? What was so threatening about this gospel?

スティグマーターセリフ 02


マリオン
見まわしてごらん、何が見える?
PETROCELLI
Look around, Father. What do you see?

アンドリュー神父
教会です。
KIERNAN
I see a church.

マリオン
建物だ。
イエス・キリストのまことの教会はもっとすばらしいものだ。
木や石でできた建物などいらない。
イエスを愛していれば、彼と私の間に、組織は必要ない。
ただ人と神がいればいい。
PETROCELLI
(Shrugs)
It's a building. The true church of Jesus Christ is so much more. Not
in buildings made of wood and stone. I love Jesus. I don't need an
institution between him and me. You see, just God.

スティグマーターセリフ 03


マリオン
僧侶も教会も要らない。
そのイエスの福音の出だしは、
神の王国は、汝の内にあり、汝の周りにある。
木や石でできた建物の中ではない。
薪を一つ割れば、私がいる。
石をどければ、そこに・・・
PETROCELLI
No priest, no churches. The first words in Jesus' goispel are: "The
kingdom of God is inside you. And all around you. Not in buildings made
from wood and stone. Split a piece of wood and I am there. Lift a
stone...

スティグマーターセリフ 04


アンドリュー神父
゛私がいる˝
KIERNAN
...And you will find me.

マリオン
そうだよ。
PETROCELLI
Yes, brother.

スティグマーターセリフ 05





 この映画でのトマス福音書の句は、現実に1945年にエジプトのナグ・ハマディで発見された写本群の一冊であるコプト語「トマス福音書」の中の語録77:2を後半部分として引用して、あとは聖書のルカ福音書17:21や使徒7:48などから前半を作ったものと思われます。

 また、実際の「トマス福音書」の起源はアラム語ではなく、おそらく二世紀後半のシリア(エデッサ)で、シリア語で書かれたものが原本ではないかと推察されています。詳しく知りたい方は「トマスによる福音書」(荒井献 講談社学術文庫)や「ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書」(岩波書店)を読まれるとよいでしょう。


トマスによる福音書とナグ・ハマディ文書二福音書 小 Athanasius記名入り


 この映画の中のこのセリフ。
"The Kingdom of God is inside you and all around you,
Not in a mansion of wood and stone.
Split a piece of wood and God is there,
Lift a stone and you will find God."

"神の国は汝の内に、周りにある
木や石造りの建物にはない
薪を割っても私はいる
石をどけても、そこにいる"
(字幕より)

 キリスト者も信仰生活が長くなってくると、いつの間にか建物や組織が教会である錯覚をしてしまいます。錯覚をしながらも口では教会は召し出されたキリスト者のことであるなどと説明はします。しかし、実際には組織や建物に囚われているのが現実でしょう。

 教会に献金するにしても、名目は神様への感謝などと申しますが、実際は教会の人件費(牧師給)が多くを占めていますし、教会堂(礼拝堂や教会施設)の維持や修繕、電気や水道などの光熱費、什器設備費、通信費、消耗品費、火災保険などが続いており、そして聖壇費、伝道費集会にかかる費用など、これら大きく三つに使われています。教会員はこれらを支えるために毎月維持献金(月定献金)を献げています。これはいい悪いではなく、必要なものです(ちゃんとした管理と会員への情報の完全公開、会計監査など、また総会などでの審査などしっかりしていれば)。

 しかし、こういうことに気が行き過ぎて、いつの間にか組織を維持すること、また拡張すること、建物を維持すること、建物を立派にすること、などに心を囚われてしまって、いつの間にかキリストを見失ってしまっていたりします。そうじゃなく、こんなものは二次的なものにすぎないんだ。まずは私と神、私とキリスト、私と聖霊の関係があれば、そこが第一歩。失っても見失ってもならないことであり、ペトラ(岩)に不動の教会をたてることになる(マタイ16:18)のです。

 
プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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