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マルコを下敷きとして


 今日、エホバの証人などのキリスト教類似新興宗教やキリスト教ファンダメンタリストたちを除けば、福音書においてマルコ福音書がまず最初に書かれ、そのマルコ福音書を下敷きにマタイとルカ福音書の筆者たちが、それぞれの独自資料も交えながら福音書を書いたことはよく知られています。

 田川建三という聖書学者は、「新約聖書 訳と註 マルコ/マタイ」(田川建三訳著 作品社)の解説において以下のように説明しています。

"一 解説

マルコ福音書

・・・

著作年代は、はっきりしたことはわからない。この点について学問的に最も正しいのは(そして現にある程度以上の学者たちは口をそろえてそう言っている)、わからない、ということである。とはいえ、大きな枠は定められる。マタイとルカがマルコを利用して書いている以上、マルコはマタイ、ルカ以前である。それも彼らの利用の仕方は、この福音書がすでにかなり普及している状態を示しているから、マルコとマタイ、ルカの間にはかなりな年数を見つもる必要がある。また、マタイやルカがはっきりと後70年のエルサレム崩壊を知って書いているのに対し、マルコはそのことを、そのことだけでなく、それにいたる第一次ユダヤ戦争(66~70年)の様子を知っていると思わせる要素はまったく出てこない。その近さを感じさせる要素があるなどと言い立てて、この福音書は60年代後半に書かれた、などと想定する学者が多いが、まったく根拠はない。むしろ13・14以下からして、ユダヤ戦争がはじまる前とみなす方が常識的だろう。

 以上である。以上のほかには手がかりはない。私はこの福音書は50年代に書かれた、と言うことにしている。ただしもちろん、そう考えるべき積極的な根拠もない。大多数の聖書学者が何の手がかりもないのに口をそろえて60年代末に書かれたと合唱しているから、それに対する警告の意を込めて、60年代が可能だというのなら、50年代だって少なくとも同等ないしそれ以上に可能だよ、と申し上げたいだけのことである。もしも彼らが50年代説を合唱しはじめたら、私は60年代説を支持するかもしれない。

 ただし敢えてどちらかというのなら、やはり50年代説を支持したくなる。イエスという男の生き生きとした思い出を伝えたかったというのであれば、比較的早い時期の方が自然だろう。"

 マルコの50年代説、60年代説など書かれた年代において、田川建三らしさはありますが、すっきりととても分かりやすい説明です。

 もう一つ、フランシスコ会聖書研究所訳注2011年合本改訂版の「マタイによる福音書解説」(新約p.2)、このように解説しています。

"  著述年代と場所
 19世紀以降盛んになった聖書本文の批判的研究の結果、従来の見解が覆され、最初に著述されたのはマルコ福音書であるとされ、それが現在の定説になっている。このマルコ福音書の成立は70年前後とされるため、マタイ福音書はそれ以降のものとなる。マタイ福音書にはすでにペトロを頭とする教会活動を前提とし(16・17-20、18章)、ユダヤ教の会堂から独立して活動していた教会に対する迫害への暗示も随所に見られる(5・10-12、10・16-19、24・9参照)。さらに、ルカ福音書同様、ドミティアヌス帝(在位81-96年)による迫害にいっさい言及していない。これらの諸点を考慮すると、本福音書はルカ福音書と前後して、恐らく80年代の初頭に成立したものと思われる。

 ・・・

  資料

 本福音書は三つの資料に基づいているというのが一般的見解である。まず、マルコ福音書を基礎資料とし、それに変更・修正を加えながら、福音書の内容並びに構成が組み立てられる。この基礎的枠組みに、ルカと共通するイエス語録(Q資料)が付加あるいは挿入され、さらにマタイ福音書に固有な特殊資料によって全体に膨らみがもたらされている。この特殊資料は多様な文学類型にわたるが、これらは特に本福音書の神学的特徴を際立たせている(たとえば、1・18-2・23、4・12-17、9・35-38、12・15-21など)"

 では、このような見解が定説となるまでに、共観福音書についてどのような説があったのでしょうか。

 まず、共観福音書についてはいろいろな議論や仮定がなされてきました。そのうちの主なものを見てみましょう(ルーテル神学校の「信徒のための神学通信講座 新約聖書」のテキストの第五課共観福音書概説より、ちょっと人名の補足を入れたり、文の終わりを変えたりしていますので引用符""では囲んではいません。)。


 1.原福音書説

 18世紀後半、ゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729年1月22日 - 1781年 2月15日)やJ・G・アイヒホルン(Johann Gottfried Eichhorn、1752年10月16日–1827年6月27日)が主張した説で、三つの福音書よりも先に、そのもととなる福音書があった、ことにそれはアラム語による福音書であって、三つの福音書は各々その原福音書をギリシア語に翻訳したものであるというのである。


 2.断片説

 19世紀初期のフリードリヒ・シュライアマハー(ドイツ語: Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher, 1768年11月21日 - 1834年2月12日)によって主張された説で、これによるとキリスト教初代の信者たちは、使徒たちによって伝えられたイエスの言行を断片的に記録した。福音書記者はそれらの断片を、奇跡、講話、受難、復活というように蒐集、構成した。


 3.伝承説

 ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(Johann Gottfried von Herder,1744年8月25日-1803年12月18日)やヨハン・カール・ルートヴィヒ・ギーゼラー(Johann Karl Ludwig Gieseler、1792年3月3日–1854年7月8日)による説で、使徒たちによってイエスのことが繰り返し宣べ伝えられているうちに、それらは一定の形をとって、キリスト教共同体の中の伝承となっていった。最初はおそらく使徒たちによってアラム語で語られたが、次第にギリシア語に翻訳されていった。


 4.利用説

 三者の間で一つ、ないし二つが、他の一つ、ないし二つを利用したのではないかという説。

 ①アウグスティヌスによって主張され、その後セオドア・ツァーン(Theodor (von) Zahn、1838年10月10日-1933年3月5日)やアドルフ・シュラッター(Adolf Schlatter、1852年8月16日 – 1938年5月19日)によって支持された考えでは、マタイによる福音書が先に書かれ、それを短縮したのがマルコによる福音書で、ルカはさらにそれを拡大したというのである。

 ②ヨハン・グリースバッハ(Johann Jakob Griesbach、1745年1月4日–1812年3月24日)によると、利用の順序はマタイ→ルカ→マルコであって、マルコによる福音書が最後に来ている。

 ③カール・コンラート・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ラハマン(Karl Konrad Friedrich Wilhelm Lachmann, 1793年3月4日 - 1851年3月13日)などは、マルコ→マタイ→ルカの順序を主張した。マタイとルカの記述が一致するのは、マルコと一致する時のみであるとして、マルコ優先説を主張したことでこの説は優れている。


 5.二資料説

 マルコの約91%が、マタイとルカの双方、あるいはそのどちらかに見られ、マタイの約50%、ルカの約40%がマルコに見られる。これを節数になおすと、マルコ(16:8まで)は、全体で661節あるが、そのうち31節がマルコ独自のもので、残りの630節は、マタイとルカ双方、あるいはマタイかルカどちらかに平行している。さらにマルコの三分の二はマタイとルカ双方に出ており、マルコの630節のうち三分の一はマタイかルカのどちらかに平行が見られる。以上のような数字を見てみると、マルコがマタイおよびルカの共通資料となったことが考えられる。

 さらにマルコの表現は文学的、神学的面において素朴であるのに対し、マタイやルカはこれを修正着色している。

 次にマタイとルカだけにある共通資料について考えなければならない。このさいマタイかルカかどちらか一方が他方を用いたと考えることもできるが、しかし両者には共通部分とともに、独自の部分も大きいことが考えられなければならない。

 1838年クリスチャン・ヴァイス(Christian Hermann Weisse、1801年8月10日から1866年9月19日 )によってQ資料存在の仮説は、マルコ優先説と関連して唱えられたのであって、マタイとルカに共通に存在する教えのもとになるイエスの語録の存在を考える。もちろんそれは現在まとまった一冊の文書として存在しているのではなく、あくまで仮説であるので、それを認めない学者もある。しかし今日一般にこの説は有力であって、多くの学者によって支持されている。


 6.原マルコ説

 マルコには、マタイもルカも利用しなかった部分があり、またルカはマタイに比べてあまりマルコを用いていない。ことにマルコ6章45~8章26はまったくルカにないということから、マタイやルカが用いたのは現在のマルコによる福音書ではなく、それより短い、もっと前の形の「原マルコ福音書」であったと推測するのである。

 この他にもプロト・ルカ説などもありましたがそれらは省略します。

  今日、マルコ福音書が最初に書かれ、第一次ユダヤ戦争の後、ギリシャ語を第一言語とするキリスト者によって、マタイとルカ福音書がマルコ福音書とQ資料とそれぞれの特殊資料によってそれぞれの福音書を書きあげたというのが一般的なのです。

 マルコ優先説や二資料説などがファンダメンタリストたちに拒否された理由についてバートン・L・マックはこのように説明しています。

 "研究者は、この二資料説の論理にもかかわらず、ただちにはそれを受け入れなかった。彼らが抵抗した第一の理由は、語録資料の観念にあったというよりは、マルコの優位性を認めたくなかったことにある。マタイを何としてでも優先させたかったのである。マタイはつねに、教会の憲章として、特権的地位を享受していた。いやそればかりでなく、マタイ福音書の方が史的イエスの探求にとってはるかに好都合なものであった。イエスの生涯を探求するための基地にするには、マルコは一方では貧弱すぎ、他方では奇跡物語が多すぎたからである。マタイは、こちらの望むような仕方でつくられていた。そのイエス像はより受け入れられるものであり、イエスの教えの目的はより明瞭であるように思われ、イエスの生涯は、すぐれた伝記がそうであるように、順を追って展開されていたのである。アルバート・シュヴァイツァーは、19世紀末のイエスの探求を要約し、そのうえで彼自身の考えるイエスの生涯を提案したが、彼はその記述をマタイ福音書に基礎づけることに何の疑問も感じなかった。今日でも、この二資料説に抵抗しつづけ、マタイを最古の福音書とする研究者がいる。
 「失われた福音書 Q資料と新しいイエス像」(バートン・L・マック著 青土社 pp.34-35)"


 マタイ福音書は実に教会的、教会のドグマに合う福音書でありました。それゆえこの福音書が、使徒たちを弱弱しく否定的に描いたり教会のドグマに何かと反するマルコを下敷きに書かれたというのは受け入れがたいのでしょう。

 Synopsis Quattuor Evangeliorumなどを見ますと、こう言った田川氏やフランシスコ会聖書研究所訳聖書の解説や註など、ああそうなんだと納得できるものです。

Synopsis Quattuor Evangeliorum Athanasius記名入り

マルコ3:22 Synopsis Quattuor Evangeliorum Athanasius記名入り


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