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式文改訂に思う 3


第7次式文と第8次式文 記名


 次に、これまでは信仰告白の後に、「奉献の部」に入って行くのですが、これが新しい改定式文では無くなり、替わりに「とりなしの祈り」というものがここに置かれました。

その理由について、「るうてる」紙はこのように説明しています。

2014年11月号
"キリスト者は、その初めから聖書を読むこと、神の言葉を聴くことと「パンを裂くこと」(聖餐)を礼拝の中心に据えました。主日礼拝を具体的に記録した最古のものと言われるユスティノス(2世紀前半)の『第一弁証論』にこうあります。「太陽の日と呼ぶ曜日には、…一つところに集まり、使徒達の回想録か預言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。 朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。…一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと…パンとブドウ酒と水とが運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。…会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配を受け、これに与ります」。改訂式文の「みことば」と次の「聖餐」の繋がりが良く分かります。というより、これまでのどの時代のどんな礼拝でも、基本は、この2世紀の記録そのままであったことがお分かりでしょう。
・・・「とりなしの祈り」をここに置いたのは、先のユスティノス以来の説教に続けて行われた伝統の回復と、現在、しばしば起こる献金(奉献)の祈りとの混同を避ける意図があります。"

2014年12月号
"この「みことば」と「聖餐」は、神様からの恵みの働きとして一貫し、連続したものと理解されます。そのことを確認する意味で、今回の改訂案では「奉献」をこの間におくことを避けました。奉献というと、私たち人間が神様に捧げものをする、人間の神様に対する業という方向性を強く示すようになるからです。
 実際、ルターが礼拝順序を書いた『ラテン・ミサ』、『ドイツ・ミサ』いずれにも、「奉献」あるいは「献金」は礼拝順序には置かれていません。
 そもそも礼拝の歴史の中で「奉献」は独立した一構成要素とは考えられてはいません。むしろ、聖餐の部のなかに組み入れられていて、聖餐そのものが神に繰り返し捧げられる犠牲・奉献と考えられてきたのです。
 ルターはその聖餐の理解を180度ひっくり返し、神の恵みの業として理解したのです。ですから、この聖餐の中に奉献を残さなかったのです。
 つまり、礼拝を神様の人間に対する奉仕の業と理解するルター派の信仰に基づいて、この説教と聖餐の一貫性をまず大切にしたいのです。
 奉献についてはそれが教会の宣教の働き、奉仕の働きに用いられるものだから、 派遣の部におくことを提案しています。"

2015年1月号
" 「奉献」は、その言葉が示すように、神への献げものです。同時に神の恵みによって生かされている私自身を献げることでもあります。それは私たちが神に犠牲を献げる行為ではありません。神は、み子イエスをただ一度だけ十字架において犠牲としてくださったことで、救いを完成しているのであり、私たちからの犠牲など必要とされないのです。ゆえに私たちは犠牲ではなく、みことばに与った恵みを分かち合うために献げます。これは「サクラメントを十分に理解するように民衆に教えたので、人々は外的な食物や資産をも持ち込み、必要とする者たちに分け与えた。ミサにはコレクタということばが残っており、共同に集めるという意味である。貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じ。」(『キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントについて、及び兄弟団についての説教』)というルターの言葉とも重なります。そのため、困難の中にある人々と分かち合うための奉献であることを「派遣の祈り」の中心に据えました。"

 理由として、

「とりなしの祈り」をここにおいて、二世紀のユスティノスが伝える形式戻したということ。

そして、"しばしば起こる献金(奉献)の祈りとの混同を避ける意図" としていますが、そもそも「奉献の祈り」を何と混同しているのかがよくわかりません。律法やカトリックの犠牲の奉献と混同するなどということが起きているとでもいうのでしょうか。

ルターの書いた指針となる「ドイツ・ミサ」の礼拝順序にないということ。

カトリック的な奉献の否定。

なのでしょうが、そもそもカトリックのようなミサ聖祭における「奉献」の理解を教会で教えていないのに、そのような理解をしてしまうはずはないと思います。もしそのような理解に至るとすれば、教会での学びの場が少なすぎることや、教職がそういうことを会衆に伝えて来なかった、それこそ「怠り」からくる問題でしょう。

別に、ここの個所から「奉献の部」がそのまま礼拝の「派遣の部」の中に組み入れられたというのなら、それほど驚きはしなかったのですが、移ったのが「献金」だけで、「奉献唱」も「奉献の祈り」も無くなってしまったことと、「派遣の祈り」が新たに置かれ、その中に、 "今集めるものがあなたを証し、必要とする人々に届けられますように。" との文言が入ったことは、大きな違和感の嫌悪をもたらします。

現在のささげものは、初期のような日常生活品を携えてきて分け合うというのとは違い、はっきり言えば「お金」を前列から回ってくる献金皿(袋や籠)や係が差し出す献金皿に集金することです。その回収されたものをあとで会計が集計して、教会の人件費や諸活動に必要な経費、建物にかかる経費、電気光熱費などに使われます。初期教会とは違い、貧しい困っている兄弟姉妹に分け与えたりなんてことはしないので、 "貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じ" なんてロジックを掲げるのはあまり意味がないと思います。

まさしく現代の献金は、ルターの言う

"・・・しかしながら、昔は、このサクラメントをりっぱに行い、この交わりを十分に理解するように民衆に教えたので、人々は外的な食物や資産をもとに教会の中に持ち込み、そしてそこで、必要とする者たちに分け与えたほどであった。パウロが第一コリント11章〔21節〕に書いているとおりである。それゆえに、今日、ミサにはコレクタ(collecta)ということばが残っているのである。それは、共同に集めるという意味であって、ちょうど、貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じである。このように≪互いに重荷を負い合ったので≫、当時は実に多くの殉教者や聖徒ができた。また、当時は、ミサの数がもっと少なかったが、ミサの力や効果はたいしたものだった。当時は、ひとりのキリスト者が他のキリスト者の世話をし、互いに援助し、互いに同情し、互いに重荷や災難を背負ったのであるが、今日では、これが消滅してしまって、ただ多くのミサがあり、サクラメントを多く受けるばかりで、その意義の理解も実施もまったく欠いているのである。"
(キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントについて及び兄弟団についての説教 1519 「ルター著作集 第一集 第1巻」 聖文舎 pp.644-645)

との言葉が当てはまります。コレクタという行為のみ残ったが・・・という感じです。いままでのプロテスタントとしての「奉献」とは比べようもない程離れてしまいました。

そして、"今集めるものがあなたを証し" この文言が一番いやらしいと感じます。お金が神を証しする。なんとも嫌な響きです。

現行の「奉献の祈り」にある感謝がまったく感じられません。

"奉献の祈り
 司) 祈りましょう。
 あわれみ深い神よ。あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。私たちは 私たち自身と賜わったすべてのものを 喜びと感謝をもってささげます。私たちのために ご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、私たちのささげるすべてを受け入れてください。あなたと聖霊とともに とこしえに ただひとりの神であり、世の終わりまで生きて治められるみ子 主イエス・キリストによって祈ります。
 衆) アーメン。"

そんな意味ではないというのなら、礼拝という開かれた場に使われる文言として、読んですぐに理解できるものでないという問題があるということで、すでに不合格だと思います。

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式文改訂に思う 2


さて、改訂式文について。さらに見て行きましょう。

第7次式文と第8次式文 記名


前回、礼拝における「共同懺悔」または「罪の共同の告白」と呼ばれる箇所において、新たに「怠り」の罪、「無関心」の罪という文言が書き加えられ、そして、いままであった原罪条項が削除されたことを見ました。

今回はもう一つの問題点。「赦しの祈願」についてです(歴史的な経緯は、「キリスト教礼拝史」(W.ナーゲル著 教文館)のpp.135-136、p.171などが参考になります。)。

ここで改訂式文の文言は、それまでのゆるしの祈願文ではなく、ゆるしの宣言の文言に変更されています。

さらに(2)においては、 "私はあなたのすべての罪が赦されたことを宣言します。父と子と聖霊のみ名によって。" と、まるでカトリックの「ゆるしの秘跡」(悔悛の秘蹟・告解)において司祭が行うゆるしの宣言のような文言になっています。

まるで牧師がカトリックの司祭になるかのようです。会衆とともに神に赦しを願うのではなく、一段高い位置から、まるで神の代理人、神に会衆をとりなす存在かのようにしてしまっています。すべてのキリスト者が神の前に祭司性を有し(「全信徒祭司性」。一般のプロテスタントでは「万人祭司」と呼ばれる)、それぞれが祭司として第一の按手に召されたものとしてこの世に派遣され、とりなしをなすものですが、その信徒とは切り分けた存在。一段高位にいて祭司たるキリスト者を神にとりなす存在に牧師を位置付けるかのようです。

たしかに、前の「第7次式文」において、この「ゆるしの祈願」は「ゆるしの宣言」とタイトルが付され、牧師は会衆に向かって文言を述べていますが、式文の文言自体は文体の違いはあるものの同じ祈願文でした。それが今回の改訂では、祈願文ではなく、宣言に替えられています。これはとても問題だと感じます。牧師はカトリックの司祭みたいになりたいのかと怪しみます。

つづく


式文改訂に思う。


 さて、この前「現行の「第8次式文」と「主日礼拝式文 改訂試案第一版(最終版)2014.3.4」」という二つの式文をアップしましたが、この改訂式文というものをよく見てみるととんでもないな~と思えてきます。

第7次式文と第8次式文 記名

 茶式文と呼ばれる茶表紙の「第7次式文」から現行の「第8次式文」に変わった時、それまでの文語体から口語体に代わり違和感を覚えましたが、それでも文言の文体が変わったのと若干の変更がみられただけで、それなりに受け入れられましたが、今度の改訂式文は礼拝からルーテルらしさを無くしてしまい(教義的にも)、カトリック化と信仰義認から行為義認へ、また行為の強調、といった印象を強く受けるものでした。

 改訂の経緯について、日本福音ルーテル教会の機関紙「るうてる」の2014年8月号によれば、

"礼拝式文の改訂
・ルーテル教会式文(礼拝と諸式)1996年版「青式文」について
樫木芳昭(日本ルーテル教団式文委員)

1 青式文完成に至る流れ
 青式文刊行の準備は日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団両者の機関決定を経て1981年に始まったが、その前史に1970年代の神学セミナーでのアメリカにおけるルーテル教会合同の式文委員会が提案した3年周期の聖書朗読日課と主日の祈りの紹介がある。その後、アメリカの合同式文委員会が提案した礼拝を含む諸式文を研究し、日本版の式文を模索することが同セミナーで提案され、ルーテル4教会の有志による研究が開始された。その中で以下の暗黙の合意事項が生まれた。
・各々の教会が宣教母体から受け継いだ慣行を尊重し、その当否を論じない。
・アメリカの合同式文委員会が提案した礼拝を含む諸式文の精神を尊重しつつ、できるだけ日本の精神風土に馴染むものを模索する。
 こうして、セミナーの後続研究から、青式文の素案に近いものがまとまった。当初は、これからの式文に寄与することを願う自主的作業であり、教会・教団の正規の手続きを経たものではなかったが、やがて前述の機関決定を経た共同の式文編纂作業となった。
 1960年代初頭に使用が開始された口語の「茶式文」の採択から20年あまりを経て、各個教会で使用する聖書も口語訳から共同訳、そして新共同訳へと移行しはじめた状況を踏まえ、10年程の作業を経て完成したものである。

2 編纂作業で取り上げられた諸事項
・ローマを中心に発展したラテン教会のミサを基にした。
・和訳に際し、式文の文言は聖書に基づいており、限りなく聖書本文に近いが、教会の歴史の中で典礼文として磨き上げられた文言であることに留意した。
・茶式文になかった〈部〉を設けて式文全体を大きく区分し、各項目に番号を振って、礼拝の流れを把握しやすいよう計った。
・茶式文までの日本語式文では、開会の讃美歌、ざんげと赦免、讃美頌、挨拶、特祷となっていたが、開会の讃美歌と讃美頌は元々同じもので、始まりは司式者群の入堂、すなわち礼拝の開始時に歌われた讃歌に由来するので「初めの歌」とし、「讃美歌、詩篇唱を用いてもよい」と註書きをつけた。
 続くざんげと赦免は、その起源が司式者群の相互のものに由来し、礼拝の外の事柄だったのを、罪の告白は神に、赦しは「福音の説き明かし」と「聖礼典」を通して与えられるという立場に拠り、礼拝式本体に位置づけた。
・茶式文では福音書朗読の前に指定されていたグラジュアルを「詩篇唱」として「讃美唱」を用い、「栄唱」で結ぶよう提案した。
・聖餐の「設定辞」、茶式文では「わたされる夜」となっていたのを「苦しみを受ける前日」とキリストの十字架の贖いを強調する文言にした。
・「文語式文」には採用され、「茶式文」で削除されていた「ヌンク・ディミトゥス」を罪赦されて世に出て行く喜びの歌として回復した。
・3種類の「派遣の祝福」を用意し、その礼拝の性質に合わせて選択可能とした。
・冒頭の『一般的取り扱いの原則』と『礼拝のための取り扱い』によって、個々の教会の礼拝における実践について示唆する。

3 結び
編纂作業を開始する際、ルーテル教会の式文は会衆に理解されることを大前提にしており、どんなに優れていると自負する式文であっても、2、30年の時間が経過すると、常用の言葉遣いや神学の潮流が変化し始めることもあり、その完成は次の式文編纂の準備の始まりだと聞いた。それを踏まえると青式文の評価がどうあれ、着手以来30年余の時が過ぎた今、新しい式文の編纂が行われることは極めて当然のことと思う。"

るうてる誌 2014年9月号
"・・・・さて、現行式文の発表からおよそ30年経った現在、ルーテル教会は、式文の改訂作業に取り組んでいます。今なぜ式文を改訂する必要があるのでしょうか。
 まず、前回の改訂から礼拝式文の改訂30年以上の歳月が経過しているということ自体が大きな理由です。
 先ほど、私たちの教団では現行の式文がようやく定着したと述べました。発表から定着まで実に30年を必要としたのです。今、改訂しておかなければ、この先、現行の式文をさらに30年も40年も、見直しせず用い続けることになります。
 もちろん良いものが長く用いられることは素晴らしいことです。同時に、この30年の間に、様々な変化がありました。まずは日本語です。かつて使われていた言葉が、現代の人たちには通じなかったり、違った意味を持つようになったりしています。
 私たちが用いている日本語聖書も、『明治元訳』(1887年)、『大正改訳』(1917年)、『口語訳』(1955年)、『新共同訳』(1987年)と改訂が重ねられ、さらに、2016年に『標準訳』が発行される予定です。30年が改訂の一つのサイクルとなっています。
 礼拝の神学の研究も進んでいます。私たちが生きる社会の状況も変化しています。大震災と原発事故を体験し、平和憲法が危機に晒されている今日です。 音楽もまた、古きよき伝統的なものとともに、新しいよいものがたくさん生み出されています。
・・・・・"


 8月号の結びで、 "2、30年の時間が経過すると、常用の言葉遣いや神学の潮流が変化し始めることもあり" と言っています。また翌月号ではそれを少し詳しく説明していますが、では、現行の「第8次式文」の文言の中で、今の人に意味の通じないことばがあるのか?と思います。普通に義務教育修了していればわかる程度の文言だと思います。これが解らなければ改訂式文の文言もわかるとは思われません。

 また、 "大震災と原発事故を体験し、平和憲法が危機に晒されている今日です。" これの何が礼拝式文と関係するのか全く分かりません。 前段は自然災害と事故です。そして、後段はこの記事を書いた人の左寄りな政治思想です(牧師にはこの手の左寄りが多くて困ったもの)。 そうしたら大災害が起こる度に、大事故が起こる度に、左寄りの赤い牧師らの個人的な政治思想から、彼らの主張が危ぶまれる度に式文を改定するのか!!!と怒りを込めて言いたくなります。政治的なことは個人として、教会の外で勝手にやれ!!!! お前らの勝手な政治思想で、救いのために開かれた教会の門を閉ざすな!!!

 今回の改訂は冒頭から酷いものです。まず、罪の告白でそれまであった "私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、" という原罪条項がバッサリと削除されています。それについて「るうてる」紙には何も説明がありません。

るうてる誌 2014年10月号
"礼拝式文の改訂・「招き」について    式文委員 中島康文
 現行の式文は始まりを「開会の部」、終わりを「派遣の部」と説明します。あまりにも漠然とした区切りの言葉ですから、私は大雑把ですが「礼拝は『懺悔(罪の告白)』に始まり『祝福』で終わる」と説明してきました。礼拝の中心を説明した言葉ではありませんが、きっかけになるものと考えたからです。 しかしこの説明では誤解を招く心配もあります。つまり「礼拝は懺悔から始まる」と。確かに、懺悔は始まりの要素として重要ですが、始まりではありませんし、礼拝の準備行為として礼拝式の外に置かれてきた歴史もあります。また、現行式文においても「開会の部」には「初めの歌(入祭頌)からキリエ、グロリアまで」豊かな要素が沢山あるのです。
 式文委員会では、「始まり」に含まれる項目を、時間をかけて検討してきました。特に「罪の告白」の言葉については、信仰と職制委員会より答申された検討の課題(2006年6月10日付)を中心に議論しました。議論を重ねる中で、「東日本大震災」に遭遇し、私たちの有り様を具体的に表現することを痛感し「無関心」という言葉も選択しました。その上で、礼拝の始まりを表現する言葉として何が相応しいかを考えました。
 「罪の告白=懺悔」は礼拝の始まりではないと前述しましたが、そのことはまた礼拝出席の可否の条件でもありません。しかしながら「キリスト者の一生は心を入れ替え、自己の罪を憎むものである」とルターが言うように、悔い改めが大切なことは言うまでもありません。その悔い改めに私たちが導かれるのは、聖霊の働きによってです。アウグスブルク信仰告白第17条に「人間は、聖霊の恵みや助力、その働きによらないで、神に受け入れられ、心から神を畏れ、信じ、また心の中から生来の悪い欲望を取り除くことはできない。むしろそのようなことは、神のみことばを通して与えられる聖霊によって起こるのである」とあることからも理解できます。礼拝の始まりを、アメリカでは「Gather」と表現されていますが、「集い、共に集う」では状態が強調されているだけのように感じられます。むしろ「神の招き」によって礼拝に集っていることを覚え、礼拝の始まりには、「神の招きが聖霊によって私たちにもたらされることが不可欠である」ことと受け止め、「招き」としました。
 最後になりますが、この「招き」は全ての人に、すなわち洗礼の有無、信仰生活の長短に関わらず与えられています。「招き」への応答が、「礼拝への出席、罪の告白、赦しの求め、福音に与る」等の行いとなります。また、礼拝の終わりに祝福を受け派遣された私たちは、一週間の歩みの後に再び「招き」をいただくという、恵みの循環の中で日々を過ごしていくのです。
 招かれて、神様のサービスをいただきに、主の日に教会へお出かけください。"

 そして、原罪条項を削除しただけではなく、新たに 

"・・・行いと怠り、また無関心とによって、あなたから遠く離れ、背いてきました。"  

"私たちの怠りにおいて、み前に罪ある者です。私たちは、心をつくしてあなたを愛することをせず、 また隣人たちを自分のように愛することもしませんでした。" 

と、「怠り」・「無関心」・「背き」という文言や「愛することを」しないということを差し込んできました。

 とても外的なことこだわっているように見えますし、カトリックが1970年の現行の「ミサ式次第」に導入した

"司祭 全能の神と、
 会衆 兄弟の皆さんに告白します。
わたしは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深いわたしのために神に祈ってください。
 司祭 全能の神がわたしたちをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。
 会衆 アーメン。"

という文言にだいぶすり寄ったイメージがあります。カトリックの式次第にも、原罪条項はありませんし、1970年のカトリックのミサ式次第で導入された「怠り」の罪を導入しています。それ以前のトリエント・ミサ式文には当然ながら「怠り」の文言はありません。

トリエント・ミサ式文の告白の祈りの個所(http://hvri.gouketu.com/index.html)
"Confíteor Deo omnipoténti, beátæ Maríæ semper Vírgini, beáto Michaéli Archángelo, beáto Ioánni Baptístæ, sanctis Apóstolis Petro et Páulo, ómnibus Sanctis, et vobis, fratres: quia peccávi nimis cogitatióne, verbo, et ópere: percutit sibi pectus ter, dicens: mea culpa, mea culpa, mea máxima culpa. Ideo precor beátam Maríam semper Virginem, beátum Michaélem Archángelum, beátum Ioánnem Baptístam, sanctos Apóstolos Petrum et Páulum, omnes Sanctos, et vos, fratres, oráre pro me ad Dóminum Deum nostrum.
R. Misereátur tui omnípotens Deus, et dimissis peccátis tuis, perdúcat te ad vitam ætérnam. V. Amen.

全能の神、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカ エル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、諸聖人 及び汝ら兄弟達に向かいて告白し奉る。我は思いと 言葉と行いとをもって多くの罪を犯せり。 (三度胸を打 ちながら) これ我が過ちなり、我が過ちなり、我がいと 大いなる過ちなり。これによりて終生童貞なる聖マリ ア、大天使聖ミカエル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、 聖パウロ、諸聖人及び汝ら兄弟達に、我の為、主なる 我らの天主に祈られんことを願い奉る。

R. 願わくは、全能の天主汝を憐れみ、汝の罪を赦し て、終わりなき生命へ導き給え。 V. ア-メン。 "

 
  「怠り」ということは、為さなければならぬこと(律法、義務、戒律ということになりますよね)をなさなかった、という「行い」が問われています。とてもルーテルらしくない文言だと思います。

 無くす必要のないものを無くし、導入すべきではないものを導入したと見えます。

つづく

現行の「第8次式文」と「主日礼拝式文 改訂試案第一版(最終版)2014.3.4」

「第8次式文」

第八次式文 記名


   開会の部
前奏

1 初めの歌
 讃美歌、詩篇、入祭頌のいずれかを用いる。詩編または入祭頌が用いられるときは、その終わりに「栄頌」を続ける。

 衆) 父 み子 み霊にみ栄え、
    初めも 今も のちも世々に絶えず。アーメン

2 み名による祝福
 司) 父と子と聖霊のみ名によって。 衆) アーメン

3 罪の告白の勧め
 
 司) 私たちは父なる神のみ前に まごころをもって近づき、罪をざんげし、主イエス・キリストのみ名によって ゆるしを願いましょう。

4 罪の告白
 司) 父なる全能の神よ。
 全) 私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いとによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りないあわれみによりたのみます。
 司) あわれみ深い神よ。
 全) み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪をゆるしてください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみことばへの従順な心を私たちに与えてください。

5 ゆるしの祈願祝福
 司) ひとりのみ子イエス・キリストを死に渡し、すべての罪をゆるされたあわれみ深い神が、罪を悔いみ子を信じる者に、ゆるしと慰めを与えてくださるように。
 衆) アーメン

6 キリエ
 (1)
 司) 平和のうちに祈りましょう。 衆) 主よあわれんでください。
 司) 神よりの平安と、霊の救いのために、祈りましょう。
 衆) 主よあわれんでください。
 司) 世界の平和と、神の教会の成長と、
       主の民の一致のために、祈りましょう。
 衆) 主よあわれんでください。
 司) この聖なる家に、神への恐れと、信仰をもって集い、感謝と、
       讃美をささげる者のために、祈りましょう。
 衆) 主よあわれんでください。
 司) 神よ、恵みによって、救い、助け、守り、あわれんでください。
 全) アーメン。

  (2)
 司) 主よ、あわれんでください。
 衆) 主よ、あわれんでください。
 司) キリストよ、あわれんでください。
 衆) キリストよ、あわれんでください。
 司) 主よ、あわれんでください。
 衆) 主よ、あわれんでください。

 キリエは(1)(2)に代えて、讃美歌「キリエ、恵み豊けき」を用いてもよい。

7 グロリア(栄光)
 司) 天には栄光神に
 衆) 地には平和 み心にかなう人に。主をあがめ 主を仰ぎ、主を拝み 主をたたえます。主なる神 天の王 全能の父よ、主の大いなる栄光に 感謝します。主イエス・キリスト、神のひとり子、父のみ子、神の子羊、世の罪を取り除く主よ。私たちを、あわれんでください。私たちの祈りを聞いてください。父の右におられる主よ、私たちをあわれんでください。聖にして ただひとりの主、いと高きキリスト。主は聖霊とともに 父なる神の栄光のうちに。
 全) アーメン。

グロリアに代えて、教会讃美歌「いと高き神にみ栄えあれ」を用いてもよい。

    みことばの部

8 祝福の挨拶
 司) 主が共におられるように。
 衆) また、あなたと共に。

9 特別の祈り
 司)祈りましょう。
   ——( 特別の祈り )—— み子、主イエス・キリストによって祈ります。
 衆) アーメン。

10 旧約聖書、使徒書の朗読
 朗読奉仕者) 本日の初めの朗読は○○書○○章○○節から始まります。
   ——( はじめの日課 )—— 日課を終わります。

 朗読奉仕者) 本日の第二の朗読は、○○書○○章○○節から始まります。
   ——( 第二の日課 )—— 日課を終わります。

11 ハレルヤ唱
 全) ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

      四旬節、受難週には次の詠歌を用いる。
 全) キリストはおのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで み旨に従われた。

12 福音書または主要日課の朗読<福音を一同起立して聴きます>
 司) 本日の福音は○○書○○章○○節から始まります。
     ——( 日課 )—— 本日の日課を終わります。

13 みことばの歌
      讃美歌、詩篇、グラジュアルのいずれかを用いる。
 司) 本日のみことばの歌として、○○を歌いましょう。

14 説教
 
 説教者ははじめに、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」、説教の終わりに(1)「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように」、(2)~略~、その他を用いることができる。
 

15 感謝の歌
      讃美歌を用いる。
 司) 本日の感謝の歌として、○○を歌いましょう。

16 信仰の告白
 司) ニケヤ信条(または使徒信条)によって信仰の告白を共にしましょう。
 全) 【ニケア信条(または使徒信条)】



    奉献の部
17 祝福の挨拶
 司) 主が共におられるように。 衆)また、あなたと共に。

18 奉献と奉献唱
 司) 主にささげましょう。



   (奉献唱)
 全) 神よ、私のために清い心を造り、ゆるがぬ霊を 私のうちに 新しくしてください。私を あなたの み前から捨てず、あなたの聖なる霊を 私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを 私に返し、喜び仕える霊を与えて、私を支えてください。

19 奉献の祈り
 司) 祈りましょう。
 あわれみ深い神よ。あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。私たちは 私たち自身と賜わったすべてのものを 喜びと感謝をもってささげます。私たちのために ご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、私たちのささげるすべてを受け入れてください。あなたと聖霊とともに とこしえに ただひとりの神であり、世の終わりまで生きて治められるみ子 主イエス・キリストによって祈ります。
 衆) アーメン。

    聖餐の部
20 聖餐の歌
      讃美歌を用いる。(この歌は省いてもよい)
 司) 聖餐の讃美歌○○を歌いましょう。

21 序詞
 司) 主が共におられるように。 衆) また、あなたと共に。
 司) 心をこめて 主を仰ぎましょう。 衆) 主を仰ぎます。
 司) 主に 感謝しましょう。 衆) 感謝は ふさわしいことです。

22 その日の序詞
 司) いつどこででも——( 特別序詞へ続く )——
      特別序詞は、その礼拝が属している教会暦期節のものを用いる。
   (結びの句)
  ——( 特別序詞 )——今、地にあるすべての教会は、あなたのみ名をあがめ、永遠の讃美を天にある天使の軍勢と共に声を合わせて歌います。

23 サンクツウス(聖なる) <設定に備えて一同起立をします>
 全) 聖なる 聖なる 聖なる万軍の主。主の栄光 天地に満つ。 天にはホサナ。主のみ名によって来られるかたを たたえよ。天にはホサナ。

24 設定 <設定は一同起立のうちに行われます>
  (1)
 司) 私たちの主イエス・キリストは 苦しみを受ける前日、パンを取り、感謝し、これを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って 食べなさい。これは あなたがたのために与える私のからだである。私の記念のため、これを行いなさい」。
 食事ののち、杯をも同じようにして言われました。「取って、飲みなさい。これは 罪のゆるしのため、あなたがたと 多くの人のために流す 私の血における 新しい契約である。私の記念のため、これを行いなさい」。
 衆) アーメン。

 (2)
  司) 聖なるみ心を成就し、私たちの救いを成し遂げるために、私たちの主イエス・キリストは苦しみを受ける前日、パンを取り、感謝し、これを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って食べなさい。これはあなたがたのために与える私のからだである。私の記念のため、これを行ないなさい」。
   食事ののち、杯をも同じようにして言われました。「取って飲みなさい。これは罪の赦しのため、あなたがたと多くの人々のために流す私の血における新しい契約である。私の記念のため、これを行ないなさい」。
   主なる全能の神よ。キリストの苦しみと死と、栄光の復活と、昇天、また再臨の御約束を思い、あなたに感謝をささげます。私たちはあなたのみ前に立ち、み子の命じられた記念のわざを行ないます。
   父なる神よ。あなたご自身が聖霊によってこれらのパンとぶどう酒を祝別してください。これを受ける者が一つとなり、信仰を堅くし、みことばと聖霊に満たされ、み子イエス・キリストによって、あなたを讃美するに至るよう導いてください。
   (聖なる賜物を受ける私たちが天の祝福と恵みに満たされ、罪の赦しを受け、体も心も清められ、主に喜ばれるすべての聖徒と共に、天の祝宴にあずかるに至るように導いてください。)
   すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。
 衆) アーメン。

   (三)
 司) 聖なる神、全能の憐れみ深い父よ。
   あなたの憐れみは限りなく、あなたの支配はとこしえに続きます。あなたはすべての被造物に光といのちを満たされました。天地はあなたの栄光に満ちています。
   あなたはアブラハムによってすべての民の祝福を約束され、預言者たちによってその約束を新たにされました。世の終わりにのぞんで、み子イエス・キリストを遣わされました。キリストはことばと行動をもってあなたのみ国を宣べ伝え、命を捨てるまであなたのみ旨に従われました。
   (あなたのみ子)私たちの主イエス・キリストは苦しみを受ける前日、パンを取り、感謝し、これを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って食べなさい。これはあなたがたのために与える私のからだである。私の記念のため、これを行ないなさい」。
   食事ののち、杯をも同じようにして言われました。「取って飲みなさい。これは罪の赦しのため、あなたがたと多くの人々のために流す私の血における新しい契約である。私の記念のため、これを行ないなさい」。
   主が来られるその時まで、このパンを食べるごとに、この杯から飲むたびに、私たちは主の死を告げ知らせます。
 衆) キリストは死なれました。キリストは復活して今もおられます。キリストは再び来てくださいます。
 司) このパンとぶどう酒をもって私たちのためにささげられた主のいのちを私たちは記念します。主の復活の証しを信じ、主が再び来てくださり、大いなる約束の祝宴を私たちと共にしてくださる日を待ち望みます。
 衆) アーメン。主よ、来てください。
 司) 今あなたの聖霊を、復活の主の霊を送ってください。主のからだと血とを受ける私たちがあなたの栄光を讃美し、すべての聖徒たちと共にみ国を受け継ぐことができるようにしてください。
 衆) アーメン。聖霊よ。来てください。
 司) 私たちの祈りを、あらゆる場所、すべての時代のあなたのしもべの祈りに合わせ、すべてのものの勝利者として来られる私たちの大祭司の絶えることのない願いと一つにしてください。
   すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。
 衆) アーメン。

 25 主の祈り 一同起立して主の祈りを祈ります。
 司)祈りましょう。
 全)天の父よ。
   み名があがめられますように。
   み国が来ますように。
   み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
   私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
   私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
   私たちの犯した罪をお赦しください。
   私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
   (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
   (アーメン)

26 平和の挨拶
 司) 主の平和が 共にあるように。 衆) また、あなたと共に。

27 アグヌス デイ(神の子羊)
 全) 世の罪を取り除く神の子羊よ。あわれんでください。
    世の罪を取り除く神の子羊よ。あわれんでください。
    世の罪を取り除く神の子羊よ。平和をお与えください。アーメン。

28 聖餐の招きと聖餐
 司) 洗礼の礼典にあずかったかたは、聖卓へお進みください。
    (配餐に際していう)
   (1)
 司) あなたのために与えられたキリストのからだです。 
 陪餐者) アーメン。

 司) あなたのために流されたキリストの血です。
 陪餐者) アーメン。

    (配餐後に祝福する。)
 司) 私たちの主イエス・キリストのからだとその尊い血とは、信仰によって、あなたがたを強め、守り、永遠のいのちに至らせてくださいます。

29 聖餐の感謝
 司) 主に感謝しよう。主は恵み深く。 衆) そのいつくしみは とこしえに絶えることがない。
 司) 全能の神よ。この救いの賜物をもって、新たな力を与えてくださったことを感謝します。恵みによって、私たちが ますます主を信じ、また 互いに愛をもって仕えることができるように 私たちを強めてください。
 あなたと聖霊とともに とこしえに ただひとりの神であり、世の終わりまで生きて治められるみ子 主イエス・キリストによって祈ります。
 衆) アーメン。

    派遣の部
30 祝福の挨拶
 司) 主が 共におられるように。 衆) また、あなたと共に。

31 ヌンク ディミティス(今こそ去ります)
 全) 今、私は主の救いを見ました。主よ、あなたは みことばのとおり しもべを安らかに去らせてくださいます。この救いは、もろもろの民のために お備えになられたもの、異邦人の心を開く光、み民 イスラエルの栄光です。

32 教会の祈り
 司) 祈りましょう。
   ——( 祈り )——
 衆) アーメン。

33 主の祈り(聖餐が行われない場合は、「教会の祈り」に続いて全員で「主の祈り」を祈る。)

34 祝福 <一同起立して派遣の祝福を受けます>
 司) 主をたたえよう。 衆) 神に感謝します。
   (1)
 司) 主が あなたを祝福し、あなたを守られるように。
    主が み顔をもって あなたを照らし、あなたを恵まれるように。
   主が み顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。
    父と 子と 聖霊のみ名によって。
 衆) アーメン、アーメン、アーメン。

 (2)
 司) 全能の神の祝福が、あなたがたと共にあるように。
   父と子と聖霊のみ名によって。

 (3)
 司) 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
 衆) アーメン、アーメン、アーメン。
    または、
 衆) アーメン。


35 終わりの歌
       讃美歌を用いる。

後奏

******

主日礼拝式文 改訂試案第一版(最終版)2014.3.4

●招き  ※礼拝堂の入り口または洗礼盤の横に立ち、これを行なう。

招き
(一)
司) 私たちは神に招かれて、ここにいます。
   神は私たちが洗礼を思い起こし、すべての人がその恵みに
   与るようにと招いてくださっています。

   父と子と聖霊のみ名によって。
衆) アーメン。

(二)
司) 父と子と聖霊のみ名によって
衆) アーメン。
司) 憐れみ深い神さま。
   私たちの心を開き、聖霊の働きによって、
   清めてください。私たちはあなたを愛し、
   あなたの聖なるみ名を崇め、讃美します。
   私たちの主イエス・キリストによって。
衆) アーメン。


告白
(一)
司) 神のみ前で私たちの罪を告白し、心を合わせて赦しを求めましょう。

全) 神さま。
   私たちは思いと言葉、行いと怠り、また無関心とによって、あなたから
   遠く離れ、背いてきました。今、み前に罪を告白します。

(二)
司) 神と会衆の前で、私たちの罪を告白しましょう。
全) 憐れみ深い神さま、私たちは罪のとりこであり、
   みずからその縄目を解くことができません。
   私たちは、思いと、言葉と、おこないとにおいて、
   また私たちの怠りにおいて、み前に罪ある者です。
   私たちは、心をつくしてあなたを愛することをせず、
   また隣人たちを自分のように愛することもしませんでした。
   どうかいま、み子イエス・キリストのゆえに、
   このような私たちをあわれんでください。私たちを赦し、
   新たにし、導いてください。こうして、あなたのみ旨を
   喜びとし、あなたの道を歩み、み名の栄光をあらわす
   者としてくださいますように。
   アーメン。
   

(黙祷)

赦し
(一)
司) 恵みの神さま。
衆) 私たちを赦してください。
司) み子、イエス・キリストの十字架によって、神は私たちを赦してくださ
   います。
   そして、洗礼の約束により、永遠の命へと導いてくださいます。
衆) アーメン。

(二)
司) 全能の憐み深い神はイエス・キリストを
   私たちのために死に私、その死によって、
   私たちのすべての罪を赦してくださいます。
   私はあなたのすべての罪が赦されたことを
   宣言します。父と子と聖霊のみ名によって。
衆) アーメン。


つどいの歌

キリエ

司) 平安のうちに祈りましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 神からの平安と私たちの救いのために祈りましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 世界の平和と神の教会の成長と主の民の一致のために祈りましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) この聖なる教会とここに集い礼拝に与る者のために祈りましょう。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) 恵みの主よ、私たちを救い、守り、助け、あわれんでください。
衆) アーメン。

②-1
司) 主よ、あわれんでください。
衆) 主よ、あわれんでください。
司) キリストよ、あわれんでください。
衆) キリストよ、あわれんでください。
司)  主よ、あわれんでください。
衆) 主よ、あわれんでください。

②-2
司式もしくは一同
 主よ、あわれんでください。
 キリストよ、あわれんでください。
 主よ、あわれんでください。

グロリア
司) いと高きところには栄光、神に。
全) 地には平和、み心にかなう人々に。
   主をあがめ、主をあおぎ、主を拝み、主をたたえます。
   主なる神、天の王、全能の父。あなたの栄光に感謝します。
   主なる神、神の小羊、父のひとり子、主イエス・キリスト。
   世の罪を取り除く主。私たちをあわれみ、祈りを聴いてください。
   父の右におられる主。私たちをあわれんでください。
   あなただけが聖。あなただけが王、いと高きお方。
   イエス・キリスト。あなたは聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに。
   アーメン。

集いの祈り
司) 祈りましょう。
   恵みの神さま。・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・
   私たちの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。
衆) アーメン。

●みことば

司) みことばを聞きましょう。

第一の朗読
朗読者) 本日の始めの朗読は○○書○章○節から始まります。
      ~朗読~ 
      初めの日課を終わります。

その日の詩編
司) 本日の詩編は○○編○節から始まります。
   <詩編>
   (詩編の後に以下の栄唱を用いる。)
一同) 父と子と聖霊の神に栄光、始めも今も、永遠に限り無く。アーメン。

※ここで詩編を用いない場合は、福音書朗読前の讃歌、または説教後のみことばの歌に替えて用いてもよい。

第二の朗読
朗読者) 本日の第二の朗読は○○書○章○節から始まります。
      ~朗読~ 
      第二の日課を終わります。

讃歌 「ハレルヤ/キリスト詠歌」 または讃美歌
   ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

※四旬節、受難週には特に次の詠唱を用いる。
キリストは、へりくだり、死に至るまで、十字架の死に至るまで従順でした。

福音書・主要日課の朗読
朗読者) 本日の福音は○○書○章○節から始まります。

衆) 主に栄光(がありますように)。

     ~朗読~
     福音書の日課を終わります。

衆) キリストを讃美(します)。

説教

みことばの歌

信仰告白
(ニケヤ信条または使徒信条を用いる。三位一体主日にはアタナシウス信条を用いてもよい)

とりなしの祈り
司) 祈りましょう。

----
諸祈祷

# 司式者または他の祈祷者はその日に必要な祈りを祈る。
  教会、福音宣教、平和と正義、貧困、抑圧、孤独、
  癒し、和解、その日の特別な事柄等
----

(会衆の応答句)
司) 各項目の祈りの最後を「キリストのみ名により」で結ぶ
衆) 「主よ聞いてください」または
   「主よあわれんでください」で応答ください。

(結びに以下のように祈ってもよい。)
司) 恵みの神さま。
   あなたのあわれみの み手の中にあってあなたに信頼し、 私たちの
   祈りのすべてをお委ねいたします。
   私たちの救い主、イエス・キリストによって祈ります。
衆) アーメン。

平和の挨拶
司) 主の平和がみなさんと共にありますように。
衆) またあなたと共に。
司) 互いに平和の挨拶を交わしましょう。

※「主の平和」 と言いながら挨拶を交わす。


●聖餐

聖餐の歌

序詞
司) 主が共におられるように。 衆) また、あなたとともに。
司) 心をたかくあげて 主をあおぎましょう。 衆) 主をあおぎます。
司) 主に 感謝しましょう。 衆) 感謝と賛美をささげます。

その日の序詞
司) 聖なる主、全能の父、永遠の神さま。
    いつどこででも・・・( 特別序詞へ続く )
    ・・・・今、地上のすべての教会は、あなたのみ名をあがめ、
    永遠の賛美を天のみ使いと聖徒たちと共に声を合わせて歌います。

サンクトゥス
 聖なる 聖なる 聖なる力の主。
 天と地に、主の栄光は満ちています。
 いと高きところにホサナ。
 主のみ名によって来られる方に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。

設定

司) 私たちの主イエス・キリストは渡される夜、パンを取り、感謝し、
   これを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って食べなさい。
   これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。
   わたしの記念のため、これを行いなさい」。食事ののち、
   杯をも同じようにして言われました。「取って、飲みなさい。
   これは 罪の赦しのため、あなたがたと多くの人のために流す
   わたしの血、新しい契約である。わたしの記念のため、
   これを行いなさい」。
衆) アーメン。

(正式版には現行式文の2と3を検討したものを併記する)

主の祈り

全員) 天におられるわたしたちの父よ、
     み名が聖とされますように。
     み国が来ますように。
     みこころが天に行われるとおり
            地にも行われますように。
     わたしたちの日ごとのかてを今日も
            お与えください。
     わたしたちの罪をおゆるしください。
            わたしたちも人をゆるします。
     わたしたちを誘惑におちいらせず、
            悪からお救いください。
     国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
            アーメン。
                   (カトリック聖公会共通訳)

正式版にはNCC統一訳と文語訳の掲載を検討する。なお、カトリック聖公会共通訳の掲載については使用許可を受ける必要あり。

アグヌス デイ
世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 あわれんでください。
世の罪を取り除く神の子羊 平和をお与えください。アーメン。

聖餐への招きと聖餐
司) 洗礼の礼典にあずかったかたは、聖卓へお進みください。
    (青式文の「他の方はそのまま、黙想のうちにお待ちください」は削除)

司) キリストのからだです。
衆) アーメン。
司) キリストの血です。
衆) アーメン。

配餐後の祝福する
司) 私たちの主イエス・キリストのからだと血とは、信仰によって、あなたがたを
   強め、守り、永遠のいのちに至らせてくださいます。
衆)アーメン。

聖餐の感謝
司) 憐れみ深い神さま。この救いの賜物により、新たに力をお与えくださったことを感謝と増す。私たちがますます主を信じ、互いに愛し合い仕えることができるようにお恵みを与えてください。あなたと聖霊と共にただ独りの神であり、永遠に生きて治められるみ子イエス・キリストによって祈ります。
衆) アーメン。

ヌンクディミティス
今 わたしは 主の救いを 見ました。
主よ あなたは みことばのとおり しもべを安らかに 去らせてくださいます。
この救いは すべての民のために 備えられました。
諸国民のこころを ひらく光、 み民イスラエルの 栄光です。

●派遣

派遣の祈り
司) 世界の創り主、全能の神さま。
   聖霊によってイエス・キリストにある一つの体へと
   私たちを結び合わせてくださり、感謝いたします。
   キリストのみ名によって使えるわたしたちに希望と
   忍耐と勇気を与え、隣人への愛で満たしてください。
   今集めるものがあなたを証し、必要とする人々に届け
   られますように。そして私たちを痛みと苦しみのある
   この世界と隣人のもとへ遣わしてください。
   主イエス・キリストのみ名によって祈ります。
衆) アーメン。

感謝のささげもの

派遣の歌

祝福

(一)
司) 全能の神の祝福があなた方と共に、ありますように。
   父と子と聖霊のみ名によって。
衆) アーメン。

(二)
司) 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
                  (-守られます)
   主がみ顔をもってあなたを照らし、
     あなたに恵みを与えられるように。
             (-与えられます)
   主がみ顔をあなたに向け、
     あなたに平安を賜るように。
             (-賜ります)
   父と子と聖霊のみ名によって。
衆)アーメン。

(三)
司) 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりが、
   あなた方一同と共にあるように。
衆) アーメン。

派遣の言葉

(一)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) (アーメン)私たちは行きます。
   神の助けによって。

(二)
司) 行きましょう。主の平和のうちに。
   仕えましょう。主と隣人に。
衆) 私たちは分かち合います。恵みを。
   伝えます。福音を。

後奏

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

 Yahoo!ブログからの引っ越し記事内のURLはリンク切れをしているものがあります(気が付いたらものからインターネットアーカイブに保存されているのならウェイバックマシンURLなどに修正などしております)。


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​一応、特に聖書の引用表記のないものにつきましては、著作権の保護期間を過ぎている日本聖書協会の「口語訳聖書」(1​955​年版の旧約聖書、19​54年版の新約聖書)を使用させていただいています。後の改定された口語訳聖書と違い、一般に差別用語や不快語とされていしまった言葉がそのままですのでご注意ください。

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