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キリストで商売する団体


キリスト教においても、他の宗教同様お金のトラブルと言うものはあるものです。まともな団体ならば、会計はすべて牧師や牧師家族と分離され信徒の手によって管理されます。そして、しっかりと各帳簿や元帳に収支は記載されチェックされます。毎月必ず信徒には会計状況が役員会より報告書とともに知らされます。期中監査・会期末監査の会計監査もありますし、総会ではそれらの資料が全て会員には配布されます。

 しかしながらそんな教会や団体ばかりではないのが実情です。特に単立系や独立系の教会にはおかしな団体も多く、牧師の個人商店みたいなものまであります。そして、おかしな団体に限って、聖書に根拠のない10分の1献金というものを主張し、さらに多く献げること、多くの時間を教会のために使うこと、やたらと主日以外の礼拝を行なっていたり(土曜や金曜)、祈祷や讃美などの集会をやたらともったりします。

什分の一 1デナリウス 13プルタ マイブログ 説明


 大体そんな怪しげな団体は、アメリカ原産のファンダメンタルな教会や団体なことが多く、原産地から韓国に伝わってさらに変質して日本に伝わっていたり、南米やアフリカ経由であったりします。

 このような団体にいた人たちが、なんらかの理由でその教会の間違いに気付いて離れたり、離れてから間違いに気付いたり、またトラブルから離れて、その異様な集金体質に対していろいろと声を挙げたりしているのは、ネットの世界などでは以前からよく見られる現象でもあります。

 それだけ色々とネットなどには書かれていても、引っかかる人が減っているということもなく、後になって恨み千倍でいろいろと発信していたりするのもよく見かける現象です。

 さて、いろいろと検索していますと、時としてとんでもないものにぶち当たったりします。とある北海道の団体のデボーション記事にこんなことが書いてありました。

"◆デボーション◆ 投資の法則
この世では、事業に投資して利益を得ていますが、クリスチャンたちも、神様の事業に投資する時に、神は備えて下さった祝福の利潤を分かち与えて下さいます。この御言葉は「あなたがたは福音事業に投資したのであるから、偉大な神様は、ご自身の祝福をもって、すべてを満たして下さる」という意味です。これは投資の法則です。皆さんが神様の事業のために投資するなら、栄光の富を持っておられる神様は、必ず、その利益として、必ず30倍、60倍、100倍のもの(霊的祝福か文字通りの経済的祝福)を与えて下さることでしょう。

これは私の個人的証しですが・・、昨年から、年収が突然50万円以上もカットされ、経済的打撃を受けておりました。(その上、仕事量も大幅に増え、悔しい思いをしておりました。)10分の1献金をこれまで神様に忠実に捧げ続けて来た私としては、「なぜ、私がワーキングプアになるのですか?」という疑問があって、神様に何とか、経済的祝福を回復させて下さい、と祈り続けていました。

すると、5万円を「先取り献金」するように主の導きを感じました。「先取り献金」というのは、まだ見ていない(手にしていない)お金がすでに与えられたと信じて、与えられる前に予め、その10分の1を捧げるという献金方法で私が考案(?!)しました。・・・これで年収50万円のカットされた分を、主は祝福をもって補って下さいました。ハレルヤ!(さらに、別頁「あなたの経済が祝福されるために」のNO、2 経済的呪いを打ち砕く方法の赤字部分の祈りが導かれ、ひんぱん祈っておりました。)この出来事を通し、蒔いたものは刈り取り、与えるなら与えられるという聖書的原則を改めて教えられました。

聖書を見ると、投資の法則を用いて祝福を受けた人々が、大勢、記録されています。その中でも代表的な人物は、ザレパテのやもめとペテロ、そして5つのパンと2匹の魚を捧げた少年でありましょう。ザレパテのやもめはエリヤに、ひとつかみの粉と少量の油を投資したことによって、彼女と子供は、ききんの時にも飢えを知らない奇跡を体験しました。

ザレパテのやもめにとっては、それは最後の財産でもありました。それによって一時的に飢えをしのぐか、あるいは、たとい飢えをしのいだとしても、やがて飢え死にするより他に方法はないという状態でした。こんな状況の中で、ザレパテのやもめは信仰をもって投資の法則を用いた結果、奇跡的な利潤を受けたのです。(列王記17章8節~16節参照)

・・・"

 ここまでひどい話と言うのもなかなか見ません。これだけ聖書の意味合いを捻じ曲げているのもすごいと感じます。

 こういう人たちにとって、信仰は金もうけの道具なのでしょう。「神様の事業」などと言ってはいても宗教ビジネスの類にしか感じられませんし、なにより証し部分が自分の年収のはなしですから、お金が欲しいというのが全てでしょう。

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 まず、

"必ず30倍、60倍、100倍のもの(霊的祝福か文字通りの経済的祝福)を与えて下さることでしょう。"

 これはキリスト者ならば、マタイ13章(並行箇所 マルコ4章)の「種まきのたとえ」を悪用したものなのはすぐに気が付くものです。


種蒔き人のたとえ


マタイによる福音書
13:3イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 13:4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 13:5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 13:6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9耳のある者は聞くがよい」。

 しかし、このたとえは、 "皆さんが神様の事業のために投資するなら" などという話ではありません。イエス自身が弟子たちにこの譬を解き明かしてこのように言っておられます。

金蒔き人 マイブログ入り


13:18そこで、種まきの譬を聞きなさい。 13:19だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 13:20石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 13:21その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 13:22また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 13:23また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。

 これは投資話ではなく、福音と信仰のはなしです。

 また、ザレパテのやもめと預言者エリヤのはなしについても、 "ザレパテのやもめは信仰をもって投資の法則を用いた結果、奇跡的な利潤を受けたのです。" なんてものでないことは、その個所を読めばだれでもが違うと理解できるはずです。


ザレパテのやもめ


列王記上
17:8その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 17:9「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。 17:10そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。 17:11彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。 17:12彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。 17:13エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。 17:14『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。 17:15彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。 17:16主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

 彼女は預言者を通して語られる神のことばに信頼したことが中心であり、利潤があったからそうしたわけではありません。

 近年このような甘言をもって、金銭を要求する牧師や教会が増えてきています。このようなキリストで商売をする団体には注意が必要です。

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プルタ ⑵


 さてこの前、プルタと言う記事を挙げましたが、邦語訳聖書の訳文については軽く触れただけですので、ちょっと見て見たいと思います。

2プルタ硬貨. マイブログ入り



        マルコ12・42、ルカ12・59、ルカ21・2

ヘボン   鐚(びた)二つ

元訳    レプタ二つ、一錢、二厘

改訳    レプタ二つ、一レプタ、レプタ二つ

口語    レプタ二つ、一レプタ、レプタ二つ

新共   レプトン銅貨二枚、一レプトン、レプトン銅貨二枚

共同   レプトン銅貨二枚、レプトン一枚、レプトン銅貨二枚
(パイロット版)

新改   レプタ銅貨二つ、一レプタ、レプタ銅貨二つ

正教    二「レプタ」、豪釐(がうり)、二「レプタ」

ラゲ明  二ミスタ、一厘、二厘

ラゲ後  二ミスタ、一りん、二りん

バル   二レプタ、一レプタ、二レプタ

フラ    レプタ貨二枚、一レプタ、レプタ銅貨二枚

詳訳   銅貨〔最小の貨幣〕二枚、一レプタ、レプタ〔銅貨〕を二枚

塚本  レプタ銅貨(五円)、一レプタ(五円)、レプタ銅貨(五円)二つ

岩隈   レプトン銅貨二枚、一レプトン、レプトン(銅貨)を二枚

岩波   二レプタ、一レプトン、二レプトン

田川   小銭を二つ、小銭一つ、小銭を二つ


 こうやって並べてみますと、多くの聖書学者が、本当にそのような貨幣があるかを吟味しないで、無批判にあるものと思いこんで翻訳しているのが見て取れます。その中でもひどいのはフランシスコ会聖書研究所訳の2011年旧新約合本版の訳注はひどいものです。

フランシスコ会聖書研究所訳注 記名入り小


マルコ福音書の前に解説が付され、その中でマルコ福音書の執筆場所について

" 場所と年代  先に挙げた古代からの伝承によれば、本書はローマで書かれたとされる。それを裏づけるものとして指摘されることは、本福音書には、他の福音書と異なり頻繁にラテン語が用いられていることである。たとえば、「レギオン」(5・9)、「スペクラトール=衛兵」(6・27)、「デナリウス=デナリオン」(6・37)、「クセステース=鉢」(7・4)、「チェンスス=人頭税」(12・14)、「クァドランス」(12・42)、「ケントゥリオ=百人隊長」(15・39)である。また、ラテン語の使用以外にもユダヤ地方の地理に関する不正確な記述(5・1、7・31、11・1など)、「タリタ・クム」(5・41)、「エッファタ」(7・34)などのアラム語やユダヤ人の慣習(7・3-4)についての補足説明が見られる。そのため、本福音書はパレスチナの地理に不案内な著者が、地理をも含めてユダヤ教の文化、伝統とは疎遠な読者に向けて、ローマで執筆したものであると説明されてきた。
 しかしながら、ローマ支配下にあった当時、ラテン語が帝国内に広く流布していたことは十分に考えられる。したがってラテン語の使用にローマ成立の根拠を見るのは妥当とは言えず、本福音書の成立地については、ユダヤ世界の近辺という大まかなことしか言えない。"
(「聖書 原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注」 p84(新))

 ローマでの成立を妥当としないという見方をしていながら、当該個所の註では

"(11)レプタはギリシャの最少額銅貨であるが、著者はローマ人の読者に分かりやすいように、それをローマの貨幣になおして 「一コドラント」 すなわち、アス貨の四分の一であったと説明する。アス貨は銀デナリの十六分の一であるから、このやもめのさいせんは非常にわずかであった。なお一デナリは当時の労働者の一日の賃金〈マタイ20 2参照〉。"
〈「新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注」 1984年改訂版 マルコ福音書12:42の註〉

 と、ローマ成立説で説明しています。

 聖書学者が付した中だからと言って、そのまま鵜呑みにすると、間違った情報を取り入れてしまう典型な個所と言えるかもしれません。特にカトリックの註はカトリックの強いバイアスがかかっていますので注意が必要です。

 さて、この中で異色な言葉がラゲ訳で見られます。ラゲ訳とバルバロ訳は翻訳の底本が聖書写本の校訂から作られたギリシャ語校訂本文ではなく、ラテン語訳ウルガタから翻訳されているからです。バルバロの方はギリシャ語校訂本文に合わせたのでしょう。

 二ミスタとは、ミスタ二つで「細かいの二つ」という意味なんでしょう。もしレプトンが古代ギリシャの貨幣単位であれば、音訳されていたはずですが、そうではなく「小さい・微細」という意味の語ミヌトゥスを使っているのも、田川訳ではないですが「小銭」二つという意味にラテン語では古くから訳されていたのでしょう。

マルコ 12_39-44 古ラテン訳・ウルガタ対訳


 四世紀のヒエロニムスのラテン語訳ウルガタではなく、すでに二世紀の古ラテン訳聖書(古ラテン語訳の意味ではないので注意)にこの訳語が出ています(マルコでは単に「二つ」と出ていて、ルカではウルガタと同様ミヌトゥム、ミヌタと訳されている)。

 二世紀のラテン語訳にこのように訳されているのは参考になると思います。



プルタ


poor widow


マルコ福音書
12:41イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 12:42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 12:43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 12:44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

 多くの人が、残念なことに疑問に思わない箇所であります。さて、なにが気になるかと言いますと、

・・・《レプタ》 はギリシャの最小の青銅貨で、邦貨五十銭に相当する。しかし神殿のさいせんには外国貨幣は使えなかったから、ユダヤの最小の青銅貨幣ではなかったか。レプタ二つが 《一コドラントに当たる》 とは、本書の著者の、ローマのキリスト者のための説明である。コドラントはローマの最も小さい銅貨で邦貨一円に相当する。・・・
〈「増訂新版 新約聖書略解」 日本基督教団出版局 1969年増訂新版9版 p.153〉

(11)レプタはギリシャの最少額銅貨であるが、著者はローマ人の読者に分かりやすいように、それをローマの貨幣になおして 「一コドラント」 すなわち、アス貨の四分の一であったと説明する。アス貨は銀デナリの十六分の一であるから、このやもめのさいせんは非常にわずかであった。なお一デナリは当時の労働者の一日の賃金〈マタイ20 2参照〉。
〈「新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注」 1984年改訂版 マルコ福音書12:42の註〉

六 「二レプタ」 はギリシャ通貨の最少額レプトン銅貨二枚。マルコはそれをローマの貨幣に翻訳する。 「一クォドランス」(quadrans) とは 「一アス」 の四分の一。 「一アス」 は 「一デナリオン」(当時の労働者の一日分の賃金) の十六分の一。
(「新約聖書 新約聖書翻訳委員会訳」 岩波書店 マルコ福音書12:42の註)

 この三つに共通しているのは、レプタがギリシャの最少額の銅貨であるという点です。果たしてそうでしょうか。

 まず、エルサレム神殿の婦人の庭に設置された13のショーファール(「角笛型奉納箱」 ユダヤ古典叢書「ミシュナⅡ モエード」教文館)が設置させていますが、そのうち六つは「随意の献げもの」でした(シェカリーム6:5)。貧しいやもめはこの奉納箱に小銭を投げ入れたのでした。神殿への奉納ですから外国の貨幣は捧げることはできず、ユダヤの貨幣(ティルス(ツロ)の貨幣)でなければなりませんから、やもめのささげ物がギリシャの青銅貨であるわけはありません。またギリシャのコインでレプタと言うのは聞いたことがありません。

ギリシャの貨幣ですと、銀貨としてドデカドラクマ(20ドラクマ)、デカドラクマ(10ドラクマ)、テトラドラクマ(4ドラクマ)、ディドラクマ(2ドラクマ)、スタテル(テトラドラクマからディドラクマの間、造幣されたポリスによって変わる)、ドラクメー(Δραχμή、6オボロス)、テトロボロス(4オボロス)、トリオボロス(orヘミドラクメー、3オボロス)、ディオボロス(2オボロス)、オボロス(Οβολός、4テタルテーモリオ、日本では「オボル銀貨 」とも表記される)、トリタルテーモリオ(Τριταρτημόριο、3テタルテーモリオ)、ヘミオボロス(2テタルテーモリオ、「ヘミ・オボル銀貨」)、トリヘーミタリテーモリオ(Τριημιταρτημόριο、三分の二テタルテーモリオ)、テタルテーモリオ(Τεταρτημόριο、四分の一オボロス)、ヘミタルテーモリオ(Ημιταρτημόριο、二分の一テタルテーモリオ)があります。最小のヘミタルテーモリオがローマの銅貨セミス(二分の一アス)に相当しますから、かなり少額貨幣まで銀貨が使われていたのがわかります。ギリシャの銅貨は名前がわかっていませんからAEという記号であらわされAEの後に銅貨の直径が付きます。直径10mmだとAE10と表記されます(ローマも三世紀以降の少額銅貨も名前がわかっていませんので、AEで表されますが、直径の範囲を四区分に分け、25mm以上ならAE1、直径21mm-25mmならAE2、直径17mm-21mmならAE3、17mm以下ならAE4と区分されますので、古代ギリシャのコインか、古代のローマのコインかの注意が必要です。)。

実に多くの日本語訳聖書が、レプタと言う語に銅貨という原文にない語を補ったり、またレプタとギリシャ語表記のまま使っているので、何かそういう硬貨があるように錯覚してしまいます。田川訳だけはそうではなく「小銭」と訳し、説明を註でしています。

マルコ福音書12章
41 そして賽銭箱の向い側に座って、群衆が賽銭箱の中に銅貨を投げ入れるのを見ていた。そして大勢の金持が沢山投げ入れていた。
42 そして一人の貧しいやもめが来て、小銭を二つ投げ入れた。一コドラントにあたる。
43 そして彼が弟子たちを呼び寄せ、彼らに言った、「アメーン、あなた方に言う。この貧しいやもめは、賽銭箱に投げ入れているほかのどの者よりも多く投げ入れたのだ。
44 というのも、皆は自分にとってあり余っているものの中から投げ入れたのだが、彼女は自分の欠乏の中から、自分が持っている一切を投げ入れたのである。自分の全生活費を」。
(「新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書」 田川建三訳著 作品社)

42 小銭 lepta という語(lepton の複数形)。新共同訳はきざに 「レプトン銅貨」 と単数形を片仮名にしている。しかしこう片仮名で書くと 「レプトン」 という名称(単位)の貨幣があったかのように思われてしまうが、そうではない。単に 「ちっぽけな」 という形容詞の中性形を 「小銭」 の意味で用いているだけ。日本語でも 「一円玉」 という通貨名はあるが、 「小銭」 という名称の通貨があるわけではないのと同じこと。なおマルコは、多分 「小銭二個」 だけではわかりにくいと思ったのだろう、 「すなわち一コドラント」 と説明をつけ加えてくれているが、正確には二分の一コドラントの貨幣なるものが 「レプトン」 と呼ばれていた、などというわけでもない。この語については Der Kleine Pauly にわかり易く正確な解説がのっている(lepton の項目。この項目は Der Neue Pauly よりもこちらの方がわかり易く記されている)。
(「新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書」 田川建三訳著 作品社 pp.393-394)

 おそらくユダヤの銅貨で、ハスモン朝時代のアレクサンドロス・ヤンナイオスが在位の時(在位:紀元前103年 - 紀元前76年)に造幣されたプルタ(Prutah(פְּרוּטָה))という少額貨幣が、この貧しいやもめが捧げた献げものであったとされています。

2プルタ マイブログ入り

*** ↓ 2021年12月13日追記 ***

Αρχαία Ελληνικά νομίσματα(古代ギリシャのコイン)

Prutah(プルタ)


*** ↓ 2022年10月10日、12日 追記 ***

田川訳の欄外注に出てきた古典研究の百科事典「Der Kleine Pauly」

Der Kleine Pauly, Lexikon Der Antike

Leptos (λεπτος), » enthülst, dünn « , ist Beiwort allg. oder spezieller Münzbezeichnungen (νομισμα, χαλκος, αργυριον, δραχμη) und bezechnet generell das Kleingeld oder unterscheidet schwerere von leichteren Sorten gleichen Namens. Das Substantiv λεπτον bedeutet Kleingeld (meist der Stādte im Gegensatz zur röm. Reichswāhrung) und wohl oft ein bestimmtes Nominal. Genauere Feststellungen sind nicht möglich, doch legt die Gleichung mit 1 resp. 1/2 → κοδραντης im NT. nahe, in den palāstin. Kleinkupferrnünzen des 1. Jh. das λ. zu 1/6000 → Talent - → Slidus veranschlagt.

レプトス(λεπτος)は、一般的な硬貨や特殊な硬貨(νομισμα, χαλκος, αργυριον, δραχμη)の蔑称で、一般には小銭を指し、同じ名前でも重いものと軽いものを区別することがあります。名詞のλεπτονは小銭(ローマ帝国の通貨に対して主に都市の)を意味し、おそらく特定の名目であることが多いだろう。より正確な判断はできないが、NT.では1 resp. 1/2 → κοδραντηςとの等式が示唆され、パラスティンでは。1世紀のパラスティニア小銅貨では、λ.は1/6000→タレント→スリドゥスと推定される。

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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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