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聖書を改変するモルモン教


 通称「モルモン教」こと「末日聖徒イエス・キリスト教会」は、よく二人連れの外人宣教師や無料の英会話教室などもやっており、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)などと共にキリスト教と間違われている団体でもあります。しかし、教義的にはその神観を始めとして、まったく一致するところが無い別な宗教と言ってもよいほど別ものです。

 彼らの信仰箇条にはこのような一文があります。

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"8わたしたちは、正確に翻訳されているかぎり、『聖書』は神の言葉であると信じる。また、『モルモン書』も神の言葉であると信じる"

(2009年版「高価な真珠」)

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 聖書については、一見キリスト教と同じではないかと思えてしまえるような文ですが、実は全く違っています。それではまず彼らの注釈を見てみましょう。

インスティテュート テキスト 高価な真珠 URL入り


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" 信仰箇条1:8 聖書は「正確に翻訳されているかぎり……神の言葉である」

 イエス・キリストの降誕の約600年前,預言者ニーファイは現在聖書として知られている,聖なる書き物を集めた書物の出現を予見した(1ニーファイ13:20―25参照)。しかしながら,ニーファイはまた聖書の原文が部分的に損なわれることも預言している。ニーファイが示現で見たところによれば,聖書におけるこれらの変更は「大きな忌まわしい教会」の仕業によるものであり,その教会は「分かりやすくて大変貴い多くの部分を……取り去り,また主の多くの聖約も取り去ってしまった……。

 彼らがこれをしたのは,主の正しい道を曲げて人の子らの目をくらまし,その心をかたくなにするためである。」(1ニーファイ13:26―27。28―29節も参照)

 わたしたちは何世紀もの間に聖書の原文の一部が損なわれ,また恐らくそのほかの不用意な追加や削除,あるいは変更がなされてきたことを知っているが,それでもその保存において主の導きの手があったこと,およびそれが今日のわたしたちにとって大変価値あるものであることについて確信を持つことができる。エズラ・タフト・ベンソン大管長はこう教えている。

 「わたしは,旧約聖書および新約聖書に特別な親しみを感じております。聖書は偉大な真理の源です。それは主の生涯とこの世における導きと教えについてわたしたちに教えてくれます。また,そこに書かれていることを通して,この地球の初めから神の御手が人々に差し伸べられていたことを学ぶことができます。聖書が世界の歴史に与えた影響には計り知れないものがあります。一枚一枚のページが,幾世代もの人々に恵みを与えてきたのです。

 しかし,時がたち,人の子に新たな聖文が与えられることもなくなりました。人々を導く啓示がやみ,人は聖書を様々な方法で解釈するようになりました。無数の教会や信条が生まれ,そのいずれもが聖書を権威の源としたのです。

 けれども,そのために聖書の価値が下落することはありません。この神聖な書物である聖書は,人の子に計り知れないほどの価値をもたらしてきました。事実,預言者ジョセフ・スミスが霊感を受けて,家の近くの森に行って祈ったのは,聖書の言葉によってでした。そして,その後に受けた栄光の示現は,この地上におけるイエス・キリストの完全な福音の回復の幕開けとなったのです。また,その示現は,新しい聖典をこの世に出す過程の発端となりました。その新しい聖典は,聖書とともに,イエスが救い主であられること,神が生きておられること,その子供たちを愛しておられること,今もなお子供たちの救いや昇栄の業に携っておられることなどを証するものです。」(「現在の啓示の賜物」『聖徒の道』1987年1月号,85)"

(「高価な真珠 生徒用資料 宗教327」 pp.80-81)

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 彼らの理論では、キリスト教によって今日まで伝えられてきた「聖書」は、その文書から大事なものが抜き取られているのだという考えです。そのことが彼らの聖典のひとつである「モルモン書」にはこのように書いてあります。

長文引用になりますので今日初版発行から50年以上たった旧版で著作権の切れている「モルモン経」(佐藤龍猪 訳 1957年)から引用したいと思います。この後の「モルモン書」からの直接引用は「モルモン経」からになります。

日本語訳モルモン経・モルモン書 URL入り


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ニーファイ第一書 第十三章20-29節

"20 そして私(わたくし)はかれらが約束の地でまことに繁栄するのが見えたが、また私には一冊の書物が見え、それが異邦人の中によく広まるのが見えた。 21 すると天使が 「この書物のいわれを知っているか」 と仰せになるから、 22 私が知らない由を答えると、 23 天使は 「見よ、この書物はユダヤ人から出たものである」 と仰せになって、私(わたくし)にその書物の出てくるところが見えた。天使はなおも 「汝の今見る書物は主がイスラエルの家に立てたもうた誓約と、聖(きよ)い予言者たちの語った多くの予言とをのせているユダヤ人の記録であるが、それは真鍮版に刻んである歴史に似た記録であって、ただ真鍮版に比べてその数が少ないだけである。それでもその中には主がイスラエルの家に立てたもうた誓約がのせてあるから、異邦人にとって大そうねうちのあるものである」 と仰せになった上に、また、 24 「汝はその書物がユダヤ人から出てきたのを見たが、始めそれがユダヤ人から出てきた時には、その中にある十二使徒が神の子羊にある真理によって証をした主の福音が誰にもわかるままにのっていた。 25 それであるから、これらのことは神に在る真理によってユダヤ人から異邦人に純粋なまま伝わる。 26 しかし、これらが子羊の十二使徒の手によってユダヤ人から異邦人に伝わってから、汝にはあらゆるほかの教会に勝って憎むべき大教会の基(もとい)が見えるが、その教会が憎むべきものとは、誰にもわかる非常に貴い多くの部分を子羊の福音から取り去り、また主のなしたもうた多くの誓約を取り去ってしまったからである。 27 かれらがこれをしたのは、主の正しい道を曲げて人の目を暗ませその心をかたくなにするためである。 28 それであるから、汝にはあの書物があの憎むべき大教会の手を経て出てきてからは、神の子羊の書物から誰にも解る貴い多くの記事が抜きとられていることがわかる。 29 そしてこの誰にもわかる貴いことが抜きとられてから、この書物は異邦人の全国民に伝わり、また束縛の身から免れた異邦人と共に汝の見た大海(おおうみ)までも渡って異邦人の全国民に伝わる。しかし、その書物にのっている子羊の福音から抜きとられた所があるために非常に多くの人々がつまずき、サタンがこれらの人々を大いに支配する力を得ていることは今汝が目に見る通りの有様である。しかもその書物から抜きとられたと言う誰にもわかる貴いことは、神の子羊の明らかな言葉で表されたものであって人々にはっきりとわかる所である。"

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 この章が取り扱っているのは前600年-前592年との設定ですが、この年代にはありえない「真鍮版」とか、「ユダヤ人」、「書物」など歴史的にありえないものや表現がこの僅かの記述の中に幾つも出てきますがそれはこの際置いておいて、この記述の中で出てくる「ラバン(レーバン)の真鍮版」というものが正しい記録が保持されているものとして出てきていて、それから貴い大切な記事や子羊の福音の多くが「憎むべき大教会」によって抜きとられたものが「異邦人」の間にある「一冊の書物」、すなわちキリスト教の「聖書」という理解です。

 この「ラバンの真鍮版」にはどのようなものが記されていたのでしょうか。また「モルモン経」から見てみましょう。

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ニーファイ第一書第五章10-13節

"10 そしてイスラエルの神に感謝を捧げてから、私(わたくし)の父リーハイはあの真鍮版に刻んだ歴史を手にとってこれを最初からしらべてみた。 11 父がこれを見ると、その中には世界の創造と、人間最初の先祖であるアダムとイヴの記事をのせたモーセの五書もあれば、 12 また、世の始めからユダヤの王ゼデキヤの代の始めに至るユダヤ人の歴史も見え、 13 また世の始めから、ゼデキヤの代の始めに至るまでの聖(きよ)い予言者たちの予言や、そのほかエレミヤの述べた多くの予言ものせてあった。"

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 そして、これらの他にⅠニーファイ19:10,21などには、ゼノク、ゼノス、ニーアムなど聖書には全く出てこない預言者の言葉が記録されていたとされています。このことの注釈も見てみましょう。

インスティテュートテキスト モルモン書 三種 URL入り


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"1 ニーファイ19:10 - 16 ゼノク,ニアム,ゼノス
• ニーファイはゼノク,ニアム,ゼノスの言葉を引用した。彼らは旧約時代の預言者で,イエス・キリストに関する彼らの預言は真鍮の版に詳しく記録されていた。したがって,彼らは紀元前600 年以前の預言者であったことが分かる。彼らはメシヤの生涯と働き,イスラエルの家の行く末について率直に語った(ヒラマン8:19 - 20 も参照)。モルモン書がなかったら,わたしたちはこれら3 人の預言者やキリストに関する彼らの証について知ることができなかったであろう。"

(「モルモン書 生徒用資料 宗教121-122」2009年版 p39)

リーハイの真鍮版の記録


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 そして、この真鍮版にはまだこの当時無かった「モーセ五書」が出てきたり、Ⅰニーファイ20章・21章にて、聖書のイザヤ書48章・49章の第二イザヤ(40-55章)の記述などが引用される本文批評学上のありえないことも出てきます。そして、この真鍮版はモーサヤ書第一章4節の “なぜならば、もしもこの真鍮版の助けを借りなかったならば、私たちの先祖のリーハイもこれらのことを皆記憶して、子孫に教えてこれを伝えることができなかったであろう。リーハイはエジプト人の言葉を学んだからこの真鍮版に刻んであることが読め、それを子孫に教えたから子孫はまたそれをその子たちに伝えることができた。このようにして神の命令は今日になるまで守られてきた。” との記述にあるように、エジプト人の言葉で記されていたとされています。

エジプト・ヘブライ文字


 それがエジプトの神官が使う神官文字のヒエログリフやその筆記体であるヒエラテックではありえませんから民衆文字であるデモティックということになるのでしょうが、この真鍮版の元の所有者ラバンはエルサレムに在住のマナセ族(この設定もおかしいが)なのになぜわざわざエジプトの文字を使用する必要があったのか、また、トーラー(律法)やネビィーム(預言者)がエジプト語に訳されたり、古ヘブライ語アルファベットをエジプト文字のアルファベットに置き換えたことなど、どこにもそんな記録も伝承も考古学上の発見もありませんし、古代イスラエルの人たちの信仰からも考えられないことですし、エルサレムに在住していてそんな必要すらあり得ないでしょう。

 そんな大矛盾を含んだ「ラバンの真鍮版」ですが、それには「聖書」(この場合旧約聖書)よりも正確な記録があったという設定です。そのためモルモン教の教祖ジョセフ・スミスJrは、「モルモン書」の初版の発行の後に彼の教会が立ち上がった時、自分たちの都合の良いように聖書の改ざんに着手を始めました。その布石となる考えは「モルモン書」の中にもう既に散りばめられていました。

さて、「ラバンの真鍮版」にあると設定されている未知の預言者の記述などを、「憎むべき大教会」としてキリスト教会を暗に示し、その「憎むべき大教会」なるものが「聖文」(モルモン用語)から取り除いたという論ですが、キリスト教が始まった時に、すでにその妄想の中の「聖文」とやらはイスラエルの宗教において、まだユダヤ人のヤムニヤ会議以前で正典確定はしていなかったとはいえタナハ(Tanakh、キリスト教で言う「旧約聖書」)にも存在していないし、旧約の外典・偽典、クムラン文書などにも出てきません。

 モルモンの言う「神の子羊の書物から誰にも解る貴い多くの記事が抜きとられていることがわかる。」といっているが、キリスト教においても外典・偽典書ですら、実物や写本が未発見とはいえ使徒教父たちや教父たちの著作などにおいて名前くらいは出てきていたりしているものだが、モルモン書や彼らの聖典や啓示などで言及されている類のものはユダヤ人にも、キリスト教にも、遺跡・遺物・伝承にすら全く出てこないものです。

 「聖書」とモルモン書やジョセフ・スミスJrの教えには大きな齟齬があります。それの解決の為に彼を預言者と盲信している人たちに対して、彼は聖文の回復と称する作業を神からの啓示という形で行いました。

DC インスティチュートテキスト URL入り


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" 天使モロナイは1823年9月21日にジョセフ・スミスに現れたとき、 『聖書』 から幾つかの言葉を引用したが、その言葉遣いは欽定訳とはいささか趣を異にしていた (ジョセフ・スミス - 歴史1:36-41参照)。 後にジョセフは 『モルモン書』 の翻訳に携わっていたときに、 『聖書』 から 「分かりやすくて大変貴い多くの部分」 が取り去られていることを知った (1ニーファイ13:25-29)。 また、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けた後で、ジョセフは自分の心が開け、聖典の 「真の意味と意図」 が明らかにされるようになったことに気がついた (『教会歴史』 p.43)。 そして 『モルモン書』 の翻訳を終えると、『聖書』 に目を向け始めたのである。
 「翻訳」 というと、古代の文字で記された原書を用いて行なうものと考えられるかもしれないが、ジョセフ・スミスのそれは、学問的な解釈によってでなく、御霊の力によって聖文の正しい意味を回復することであった。ジョセフは1830年6月の記録に、モーセ書を授けられたとき、 「規則に規則を加えられるように知識」 を明らかにされたと述べている (『教会歴史』 p.98)。 モーセ書は主がモーセに授けられた正確な記録であるが、長い年月の間に完全な元の姿が失われていたものであった。預言者ジョセフ・スミスは、シドニー・リングトンと 『新約聖書』 の改訂に取り組んでいたときに次のように記録している。 「わたしたちは、主がわたしたちに命じられた翻訳の業を行なっていたときに、ヨハネによる福音書第5章29節に至り…これはわたしたちを驚かせた。それが御霊によってわたしたちに与えられたからである。」 (教義と聖約76:15,18) ジョセフ・スミスの 『聖書』 の翻訳は霊的な仕事であった。後に彼はヘブライ語とドイツ語を学んだが、それらの知識を基にして 聖文の改定を行ったわけではない。
 ジョセフ・スミスは口述筆記によって 『聖書』 の全体にわたって変更、削除、追加を行なったが、すべての部分の改訳を完成させてはいない。彼は発表できる段階までにこの仕事を成し遂げたとは考えていなかった。また、もっと長生きしていれば、さらに多くの訂正をしていたものと思われる。"

(「教義と聖約 生徒用資料 宗教コース324-325」 第73章 『聖書』の改訂 p168)

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 またジョセフ・スミスJrが私財を投じてこの翻訳をしていたのでは無く、教会や信徒の献金に寄生していたことは、D&C43:12-13の記述からも見えてきます。

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" 汝ら王国の光栄を願わば、わが僕ジョセフ・スミス (二代目) を選び定めて信仰の祈りによりわが前に彼を支持すべし、またわれ汝らに告ぐ、王国の奥義を知らんと願わば彼に衣食を供し、またわが彼に命じたる事業を果たすために必要なる物を何にても彼に供すべし。"

(「教義と聖約」 佐藤龍猪 訳 1957年)

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 これはジョセフ・スミスJrの欽定英語訳聖書の改ざん作業が進まないことに対する啓示で、インスティテュート・テキストでは次のように解説しています。

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"聖徒たちはジョセフ・スミスに何がしかの援助は与えたが、決して十分なものではなかった。教会の指導者たちもジョセフ・スミスが 『聖書』 の翻訳に取り組めるよう、会員たちに物質的援助を呼びかけた。それにもかかわらず、財政的な困難によって翻訳の進行に支障が出た。 (『教会歴史』 4:136-137,164,187,493,517参照)。 ジョセフ・スミスは自分や家族の衣食を賄うための働きに常に追われたので、翻訳は遅れ、原稿を印刷に付す準備も滞った。結局、出版するようにとの主の戒めがあったにもかかわらず、預言者ジョセフ・スミスは翻訳を完成させることができなかった (教義と聖約94:10; 104:58-59; 124:89参照)。 ジョセフ・スミスの死後、原稿は復元イエス・キリスト教会の手に渡った。初期の聖徒たちはこの勧告をないがしろにしたために、知識と霊的な祝福を逃してしまったのである。"

(p.95)

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偽札 モルモン

 ジョセフ・スミスJrは教会から援助を受けて生活をしていたが、それに満足せず、翻訳の業が進まないのは援助が足りないからだと神の啓示と称して、もっと金出せと教会や信徒たちに言っているという事に読めます。また、この翻訳事業は前掲の教義と聖約のインスティテュート・テキストには、

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"ジョセフ・スミスは口述筆記によって 『聖書』 の全体にわたって変更、削除、追加を行なったが、すべての部分の改訳を完成させてはいない。彼は発表できる段階までにこの仕事を成し遂げたとは考えていなかった。また、もっと長生きしていれば、さらに多くの訂正をしていたものと思われる。"

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とあるように完成はしませんでした。

CNNニュース 2014.11.12 に
"モルモン教創始者に40人の妻がいた、信者に衝撃" http://www.cnn.co.jp/usa/35056447.html

というニュースがありました。これをちょっと頭の片隅に置いておいて。

ブリガム・ヤングとその妻たち 

 そして、ジョセフ・スミスJrの死後、ブリガム・ヤングに代理として十二使徒のウィラード・リチャーズが、未亡人であるエマ・ヘイル・スミスに聖書の改訂の原稿を渡すことを要請したもののエマ・スミスの元にそのまま保持されました。ジョン・M・バーンハイゼルは自身のジェームズ王欽定英語訳聖書に写しを取る許可を得て1845年にその作業に従事したものの修正の半分に満たない分量しかできなく出版には適さなかったようです。そして多妻婚主義者のブリガム・ヤングらと多妻婚やその他の教義、後継者問題などで反目したエマ・スミスとジョセフ・スミスJrの子供達、ジョセフ・スミスJrの弟で十二使徒で大祝福師であったウィリアム・スミスは、ジョセフ・スミスJrの長男ジョセフ・スミス・サードを後継者として離れ、後にミズーリ州インディペンデンスに復元末日聖徒イエス・キリスト教会(現:Community of Christ)の本部を置きました(復元派ではヤング派とは違い神の「三位一体」を保持し、創立時より多妻婚を否定したり、教祖ジョセフ・スミスJrは多妻婚というあやまちを犯したとするなどの大きな違いがあります。)。そのためヤング派(末日聖徒イエス・キリスト教会)ではこのバーンハイゼルの写しに頼るしかありませんでした。

1867年、The Holy scriptures translated and corrected by the spirit of revelation
(1867年、The Holy scriptures translated and corrected by the spirit of revelation)

 1866年にエマ・スミスはサードにその原稿を渡し、1867年に「The Holy scriptures translated and corrected by the spirit of revelation」として出版されました。1944年に1867年版のエラーを修正した「new corrected edition」版がCommunity of Christでは使われています。

1851年版 Pearl of Great Priceの扉と目次
(1851年版 Pearl of Great Priceの扉と目次)

 ヤング派では1878年に1851年に初版が出版されていた「高価な真珠」(Pearl of Great Price、「ジョセフ・スミス―マタイ」含む)にJoseph Smith 訳の創世記1-7章に当たる「モーセ書(抜粋)」 が加えられました(1851年の初版ではモーセ書はExtracts from the Prophecy of Enoch (Moses 6:43–7:69)、A message from God, given to Moses (Moses 1:1–42)、Untitled (Moses 2:1–5; 8:13–30)のタイトルで括弧内で示した箇所のみ収録されていました。)。

1882年版、the Pearl of Great Priceの扉とモーセ書の冒頭
(1882年版、the Pearl of Great Priceの扉とモーセ書の冒頭)

 1989年発行の英文の四「聖典合本」には、King James Version の「Joseph Smith Translation excerpts too lengthy for inclusion in footnotes」がモルモン教会発行の聖書(King James Version)のappendix(付録)に収録されていました(聖書の付録として収録されているので、英文の三「聖典合本」版には無い。モルモン版の「聖書」には付いている。)。日本では佐藤訳「モルモン経」時代の三「聖典合本」版には、「教義と聖約」の中の「公式の宣言二」と「Joseph Smith Translation」は収録されてはいません。しかし、現行の三「聖典合本」版では「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」は付録の「聖句ガイド」の中に収録されています。

2013年、英文四聖典合本、聖書の付録扉ページ
(2013年、英文四聖典合本、聖書の付録扉ページ)

2009年版、日本語訳合本聖典
(2009年版、日本語訳合本聖典)

 キリスト教系でこれほど「聖書」それ自体をないがしろにしている団体はありません。あのものみの塔でさえここまではひどくはありません。彼らの独自の教えを裏付ける為に聖書を書き換え、それを神の啓示だと肯定するアメリカに起こったこの異端は、キリスト教的には無視していいものではありませんが、多くのキリスト者は社会的問題を現在を近年起こしていないことと、教義関係についてよく知らない為に関心を示しません。無関心はそれらに手を貸しているのと変わらないということに気がつかないのでしょう。


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ジョセフ・スミス


 ジョゼフ・スミス・ジュニアという青年によって創始されたモルモン教ですが、その創始者の闇の部分については、まったく教会史の中で語られていないことが多くあります。その一つがモルモン教会創設以前のジョセフについては、彼らの教会史では、当時、キリスト教のリバイバル運動が盛んで、それぞれの教派が教義によって争っていた時に、ジョセフはヤコブ1章5節を読み、その勧めの通り祈り求めたら光の中、空中に父なる神とみ子が顕現され、どの教会にも加わるな、それらの教会は「わが目に見て憎むものなり」と言ったとしています。それからしばらくして天使モロナイの訪れ、そして金版その他を手に入れ翻訳という話となって行きます。

 しかし、この顕現があった当時、ジョセフは井戸掘りの時に偶然見つけた半透明の石によって、この石を使って見れば地中の財宝を発見できるとして商売をしていたことが知られています。

 1826年にはニューヨーク州ベインブリッジにて裁判にかけられ、「詐欺および人々の平和を乱す騒乱」により有罪となりました。

ジョセフ・スミスJr 判決 罰金

判決文 見やすく


この事件については1826年ベインブリッジ裁判記録 に詳しく出ていますのでご参照ください。この時の罰金を任意の年のドルの価値を計算できる「The Inflation Calculator」で調べますと

1826年のアメリカの2.68ドルを2017年のアメリカドルの価値に


What cost $2.68 in 1826 would cost $58.93 in 2017.
Also, if you were to buy exactly the same products in 2017 and 1826,
they would cost you $2.68 and $0.12 respectively.

Google翻訳
1826年の費用は2.68ドルで、2017年には58.93ドルになる。
また、2017年と1826年に同じ製品を正確に購入する場合、
彼らはそれぞれ2.68ドルと0.12ドルの費用がかかります。

との結果が出て来ました。

 地中に財宝が埋まっている、それは偶然に見つけた半透明の石を覗くことによって解る、という行為による詐欺行為を繰り返していた人物が、古代アメリカの記録が記された金で造られた版を見つけた、それは特殊な文字で記されていて、一緒に埋蔵されていた胸当てと一体となった銀のつるでつながれた二個の石を通して覗き見ると読めるというのと、根は一緒の話に思えます。

 モルモン教は「モルモン書」が真実であるかどうかは、彼らが預言者とするジョセフ・スミスJrが信じられる人物かどうかとか、モルモン書の記述の歴史的検証や聖書との比較などではなく、

"見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなた方がこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。』(モロナイ10:3-5)とあり、真実かどうかを祈って神に問うなら『聖霊の力によって明らかにされるとき、(『モルモン書』を含めて) これが真実であることを証する御霊のささやきや特別な気持ちを感じることができる。」"
(「モルモン書 生徒用資料 宗教コース121-122」 p.165)

と声が聞こえてきたり、特別な気持ちを感じたなら真実であるとしています。

 そのため、彼らの聖典に対する態度は、原文に何が書かれていても、そういったことには何も意味はなく、聖霊の導きによって訳されたということが重要であるということです。極端な話、梵語で書かれたお経を英語に霊感をもって預言者と称する者が訳した時、それが原文と全く違った内容であっても何も問題はなく、神が預言者を通して与えた訳文こそが真実であり、事実と言い張っているようなものです。

  モルモン書の内容が歴史的にどれだけ矛盾していても、聖書の教えと矛盾しても、また、標準聖典の一つ「高価な真珠」に収録されているアブラハムの書が、実際はエジプトの葬祭文書である「死者の書」であり、それとはまったく内容の違う創作物になっても、モルモン書の最後に付された(英文初版)「三人の証人の証し」、「八人の証人の証し」のモルモン書の書かれていたとする金版を見たとする証人のほとんどが(スミス一家と一部の人を除いて)モルモン教会を去っても、考古学上の発見など無くても、このカリスマ宗教にとっては意味のないことなのでしょう。

 また、彼らはジョセフ・スミスJr亡き後もカリスマ宗教であり続けています。

 "神は昔と同様,今日も主の教会を導くために預言者を召しておられます。現在の預言者,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長はトーマス・S・モンソンです。モンソン大管長は二人の顧問,ヘンリー・B・アイリングとディーター・F・ウークトドルフの補佐を受けます。これら3人は教会の大管長会を構成します(キリストの死後のペテロ,ヤコブ,ヨハネと同様)。
大管長会と十二使徒定員会の全会員は使徒であり,預言者です。現在の使徒は次のとおりです。・・・"
現在のモルモンの預言者はどのような人ですか。

と、大管長(狭義には大管長が預言者)と二人の顧問(昔は「副管長」と言ったと思ったが、現在は「管長」との表記になっている)、そして十二使徒を預言者としているようです。

そして大管長について、

 "生ける預言者に与えられる主の言葉は時宜にかなっており,現代のわたしたちにとって最も重要である
世の中は絶えず変化しています。それまでとは異なる新たな問題,そして過去の問題が多様な形で次々とわたしたちの前に現れます。知恵と愛にあふれるわたしたちの天の御父は,すべての物事が起こる前からそれを御存じです。そして,御父は必要に応じて,疑問への答えや解決法を預言者を通じて明らかにしてくださいます。預言者は現存する聖文を説き明かし再検証するだけでなく,主の代理人としての役割も果たします。人々の必要に応じて,主は預言者に新たな聖文をお授けになることもあるのです。聖霊の導きを受けて語るとき,生ける預言者の言葉は,同じ事柄について述べられたほかのいかなる言葉よりも優先されます。霊感によって語られる預言者の勧告は,標準聖典にある永遠の真理と調和し,その時代の必要や状況に焦点が当てられたものです。"
第2章 生ける預言者-教会の大管長 生ける預言者の教え 生徒用手引き

と現任の大管長のことばの優先性が説かれています。

 そのせいなのか、彼らの信仰のかなめ石と呼ぶ「モルモン書」やジョセフ・スミスJrの啓示集である「教義と聖約」はものすごい数の改訂がなされています。モルモン書は3,913か所の改訂がなされているそうです(詳しくはこちらで Introduction 3,913 Changes in the Book of Mormon

  わたしが「北風から」のブログ(サービスが終了したラブログ)でも書き、引っ越した先のYahoo!ブログにも書いたのですが、こちらにも転載しておきます。

モルモン教標準聖典 URL入り


 英文は1830年初版とし、改ざん個所に括弧で変更文を書きます。聖書の批評欄にならい、括弧の中のaddとあるのは加筆のことで、omとあるのは削除、pmとあるのは別な語に交換したことを表すものとします。


ニーファイ一13:40(初版32頁五行目と九行目以下)
“…These last records…shall make known to all kindred, tongues, and people, that the Lamb of God is (1964ed.add:the Son of) the Eternal Father(1981ed.add:,)and the Savior…”


ニーファイ一11:18(初版25頁四行目)
“…Behold, the virgin which thou seest,(1981ed.om:,) is the mother of(1969ed.
add:the Son of) God, after the manner of the flesh.”


ニーファイ一11:32(初版26頁九行目)
“…the (1964ed.add:Son of the) Everlasting God,(1981ed.om:,) was judged of the world; and I saw and bear record,”


ニーファイ一20:1(初版52頁Ⅵ章の下の行から十七行目)
“Hearken and hear this, O house of Jacob, which(1981ed.pm:who) are called by the name of Israel, and are come forth out of the waters of Judah, (1964ed.add:or out of the waters of baptism,) which(1981ed.pm:who) swear by the name of the Lord…”


モーサヤ21:28(初版200頁二十四行目)
“…King Benjamin(1969ed.pm:Mosiah) had a gift from God,whereby he could interpret such engravings;…”


 次に述べる改ざん個所は、日本語訳の1957年佐藤龍猪訳「モルモン經」と、1995年訳「モルモン書」の訳文を対比するだけでもわかる個所です。

アルマ29:4(初版303頁十七行目)
“…yea, I know that he allotteth unto men,【yea, decreeth unto them decrees which are unalterable,】 according to their wills…”

ここで【】で囲った個所は、1964年版では削除されていました。1957年日本語訳にもないことから、日本語訳の底本であった1920年版において削除されたものと思われます。しかし、この【】で囲った個所は1981年版では再び元に戻されました。そのため1981年版を底本としている1995年日本語訳でも、この個所は1957年版より拡張されています。では以下に日本語訳を引用します。

1957年版
私は多過ぎる希望をもって正義の神の堅い取り極めを不満に思ってはならない。なぜならば、人が死と願うにも生を願うにも神はこれに応じたまい、人の心が救いを求めるのも亡びを求めるのも、神はこれを許したもうと言うことを知っているからである。

1995年版
わたしは公正な神の堅い定めを、わたしの願いによって乱してはならないのである。人が死ぬことを望もうと生きることを望もうと、神が彼らの望むままにされることを知っているからである。まことに人々が救いを望もうと滅びを望もうと、神は彼らの意のままに、不変の定めを彼らに布告されるということをわたしは知っている。


 本当に極々一部ですが、改ざん個所を見てみました。「モルモン書」の序文にはこうあります。『この記録について、預言者ジョセフ・スミスは次のように言っている。「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり、わたしたちの宗教のかなめ石である。そして、人はその教えを守ることにより、ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」』しかし、現実はどうでしょうか。そんなに正確な書であるのに、なぜこんなにも改ざんがなされるのですか。自分達の宗教のかなめ石を、なぜそんなにも改ざんするのですか。答えは実に簡単です。それは人間の創作物に過ぎないからです。

前回:偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 1


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有名なモルモン書のあり得ない箇所と言い訳

白い肌と黒い肌

金版、真鍮版

金の板に文字が書かれていれば利用しようとする

モルモンに対して

アブラハムの書

偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 1


 末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の標準聖典、特にモルモン書などはその序文において、

"『モルモン書』は『聖書』と肩を並べる聖典である。この聖典は、アメリカ大陸の昔の住民に対する神の導きの記録であり、この書物には完全な永遠の福音が記されている。この書物は、昔の多くの預言者たちが啓示と預言の霊によって書き記したものであり、モルモンという名の預言者であり歴史家であった人物が、金版に書き記された言葉を引用し、短くまとめたものである。…" 

と、歴史的真実を記録した書としています。

  この記録と彼らが称するものは、紀元前600年頃にダビデの町であるエルサレムに、ヨセフの子孫としていながらもなぜか受け継ぎの地をもっていたリーハイなる人物とその家族が、当時存在していなかった金属である真鍮で造られた、天地創造の初めからゼデキヤ王の統治の初めに至るユダヤ人の記録と、まだ成文化されていないはずの預言者の預言書がなぜか刻まれている真鍮版を略奪してアメリカ大陸に渡来し、そこでリーハイの子孫であるニーファイ人とリーハイ人という二つの民族が、西暦385年にこの民族間の戦争によってニーファイ人がモロナイという人物を残して絶滅し、そのモロナイがその伝えられた記録と、自身の書き継いだ記録の記された金版を埋めるまでのことが記されているとしているものです。この中には、古代アメリカ大陸にイエスが現れたりと荒唐無稽な話しのオンパレードです。

  その記録を天使となったモロナイがジョセフ・スミス・ジュニアという人間に現れて、その記録の金版と銀のつるにはめた二つの石「ウリムとトンミム」がついた胸当てなどが隠されていることや何をなすのかを告げます。その後も何度か現れ、埋められてい眼場所をジョセフは知り、すぐに掘り出すことを禁じられましたが、1827年になって天使がそれらの品を渡したとしています。その金版は1838年に天使が取りに来てもはや地上にないとされています。

 もはや翻訳の底本となった金版は地上には存在しません。証明するものはなくなりました。  "『モルモン書』は、昔アメリカ大陸に住んでいた民の神聖な記録であり" と言っていますが、その記録の原典に当たることはできません。では翻訳されたとされる(二つの覗き石を通して訳されたとするが、普通それを翻訳とは言わない。)「モルモン書」は果たして本当に歴史的な記録なのであろうか。

和訳モルモン聖典 明治訳・昭和佐藤龍猪訳、昭和訳合本、平成訳、平成訳改訂版

モルモン経明治訳・昭和佐藤龍猪訳、平成訳、平成訳改訂版

The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1963年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)



 しかし、モルモン教は「モルモン書」が真実であるかどうかは、そのような歴史的検証ではなく、

"見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなた方がこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。"
(モロナイ10:3-5) 

とあり、真実かどうかを祈って神に問うなら 

"聖霊の力によって明らかにされるとき、(『モルモン書』を含めて) これが真実であることを証する御霊のささやきや特別な気持ちを感じることができる。」"
(モルモン書 生徒用資料 宗教コース121-122 p165) 

と、声が聞こえてきたり、特別な気持ちを感じたなら真実であるとしています。

 モルモン教徒の極端な意見によると、創世記の記述やキリストの復活など学問的に証明できないが信じることと一緒だ、信仰は学問的実証とは別だとする意見を言う方もあります。しかし、ほら話を信じるのと、ある程度学問的実証性があり信頼に足るものを信じるのでは違うと思います。

  モルモン書はジョセフ・スミス・ジュニアが地中から発見した金版に「改良エジプト文字」とモルモン書が説明する文字にて記されていた、古代アメリカの記録であるとしています。しかし、この「改良エジプト文字」なるものは、世界はおろかアメリカ大陸でも、ましてやエジプトやパレスチナでも見つかってはいません。

 まずマーティン・ハリスが書き写したとされる文字を見てみましょう(ジョセフ・スミスの歴史参照)。

金板の写しとそれを明確にしたもの

 そして、次にエジプトの文字やヘブライ文字、楔形文字、アラビヤ文字、マヤ文字、インカ文字を見て見ましょう。

エジプト・ヘブライ文字


マヤ文字・インカ文字


 古代エジプト文字のヒエログリフ(聖刻文字、神聖文字)、ヒエラティック(神官文字)、デモティック(民衆文字)、というこれら三つの書体ばかりではなく、古代ヘブライ文字、アラム書体のヘブライ語、楔形文字、そして古代アメリカのマヤ文字やインカ文字とも明らかに、素人目にも違います。

金版の写しと占星術の惑星や星座記号などの類似性

 しかし、占星術や魔術などで使われる記号とは類似していることが指摘されています。

 また、モルモン教会の歴史の中でマーティン・ハリスがこの写しをもってチャールズ・アントン教授の下に訪れ、教授に『…まだ翻訳していない文字を出して見せたところ、これらはエジプト語、カルデヤ語、アッシリア語およびアラビヤ語などで、またその文字も本当の文字であると言われて、教授はパルマイラの人々に宛てて「これらの文字は真正の文字にして、またこれらの文字より翻訳されたるものもまた正確なり」という一通の証明書を私に下さった。』云々という話をまことしやかに伝えていますが、教授自体がこれを否定しています。



 詳しい内容はアンソン教授の否定(リンク修正2023/03/04)で日本語で読めますし、タナー夫妻のサイトで英文でアントン教授の手紙の内容を見ることもできます。 http://www.utlm.org/onlineresources/anthonletter.htm " target="_blank" title="アンソン教授の否定">アンソン教授の否定 http://garyo.or.tv/kakure/anthon.htm で日本語で読めますし、タナー夫妻のサイトで英文でアントン教授の手紙の内容を見ることもできます。Professor Charles Anthon Letter http://www.utlm.org/onlineresources/anthonletter.htm

 モルモン教では、モルモン書は古代アメリカ大陸の真実の記録としていますが、それを証明する考古学上の発見や歴史的な発見は何一つなされていません。

 モルモン書の記述からはかえって多くの歴史的矛盾が指摘されています。

古代アメリカ文明の謎 マイブログ入り


 ナイジェル・デーヴィス著『古代アメリカ文明の謎-コロンブス以前のアメリカ大陸-』(BEVOR COLUMBUS KAN)から少し見てみましょう。

~以下引用~

 …モルモン教会は「新世界基金」という財団をもっている。これは元来、モルモン教徒の伝説についての考古学上の証拠を発見する目的で設立されたものであった。当初の目的は現実にはほとんど達せられなかったが、財団は、更に注目に値する学問的な貢献を果たした。その計画に協力した考古学者達が私に語ったところによると、発見物について報告を行う際、教義のことを考慮することは、判然と禁じられていたということである。

 近年「新世界財団」の元理事長トーマス・スチュアート・ファーガソンが、アメリカ人の起源論の著者たちをリードするようになった。ファーガソンが、アメリカには専らイスラエルからの移住者が住んでいたとする教義を撤回したことは何も驚くには当たらないが、それにもかかわらず彼は、様々な種族グループが全てベーリング海峡を越えてやって来たとする可能性をも断固として否定しているのである。ファーガソンは、その著『一群の羊、一人の牧者』の中で、メキシコの考古学上重要な多くの遺跡の放射性炭素による年代測定と、ジャレード時代(紀元前二八〇〇年)およびそれに続くネファイト・ラマナイト時代(紀元前五八七年から期限四二一年まで)の顕著な出来事を一致させようという大胆な試みを行っている。命題を明確にするため、地図が添えられている。ファーガソンは更に、メキシコ南部のチアパ・デ・コルソ —これは「新世界基金」が何年も前から優れた業績を挙げている場所である— で古代エジプトのヒエログリフが刻まれた印章が見つかったと主張する。それにつけて一葉の写真があり、それには何か三角形様のものが写っており、その底辺部分に一種の裂け目が刻みつけられている。これが本当のエジプトの文字であるという主張は、あまり説得力をもたない。

 自分の立場を擁護するため、ファーガソンは、アメリカと近東の関係を主張する人間の理論武装に欠かせぬ武器、即ち、白い神の理論と言葉のリストの遊戯を援用する。鬚のあるケツァルコアトルをイエスと同一視し、白い神像を、ケツァルコアトルの化身でもある明けの明星と結びつける啓示の書に注目するよう勧めている。別の章でファーガソンは「善良な羊飼い」としてメキシコの神を引き合いに出し、かつナザレのイエスは西半球の「正義の神」になっている。その他の理論家たちは、ケツァルコアトルと対比するのに時として様々な神やら人間やらを持ってきた。即ち、アトラスであり、聖トーマスであり、ヴォーターン、オシリス、ディオニソス、バッカスであり、仏教あるいは婆羅門教の伝道師であり、ペルーのビラコチャとマンコ・カパックであり、ポセイドンでありホトゥ・マトゥアであった。

 これらの著者のただ一人でも、メキシコの古文書に些かの注意を払っていたら、自分自身でケツァルコアトルがメキシコの神殿の他の残忍な神々といくらも変わっていないことを確め得たであろう。もっとも私の知る限り、これらの神々はいずれも、かつてオシリスや仏陀と同一視されたことはない。一例を挙げると、ボルヒアの古写本には、一連の神々に伍して、小さな生贄の目を刳り抜いているケツァルコアトルの姿が描かれている —これはキリストを思わせる仕種ではない。

 ファーガソンは他の著者と同じく、新世界にキリスト教の儀式があったとしている。つまり、ある種の古文書には十字の印がふんだんに現れるとか、人々は巡礼の旅に出かけたとか、洗礼の儀式を行ったとか、死の前に懺悔をしたとかの類である。人間の生贄は通常狩猟の神に捧げられたが、生贄を十字形の角材に縛りつけ矢で射殺するという残酷なやり方は、磔刑の変形ともされている。

 ファーガソンは、次善三善の策として、ヘブライ語とメキシコのナワトル語に共通の言葉を挙げるという常套手段を用いている。ケツァルコアトルのナワトル語の名前は実際にはヨワジ(yohualli)であり、これはまたヨハジ(yohalli)とも書かれ得るし、最終的にはユダヤのヤーヴェ(Jahwe)の如くである、と彼は説明している。しかし事実は、ヨワジは「夜」を意味し、むしろ夜空の主である「煙を吐く鏡」として知られる別の神と関連がある。発音の点からいっても、ファーガソンは誤っている。どんなに想像を廻らしても、ヨワジをヨハジと書き換えることはできない。

 ファーガソンやその他のモルモン教徒の著者たちは、アルバ・イストリルソチトルのテキストから頻繁に引用し、出来事についての彼らなりの解釈を支えにしている。しかし、イストリルソチトルは十七世紀のメキシコの歴史家で、テスコーコの公爵家の出である。彼の著作には何ら隠された秘密はなく、時により当てにならぬことはあっても、計り知れぬ資料が提供されている。イストリルソチトルは他の誰よりも、その郷里テスコーコの熱烈な擁護者である。彼はスペイン征服後一世紀生き、徹頭徹尾スペイン化されていた。要するにファーガソンは、「新世界基金」の優れた仕事はなしたものの、旧世界と新世界の関係を探究する作者の中にあって、あまり説得力のない一人である。

 アメリカの人間は単にイスラエル人であるだけでなく、失われた十支族であると主張する作家の中で、キングズバラ卿とブラスール・デ・ブールブールは、アメリカの過去についての偉大な研究家に数えられる。イスラエルの失われた支族論のもう一人の弁護者は、ジェームズ・アデアで、彼はインディアンの土地で四十年間商売を営んでいた。彼は既に一七七五年に、その理論を展開した。アデアは、インディアンがある儀式の間に、「ヨ・メシカ、ヘ・メシカ、バ・メシカ」という句を歌っていた、と報告した。メシカがナワトル語の言葉であることは自明であり、これからメキシコの名が発生した。アデアは、ここから判然と「メシアス」という言葉を聞いた。もしそれぞれの句の第一綴をとるなら、ヨヘバという名前が出てくる —言い換えればエホバないしはヤーヴェである。

ドクター・ファッディ・ダッディ

 モルモン教義は、無条件に新世界と聖書の国の間の関係という一般的なテーマに行き着く。もっとも、モルモン教徒が後世にキリストの啓示を伝えるのに、何故に、紀元前七世紀に既に原型が出来上がっていたヘブライ文字ではなく、好んで古代エジプトの象形文字を似てしたかということは、全く理解に苦しむ。

~引用終わり~

 ものみの塔が、自身の信仰に合わせた解釈の権威付けのために、いろいろな学者の著作物から断片的に、また時として著者の意図と反する形で引用したりしますが、モルモンの場合は自分たちで考古学上の発見をしようと財団を立ち上げて、いろいろと学問的貢献はするものの、自身の教義を裏付けるものは何一つとして発見できなかったということです。また、モルモン御用学者たちの著作物は、自分たちの信仰に合わせようとの意図の下にあることがわかります。


次:偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 2


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アブラハムの書

アブラハムの書


以前Yahoo!ブログに2012/2/23(木) 午後 9:20と2012/2/25(土) 午前 11:25にアップしたものを、こちらに再掲(一部修正して)します。

モルモン教の標準聖典のひとつに「高価なる真珠」がありますが、その中にジョセフ・スミスが1835年の夏にマイケル・チャンドラーなる人物より、エジプトのミイラ四体とパピルスを購入しました(もちろん信者たちから集めた献金によって)。

 ジョセフ・スミスはこのパピルスを見て、一つはアブラハムが書いたものであり、もう一つはヤコブの子ヨセフが書いたものであると言い、このパピルスの翻訳にとりかかりました。この書は『1842年3月から教会の出版物「タイムズ・アンド・シーズン」紙上にて、一度に幾らかづつ抜粋として発表』され、1844年に出版されました。

 ジョセフ・スミスがどのように翻訳したかはわかっていないとされていますが、一説には自著「エジプト語のアルファベットと文法」を使用したとも言われていますが、この著書の内容は全くのでたらめであることが知られています。現在はモルモン教会によって発禁になっています。このようなことのせいもあり、一般には霊感によって翻訳されたというふうに信じられているといいます。

このパピルスはジョセフの死後売却され、シカゴの大火で焼失したと言われていましたが、奇しくもメトロポリタン美術館に保管されていました。このパピルスは1967年にモルモン教会に返還されています。

 多くの学者がこのパピルスを調べましたが、ジョセフの書いた「アブラハムの書」などではなく、エジプトの「死者の書」の一部であることが調べた多くの学者の一致した見解でした。このことはNew York TimesでもMuseum Walls Proclaim Fraud of Mormon Prophet(美術館の防壁、モルモンの予言者の詐欺を宣言する)との見出し記事で詳しく伝えました(こちらでNew York Timesのその記事は読めます。 http://utlm.org/onlineresources/nytimes1912papyrus.htm)。

関連:Joseph Smith, Jr., as a translator : reprint of an inquiry conducted  pp.23-31

パピルスは1967年にモルモン教会に返還


The New York Times Sunday, December 29, 1912 全


一番初めの画像は、アブラハムの書のから採録された写しであるとされています。この絵の説明として、1、主の天使。2、祭壇上に縛られたアブラハム。3、アブラハムを犠牲に供えんとする、エルケナの神を拝む偶像崇拝教の祭司。4、エルケナの神、リブナの神、マーマクラーの神、コラシの神、パロの前に立つ偶像崇拝教の祭司たちが、これらの神に犠牲を供える祭壇。5、偶像崇拝教の神、エルケナ。6、偶像崇拝教の神、リブナ。7、偶像崇拝教の神、マーマクラー。8、偶像崇拝教の神、コラシ。9、偶像崇拝教の神、パロ。10、エジプトにおけるアブラハム。以下省略。

アブラハムの書 挿絵一


 まあ、まだシャンポリオンによってロゼッタストーンが解読され、1832年にシャンポリオンが42歳という若さで亡くなった後に、その兄がその遺稿をまとめ、1837年に「エジプト語文法」と「エジプト語辞典」が出版されていましたが、そんなものは一般の人にはわかるはずもなく、今とは違いエジプトについての知識は皆無ともいえる時代ですから、このようなことを書いても信じてしまったのでしょう。

アブラハムの書 挿絵一の原図と学術的復元図


上の画像のパピルスが、「アブラハムの書」のパピルスですが、「アブラハムの書」に載せられた写し絵は、このパピルスの欠損した部分をジョセフ・スミスの想像によって復元したとしていますが、普通は祭司の顔の部分は学術的復元図にありますようにアヌビス神の顔が来ます。

 また、ジョセフ・スミスが偶像崇拝教の神エルケナ、リブナ、マーマクラー、コラシとして説明したものは、ミイラを作る時死者の内臓を保管するカノプス壺で、ホルス神の四人の息子で、5は腸を保管する壺で、腸を守護する神で隼の姿をしたケベフセヌエフ神です。6は肝臓を守護する山犬の姿をしたドゥアムトエフ神を模った壺です。7は肺を守護するヒヒの姿をしたハピ神を模った壺です。8は胃を守護する人間の姿をしたイムセティ神を模った壺です。またこの祭壇と呼んでいる寝台は、オシリスの葬祭の寝台ですし、9も偶像崇拝教の神パロではなく、セベト神をあらわす神聖なワニです。

カノポス壺

 しかし、まだジョセフ・スミスの時代ならいざ知らず、現代社会で、それも翻訳の原典も残されているにもかかわらず、この書をモルモン教徒が信じているのにはおどろきます。信仰は盲目なりと言いますが、至言です。

さて、「アブラハムの書」に載せられたる第二の挿絵と続いて原図を見て行きたいと思います。

アブラハムの書 挿絵二


 この挿絵二は、「アブラハムの書」第三章を説明するもので、天父の最初の創造物である日の栄の中心にある惑星コロブについての記述で、ここにおいてかつて人間として歩まれ昇栄して神となった天父が、このコロブにおいて多くの妻たちの間に子をなし、第一の者イエス、第二の者ルシファー、やがて天父に逆らいサタンとなりたる者。またミカエルと呼ばれやがて地上で人間として生れアダムと呼ばれた者からはじまって、先在の全人類が天父と妻たちとの実の子として(霊体)存在している世界です。

モルモンの前世・来世


 このコロブでは地球での千年は一日にすぎません。このような空想話がモルモンの宇宙観であり、先在観、来世観で、天父は人として生れた子供たちが、イエス・キリストを信じ、罪を悔い改め、すべての儀式や義務を果たすならば、最後の審判の後、昇栄して日の栄の王国に入り、忠実ですべてを守り行った者は三層に分かれた日の栄の王国の中心へ行き、神の一人となり、自らコロブを創造し、天父と同じように多くの妻を持ち、多くの子らを設けます。そしてまた救いの計画を建てます。

アブラハムの書 挿絵二 原図


 しかし、この図はミイラの頭の下に置かれた円盤状の護符でヒュポケファルス(Hypocephalus)であることは知られたことです。さすがにモルモン教会もそれを無視できないのでしょう、インスティチュートテキストに『模写第2に描かれている図は、学者の間で‟hypocephalus(ヒポケパロス)”として知られる種類のもので、「頭の下または真下」という意味である。…ラーまたはホルス、すなわち太陽の目を象徴しており、そこに描かれている場面は、エジプト人の復活と死後の生活の概念を物語っている。」』と学術的な意見を取り入れていますが、そこから自分たちの宇宙観に繋げようともしています。

 『もし上述の説明のようにhypocephalusが神の目を表しているとするなら、そこに描かれるものは何であろうか。わたしたちは神の関心や注意が、御自身の子らの不死不滅と永遠の命をもたらすことに注がれていると知っている(モーセ1:39参照)。したがって、アブラハムの模写第2に描かれている神の目の象徴的な絵が、この神のすべての子供たちにとって大いなる希望を表していることは不思議ではない。』とこじつけます。

ルーブル美術館に収蔵されているイレトホルルウのヒュポケファルス


 ルーブル美術館に収蔵されているこのイレトホルルウのヒュポケファルスを見ると、まったくそっくりの図柄で、アブラハムなどとは全くの関係がない、エジプト人の宗教観からくるものであることがわかります。



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