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白い肌と黒い肌


 モルモン教では、“『モルモン書』には,ユダヤの王ゼデキヤの治世中,ユダヤがネブカデネザル王に征服されてバビロンの捕囚がまさに始まろうとする紀元600年に,エルサレムを出たヨセフの部族から成るイスラエル人のある移民団の歴史が載っている。この移民団は神の導きによってアメリカ大陸へ渡り,そこで人口に富む偉大な国民に発展した。しかし争いを起こして分裂し、ニーファイ人とレーマン人の二つの国民に分かれて相対した。ニーファイ人は勤勉と精巧な技を養い,歴史と聖文とあわせ記した記録を保存したが,レーマン人は堕落して低俗な民となった。しかし、このニーファイ人は紀元400年ごろに全滅してしまった。けれども,レーマン人は野蛮未開の状態のまま生き残り,現在アメリカインディアンとしてアメリカの地に住んでいる。”(「キリスト・イエス」 ジェームズ・E・タルメージ著 p48)と、北・中・南のアメリカの先住民族であるパレオ・インディアンやインディオたちを見ています。

 また、モルモン書では前2500年ごろのバベルの塔の時代にこの大陸に渡って来て繁栄したが、やがて内乱により全滅したヤレドの民というものも出てきます。そして、前600年ごろに渡米して来たリーハイとその子孫であるニーファイ人とレーマン人があり、その内レーマン人だけが生き残り先住アメリカ人となったとしています。すなわち先住アメリカ人はイスラエルの子孫であると言っています。先住アメリカ人の皮膚の色が黒いのは神の呪いであるとも考えています。

 そのことは『モルモン書』のニーファイ第二書5章21節にこのようにあります。

“そして主はかれらの罪悪のために、あののろいをかれらに襲い来たらせたもうたが、それはまことに恐ろしいのろいであった。ごらん、これはかれらが主に対してその心をかたくなにして、あたかもひうちいしのように堅くなってしまったからである。それであるから主なる神は、かれらが始め皮膚が白くて非常に美しく人目に楽しい者であったから、私の民がこれに心を奪われないようにその皮膚を黒くならせたもうた。”

 また、この逆も起こったりしています。ニーファイ第三書2章14節、15節にの様に書かれています。

“14 ニーファイ人と聨合をしたレーマン人はニーファイ人の中に数えられ、 15 そののろいが除き去られてニーファイ人のような白い皮膚となった。”

 そして、アメリカ先住民がモンゴロイドであり、イスラエル人(ヘブライ人)の子孫ではないと批判を受けると、血統的イスラエル民族とはまさにモンゴロイドであり、それはモルモン書の真実性を裏付ける証拠にはなっても、否定する材料にはならないとする方などがSNSなどでは見受けられることもあります。

「DNAが解き明かす 人類の旅」 2008年10月05日放送 1

 これは大きなごまかしであり、現在の考古学等では約2万年前にアジアやシベリアを経由したモンゴロイドたちは、ベーリング陸橋(約3万年前~1万3000年前)に入るもアラスカの氷河に阻まれ、シベリアで数千年を過ごし、ベーリング陸橋が融けるに従い海伝いに1万数千年前にアメリカ大陸に進出したと考えられています(NHK サイエンスゼロ シリーズ ヒトの謎に迫る(1)「DNAが解き明かす 人類の旅」 2008年10月05日放送)。

「DNAが解き明かす 人類の旅」 2008年10月05日放送 2

 このことはY染色体のハプログループやミトコンドリアDNAハプログループの動向からも分かります。

ハプログループ

ユダヤ人(40前後)や中近東の人たちのハプログループはJ
(ユダヤ人(40%前後)や中近東の人たちのハプログループはJ)

ユダヤ人(40前後)や中近東の人たちのハプログループはJ

 これらの事を見て行くと、モルモンの説は真っ向から否定されるものです。今から2600年ほど昔にイスラエルから渡来した云々は全く馬鹿げたことです。彼らと先住アメリカ人は遺伝的にも遠く隔たっています。民族的にも、遺伝的にも、また先住民族の考古学的な発見も「モルモン書」を支持するもの何一つとして無いだけでなく、否定されています。

 モルモン教はこの独自の教義ともう一つの見解により、教会内において人種的な壁や差別というものを長い間抱えていました。彼らが聖典の一つ(モルモン教では「聖書」、「モルモン書」「教義と聖約」「高価な真珠」の四つを聖典としている)としている「高価な真珠」の中のアブラハムの書の1章にはこのようにあります。

"21 さてのエジプトの王は、ハムの子孫より生れしすえにして、素性によればカナン人の血統を引きたる者なり。 22 この子孫より、すべてのエジプト人出でたり。されば、カナン人の血統はこの地に保存せられたり。 23 エジプトの地始めて一人の女よりて発見せられしがこの女はハムの娘にしてエジプタスの娘なりき。エジプタス(Egyptus)とは、カルデヤ語にてエジプトを表し、これはまた禁ぜられしものなる意(こころ)なり。 24 この女がエジプトの地を発見せし時、そは水の下にありたれど、後にこの女はその息子らをこの地に定住せしめたり。かくて、咀(のろ)いをその地に留めたるかの種族はハムより出で来りたり。 25 さてエジプトの最初の政府は、ハムの娘なるエジプタスの長男パロ(Pharaoh)によりて樹(た)てられ、そはハムの政府の慣しによりて族長政治なりき。 26 パロは義人なりければ、その王国を打ち建てて、生涯その民を賢明且つ公平に審(さば)き、最初の世代、すなわち最初の族長統治の時代に於ける先祖によりて樹てられたる制度にならわんことを熱心に努めたり。その制度とは、アダムの統治およびノアの統治の時代に於けるものにして、ノアは彼の先祖にして彼を地の祝福と智恵の祝福とをもて祝したれど、神権に就きては彼を咀いたり。 27 さてパロは神権の権能を受くる能(あた)わざる血統なりしが、然もなおパロの一族はハムによりてノアよりその権能を受けたるふりをせり。この故に、わが父は彼らの偶像礼拝に誤られたり。"

 これが彼らが教会において神権(神の権威と権能、人の救いのために必要なもので男性会員にのみ授けられる。メルキゼデク神権(大神権)とアロン神権(小神権)の二種類があるとされている。モルモン独自のもの)を授けられることにおいて、人種の壁がありましたが、1978年に当時の大管長(モルモン教会では預言者)スペンサー・W・キンボールに与えられたとする啓示が、「教義と聖約」の最後に収録されている「公式の宣言二」になりますが、それによってやっと神権や職への聖任ということにおいて差別の撤廃が、神からの啓示という形を持って宣告されました。モルモン教会における白い肌は神の祝福、黒い肌は神の呪いで神権を受けることのできない血統というものは表面的には消えたのでしょう。七十人という幹部地位に現在黒人やアジア人も見られるようにはなりました。しかし、1830年から公式の宣言が出される1978年までの長い期間に渡るあり方は、長く世代に渉って居る人間を無意識に拘束し続けるのはあり得る事でしょう(以前の(1995年に聖典の日本語訳改訂版が出る以前のもの)「教義と聖約 高價なる眞珠」には(合本版も)、この公式の宣言二は載せられていません。この公式の宣言より以前の翻訳のためでしょう。しかし、公式の宣言が出されてから翻訳して、つけ加えて出版をすればいいだけだとも思います。)。

2014/11/2(日) 午後 1:46にYahoo!ブログにアップしたもの(一部分追加)


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有名なモルモン書のあり得ない箇所と言い訳


 末日聖徒イエス・キリスト教会、通称「モルモン教」と呼ばれる既存の正統的キリスト教からは異端とされている19世紀アメリカにはじまったキリスト教系の新興宗教団体があります。彼らは「聖書」(プロテスタント型に近く旧約・新約聖書65巻(旧約の「雅歌」は正典から省いているので65巻)で、英語圏ではKing James Versionを団体創設期より使用しています。日本では日本聖書協会の「口語訳 聖書」を使用していました(現在は分かりません)。)の他に彼ら独自の「モルモン書(The Book of Mormon)」、「教義と聖約(Doctrine and Covenants)」、「高価な真珠(Pearl of Great Price)」の三つを加えて標準聖典(キリスト教会のような聖書「正典」ではない。これらの聖典の他に「教会の預言者(大管長)」を始めとする大管長会と十二使徒評議会も預言者としてその団体を導き、そのことからくる流動的な教義も大きな違いといえます。)としています。

 彼らは  “預言者ジョセフ・スミス( 1805 -1844 年)は次のように語った。「わたしは兄弟たちに言った。「『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。そして,人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」(History of the Church ,第4 巻,461;モルモン書序文)”  という言葉をその出版物や雑誌等で繰り返し載せていることから、とても重要視していることが分かります。しかし、これは裏を返せばその「最も正確な書物」や真実性が間違った認識であることを示せば崩れるものでもありましょう(理を問いても受け入れない盲信の場合は別として)。

 さてまずは、モルモン書の中の有名なあり得ない出来事のひとつであるコロンブス以前のアメリカ大陸に馬がいたという記述について見てみたいと思います。

 まずは第一の当該箇所を見てみましょう。

ニーファイ第一書18:25

"また私(わたくし)たちは野の中を旅したが、この約束の地には森の中にあらゆる種類の獣すなわち牝牛も牡牛もろばも馬も山羊も野山羊も、そのほか人の役に立つあらゆる野獣がいるのを見つけた。また私たちは金、銀、銅などあらゆる種類のあらがねも見つけた。"

 この記述の中(後で引用することになるイテル書の記述においても)には「馬」以外にも歴史的矛盾があるのですが、今回は「馬」だけに絞りたいと思います。

 1986年にいのちのことば社より出版された「モルモン教とキリスト教」(ウイリアム・ウッド著、現在は89年改訂版が出ている。)にもこのことは出ており、その当時、モルモンのレッスンを受け、レッスンをしてくれていたモルモン教の外人宣教師にそのことを聞いてみたことがあります。その時、彼らはイテル書(現行訳では「エテル書」)を示してリーハイの家族以前にアメリカに持ち込まれた記述を指し示しました。

イテル書6:4
"このようにして、ジェレドの一行は海を渡る間に必要なあらゆる食物を用意し、またその家畜と携えて行くあらゆる獣と鳥とに食わせる物も用意した。そして準備万端備ったから、主なる神の御守りに身を任せて舟に乗りこみ海の上に漂って出た。"

イテル書9:17-19
"17 そしてあらゆる木の実、穀物、絹の布、良い質のリンネル、金、銀、貴重な品、 18 ならびにあらゆる家畜、牡牛、牝牛、羊、豚、山羊そのほか人の食用に供するいろいろの動物をもっていた。 19 馬、ろば、象、クレロムおよびクモンもいた。これはみな人の役に立ったが、ことに象とクレロムとクモンは役に立った。"

 そして、次回までにさらに調べてきますとのことでした。翌週に宣教師は意気揚々とコピーを差出、そこには「文庫クセジュ アメリカ大陸の古代文明 アンリ・レーマン 白水社 1959年」の20ページのコピーでした。その本にはこのようにあります。

"パタゴニアについては、マゼラン海峡に近いパリ・アイケ及びフェルの洞窟で行われた、きわめて価値の高い層位的発掘によって、より多くのことが知られている。ここでジュニアス・バードは、重なり合った五つの住居地の層を発見したが、その上層は現生のオナ・インディアンに対応する。何も含まない一層によって他とへだてられている最下層には、ワナコ〔ラクダ科動物の一種〕やオオナマケモノ、アメリカ馬などの残骸が、かなり粗野な加工の投槍の尖頭や削器や、また骨製の道具、溶岩の楕円壔形の製品、等を含む石器文化と共に発見される。ヒトの遺体は焼かれていたが、一個の頭蓋は復元することができた。この頭蓋は長頭であり、ブラジルのラゴア・サンタの形にやや似通っている。しかし、この発掘は厄介な問題を残した。下層に発見された馬は、その後完全に姿を消しているからである。周知のように、スペイン人がアメリカ大陸と交渉を持った時には、新大陸には馬が存在しなかった。この馬の消失をどう説明したらよいであろうか?"

 これが示しているのはオナ・インディアンの痕跡のある層ではなく、次の何も無い層を隔てたさらに下の層に骨製の道具や石器と共に馬の残骸があり、その発見された馬は姿を消したというものです。

 この古いクセジュ文庫の底本になった本は1958年第二版によるもので、1953年初版に若干の修正を加えたものであることが、訳者による「序」の中に示されています。ということは1953年以前の発掘データーに基づいた古いものであるということを認識しておく必要があるでしょう。

 しかし、この箇所のみの写しを渡されれば、そういうことは分からず、モルモン外の資料にそういう記述があると認識されてしまいます。外人宣教師は日本語もあまり上手ではありませんでしたから、たぶん伝道本部やワード部などの人間からこれらの写しをもらったのでしょう。まあ、今の時代ならそういうことで引っかかってしまうこともないでしょう。

 馬の存在に関して「古代アメリカ文明の謎―コロンブス以前のアメリカ大陸―」(ナイジェル・デーヴィス 中島俊哉 訳 佑学社 p.10)から見てみましょう。

" 知られている動物の多くは、厳密にいえば像と同じくアメリカ産ではない。しかし、二つの重要な例外を挙げなければならない。馬と駱駝である。馬はあらゆる種類の動物の中で最もその過去がはっきりしているものだが、かなり変化に富んだ進化の歴史がある。知られている最古の馬(エオヒップス)の化石標本は、口と蹄の一定の特長によって明瞭に区別できるもので、ヨーロッパでも北米でも見つかっている。これは丈が三〇センチあるやなしやのフォックステリア大の小動物であった。それ以来主に北米大陸で、これが徐々に今日我々の知る馬になってゆくまでの進化段階を明瞭に示す遺骸の化石が次々に発見された。この変形した現代の馬が、後になってアジアへ移動し、そこで飼い馴らされた。ここから馬はさらに別の大陸へ移っていくのだが、その生まれ故郷のアメリカでは死滅してしまったのである。"

 馬の絶滅についてはカナディアン・ジオグラフィックでもこのように述べています(ウェイバックマシン http://www.canadiangeographic.ca/Magazine/ma05/indepth/#cnd )。

***

"HUMANS AND HORSES
North American horses disappeared around 8,000 - 10,000 years ago. Multiple factors including hunting by early Natives, climate change, and disease are thought to have helped contribute to their demise. They disappeared around the same time as other large mammals like Wooly Mammoths.
Human contact with horses is thought to have first occurred around 3 mya, as Homo sapiens moved out of Africa. Ancient Eurasians were known to hunt and eat horses, and their meat formed a staple of many diets at the time.
First domestication of horses occurred around 3,000 B.C. in the Middle East. At this time, the horse replaced the onager as a beast of burden. In fact, European horses were domesticated for several thousand years at the time the Spanish began exploring the Americas in the late 15th century."

Google翻訳

人間と馬

北アメリカの馬は約8,000〜10,000年前に姿を消した。 初期のネイティブの狩猟、気候変動、および病気を含む複数の要因が、彼らの死に寄与するのに役立つと考えられている。 彼らはケナガマンモスのような他の大型哺乳動物と同じ時期に消滅した。

ホモ・サピエンスがアフリカから移動したため、馬との人間の接触は、最初に3つのミヤの周りで起こったと考えられています。 古代ユーラシア人は馬を狩り食べることが知られていて、その肉はその時に多くの食事の定番となった。

馬の最初の家畜化は、紀元前3000年頃に起きた。 中東では この時、馬は餌食者を負担の獣として取り替えました。 実際、15世紀後半にスペイン人がアメリカ大陸を探索し始めた時で、ヨーロッパの馬は数千年にわたって家畜化されました。

***

 エテル書のジェレド人の記録と称するものは、紀元前2200年としていますし、モルモン書のリーハイ一行がアメリカに渡ったのは紀元前589年頃としていますから、馬を含め大型動物がアメリカ大陸ですでに絶滅した後です。

 この歴史的な矛盾に対して、モルモン教徒向けの教育プログラムテキストでは、これらのことに対して次のように説明しています。

"1ニーファイ18:24-25 コロンブス上陸以前の馬

 「もしジョセフ・スミスが、古代の記録を翻訳したのでなく、自分の力で『モルモン書』を書いたとすれば、『モルモン書』の時代のアメリカ大陸に馬がいたという記述を入れるのは、まったくばかげたはずである(1ニーファイ18:25; エノス1:21参照)。1830年当時、ほとんどの歴史家や学者は、コロンブスの上陸以前のアメリカ大陸に馬は存在しなかったと主張していたからである。しかし、『モルモン書』が出版された後、考古学上の発見により、コロンブス以前のアメリカ大陸に馬がいたことが明らかになった。南カリフォルニアのアンチョ・ラブレアのアスファルト層から、『モルモン書』の時代以前のものと推定される馬の化石が多数見つかったのである。この発見は、『モルモン書』が記された時代(紀元前600年から紀元421年)に馬がいたという完全な証拠にならないが、これによってコロンブスの上陸以前に馬が存在していたことは証明されたわけである。」(ダニエル・H・ラドロー、A Companion to Your Study of the Book of Mormon 『「モルモン書」研究必携』 p.117)"
(インスティテュートテキスト モルモン書 生徒用資料 121-122 1996年版)

 このテキストの言い訳も何の意味もありません。馬はアメリカ原産の生き物でそこから世界に広まりましたから化石があるのは当たり前です。そして北アメリカ大陸の全てのウマ科が1万2千年前から1万1千年前にかけて絶滅したことが分かっていますし、南北アメリカのクローヴィス文化発生もこの頃で、人類によって狩りつくされたとの見方もあるようです。すなわちモルモン書の指し示す時代とは遥かにかけ離れているということです。エジプトの初代王朝(前3100年~前2686年)の出来事を現代のエジプトの出来事と同じというよりも時代が離れているのですからどれほど馬鹿げているか分かりそうなものです。それにそもそも片田舎の詐欺師ジョセフ・スミスJrがコロンブスが持ち込むまでアメリカ大陸で馬がいなかったことを知っていたと考える方が無理があるでしょう。

 これが2009年版のテキストになるとこのように変わりました。

"1 ニーファイ18:25 馬
• コロンブスが到着する以前に西半球に馬がいたかどうかについては論争があった。しかし。近代の考古学上の発見から,この問題について新たな光が当てられている。「北はエスコルツ湾から南はパタゴニアまで,アメリカ大陸のほとんどの地域で,最も新しい地質時代の堆積物の中に,現存
する種と多少異なり,わずかに小型で,劣っているが,馬に間違いない化石が多数残されている。しかしながらこの大陸において,馬は絶滅しており,野生の馬も家畜の馬もスペイン人が征服したときにはいなかった。ヨーロッパから導入されて野生化すると,気候,餌,その他の環境が生息にかなり適していた南アメリカやテキサスの平原で急速に繁殖したことは驚きに値する。アメリカに多数生息していたウマ科の動物は完全に絶滅し,そして人が再導入したとき完全に順応化した。これらは奇妙ではあるがいまだ解決されていない地理的分布の問題を残している(New Americanized Encyclopedia ,第5 巻,3197)。」(ジョイ・M・オズボーン,The Book of Mormon ―The Stick of Joseph ,第2 版〔2001 年〕,164 )"
(インスティテュートテキスト モルモン書 生徒用資料 121-122 2009年版)

 確かNew Americanized Encyclopediaって20世紀初頭の百科事典でなかっただろうか。そんな古い百科事典からジョイ・M・オズボーン氏は何を証明したいのだろうか。そして、それをテキストに引用するモルモン教会も何を証明したいのか(汗)。

 それに元々馬はアメリカ原産なのだから、コロンブス以降に再導入された時、問題が無ければそりゃぁ適応するだろうと思いました。

 彼らのかなめ石はどうなのだろう・・・。


 さて、続いて「モルモン経」の87年のインスティテュートテキストのモルモン書1:1の注解にはこうあります。

"(48-1) モルモン1:1 「モルモン」という言葉の意味
 ジョセフ・スミスは「モルモン」という言葉に関する誤りを正そうとして、当時教会の出版物であった「タイムズ・アンド・シーズンズ」紙の編集長にあてて次のような書簡を書き送った。
 「拝啓。私は貴紙を通じて、博識で偏見がなく、賢明であると公言する人々の間に流布している誤りを正したいと思います。私がこうしたことを喜んで行うのは、真面目で健全な理性を持つ人々が賢者と自称する人々のつまらない主張に惑わされずに、真理の声に耳を傾けてほしいと望んでいるからです。
 私が申し上げる誤りとは、『モルモン』という言葉の定義に関してです。
 『モルモン』の語源はギリシャ語のモルモ(mormo)であると言われていますが、そうではありません。主の恵みによって私が訳したモルモン経の版では、ギリシャ語もラテン語も使用されていませんでした。では書物自体は何と言っているでしょうか。
 モルモン経の第4版の523ページ(邦訳 867ページ)には、次のように記されています。『さて私たちは、わたしたちのいわゆる変体エジプト文字を学んだ知識でこの記録を作った。この文字は代々私たちの間に伝わってきて、私たちの言語が変わるにつれて変わったから変体エジプト文字と言うのである。もし私たちの版が充分に大きかったなら、ヘブライ語で書いたであろうが、ヘブライ語も私たちのために変わっている。しかし、ヘブライ語でこの記録が書けたならば私達の記録には不完全な所がなかったであろう。しかし、主は私たちが書き記したことを知りたもう。そればかりでなく、私たちのほかに私たちの言語に通じている者のないことを知りたもうから、この記録を解釈する方法と手段とをすでに備えておきたもうた。』
 この言葉は『ほかに私たちの言語に通じている者のない』ために、その後忘れられます。そこで、その民がすべて死んだ後に、人ではなく、主が解釈しなければなりませんでした。パウロは『この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった』と言っています。考察によって啓示を得ることはできません。神はすぐれた知恵によって、地のあらゆる所にいる聖徒たちにいつも同じみたまを授けられます。それこそ、ヨハネの言うまことの予言者のみたまです。すなわち、イエスの証です。『モルモン』という言葉は、現代の知恵や知識とは別個のものであると言っても差し支えないでしょう。
 モルモンとは文字どおり more good(より良い)を意味する言葉です。」(「歴史」5:399-400)"


 続く96年の「モルモン書」のインスティテュートテキストでは、引用の四段落目最後の方の ”では書物自体は何と言っているでしょうか。“ から六段落目最後の ”『モルモン』という言葉は、現代の知恵や知識とは別個のものであると言っても差し支えないでしょう。“ までが省略された形で収録されていました。

 現在の2009年版では、前二回で使用されたジョセフ・スミスの「タイムズ・アンド・シーズンズ」紙の編集長にあての書簡での説明は、

"預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は次のように教えている。「モルモンという言葉は、文字どおりには、より良いという意味である。」(History of the Church, 第5巻, 400)"

とかなり省略され、書簡との説明も教えに変わり、「より良い」に括弧書きで英原文が付されていたのを取り除きました。そして、この後に彼らの機関紙「聖徒の道」(現:「リアホナ」誌)1991年1月号p59に載せられたゴードン・B・ヒンクレー大管長のモルモンという名前が持つ意味について語ったものを載せています。

金板の写しとそれを明確にしたもの

 Wikipediaによると古典ギリシャ語の Μορμώ(mormō) や Μορμών(mormōn) はギリシャ神話の女性の姿をした吸血鬼と説明されていました。まあ、確かにそんなものの名前を由来とは言えるはずもありません。モルモン信者がギリシャ語を疑うのもいたし方のないことで、モルモン書には「イエス・キリスト」、「バプテスマ」、「アルパでありオメガであり」(Ⅲニーファイ9:18)、「兄弟テモテとヨナ(ヨナは英文の綴りがヘブライ語からの訳の綴りではなく、ギリシャ語からの訳の綴りになっているhttp://garyo.or.tv/michi/sinjitu/bomormon/greek.htm。)」(Ⅲニーファイ19:4)などギリシャ語から英語になった言葉が、本来紀元前600年頃にイスラエルを旅立って新大陸に渡ったのなら知らないはずのものが、普通に出てきますから間違えるなというのは無理な話です。

 英語の原文を外して、 “「モルモンという言葉は、文字どおりには、より良いという意味である。」”  としたのも、ジョセフ・スミスの説明には無理があると判断したからなのでしょうか。確かにこの説明なら、more good・・・(汗)。それって英語じゃん!! などという批判も受けないでしょうし、もしかしたら変体エジプト文字(現在の翻訳では「改良エジプト文字」)や元となったヘブライ語でモルモンという語の発音に近いもので「より良い」という意味の語があるかもしれないと考えることを期待したのかもしれません。

 しかし、「良い」は'emeth、chayil、cheleb、chemed、tub、mibchor、mibchar、meged、shem、to'arなどというヘブライ語が聖書語句大辞典の「よい、よし〔良〕」という項目にて出てくるのですが、どれもmormonの発音とは程遠いものばかりだと思います。

 インスティテュートテキストの教師用手引きには、

"わたしたちは教会の正式名称を用いることを好むが、「モルモン」という言葉にはどのような肯定的な側面があるだろうか。

 この話し合いの一部として、生徒に、生徒用資料の334ページを開いてもらう。一人の生徒に預言者ジョセフ・スミスの言葉を読んでもらい、何人かの生徒にゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉を数段落ずつ読んでもらう。"


という学び方ですから、こういうことに対して疑問は起こらずにそのまま「モルモン」という言葉の良い面を討議しあうのでしょう。その言葉がどんなに馬鹿げていようとも気づかずに過ぎてしまうのでしょう。 

 さて、最後に

The Book of Mormon 1830年初版 adiey
(The Book of Mormon 1830年初版)


The Book of Mormon 1981年修正版 adieu
(The Book of Mormon 1981年修正版)

 モルモン書の記述には、いくつもの不合理や歴史的誤りが出てきます。その中で有名なもののひとつが、英語の原典(1830年パルマイラ版である初版本と後代の末日聖徒イエス・キリスト教会による修正版を含む)において「Adieu(邦訳:さらば)」(モルモン書のヤコブ書7:27)との語が出てくることです。

モルモン經モロナイ
(「モルモン經」アルマ・O・テイラー訳 明治42年)

 このことは「モルモン教は信じるに足りるか?」というサイトの「モルモン書を切り刻む」の中の「アデューはフランス語」という記事の中で詳しく批判されています。

インスティテュート・テキスト モルモン經 87年版 96年版 URL入り

 モルモン教の独身者向けの宗教教育インスティテュートのテキストがいろいろとありますが、その中で「モルモン書(1995年の改訂版が出るまでは「モルモン経」)」のインスティテュートテキストを旧版の「モルモン経」用のテキストの当該箇所の注釈を比べてみますと面白い違いがあります。

 旧版テキストでは特にヤコブ書7章については注釈はありませんでしたが、新しいテキストでは7章では二つの注釈が付き、ひとつが「Adieu」問題についてです。ちょっと見てみましょう。

" ヤコブ7:27 「同胞よ、さらば」

 この「さらば」は、英文の『モルモン書』の中の「アデュー」(Adieu) という言葉を訳出したものである。

 「末日聖徒に敵対する人々は、ヤコブが『アデュー』という言葉を使ったことに対し、疑問の声を上げている。『アデュー』は明らかにフランス語から来ており、ヤコブの時代から数百年後に現れる言葉だからである。そのような批判家が見落としている事実がある。それは、『モルモン書』が翻訳された書物であり、ジョセフ・スミスが翻訳する際に、原著者の意味を最も的確に伝える言葉を自由に選べたということである。ヘブライ語にも、フランス語の『アデュー』と本質的に同じ意味を持つ『レヒトラオト』という言葉があることに注目すると興味深い。どちらの言葉にも単なる別れ以上の意味があり、祝福という概念を含んでいる。ヤコブ書の英訳に出てくる言葉の中には、一つとしてヤコブ自身の使った言葉はないのであるが、そのことを批評家たちに思い起こさせるのは、不合理なことだろうか。これらの言葉はすべて英語から来たものであり、ヤコブの時代から長い間たつまで存在しなかったのである。」(ダニエル・H・ラドロー,A Companion to Your Study of the Book of Mormon 『「モルモン書」研究必携』 p.163)"

 昔と違い、ネットが普及した現在、モルモンについての不利な情報もあふれるようになりましたから(80年代くらいまではウィリアム・ウッド師の「モルモン教とキリスト教」くらいしかまともなものがありませんでした(それもページ数などからも極限られた範囲にすぎません)。森山論氏のはちょっと・・・という感じのものでしたから。)、おそらくネット上だけでなく伝道の場などでも問われることが増えたのかもしれません。若い独身信徒向けテキストでそのようなことに対処して、教会の教えに疑問を持たないように一手打ったのでしょう。

ヘブライ語 レヒトラオト

ヘブライ語のレヒトラオト

ヘブライ語のレヒトラオト
(「現代ヘブライ語辞典」)

 しかし、わざわざヘブライ語のレヒトラオト(להתראות)をもってくるのはいかにも苦しい言い訳でしょう(ちなみに聖書には用例はありません。類語のシャローム(שָׁלוֹם )なら出てくるのですが、フランス語は全くわからないので推測になりますが、それだとフランス語Adieuの訳にはならないのかもしれません。それでレヒトラオトを持ち出したのかもしれません。)。

 そして、「モルモン書」が翻訳物であると言い訳をします。まあ、都合の良いことに翻訳の底本にあたる金版は、

"そして、前もって定められたとおり、使者がそれらを取りに来られたとき、わたしはそれらを使者に引き渡したのである。そして、千八百三十八年五月二日の今日まで、その使者がそれらを管理しておられる。"
(「ジョセフ・スミス―歴史」1:60)

と述べているように、天使モロナイが天に持って行きそこで管理しているとの設定で話しをしているので、現物を読み直すことは当然できません。

 先ほどの批判サイトの最後の言葉、

"モルモン書を研究して行くと分かる事はジョセフ・スミスは本当にお気楽に適当にこれを書いたと言うことです。そのため無数のほころびが出てきますが、それを取り繕おうと後の時代の信者たちが懸命に想像力を働かせて、時には妄想にまで陥っている様は、滑稽でもあり、気の毒でもあります。"

はまったく納得できるものです。

 そして、2009年版のインスティテュートテキストでは、更に変更されて以下のようになっています。

" ヤコブ 7:27 さらば

・ヤコブ7:27の英文で“adieu”というフランス語が使われていることに疑念を抱く人がいる(訳注―日本語では「さらば」と訳出されている)。ある作家は次のように説明している。

 「これは、わたしたちが理解できるように、ジョセフ・スミスが使った言葉遣いである。モルモン書の時代に知られていなかった語が翻訳文の中に見られるのはそのためである。

 “adieu”という語は、ジョセフ・スミス時代の辞典では、『長い別れを告げるあいさつの語。友人との別れのとき親しみを込めたあいさつの表現』〔あなたを神にゆだねるという意味〕と定義されている(Noah Webster. An American Dictionary of the English Language, 1828)。この言葉はフランス語に起源を持つが、19世紀にニューイングランドで一般的に使用されていた。」(エドワード・J・ブラント、“I Have a Question,” Engsign, 1985年10月号.17)"

 一見、"ある作家は" などと言っているので、末日聖徒イエス・キリスト教会以外の人物の言葉かと思えば、「エンサイン」というモルモン教会の雑誌からの引用です。

 原文では、

"The word adieu is defined in a dictionary of Joseph Smith’s day as “a farewell; an expression of kind wishes at the parting of friends.” (Noah Webster, An American Dictionary of the English Language, 1828.) While the word is of French origin, it had found common usage in early nineteenth century New England."
Why are the words adieu, bible, and baptize in the Book of Mormon? These words weren’t known in Book of Mormon times.


 根拠が身内ネタということです。


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