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ルターの小教理問答行きつ戻りつ


ルターの小教理問答行きつ戻りつ 2014/11/29(土) 午前 9:43 にYahoo!ブログにアップしたものこちらに再掲

 一般にルターの「大教理問答書」との書名で日本では知られているルターの説教である「ドイツ・カテキズム(ドイツ教理問答書)」ですが、その序文にてルターはカテキズムについてこのように語っています。

“…たとえどんなによく教理問答に通じていると思われても、それを学びつくしたとか、どんなことでも十分に知っているなどとはけっして考えないようにしてもらいたい。というのは、よしんばいっさいのことをどんなによく知り、理解しつくしていたとしても、(しかし、そんなことはこの世においてはありえない) なお日ごとに教理問答書を読み、頭に考え、口に唱えて、これを習熟するようにすれば、やはりそこには数々の利得があるからである。すなわちこのようにわれわれが《教理問答を》読み、唱え、考えているときに、聖霊が臨んで、新しい光を絶えず、そしていよいよ豊かに注ぎ、信仰深い心を増し加え、しだいによくその味をあじあわせ、その意味を理解させてくださるからである。…”

 まだ、聖書それ自体が手書き写本であった時代、また印刷本がでるようになってもとても高価で一般庶民にとっては、到底手の出なかったり、庶民は文字すら読めないのが当たり前だった時代がずっと続いてきました。そんな中、司祭(牧師)がその羊たちを牧したりするのにその指導要項をまとめたカテキズモは、現在では司牧者の手だけ出なく一般信徒もその手に取り、キリスト教の基礎的学びなどに用いたり、また平素の学びや再確認などに役立てています。また、ルターの「小教理問答書」は司牧者のみならず家長がその家族や使用人を集めて、ひとつひとつ彼らが覚えるように教えることをも意図されていました。

小教理問答書


 ルターの「小教理問答書」として知られる「手引き書(エンキリディオン) 小教理問答書 一般の牧師、説教者の為に」の日本語訳は幾つかのバージョンがあります。まずは全訳版は「ルーテル教会信条集〈一致信条書〉」(信条集専門委員会訳 聖文舎 1982年5月20日)、「一致信条書 ルーテル教会信条集」(信条集専門委員会訳 教文館 2006年6月2日)、「エンキリディオン 小教理問答」(ルター研究所訳 発行元リトン)の三種です。

 「ルター著作集 第一集 第8巻」(聖文舎 1971年3月10日)と「信仰要義」(石原謙訳 岩波文庫 1939(昭和14)年6月15日)に収録された「小教理問答書」は結婚・洗礼の式文関連が省略されています。もうひとつ最後に残ったものが「小教理問答書」(聖文舎 1980年6月10日改定新版 聖文舎解散後は日本福音ルーテル教会から発行販売)で、この「小教理問答書」は訳者序文にもある通り、本来の「小教理問答書」から「序文」・「単純な人々に、ざんげについていかに教えるべきか」、「一般の牧師たちのための結婚式文」・「ドイツ語とされ、新しく定められた洗礼式文」の部分と、「家長が、彼のしもべ、しもめに対して、教えねばならない、朝夕の祈り」の中から“十字を切り”との文言を省略し“子どもにもわかるようなやさしいことばで訳出”されたものです。

 カテキズムを読み返すとき、“すなわちこのようにわれわれが《教理問答を》読み、唱え、考えているときに、聖霊が臨んで、新しい光を絶えず、そしていよいよ豊かに注ぎ、信仰深い心を増し加え、しだいによくその味をあじあわせ、その意味を理解させてくださるからである。” とのルターのことばが真実であることを思い知らされます。

 今回の新しい翻訳を読むと、昔の石原訳に回帰している部分がありました。

 主の祈りの箇所においてまずルーテル教会版(内海訳)から

“呼びかけ 天にいますわれらの父よ、
 これはどんな意味ですか。
答―神はこれによって、神がわたしたちのまことの父であり、わたしたちが神のまことの子であることを信じ、ちょうど愛する子どもたちが、その愛する父に求めるように、全き信頼と安心とをもって神に求めることをおすすめになります。”

 一致信条書に収録されているものから(内海訳)

“天におられるわれわれの父よ。
この意味は。
答。
 神は、これによって、神がわれわれのまことの父であり、われわれが神のまことの子であることを信じ、ちょうど愛する子どもたちが、その愛する父に求めるように、全き信頼と安心とをもって神に求めることをおすすめになります。”

 続いて岩波文庫の石原謙訳

“「天に在し給ふ我等の父よ。」
此意味は何か。
 答。神は之を以て我々を誘ひ、我々をして、神が我々の眞の父であり、我々は神の眞の子であることを信ぜしめ、かくて我々は慰められ、また全き信頼を興へられて、恰も可憐な子達が其愛する父になす如くに彼に祈り求めることを得しめられるのである。”

 最後に最新のルター研究所訳

“天におられる私たちの父よ、
これはなんですか。
 答え 神はこれによって私たちを促して、神が私たちのまことのみ父であり、私たちがその真の子らであると、私たちが信じるようにしてくださっているのだ。こうして私たちは愛する子らがその愛する父に願うように、安心して、あらゆる信頼をもって、み父に願うのだよ。”

 内海訳との大きな違いは、内海訳は「神は、… 求めることをおすすめになります。」と神が求めているという表現に留まっているのに対して、石原訳は神が我々を「誘ひ」「信ぜしめ」「慰め」「全き信頼を興へられ」「彼に祈り求めることを得しめられる」と実に神の働きに徹底して主眼が置かれています。

 ルター研究所訳は石原訳までは行かないものの神が私たちを「促し」「信じるようにし」てくださっているとやや私たちに対して能動的な神というものになっています。小さなことですがこのようなことに改めて気づかされること、これが新しい光というものなのでしょう(某異端の破壊的カルト団体の主張するような教義が変更されることではない)。



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