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ハムの妻エジプタスとその娘エジプタスとその子パロ 


 さて前回記事「(モルモン教義と黒人)」にて「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」( ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著)の第十六章を引用しましたが、その中でノアの息子ハムの妻について "ハムの妻は、エジプタスであり、これはカルデヤ語でエジプトということであり、 ”禁じられしもの“ という意味である" とB.H.ロバーツの言葉を引いています。また、彼らの聖典「高価な真珠」中のアブラハムの書を引用し、 " エジプトの地始めて一人の女によりて発見せられしが、この女はハムの娘にしてエジプタスの娘なりき。エジプタスとは、カルデヤ語にてエジプトを表わし、これはまた禁ぜられしものなる意なり。" と、ハムとエジプタスの娘で母と同じ名のエジプタスなる娘がエジプトを発見し、エジプトという名前は彼女に由来するとしています。そして彼女の長男の名前が「パロ(Pharaoh)」であるとしています。

 思わずアホか!と心の中でツッコんでしまいました。まずエジプト(Egypt)の語源は古代エジプト語のḥwt-kꜣ-ptḥ(フート・カァ・プタハ(プタハのカァの家))が古典ギリシャ語のΑἴγυπτος(アイギュプトス)と表記されて、エジプトを指す言葉としてギリシャに伝わり、それからローマ帝国の言葉ラテン語Ægyptusを経てヨーロッパ語に広まりました。

 アッシリア語ではエジプト人を指す言葉はmisurです。

The Assyrian Dictionary Volume 10, M, part 2 p.116
 (The Assyrian Dictionary Volume 10, M, part 2 p.116)

 アッカド語でエジプトはMuṣurです。

Akkadian Dictionary エジプト
 (Akkadian Dictionary)

 今日でもエジプトの国名はエジプトの公用語アラビア語でミスル(مصر)といい、アッシリア語やアッカド語と読みは近いです。聖書ではヘブライ語でミスルを音訳して双数形のミスライム(מצרים, ミツライム)と書かれています。同じセム語族なのでよく似ています。アブラハムの書を書いたのはアブラハムだとアブラハムの書にはありますが、カルデヤのウル出身のアブラハムが前6世紀以降の古典・ヘレニズム期のギリシャ語を起源とするエジプトなんて地名など聞いたこともなかったでしょう。ましてエジプトをもじったエジプタスなんて人名も知らなかったでしょう。

 また「禁ぜられしもの」(that which is forbidden)もアッカド語辞典を見ますとḫarmuと出てきます。

 もう一つはエジプタスの長子パロですが、原本の英語版はPharaoh(ファラオ)となっていますが、日本語訳は昭和訳「モルモン経」や彼らが使っている口語訳聖書の表記のまま「パロ」としています。

 これも先ほどのエジプトの地名と同じようなもので、古代エジプト語では「ペル・アア(pr aa)」。旧約聖書ではヘブライ語音訳で「パルオー ( פַרְעֹה : par‘ōh)」と書かれ、日本語訳でも明治元訳、口語訳、新改訳は第一版から第三版まで「パロ」とヘブライ語音訳で訳されていました。現在のファラオはアレクサンドロス大王のギリシャ帝国時代以降のものでギリシヤ語音訳「Φαραώ (pharaō)」が伝わり、ローマ帝国のラテン語音訳「Pharao」として広まったものです。なのでアブラハムは当然のことながら知るはずもない言葉です。

 聖書にないおかしな教義ってその多くが「高価な真珠」のアブラハムの書やジョセフ・スミスが聖書を改ざんしたJoseph Smith Translation of the Bible(この一部分が「高価な真珠」の「モーセの書」と「ジョセフスミス-マタイ」、あと三聖典合本版に収録されている「ジョセフ・スミス訳」として使われている。)と「教義と聖約」が根拠になっています。こんなに出来の悪い作り話を根拠にしているのに、モルモン教徒は疑問に思わないのか不思議に思います。おそらくモルモン教会の出した本や雑誌、Webページの記事なんかをそのまま鵜呑みにして何も考えないから、おかしな記述が出て来ても気にならないのかもしれません。公式サイトにはキリスト教会やキリスト教のクリスチャンから、彼らの聖典のおかしな点でよく指摘される項目について、なんかそれらしい回答っぽいものを出しています(福音トピックスの論文)。これも読んでみると単なる後付けの言い訳にしかすぎず、これを読んで答を得たと思って、検証や裏付け学習もせずに考えることを放棄しているんだろうんな~と感じます。

教義と聖約 高價なる眞珠 記名入り


最後にアブラハムの書の第一章を引用したいと思います。

***

" アブラハムの書より採録せる写し 第一
高価な真珠 1851年初版 アブラハムの書 1
 (画像はPearl of Great Priceの1851年初版 より)
  
 挿絵の説明

1. 主の天使 2. 祭壇上に縛られしアブラハム 3. アブラハムを犠牲に供えんとする、エルケナの神を拝む偶像崇拝の祭司 4. エルケナの神、リブナの神、マーマクラーの神、コラシの神、パロの神の前に立つ偶像崇拝の祭司たちが、これらの神に犠牲を供える祭壇 5. 偶像崇拝教の神、エルケナ 6. 偶像崇拝教の神、リブナ 7. 偶像崇拝教の神、マーマクラー 8. 偶像崇拝教の神、コラシ 9. 偶像崇拝教の神、パロ 10. エジプトに於けるアブラハム 11. エジプト人が理解したる通りに、天の柱を表さんと企てしもの 12. ラウキーヤング、広がりという意、すなわち吾人の頭上にある天、しかしこの場合は、この題目に関聯してエジプト人はこれを以てシヤウマウすなわちヘブライ語のシヤウマヒームという語に相当する高きこと、すなわち天という意を表したり。

アブラハムの書

  紙葦紙(かみあしがみ)よりジョセフ・スミスの為せる翻訳
 
エジプトの地下納骨堂より出でてわれらの手に入りしある古代記録の翻訳。アブラハム、エジプトに在りし時書きしものにして、アブラハムの書と呼ばる。紙葦紙の上に、アブラハム自ら誌(しる)したるものなり。わが教会の歴史、第二巻(二百三十五頁(ページ)、二百三十六頁)(英文)を見よ。また三百四十八乃至(ないし)三百五十一頁(英文)を見よ。

   第一章

1 カルデヤ人の地に於てわが父の居住せし所にて、われアブラハムはわが別に居住する所を得(う)るの必要なるを知れり。

2 また、わがために更に大いなる幸福(さいわい)と平安と安息とあるを知りたれば、われは先祖の祝福と、この祝福を他に施す職に按手聖任されんことを乞い求めたり。而(しか)して、われは義に随う者なりければ偉大なる知識ある者たらんと望み、義に随う更に大いなる者たらんこと、また更に偉大なる知識を持ち多くの国民の父、平和の君たらんことを望み、また数々の教えを受けんこと、神の誡命(いましめ)を守らんことを望みたれば、われは先祖に属(つ)ける権能を保つ正当の世嗣(よつぎ)、大祭司となりたり。

3 この権能は先祖よりわれに授けられたり。そは先祖より伝えられ、時の始めよりまことに太初(はじめ)よりすなわち創世の前より今日(こんにち)に至るまで伝えられしものなり。こは誠(まこと)に長子の権能にして、最初の人すなわちわれらが最初の父なるアダムに授けられ、先祖を通じてわれに至 る。

4 われは、神が子孫に就きて先祖に与えられし任命に従い、われを神権者に任命したまわんことを乞い求めたり。

5 わが先祖は、彼らの義と主なる彼らの神が与えおかれし数々の聖なる誡命より背き、異教徒の神々を礼拝して全くわが声に聴き従うを拒みたり。

6 彼らの心は悪事に執着し、全くエルケナの神、リブナの神、マーマクラーの神、コラシの神、エジプト王パロの神に向きたり。

7 この故に彼らは異教徒の犠牲(いけにえ)に心を向けて、その物言わぬ偶像に彼らの子供たちを捧げ、わが声に聴き従わずしてエルケナの祭司の手によりわが生命(いのち)を取らんと努めたり、エルケナの祭司はまたパロの祭司なりき。

8 さて当時、これらの奇異なる神々に男女子供らを犠牲として、カルデヤの地に建てたる祭壇上に捧ぐるはエジプトの王なるパロの祭司の慣(ならわし)しなりき。

9 パロの祭司はパロの神に犠牲を捧げ、またジャグリールの神にも犠牲を捧げたり。すなわち、彼はエジプト人の流儀によりてこれを為せり。さて、シャグリールの神は太陽なりき。

10 パロの祭司は、オリシェムの原頭(げんとう)ポテパルと言う丘の側(かたわら)に立てる祭壇の上に、一人の小児(しょうに)を捧げて感謝の犠牲にすらなしたり。

11 さてこの祭司はさきにこの祭壇上にて一時に三人の処女(おとめ)を犠牲にしたりき。この処女たちは、ハムの子孫より生れたる直系王族のすえの一人なるオニタの娘たちなり。この処女たちは、その節操によりて犠牲に供されたり。すなわちかれらは、木石より造りし神々に身を屈めんとせざりしにより、この祭壇上いて殺されたり。殺されしは、エジプト人の流儀によりてなされたり。

12 さて、この祭司らわれに暴力を振いて、この祭壇上にてこれらの処女たちを殺せし如くわれをもまた殺さんとせり。この祭壇に就きて知らんためには、この記録の始めにある絵図を見て覚るべし。

13 祭壇は、カルデヤ人の中にて用いらるる如き寝台の形に似て造られ、エルケナの神、リブナの神、マーマクラーの神、コラシの神またエジプトの王なるパロの神に似たる神の前にありたり。

14 これらの神々に就きて理解するために、冒頭に於ける図型中にそのかたちを示し置けり。かくの如き風の図型を、カルデヤ人はラーリーノスと言う。神聖文字(しんせいもんじ)の意(こころ)なり。

15 祭司たち、われを犠牲に捧げてわが生命を取らんとし、その手をわが上い挙げし時、見よ、われ主なるわが神に声を挙げたるに、主わが声を耳にしてこれを聴きわれを全能の神の示現(じげん)にて満したまい、御前(おんまえ)に在る天使わが側に立ちて直ちにわが束縛を解きたり。

16 而して、神の声われに至れり。アブラハム、アブラハム見よ、わが名はエホバなり。われ汝の祈りを聞きて降り来れるは、汝を救い、また汝を父の家よりすべての親族より離して汝の知らざる他国に連れ行かんためなり。

17 こは、彼らその心をわれよりよそに向けてエルケナの神、リブナの神、マーマクラーの神、コラシの神、エジプトの王なるパロを礼拝すればなり。この故に、われの降り来りしは、彼らの罪を報い、わが子アブラハムよ、汝の生命を取らんとしてその手を汝に向けて挙げたる者を亡ぼさんためなり。

18 見よ、われ、わが手をもて汝を導かん。われ汝をとりて、汝にわが名、すなわち汝の父の神権を被(こうむ)らしむべし。さらば、わが力汝を覆いてあらん。

19 ノアにありし如く、汝にもまた然(しか)あらん。されど汝が導きと教えを施す業によりて、わが名はとこしえにこの世に知らるべし。われは汝の神なればなり。

20 見よ、ポテパルの丘はカルデヤのウルの地にありき。主、エルケナの祭司土地の神々の祭壇を潰し、ことごとくこれらを亡ぼしてその祭司を打ちたまいしかば彼死せり。カルデヤに、またパロの宮廷に大いなる嘆きありき。このパロとは、王族の血統による王の意なり。

21 さてこのエジプトの王は、ハムの子孫より生れしすえにして、素性によればカナン人(びと)の血統を引きたる者なり。

22 この子孫より、すべてのエジプト人出でたり。されば、カナン人の血統はこの地に保存せられたり。

23 エジプトの地始めて一人の女によりて発見せられしがこの女はハムの娘にしてエジプタスの娘なりき。エジプタスとは、カルデヤ語にてエジプトを表し、これはまた禁ぜられしものなる意なり。

24 この女がエジプトの地を発見せし時、そは水の下にありたれど、後にこの女はその息子らをこの地に定住せしめたり。かくて、咀いをその地に留めたるかの種族はハムより出で来りたり。

25 さてエジプトの最初の政府は、ハムの娘なるエジプタスの長男パロによりて樹(た)てられ、そはハムの政府の慣(ならわ)しによりて族長政治なりき。

26 パロは義人なりければ、その王国を打ち建てて、生涯その民を賢明且つ公平に審き、最初の世代、すなわち最初の族長統治の時代に於ける先祖によりて樹てられたる制度にならわんことを熱心に努めたり。その制度とは、アダムの統治およびノアの統治の時代に於けるものにして、ノアは彼の先祖にして彼を地の祝福と智恵の祝福とをもて祝したれど、神権に就つきては彼を咀いた
り。

27 さてパロは神権の権能を受くる能(あた)わざる血統なりしが、然もなおパロの一族はハムによりてノアよりその権能を受けたるふりをせり。この故に、わが父は彼らの偶像礼拝に誤られたり。

28 されど、われは今後われ自らよりさかのぼりて創世の前に至る年代記を描(えが)かんと努むべし。そはわれがその記録を手に入れし故にして、今に至るまでこれを所有せり。

29 さて、エルケナの祭司打たれて死せる後、その地に飢饉あるべしとカルデヤの地に就きてわれに語られし事など成就せられたり。

30 よりて、飢饉カルデヤの地にすべて遍(あまね)くして、わが父この飢饉によりて痛く苦しみ、わが生命を取らんとしわれに対して心に決めたる悪事を悔いたり。

31 されど、神権の権能に関する先祖すなわち族長らの記録は、主なるわが神わが手の中に守り置きたまいぬ。この故に創造の始まりの知識も、また諸々の遊星、諸々の星の知識もこれらが先祖に知られたるままわれ今日まで守り来れり。されば、わが後に来るべき子孫のため、この記録にある若干かのことを努めてここに誌すべし。 "
(「教義と聖約 高價なる眞珠」 佐藤龍猪 訳 1957年初版より引用)


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モルモン教義と黒人


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モルモン教義と黒人


 「末日聖徒イエス・キリスト教会」、通称「モルモン教」の本などを読むと、とてもおかしな教えというか教義に出会います。

 その一つが神についてで、彼らの信仰箇条を見ますと「第1条 われらは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと聖霊とを信ず。」と一見キリスト教と同じに見えますが、中身は全く別物で父なる神についてはジョセフ・スミスは講話の中でこのように言っています(1844年4月7日,ウィリアム・クレイトンによるジョセフ・スミスの講話の報告)。
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/discourse-7-april-1844-as-reported-by-william-clayton/3

"What kind of a being was God in the beginning. hear all ye ends of th[e] earth, I am going to prove it by the bible & the relati[o]n the human family sustains with God. 1st. God that sets enthroned is a man like one of yourselves— that is the great secret. If the vail was rent to day & the great god who holds this world in its sphere in its orbit— the planets— if you were to see him to day you would see him in all the person image very form of man. for Adam was created in the very fashion of God. Adam received instruction walked talked as one man with anothe[r]. In order to understand the subject of the ded for the consolation of thos[e] wh[o] mourn for the loss of their friends necessary they should understan[d] Going to tell you how God came to be God. We have imagined that God was God from all eternity. These are incompr[e]hensible to some but are the first principle of the gospel— to know that we may converse with him as one man with another & that he was once as one of us and was on a planet as Jesus was in the flesh [p. 13 [25]]"
(Discourse, 7 April 1844, as Reported by William Clayton)

 当初、神はどのような存在でしたか。 地球のすべてのあなたがたの終わりを聞いてください、私は聖書と人間の家族が神と維持する関係によってそれを証明するつもりです。 1日 即位する神はあなた自身のような人です—それは大きな秘密です。 もしベイルが今日借りられていて、この世界をその軌道の球体、つまり惑星に保持している偉大な神が今日彼に会うとしたら、あなたは彼をすべての人の姿で見るでしょう。 アダムはまさに神の方法で創造されたからです。 アダムは、一人の男が別の男と話しているように歩きながら指示を受けました。 必要な友人の喪失を悼む人々の慰めのための献身の主題を理解するために、彼らは神がどのようにして神になったのかをあなたに話しに行くことを理解するべきです。 私たちは、神が永遠の神であると想像しました。 これらは理解できない人もいますが、福音の第一原理です。私たちが彼と一人の人間として会話できること、そして彼がかつて私たちの一人であり、イエスが肉体を持っていたように惑星にいたことを知ることです[p。 13 [25]]
(Google翻訳)
参照:モルモン教の公式サイトの記事「神のようになる

 神がかつてイエス・キリストと同じように肉体を持って人間として地上を歩まれたと語っています。また神が肉体を持っていることについては彼らの経典の一つ「教義と聖約」130章22節に「御父は、人間の有する肉体と同じく蝕知得る骨肉の体(たい)を有したもう。・・・」と書かれています。

 また「予言者ジョセフ・スミスは天父に父がおられることやさらに次々と同じことが言えることを教えた。」とジョセフ・スミスのことばをジョセフ・フィールディング・スミス(1970年1月23日~1972年7月2日まで末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長)は著書「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集 第一巻」の中で伝えています。(p.12)

 もうこれだけですでにキリスト教の神とは別物となっています。その他に父なる神(モルモンではよく「天父」という呼び方も使われます)とその子イエス・キリスト、聖霊はそれぞれ別個の存在で、この三者で一つの神会を構成し、この「神會は会員の性質、権能、目的等に於て凡て一致して居ます」(「末日聖徒イエス・キリスト教會 信證講義」 p.37)としていて、キリスト教であることの前提である三位一体の教義を保持せず、かえって否定し、全く異なる宗教であることがわかります。

 さらに父なる神には妻たちが大勢いて、その妻たちとの間に多くの子をなしました(父なる神は多妻婚)。この子供たちはなぜか父母が肉体を持っているのにも関わらず肉体を持たない霊体で生まれ、その最初の者が長子である後にイエス・キリストと呼ばれる者で、第二の者はルシファ―、そしてミカエルのちに人間として生まれ人祖アダムと呼ばれる者などをはじめとした多くの霊の子らがいたとしています。この霊の子らが神の救いの計画に従って、最初の人アダムとイヴの夫婦の子や子孫として生まれました。全人類は前世で父なる神と天の母たちの間に生まれた霊の子らであるとしています。

 ここから進んで、モルモン教における黒人差別の教理と精神が形成されて行きます(1978年9月30日に「公式の宣言二」が出されるまで黒人には極少数の例外を除けば神権が与えられませんでした。)。

 なぜ黒人が差別されるのかといえば、先ほど少し触れた人間の前世が関係してきます。天において天父の救いの計画が話し合われ、イエスとルシファーそれぞれが計画案を出し、イエスのものが大多数の賛成により採用されルシファーのものは斥けられました。しかしルシファーとそれに追随する反対者たちは反抗し戦い、天の三分の一がルシファーに与しました。この者たちは地上に肉体を得て人間になって進歩するという特権は与えられず悪魔となりました。天での戦いにおいて天に与した者も一枚岩ではなく積極的に戦ったものもいればそうでなかったものもありました。それが恵まれた白人家庭の子として生まれるか、社会的にも不遇で神権を与えられない黒人家庭の子として生まれるかの理由とされました。そのことについて彼らの本から見てみましょう。

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「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 全3巻 URL


"   どちらにもつかない者は天にはいなかった
 天上で戦いがあった時どちらにもつかない者はいなかった。すべての者がキリストかサタンに付いた。すべての人は前世で自由意志を持ち、そこでの行動に基づいて地上で報いを受けている。またさらに体をもってなした行為に対して来世で報いを受ける。黒人は明らかに受けるべき報いを受けている。"
 (「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 第1巻 p.64)

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ジョセフ・フィールディング・スミス著 「完成への道」 URL


"   もっとも大いなる特権を奪い去られた霊たち
神の御前より堕落した霊の間に、すぐれた英智もいないわけではなかった。ルシファー自身もその一人であった。そして彼が従って来る多くの霊達に感化を及ぼすことの出来たのは、彼が他の霊よりすぐれていたからなのである。どれ位の霊がルシファーの説得を受けたか、どれ位がルシファーに無関心であったか、そして又ルシファーに同情を示したものの、彼に従わなかった霊はどれ位あったか、われわれには全く知らされていない。聖典中にも、このことについて何ら記述されていないのである。大々的に謀反しえなかったけれども、自由意志と人間の救いのための計画とを擁護せんとする大戦争に於て、勇敢にミカエルの側に立って戦わなかった者が極めて多くあったと結論する魔は、理に適っている。われわれは、この点に、関連を持つと考えられる若干の聖句を引用することにより、前述の如き結論に達するのを正当としている。人間は、自由の意志を持っていたから、全体の三分の一が謀反を起こしたのであり、われわれは、又他の三分の二中にも、示すべき忠実さを主に示さなかった霊たちがいたと結論するのを自然な考えとすることが出来る。これらの霊たちの罪は、悪魔とその使いたちに与えられるが如き極端な罰に値するものではない。彼らは、現世に送られる特権(第二の身分)を拒否されはしなかったけれども、ある種の制限を受けつつ、この地上の生活に入ることを許されたのである。たとえばネグロ(黒人種)が霊の世界に於て示した態度の故に、今、現世に於て一種の制限を課せられているということを殆んど人は疑わないであろう。神権の力が黒人たちよりとり上げられているということを考える時に、まず思いを至さねばならぬことは、それが前世に於ける彼らの行いに対する罰として与えられたということである。しかしながら、彼らはこの世に送られるすべての霊たちの如くに、この世に来るときは、神の御前に罪のない存在であり、この現世に於て、ある種の制限を受けつつ第二の身分でつとめ働くことが出来る。そして、若し現世に於て信仰あつい生活を営むなら、公平にして、真実の天父なる神は、その行いに従って報いをたまい、必ずや彼らのために救いを用意したもうことである。"
 (「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.42-43)

***

"   人がいろいろな人種に生まれてくるのはなぜか
 私たちは皆神の子である。神は私たちの父であって私たちを愛しておられる。白人であろうと黒人であろうとすべての人を愛しておられる。皮膚の色や生まれ育った環境にかかわりなく、主はすべての子を慈悲の目で眺め、彼らに最善を尽くされる・・・・。
 ある人が黒人に生まれたの不利な条件を負って人生に旅立ち、ある人が白人に生まれ有利な条件の下で人生を送る背後には理由がある。その理由というのは、地上に生まれてくる前に私たちに位(生活する世界)が与えられており、そこで与えられた律法に一様に忠実でなかったことである。前世ですべてのことについて忠実であった者は地上でより大きな祝福を受け、忠実でなかった者は小さな祝福しか受けない。"
 (「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 第1巻 p.59)

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 なんというか、こういう教えを生み出したジョセフ・スミスとその仲間たちの醜悪さが、モルモン教徒の肌は白くても精神性は真っ黒にしていると感じられます。黒い肌イコール前世で忠実でなかった者で、彼らはアダムとイヴの子で最初の殺人者となったカインへの呪いとして肌が黒くなり、その子孫も肌が黒いとされています。すなわち前世、天で忠実でなかった者たちは肌の黒いカインの子孫としてこの地上に生まれ出て来るということです。そして彼らには神からの権能、神権が与えられることがないとされています。まあ、しかし、キリスト教の原罪は否定するのに、カインの殺人の罪の報いは、その子々孫々に及ぶという不条理さは気にならないのでしょうかね。

***

"  カインとその子孫に対する呪い
 カインは苦しむために召されたばかりでなくその忌まわしき行いの故に、 ”劣等種族“ の父ともなった。呪いが彼に来たり、その呪いは、彼の血統を通じて子孫にまで伝わった。このため ”ある時の至るまで“ その如くに続くのである。黒い膚をもつ呪われた状態でこの世に生まれ、神様と福音の完全な祝福に与ることを拒否されている人が多くいるがこれらの人々たちこそカインの子孫である。更に、彼ら自身の劣等を感ぜしめられ、はじめから他の人類より離れた状態にある。エノクはカインの子孫であるカナンの民をみて、次のように云っている。「見よ、主はその他をのろいて酷熱の地となし、そこはとこしえに不毛の地となり行かん。またすべてカナンの子らの上に暗黒来たり、彼らはすべての人々の中にありて賎められん。・・・・・而してエノクはカナンの民を除きて、その他すべての民に悔い改めよと呼びつけたり」。しかし、カインの種族の間にも、尊敬すべき、且つこの世にて得られる光明に従つて生きている人たちが多くあることを忘れてはならない。主が完全でないにしても、この世に於ける彼らの誠実さに対して、ある程度の救いの祝福を彼らにお与えくださる様祈ろうではないか。
しかし次に示す如く、何と大きな差異のあることよ。即ち、セス、エノク及びノアの息子たちは、神様の権能と祝福によつて栄誉を受け、又、アブラハムの息子たちに、祖先の人たちの受けたすべての祝福を受け継ぐものとなったにも拘ず、カインの息子たちは、神権を拒まれ、且つ王国に於いて栄光の聖約を受ける特権も拒まれてしまつたのである。これ以上悲しいことが他にあるだろうか。われわれは、この世の裁主が公平でなかつたと云うことが出来るだろうか。われわれは、今、完全に理解することが出来ないが、これらすべてのことのはつきりと説明される時がやがて来るであろう。その時、われわれはこうゆうだろう。「輝かしき王国の祝福をもつてわれわれに祝福を与えてくれたアブラハム、イサク、ヤコブの神の名は幸である。輝かしき王国に於て、われわれは信仰により永遠の真理と光明の中に住うことが出来る」と。同情、慈悲、信仰の気持ちから、われわれは又祝福が黒人の兄弟たちに与えられ得ることを希望している。何とならば、たとえ、永遠の暗黒の象徴を示す黒い膚をもつているとしても、彼らも又、われわれの兄弟であり――神の子供たちであるからである。"
(「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.111-112)

***

   第十六章
  洪水後のカインの子孫
 次のような質問が尋ねられる 「現在の黒人がカインの子孫であるということに、どんな証拠があるのか、又何故カインの子孫は神権を受けられないのか」。聖書の中では、この質問に関して定まつた知識を得られないし、又聖典に関係しない世俗的な歴史もこの質問に解決を与えてくれない。高価なる真珠、ジョセフ スミスの教え、及びジョセフ スミスと交際していた教会初期の長老たちの教えからのみ、われわれは、この問題に関して定まつた明瞭なる教えを得ることができるのである。

  呪いはハムの子孫を通じて続く
 カインに置かれた呪いは、その子孫に続き、且つハムの子孫を通し、洪水を切り抜けてもたらされたものであるということが一般に信じられている。ところが、ハムは、ノアの子である故に、われわれは、黒い膚を持ち、且つカインの子孫であつたのはハムでなかつたと結論するかもしれない。しかしながら、ハムは、カインの子孫である女と結婚したゝめ、カインの呪いが洪水の後、ハムの子孫に続いたのである。この事実こそ教会で信じられている教えなのである。予言者ジョセフ・スミスと交わつていたある数人の兄弟は、ジョセフ スミスがこの教義を教えたと宣言している。ハムの妻がカインの子孫であつたということは、アブラハムの書の次の言葉に具体化されているように思われる。
 さて、このエジプトの王は、ハムの子孫より生れしすえにして、素性によればカナン人の血統を引きたる者なり。
 この子孫より、すべてのエジプト人出でたり。されば、カナン人の血統はこの地に保存せられたり。
 エジプトの地始めて一人の女によりて発見せられしが、この女はハムの娘にしてエジプタスの娘なりき。エジプタスとは、カルデヤ語にてエジプトを表わし、これはまた禁ぜられしものなる意なり。
 この女がエジプトの地を発見せし時、そは水の下にありたれど、後にこの女はその息子らをこの地に定住せしめたり。かくて、のろいをその地に留めたるかの種族ハムより出で来りたり。
    (アブラハムの書 一章二十一節-二十四節)

  エジプタス
 われわれは、ハムの妻の名が ”エジプタス“ で、その意味が ”禁ぜられしもの“ という意味であることを知つている。子供たちに誕生は初代の生活に関連ある著名な出来事に基ずくところの確実な意味を伝える名前をつけたり、又は性格の特殊性や、彼らの作つた慣習を指摘して、それに注意を払うということは、当時の習慣であつたのである。しばしば、後になつて、名前が変えられたりしたのは、著名な出来事や個人の生活の特性が新たに発見されたからなのである。このやり方に従つて、エサウの名前も変えられたのである。エサウは生れた時、毛の衣服をまとつていたから、エサウと名ずけられたが、後になつて、彼は自分の生得権を売つたので、その出来事の故に、名前をエドムと変えられた。そして彼の子孫は、エドム人と呼ばれるようになつた。こうした事実から、エジプタスという名前がつけられたのは、彼女の祖先の人たちの呪いを受けたためであると仮定することが出来そうである。更に又、この考えは、ハムより、土地の呪いを保持する種族が生ずることとなつたという陳述の中に強調されている。ハムの子孫を通して保持されたこの呪いは、ハムの妻即ちエジプタスより生じた呪いであるという説明が極めて強力なものの様に思われる。B.H.ロバーツ長老は、数年前にこの問題について次のように話している。
 何故、ハムの子孫は神様に関して呪われたのか。彼の子孫は、なぜ神権の権能を持つことが出来なかつたのか。ハムの妻は、エジプタスであり、これはカルデヤ語でエジプトということであり、 ”禁じられしもの“ という意味である、・・・・・かくしてハムより土地の呪いを保持するところの種族が生じたのである。ハムの妻は、その名前の意味する如く、神権を所有した人たちが血族結婚するのを禁じられた種族の出なのであろうか。彼女は弟を殺したために呪われたところのカインの子孫であつたのか。ハムが彼女と結婚したため、子孫が生じ、そして彼女は、舟にあつて洪水より救われたので、土地にある呪いを保持した子孫がたえることなく続いたのであるのか。若しそうであるなら、私は、これら地の呪いを保持する種族を通して、天上の大戦争の折に勇敢でなかつたところの霊が生ずる筈であると信ずる。これらの霊は、正義に無関心で、且つ正義に対する実直さに欠け、神権とその力を受くるに足らぬ者であることを自ら示した霊たちである。この故に、神権は、今日までこれらの人たちから取り去られているのである。

  天に不定中立なるものはない
 ブリガム ヤング大管長は、一八六九年、十二月二十五日、ソートレーク市で開催された会合に於て、ロレンゾ D.ヤング長老によつて出された質問に答え、次のように云つた。「ジョセフ スミスは、黒人が天上にて中立不定の存在でなかつたと宣言した。何とならば、すべての霊は、二つの側に立つたのであつて、両者の中位に立つものは、なかつたからである。しかし、カインの子孫の膚が黒くなつたのは、カインが殺人罪を犯したからであり、彼がアベルを殺したので、神は、彼の子孫にしるしをつけられたのである。しかし、すべて肉体を浮る霊は、汚れなきものであり(教義と聖約九十三章三十八節を参照)、永遠の滅亡の子を除くアダムのすべての子孫たちには、贖われる機会があるのである。」
(「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.113-116)

***

 こういったものは「公式の宣言二」以降声高には出ないでしょうが、しかし、カインとその子孫への呪いとしての肌の色の考えが彼らの教えの中からなくなったわけではありませんし、モルモン書第二ニーファイ5章なんかでも不信仰と罪悪の為レーマン人たちが神の呪いを受け肌が黒くなる記述があり、それなどは子供向けの絵本「モルモン書ものがたり」、旧版の「モルモンけいものがたり」なんかでも出てきます。

***

2ニーファイ5章 モルモンけいものがたり モルモン書ものがたり


モルモンけいものがたり 1980年

この人びとは、ニーファイ人とよばれました。みんなはよくはたらき、神をあいし、しんでんをたてました。
第2ニーファイ 5:9-11,16; ヤコブ 1:14

レーマンやレミュエルといっしょにいた人びとは、レーマン人とよばれ、悪いことばかりをしていました。そのため神のばつで、黒いはだになってしまいました。
第2ニーファイ 5:21,24; ヤコブ 1:14

***

モルモン書ものがたり 1997年

ニーファイにしたがう人びとは,神にしたがい,よくはたらき,しゅくふくをうけました。木ときんぞくをつかってけんちくするほうほうをニーファイから教わり,りっぱなしんでんをたてました。
(2ニーファイ5:10-11,15-16)

レーマンとレムエルにしたがった人びとは,レーマン人とよばれ,ひふが黒くなりました。わるい行いをしたので,神がのろいを下されたのです。
(2ニーファイ5:14,21)

***

 彼らの標準聖典(聖書およびジョセフ・スミスによる改ざん(Joseph Smith Translation of the Bible)、モルモン書、教義と聖約、高価な真珠)にあるわけですから差別意識は沈殿物のように精神の中に深く沈んでいるのではないかと思います。

佐藤龍猪譯 「モルモン經」「教義と聖約・高價なる眞珠」 URL


関連

偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 1

偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 2

聖書を改変するモルモン教

有名なモルモン書のあり得ない箇所と言い訳

白い肌と黒い肌

金版、真鍮版

金の板に文字が書かれていれば利用しようとする

モルモンに対して

Joseph Smith, Jr., as a translator : reprint of an inquiry conducted  pp.23-31


Joseph Smith, Jr., as a translator : reprint of an inquiry conducted  pp.23-31

1912年の後半、ユタ州の聖公会のフランクリン・S・スポルディング牧師は、「アブラハムの書」の原文パピルス3つのファクシミリの複写版を8人のエジプト学者とユダヤ人に送り、そのファクシミリの解釈を求め、その結果はスポルディングの著書 「Joseph Smith, Jr., As A TRANSLATOR 」(全31頁) にて発表。

Joseph Smith, Jr., As A TRANSLATOR


以下その本の23頁から31頁の原文とGoogle翻訳での訳文(機械翻訳なのでおかしなところもあります)。


p.23

CHAPTER VII.

OPINION OF SCHOLARS UPON THE BOOK OF ABRAHAM.

  "It is diificult to deal seriously with Joseph Smith's impudent fraud. His fac-simile from the Book of Abraham No. 2 is an ordinary hypocephalus, but the hieroglyphics upon it have been copied so ignorantly that hardly one of them is correct, I need scarce say that Kolob, etc., are unknown to the Egyptian language. Number 3 is a representation of the Goddess Maat leading the Pharaoh before Osiris, behind whom stands the Goddess Isis. Smith has turned the Goddess into a king and Osiris into Abraham. The hieroglyphics, again, have been transformed into unintelligible lines. Hardly one of them is copied correctly."

DR. A. H. SAYCE,
Oxford, England.

  "I have examined the illustrations given in the 'Pearl of Great Price.' In the first place, they are copies (very badly done) of well known Egyptian subjects of which I have dozens of examples.
  Secondly, they are all many centuries later than Abraham. On Number 2, I think there is — so far as the copy shows it — the name of Shishak, a popular name in Egypt from about 950 to 750 B. C., and such seems to be about the date of the other figures.
  Third, as to the real meaning of them : Number 1 is the well known scene of Anubis preparing the body of the dead man:
     1. Is the hawk of Horus.
     2. Is the dead person.
     3. Is Anubis.
     4. Is the usual funeral couch.
     5. 6, 7, 8, are the regular jars for embalming the parts of the body, with the head of a hawk, jackal, ape and man, of which dozens may be seen in the museums.
     10. Are the funeral offerings covered with lotus flowers.
  Number 2 is one of the usual discs with magic inscriptions placed beneath the head of the dead. Three fine ones of the same nature you can see in my Abydos 1 LXXVII, LXXIX. The figures are well known ones in Egyptian mythology.


第7章。

アブラハム書に対する学者の意見。

  「ジョセフ・スミスの不謹慎な詐欺に真剣に対処することは困難です。アブラハム書第2号からの彼のファクシミリは普通の偽頭ですが、その上の象形文字はあまりにも無知にコピーされているので、そのうちの1つはほとんど正しくありません。 コロブなどがエジプト語で知られていないということはほとんどありません。3番目は、ファラオを率いる女神マートがオシリスの前に立っており、その後ろに女神イシスが立っています。スミスは女神を王に、オシリスをアブラハムに変えました。 再び、象形文字は理解できない線に変換されました。それらの1つが正しくコピーされることはほとんどありません。」
  DR。 A. H. SAYCE、
イギリス、オックスフォード。

 「 『高価な真珠』に掲載されているイラストを調べました。 そもそも、それらは私が数十の例を持っているよく知られたエジプトの主題のコピー(非常にひどく行われている)です。
  第二に、それらはすべてアブラハムより何世紀も遅れています。 2番には、コピーに示されている限り、紀元前950年から750年頃にエジプトで人気のあったシシャクの名前があると思います。これは他の人物の日付と同じようです。
  第三に、それらの本当の意味について:ナンバー1はアヌビスが死んだ男の体を準備している有名なシーンです:
     1.ホルスのタカです。
     2.死んだ人です。
     3.アヌビスです。
     4.通常の葬儀用ソファです。
     5. 6、7、8は、体の一部を防腐処理するための通常の瓶で、鷹、ジャッカル、類人猿、人間の頭があり、博物館では数十個が見られます。
     10.葬儀は蓮の花で覆われていますか。
  ナンバー2は、死者の頭の下に魔法の碑文が置かれた通常のディスクの1つです。 あなたが私のアビドス1LXXVII、LXXIXで見ることができる同じ性質の3つのすばらしいもの。 数字はエジプト神話でよく知られているものです。


p.24

  Number 3 is the very common scene of the dead person before the judgment seat of Osiris, which occurs in most copies of the funeral papyri :
     1. Is Osiris in the usual form.
     2. Is Isis behind him.
     3. Is the stand of offerings with lotus flowers.
     4. Is the Goddess Nebhat or Maat (too badly drawn to know which).
     5. Is the dead person.
     6. Is the God Anubis, the conductor of the souls of the dead.
  The inscriptions are far too badly copied to be able to read them.
  To any one with knowledge of the large class of funeral documents to which these belong, the attempts to guess a meaning for them, in the professed explanations, are too absurd to be noticed. It may be safely said that there is not one single word that is true in these explanations.
  If any one wishes to verify the matter, they have only to ask any of the curators of Egyptian museums. Prof. Breasted of Chicago, Dr. Lythgoe of New York, or any one else who knows the subject. None but the ignorant could possibly be imposed on by such lucridous blunders.
  Pray make any use you like of this letter."

DR. W. M. FLINDERS PETRIE,
London University.


  番号3は、オシリスの審判席の前で死んだ人の非常に一般的なシーンです。これは、葬儀のパピルスのほとんどのコピーで発生します。
     1.オシリスは通常の形です。
     2.イシスは彼の後ろにいますか。
     3.蓮の花の供物の屋台です。
     4.女神ネバートまたはマート(どちらを知るにはあまりにもひどく描かれている)ですか。
     5.死んだ人です。
     6.死者の魂の指揮者である神アヌビスです。
  碑文はあまりにもひどくコピーされているため、読むことができません。
  これらが属する葬儀文書の大規模なクラスの知識を持っている人にとって、公言された説明の中でそれらの意味を推測しようとする試みは、気付かれないほど馬鹿げています。 これらの説明に当てはまる言葉は一言もありません。
  誰かが問題を確認したい場合、彼らはエジプトの美術館の学芸員のいずれかに尋ねるだけです。 シカゴのブレスト教授、ニューヨークのリスゴー博士、またはこの主題を知っている他の人。 無知な人以外は、そのようなばかげた過ちによって押し付けられる可能性があります。
  この手紙を好きなように使ってください。」
  DR。 W. M. FLINDERS PETRIE、
ロンドン大学。

――――

  Since Dr. Petrie refers to two American scholars, Dr. Breasted of Chicago and Dr. Lythgoe of New York, we print their opinions here : Dr. Lythgoe, being in Egypt, his opinion could not be secured, but instead, that of his assistant, Dr. Arthur C. Mace, was obtained :

        "May 23, 1912.

  "I have been greatly interested in the documents you have sent me regarding the connection of Joseph Smith with the Egyptian materials purchased by his people in 1835, and concerning the whole situation I should like to make the following statement :
  "In 1822 Champollion published the first successful steps in the decipherment of Egyptian hieroglyphics. It was only very gradually after this that he gained the ability to read the simpler and clearer sentences in hieroglyphic records. Little


  ペトリー博士は、シカゴのブレスト博士とニューヨークのリスゴー博士の2人のアメリカ人学者に言及しているので、ここに彼らの意見を印刷します。 アシスタントのアーサーC.メイス博士が取得されました:

       「1912年5月23日。

  「ジョセフ・スミスと彼の民が1835年に購入したエジプトの資料との関係についてあなたが送ってくれた文書に非常に興味があり、状況全体について次のように述べたいと思います。

「1822年、シャンポリオンはエジプトの象形文字の解読における最初の成功したステップを発表しました。その後、象形文字の記録にあるより単純で明確な文を読むことができるようになったのはごくわずかでした。


p.25

of the language, comparatively speaking, was understood when he died in 1832. He left in manuscript an elementary grammar, which was published by the government, beginning in 1836, and reaching completion in 1841. It would have been impossible for any American scholar to know enough about Egyptian inscriptions to read them before the publication of Champollion's grammar. I may add at this point that American Universities have never until recently given such studies any attention, and there is still only one professorship of the science in the United States, though it is now taught in the leading American Universities.
  "It will be seen, then, that if Joseph Smith could read ancient Egyptian writing, his ability to do so had no connection with the decipherment of hieroglyphics by European scholars. Now, according to the statements of Joseph Smith himself, the three Egyptian documents which he publishes in connection with the 'Book of Abraham' in 'The Pearl of Great Price,' were secured by some of his followers, together with some mummies, purchased at Kirtland in 1835. The point I wish to bring out is that the three fac-similes from the 'Book of Abraham' were associated with mummies. This fact is in complete harmony with the further fact that the three fac-similes are part of the usual equipment of the dead in the later period of Egyptian civilization before the Christian era. The three fac-similes in question represent equipment which will be and has been found in unnumbered thousands of Egyptian graves. In accepting them, then, as parts of the 'Book of Abraham,' let it be understood that they were in universal use among the pagan Egyptians, and that for some reason the doctrines of Joseph Smith's monotheistic Abraham were universally accepted and used among the polytheistic Egyptians. In accepting these fac-similes as part of the 'Book of Abraham' it remains then for any one who so accepts them to explain why they were thus universally employed by a people who knew nothing of Abraham's God or Abraham's religion. The point, then, is that in publishing these fac-similes of Egyptian documents as part of an unique revelation to Abraham, Joseph Smith was attributing to Abraham not three unique documents of which no other copies exist, but was attributing to Abraham a series of documents which were the common property of a whole nation of people who employed them in every human burial, which they prepared. This was, of course, unknown to Smith, but it is a fact not only of my own knowledge, but also a commonplace of the knowledge of every orientalist who works in the Egyptian field.

比較的言えば、言語はほとんど理解されていませんでした。 彼は1832年に亡くなりました。彼は1836年に始まり、1841年に完成するまで、政府によって発行された初歩的な文法を原稿に残しました。アメリカの学者がエジプトの碑文について十分に知ることは不可能でした。 シャンポリオンの文法の出版。この時点で、アメリカの大学は最近までそのような研究に注目したことがなく、現在は主要なアメリカの大学で教えられていますが、アメリカにはまだ科学の教授が1人しかいません。
  「それなら、ジョセフ・スミスが古代エジプトの書物を読むことができれば、彼の能力はヨーロッパの学者による象形文字の解読とは関係がなかったことがわかるでしょう。ジョセフ・スミス自身の声明によると、3つのエジプトの文書彼が「偉大な価格の真珠」の「アブラハム書」に関連して出版したものは、1835年にキルトランドで購入したいくつかのミイラと一緒に彼の信者の何人かによって確保されました。 「アブラハム書」の3つのファシミールはミイラに関連付けられていました。この事実は、3つのファシミールがエジプト文明後期の死者の通常の装備の一部であるというさらなる事実と完全に調和しています。クリスチャン時代。問題の3つのファシミールは、数え切れないほどの数千のエジプトの墓で発見され、発見された装備を表しています。それを受け入れる際に、「アブラハム書」の一部として、それらが私であったことを理解させてください。異教のエジプト人の間での普遍的な使用、そして何らかの理由で、ジョセフ・スミスの一神教のアブラハムの教義は、多神教のエジプト人の間で普遍的に受け入れられ、使用されました。これらのファクシミリを「アブラハム書」の一部として受け入れる際に、それらを受け入れる人は誰でも、なぜそれらがアブラハムの神やアブラハムの宗教について何も知らない人々によって普遍的に雇用されたのかを説明する必要があります。重要なのは、これらのエジプト文書のファクシミリをアブラハムへのユニークな啓示の一部として出版する際に、ジョセフ・スミスは他のコピーが存在しない3つのユニークな文書ではなく、一連のアブラハムに帰属していたということです。彼らが準備したすべての人間の埋葬でそれらを採用した人々の全国の共通の財産であった文書。もちろん、これはスミスには知られていませんでしたが、それは私自身の知識だけでなく、エジプトの分野で働くすべてのオリエンタリストの知識のありふれた事実でもあります。


p.26

  "Taking up these fac-similes now, let us discuss them in order. Number 1 depicts a figure reclining on a couch, with a priest officiating and four jars beneath the couch. The reclining figure lifts one foot and both arms. This figure represents Osiris rising from the dead. Over his head is a bird, in which form Isis is represented. The jars below, closed with lids carved in the forms of animals' heads, were used by the Egyptians to contain the viscera taken from the body of the dead man. This scene is depicted on Egyptian funeral papyri, on coffins and on late temple walls, unnumbered thousands of times. If desired, publications of fac-similes of this resurrection scene from papyri, coffins, tomb and temple walls could be furnished in indefinite numbers.
  "Fac-simile Number 2 represents a little disc, sometimes made of metal, sometimes of papyrus, sometimes of woven goods with a smooth stucco surface. It is commonly called among Egyptologists a hypocephalus. It was placed under the head of the mummy and the various representations upon it were of a magical power designed to assist the deceased in various ways, especially to prevent the loss of his head. These did not come into use until the late centuries just before the Christian era. They did not appear in any Egyptian burials until over a thousand years after the time of Abraham. They were unknown in Egypt in Abraham's day.
  "Fac-simile Number 3: This scene depicts the god Osiris enthroned at the left, with a goddess, probably Isis, behind him and before him three figures. The middle one, a man, led into the presence of Osiris by the goddess Truth, who grasps his hand, accompanied by a figure represented in black, the head of which probably should be that of a wolf or a jackal, but which is here badly drawn. A lotus-crowned standard (numbered 3) bearing food, stands as usual before Osiris. This is the judgment scene, in which the dead man, led in by Truth, is to be judged by Osiris. This scene again is depicted innumerable times in the funeral papyri, coffins and tomb and temple walls of Egypt. No representation of it thus far found in Egypt, though we have thousands of them, dates earlier than 500 years after Abraham's age ; and it may be stated as certain that the scene was unknown until about 500 years after Abraham's day.
  "To sum up, then, these three fac-similes of Egyptian documents in the 'Pearl of Great Price' depict the most common objects in the mortuary religion of Egypt. Joseph Smith's interpretation of them as part of a unique revelation through Abraham, therefore, very clearly demonstrates that he was totally unacquainted with the significance of these

  「今、これらのファクシミリを取り上げて、順番に話し合いましょう。1番は、司祭が司祭を務め、ソファの下に4つの壺がある、ソファに寄りかかる姿を表しています。この図は、片方の足と両腕を持ち上げます。 死からよみがえったオシリス。頭上にはイシスの形をした鳥が描かれています。下の壺は動物の頭の形に彫られた蓋で閉じられており、エジプト人は このシーンは、エジプトの葬式のパピリ、棺、後期の寺院の壁に数千回も描かれています。必要に応じて、パピリ、棺、墓、寺院の壁からのこの復活シーンのファクシミリの出版物を提供することができます。 不定の数で。
  「ファクシミリ番号2は、金属製、パピルス製、漆喰の表面が滑らかな織物製の小さな円盤を表しています。エジプト学者の間では一般に下頭骨と呼ばれています。ミイラとミイラの頭の下に置かれました。 さまざまな表現は、特に頭を失うことを防ぐために、さまざまな方法で故人を支援するように設計された魔法の力でした。これらは、キリスト教時代の直前の数世紀まで使用されませんでした。エジプト人には登場しませんでした。 アブラハムの時代から1000年以上後まで埋葬されていましたが、エジプトではアブラハムの時代には知られていませんでした。
  「ファクシミリ番号3:このシーンは、オシリス神が左側に即位し、女神、おそらくイシスが彼の後ろに、彼の前に3人の人物がいる様子を描いています。真ん中の男性は、女神トゥルースによってオシリスの前に導かれました。 手を握る彼は、黒で表された人物を伴っており、その頭はおそらくオオカミまたはジャッカルの頭であるはずですが、ここではひどく描かれています。 オシリスの前ではいつものことです。これは、真実に導かれた死者がオシリスによって裁かれる裁きの場面です。この場面もまた、エジプトの葬儀のパピリ、棺、墓、寺院の壁に何度も描かれています。 これまでにエジプトで見つかったその表現は、数千ものものがありますが、アブラハムの年齢から500年より前のものであり、アブラハムの日から約500年後までシーンが不明であったことは確かです。
  「要約すると、 『高価な真珠』にあるエジプトの文書のこれら3つのファクシミリは、エジプトの遺体安置所の宗教で最も一般的なオブジェクトを表しています。したがって、ジョセフ・スミスがそれらをアブラハムによる独特の啓示の一部として解釈したのです。 は、彼がこれらの文書の重要性に完全に精通しておらず、


p27

 documents and absolutely ignorant of the simplest facts of Egyptian writing and civilization. Not to repeat it too often,the point I wish to make is that Joseph Smith represents as portions of a unique revelation through Abraham things which were commonplaces and to be found by many thousands in the every-day life of the Egyptians. We orientalists could publish scores of these 'fac-similes from the Book of Abraham' taken from other sources.
  "For example, any visitor in a modern museum with an Egyptian collection can find for himself plenty of examples of the four jars with animal heads — the jars depicted under the couch in fac-simile number one. It should be noted further that the hieroglyphics in the two fac-similes from the 'Book of Abraham' (Nos. 2 and 3), though they belong to a very degenerate and debased age in Egyptian civilization, and have been much corrupted in copying, contain the usual explanatory inscriptions regularly found in such funerary documents."
  JAMES H. BREASTED, Ph. D.,
Haskell Oriental Museum, University of Chicago.

  "I return herewith, under separate cover, the 'Pearl of Great Price.' The 'Book of Abraham,' it is hardly necessary to say, is a pure fabrication. Cuts 1 and 3 are inaccurate copies of well known scenes on funeral papyri, and cut 2 is a copy of one of the magical discs which in the late Egyptian period were placed under the heads of mummies. There were about forty of these latter known in museums and they are all very similar in character. Joseph Smith's interpretation of these cuts is a farrago of nonsense from beginning to end. Egyptian characters can now be read almost as easily as Greek, and five minutes' study in an Egyptian gallery of any museum should be enough to convince any educated man of the clumsiness of the imposture."
  DR. ARTHUR C. MACE,
Assistant Curator, Metropolitan Museum of Art, New York,
Department of Egyptian Art.


エジプトの書物と文明の最も単純な事実を完全に知らなかったことを非常に明確に示しています。 繰り返しすぎないように、私が言いたいのは、ジョセフ・スミスが エジプト人の日常生活の中で何千人もの人々に見られる、ありふれたものであるアブラハムを通してのユニークな啓示。私たちオリエンタリストは、他の情報源から取られたこれらの「アブラハムの書からのファクシミリ」のスコアを公開することができました。
  「たとえば、エジプトのコレクションを備えた近代美術館の訪問者は、動物の頭が付いた4つの壺の例をたくさん見つけることができます。壺は、直喩番号1のソファの下に描かれています。さらに、象形文字に注意する必要があります。 「アブラハムの書」(第2号と第3号)の2つのファクシミリには、エジプト文明の非常に退化した堕落した時代に属し、コピーで多くの腐敗が見られますが、定期的に見られる通常の説明碑文が含まれています そのような葬式の文書で。」
  JAMES H. BREASTED、Ph。D。、
シカゴ大学ハスケルオリエンタルミュージアム。

  「高価な真珠を別のカバーの下でここに返します。 「アブラハム書」は、言うまでもないことですが、純粋な捏造です。カット1と3は、葬儀のパピルスの有名なシーンの不正確なコピーであり、カット2は、後半にある魔法のディスクの1つのコピーです。 エジプト時代はミイラの頭の下に置かれました。博物館で知られている後者の約40があり、それらはすべて非常に似た性質を持っています。ジョセフ・スミスによるこれらのカットの解釈は、最初から最後までナンセンスの遠いものです。 ギリシャ語とほぼ同じくらい簡単に読むことができます。美術館のエジプトのギャラリーで5分間勉強すれば、教養のある人に葬儀の不器用さを納得させるのに十分なはずです。」
 DR。 アーサー・C・メイス、
メトロポリタン美術館、ニューヨーク、アシスタントキュレーター
エジプト美術科。


p.28

TWO OTHER AMERICAN SCHOLARS' OPINION IS GIVEN.

  "The plates contained in the 'Pearl of Great Price' are rather comical and a very poor imitation of Egyptian originals, apparently not of any one original, but of Egfyptian originals in general. Apparently, the plate on page 50 represents an embalmer preparing a body for burial. At the head, the soul (Kos) is flying away in the form of a bird. Under the bed on which the body lies are the canopic jars to hold the organs and entrails removed from the body in the process of embalming. In the waters below the earth I see a crocodile waiting to seize and devour the dead if he be not properly protected by ritual embalming against such a fate.
  "The latter (page 62) is also connected with burial, a representation of the life of the deceased on earth. The hieroglyphics which should describe the scenes, however, are merely illegible scratches, the imitator not having the skill or intelligence to copy such a script.
  "The name 'reformed Egyptian' is, if I forget not, a term used in the early days of Egyptian study, before much was known, by certain persons to designate one form of Egyptian script. The text of this chapter, as also the interpretation of the plates, displays an amusing ignorance. Chaldeans and Egyptians are hopelessly mixed together, although as dissimilar and remote in language, religion and locality as are today American and Chinese. In addition to which the writer knows nothing of either of them."
 DR. JOHN PETERS,
University of Pennsylvania. In charge of expedition to Babylonia, 1888-1895.

――――

  "After examining 'The Pearl of Great Price,' by Joseph Smith, Salt Lake City, Utah, The Deseret News, 1907, and in particular the three fac-similes, Nos. 1, 2 and 3, I am convinced that the following: are facts:
  '1. That the author of the notes on the three fac-similes had before him Egyptian inscriptions, either on papyrus or some other material, or else fac-similes^of such inscriptions. Compare, for example. No. 2 with the fac-similes of similar hypocephali in W. M. F. Petrie's Abydos, Pt. 1, 1902, Plate LXXVI, LXXVII and LXXIX, in which are sections exactly corresponding to sections in this fac-simile (No. 2).

他の2人のアメリカ人学者の意見が与えられています。

  「高価な真珠に含まれているプレートはかなりコミカルで、エジプトのオリジナルの模倣は非常に貧弱で、明らかに1つのオリジナルではなく、一般的なエジプトのオリジナルの模倣です。明らかに、50ページのプレートは防腐剤を準備していることを表しています。 高価な真珠の頭には鳥の形で飛んでいます。高価な真珠は、体が横たわっているベッドの下に、防腐処理の過程で体から取り除かれた臓器や内臓を保持するための天蓋の瓶があります。 。地下の海域では、そのような運命に対する儀式の防腐処理によって適切に保護されていない場合、死者を捕まえて食い尽くすのを待っているワニが見えます。
  「後者(62ページ)は、地球上の故人の生活を表す埋葬にも関連しています。しかし、シーンを説明するはずの象形文字は、単に判読できない傷であり、模倣者はそのようなものをコピーするスキルや知性を持っていません。 スクリプト。
  「「改革されたエジプト人」という名前は、私が忘れない限り、エジプトの研究の初期に、多くの人が知られる前に、特定の人がエジプトの文字の1つの形式を指定するために使用した用語です。 プレートの解釈は、面白い無知を示しています。カルデア人とエジプト人は、今日のアメリカ人と中国人のように言語、宗教、地域が異なり、遠隔地にありますが、絶望的に混ざり合っています。それに加えて、作家はどちらも知りません。」
 DR。 ジョン・ピーターズ、
ペンシルバニア大学。 1888年から1895年にかけてバビロニアへの遠征を担当。

――――

  「高価な真珠」を調べた後、ユタ州ソルトレイクシティのジョセフ・スミス、デザレット・ニュース、1907年、特に3つのファクシミリ、No。1、2、3を調べたところ、次のことが確信できました。 :事実です:
  '1。 3つのファクシミリに関するメモの作者は、彼の前に、パピルスまたは他の資料のいずれかにエジプトの碑文、あるいはそのような碑文のファクシミリの碑文を持っていた。 たとえば、比較してください。 W. M. F.ペトリーのアビドス、Pt。 1、1902、プレートLXXVI、LXXVII、およびLXXIX。これらは、このファクシミリ(No. 2)のセクションに正確に対応するセクションです。


p.29

  "2. That the author either knew Hebrew or had some means of arriving at, at least, an elementary knowledge of that language. Compare for example, the transliteration and translation רקע in No. 1, note 12, although the transliteration 'Rankeeyang' is far from accurate.
  "3. That the author knew neither the Egyptian language nor the meaning of the most commonplace Egyptian figures; neither did any of those, whether human or Divine, who may have helped him in his interpretation, have any such knowledge. By comparing his notes on fac-similes Nos. 1, 2 and 3 with any elementary book on Egyptian language and religion, and especially by comparing the notes on No. 2 with the explanation of the above named plate on page 49 ff. of the work of Petrie already named (the explanation is by A. E. Weigall, Chapter V), this becomes unquestionably evident.
  "In general, it may be remarked that his explanations from a scientific and scholarly standpoint are absurd. Compare No. 1, note 1; No. 2, notes 4, 8, etc.; No. 3, notes 2, 4, 5. The word 'Jah-oh-eh' in note 1 of No. 2, which he calls an Egfyptian word ( !) is his faulty transliteration of the Hebrew יהוה . If Abraham wrote anything while he was in Egypt, it would most likely have been written in the Cuneiform, as that was the langua franca of his day and his own native language.
  "Many proofs of the correctness of the above three conclusive points may be offered if desired. A criticism in his explanations could be made, but the explanatory notes to his fac-similes cannot be taken seriously by any scholar, as they seem to be undoubtedly the work of pure imagination."
 REV. PROF. C. A. B. MERCER, Ph. D.,
Western Theological Seminary, Custodian Hibbard Collection, Egyptian Reproductions.

――――

  Two German Scholars, Drs. Meyer and Von Bissing, give their opinion as follows. Dr. Edward Meyer, University of Berlin, is one of the foremost living historians :

  "The Egyptian papyrus which Smith declared to be the 'Book of Abraham,' and 'translated' or explained in his fantastical way, and of which three specimens are published in

  「2.著者がヘブライ語を知っているか、少なくともその言語の初歩的な知識に到達するための何らかの手段を持っていたこと。たとえば、音訳「Rankeeyang」が、No。1、注12の音訳と翻訳を比較してください。 正確にはほど遠いです。
  「3.作者はエジプトの言語も最もありふれたエジプトの人物の意味も知らなかった。彼の解釈を助けたかもしれない人間であろうと神であろうと、それらのどれもそのような知識を持っていなかった。彼のメモを比較することによって エジプトの言語と宗教に関する初歩的な本とのfac-similesNo。1、2、3について、特にNo. 2のメモを、すでにペトリーの作品の49ページ以降にある上記の名前のプレートの説明と比較することによって 名前が付けられ(説明はAE Weigall、第V章による)、これは疑いなく明白になります。
  「一般的に、科学的および学術的見地からの彼の説明はばかげていると言われるかもしれません。No.1、注1、No.2、注4、8などを比較してください。No.3、注2、4、5 。彼がエジプト語(!)と呼んでいるNo. 2の注1の「Jah-oh-eh」という単語は、ヘブライ語 יהוה の誤った音訳です。アブラハムがエジプトにいる間に何かを書いた場合、それはおそらく それが彼の時代の言語フランカと彼自身の母国語だったので、Cuneiformで書かれました。
  「必要に応じて、上記の3つの結論の正しさの多くの証拠が提供される可能性があります。彼の説明に批判を加えることはできますが、彼のファクシミリへの説明文は、疑いなく、どの学者も真剣に受け止めることはできません。 純粋な想像の仕事。」
 REV。 教授。 C. A. B. MERCER、Ph。D。、
西部神学校、カストディアンヒバードコレクション、エジプトの複製。

――――

  2人のドイツ人学者、博士。 MeyerとVonBissingは、次のように意見を述べています。 ベルリン大学のエドワード・マイヤー博士は、生きている歴史家の第一人者の一人です。

  「スミスが 『アブラハム書』であると宣言し、 『翻訳』または彼の幻想的な方法で説明し、そのうちの3つの標本が


p.30

the 'Pearl of Great Price,' are parts of the well known 'Book of the Dead.' Although the reproductions are very bad, one can easily recognize familiar scenes from this book: 'the body of the dead lying a ba' (bier). The canopic jars containing the entrails under it; the soul in the shape of a bird flying above it, and a priest approaching it, or Osiris seated on his throne, Isis behind him, the Goddess of Righteousness with the feather on her head awaiting the deceased from the throne of Osiris."
 DR. EDWARD MEYER.
University of Berlin.

  "I have been interested since a long time in the Mormons and Joseph Smith's supposed translations of Egyptian texts. A careful study has convinced me that Smith probably believed seriously to have deciphered the ancient hieroglyphics, but that he utterly failed.
  "What he calls the 'Book of Abraham' is a funeral Egyptian text, probably not older than the Greek ages. His figure 1 should be commented upon as follows:
  "The dead man (1) is lying on a bier (4) under which are standing the four canopic jars (5-8) and before which is standing the offering table (10). The soul is leaving the body in the moment when the priest (3) is opening the body with a knife for mummification. Fig. 3 may be part of the same papyrus — the Goddess Maat (Truth) is introducing the dead (5) and his shadow (6) before Osiris (1) and Isis (2) before whom an offering table stands (3).
  "It is impossible from Smith's bad fac-similes to make out any meaning of the inscriptions, but that they cannot say what Smith thought is clear from the certain signification of the figures 1-5. 6 only may be interpreted in different ways, but never as Smith did.
  "Fig. 2 is copied from a hypocephalus of the ancient Egyptians, a magical book on which Dr. Birch has often written in the proceedings of the Biblical Archaeological Society, and Dr. Leamans in the Actes des Congress des Orientalistes of Leyden. None of the names mentioned by Smith can be found in the text, and he has misinterpreted the signification of every one figure: Fig. 5 is the divine cow of

『高価な真珠』に掲載されているエジプトのパピルスは、よく知られているものの一部です。 死者の書。」 複製は非常に悪いですが、この本からおなじみのシーンを簡単に認識することができます:「バに横たわっている死者の体」(ビア)その下の内臓を含むカノプス壺;上を飛んでいる鳥の形をした魂 それと、それに近づく司祭、またはオシリスが彼の王位に座り、彼の後ろにイシス、オシリスの王位からの故人を待っている彼女の頭に羽をつけた正義の女神。」
 DR。 エドワードマイヤー。
ベルリン大学。

  「私は長い間、モルモン教徒とジョセフ・スミスによるエジプトのテキストの翻訳に興味を持っていました。注意深い研究により、スミスはおそらく古代の象形文字を解読したと真剣に信じていたが、彼は完全に失敗したと確信しました。
  「彼が 『アブラハム書』と呼んでいるのは、おそらくギリシャの時代より古くない、葬儀のエジプトのテキストです。彼の図1は、次のようにコメントする必要があります。
  「死んだ男(1)は、4つのカノプス壺(5-8)が立っていて、その前に供物台(10)が立っているビール(4)の上に横たわっています。魂は、その瞬間に体を離れます。 司祭(3)はミイラ化のためにナイフで体を開いています。図3は同じパピルスの一部である可能性があります—女神マート(真実)はオシリス(1)の前に死者(5)と彼の影(6)を紹介しています そしてイシス(2)その前に供物のテーブルが立っている(3)。
  「スミスの悪いファクシミリから碑文の意味を理解することは不可能ですが、スミスが図1-5の特定の意味から明らかであると考えたことを彼らが言うことはできません。6は異なる方法でのみ解釈されるかもしれませんが、 スミスがしたように決して。
  「図2は、古代エジプト人の頭蓋骨、バーチ博士が聖書考古学協会の議事録で頻繁に書いた魔法の本、およびライデンのオリエンタリスト会議のリーマン博士からコピーされたものです。 スミスが言及した名前はテキストで見つけることができ、彼はすべての図の意味を誤解しています:図5は


p.31

Hathor, 6 are the four children of Horus as the Canopic Gods, 4 is the God Sokar and the Sacred Book, etc.
  "I hope this will suffice to show that Jos. Smith certainly never got a Divine revelation in the meaning of the ancient Egyptian Script, and that he never deciphered hieroglyphic texts at all. He probably used Athenasius Kirsher, the Jesuit's work, and there found a method of reading the old Egyptian signs very much like his own."
 DR. FRIEDRICH FREIHEER VON BISSING,
Professor of Egyptology in the University of Munich.

ハトホルの神の牛、6は天蓋の神としてのホルスの4人の子供、4は神ソカールです と神聖な本など。
  「これで、ジョス・スミスが古代エジプトの台本の意味で神の啓示を決して得られなかったこと、そして彼が象形文字のテキストをまったく解読しなかったことを示すのに十分であることを願っています。彼はおそらくイエズス会の作品であるアテナシウス・キルシャーを使用しました。 古いエジプトの標識を彼自身のものと非常によく似た方法で読む方法。」
 FRIEDRICH BARON OF BISSING博士、
ミュンヘン大学のエジプト学教授。



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