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The Book of Mormon 1830年 p.25 ニーファイ第一 11章16節~31節 の改訂


「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 1989年改訂版


 キリスト教からモルモンについて書かれた本の整理をしていた時に、いのちのことば社から出ていた「モルモン教とキリスト教」(ウィリアム・ウッド著)という本が出て来たので、ちょっとパラパラと開いて見ていたところJerald and Sandra Tannerの夫妻によって書かれた「3,913 Changes in the Book of Mormon」という著書からの画像を転載していて、そういえば昔モルモンのアメリカ人宣教師にこの画像(タナ―夫妻のサイトにあるその元画像→ 3913changes_p25)を示して、どうしてこんなにも聖典を書き換えるのか(原書とされる「金版」は翻訳が終わった後に天使モロナイが天に持って行ってしまったとされる)質問してみたところ、画像がどこの個所かわからないので答えられないと言って逃れました。しかし、画像にはニーファイ第一書であることが示されていますし、いくら1830年の初版と1879年に現行の章と節がふられ、1920年に二段組みになり、1981年に欄外注や索引をつけてページ数が違っても、本文読めばどこいらへんの話しかわかりそうなものです。キリスト教徒に例えばマタイによる福音書の中から一ページを抜き出して見せてもどこいら辺の話か分かりますが、モルモンの宣教師が自分たちの聖典のことばがどこのものかわからないという逃げ口上はおかしなものに聞こえました。

The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1963年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)
The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1961年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)


それでその箇所を実際にどうなのかを確認したくなりJoseph Smith Papersのサイトの「Book of Mormon, 1830」から画像の個所の英文本文をブログの下書きに引用し、それを見ながら手元に「The Book of Mormon 2013 Edition」を開いて、指で本文を追いながら比較して変更部分を書き込み、それが終わったら1830年初版の復刻版(ファクシミリ版)と確認し、1981年版と比べ、公式サイトの2021年電子版とも比べて見ました。また変更箇所が古いものかどうかを見るためにJoseph Smith Papersの1837年の「The Book of Mormon」の第二版と比べて、変更箇所が第二版になされた箇所にはその旨書き込みました。最後にタナー氏のサイトの画像と見比べて完了しました。以下のようになります。

1930 p.25
1930 p.25



The Book of Mormon , 1830 p.25

unto me「, → : 変更」 Knowest thou the 「condescention → condescension 1837年二版で変更」 of God? And I said unto him「, → : 変更」 I know that he loveth his children; nevertheless, I do not know the meaning of all things. And he said unto me「, → : 変更」 Behold, the virgin 「which → whom 1837年二版で変更」 thou seest, is the mother of 「1837年二版で加筆 the Son of」 God, after the manner of the flesh.

And it came to pass that I beheld that she was carried away in the spirit; and after 「that→1837年二版で削除」 she had been carried away in the spirit for the space of a time「,→ 削除」 the angel spake unto me, saying, look! And I looked and beheld the virgin again, bearing a 「chid → child 1837年二版で変更」 in her arms. And the angel said unto me, behold the Lamb of God, yea, even the 「1837年二版で加筆 Son of the」 Eternal Father! Knowest thou the meaning of the tree which thy father saw? And I answered him, saying: Yea, it is the love of God, which sheddeth itself abroad in the hearts of the children of men; wherefore, it is the most desirable above all things. And he spake unto me, saying, Yea, and the most joyous to the soul. And after 「that→ 削除」 he had said these words, he said unto me「,→: 変更」 look! And I looked, and I beheld the Son of God going forth among the children of men; and I saw many fall down at his feet and worship him.

And it came to pass that I beheld that the rod of iron which my father had seen, was the word of God, which led to the fountain of living waters, or to the tree of life; which waters are a representation of the love of God; and I also beheld that the tree of life was a representation of the love of God. And the angel said unto me again「,→: 変更」 Look and behold the 「condescention → condescension 1837年二版で変更」 of God! And I looked and beheld the Redeemer of the world, of 「which→whom 1837年二版で変更」 my father had spoken; and I also beheld the prophet「, which → who 1837年二版で変更」 should prepare the way before him. And the Lamb of God went forth, and was 「baptised → baptized 変更」 of him; and after 「that → 1837年二版で削除」 he was 「baptised → baptized 変更」, I beheld the Heavens open, and the Holy Ghost come down out of Heaven and 「abode → abide 変更」 upon him in the form of a dove. And I beheld that he went forth ministering unto the people, in power and great glory; and the multitudes were gathered together to hear him; and I beheld that they cast him out from among them. And I also beheld twelve others following him.

And it came to pass that they were carried away in the spirit, from before my face, 「that → and 1837年二版で変更」 I saw them not. And it came to pass that the angel spake unto me again, saying「, → : 変更」 look! And I looked, and I beheld the Heavens open again, and I saw angels descending upon the children of men; and they did minister unto them. And he spake unto me again, saying, look! And I looked, and I beheld the Lamb of God going forth among


 原本の「金版」が無いけども1829年のオリジナルの手書き原稿や1829年の印刷業者のための手書き原稿などを参照して1837年の第二版は出されたようですが、どちらとも違う修正は何なんでしょうかね。お得意のインスピレーション(霊感)何でしょうか。


◎1 Nephi 11:18

Original manuscript(オリジナル手書き原稿)
behold the virgin which thou seest is the Mother of god after the manner of the flesh

Printer's manuscript(印刷業者用手書き原稿)
behold the virgin which thou seest is the Mother of God after the manner of the flesh


◎1 Nephi 11:21

Original manuscript(オリジナル手書き原稿)
& the angel said unto me behold the lam of god yea even the eternal father knowest thou the meaning of the tree which thy father saw

Printer's manuscript(印刷業者用手書き原稿)
& the Angel said unto me behold the Lamb of God yea even the Father knowest thou the meaning of the tree which thy father saw

 そして、公式サイトの日本語訳の同箇所を、1995年平成訳片手に見比べていましたら訳文が違う箇所があり、2009年の平成訳の改訂版も引っ張り出して来て比べて見たら、1995年平成訳と2009年改訂版は同じで、公式サイトの2021年改訂電子版とは違っていたので、これが2021年版による小改訂箇所の一つなんだろうなと思いました。


「モルモン書」(2021年電子版(公式サイトのものは読点はカンマですが引用するにあたり(、)にしました。あと本文は総ルビのところ読みが紛らわしいものだけ括弧書きとしました。))

2021年電子版 p.27
2021年電子版 p.27


2021年電子版 p.28
2021年電子版 p.28

***

・・・「神が御自身を低くされることがあなたに分かるか」と言った。

17 それでわたしは、「わたしは、神がその子供たちを愛しておられることは知っていますが、すべてのことの意味を知っているわけではありません」と言った。

18 すると天使は言った。「見よ、あなたが見ているおとめは、肉に関して神の御子(おんこ)の母である。」

19 そしてわたしは、そのおとめが御霊に連れて行かれるのを見た。そのおとめが御霊に連れて行かれてからしばらくして、天使がわたしに「見なさい」と言った。

20 それで眺めると、腕に幼子(おさなご)を抱いたおとめが見えた。

21 すると天使がわたしに言った。「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見なさい。あなたは父が見た木の意味を知っているか。」

22 それでわたしは答えて言った。「はい、その木は人の子らの心にあまねく注がれる神の愛です。だから、どんなものよりも好ましいものです。」

23 すると天使はわたしに、「そのとおり。それは人にとって最も喜ばしいものである」と言った。

24 天使はこれらのことを言ってから、またわたしに「見なさい」と言った。眺めると、神の御子が人の子らの中に進んで行かれるのが見えた。また多くの人がその足もとに伏して、御子を拝むのが見えた。

25 そしてわたしは、父の見た鉄の棒が生ける水の源すなわち命の木に導く神の言葉であることを知った。その水は神の愛の表れである。そして、命の木が神の愛の表れであることも知った。

1995年・2009年版〔25 そしてわたしは、父の見た鉄の棒が生ける水の源、すなわち、命の木に導く神の言葉であること、またその水が神の愛の表れであり、命の木もまた神の愛の表れであることを知った。〕

26 そして、天使がまたわたしに、「神が御自身を低くされる様子を眺めてみなさい」と言った。

27 それで眺めると、父の語った世の贖い主が見え、また贖い主の前に道を備える預言者も見えた。また神の小羊が進み出て、その預言者からバプテスマを受けられた。バプテスマを受けられると、天が開いて聖霊が鳩の形を取って降って来て、神の小羊のうえにとどまられるのが見えた。

28 またわたしには、小羊が出て行き、力と大いなる栄光をもって人々にお仕えになるのが見えた。また、幾つもの大勢の人々の群れが、その小羊の言葉を聞くために集まるのが見えた。そして、彼らが自分たちの中から小羊を追出すのが見えた。

1995年・2009年版〔28 またわたしには、小羊が出て行き、力と大いなる栄光をもって人々を教え導かれるのが見えた。また、幾つもの大勢の人々の群れが、その小羊の言葉を聞くために集まるのが見えた。そして、彼らが自分たちの中から小羊を追出すのが見えた。〕

29 そして、ほかに十二人の人が小羊に従うのも見えた。すると、この十二人の人は,わたしの前から御霊によって連れ去られ、姿が見えなくなった。

30 そこで、天使がまた「見なさい」と言うので眺めると、天がまた開いて、天使たちが人の子らのもとに降って来て、彼らに仕えるのが見えた。

1995年・2009年版〔30 そこで、天使がまた「見なさい」と言うので眺めると、天がまた開いて、天使たちが人の子らのもとに降って来て、彼らを教え導くのが見えた。〕

31 天使がまたわたしに、「見なさい」と言うので眺めると、神の小羊が人の子らの中に出て行かれるのが見えた・・・ 

***

 平成訳と21年改訂版の違いのある個所の昭和訳も引用します。

昭和訳第四装丁版
25 私(わたくし)はまた父の見た鉄の棒は、生命(いのち)のある水の源(みなもと)、または生命(いのち)の木へ行く神の言葉であるのを覚り、また生命(いのち)の水は神の愛を象(かたど)り生命(いのち)の木もまた神の愛を象(かたど)るのを知った。

28 ついで私(わたくし)は子羊が出(い)で行きたまい、能力(ちから)と大きな栄光とを以て民に恵みを施したもうのが見えた。そしてその言葉を聞こうと多くの人々が集り合ったがついにその中からかれらが子羊を追い出すのが見えた。

30 すると天使がまた「見よ」と仰せになるから眺めると、私(わたくし)は天がまた開けて天使たちが人間に降りこれに恵みを施すのが見えた。

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異端のモルモンの聖典「高價なる眞珠」についてちょっと気になったところ


 ちょっと気になったことですが、キリスト教異端の末日聖徒イエス・キリスト教会、通称モルモン教の標準聖典の一つ「高価な真珠」について、その巻末の方に「ジョセフ・スミスー歴史」という文書があり巻末の注のような形で「オリバー・カウドリの証」があります。

 この出典が昭和訳と平成訳では違っていました。

 昭和版は (タイムズ、エンド、シーズンズ。第二巻、二百一頁) となっていたのが、

高價なる眞珠 p94


平成訳では Messenger and Advocate(『メッセンジャー・アンド・アドボケイト』)第一巻(千八百三十四年十月),十四-十六ページ となっていました。本文自体は変わりありません。

高価な真珠 p80


 「Pearl of Great Price」の初版である1851年版には ―T. & S. p.201. と昭和訳と同じ出典になっていました。

The pearl of great price 1851 pp.46-47
The pearl of great price 1851 pp.46-47


 しかし、「Pearl of Great Price」の1983年版、2013年版を見て見ますと、 —Messenger and Advocate, vol. 1 (October 1834), pp. 14–16. と平成訳と同じ出典に変更されています。

The pearl of great price 2013 p59
The pearl of great price 2013 p.59

 インスティチュートテキストの「高価な真珠 生徒用資料 宗教 327 2002年」方をまず先に見てみたら何も記述は無く、「高価な真珠 教師用資料 宗教 327 2002年」には

" ジョセフ。スミスー歴史巻末の注オリバー・カウドリの証
各生徒に以下のことを想像するように言う。たった今あなたは交通事故に遭った。あなたに過失がないことは明白だが,相手の車の運転手はあなたのせいだと言っている。警察官はだれを信じればよいのか分からずにいる。警察官はどうすれば真実を知ることができるだろうか。次に,一人の目撃者が進み出て,事故についてのあなたの説明が真実であることが立証されたとする。あなたはその目撃者に対してどのように感じるだろうか。ジョセフ・スミスー歴史の後にある巻末の注は,教会歴史の初期の出来事についての,その場にいた人物によるさらなる証言であることを生徒に話す。このオリバー・カウドリの証を読むよう生徒に言う(またはクラス全員で読んでもよい)◎オリバーの記述から,ジョセフ・スミスー歴史には含まれていない情報を生徒に探させ,発表させる。オリバーはこれらの経験についてどのように感じていたかを話し合う。生徒にオリバーの記述の中で最も印象的なこととその理由を話させる。 "

という短い記述のみで、出典変更についての記述はありませんでした。

メッセンジャー・アンド・アドボケイト紙(1834年10月創刊、1837年9月休刊)の方が元記事なのかもしれません。1834年11号のメッセンジャー・アンド・アドボケイト紙にこのオリバー・カウドリの記事(1834年9月7日付)

Norton. Medina co. Ohio, Sabbath evening, September 7, 1834.

があります。

月二回発行の新聞タイムズ・アンド・シーズンズ紙(1839年11月創刊、1846年2月休刊)の1840年11月1日号に、同じ記事が、記事見出しに「O・カウドリが神権の回復について書いた手紙の写し。」の文言をつけ加えた形で掲載されていました。

Copy of a Letter written by O.Cowdery, on the restoration of the Priesthood.
Norton. Medina co. Ohio, Sabbath evening, September 7, 1834.

 おそらく元記事の方に出典を変更したのでしょう。

しかし、まあ、よくコロコロと聖典の中身を書き換える団体だなと思いました。そして、そういう変更を教えないところでもあるなと思います。

Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p201
Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p201



Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p202
Times And Seasons - vol. 2 (1840-1841) p202


Messenger and Advocate Vo.1, p14
Messenger and Advocate Vo.1, p14


Messenger and Advocate Vo.1, p15
Messenger and Advocate Vo.1, p15


Messenger and Advocate Vo.1, p16
Messenger and Advocate Vo.1, p16

佐藤龍猪訳「モルモン経」の四つの装丁による改訂箇所の続き


 前回の記事「佐藤龍猪訳「モルモン経」の「ごらん」の訳語と改訂箇所」では、昭和版である佐藤龍猪訳「モルモン経」の装丁によって改訂箇所があり、その中から三カ所の改訂箇所を紹介しましたが、今回は残りの四か所を取り上げたいと思います(細かく調べるともっとあるかもしれません)。

モルモン経明治訳・昭和佐藤龍猪訳、平成訳、平成訳改訂版



モーサヤ3:5

第一装丁版、第二装丁版
現在この世を治めたまい、また無限の過去から無限の将来に亘ってまします全能の主が勢い強く天から人間に降臨して土から成る身体に宿りたまい、・・・

第三装丁版、第四装丁版
現在この世を治めたまい、また無限の過去から無限の将来に亘ってまします全能の主が権能をもって天から人間に降臨して土から成る身体に宿りたまい、・・・

 「全能の主が勢い強く天から人間に降臨」したと能動的なのが、「全能の主が権能をもって天から人間に降臨」したと修正されました。明治訳は第一装丁版、第二装丁版と同じ。平成訳は「全能の主が、力をもって天から」と原文の「that with power,」の字義訳な感じです。


アルマ40:11

第一装丁版、第二装丁版
・・・この死ななくてはならぬ肉体を離れるとその霊に生命(いのち)を与えたもうた神が備えたもうたところへ帰るのである。これは天使が私にお示しになった。

第三装丁版、第四装丁版
・・・この死ななくてはならぬ肉体を離れるとその霊に生命(いのち)を与えたもうた神のところへ帰るのである。これは天使が私にお示しになった。

 明治訳も第一装丁版、第二装丁版と同じ。平成訳は第三装丁版、第四装丁版と同じ。


ニーファイ第三11:36

第一装丁版
・・・御父とわれと聖霊とは一つの神会を成す故なり。

第二装丁版、第三装丁版、第四装丁版
・・・御父とわれと聖霊とは一つなればなり。

 明治訳も平成訳も第二装丁版以降と同じ。

原文は「for the Father, and I, and the Holy Ghost are one.」で1823年の手書き原稿、1830年初版(パルマイラ)、1920年改訂版、1981年改訂版、2013年改訂版も同じ。

The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1963年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)
The Book of Mormon 1830年初版(復刻版),1920年版,1961年版,1981年版(四聖典合本),2013年版(ハードカバー,ソフトカバー)


モルモン書,1823年 p382 手書き原稿 ニーファイ第3 11:36
モルモン書,1829年印刷業者原稿 p382


モルモン書,1830年 p479 ニーファイ第3 11:36
モルモン書,1830年 p479


モルモン書,1920年 ニーファイ第3 11:36
モルモン書,1920年


モルモン書,2013年PDF ニーファイ第3 11:36+欄外注
モルモン書,2013年(1981年改訂版も同じ)


モルモン書,2013年 ニーファイ第3 11:36+欄外注
モルモン書,2013年 公式サイト


 英語版は本も公式サイトのものも共に「one」のところに付された注があり、欄外注を見ますと、印刷版は「b TG Godhead; Unity」、サイト版は画像のようになっています。日本語訳には36節に欄外注はありません。英文のTopical Guideは日本語訳だとモルモン書の巻末にある「聖句ガイド」で、そこの「神:神会」の項目を見よということです。

 しかし、第二装丁版、第三装丁版、第四装丁版もニーファイ第三28:10などでは、「・・・われと御父(おんちち)とは一つの神会を成す。」(「and the Father and I are one;」、明治訳は「一つ」)と訳していますし、ニーファイ第二31:21などでも「・・これはまことに、キリストの教えであって永遠に一つの神会(しんかい)を成す天の御父(おんちち)と御子(おんこ)と聖霊の唯(ただ)一つの真正な教えである。 アーメン。」(「・・・ this is the doctrine of Christ, and the only and true doctrine of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost, which is one God, without end. Amen.」、明治訳も「神會」)としているのに、どうしてこちらはわざわざ「一つ」に修正したのかちょっと疑問。


イテル2:8(平成訳では「イテル書」の書名は「エテル書」に変更)

第一装丁版、第二装丁版
・・・主は断乎としてジェレトの兄弟に誓いたもうた。

第三装丁版、第四装丁版
・・・主は断乎としてジェレドの兄弟に誓いたもうた。

 第一装丁版、第二装丁版はイテル書の他の個所では「ジェレド」となっているので、単なる誤字脱字・誤植の類。


イテル12:6

第一装丁版、第二装丁版
・・・信仰の度(ど)を試してからでないと目で見るような証明が得られないからである。

第三装丁版、第四装丁版
・・・信仰の度(ど)を試してからでないと証が得られないからである。

 明治訳は第一装丁版、第二装丁版と同じ、平成訳は第三装丁版、第四装丁版と同じ。

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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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