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ちょっと気になったアレクサンドリア写本のテモテ一3:16


 B.H.Cowperの「Codex Alexandrinus. Η Καινη Διαθηκη. Novum Testamentum Graece」を開きながらWikipediaのCodex Alexandrinusに出ているSome Textual Variants(いくつかのテキストの異形)の新約の異読を見て、ネストレ27版(最新の写本証拠確認のために28版も使用)とネストレ版の旧版である22版、UBS第四版、テクストゥス・レセプトゥスなどを比べつつ使徒行伝やパウロ書簡の異読を抜き出し、直訳しつつ現在のテクストと比べていると面白いな~と思いながら比較していました。

Codex alexandrinus. E Kaine Diatheke. Novum Testamentum graece ex antiquissimo codice alexandrino


 Wikipediaのアレクサンドリア写本を編集している人たちは、やっぱりアメリカの福音派の人なのかなーと感じました。写本証拠で「Majority of manuscripts」(写本の大部分)という語がくり返し出てきます。

 11世紀から15世紀に大量に作られ数だけいっぱいあるビザンチン型(コイネー型)の小文字写本のことなんでしょうが、「Majority of manuscripts」(写本の大部分)と書いてあると、これが正しい本文みたいに見え、アメリカの福音派ファンダメンタルの考えにミスリードしているように見えました。

 聖書学者の田川建三氏はビザンチン型本文について分かりやすく書いています。

"  ビザンチン型(コイネー型)

福音書
A、E、G、H、K、P、S、V、W(マタイ、ルカ8・13-24・53)、Π、Ψ(ルカ、ヨハネ)、Ω、及びほとんどの小文字写本

使徒行伝
H、L、P、049、及びほとんどの小文字写本

書簡(パウロ及び公同)
L、049、及びほとんどの小文字写本

黙示録
046、051、052、及びほとんどの小文字写本

 これはビザンチン世界に最も普及していたテクストの型であるから、このように呼ばれる。いわばギリシャ正教のテクストゥス・レセプトゥスである。また、エラスムス以降の印刷公刊本の基本にすえられたのも、この型である。非常に普及していたから(何せ小文字写本のほとんどであるから、数の上では圧倒的である)、コイネー型とも呼ばれる。(それでネストレでは25版まではKのゴチック文字を当てていた)。
 これは要するに、正統派教会が固まって行くにつれて、新約のテクストをその教義に見合うように徐々に手を加えていき、普及版のテクストを作った、というものである。従ってその成立の時期もほかの型よりぐんと遅いし、内容的に言っても、もちろん、大本のテクストを復元する役には立たない。ただし、後世の正統派教会がどのように考えていたかを知るためには重要な資料である。 "

(「書物としての新約聖書」 田川建三著 勁草書房 pp.446-447)

 アメリカの福音派ファンダメンタルは、17世紀に訳されたKing James Version (Authorized Versionとも表記される。ジェームズ王欽定英語訳聖書)への信頼とこだわりがものすごく強く、それに伴って翻訳の底本となったテクストゥス・レセプトゥスの信頼も高く、学問的な現代の本文批評版への不信がものすごく強く、1881年に出たWestcott博士とHort博士による「The New Testament in the Original Greek」(ギリシャ語原語による新約聖書)に始まる批評版に対してものすごく批判的で、劣悪ないくつかの小文字写本から作られたテクストゥス・レセプトゥスへの信頼は極めて大きいという変な連中です。

 日本でもそのようなファンダな人たちが少数いて、テクストゥス・レセプトゥスから訳された聖書こそ正しい、批評版は改ざん聖書だという感じの主張のものがネット上では見られます(写本証拠からの批判ではなく、学者の個人的な素行などを問題視しているが、そんなものはどうでもよく、学者として信頼できるのか、学者として誠実であるのかが問題で、学者の信仰とか素行とかそんなものが研究成果と関係ないだろと思います。それよりも自分の思想信仰によって、目の前の事実を曲げる方が問題だと感じますし、彼らの引用なんかに使っている批判している学者の経歴を見てもまったく専門外の人間ばかり。)。

 さて、そういうファンダは屑籠に丸めてポイしておいて、Wikipedia取り上げられている異読の中で、テモテ一3:16は面白いな~と感じました。アレクサンドリア写本ではΘϹの上に横線がありΘεός(セオス「神」)の縮約形と見られ、B.H.カウパーの「Codex Alexandrinus」もΘεόςとしています。

Θεόςの縮約形

アレクサンドリア写本テモテ一3:16
テモテ一3:16 1879年大英博物館発行のファクシミリ版

大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写真版
テモテ一3:16 大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写本画像

大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写真版 拡大
テモテ一3:16 大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写本画像を拡大したもの


カウパーは欄外注と序文で

欄外注
2) θεός. Nune legitur Θς. sed In recens lineam supra Θς crasavit. Quid olim valde obscurum; nobis tenebrae sunt. Locum saepe inspeximus, sed fugit aciem veritas.

2) 神。 現在は、Θςと読みます。 しかし、Θςの上の最近の行では、彼は太くなっています かつては非常に不明慮。 私たちにとっては暗いです。 私たちはその場所を何度も見てきましたが、しかし真実は戦いから逃れます。
(Codex Alexandrinus. Η Καινη Διαθηκη. Novum Testamentum Graece by Cowper, B. H.)


序文
Such aro the horizontal line in 1 Tim. 3.16, where we now read Θεος (Θς),

これは、1 Tim.3.16 の横線で、現在は Θεος (Θς) と読めます。


 カウパーが底本に使ったのは、カール・ゴットフリート・ヴォイデによって1786年に出されたファクシミリ版(手書き複写版)によるものですし、序文などはヴォイデのものに従ったものであることが序文に出てきます。

*) We may here state once for all, that many of the facts and suggestions in this introduction, are either borrowed from Grabe, Woide etc., or in accordance with their statements. The prolegomena of Woide contain very much of which no use has here been made, and the claims of brevity have often compelled us to condense what he has developed at considerable length. In the notes to the text also, Woide's edition has been freely used, and generally our obligations to him have been very great.

*) ここで、この序文の事実と提案の多くは、Grabe、Woide などから借用したか、または彼らの声明に従っていることをここで断言しておきます。 ウォイデのプロレゴメナには、ここでは使用されていないものが非常に多く含まれており、簡潔さを主張するために、彼が開発したものをかなり長く要約することを余儀なくされることがよくあります. 本文への注記においても、Woide の版が自由に使用されており、概して彼に対する私たちの義務は非常に大きいものでした。

 ヴォイデのファクシミリ版とはどういうものか気になるので、ヴォイデの1786年のファクシミリ版(Wikipedia)と大英博物館が1879年に発行したファクシミリ版のヨハネ1:1-7の画像をあげておきます。

1024px-Codex_Alexandrinus_J_1,1-7 Woideのファクシミリ版(1786年)からの断片、ヨハネ1:1-7のテキストを含む
ヴォイデの1786年のファクシミリ版

1879年大英博物館発行のファクシミリ版 ヨハネ1:1~
1879年大英博物館発行


 メッガー博士などは「新約聖書本文研究」の中で

" 1 読みと誤り
(a) 乱視の写字生が、ことに前の筆記者がていねいに書いていない場合、互いに類似した形のギリシア文字を判読するのは困難であった。したがって、大文字書体において、シグマ(通常、円形シグマであった)、イプシロン、テータ、オミクロン(C、E、Θ、Ο)は時々混同をきたした。・・・Ⅰテモ3・16では、より古い写本はΟC('he who')と読むが、後代の多くの写本ではΘC(θεός「神」を表す普通の縮約形)となっている。 "
(「新約聖書の本文研究」 B.M.メッガー著 橋本滋男訳 日本基督教団出版局 p.192)

大文字写本で筆記者によって混同されやすい文字

と述べて、ΟC(ὃς)が誤読か、誤記によりΘCと変わったとしています。カウパーの欄外注でもこの個所は横線が太い、不明瞭であるとしています。

 次にこの個所の写本はどうなっているのかを見て行きました。本文はテクストゥス・レセプトゥスとネストレ28版を使用し、写本証拠はネストレ28版のアパラトゥスによります。


1550 Stephanus New Testament
θεός ὃς ἐφανερώθη ἐν σαρκί,

Ac א‎³ C² D² K L P Ψ 81. 104. 630. 1241. 1505. 1739. 1881 𝔐(多数派本文) vgᵐˢ(ᵐˢは独自の読みを持つ個々のウルガタ写本)


Novum Testamentum Graece (NA 28)
ὃς ἐφανερώθη ἐν σαρκί,

A* א‎* C* F G 33. 365. 1175; アレクサンドリアのディデュモス、コンスタンティアのエピファニオス

*→修正がなされた箇所での元来の読みを示す。
c→後代の修正を示すが、時には最初の写字生による修正もある。
¹ ² ‎³→第一、第二、第三の修正者によってなされた修正を示す。


 新約聖書本文研究所(INTF)の多くの学者たちでは、アレクサンドリア写本のこの個所の読みは、ὃςが元来の読みで、Θεόςの縮約形は後代による修正という見方なのでしょう。Wikipediaに出ている記事の確認もなかなか楽しめるというものです。

 最後に主な日本語訳の比較です。

●テクストゥス・レセプトゥスを翻訳の底本としているもの

明治元訳:神肉體となりて顯れ

永井直治訳:〔卽ち〕神は肉にて顯はれ給へり、

TR新約聖書:「神は肉において現され、

金の器社:「神は肉において現われ、


●批判的校訂本を底本としているもの

大正改訳:『キリストは肉にて顯され、

口語訳:「キリストは肉において現れ、

新共同訳:キリストは肉において現れ、

聖書協会共同訳:キリストは肉において現れ

新改訳(第一版):「キリストは肉において現われ、

新改訳2017:「キリストは肉において現れ、

フランシスコ会訳2011年合本版:「キリストは肉において現れ、

バルバロ訳聖書1980年講談社版:「キリストは肉体に現れ、

前田護郎訳:「(キリストは)肉にあって現われ、

塚本虎二訳:彼(キリスト)は肉にて顕され、

田川訳:「肉において顕れた者が、

詳訳:「この〔d かた〕<神>は人間の肉体で現われ、
(d) ある権威ある写本は神と読む。

岩波書店聖書翻訳委員会訳:その方は肉においてあらわにされ、


***

引用した本のほかに「捏造された聖書」(バート・D・アーマン著 松田和也訳 柏書房) pp.146-148 でもこの個所が出てきます。
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ニーファイ第一2章2節~9節、レーマン川、モルモン書の「紅海(Red Sea)」の語


「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 1989年改訂版


80年代の終わりごろにモルモンのアメリカ人宣教師に、 ウィリアム・ウッド氏の著書「モルモン教とキリスト教」の次の記述から

" ―たとえば、ニーファイ第一書の二章五‐八節によると、「紅海に注ぐ」川がありますが、実際にはそのような川は存在しません。 "
(「モルモン教とキリスト教」 ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 p.43)

との記述から、「紅海の頭に注ぐ」(昭和訳「モルモン経」)川というものはないのではないかと質問したところ

『英文聖典には頭(かしら)にあたる語は無く、紅海に注ぐ川とある。
この川は、紅海すなわち現在のアカバ湾に注ぐ川であって、スエズ湾にではない。
また、アカバ湾の側面から注がれた川であろう。』

との回答を得ました。特に当時はモルモンについては詳しくはなく、関心も少なかった中、キリスト教側の現代の異端に対する簡単な論駁書(モルモンについて触れているものは少ない)を読んだくらいの知識で、たまたまモルモンの宣教師の伝道に会い、何回かお話をする中での質問でした。

 この回答を聞いた時には、なんとなくなんかあいまいで逃げた感じを受けました。

 まずはニーファイ第一2章の2節から9節を昭和訳から見てみたいと思います。

2 そして主はまことに夢の中で私(わたくし)の父に妻子(つまこ)をつれて荒野(あれの)へ出て行けと命じたもうた。
3 私(わたくし)の父は主の言葉によく聞き従ったから、主が命じたもうた通りにした。
4 そして父は荒野(あれの)へ出て行った。父は自分の家と相続した土地と、所有の金銀および貴重品をあとにのこして、ただ妻子(つまこ)と食料と天幕のほかには何ももたずに荒野に旅立った。
5 父はまず紅海の海辺に近い国境のそばにきて、それからさらに一そう紅海に近い国境にある荒野の中を進んで行った。父はまことに荒野(あれの)の中をその妻子(つまこ)をつれて旅をしたのであるが、その妻子(つまこ)とは私(わたくし)の母サライアと3人の兄達レーマン、レミュエル、サームとであった。
6 私(わたくし)の父は三日の間荒野(あれの)の中を進んでからある谷間に止(とどま)り、そこを流れる川のほとりに天幕を張った。
7 そこで父は石で一つの祭壇を築き、主に奉物(ささげもの)を捧げてわれらの神である主に感謝をした。
8 父はこの川にレーマンと言う名をつけたが、この川は紅海に注ぐ流れであって、その谷は川口に近い国境にあった。
9 父はこの川の水が紅海の頭に注ぐのを見てレーマンに向かい「この川がたえず流れて海に入(い)るように、汝もたえ間なくあらゆる正しさの海に流れこんでくれるように」と言い、

 8・9節の明治訳と平成訳

8 我父は此河にレーマンなる名を附けぬ。此(こ)は其(その)末(すえ)紅海に注ぐ流(ながれ)にて、谷は河口(かはぐち)に近き國界(くにざかひ)に在りき。
9 父は此(この)河の水の紅海に落つるを見、レーマンに向ひて言ひけるは『此(この)河の混々として海に入る如く、汝が晝夜(ちうや)を舍(や)めず總(すべて)の義の海に流れんことを』と。
(明治訳)

8 さて,父はその川をレーマンと名付けた。その川は紅海に注ぎ,その谷は河口(かこう)に近い境(さかい)の地にあった。
9 父は,その川の水が紅海の源(みなもと)に注ぐのを見て,レーマンに向かって言った。「おお,おまえはこの川のように,絶え間なくあらゆる義の源に流れ込むように。」
(Web2021年改訂版)

The Book of Mormon ed.2013、1989四聖典英文合本、The Book of Mormon ed.1830(Facsimile)


 さて、宣教師が『英文聖典には頭(かしら)にあたる語は無く、紅海に注ぐ川とある。』と言うことについて、1981年版の英文モルモン書は次のようになっています。

9 And when my father saw that the waters of the river emptied into the Ⓐfountain of the Red Sea, he spake unto Laman, saying: O that thou mightest be like unto this river, continually running into the fountain of all righteousness!

ⒶIE fount, or source, like the Gulf of Akaba, which empties into the Red Sea.
IE 紅海に注ぎ込むアカバ湾のような源泉、または源。


9節はthe river emptied into the fountain of the Red Sea (紅海の源に流れ込む川)となっています。宣教師の回答は9節から質問しているのに、8節を見ているようで今思うとなんか話が合っていないな~と感じます。モルモンの外国人宣教師と話すと日本語があまりできないのでこの手のすれ違いはよくありました。

さて、この1981年版の英文モルモン書には欄外注があり。そこに「IE」という記号がふられています。これは「An explanation of idioms and difficult wording(熟語や難しい言葉遣いの解説)」を表しています。モルモンにとっては難しい問題なのでしょう(日本語版には9節には欄外注はありません)。

巻末のTopical Guide(日本語訳でこれにあたるのが「聖句ガイド」)にFountain(噴水・泉・源・源泉)の語の項目があります(日本語版にはありません。日本のモルモン教徒は疑問は起きないようです)。

Fountain
See also Spring [noun]; Well [noun]
fountains of the great deep broken up, Gen. 7:11.
in Elim were twelve fountains of water, Num. 33:9.
took counsel … to stop the waters of the fountains, 2 Chr. 32:3.
I went on to the gate of the fountain, Neh. 2:14.
with thee is the fountain of life, Ps. 36:9.
law of the wise is a fountain of life, Prov. 13:14.
forsaken me the fountain of living waters, Jer. 2:13 (17:13).
fountain shall come forth of the house of the Lord, Joel 3:18.
fountain opened to the house of David, Zech. 13:1.
Doth a fountain send … sweet water and bitter, James 3:11.
shall lead them unto living fountains of waters, Rev. 7:17.
I will give … of the fountain of the water of life, Rev. 21:6.
river emptied into the fountain of the Red Sea, 1 Ne. 2:9.
rod of iron … led by the head of the fountain, 1 Ne. 8:20 (8:32).
word of God, which led to the fountain of living waters, 1 Ne. 11:25.
fountain of filthy water, 1 Ne. 12:16.
come unto the fountain of all righteousness, Ether 8:26 (12:28).
bitter fountain cannot bring forth good water, Moro. 7:11.
his bowels shall be a fountain of truth, D&C 85:7.
worship him that made … the fountains of waters, D&C 133:39.


「末日聖徒イエス・キリスト教会の教義、実践、歴史に対する批判に対して、十分に文書化された回答を提供することに専念する非営利団体」というFAIRという団体のサイトには

Question: Is the description in the Book of Mormon of a "river running into a fountain" absurd? (質問:モルモン書の「川が噴水に流れ込む」という記述はばかげていますか?)

こういう記事を出すくらいですから、このことについては、やはりモルモンへの批判として多いのでしょう。

この記事の中で、the fountain of the Red Seaを、KJVの創世記7:11のthe fountains of the great deep (口語訳「大いなる淵の源」)と絡めて説明しようとしています(この個所はTopical Guideの「Fountain」の項目にも出てきます)。参考にしている論文も1988年のもので、この当時の考え方としてはこうだったのでしょう。明治訳の訳文はこの解釈に近い感じがします。

モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料 第二刷発行日1988年1月31日


当時のインスティテュートテキストでも

(2-11) Ⅰニーファイ2:6‐7
 ここには、モルモン経が書かれたものではなく翻訳されたものであることを示す興味深い証拠がふたつある。北米では川はすべて「流れる川」であるが、中東では1年を通じて水の流れる川はまれである。雨季になると、普段は水のない河底に雨水が流れ込んで川になる。しかし乾期になれば、干上がって「流れる川」ではなくなるのである。「石の祭壇」は、出エジプト20:24‐26および申命記27:5‐6に記されている戒めにそのまま従ったものである。
(「モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料」 第二刷発行日1988年1月31日 p.16)

と、レミュエルの谷にあるレーマン川は乾季には水が枯れる川であることを示唆しています。

2007年にJournal of Book of Mormon Studiesにのせられた論文で、

The Hunt for the Valley of Lemuel
S. Kent Brown
レムエルの谷の狩り
S・ケント・ブラウン(ブリガム・ヤング大学)
https://scholarsarchive.byu.edu/jbms/vol16/iss1/8/

が発表されると Wadi Tayyib al Ism がレミュエルの谷で、そこを流れる小川がレーマン川ではないかと考えられるようになりました(2017年ころからモルモン教徒のブログやサイトでこの手の記事が見かけられる)。

 ここはモーセがエジプトを逃れてアラビアのこの場所に来て、約10年間住んだことからモーセの谷と言われる有名な場所です。

論文の始めの方を見ますと

" The possi ble locati on of the Valley of Lemuel has captured the attention of students of the Book of Mormon, particularly following the publication of an attractive site in northwestern Arabia whose characteristics include canyon walls that rise more than 2,000 feet above the valley floor and a stream that runs year around. The canyon, called Wadi Tayyib al-Ism, appears to fit snugly with Nephi’s description of a “valley, firm and steadfast, and immovable” featuring a “river, continually running” (1 Nephi 2:9–10).1 This find is set into profile all the more because surveys have concluded that “the Red Sea . . . is left without a single flowing river. In this respect the Red Sea is unique.”2 Only on the coast of Yemen does one find year-round streams such as Wadi Hagr that drain to the south, but not into the Red Sea: “Wadi Hagr . . . which, at the point where it reaches the sea, is that great rarity of Arabia, a perennial stream.”3 The rare water source in Wadi Tayyib al-Ism, therefore, had seemingly settled the question about the location of the Valley of Lemuel. But other competing views demand to be taken seriously.
The question is whether these alternative suggestions carry the merits of Wadi Tayyib al-Ism. Let us examine three other proposed sites, all in northwest Arabia and within a few dozen miles of Wadi Tayyib al-Ism. The first and northern-most candidate is Wadi Nuwaybi>, a streambed which lies a mere twelve or so miles south of Aqaba, close to the 1961 border between the modern states of Jordan and Saudi Arabia. The streambed reaches the Red Sea within Jordanian territory, two miles north of the Saudi border town al-Durrah.4 According to one report, Wadi Nuwaybi> is a canyon wherein one can find a running stream in its “lower portion.”5 If this information is correct, the stream, apparently freshened by springs, is not seasonal, that is, it does not depend on winter or monsoonal rains. "

レムエルの谷の可能性のある場所は、モルモン書の学生の注目を集めました。特に、谷底から 2,000 フィート以上の高さの峡谷の壁と、 一年中流れている流れ。 Wadi Tayyib al-Ism と呼ばれるこの峡谷は、ニーファイが説明した「堅固で確固たる不動の谷」であり、「絶え間なく流れている川」を特徴としているように思われます (1 ニーファイ 2:9–10)。 調査が「紅海. . . 川が一本も流れずに残っています。 この点で、紅海はユニークです。」 . . それが海に到達する点では、アラビアのその非常にまれな、多年生の流れです。」 . しかし、他の競合する見解は真剣に受け止められる必要があります。
問題は、これらの代替提案がワディ・タイイブ・アル・イズムのメリットをもたらすかどうかです。 他の 3 つの提案されたサイトを調べてみましょう。これらはすべてアラビア北西部にあり、ワディ タイイブ アル イズムから数十マイル以内にあります。 最初の最北端の候補はワディ・ヌワイビで、これはアカバからわずか 12 マイルほど南にあり、ヨルダンとサウジアラビアの 1961 年の国境近くにあります。 河床はヨルダン領土内の紅海に達し、サウジの国境の町アル・デュラの北 2 マイルにある 4。 この情報は正しいです。明らかに春によって新鮮になった小川は季節的ではありません。つまり、冬やモンスーンの雨には依存しません。

 この場所にモルモン教徒の関心が向きWikipediaにも

Wikipedia Tayyib Al Ism アラビア語のページ
https://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%B7%D9%8A%D8%A8_%D8%A7%D8%B3%D9%85

Tayyib Al Ism は、サウジアラビア北西部のタブーク州にある地域です。 約314メートルの高台にあります。 紅海であるアカバ湾の東海岸から東に 10 km の場所にあります。 村の西側には手付かずのサンゴ礁があります。 タイブの場所は一部のモルモン教徒にとって重要であり、モルモン書で言及されていると考えられています。

場所
Tayyib Asmは、マクナの中心部、州の西、28 kmの距離にあり、アカバ湾のほとりにあるタブーク市から253 kmの場所にあります。

命名法
サイトは人間の女性器官の説明と呼ばれるため、別の名前で呼ばれていたため、まったく別の名前が付けられていました。 類似性と景色の近さから、Tayyib Asm という名前の理由は、山の近くで羊を放牧していた少女の話から来たと言われています。謙虚さと純潔に覆われた彼女の本能的な知性で彼女を促し、その名前ジャバル(良い名前)は井戸からの脱出であることを彼らに伝えるために、山の本当の有名な名前を発音することを控えました。女性の女性器全般を象徴する通称。

説明
「Tayyib Asm」は高い山の真ん中にある裂け目で、一年を通して真ん中に水が流れています. Al-Bahri の入り口にはヤシの木のオアシスがあり、裂け目は非常に狭く、車が 1 台しか通行できません。合格。 谷間には 3 つの泉があり、その中で最も甘いのは海に近い泉です。

アクセス方法
Al Bidda から Maqna までの海岸を横切る、 ムクナの指導者からの許可を必要とする道路。
アル ビダからの険しい砂漠の道 (33 km) は、そこに到達するのに 1 時間かかる場合があります。
(このページの最終更新日は 2022 年 12 月 11 日 13:43 です。)

 と記載されています。

グーグルマップ「Wadi Tayyib al Ism」


 しかしながらエルサレムからWadi Tayyib al Ismまで、グーグルマップで道路を最短で測って約390kmもあります。まず、エルサレム在住のリーハイ一家が(ヨセフの子孫が何故かダビデの町であるエルサレムに嗣業を持っている不可思議は置いておくとして)旅慣れているとは思えませんし、エルサレム在住なら家畜を飼う家業ではないわけで、そんな人間が荒野と砂漠を天幕と食料をラクダに積んで家族と家畜を引き連れてそんな距離行くなんてまず不可能でしょう(現代人に比べて古代人が足腰丈夫だとは言え)。けどモルモン教徒はそういう矛盾は気にならないのでしょうね(笑)この谷を出てアラビア湾までの旅も、まともに考えればあり得ないんですけどね。

リーハイ一行

モルモン経 宗教コース121-122 生徒用資料 第二刷発行日1988年1月31日 P.42

 モルモン経を読むとリーハイ一行がエルサレムを出発してから3日でレーマン川とかってにリーハイが名付けた川に着いたように読めますが、2009年版のインスティテュートテキストでは

1 ニーファイ2:5 -10 リーハイはエルサレムから紅海の浜辺まで旅をした
• エルサレムから紅海までは,距離にして約180 マイル(約290 キロ),昔から多くの略奪者が横行する,暑く不毛の地域を通過しなければならない。リーハイと家族はこの地点からさらに「三日の間旅をし〔た。〕」( 1 ニーファイ2:5 - 6参照)これはエルサレムからレムエルの谷の仮の住まいまでを12 日から14 日間かけて旅したことになる(付録394 ページの地図「リーハイの家族がたどったと考えられる経路」参照)。
(「モルモン書 生徒用資料 宗教コース121-122」 2009年改訂版 p.12)

エルサレムから紅海までの道程は含めずに、紅海からさらに三日の旅をしたとモルモン経のテキストにはない解釈をしています。そうしないとレーマン川がスエズ湾のアラビア半島側にあるいずれかの川とすることが出来ないからでしょう。いやはやなんとも・・・・。

 続いてモルモン書の「紅海」という訳語に付いて、ヘブライ語の聖書ではYam Suph(葦の海)で、「紅海」は七十人ギリシヤ語訳聖書でΘάλασσα των Καλαμιών(サラッサ・トーン・カラミオーン、「葦の海」)とは訳さずに、Ερυθρά Θάλασσα(エリュスラ・サラッサ、「紅海」)としたことから、七十人訳聖書を使用していたキリスト教で一般化しました。ラテン語を使う西方キリスト教でも七十人訳聖書の影響から古ラテン訳聖書、ラテン語ウルガタ聖書でもMare Rubrum(紅海)と訳されました。もちろんKing James VersionもRed Sea(紅海)と誤訳したままです。しかし、紀元前3世紀以降に訳された七十人ギリシヤ語訳聖書の訳語の影響が、ゼデキア王の時代のニーファイの記録に出てくること自体あり得ないことです。

 そうすると前掲のFAIRという団体のサイトでは次のような記事で回答しているつもりになっています。

Question: Should the phrase "Red Sea" in the Book of Mormon actually be the "Reed Sea" based on a suspected mistranslation in the Bible? (質問:モルモン書の「紅海」という言葉は,聖書の誤訳の疑いから,実際に「葦の海」であるべきでしょうか。)

"・・・
 モルモン書:欽定訳の「紅海」が間違っていたとしても,モルモン書の翻訳の正しさについて結論を出すことはできません。使徒パウロの新約聖書の書物がセプトゥアギンタ(旧約聖書のギリシャ語訳)の言語を使用していたように、今日知られている初期のより正確な写本が存在するにもかかわらず、ジョセフ・スミスは欽定訳聖書の言語を使用しました。どちらの場合も,預言者は当時最も一般的に使われていた聖文の言葉を使いました。

 KJV聖書:皮肉なことに,モルモン書の正確さの問題とは無関係であるにもかかわらず,「葦の海」の主張は,それ自体が現代の理解の誤りの産物です。

・・・"

 これもとんちんかんな回答と言わざるを得ません。まずジョセフ・スミスJrは金版に刻まれていた改良エジプト文字(変体エジプト文字)を読解して英訳したわけではありません。金版と一緒に発見した胸当てについている銀のつるでメガネのようになっているウリムとトンミムというものを通して金版を見ると、あら不思議! 英訳された文章が見え、それを朗読して、オリバー・カウドリが口述筆記したとされるものです。ジョセフ・スミスJrがKing James Versionを愛用したかどうかは関係がありません。モルモンの説明って、一つ回答すれば目先のものは解決したように見えて、実はさらに矛盾を生み出すだけのものです。

By David A. Baird/Historical Arts and Castings, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16968127
Wikipedia画像「A 21st-century reconstruction of the golden plates and the Urim and Thummim connected to a breastplate.」By David A. Baird/Historical Arts and Castings, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16968127

注) 2018年に出版された「聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語 第1巻 真理の標準 1815–1846年」 のp.58(18行目から)には、

"  それと同時に、ジョセフとオリバーは翻訳を始めました。翻訳作業は数週間休みなく順調に進み、エマも同じ部屋にいて日常の家事をこなすことがよくありました。ジョセフは時折、解訳器をのぞいて翻訳し、版に刻まれた文字を英語で読み上げました。
  聖見者の石は一つだけ用いる方が扱いやすいと感じることがよくありました。ジョセフは帽子に聖見者の石を入れると、帽子に顔をうずめて光を遮り、石をのぞき込みました。石が暗闇の中で光を放って輝くと、言葉が現れます。それをジョセフが口述し、オリバーが素早く書き写したのでした。"

とあり、解訳器だけでなく、かつて詐欺で使っていた石ころである「聖見者の石」と称する石を帽子に入れて、そして帽子をのぞき込むという、かつては地下に埋蔵されている昔のインディアンの財宝が見えるといった方法と同じ仕方で翻訳にも使うと、今度は金版の翻訳された文字が見えるとして、それじゃあ金版なんかいらんだろという方法で訳していたと、末日聖徒イエス・キリスト教会の出版している本にはあります。

聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語 第1 巻 真理の標準 1815–1846年 URL


***

モルモン教が発行しているKJVの出エジプト記10:19、15:4、23:31の 「Red sea」の訳語に付された注

10:19注、 23:31注
OR Reed Sea.

15:4注
OR Reed Sea (also v.22).


邦語訳旧約聖書の出エジプト記10:19、13:18、15:4、23:31のYam Suphの訳語に付された欄外注

・秦剛平訳「エリュトラ海」

出エジプト10:19の欄外注
11 エリュトラ海―へ→「葦の海」(新共同訳、岩波版)、「紅海」(フランシスコ会訳)。後出13-18、15-4、23-31にも見られる。「エリュトラ海」は、たとえばヘーロドトス『歴史』1-1、1-180、1-189、1-202他の用例によれば、紅海ばかりか、アラビア湾やペルシャ湾も含む。
(「七十人訳ギリシア語聖書 Ⅱ 出エジプト記」 秦剛平訳 河出書房新社 p.55、p.57)


・バルバロ訳(講談社版) 「あしの海」

13:18注
 「あし」と訳したヘブライ語は、「い草」のことで、「海」は「湖」とも訳せる。ギリシア語訳は「紅海」と訳するが、ヘブライ人がそのとき紅海を通って脱出したとは思えないし、紅海に、あしや、い草があったかどうか疑問である。今のスエズ、あるいは紅海までは、あまりに遠い道のりで、信じがたい(14・2)。

23:31注
 アカバ湾のこと(荒野14・25)。「ペリシテ人の海」は地中海、「荒野」はアラビア砂ばく、「川」はユーフラテス川。


・フランシスコ会訳2011年合本版 「紅海」

10:19注
 (3) 「紅海」は、アジア大陸に位置するアラビアとアフリカ大陸に位置するエジプトの間を北方へ伸び、シナイ半島東側のアカバ湾と同半島西側のスエズ湾に二分する。23・31と他の個所(民14・25、21・4、申1・40など)に出る「紅海」は、アカバ湾を意味するが、本節の紅海はスエズ湾を指すと考えられる。ヘブライ語ではあらゆる箇所で「葦の海」が使われるが、これは恐らく、現在はスエズ運河の水路の一部である(葦が生育可能な)淡水湖と解するのが正しいと思われる。イスラエルの子らはエジプトを脱出したとき、この場所を足をぬらすことなく渡った(13・18参照)。他方エジプトで成立した七十人訳では、あらゆる場所で「紅海」が用いられている。


・岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳 「葦の海」
10:19注
 八 この候補地として、次の三箇所が挙げられている。シナイ半島東側のアカバ湾(王上九26と同所の注を参照)、シナイ半島西側のスエズ湾、地中海沿岸でバルダウィル湖など複数の湖がある所(巻末の地図3 「葦の海、荒野、シナイ」参照)。


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