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マタイ福音書第27章25節


 キリスト教関係でYouTube動画を見ていたところ(YouTube動画でキリスト教関連のことばで検索すると、ほとんどキリスト教の異端(モルモン、エホバの証人、統一教会とその分派、中国の全能神教会、韓国系のキリスト教異端の諸団体)や破壊的カルト団体、若しくはキリスト教に否定的な動画ばかりが出てきます。ちゃんとしたキリスト教会や教団、また信徒のYouTubeチャンネルはなかなか出て来ないので困りものです。)、一般のキリスト教徒と思われる方の個人的動画が目につきました。以前にもこの方の動画はいくつかの日本語訳聖書についてのものを二つ三つ見たことがありました。今回はハマスによるテロ行為を発端としたイスラエルによるガザ地区における報復的な民族浄化的な虐殺により、イスラエルに対する批判(ユダヤ人どもは反ユダヤ主義だと論点をすり替えてはいるけれども)がいろいろと見聞きされるようになった時節にアップされたものでした。

『「イエスの創成の書と反ユダヤ主義払拭(協会共同訳による)」ゆるゆるキリスト教雑記帳』 (亀さんのゆるゆるキリスト教)

 この動画の中で、新約聖書のマタイ福音書第27章25節について、次のように語っておられました。

" 新共同訳では、「その血の責任は、我々と子孫にある。」となっていたんですね。同じく新改訳2017は、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と言う風にですね直訳しているんですね。協会共同訳の「かかってもよい」と言うのはですね、付け足しで補っているわけなんですね。これはまあ、新改訳2017のように直訳の方が良いと私は思いますね。「我々と子孫にある」という風に訳しますと、イエスを十字架刑にした責任は、未来永劫にユダヤ人たちにあるということになるとなるんですねぇ。未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。そうではなくて、「私たちや私たちの子どもらの上に」であれば、限定的なんですねぇ。イエスが十字架刑にかけられたのが、紀元30年頃だといたしますと、その40年後に起きた、いわゆるユダヤ戦争によってですね、エルサレムの神殿は破壊されて、ユダヤ人たちは離散してしまうわけで、まさしく子供らの上に、離散の運命が訪れるわけで、マタイ福音書通りになったということができるんですね。マタイはですね、エルサレム神殿の破壊、ユダヤ人たちの離散を見ておりまして、この個所を書いたかもしれませんね。まあ、日本語訳がより良い訳になっていると、この個所を見ると実感いたします。 "

 批判や否定ではなく、主張に対する感想と意見としてちょっと書きたいと思います。新共同訳の意訳と直訳の問題は置いておいて(この個所において新共同訳の意訳が、別に原文の意味を変えているようなものではないので)、この動画ではユダヤ人たちがイエスの十字架の「血の責任は、我々と子孫にある」(共同訳)と言ったのを、新改訳2017で「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」と直訳しているのは、子々孫々までではなく、親子二代だけの限定的な話しなんだと受けとられたようです。根拠としてユダヤ人の離散を第一次ローマ・ユダヤ戦争における神殿の破壊と離散によって成就したように考えているようです。しかし、ユダヤ人離散は紀元前から緩やかに始まっていて、第一次ローマ・ユダヤ戦争(これについてはヨセフスの「ユダヤ古代誌」や「ユダヤ戦記」、「自伝」なんかが参考になります。)、そして、バル・コホバの乱(第二次ローマ・ユダヤ戦争)の敗戦で決定的になったのはエウセビオスの「教会史」なんかを読むと分かりやすいように見えます。

"  バル・コホバの乱
 (6) ・・・
 戦争は〔ハドリアヌスの〕治世18年に(134年8月から135年8月まで)、ベッテラでその頂点に達した。そこはエルサレムからそれほど遠くない堅固な要塞の小さな町だった。包囲は長期間続き、ついに叛徒たちも飢えと渇きで破滅に追いやられ、彼らを狂気に駆り立てた張本人もそれにふさわしい罰を受けた。ハドリアヌスは法令と勅令により、〔ユダヤ人の〕民族がそれ以後はエルサレム近くの土地に立ち入るのを禁じた。そのために彼らは、父祖たちの土地を遠くから眺めることさえできなくなった。ペラびとのアリストンが〔そのように〕語っている。こうして、ユダヤ民族の都は荒廃し、古くからの住民も完全に姿を消し、外国人の植民地になった。そして、その後ローマ風の町になったその都は名を改められ、ときの支配者アエリウス・ハドリアヌスを記念してアエリアと呼ばれた。・・・ "
(「エウセビオス「教会史」」 秦剛平訳 講談社学術文庫 p.221)


" バル・コホバの乱が失敗した後、ユダヤ人はエルサレムの入場を禁止された。彼らはローマ帝国内の各地へ離散し、世界各地でユダヤ教とその文化を守り、育んでいった。"
(「聖書考古学 遺跡が語る史実」 長谷川修一著 中公新書 p.209)


 ハドリアヌス帝の勅令により、荒廃したエルサレムだけでなく近郊の土地にもユダヤ人の立ち入りが禁止され数世紀の間続きました。イエスの十字架から親子二代ではなくひ孫玄孫の代になって起こったことになり無理筋な解釈じゃないのかなーと思いました。

 また、「未来永劫であるから、ずーっとユダヤ人たちはですね、迫害し差別して当然だと、こういうことになってしまうんですね。」とも述べておられましたが、「その血の責任は、我々と子孫にあ」ったとして、その責任を問い追及されるのは父なる神であって、われわれ人間が行うものではありませんし、そもそも権利もありません。キリスト教がローマ帝国の公認宗教となり、さらにヨーロッパにおいて力を持った中、よそからやって来て住み着いたこの異質な文化や風習を持ったユダヤ人が差別や迫害がなされたこと、その理由づけの一つにマタイのこの個所が使われたのは聖書の悪用です。長い歴史の中で、欧米においてそのような悪用がなされたからと言って、それで親子二代解釈が可能かと言えば無理じゃないかと思います。

 主な日本語訳といくつかの外国語訳を引用しますが、親子二代と解釈できるようなものはないと思います。

ヘボン訳(1873年)
民みなこたへていひけるはその血はわれらとわれらのすゑにかかるべし

明治元訳
民みな答て曰けるは其血は我儕と我儕の子孫に係るべし

大正改訳
民みな答へて言ふ『其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし』

口語訳
すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新共同訳
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

新翻訳事業パイロット版
民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と我々の子孫にある。」

聖書協会共同訳
民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」

新改訳(第一版)、新改訳(第二版)、新改訳(第三版) 
すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

新改訳2017 
すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」

詳訳聖書
すると人々はみな答えた、「彼の血〔の責任〕は私たちと私たちの子孫の上にかかれ」。[ヨシュア21・9]

リビングバイブル(1982年版、1993年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまうもんか。 責任はおれたちが負ってやらあ。 子供らの上にふりかかってもいいぜ」とざわめき立てるのでした。

リビングバイブル(2016年改訂版)
すると群衆は大声で、「かまわない。責任はおれたちや子どもたちの上にふりかかってもいい!」と叫びました。

上田将訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「馬太傳聖福音」1892(明治25)年)
民皆對へて曰く其血ハ我等と我等の子孫に歸せん

正教会訳
民皆對へて曰へり、其血は我等及び我等の子孫に歸すべし。

高橋五郎訳(国立国会図書館デジタルコレクション、「聖福音書 上」1895(明治28)年)
民擧(こぞ)りて答えて曰ふ、彼の血ハ我等の上および我等の子孫の上に〔歸せよ〕。

ラゲ訳(1910年)
人民皆答へて、其血は我等と我等の子等との上に[被れかし]、と云ひしかば、

ラゲ訳(1959年)
人民みな答えて、その血は、われらとわれらの子どもとの上に〔かかれかし〕、と言いしかば、

バルバロ訳新約1953年
人民は皆答へて、「その血は、我らと我等の子孫の上に」と言つた。

バルバロ訳新約改訂版1957年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

フェデリコ・バルバロ=デル・コール共訳聖書1964年
人々はみな、「その血は、われわれとわれわれの子孫との上に〔かかれ〕!」と答えた。

バルバロ訳聖書1980年講談社版
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

バルバロ訳新約聖書1981年新装改訂版講談社
民は「その血はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってよい」と答えた。

フランシスコ会訳(1977年四福音書、1979年版中型新約、1980年版小型新約、1984年改訂版)
人々は皆これに答えて、「その人の血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上に」と言った。

フランシスコ会訳(2011年改訂版)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

フランシスコ会訳2013(Web)
民はみな、これに答えて言っ た、「その男の血は、われわれとわれわれの子孫の上に」。

本田哲郎訳
すると民はいっせいに言った、「その男の血はわれわれが、われわれの子孫がかぶる」。

ケセン語訳(山浦治嗣訳)
国民(くにだみ)ァこぞって答(こで)ァだ。「その血の責めァ、俺等(おら)ど、俺等(おら)ァ子孫(すそん)さ掛がれ。」

山浦治嗣訳(「ガリラヤのイェシュー」)
そこに集まっていた者どもは口を揃えて答えて、言った。「その血ィの責めは、われらと、われらの孫子の上にかかってもよろし!」□(原書、このセリフを京都弁に訳したことを表す京の字の四角の囲み文字。)

キリスト新聞社口語訳
これに對して民のすべては言つた。「その血については私たちと私たちの子孫とが責任を負おう。」

永井直治訳(1928年Web)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の兒等の上に。

永井直治訳修正版(1960年)
乃ち民みな答へていへり、彼の血は我等の上に、また我等の児等の上に。

前田護郎訳
民は皆いった、「彼の血はわれらと子孫の上に」と。

塚本虎二訳
民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

岩隈直訳
全民衆は答えて言った、「彼の血(の報い)はわれわれとわれわれの子孫の上に(来い)」。

柳生直行訳
群衆たちが異口同音に答えて言った、「その血の責任はわれわれとわれわれの子孫が負う。」

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳1995(Web)、2004年
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、われわれとわれわれの子孫の上に〔ふりかか れ〕」。

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳2023年改訂新版
すると民全体が答えて言った、「彼の血は、我々と我々の子らの上に〔ふりかか れ〕」。

田川建三訳
そしてすべての民が答えて言った、「その血は我らと我らの子孫に(ふりかかるがよい)」。

国際ギデオン協会New Bible(泉田昭訳)
民衆全体が答えて言った、「彼の血は、われわれと子孫の上にふりかかってもよい」

エマオ出版訳(山岸登訳 2008年版)
すると、民衆はみな答えて、「その人の血は、私たちや子どもたちの上に(かかれ)。」と言った。

金の器社「ギリシャ語直訳新約聖書コンコルダンス付」
すると民衆はみな答えて言った。「彼の血は、私たちの上に、また私たちの子どもたちの上に」

「聖書から差別表現をなくす試行版新約聖書・詩篇(英語・日本語)」
すると人々はこぞって、「この男の血の責任はわれわれとわれわれの子孫に」と答えた。

TR新約聖書(エターナル・ライフ・ミニストリーズ)
すると民はみな答えて言った。「彼の血は、我々の上に、また我々の子どもたちの上にあれ」

新和訳(池田博訳)
民はこぞって答えて言った、「彼の血は我々の上に、我々の子らの上に!」

「ALIVE+ERV 新約聖書/NEW TESTAMENT BIBLE」
「そう言われなくとも彼の死の責任はすべて私たちがとりますよ!私たちとその子どもから子孫までのせいにどうぞしてください!」

電網聖書(Web)
民全体が答えた,「彼の血は,我々と我々の子孫の上にふりかかってもよい!」

新世界訳(1973年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子どもとにふりかかってもよい」。

新世界訳(1982年日本語版、1985年日本語版)
すると、民はみな答えて言った、「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」。

新世界訳(2019年日本語版)
民は皆、「彼の血についてはわれわれと子供たちが責任を負ってもよい」と答えた。

・日本語訳で現代訳(尾山令仁訳)、創造主訳(尾山令仁訳)、回復訳は省略。


***

KJV
Then answered all the people, and said, His blood be on us, and on our children.
それから民全員に答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

Revised Version
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

ASV
And all the people answered and said, His blood be on us, and on our children.
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

RSV
And all the people answered, “His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。

The Message
The crowd answered, “We’ll take the blame, we and our children after us.”
群衆は「私たちと私たちの子供たちが責任を負います。」と答えた。

Amplified Bible, Classic Edition
And all the people answered, Let His blood be on us and on our children!
すると民は皆、「主の血が私たちと私たちの子供たちに降りかかるように!」と答えた。

Amplified Bible
And all the people answered, “Let [the responsibility for] His blood be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血の責任を私たちと私たちの子供たちに負わせましょう!」と答えた。

New King James Version
And all the people answered and said, “His blood be on us and on our children.”
すると民は皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。

New International Version
All the people answered, “His blood is on us and on our children!”
人々は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかっています!」と答えました。

New American Standard Bible
And all the people replied, “His blood shall be on us and on our children!”
すると民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちにかかるだろう!」と答えた。

James Moffatt New Testament
To this all the people replied, "His blood be on us and on our children!"
これに対して民は皆、「彼の血は私たちと私たちの子供たちに降り注ぎなさい!」と答えた。


**

Luther Bibel 1545
Da antwortete das ganze Volk und sprach: Sein Blut komme über uns und unsere Kinder.
すると民は皆答えて、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」と言った。

***

聖經 (和合本)
衆人都回答說、他的血歸到我們、和我們的子孫身上。
すると彼らは皆答えて言った、「彼の血は私たちと私たちの子供たちの上にありますように」。


 ここで「子孫」「子ら」「子供たち」と訳されている語はテクノンという語で、子供、息子と訳される語で、複数形の場合「子孫」などとも訳されます。七十人訳聖書においてヘブライ語acharith(#319)、ben(#1121)、taph(#2945)、yeled(#3206)など15個の単語などがテクノンと訳されたりしています。

τέκνον LXXコンコルダンス
(Edwin Hatchによる七十人訳聖書のコンコルダンスより)

レビ記25:46 新改訳2017
あなたがたは彼らを、あなたがたの後の子孫にゆずりとして与え、永遠に所有として受け継がせ、奴隷とすることができる。・・・
七十人訳聖書秦剛平訳
おまえたちはおまえたちの後の子らに、彼らを分け与えることができる。・・・
καὶ καταμεριεῖτε αὐτοὺς τοῖς τέκνοις ὑμῶν μεθ᾽ ὑμᾶς・・・
そして、それをあなたの子らに分け与えなさい。(Google翻訳)

使徒13:33 新改訳2017
神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二編に、
ὅτι ταύτην ὁ θεὸς ἐκπεπλήρωκεν τοῖς τέκνοις [αὐτῶν] ἡμῖν ἀναστήσας Ἰησοῦν ὡς καὶ ἐν τῷ ψαλμῷ γέγραπται τῷ δευτέρῳ·
これは、詩篇第二篇に書かれているように、神が復活のイエスによって私たちの子供たちに明らかにされたことだからです。(Google翻訳)

 ギリシャ語新約聖書のコンコルダンス 「Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament」 (Württembergische Bibelanstalt Stuttgart 1973年)などには

 τέκνον filius ᵇfiliotus ᶜfilia ᵈnatus ᵉsemen
1) proprie dictum : progenies, stirps

τέκνον 息子(・子孫・後継者) ᵇ息子 ᶜ娘 ᵈ生まれる(誕生) ᵉ 種(・子孫)
1) 正確に言えば、子孫、血統

Mat
   27 25 τὸ αἷμα αὐτοῦ - καὶ ἐπὶ τὰ τ. ἡμῶν


2) τέκνον significatione translata

2) τέκνον の意味の翻訳 

とマタイのこの個所は 「1) 正確に言えば、子孫、血統」 の方に入れています。


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掛け軸風の創価学会の御形木本尊と掛け軸の日蓮正宗の御形木本尊


 以前、「日蓮」関係について動画検索していた時に、よく「ニセ本尊」という言葉が使われている法華講員(日蓮正宗の信者)による創価学会・顕正会批判の動画が目につきました(今も仏教関係で検索すると変わらず出てきます。あと顕正会の折伏被害動画や法華講員による顕正会批判動画、浄土真宗系の新興宗教団体の親鸞会系の動画なんかもよく出てきます。本当にこの系統は邪魔です)。その中のどれかで、創価学会の本尊はペラペラの一枚刷りのものという批判があったのを思い出し、創価学会の御形木本尊と日蓮正宗の御形木本尊を見比べてみました(印刷機の無い時代は「形木」(書写した本尊を木の形木に彫り込んだもの。版木)で木版印刷したことからきた名称だろう。ようはこの本尊は手書きじゃなく印刷されたものですよということだろう)。

正宗・学会 御形木本尊


 大きさは創価学会の方が幅が3cmほど広く、縦も創価学会の本尊の八双(掛軸の一番上に付いている半円形の木製の棒)と軸棒(掛軸の一番下に付いている、掛軸を巻く時の木製の芯棒)の間に正宗本尊が収まる感じで、見た目も学会の方がずんぐりして、正宗の方が長方形でスリム(小さい)という感じです。

日蓮正宗御形木本尊と創価学会御形木本尊を重ねたもの
(二枚を重ねて、片方を揃えてみると学会の方が幅広なのが分かりやすい)

 学会の方は本当に日寛書写(江戸時代の日蓮正宗のトップ(法主)だった坊さんが書いたもののコピー。著作権も切れているから使っているのかな?)の曼荼羅も、掛け軸の表装も、一緒に1枚の紙に印刷した1枚刷りの紙に八双と軸棒を付けただけの掛け軸風の本尊です。昔、日蓮の曼荼羅をポスターにしたものが、たまたま暇つぶしに買った月刊ムーの付録としてついていて(80年代か、90年代か忘れたけれど)、それをちょっと思い出してしまいました。

創価学会御形木本尊
(創価学会の御形木本尊)

 日蓮正宗の御形木本尊の方は、正宗で一番偉い坊さん(法主)が、日蓮の「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」としているものを書写したもので(同じ法主書写でもずっと同じものではなく、本尊に書かれている書写年月日ごとに新たに書いたものなのだろう)、この本尊は八双、天、左右の柱、一文字、本尊の印刷された本紙、一文字、地、軸棒とちゃんと掛け軸になっており、シンプルな「丸表装」という表装になっています。本紙が少し厚くなっているので、少なくとも本紙に裏紙があり、ベースとなる総裏紙も本尊の裏を見てみますとあります。ただちゃんとした掛け軸みたいに、表装(紙)・本紙と総裏紙の間に肌裏紙、増裏紙、中裏紙まであるかは不明です。YouTube動画で、今の正宗で一番偉い坊さん(法主)の日如さんの御形木本尊を破いている動画なんかがアップされていて、それを見ると本紙部分は裏紙が複数枚あるように見えました。本紙以外の部分は総裏紙しか無さそうにも見えました。

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏
(日蓮正宗御形木本尊(67世日顕、昭和55年6月21日付タイプ)表・裏)

掛け軸構成
(掛け軸の裏紙など。正宗の御形木本尊がこうかは分からないが、本紙部分以外は表装が総裏紙に貼られているように感じられる。)

日蓮正宗御形木本尊(67世日顕)の掛け軸構成
(「丸表装」の掛け軸の構成)

 創価学会の本尊よりはお金かかってそうだけど、一般の仏具屋で廉価で売っている表装に金襴緞子使った「仏表装」の本尊とは違い、表装も紙製で、さらにシンプルな「丸表装」、更にサイズも小さいので、一般の物に比べるとチープ感はあります。1枚刷りの掛け軸風の創価学会の本尊よりはマシな印象を持ちました。

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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