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心の貧しい者の由来は?


 新改訳2017にしても、聖書協会共同訳にしても、マタイ福音書のマカリオス(幸い)の個所、特に三節の訳文が改まっていないことにがっかりした人は多いと思います。信徒が、翻訳の底本であるギリシャ語新約聖書の校訂本について、無知であった時代はもう遥か昔のことで、まあ、関心のない人は別として、聖書を学ぼうとしている人たちはそういうものも利用していていますから、昔のように翻訳聖書を原語を調べもせず、他の翻訳と比べたりもせず、神のことばとして素朴に有難がっているというのはもう信徒像としては少しは減ってきていると思います。

 今朝、Yahoo!ブログに昔書いた記事「霊において乞食である者ら」をこちらに引っ越してきましたが、明治時代の訳文がいまだに改められることなく使われ続けている事は驚くべきことです。

明治時代に、まだ国語も明治新政府によって定められていない時に、外国人宣教師たちがKing James Version(ジェームズ王欽定英語訳)聖書からたどたどしい日本語に訳し、それを日本人補佐人たちが漢訳聖書などを参考に手探りで訳語を選び、ちゃんとした文章語に仕立て直し、日本語訳聖書を作り上げた功績はとても大きなものですが、しかし、原語とのズレが138年間も改められないというのは聖書協会の翻訳者たちの怠慢です。

 聖書協会共同訳も新改訳2017も、さすがにまずいと思ってなのか、欄外の注に "直訳 「霊において貧しい人々」" とギリシャ語底本の直訳はこうですよと申し訳程度に書いています。いやいやいや、欄外じゃなく本文にそれを入れろよと思ってしまいます。

 では、「プトーコイ トゥー プネウマティ」が、どうして「心の貧しい者」となったのでしょうか。これについてはKing James Versionと漢訳聖書を見て行くしかないでしょう。

King James Version
3 Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven.

 「spirit」は「心」と訳し、そのまま「心の貧しい」としたのかもしれません。

ヘボンは委員会訳以前にマタイ福音書を訳していますが、そこではこう訳していました。

5:3こころのうちへりくだるものはさいはひなるものなり

 ヘボン訳でも「spirit」は「こころ」と訳されていました。しかし、「poor」に「へりくだる」の語意は辞典を見る限り見当たりません。ということは漢訳聖書の影響が考えられます。次に当時の主な漢訳聖書を見たいと思います。

漢訳聖書の系図

裨治文译本(ブリッジマン=カルバートソン訳) 1859年
1耶穌見群衆、則登山、旣坐、其門徒就之。
2遂啓口教之曰、
3虛心者福矣、以天國乃其國也。
4哀慟者福矣、以其將受慰也。
5溫柔者福矣、以其將得土也。
6飢渴慕義者福矣、以其將得飽也。
7矜恤者福矣、以其將見矜恤也。
8清心者福矣、以其將見神也。
9施和平者福矣、以其將稱爲神之子也。
10爲義而遭迫害者福矣、以天國乃其國也。
11人爲我而詬誶爾迫害爾、且妄言諸惡以謗爾、則爾福矣。
12爾宜欣喜歡樂、以在天爾所得之賞大也、蓋人曾如是迫害先於爾之預言者矣。

「神天聖書」 馬禮遜譯本  1823年
1耶穌見大衆旣登山、而坐時厥門徒就之。
2且開口教訓伊等、
3曰、心貧者爲福矣、蓋天國屬伊等。
4憂悶者福矣、蓋伊必將受慰也。
5謙遜者福矣、蓋伊等必將嗣其地也。
6伊等餓也渴也欲得義爲福矣、蓋伊必將得飽也。
7慈憐者福矣、蓋伊必將受慈憐也。
8心浄者福矣、蓋伊必將見神也。
9使平和者福矣、蓋伊必將稱爲神之子輩也。
10因義而接捕害者福矣、蓋天之國屬伊等。

「新遺詔聖經」 グリー訳 1864年 ギリシャ正教
1伊伊穌斯見廣衆、遂登山、旣坐、門徒集就、
2主乃啓口教之曰、
3神貧者為福、因天國係伊等所有、
4涕泣者為福、因伊等將受慰、
5良善者為福、因伊等將繼嗣安土、
6嗜義如饑渴者為福、因伊等將得飽飫、
7哀矜者為福、因伊等將蒙哀矜、
8心淨者為福、因伊等將得見天主、
9行和者為福、因伊等將稱為天主子、
10為義被窘難者為福、因天國係伊等有、
11旣人因我而誹謗爾、窘迫爾、無端諸般惡言詛詈爾、則爾實為福、
12當欣喜悅樂、因在天爾之賞厚、蓋人窘難、先爾諸先知曾如是、

代表(委員会)訳 委辦譯本又稱代表譯本 1852年
1耶穌見衆、登山而坐、門徒旣集、
2啓口教之曰、
3虛心者福矣、以天國乃其國也、
4哀慟者福矣、以其將受慰也、
5溫柔者福矣、以其將得土也、
6飢渴慕義者福矣、以其將得飽也、
7矜恤者福矣、以其將見矜恤也、
8清心者福矣、以其將見上帝也、
9和平者福矣、以其將稱爲上帝子也、
10爲義而見窘逐者福矣、以天國乃其國也、
11爲我而受人詬誶窘逐、惡言誹謗畫福矣、
12當欣喜歡樂、以在天爾得賞者大也、蓋人窘逐先知、自昔然矣、○

和合本 1906年
1耶穌看見這許多的人、就上了山、旣已坐下、門徒到他跟前來。
2他就開口教訓他們說、
3虛心的人有福了.因爲天國是他們的。
4哀慟的人有福了.因爲他們必得安慰。
5溫柔的人有福了.因爲他們必承受地土。
6饑渴慕義的人有福了.因爲他們必得飽足。
7憐恤人的人有福了.因爲他們必蒙憐恤。
8清心的人有福了.因爲他們必得見 神。
9使人和睦的人有福了.因爲他們必稱爲 神的兒子。
10爲義受逼迫的人有福了.因爲天國是他們的。
11人若因我辱罵你們、逼迫你們、捏造各樣壞話毀謗你們、你們就有福了。
12應當歡喜快樂.因爲你們在天上的賞賜是大的.在你們以前的先知、人也是這樣逼迫他們。

 こうやって見てみますと、モリソン=ミルン訳の「心貧者」が明治元訳と近いでしょう。海老沢有道の「日本の聖書」によると日本人補佐人たちはブリッジマン=カルバートソンの漢訳聖書を使っていたと推測していますが、モリソン=ミルン訳以外ですと「虛心者」ですので、それだとヘボン訳の「へりくだるもの」という訳文が漢訳聖書由来であったことがわかりましたが、「心の貧しい者」からは遠ざかってしまいます。日本人補佐人たちはモリソン=ミルン訳本も持っていたか、知っていたのではないかと思います。

 正教会の方は、正教会のグリー訳の "神貧者為福" は、そのままニコライ訳で "神゚ ( しん ) の貧しき者は福 ( さいはひ )なり" とほぼ読み下しになっています。正教の方が一つしか漢訳がない分分かりやすいです(ニコライ訳はプネウマの訳語には神の字の斜め上の方に小さい丸を付けた「 神゚(しん)」を用い、プシュケーの訳語には「靈」を使って訳し分けています)。

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