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「愛」と「赦し」の悪用

Yahoo!ブログから転載(12月ブログサービス終了に付き引っ越し)

「愛」と「赦し」の悪用
2016/3/16(水) 午後 8:26
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/14809480.html

 12日に11日付のトカナのニュースを読んでいろいろと考えてみました。まずどのような記事を読んだのかと言いますと、

【近親相姦】兄にレイプされ、全歯を抜かれた少女 ― 元アーミッシュが地獄の十代を振り返る
https://tocana.jp/2016/03/post_7887_entry.html

 というものです。メノナイト派の流れであるアーミッシュというアメリカ移民当時の生活を頑なに守るコミュニティーにおけるある女性の身に起こった兄たちからのレイプと、母親が娘を黙らせるためにとった無慈悲で残酷な行動についての記事です。

 兄たちの妹に対する強姦は許されるべきものではありません。それよりも母親や家族による隠ぺい、これは読んでいて怒りを覚えます。

 閉鎖された排他的コミュニティーの恐ろしさ、特に宗教的に厳格であればあるほど、生活環境と宗教が不可分であればあるほど、さらにこのようなことが起こってしまう危険があるのでしょう。

 聖書で近親姦はとても重い罪です。レビ記18章では、そのことを行った者を「民の中か断たねばならない」との表現が使用されるほどの重罪であるとされています。旧約聖書において「民の中(又は「一族の中から」)から断たれねばならない」ということは、放逐もしくは死の宣告を受けることを意味します。

 もちろんキリスト教は神とイスラエル民族の間に結ばれた律法下にはありません。しかし、律法の倫理規定は受け継がれています。

 教会でこのようなことが明るみにされたのなら、教会会規に基づいて裁きにかけられ、教会の交わりから除外したり(破門)、聖礼典の停止、教会の交わりから遠ざけるなど、教会的罰の及ぶことについて裁きがなされます。

 それとともに世俗法において犯罪なら、それは世俗法において司直の手によって裁かれ断罪されるべきです。そして、悪人に報いるために与えられているこの世の剣による統治に対して、隣人であるこの世の人の法秩序が正しく維持されるために進んで協力すべきです。犯罪を犯した者がキリスト者であるならなおさらです。

 また、この母親(この共同体は)、「赦す」ということを悪用し、捻じ曲げ、被害者に不当にも求めました。もちろんキリスト教において、まことに痛悔して悔い改めた者には赦しを与えますが、それは裁いたり罰をあたえないで赦すことではありません。

 コリント二2:6-8にはこうあります。

"その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。"

 ここでは何らかの罪を犯した者に処罰が下され、パウロはそれを知り、その与えられた処罰で充分だと判断し、その者に対してさらに罰を加えようとすることについて、罰の「減免」(原文はゆるしではなく罰を減免意味の語)を求めています。

 また、教会が罪を赦し交わりに回復させたとして、それで被害者に対しても「赦す」ように求めたり、強制したりすべきではありません。また、同じ交わりの中に加害者と被害者を一緒にすることは好ましいことではありません。人間には悔い改めを心底したのか見ることはできません。悔い改めた言動をしていても実は交わりに復する為、また再び犯行を起こすために表面的な悔い改めであるかもしれません。それが巧みであるために誰にも見抜けなかったりすることもあり得ます。そして、被害者の心の回復の妨げにもなるでしょうし、また、PTSDなどになっていれば悪化することも十分考えられます。狼と羊は同じ檻の中に入れるべきではありません。

 この記事の事例で言えば、彼の兄たちと両親とは世俗法においてしっかりと裁きと罰を受け、そして、隠ぺいに関わった者たちもそれぞれに裁きと罰を受けるべきです。

 もちろんそれだけではなく、教会においても教会会規に照らして正しい裁きと罰がなされるべきです。しかしながらこのような閉鎖的で排他的なコミュニティーでは行われることはないかもしれません。被害者をここから救出し、罪を犯した者たちについては、残念ながら司法による裁きだけで終わるのかもしれません。

 「赦し」と「愛」の悪用はキリスト教において、残念なことによく目につきますし、教会会規によるさばきを語れば、逆に「愛のない」とか、「律法的」、「パリサイ人」などと評される場合も見かけるところです。「愛」と「赦し」を悪用し誤用することの危険性に目を留めるべきでしょう。

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