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「霊感?息吹」、「コリント二5:14a」

Yahoo!ブログから転載(12月ブログサービス終了に付き)

霊感? 息吹
2015/10/4(日) 午後 2:00
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/14429052.html

 しばらくネットを離れていますとなかなか戻るのも億劫になってしまいます。しかし、テレビのニュースなどを見ても、TPPや安保法制のドタバタ、異常気象、大雨、火山、台風、毎日のように報道される殺人事件と交通事故、なんだかなーと思うものばかりです。

King James Only movement

 さて、King James Only movement(https://en.wikipedia.org/wiki/King_James_Only_movement)などにみられるTextus Receptusに対する一種の信仰などを、英語圏ではない日本でも、エターナル・ライフ・ミニストリーズの聖書のホームページ(http://www.bible-jp.com/)などの主張を見たり、同団体の出版したTR日本語訳の「新約聖書」などを手に取って開いてみますと、よくもこんなに盲目になれると関心もしてしまいます。

 このような呪縛は、テモテ二3:16の「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」(口語訳聖書。新改訳、フランシスコ会聖書研究所訳もほぼ変わらず)との訳にみられる神の「霊感」(新共同訳「神の霊の導きの下」)を受けて書かれたという思い込みにはまってしまっているのでしょう。

 この「霊感」と訳されているギリシャ語 theopneusts(θεόπνευστος)に「霊感」という意味がないことについて「新約聖書のギリシア語文法」(織田昭 著 教友社)の「第五課 動詞(下)、§232.分詞の親類-動形容詞 b」(第二巻p.558)に簡単に述べられており、この説明において「新約聖書ギリシャ語小辞典」(織田昭 編 クリスチャンセンター書店)を参照となっていて、辞典の方にさらに詳しく述べられていますので引用します。

"θεόπνευστος,-ον(>θεός, πνέω) 神の息を吹きこまれた,神の霊を吹きこまれてある,神の息のこもった,神の霊がこもっている; Ⅱテモ3:16, πᾶσα γραφὴ θεόπνευστος は協会訳に,聖書はすべて神の霊感を受けて「書かれたものであって」と訳しているが,この句は決して,過去において神の霊感によって「書かれた」という歴史事実に言及するのではない.つまりこの句はむかし聖書記者たちが神の霊感を受けて書いたと言っているのではない(それをはっきりのべるのは,むしろⅡペテ1:20である; ἐπιλύσεως 参照).この動詞を欠く簡単な文はむしろ最も自然にἐστίνを補って読むべきである.すなわちこの省略文の意図する所は,「聖書はどこを取ってみても現に神の息がいぶいている書である」となる.
-στοςという語尾は元来受動的で,神の霊(息)が「こめられている」ことをあらわすが,これは過去のことに言及するのではなく,現に読者との関係においてそうである(ἐστίν)ことをあらわす.すなわち聖書の言葉は神の息を吹きこまれてある言葉であって,その故に現にその中から神の息がいぶいている言葉であり,読む人の霊に力強く働いて神の霊(息)のエフェクトを及ぼさないではおかぬ生きた本である,ということがこの一句の意図である.参照ヨハ16:8,同3:8;参照πνεῡμαの①(a)およびπνέωの項."

 田川建三も田川訳の新約聖書において「書物はすべて神的に霊的な」と訳出し、同個所の註において、

" このせりふは後世のキリスト教、特に近現代アメリカ・ファンダメンタリストが好んでやまない「聖書霊感説」なるものの根拠になったせりふの一つである。彼らはこれを強調して「逐語霊感説」とか称して、一語一語すべて神の霊によって書かれたものだ、なんぞとおっしゃるのだから、あきれてものも言えない。
 この文を、口語訳聖書は聖書霊感説に配慮したのか「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもの」などと訳している(新共同訳の「神の霊の導きの下に書かれ」も同趣旨)。しかし原文には「霊感」などという語はどこにも見出されない。「神的に霊的な」と訳したのは合成語(theopneustos)、「神」(theos)と「霊」(pneuma)をくっつけて一語の形容詞にしただけのもの。確かにこの「霊」は「神の霊」を考えているのであろうが、「霊的な書物」というのと(内容が「霊的」であるということ)、「霊感を受けて書かれた書物」というのとでは、だいぶ話が違う。"

と説明しています。織田氏の「神の霊が息吹いている書」とは解釈的には違いますが、ともに原語としてこの語に「霊感」などという意味がないことにおいて一致しています。

 詳訳などは訳語の補足(本文に続いて<>で囲った部分)ではドグマに引きずられた伝統的訳を踏襲しているものの(英訳版も同じ)、第一義に「神に息吹かれたもの」(God-breathed)と訳出しています。あとはリテラルであるKJⅡVも同様に訳しています。エホバの証人などは「参照資料付き聖書 新世界訳」などでは、

"「神の霊感を受けた」。字義,「神が息を吹き込んだ」。ギ語,テオプネウストス; ラ語,ディーウィーニトゥス インスピーラータ; エ17(ヘ語),ベルーアハ エローヒーム,「神の霊によって」。"

と脚注に直訳を載せていますし、「王国行間逐語訳」のインターリニアもそうしていながら、やはり米英キリスト教から発生した破壊的カルトらしく伝統的なドグマを踏襲して教義形成をしたため

"聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。"

とほぼ変わらない訳になっています。

 ルーテル派の教義学の書であるジェーコブズの「キリスト教教義学」(聖文舎)には、伝統的な解釈に立ちつつ(テモテ二を根拠とはしていない)このようにも述べています。

" きょう、み言を読んだり聞いたりするすべての人々に働かれる聖霊の働きによって。
 聖書は神の生命と
 聖書は神の生命と力の尽きることのない泉である(ヘブル四章一二)。生命は活動を意味する。「聖書はそれが書かれた時、神が著者を霊感されたことだけによって、霊感を受けた書物というのではない。それが読まれる時に、神が聖書を通して霊感を与えられるという意味においてもそうなのである」(ベンゲル)。・・・"

 このテモテの個所を字義において読み解く方が、逐語霊感などという怪しげなものに囚われるより、読む時に息吹かれる神の霊の方が、キリストを見出せるような気がしてならない。

***追記20190425****
ジェーコブズの「キリスト教教義学」で引用されているベンゲルの個所

ヨハン・アルブレヒト・ベンゲル著 グノーモン第四巻(Gnomon Novi Testamenti Vol. 4. ) の英訳版より
第二テモテ3章16節

16. II&go. Ypop”, all Scripture) The sacred Scripture, in all
its parts. All the latest epistles of Paul as much as possible
recommend the Scripture.—0sórysvgrog, given by inspiration o
God) This is a part, not of the subject (for what Scripture or
class of writings [as Scripture means] Paul intends, is evident
in itself, as elsewhere, so in this passage), but of the predicate.
It was divinely inspired, not merely while it was written, God
breathing through the writers; but also, whilst it is being read,
God breathing through the Scripture, and the Scripture breath
ing Him [He being their very breath]. Hence it is so profitable.
—ºrp); 61320xxxfoy, for doctrine) Doctrine instructs the ignorant;
reproof convinces also those who are labouring under error and
under prejudice; correction recalls a man from wrong (obliquity)
to right (rectitude); training [“eruditio, Engl. Vers, instruction]
in righteousness positively instructs; ch. ii. 24; Sir. xviii. 13.

****20190514追記****

Luther Bibel 1545
 2 Timotheus 3
16 Denn alle Schrift, von Gott eingegeben, ist nütze zur Lehre, zur Strafe, zur Besserung, zur Züchtigung in der Gerechtigkeit,

von Gott eingegeben 「神から息吹かれる」

Tyndale - 1534
16 For all scripture geve by inspiracion of god is proffitable to teache to improve to amende and to instruct in rightewesnes

by inspiracion of god 「神の霊感によって」

King James Version
16 All scripture is given by inspiration of God, and is profitable for doctrine, for reproof, for correction, for instruction in righteousness:

The Revised Version
16 Every scripture inspired of God is also profitable for teaching, for reproof, for correction, for instruction which is in righteousness: 17 that the man of God may be complete, furnished completely unto every good work.

Revised Standard Version
16 All scripture is inspired by God and[a] profitable for teaching, for reproof, for correction, and for training in righteousness,

Revised Standard Version Footnotes:
a.2 Timothy 3:16 Or Every scripture inspired by God is also

前田護郎訳
16すべて聖書は神の霊に満ちていて、教え、いましめ、改善、義への教育に益があります。


***「霊感? 息吹」へのコメントとレス***

コメント(4)

聖書を読む時に読み手が神の霊の影響を受けるということですか。とても興味深いですね。ありがとうございます。
ファンダメンタルの聖書の逐語霊感的解釈にはうんざりですね。
[ Anastasia ] 2015/10/6(火) 午後 0:41 返信する

*

> Anastasiaさん

ハルナックは「キリスト者は聖書が神の霊感を受けたと信じるから、キリストを信じているのではない。そうではなく、そこにしるされた真理を通して、キリストを信じるようになったから、聖書は神の霊感を受けていると信じている」(「聖書と霊感」)と言っていますね。

ファンダ系と派生カルト(JWなど)は、原義から離れて盲目的になっていますね。
2015/10/6(火) 午後 1:19 返信する

*

霊感という語が惑わせますね。

神の息がかかった

と聞くとなるほどと安心します。

せっかく新世界訳の脚注も字義を書いてあるのに
なんにも役に立っていませんね。
2015/10/6(火) 午後 8:11 返信する

*

> 一匹狼のまーくんさん

ラテン語訳のインスピラータが後代に意味合いが変わってきてこうなったのかもしれませんね。

JWはねー(笑)思考停止してますから。
2015/10/6(火) 午後 8:50


***


コリント二5:14a
2015/3/4(水) 午後 0:13
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/13831536.html

 まずはコリント第二5:14の前半のことばをいろいろな日本語訳聖書と幾つかのインターリニアから見てみましょう。そしてσυνέχωについてギリシャ語辞典と略解も合わせてみてみましょう。

The New Greek-English Interlinear New Testament 5:14 ἡ γὰρ(FOR ~ THE ) ἀγάπη( LOVE ) τοῦ χριστοῦ(OF CHRIST) συνέχει(CONTROLS) ἡμᾶς(US),

Biblos.com 5:14 ἡ(the) γὰρ(indeed) ἀγάπη(love) τοῦ χριστοῦ(of Christ) συνέχει(compels) ἡμᾶς(us),

The Interlinear Bible: Hebrew-Greek-English Jay P. Green 5:14 ἡ(the) γὰρ(For) ἀγάπη(love) τοῦ χριστοῦ(of Christ) συνέχει(constrains) ἡμᾶς(us),

明治元訳:キリストの愛われらを勉(はげま)せり

大正改訳:キリストの愛われらに迫れり。

口語訳:なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。

共同訳:なぜならキリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。

新共同訳:なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。

ラゲ訳:蓋キリストの寵我等に迫れり、

バルバロ訳(講談社版):ただ一人がみなのために死んだなら、みな死んでいると考えるとき、キリストの愛は私たちをしめつける。

フランシスコ会聖書研究所訳(1984年改訂版):なぜなら、キリストの愛がわたしたちを虜にしているからです。

ニコライ訳:蓋ハリストスの愛は我等を励ます、

新改訳(第一版):というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。

詳訳:というのは、キリストの愛が私たちを支配して<私たちに迫って<促して>いるからです。

キリスト新聞社版口語訳:何故ならば、キリストの愛は私たちをがつちりつかまえているからだ。

塚本虎二訳:なぜというか。キリストの愛がわたし達を駆り立てるからである。

前田護郎訳:それはキリストの愛がわれらに迫っているからです。

岩波書店聖書翻訳委員会訳:事実キリストの愛が、〔次のように〕判断している私たちを、しっかりと捕らえている。

柳生直行訳:われわれはキリストの愛によって圧倒されている。

ニューバイブル:キリストの愛が私たちを駆り立てているからです。

リビングバイブル: 1314自分のことをこのように言うとは、気が狂っているのでしょうか。 もし気が狂っているとすれば、それは神様の栄光のためです。 もし正気であるなら、あなたがたのためです。 確かに、私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリスト様の愛に動かされて、しているのです。

現代訳(創造主訳): 5:13こんなことを言うと、私は気が変になっていると思うかもしれない。以前にもそんなことを言った人がいた。しかし、そう思うなら思うがよい。私は神(創造主訳は「創造主」と置き換え)のためには気が変になったと言われてもよい。しかし、もし正気なら、それはあなたがたのために言っているのである。 5:14気が変になったと言われようと、正気と思われようと、そんなことはどうでもよい。キリストの愛が私たちに強く押し迫ってきている。(原文にはない、これらの訳は尾山氏の個人的解釈による創作がひどいので、さらにそれが分かるように前節より引用しました。)

エマオ出版訳:なぜならば、キリストの愛が私たちを攻め立てているからです。

回復訳:なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです.

新和訳:こう言うのも、キリストの愛がわたし達をしっかりと捕らえているからだ。

新世界訳:キリストの持たれる愛がわたしたちに迫るのです。

Henry George Liddell. Robert Scott. A Greek-English Lexicon
“5. constrain or force one to a thing, “ἡ ἀγάπη τοῦ Χριστοῦ ς. ἡμᾶς” 2 Ep. Cor.5.14;”

Thayer's Greek-English Lexicon of the New Testament
“ tropically, the soul, ἡ ἀγάπη ... συνέχει ἡμᾶς, 2 Corinthians 5:14 (A. V. constraineth);”

増補改訂新約ギリシャ語辞典 岩隈直 著 山本書店
"συν-έχω, 受未完 -ειχόμην: ①一緒にして(まとめて・結合して)おく;閉じる,(耳を)ふさいでおく;行7 57. ②押しつける(迫る);ルカ8 45. ③しっかり保持する.捕らえておく;ルカ22 63. ④〔受〕⦅比⦆熱中(没頭)する;⦅τινί …に⦆行18 5(未完.「熱中していた」か,むしろ開始を示す未完(ヘンヒェン)で,その時から「没頭(専心)した」). ⑤(悪い状態が)捉える,苦しむ,(病気に)かかっている;⦅τινί …に[よって]⦆マタ4 24.(恐怖・不安に)ルカ8 37,12 50(不安・心配である).(二つの考えによって)ピリ1 23(あるいは⑥). ⑥追い(かり)たてる.追いやる;Ⅱコリ5 14(あるいは⑦).〔受〕行18 5異(~ τῷ πνεύμττι). ⑦抑える,抑制する."

新約聖書ギリシャ語小辞典 織田昭 編 クリスチャンセンター書店
"συνέχω ①いっしょにしておく,離れ離れにならぬよう固めて保つ,抑止(抑制)する;(おさえて)ふさぐ,おおってとざす,行伝7:57;(両側から)押しつける,しめつける,(まわりから,四方から)圧迫する,押し迫る,つめる,ギュウギュウづめにする,身動きできない位こみ合い押し合う,ルカ8:45,同19:43 ②捕えて逃げないようにしておく,しっかりつかまえて(抜け出す余地のないようにして)おく,監視する,ルカ22:63;〔pass.〕(時間的に,仕事に),しばられる,専念する,行伝18:5;〔同じくpass.,c.ins.〕~にしばられている,に悩まされ(苦しめられ)ている,を病んで(わずらって)いる,に襲われて(苦しんで)いる.マタ4:24,ルカ8:37 ③せめたてる,無理じいする,板ばさみにして苦しめる,進退きわまらせる,無理に促す,強制する,ルカ12:50,Ⅱコリ5:14,ピリ1:23."

 増訂新版新約聖書略解 日本基督教団出版局
"《強く迫る》は、強制する、さしはさまれて身動きならぬさま、をいう。パウロの、このような生き方は、彼がキリストの愛に強く圧迫されていることによって、おしだされてきたものであった。キリストの愛とは、どういうことか。それは、彼がすべての者の救いのために、十字架上で死んでくださったことである。そして、そのゆえに、すべてのものが死んだ、ということである。"

 キリストの愛が、がっちりと私たちを捕え、虜にし、囲み、迫り、そして駆り立てる。なんと能動的な愛であり、精力的であるのかと思います。一つの翻訳だけを読むと一つの訳語でしかふれられない為に見落としがちになってしまいます。しかし、いろいろな翻訳者たちの原語と文章全体に対する角度により、より立体的に触れることができます。

 この箇所で述べられるキリストの愛は、これは主を知れば知るほど、抗えぬほどに力強く捕え迫ってきます。そして、わたしがそれを獲得するのでは無く、キリストの愛がわたしを獲得してくださった。獲得されればさらに迫り強く促す。それほどまでにキリストは愛してくださっておられるということ、それを聖書は繰り返しわたしたちに示しています。この短い句にこもる力強さはパウロのやむにやまれぬ気持ちの表れでもありましょう。

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