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10分の1献金問題

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マタイ23:23について 什一献金の偽り
2011/9/30(金) 午後 7:02
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/6747171.html

 つい先だってアナスタシアさんが、この個所の新世界訳についての記事を書いておられました。それで気になり、他の翻訳などを見て見ました。

 ネストレアーラントでは、末尾に
κακεινα(またそれらのことを) μη αφιεναι.(差し置いてはならない。)
 となっており、この個所で「それらのこと」と述べているのは、
αποδεκατουτε(あなた達は一割を納める) το ηδυοσμν(ハッカを) και(そして) το ανηθον(いのんどを) και(そして) το κυμινον(クミンを)
 のことを指しています。

 以下に主な日本語訳の当該個所を抜書きしてみますので見てみましょう。

元訳     …かれも亦(また)廢(すつ)べからざる者なり。

改訳     …而(しか)して、彼もまた等閑(なほざり)にすべきものならず。

ラゲ     …かのことも怠らざるべかりしなれ。

ニコライ   …彼も亦(また)遺(す)つ可(べ)からず。

口語     …これも見のがしてはならない。

新改訳二版  …ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。

新改訳三版  …ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。

バルバロ   …先のをも無視することなく…

塚本     …だが、あれもすててはならない。

フランシスコ …先のものもないがしろにしてはならないが…

共同     …もっとも、十分の一のささげ物もないがしろにしてはならない。

新共同    …もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。

岩波     …[もっとも、]前者も行なわなければならないが、…

新和訳    …もとより前者も行なわれねばならないが、…

エマオ    …だが、それら<十分の一を納めること>を無視してはならない。

現代     …十分の一のささげ物もいいかげんにしてはいけませんが、…

リビング   …もちろん、十分の一献金はしなければなりません。

新世界訳73年 …もっとも、他方の事がらも無視すべきではありません。

前田     …しかしあれも無視すべきではない。

大阪弁    …十分の一の献げもんは蔑ろにしたらあかんもんやけど…


 このように翻訳を比べるとなかなか面白いことが見えてきます。

 福音派でよく使われる新改訳ですが、昔ながらの福音派が大勢を占めていた時代の新改訳の第二版では十分の一は強調されていませんでしたが、近年の什一献金を強調する福音派や聖霊派が増えてきた現在では、教会のニーズに合わせたのか「十分の一もおろそかにしてはいけません。」との表現に改訂がなされていることは面白いことと言えます。

 また、そのこととは反対に、NCC系でよく使われる聖書協会の委員会訳では、それまでの翻訳とは違い共同訳で福音派的表現である「十分の一のささげ物もないがしろにしてはならない。」との表現がとられました。共同訳は動的等価法という翻訳原則でした。しかし、NCC系の教会からこの翻訳は受け入れられず、新たに新共同訳が従来の翻訳原則で訳されると、この個所も「…ないがしろにしてはならないが。」と「が」という表現が採られることによって、十一に目が向くのではなく、イエスの言われた正義と憐れみと誠実に目が向けられるように修正がなされました。

 エマオ出版訳、現代訳、リビングバイブル、新改訳三版など、福音派系や福音派単立系は、十分の一というものに目が向くように翻訳されているのは、意図的であるように感じられます。

追記

 回復訳は複製や転載を禁じていますので載せませんでした。

 ケセン語訳は言及されていないので省略しました。

 この記事でいう福音派は、福音派すべてを一まとめにするものではありません(コメント確認願います)

***「マタイ23:23について 什一献金の偽り」へのコメントとレス***

コメント(14)

わたしは十分の一献金はしていません。
「貧しいやもめ」の精神で奉献をしたいと思っています。

さて、訳は面白いですね。
リビングバイブルはここの箇所はちょっとひどいなあ。
[ 一匹狼のまーくん ] 2011/9/30(金) 午後 9:46 返信する

*

今晩は。この記事待ってました★w

>エマオ出版訳、現代訳、リビングバイブル、新改訳三版など、福音派系や福音派単立系は、十分の一というものに目が向くように翻訳されているのは、意図的であるように感じられます。

やはりそうですよね。その手の訳の聖書を発行している団体にとっては、新規の求道者獲得率が高い福音派や聖霊派は格好のお客様でしょうからね。
他の方が書いたブログでも、聖書の別の聖句で彼らに媚びている訳し方があると主張している人がいました。後はどの個所でしょうかねえ。
[ Anastasia ] 2011/9/30(金) 午後 10:22 返信する

*

>まーくん(一匹狼)さん

リビングバイブルみた時は、わたしもこれはひどい、意図的だと思いました。
2011/10/1(土) 午前 2:54 返信する

*

>アナスタシアさん

こうまで福音派系とNCC系が分かれると、教会の形態が違うのも分かりますね。

他の個所も見比べてみたいですね。
2011/10/1(土) 午前 3:05 返信する

*

そこの訳が十分の一献金の強調と読むならば、その箇所の解釈を誤っていることになります。福音派が用いる伝統的な注解でも、そこを十分の一の強調という意味にとっていません。

ですから、十分の一という訳仕方をしても、そんな意図を読み取る箇所ではありません。問題が有るとしたら、そういう意味に利用しようとする悪徳牧師であって、福音派全体にそういう意図が有ると考えるのは穿ち過ぎです。
[ Alexamenos ] 2011/10/1(土) 午後 10:00 返信する

*

福音派全体がこのようなことを強調しているわけではありません。

昔からある福音派ではなく、戦後発祥で、超教派の名の元に聖霊派系の影響を受けたりして、教義的混同が見られる教会や、単立系福音派、神学校のみの修了もしくは、その課程すら踏んでいない牧師や伝道者による教会設立など、福音派の中でも戦後型に見られる教会で、この手の強調がなされていますね。

わたしのブログを続けて読まれると分かりますが、「福音派」については、なるべく「一部の福音派」と書くように心がけておりますが、たまに抜け落ちることがございます。
2011/10/2(日) 午前 3:20 返信する

*

近年のキリスト教会の什一献金の強調は困ったものですね。
福音派の信徒さんと話すとわかるのですが、彼らはほとんど例外なく
什一=祝福とインプットされており、これは一種のマインドコントロールと言えます。
そして、祝福を失ってなにか悪いことがおこるのでは?という恐れから什一献金をしているようです。
これは福音を大幅にゆがめている教えです。
私たちクリスチャンにとって、この什一献金を打ち破り廃止することが、福音を日本に伝える以前に必要なのではないでしょうか?
[ しおんりべらるっぽい掲示板管理人 ] 2011/10/8(土) 午前 11:17 返信する

*

そうですね。

この考えは福音をゆがめ、信仰による救いという基本となる教え自体を否定してしまっています。

この近代のアメリカ型福音派・聖霊派の中にある什一主義、繁栄の神学を駆逐することはとても急を要する事柄だと思います。
2011/10/8(土) 午前 11:58 返信する

*

まーくん(一匹狼)さん

〉わたしは十分の一献金はしていません。
〉「貧しいやもめ」の精神で奉献をしたいと思っています。

ほう、それはご立派です。
生活費の全部を献金するということは、什一献金どころではないということですね。それは素晴らしい。
[ turumi ] 2011/10/31(月) 午後 9:26 返信する

*

>turumiさん

あなたは相手のことばの一部を取って、その人が意図していないことをわざと書き込み、いやみ的に間接的に非難をしています。そのような煽るような書き込みは御遠慮ください。
2011/11/1(火) 午前 3:39 返信する

*

言葉の一部をとって・・・というのは、まさに「ものみの塔」みたい。

まあ、やもめの「精神」で、と私は言っていますからね。
それはみなさん同じだと思います。
そのやもめだって「出来る限り」のことをしたわけだから。
ほかの「余っている中から入れた」人たちと比較している。

どこに生活費を全部献金する人がいるでしょうかね。
だれもいないですよ。
ご飯を食べ服を着て家にも住んでいる。それでもう
自分のためにお金を使っている。

こういうコメントがあることに驚きですねえ~。
[ 内緒 ] 2011/11/1(火) 午前 6:33 返信する

*

午前6:33さん、はじめまして。

内緒コメントありがとうございます。

まったくですね。わたしもそう思います。

これらの主張があるのに、わたしも驚いています。それだけ狭い領域に心があるのでしょうね。
2011/11/1(火) 午前 8:06 返信する

*

>他のほうもおろそかにしてはいけません/十分の一もおろそかにしてはいけません

イエス様が十字架にかかる前は まだ旧約聖書の律法やモーセの10戒によって生きていたので、だからイエスさまもそのように言ったのではないですか?
[ n ] 2013/3/2(土) 午後 5:36 返信する

*

>nさん

この箇所は、イエスが律法下にある群集と弟子たちに、ファリサイ派などの偽善的行為を非難し、律法の本質に目を向けさせられている箇所ですね。この章の三節にあるように、群集と弟子たちには、彼ら律法学者やファリサイはたちの教えていた口伝律法に対して、それを行い守りなさいと勧めています。問題としていたのは、ファリサイ派の偽善性であったことがわかります。また、十字架による律法の成就の前であり、ヘブライ7:12にあるようにメシアによる新しいハラハーが弟子たちには与えられました。
2013/3/2(土) 午後 6:37


*******

コリント二8:20
2011/10/2(日) 午後 2:48
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/6779245.html

 このコリント二の個所も、什一献金推進者の根拠聖句としてよく引用される個所です。ここのαδροτης(hadrotes;豊富さ、沢山;惜しまず与えること、気前のよさと解する辞典もある。)の主な翻訳を見比べてみましょう。

元訳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥餽物(めぐみ)

改訳・ラゲ訳・新和訳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥醵金(きょきん)

新改訳二版・三版・バルバロ・リビング・現代‥‥献金

口語訳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥寄付金

共同訳・新共同訳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥募金

ニコライ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥惠施(めぐみ)

フランシスコ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥この気前のよい行い

岩波‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥この豊な〔義助金〕 欄外注直訳は「この豊かさ」

エマオ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥大金

新世界訳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥惜しみない寄付

KJV‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥abundance

RSV‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥liberal gift

NEB‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥generous gift

INV‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥liberal gift

TEV‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥generous gift

NKJV‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥lavish gift


 ここでも「献金」と訳しているのは、新改訳、リビングバイブル、現代訳の三つの訳とバルバロ訳です。前三者は福音派と聖霊派とその系統の単立教会が好んで使う聖書です。

 『聖書時代史 新約篇』(佐藤研著 岩波書店)なんかを読むと、使徒言行録11:27以下で、47年から48年にパレスチナで起こった大飢饉に対して(この年は運の悪いことに土地の安息年に当たっていたので被害が大きくなった。『ユダヤ古代誌』20巻51~53.101参照)、経済的援助がパウロとバルナバを通して送られました。そして、使徒会議においても、異邦人教会からの援助が約束され(ガラテヤ2:9~10)ました。56年頃の第三回の旅行でエルサレムに向かうパウロは、集められた経済的援助が受け入れられるかどうかについて懸念を抱いていました(ローマ15:31)。しかし、使徒言行録では義援金が受け入れられたかには沈黙していることが説明されていました。

 第二コリントのこの個所は、これらのことを指しているといえます。そうであるのなら「献金」と訳すのにはかなり無理があると思われますし、全体の文脈とも合いません。また、それを什一献金の根拠に当てはめるのは暴挙といえるでしょう。

***「コリント二8:20」へのコメントとレス***

コメント(12)

NRSVはNEBと同じでした。
NWTはliberal contribution(惜しみない寄付)でした。

エマオの大金というのもすごいな。
[ 一匹狼のまーくん ] 2011/10/2(日) 午後 3:40 返信する

*

大金が欲しいのかもしれないですね。
2011/10/2(日) 午後 3:43 返信する

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なるほど。w
什一献金支持者撲滅のために今後もお願い致します。w
[ Anastasia ] 2011/10/3(月) 午前 0:33 返信する

*

神の言葉を悪用してお金を稼ごうとする輩が多いですね。
2011/10/3(月) 午前 3:01 返信する

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宗教にも、政府が税金を掛ける時代ですね。
公平に、
[ 内緒 ] 2011/10/3(月) 午前 6:11 返信する

*

それは腐敗を早めるだけで得策ではないと思いますよ。
2011/10/3(月) 午前 9:06 返信する

*

什一献金を守っている教会は、信者の収入とかを申告させたりするのですか?
[ 南三条 ] 2011/10/3(月) 午後 1:08 返信する

*

モルモンではそういう調査がありますね。

什一の教会もカルト化している教会ならあるかもしれないですね。

什一の教会と言っても、いろいろな名目の献金がありますから、総合すると二割、三割くらい献金しているなんて事もあるようです。
2011/10/3(月) 午後 3:17 返信する

*

たいていの福音派は「什一献金」と「献金」を分けています。ですから、ここを根拠に「什一献金」を推進する牧師が有ったとしたら、余程悪辣であるか、無知をさらけ出していることになります・・・。情けない。
[ Alexamenos ] 2011/10/3(月) 午後 11:01 返信する

*

ここ数十年の超教派運動によって、聖霊派、特に繁栄の神学を称える第三世界系アメリカ発や韓国系の悪しき風習が、当初は穏健な形で入り込み、今では被害を多数出すに至ったように見えます。

これらは第三世界や貧しい国での体験を元に、多く捧げるものは多くの祝福を受ける、少なくしか捧げないものは信仰が無く、裁かれるとの単純で、聖書的根拠を欠くメッセージを発していますね。
2011/10/4(火) 午前 3:42 返信する

*

什一献金とは、初代に教会が本当に生活共同体としての機能をしていた時には意味のあったことだと思います。
当時は、福祉機能も教会が持っていたので、今の税金みたいなものですね。

今日、法治国家における現代人は、税金をもう納めているので、それぞれのポケットマネーのうちから気持ちだけというのが適切ですね。
[ ANGEL ] 2011/10/7(金) 午後 5:27 返信する

*

ANGELさん、コメントありがとうございます。

什一献金という思想は、聖書の中に見出すことが出来ませんね。初代教会の教会共同体での献げ物は、現在什一献金と呼ばれるものと全く違ったものですね。

また、イスラエルの十分の一とも、什一献金は質を異にしているので、聖書的根拠のないものといえます。

「気持ち」というものが、最も大切なもので、あとは自分の教会が維持されるように、自分に見合ったものがよいのでしょうね。
2011/10/7(金) 午後 5:52


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Mammonism
2011/7/16(土) 午前 6:09
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/5329295.html

Mammon.jpg

 20世紀に入り、19世紀に生み出されたディスペンセーション主義とクリスチャンシオニズムが、生み出したプレマス・プレズレンに留まらず広くアメリカのピューリタンやメソジスト以降の教派に広まり、福音派原理主義の主流になり、新しく始まった20世紀初頭のペンテコステ運動で生み出された教会や、20世紀半ばに起こったカリスマ運動により生み出された教会、20世紀後期に起こった聖霊の第三の波運動などの教会でも、大患難前にまことの信者は、空中携挙され天国へ行くという考えは広まりました。

 終末がいつ起こるかについては、アドベンチストやエホバの証人、ファミリー・ラジオ系団体のように、年代の計算をして特定はしませんが、イエスの預言や黙示録などの終末に関する記述を、現代の社会情勢に当てはめ、終末が差し迫っているイメージを信者に持たせたり、大患難前の再臨と空中携挙を教えることにより、自分が携挙されることを信じ、終末が一日でも早く来ることを望み、終末は核戦争によって起こることを信じているクリスチャンを生み出しています。

 そればかりではなく、南米や韓国を中心とした聖霊運動は、新たに「繁栄の神学」を生み出し、Mammonismという偶像崇拝に陥りました。マモニズムは「富」を表すマモンの擬人化されたもので、後に悪魔とされたものを語源とした言葉です。聖書には『だれでも、二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも使えるということはできません。』(マタイ6:24、新改訳第三版)とあります。このみ言葉が由来とされています。

 これら聖霊派によってはじまったマモニズムは、福音派の原理主義的教会でも広まり、ビジネス的手法を用いたり、マス・メディアを活用したり、カトリック教会でさえとっくに止めた「什一税」とよばれる、収入の10分の1を献金させる「什分の一献金」を教会の信徒に義務化させ、多くささげた者は多く祝福されるとの「繁栄の神学」的主張を教え込み、メガ・チャーチと呼ばれる巨大で豪華な教会堂や施設を作り、イベント性やアミューズメント性を教会にもたらしました。

 確かに一見すると、これらの教会は栄え、多くの信徒を持ち、一回の礼拝で集まる献金も膨大な金額になります。その教会の牧師はまるでカリスマやスターです。また、教会が強大であるため、信徒たちの集まりを分化してセル化をはかり、セルのリーダー(メイン牧師ではない牧師やスタッフ)を通して牧会を行なって(メインの牧師の指導下に)、教会の礼拝メッセージは中継された画像でメインの牧師のものを見るというものです。

 これらのビジネス的手法は日本の新興宗教や新宗教でもとられて、多くの集金による利益と、潤沢な資金を背景にあちらこちらに建設された教団施設が目に付いたりします。一例をあげるのなら創価学会や幸福の科学なんかはその傾向があります。

 このようなことは、牧師の独裁化や神格化がもたらされたり、信仰がすべて「自分が救われるため」という動機になり、とても危険な状態に陥りやすくなります。現在キリスト教会でこのマモニズムに侵された教会の牧師によるスキャンダルや事件が数多く見受けられます。牧師や牧師の家族、教会スタッフ、果ては信徒同士によるいじめやDV、セックススキャンダル、献金トラブルこれらの問題が教会で見られたり聞かれたりするようになってきました。

 このような教会の指導者である牧師の肩書きも、一般の教会の牧師とは違い、一般の場合だと主管(主任)牧師、牧師、副牧師、協力牧師などですが、元老牧師だとか堂会長なんて肩書き付けている教会もあります。そういったカリスマ牧師は、教会に巣くう金食い虫のようで、たいていがよい服を着、アクセサリーを身につけ、高級車に乗り、いい家に住み、伝道や交流なんかを理由に地方や海外などに行ったりします。神に捧げられた信徒のお金でおこなっているのです。

 いま全体としてはわずかと言えますが、キリスト教の中に七つの大罪の教会が、キリスト教全体に黒い影を投げかけています。

***「Mammonism」へのコメントとレス***

コメント(6)

こういう教会がけっこうあって
わりと栄えているからタチが悪い。

わたしは静かに礼拝しているのが一番です。

近隣の教会ではそういうのはなさそうです。
[ 一匹狼のまーくん ] 2011/7/16(土) 午前 6:19 返信する

*

わたしも礼拝で手を上げて祈ったり、異言というか意味不明の奇声を上げたり、転げまわったりするのも、牧師のパフォーマンスを見せられるのも好みませんね。

教会の礼拝は神とだけ向かい合うものだと思います。

ルーテル教会の場合ですと、正面にあるのは聖卓で、説教壇は聖卓の横にあり、神様が中心であることがわかります。
2011/7/16(土) 午前 7:02 返信する

*

懐かしいカネゴンですね~ww
貧乏人ですので繁栄の神学とは無縁ですwww
講座で一緒に学んでる人が、以前ホー〇〇スの団体教会で
「車献金」という献金さえあったようです。汗
[ Anastasia ] 2011/7/17(日) 午前 2:20 返信する

*

色々と名目をつけて、献金させようと、あの手この手ですね。
2011/7/17(日) 午前 2:36 返信する

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ミイラ取りをもミイラにする秘儀 秘術を使う大道芸人が身分が低く飢えた人たちが集う清貧教会を蹂躙しているよぅ(TT)
[ はんす ] 2011/7/17(日) 午前 7:54 返信する

*

派遣村が話題になった時に、韓国系教会が炊き出しを餌にホームレスを集め、自分達の話しを聞きおわらないと炊き出しの食べ物を与えなかったり、生活の保護を受けさせて、その保護費の大半を巻き上げてしまったことまで行っていたことが、一部報道で出ていましたね。このような宗教の名をかたって金儲けを使用とする輩は、弱い人の周りに群がりやすいものですね。
2011/7/17(日) 午前 8:31


******

繁栄の信仰と什一献金は一如の関係
2011/10/12(水) 午後 8:00
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/6935217.html

 この前アマゾンで『ロックフェラーが知っていた「もうけ方」』(イ・チェユン著 小牧者出版)という本の冒頭部分を読んでみました。最初にロックフェラーが母から教えられた10か条があり、その10か条の幾つかは、一部の福音派カルトや聖霊派の中に見られる主張そのままで、多くの宗教被害者を出している思想そのままです。幾つかみてみると『…2.神様の次に牧師に仕えなさい。3.右のポケットには、常に十分の一献金を用意していなさい。…9.日曜日の礼拝は必ず所属している教会でささげなさい。』というようなものです。

 また、冒頭の推薦の言葉には、『十分の一献金に対してはさまざまな意見があります。ある人は、神様のみことばであるから絶対に守らなければならないと言い、またある人は、旧約時代のイスラエル人の伝統をそのまままねする必要はないと言います。このように、十分の一献金に対する意見がそれぞれ違っているのは、お金のことが私たちにとって非常に大切だからです。
 …お金がなければ何もできません。そのような点からみると、お金は人間の命に劣らないほど重要であると言えます。これが現実なのです。人間は命ほどに大切なお金を稼ぐために、一日一日を生きています。…よほどの財産家でない限り、収入を得るためには、当然仕事をします。そのような点で、お金は肉体を支えてくれる食物と同じなのです。
 神様に物をささげて信仰を現すのですが、それに伴う祝福に執着し過ぎてはいけません。
 作家イ・チェユン氏を通してこの本が書かれたのは、決して偶然なことではありません。多くの人が十分の一献金の重要性を悟ること、また国全体が祝福されることを神様は願っておられるからです。
 神様はまことに、私たちを祝福することを願っておられます。しかし、魚二匹とパン五つで大人の男性だけで五千人を食べさせた後の残りが、十二かごあったというすばらしい奇跡も、イエス様に自分の食べ物をささげた、ある子供の行動があったからであることを覚えてください。
 アン・イジョン(『弟よ!世の中にバカはいないよ』の著者)』とあり、読んだ感想は、なんてお金にがつがつとした人だろう。という感じを最初に受け、信仰を現すものがお金をささげることで、お金をささげれば祝福という見返りがあるということを暗に匂わせていることが窺えます。

 それで、この出版社を運営している宗教法人小牧者訓練会の教会である国際福音キリスト教会のHPを見てみましたが、ニュースで報道されて知っている方も多くいると思いますが、創立者の韓国人宣教師が準強姦容疑で裁判になり、判決で無罪になり原告側も控訴を断念したことから、無罪が確定した事件についてのお知らせなどが載せられていた以外、特に目を引くものもないので、もう一つのHPであるインターネット放送局のアガペーTVの方を見てみると、いろいろメッセージなどが在り、その中で今年の9月21日のメッセージで『献げ物への心構え』というタイトルの第二コリント9:6~15からのお話しがありました( http://agapetv.jp/page/5 )。聞いてみると、案の定、この第二コリントのこの個所を献金と解釈し、繁栄の信仰に基づいた理論展開をしていました。

 しかし、この個所はこの前も聖書の諸訳を比較した際述べたと思いますが、パレスチナを襲った飢饉で困窮しているエルサレム教会の兄弟姉妹への義援金であり、彼らの言う十分の一献金だけでなく、通常の献金とも全く関係のないことです。

 なぜなら、これは一過性の飢饉にあって、乏しい状態の兄弟姉妹を助けるためのものです。また、各地にある教会の兄弟姉妹からのもので、自分の所属している教会共同体に対する献金行為ではありません。それに、この義援金はエルサレム教会の教会の指導の任にある監督や長老、牧者、教師、執事、預言者などの奉仕職にのみ与えられたものではなく、窮地にあるエルサレム教会のすべての兄弟姉妹への援助であるということです。これは今日、教会の行っている献金行為とは全く本質を異にするものであるということです。

 さきほどのアガペーTVのメッセージでは、『今日の個所はパウロがコリントの人々に献金を勧めているところです。』と語り始めていましたが、全く的外れなことです。そして、繁栄の信仰お得意の、惜しみなくささげれば、豊な祝福があるとくり返し述べていて、見返りを求める信仰という誤った考えに陥っていることが如実に聞き取れます。

 主イエスはマタイ19:16以下で、弟子たちがユダヤ人が普通に考えていた、繁栄は祝福であり、貧しさは呪いであるという考えを否定し、『はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』と述べられました。しかし弟子たちは、ユダヤ人たちの宗教の伝統的考え方である、繁栄は神からの祝福と考えていたので、イエスのこの言葉を聞いて、『非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。』のでした。同じような因果応報的繁栄の信仰を主イエスが否定したものとして、ヨハネ9:1~3などがあります。

 しかし、米国系・韓国系・南米系福音派や聖霊派の宣教者や牧師によって、日本に創立された教会は、この手の集金理論や活動が多く見られ、多くの被害者を出しているため、それ以外のキリスト教会の障害となっています。特に什一献金をしていない普通の福音派や韓国系のまじめな教会などには、同じ福音派、また韓国系というだけで、ひとくくりにされたりして迷惑を被っていることと思います。このような誤った集金理論や行為が、一日も早く駆逐されることを望みます。

 一世紀末から二世紀に書かれた『十二使徒の教訓(ディダケー)』にはこのような言葉があります。『その人はキリストで商売をする人である。この人たちに注意しなさい。』

***「繁栄の信仰と什一献金は一如の関係」へのコメントとレス***

コメント(12)

よく見かける袋です(^¥^)

二番目の箱は、なんだかいやらしいですね。
[ 一匹狼のまーくん ] 2011/10/12(水) 午後 9:14 返信する

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>『その人はキリストで商売をする人である。この人たちに注意しなさい。』
世間では、悪徳政治家などに皮肉の意味で「政治屋」って言ったりしますけど、悪徳献金で儲けようとする人達って「キリスト屋」って感じですね。汗
不況で日本の教会の財政も悪化していると思うので、まともな教会でさえも献金集金の面でカルト化しないか心配です。汗
[ Anastasia ] 2011/10/13(木) 午前 1:45 返信する

*

>まーくん(一匹狼)さん

一番下の献金袋(封筒状の物)を除いて、皆、同じキリスト教の器具の販売店の品物ですね。

二番目のものは、賽銭箱みたいですね。小銭を入れるとチャリーンと音がして嫌ですね。
2011/10/13(木) 午前 3:54 返信する

*

>Anastasiaさん

主日の席上献金、月定献金(維持献金)、暖房献金、建物保全・会堂建築積み立て献金などの名目の献金は維持されなければなりませんが、教会暦の特定日の献金や個人の記念日の名目での特別献金等は、単なる集金としか思えないですね。
2011/10/13(木) 午前 4:02 返信する

*

ある教会の週報を見たら、礼拝献金がキレのいい数字。
みんな1000円以上しているのか、もしかしたら500円数枚って
こともあるだろうけど。
わたしも別の教会で献金箱が回ってきてい
れると「ボトッ」って音(゜ε゜;)

キリスト屋というとキリストに申し訳ないので
教会屋にするかなあ。
[ 一匹狼のまーくん ] 2011/10/13(木) 午前 6:30 返信する

*

>まーくん(一匹狼)さん

音で献金がわかると言うことは、よくありますね。新来者や未信者のところに席上献金の篭が回ると、チャリーン、チャリーンと小銭の音がしますね(ちなみに維持献金以外は、わたしのところでもチャリーンと…。汗)。

教会やというより、宗教屋の方がしっくりするかもしれませんね。怖。
2011/10/13(木) 午前 8:12 返信する

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私の記憶では、1978年ぐらいに十分の一献金のことが広がり始めたという感触が有ります。その時、日本の牧師達が聖書的考察をしっかりしなかったことが残念です。
[ Alexamenos ] 2011/10/13(木) 午後 10:33 返信する

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そうですね。その時に聖書を底本に遡って検証し、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』やエウセビオスの『教会史』、使徒教父たちの文書類なども検討して、歴史的検証も合わせて行っていれば、今のようにはなっていなかったかもしれませんね。
2011/10/14(金) 午前 5:13 返信する

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第2コリントの箇所と言うより、新約聖書で勧められているのは、すべて募金ですね。
2年ほど前、私が教会で、『献金は旧約の発想だから、これから礼拝では献金という言い方を廃止して募金としましょう。』
という爆弾発言をした時は、孤立無援、誰からもまったく理解してもらえませんでした。
そのくらい、日本のクリスチャンは一種のマインドコントロールに陥っていると言えます。
私たちは、献金に対するマインドコントロールを解いていくことが、主から与えられた使命だと考えています。
[ しおんりべらるっぽい掲示板管理人 ] 2011/10/15(土) 午前 11:18 返信する

*

まだすべての個所を網羅していないので、一つ一つ確認し検証していきたいと思っています。

なかなか、従来から使用されている用語を変えようとしてもうまくいかなかったり、反発を受けたりするのはいたし方の無いことと存じます。

そのよい例が「共同訳聖書」が、教会やクリスチャン、公会で使用されることを拒否された例からも窺えます。

ルーテル教会では、教会員の月定献金において「維持献金」との用語を使っております。目的が教会の維持の為に使われる献納金とはっきりしており、これはこれでよいと感じております。

聖書においては、やはり正しい訳語がふさわしいと思います。まず、聖書からその訳語が変更されないと、「聖書に書いてある」と申し立てる人が必ず現れてきます。そのためにも今新しく訳している聖書協会の標準訳や新改訳の後継訳に対して、それぞれのHPから、質問なり要望なりを送って見るとよいかもしれません。わたしも別なことについて、意見を送ってみたことがあります。
2011/10/15(土) 午後 0:49 返信する

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献金とするか募金とするかは、用途によって変わると思います。もっぱら教会や教界のために用いるならば、献金でもよろしいかと思います。なぜならば、最終的には神様の働きのために用いられるという観点がそこに有るからです。
[ Alexamenos ] 2011/10/15(土) 午後 7:44 返信する

*

ただ、この献金という用語によって、それを悪用して、集金まがいの行為を行なう似非教会も多くありますので、なかなか難しい問題でもあります。
2011/10/15(土) 午後 8:52

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