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諸問題

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諸問題がなぜ起きるの
2012/5/19(土) 午前 4:13
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/9427072.html

 多くのカルト化教会の被害の声を、現代はネットなどで聞くことのできる時代となりました。それが本当の被害者のものなのか、自称被害者のものなのか、その人が出て行かざるを得ないようにされたのは本人に問題があり、それで交わりを絶たれてしまったのにそれを恨んでの誹謗・中傷なのか、また、それら発信された情報が、果たして正しい情報なのか、誤情報なのかは精査しなければならないでしょうが、いままでただ黙って去って行かざるを得なかった人たちが、その時の体験などを情報として挙げれるようになったことは、新たな被害拡大を防ぐ上では一定の役割は果たしているのでしょう。

 このような諸問題は、近年のファンダメンタルな米国福音派型の教会の一部やペンテコスタルな教会、単立のこれらの類型の教会、現世利益型のカーゴ・カルト的な教会、悪霊の働きを過度に強調し悪霊払いを行っている教会などを中心に見られます。

 それらの教会では、牧師や宣教師、または牧師家族などが教会の中において、絶対的な権限と支配権を持ち、言葉だけだったり、表面的には敬虔なしもべを装いながらも、実質はまるで王侯のようであったりするようです。

ヘロデ大王

 そして、信徒には多くの戒律と義務と奉仕が課せられていますが、表面的には自発的との形を取っているものの、実質的には聖書を利用しての「しなさい」や「しなければならない」となっています。彼らのイエスは律法の終わりになられた方ではなく、律法を与え課す方なのです。

あなたの信じるイエスはどちらですか?

 これらの教会では、什分の一献金やそれ以上の献金義務が課されている場合があります。これらの義務を果たせないならそれは信仰がないと判断されたり、救いが与えられない、神の物を盗んでいるなどと脅迫的教えがなされ、恐怖感や不安感が与えられたりします。

 また、多く献げる者は神より祝福され、多くの恵みを受け、繁栄すると教え、わずかしか献金しない者は、神から呪われ、貧乏や病気などになると教えられます。

 これらの教会では、会計を牧師がなしたり、信徒への会計報告などがなかったりする場合があり、教会の財務は信徒の目から隠され不透明なものになっている場合があります。

 また、牧師は使徒パウロのように教会の負担とならないように配慮した姿とはことなり、牧師給与を一般の健全な教会よりもはるかに高額ともいえる金額を得ていたり、名目上は伝道や会合などにしているものの、明らかに教会の宣教範囲や活動範囲を超えて、遠隔地に出かけることが多くなったりしていて、単に牧師が行きたい所に名目をつけて行っているだけのような活動があったりします。

 弱い者と共にあり、無私の慈しみを示されました。

足洗


 問題のある、カルト化してしまった教会はどうなのだろうか。イエスとはどのような方なのだろうか。牧師はキリストにならい仕える者となっているのだろうか。信徒をまるで愚か者を扱うように扱ったり、子供のように扱ったりしていないだろうか。

 イエス・キリストではなく、お金や繁栄が神となってはいないだろうか。今一度、自分の教会を見直してみることは、決して悪いことではない。

 どうしてプロテスタントのごく一部であるが、このようにカルト化してしまうのだろうか。一つにはカトリック的なものをあまりにも無批判に捨て去ってしまった面もあるだろう。カトリック教会や聖公会、ルーテル派教会では、祭壇や聖卓が礼拝堂の正面にあり、説教壇や朗読台はその祭壇や聖卓のわき、または礼拝堂のはじにあったりします。

 しかし、多くのプロテスタント教会では、説教壇が中央に据えられています。

 これにはとても違和感を覚えます。会衆が礼拝する方向に祭壇や聖卓ではなく、人間の座が据えられ、聖書のことばではなく、解釈である説教が中心に据えられていて、人間中心のように見えてしまいます。これがまともでない牧師が勘違いしてしまう要因のごく小さいものではあると思いますが、一つではないかと思えます。


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お金のトラブル 什一献金
2012/5/20(日) 午前 1:03
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/9434808.html

 このカテゴリーの過去の記事にも、何回か什分の一献金の問題点や献金トラブル、繁栄の信仰の問題点などについて書きました。今回も若干この問題について考えてみたいと思います。

10分の1の奉納

 律法における十分の一の献げ物と教会の献金は全く違う性質のものであることは、什一献金を推奨する牧師は、全く無視して半ば義務化して信徒に神の名の下に課しています。しかし、主からのものではなく、主の名を借りた牧師の律法にしかすぎません。

 教会は祈りの家から、信者を金蔓にしている商売人の巣にしてしまっていたり、劇場にしてしまっている牧師があります。

 神殿から商人を追い出されたキリストは、このような教会をどう見られているでしょうか。

歎く

 律法の規定を教会に持ち込み、再び負いきれない重荷を負わせる人たちは、アブラハムがメルキゼデクに与えた戦利品からの十分の一の贈り物や、ベテルでヤコブがささげることを誓約した十分の一や、律法の十分の一を持ち出し、さらにマラキ書を引き合いに出して正当化しようとしていますが、しかし、決して律法の通り守ろうとはしません。

 第三年目と第六年目に献げられる十分の一を、彼らは決して貧しい者や寡婦、孤児、寄留者などに使ったりはしません。せいぜい毎月いくらかを義捐金やそれらの救助・支援団体に寄付したりするくらいで、年間の献金丸ごとをそれらに供出したりはしません。

飢餓

 そして、律法における献げ物である献納物を、信徒が農家や畜産業の方であっても、決して物としては受け取りません。すなわち物納ではなくお金での献金という形でしか受け取りません。それは律法とは違うことですし、律法では物納ではなくお金での献納も認められていますが、それには更に五分の一を加えねばなりませんが、そういう規定は無視されています。また、農家などの場合、七年ごとに安息年などが定められていますが、律法に反してそれを課すこともありませんし、また、安息年で収穫がない時には献納はないのですが、当然無視されます。

 よく良い信者の子弟として、子供がおこずかいの十分の一を献金する姿が取り上げられ、褒められたりしますが、そもそも子供のおこずかいまでも巻き上げるようなことは、律法にはありません。子供のおこずかいは収入ではないからです( お駄賃ならまだ収入としてみなしてもよいかもしれないが、家父長制度の世帯から考えると、扶養家族の家父長から与えられる小遣いなどを、収入とすることは無理があると思います。 )。

 彼らは律法を使って什一献金をさせようとしますが、決して律法のとおりではありません。ただ神の名を利用し、聖書を利用して集金しているにすぎません。

 また、貧しいやもめの献げ物の話しまでも利用しますが、貧しいやもめの献金はそもそも十分の一の献げ物ではありません。

poor widow

 彼らの求める什分の一献金は聖書に根拠がないことです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の什分の一・献金納入明細書 記名

 教会財務を支える献金はとても大切なものです。しかし、それを律法を悪用して過度に集金しようとすることは、やめるべきです。信仰による自発的で自由な献げ物であるべきでしょう。

***「お金のトラブル 什一献金」へのコメントとレス***

コメント(4)

10年くらい前から、モルモンは郵便振替です。郵便局で振り替えます。ある牧師は「当教会はモルモンみたいな献金要求も義務もありません」と言ってましたが、半年、1年と経つと「十一献金は基本であり、十分の二や三だって当たり前です」と豹変しました。
マラキ書や使徒行伝から引用しても通用しない求道者には、「プロテスタントはどの教会も十一献金は義務化されている」と言い出す始末です。どの教会を選んでも十一献金があって逃れられないから、ここに落ち着けと云うのがその牧師の本心でしょう。聖書を用いても無理なら、他の信者も献金してる、他の教会も同じだと言えば横並びや皆と同じならと諦めて献金してくれると云う下心が丸見えでした。
財務に行き詰まり、牧師の個人商店と化した教会や教団なら、会社や商店でも設立して自ら稼いだ方が益になります。
「神は、お金を所望されます、神は食い逸れると困るのです、貧窮させたら裁くぞ!」金が欲しいのは主幹牧師や教団理事と云った幹部連中とその取り巻きです。信頼していただけに、とても残念でガッカリしました。
[ nec2sc2334 ] 2012/5/20(日) 午前 3:35 返信する

*

モルモンの献金表、興味深いです。
なかなか見ることはありませんからね。
JWの奉仕報告表みたい。

でも10分の一をしっかり守っている人はけっこう多いみたいです。
もちろんそれを感謝を持ってできるひとはいいのですが
「しなければならない」という状況の人もいるでしょうね。
[ まーくん(一匹狼) ] 2012/5/20(日) 午前 4:56 返信する

*

>nec2sc2334さん

そうですか。郵便振替に変更になったのですね。情報ありがとうございます。

この什分の一献金は、プロテスタントでも福音派などで多く見られ、聖霊派でも多く見られるために、日本ではプロテスタントの多数派であるため、プロテスタント全体がこの献金様式かのように思われてしまっていますね。

御指摘されたような問題が、近年特に目立つようになり、多くの被害者を出しています。義務や強制、圧迫、思い込ませなどの手法をもって集金する行為こそ、神の名を偽って「神の物を盗んでいる」行為だと思います。
2012/5/20(日) 午前 8:07 返信する

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>まーくん(一匹狼)さん

この献金表は他の一部のものと共に残しておきました。今思うと捨ててしまって惜しかった本などもあります。ジョセフ・フィールデング・スミスの「救いの教義」(全三巻)などは、現在日本語版は絶版になってしまいました。

誰からも強制されたのでもなく、教え込まされたのでもなく、誘導されたのでもなく、精神的圧迫を受けたのでもなく、恐怖心からでもなく、ただ心に定め自発的に行われたものならそれは良いことですが、そうではなく外的要因がわずかでもあるのなら、それは立ち止まって見るべきでしょうし、その教会の牧師や役員、または教団・各個教会の制度や運営に問題はないか見直すべきでしょうね。
2012/5/20(日) 午前 8:14


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神を金集めの出しにする
2014/7/23(水) 午後 7:43
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/13175610.html

 破壊的カルトや異端の問題を見て行くとき、必ず行き当たるものに献金被害というものが挙げられるでしょう。ウィリアム・ウッド師の「改訂新版 教会がカルト化するとき」(いのちのことば社)に短い一文に、❝…カルトもまさに人を食い物にします。非常に残念なことですが、カルト化してしまった団体で、信者が食い物にされてしまったということも起こっています。青春や財産を奪われ手しまったということもあります。もちろん、神のみこころにかなったビジョンと確信し、自ら喜んで献身すること、あるいは献金をささげることは、尊いことです。しかし、もしも過度のプレッシャーをかけられたり、「ささげない人は神に呪われる」と脅されたりして献金をささげるのであれば、それは問題です。あるいは、神の栄光のために掲げられたはずのビジョンが、実は指導者の名誉や利益につながるようなものであれば、決して望ましいものではありません。…❞(p57-p58)とあることは至言でしょう。

 「キリスト教ガイドブック」(日本教会新報社)の献金の説明では、❝これは、会費やお賽銭とちがい、根本的に地上の生を与えて下さった神への感謝の応答として行われます。自発的で、強制的なものではありません。❞(p377)とあります。

 聖書を読んで、献金の根拠となる聖書の言葉というものに出会うことは難しいことです。大体が上のガイドブックのように、神への感謝というものと、教会の維持・運営上の必要という実質面で教会員に毎月毎に月定若しくは維持献金という名目で義務化しています。その献金額については一定額を各々が自由で自発的に定め献金する方式が採られています。多くても褒められるわけでもなく、なんら特典や優遇を受けるわけでもありません。少ないからと言って非難されるわけでも冷遇されるわけでもありません。それぞれの資力と事情によって各々が自発的決めて、感謝して献げるものです。

 キリスト教等でも英米のピューリタンとウェスレアン・アルミニウス主義の末裔である福音派や聖霊派とそれらから各国に広まった団体や教会(系統の単立含む)が、聖書に根拠のない10分の1献金などというものを主張しているくらいで、それ以外の大多数では先ほども述べた自由献金方式です。

 10分の1献金を主張している団体や教会は、キリスト者に全く関係のない律法やアブラハムやヤコブの個人的事例を根拠にしています。そして、律法の10分の1の献げ物を改変して全く違う10分の1献金というものを作り出し信者に負わせています。しかしそれは10分の1という言葉だけを利用した別物です。なぜ律法の中でこのことばだけが課せられるのでしょうか。それは手軽に神の権威の下に金集めするのに都合がよいからです。

 律法の十分の一は、祭司の一族や嗣業地を持たないレビ部族を支えるのに必要なものです。また、❝三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。 ❞(申命記14:28,29)という貧者の救済面もあります(その他にベアーという律法規定で貧者の救済があります。)。ではどうでしょうか。10分の1献金を主張している教会が、律法の規定に照らして三年ごとにこれらを実行しているでしょうか。また、金銭での献納は10分の1に更に二割を加えて献げなければなりませんが、そんなことは守りも行いもせずにただ集めて、それを自分達で使うのです。なんとも都合のよいことです。

 そんなに律法通り行いたいのなら、集めたお金で地の産物を買って、祭壇で燃やして煙にして神への献げ物とするか、集めたお金(紙幣)を燃やして、感謝の献げ物として煙にして神に献げればよいのです。

祭壇で燃やして煙にして神への献げ物とする

 ものみの塔協会のような破壊的カルトなどを見ますと、よくこのような文言が聞かれます。

*** 塔11  11/15 22–23ページ 「親切に与える特権」に喜びを感じていますか ***
このような方法で与える人もいる
世界的な業への寄付
  多くの人は,「世界的な業」と表示された寄付箱に入れるために,ある額を取り分けたり,予算に組み入れたりしています。
  そうした寄付は,会衆が毎月まとめてそれぞれの国のエホバの証人の事務所に送ります。金銭の自発的な寄付を〒243‐0496 神奈川県海老名市中新田四丁目7番1号 ものみの塔聖書冊子協会,もしくはお住まいの国を担当するエホバの証人の支部事務所へ直接送ることもできます。(以下に挙げる項目の自発的な寄付も,お住まいの国を担当するエホバの証人の支部事務所へ送ることができます。)宝石や貴金属などの動産も寄付できます。そのような寄付には,無条件の贈与であることを記した簡単な手紙を添えてください。
  株券や債権などの有価証券も寄付できますが,その場合には事前に,ものみの塔聖書冊子協会の会計事務所に手紙か電話でご連絡ください。
「条件付き寄付」の取り決め
  将来何らかの事情で資金が必要になった場合に,寄付者が,寄付額未満の金銭的な援助を協会に要望できる,という条件が付いた寄付です。詳しい情報をご希望の方は,ものみの塔聖書冊子協会の会計事務所に手紙か電話でお問い合わせください。
その他の寄付
  上記の方法による寄付に加えて,ほかにも世界的な王国奉仕のために与える方法があります。
不動産: 売却可能な不動産を,無条件の贈与として,ものみの塔聖書冊子協会に寄付することができます。そのような寄付を望まれる場合は,必ず前もって,ものみの塔聖書冊子協会の法律部門と連絡をお取りください。
保険: 保険の種類や取り扱う保険会社により異なりますが,保険金が支払われる際,ものみの塔聖書冊子協会へ寄付されるようにしておくことができる場合があります。
遺贈: 法律に従って作成された遺言書によって,金銭,預貯金,有価証券,不動産,動産をものみの塔聖書冊子協会に遺贈することができます。作成する遺言書については,公正証書の形式を取ることが勧められています。日本では,遺贈された財産が宗教団体の宗教的活動に用いられることが確実な場合,相続税の課税価格に算入されない「非課税財産」とみなされます。なお,不動産の遺贈を望まれる場合には,必ず前もって,ものみの塔聖書冊子協会の法律部門と連絡をお取りください。
  こうした寄付の場合は一般に,寄付者の側で一定の手続きを踏むことが求められます。このような方法によってわたしたちの世界的な業に貢献したいと願っておられる方たちのために,支部は参考となる資料を準備しています。資料や支部からの援助をご希望の方は,ものみの塔聖書冊子協会の法律部門に手紙か電話でお問い合わせください。あるいは,お住まいの国を担当する支部事務所にご連絡ください。
ものみの塔聖書冊子協会
 

*** 宣 10/4 6ページ 地域大会―喜びあふれる崇拝の時 ***
寄付: 王国会館や大会会場で世界的な業のために自発的な寄付をすることによって,地域大会の取り決めに対する感謝を示すことができます。

*** 宣 10/9 4ページ 電話証言ガイド ***
■ 寄付の取り決めには触れない。電話による寄付の懇願と誤解されるかもしれない。わたしたちの活動がすべて自発的な寄付によって支えられていることは,家の人と直接会った後のふさわしい時に話せる。

*** 宣 09/5 3ページ 5節 出版物を有効に活用する ***
出版物の配布: わたしたちは,本当に関心を示す人だけに出版物を配布するようにします。宣教奉仕で用いるそうした価値ある道具の費用を賄うことについて,わたしたちがおもに責任を担っているということを忘れないようにしましょう。関心のある人に出版物を渡すときは,寄付によって世界的な業を支援できることをためらわずに伝えてください。

*** 宣 93/12 7ページ 3–5節 惜しみなくまく ***
3 このようにわたしたちが積極的に出版物を配布しようとする際に,出版物の値段を尋ねる家の人がいるかもしれません。
このように答えることができます:
■ 「わたしたちの活動は自発的な寄付によって支えられていますので,出版物は無償です。今回,少額の寄付をしたいと思われるなら,そのご寄付は世界的な伝道活動のために用いられますので,わたしたちはうれしく思います」。
このようにも言えるかもしれません:
■ 「どうして出版物を無償で提供できるのだろうと考えておられるかもしれません。これは,自発的な寄付によって支えられている世界的な教育活動の一環です。この活動に対して少額の寄付をしたいと思われるなら,喜んでお預かりいたします」。
4 しかし,これまで再三強調されてきたように,家から家の伝道の際,あるいは出版物を配布する際にエホバの証人の世界的な業に対する寄付について必ず述べなければならないというわけではありません。寄付について触れるなら出版物の提供が難しくなったり,出版物を積極的に配布する面での奉仕者の熱意に影響が及ぶようであるなら,その場で触れる必要はないでしょう。後日,再訪問を繰り返して家の人と親しくなってから寄付について話し,その面での認識を高めることができるかもしれません。場合によっては家庭聖書研究になってから話すこともできます。
5 このようにして,積極的に出版物を配布し,惜しみなくまくなら,真理に対する人々の関心は高められるに違いありません。そのような人々をわたしたちが繰り返し再訪問し,徐々にその関心を高めてゆくなら,わたしたちが努力を払った証しとなる,推薦の手紙を刈り取ることができるかもしれません。(コリント第二 3:1‐3)それでは,豊かに刈り取るべく,一層惜しみなくまくよう引き続き努めてゆきましょう。
   
*** 宣 11/12 2ページ 質問箱 ***
■ 文書を渡すかどうか,どのように判断できますか
主な要素は,相手の関心です。純粋な関心を示しているのであれば,雑誌を2冊,あるいはブロシュアーや本などの文書を1冊渡せるでしょう。世界的な業に寄付するお金がないと思える場合でも,そうです。(ヨブ 34:19。啓 22:17)一方,価値を認めない人に貴重な文書を渡すことはしません。―マタ 7:6。
家の人が関心を抱いているかどうか,どのように見極められますか。喜んで会話する人であるなら,関心があるとみなせるでしょう。こちらが話す事柄に注意を払い,質問に答え,意見を述べるなら,会話に加わっていることになります。わたしたちが聖句を読む時に耳を傾けるなら,神の言葉への敬意があるとみなせます。この文書をお読みになりますか,と尋ねることもできます。奉仕者は判断力を働かせて,関心があるかどうかを見極める必要があります。街路証言の時などに雑誌やブロシュアーや書籍をだれかれ構わずに渡すことはふさわしくありません。関心を見極められない場合は,ビラやパンフレットを渡すほうがよいでしょう。
奉仕者各人は,寄付できる金額ではなく宣教奉仕で必要な量に応じて,文書カウンターから文書を受け取るようにすべきです。寄付をするのは,文書の代価を支払うためではなく,世界的な伝道活動のあらゆる面を支えるためです。わたしたちは感謝の気持ちに動かされて,自分の経済的な状況にかかわらず,王国の関心事を支えるため,余っている中からではなく乏しい中から寛大に与えます。(マル 12:41‐44。コリ二 9:7)また,感謝の気持ちに促されて,神権的な資産を浪費しないため,必要以上の文書を受け取らないようにします。

 最近では取り決めと称するものがいろいろ出され、何かにつけ自発的寄付という形で寄付が求められているようです。寄付に対して神を名目にプレッシャーを与える典型です。

 聖霊派のような繁栄の神学(繁栄の信仰)のように、直接的に献げないのは神のものを盗んでいる、献げないのは信仰がない証拠だ、多く献げればそれだけ多くの祝福を受け、献げなければ神の呪いを受ける。などの脅しをしないというだけで、やっていることの本質は同じです。

 「自発的」ということばがあれば本当に自発的ということではありません。神の祝福と呪い、見返り、信仰(や忠実さ)の試金石、罪悪感という心理的な圧迫や強迫、実質的な待遇や地位などの優劣という餌がその「自発的」の陰にあればもはやそれは強制でしょう。

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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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