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新約聖書の中のちょっと気になるマイナーな事

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イエスの謎
2011/7/26(火) 午後 5:38
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/5556554.html

 福音書におけるイエスの記述において、わたしには解からない大いなる謎があります。

聖家族

 イエスは幼少期より、公生涯と呼ばれるメシアとしての活動をはじめるまで、ガリラヤ地方の歴史に名すら出てこない農村であるナザレの村で、その家族と共に暮らされました。父親のヨセフは大工であったので、当然イエスも父の元で大工の仕事を手伝い、ヨセフの死後は後を継いで大工として働かれていたことでしょう。これらのことは今日のクリスチャンならだれでもが知っていることです。

Ancient_Galilee.jpg

 では、何が解からないと言うのでしょうか。それはナザレの村から、歩いて一時間ほど北に向かった所にセップォリスと呼ばれる人口一万人ほどの大都市があります。この都市についての記述が新約聖書には、まったく現れないということです。

 一世紀のユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の中で、『そこでヘロデ(ヘロデ・アンティパスのこと)は、セップォリスの町を、全ガリラヤを飾るにたる代表都市として要塞化し、その名をアゥトクラトリスと命名した。』(XVⅢ巻27)と取り上げています。おそらくナザレ村の大工ヨセフとその息子イエスは、この都市に来て仕事を受注したり、建物を建てたりしていたことでしょう。また、市場も大きなものがあったことから、買い物などもしたかもしれません。また、イエスの譬えは生活に根ざしたものでした。農村的なものは故郷のナザレでの生活から、都市的なものはセップォリスでの経験であったと思われます。

 また、当時ガリラヤ地方はユダヤ地方のユダヤ人からは「異邦人のガリラヤ」(マタイ5:15)とみなされていましたが、実際にはガリラヤ地方の方がエルサレムなどのユダヤ地方より開け、都会的また国際的で、賢者の数でもユダヤ地方より多かったとヘブライ大学の研究などで解かっています。このことから毎年エルサレムへ過ぎ越しを祝うためにやって来たヨセフの一家から、12歳になったイエスがはぐれ、神殿でラビ達と語り合っていて、ラビ達がその知恵と答えに驚いていたことにもうなずけます(ルカ2:41~51)。なぜなら、ガリラヤの大都市セップォリスには、エルサレムに劣らない賢者達がいたでしょうし、イエスが彼らから多くを学んだとしても不思議は無いからです。

 しかし、この大都市について、公生涯に入ってからもイエスは、立ち寄られたり、宣教した記載が聖書にはありません。イエスがガリラヤ地方で主に活動をされていたのは、ガリラヤ湖周辺の地方都市カファルナウムを中心としていました。その他にガリラヤ地方のカナ、マグダラ、ナザレ、ナインなどの町や村のエピソードはあるものの大都市セップォリスでの活動は記録されていません。とても不思議といえます。

**追記20190416**

口語訳聖書の聖書地図にも見られる通り、聖書協会の聖書に付属する聖書地図には、ガリラヤの大都市セフォリスが出て来ません。これは2018年12月に出版された聖書協会共同訳の地図でも変わりありませんでした。

Sepphoris.jpg


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使徒言行録に見るギリシャ・ローマの神々
2011/6/5(日) 午前 5:15
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/4488467.html

 使徒言行録を読むと、実に多くのギリシャの神々が登場します。

アポロン、ピュトーンを退治

14章では小アジアのリュカオニア地方の都市イコニオンで、この地で伝道を行なっていたバルナバとパウロは、その力あるしるしにより、この街の住民から、それぞれゼウスとヘルメスと呼ばれ、あわや礼拝されかかった事が記録されています。ゼウスはギリシャ神話のクロノスとレイアの子で、ウラノスから王権を奪って王となったウラノスの子クロノスと同じ道を歩み、父クロノスに飲み込まれていた兄と姉を救い出し、兄弟であるポセイドンやハデスと共に、父クロノスとクロノスを王として世界を支配していたティターン(クロノスを含めて12の神々、共にウラノスの子ら)と戦い、これを打ち破り、父クロノス王に代わって神々の王となったことは有名な神話です。また、ヘルメスはゼウスとマイアの子で、泥棒とウソの天才で神々の伝令として有名です。それらの地上に下ってきた姿とバルナバとパウロは思われたわけです。

16:16で「占いの霊につかれた若い女奴隷」が出てきますが、原語では「占いの霊」は「ピュトーンの霊」となっています。ピュトーンはガイアの子で、強大な龍の姿をしているとされています。また、ガイアの神託所デルポイの守護者でもあり、自身も人間達に神託をもたらしていました。しかし、ピュトーンは自分がレトの子によって死ぬと予言を受け、すでにゼウスによってアポロンとアルテミスを身ごもっていたレトを殺そうと追いまわしました(別な物語ではピュートーンではなく、ゼウスの正妻ヘラがレトを狙っていたことになっています)。しかし、ゼウスやポセイドンらの助けを受けたレトは無事にその子らを産み落とします。そしてアポロンはアルテミスと共に、母の恨みを晴らしピュトーンを退治します。そして、デルポイを自分のものとし、その結果人間はガイアの意志ではなく、ゼウスの意志を告げるアポロンの神託によって、未来を知らされることになりました。こう言った神話がこの「占いの霊(ピュートーンの霊)に憑かれた」という言葉の背後にあります。

17:22に出てくる「アレオパゴス」は、アテネのアクロポリスの西側にある丘の名前で、オリュンポス12神の一人で、ゼウスとヘラの子軍神アレースにちなんで名付けられました。

19:23~40で記録されているエフェソスで起こった騒動では、エフェソにてパウロが「手で作ったものなどは神ではない」との発言に対して、偶像職人が憤慨して街の人たちを煽り立て、彼らの自慢であるエフェソのアルテミスとその神殿の威光を汚したとして、騒動が起こりました。この街の誇りであったエフェソのアルテミスは、小アジアの大地母神キュベレーなどの信仰と混交して、ギリシャ神話の女神アルテミスとは違う、独特なアルテミス崇拝となっていました。

28:3~4では『パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しに違いない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」』と語ったことが出てきます。ここで「正義の女神」と訳された語は、「ディケー」で、ゼウスと掟の女神テミスの娘で刑罰と復讐を司る女神ディケー(正義)のことを差すのか、ローマ神話の正義の女神ユースティティア(ジャスティスの語源となった女神で、正義の女神と言われる。ギリシャ神話のテミスに相当するが、ギリシャ神話のテミスが正義と言うより掟を司り、娘のディケーが正義を司っていたのと異なり、ローマ神話ではディケーの性質を併せ持つ女神とされる。)を差すのかは判りません。

28:11には、パウロたちの乗った船の船首に、ディオスクーロイの像が付けられていました。ディオスクーロイはゼウスの息子の意味で、カストールとポリュデウケース(ローマ神話ではポルックス)の兄弟で、兄のカストールは人間であり、弟のポリュデウケースは神々であるとされています。弟は兄と永遠の命を分け合ったとされています。ディオスクーロイはローマ神話ではジェミニ(双子)で、ふたご座の神話の二人が彼らです。

使徒言行録は、新約聖書の中でも特に、ギリシャ・ローマ神話やギリシャの格言や常套句が出てきます。しかし、あまりそのことに目を向けられていません。こういうヘレニズムのバックボーンを知っておくと、なかなか面白いと思います。


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マイナーなこと
2013/2/8(金) 午前 11:40
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/11123635.html

 聖書を読んでいますと、あまり目の留まらない記述というものがあります。何かの拍子に気になってしまったりするものです。そんな一つにルカ福音書の13章1節から9節にいたるお話がありますが、その中でも冒頭の5節まではあまり気に留められることがないように思えます。

イエス

1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。3 決してそうではない。言っておくがあなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

シロアムの塔の倒壊 1

シロアムの塔の倒壊 2

 この二つの事件について脚注付き聖書を見てますと、フランシスコ会訳の脚注でははじめの事件にのみ言及があり、『この1節の事件の原因は、ローマの支配に対するユダヤ人の反逆行為であった。この事件がエルサレムで起こったことは、いけにえを捧げる場所はエルサレム神殿だけであり、過越の祭りのときには一般人もそこに入ることができたので、神殿でこの事件が起こったことがわかる。』と説明しています。また、岩波訳では最初の事件については『総督ピラトゥスの、この箇所にしか証言されていない殺戮行為か。エルサレム神殿に祭儀のために来たガリラヤ人が、惨殺されたらしい。』と説明し、第二の事件については『史実にさかのぼろうが、仔細は不明。』としています。新改訳第二版のチェーン式では『このガリラヤ人たちは、エルサレム巡礼の祭りに乗じて不穏な挙に出て、総督ピラトに虐殺されたのであろう。』と説明、またシロアムの塔の方は『恐らくエルサレムの南城壁に近いシロアムの池の辺りにあったのだろう。この塔が倒れたのは、何かの工事中の偶発的事故と思われる。』としています。

 ちょっと面白いのは、新共同訳の引照です。1節の『ガリラヤ人』のところの引照が『使五・三七』となっていて、『ガリラヤのユダ』と関連付けている点です。ガリラヤのユダについては、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』と『ユダヤ戦記』を見ますと、カイサル・アウグストの命により『民族の統治者・財産査定官として派遣されたローマの元老院議員キュリニオスがシリアに着任』し、『ユダヤ人の財産を査定してアルケラオスの資産を処分するために、シリアに合併されたユダヤの土地にやってきた。』、それに対してユダヤ人たちは『財産の登録ということを聞かされると、何しろそういうことははじめてなので、人びとの受けた衝撃は大きく、中にはいきり立って立ち騒ぐ者も現れ』ました。その中に『ガマラという名の町から来たガウラニティス人ユダスなる男が、パリサイ人のサドコスをひきずり込んで反抗運動に乗り出した。』とその活動の原因を語っています。

 また、このガリラヤのユダはユダヤ人の社会においてサドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派に続く第四の派閥を形成していたようです。ヨセフスはこうも伝えています。『ユダヤ人社会には、古代から、先祖たちの教えにもとづく三つの哲学があった。すなわち、エッセネ人の哲学、サドカイ人の哲学、そして第三に、パリサイ人と呼ばれた連中が信奉していた哲学である。…哲学の第四の派は、ガリラヤ人ユダスが指導者となってつくりあげた。この連中の主張は、ほとんどの点でパリサイ人の見解と一致するが、異なる一点は、神こそが彼らの唯一の支配者、主であると確信するため、自由ということに対して不屈の情熱を持っていることである。彼らは、異常な形で死ぬことを少しも意には介さなかったし、また何ぴとといえども、その人物を主と呼ぶべきではないという大義名分によって、ローマ皇帝を主と呼ぶ近親者や友人たちを襲って復讐することを平然と認めたのである。』

 かなり強硬で狂信的な一団であることがわかります。為政者としてピラトゥスが、何かをなそうとして祭りに乗じて集まって来た彼らに対して、何らかの弾圧行為に出たとしても不思議ではないでしょう。

 そんなことがこの新共同訳の引照から想像され、当時のパレスチナの不穏な状況の一端も見えてきて楽しいといえます。

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