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わらしべ長者的な調べもの、頌栄

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わらしべ長者的な調べもの
2014/8/22(金) 午前 9:41
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/13263647.html

 いろいろと調べてゆく中で「参照資料付き 聖書 新世界訳」の

*** 聖8‐参 1756ページ 1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名 ***
クリスチャン・ギリシャ語聖書における四文字語<テトラグラマトン>の使用について,ジョージア大学のジョージ・ハワードは,「聖書文献ジャーナル」(Journal of Biblical Literature,第96巻,1977年,63ページ)にこう書きました。

 と出てくるGeorge Howard氏の「The Tetragram and the New Testament, (Journal of Biblical Literature)のp62-p83のPDFが見つかり、その中のp72の(4)の記述で

「The Tetragram and the New Testament, (Journal of Biblical Literature) pp.62-83

(4)There is some evidence from the Hebrew documents from the Judean Desert that the word אדני was pronounced where the Tetragram appeared in the biblical text. This is possibly demonstrated by the corrections in 1QIsaa.In a Comparison of the Ben Sira scroll from Masada with MS B from the Cairo Geniza it appears that אדני  was even used as a written surrogate for the Tetragram in copying non-biblical literature that originally employed it.

(4)Tetragramが聖書本文で見かけた所で、単語אדניが発音されたというなにかの証拠がユダヤの砂漠でのヘブライ語の文書からあります。
これは、おそらく1QIsaaでの修正箇所によって示されます。
カイロ・ゲニザからのMS Bをもつマサダからのベン・シラ巻物の比較では、当初それを使用した非聖書の文学を書写することでTetragramの書面での代わりとして、אדניも使われたように見えます。(機械翻訳)

 という箇所の記述の1QIsaa(死海写本クムラン第一洞窟で発見されたイザヤ書の巻物)での修正箇所というものが気になり、いろいろと検索をして見ましたら、1QIsaaの中で3章18節、6章11節、7章14節、8章7節、21章16節、28章2節、37章24節において、マソラ本文では אדני (アドナイ、「主」)となっている箇所に、テトラグラマトン(神の名を表す聖四文字 יהוה )が書かれているということでしたので早速見てみました。

3章18節
1QIsaa イザヤ3章18節


6章11節
1QIsaa イザヤ6章11節


7章14節
1QIsaa イザヤ7章14節


8章7節
1QIsaa イザヤ8章7節


21章16節
1QIsaa イザヤ21章16節


28章2節
1QIsaa イザヤ28章2節


37章24節
1QIsaa イザヤ37章24節

 これらの箇所をヘブライ語聖書の校訂本文である「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア(BHS)」片手に見て行きました。そうすると8章7節は אדני がある場所が大きく欠損していて、素人目にはよくわかりません。37章24節は手書き草書体は文字の判別はしづらいですが אדני と書いているように見えます。

LXX BHS 記名

 今回、そんなことよりももっと気になったのが、1QIsaaの巻物でこれらの違いがあるにも拘らず、手に持って開いているBHSの欄外の異読資料には何も書いていなかったということです。そこでまずはBHSの一つ前の校訂本文である蔵書のビブリア・ヘブライカ第三版(BHK3)を引っ張り出してきて、こちらの異読資料もBHSと同じなのかを見てみました。そうしましたらこちらの異読資料には次のように出ていました。

・3章18節

יהוה c punctis subscriptis (= dI) et אדוני supra add pr אדני .

17 . 18 mlt MSS יהוה .

・6章11節

II יהוה pr אדני

・7章14節

ca 4oMSS יהוה

יהוה pr אדני

・8章7節

[ יהוה ] c אדוני supra add pr אדני

・21章16節

יהוה pr אדני

・28章2節

ₐ mlt MSS Edd ליהוה

・37章24節

cf ad 2R 19,23  

 新しいBHSには何もなく、古いBHK3には אדני の箇所についての異読資料があるという不可思議さです。そして次にビブリア・ヘブライカの第一版と第二版は本文の底本が違うので(BHK1とBHK2はベン・ハイームの「第二ラビ聖書」(vol.1 https://archive.org/details/torahneviimukhet02kitt、Vol.2 https://archive.org/details/The_Second_Rabbinic_Bible_Vol_2、Vol.3 https://archive.org/details/The_Second_Rabbinic_Bible_Vol_3、Vol.4 https://archive.org/details/The_Second_Rabbinic_Bible_Vol_4)を底本とし、BHK3とBHSはベン・ハイームがそれを編纂するに当たって集めた写本よりも古い「レニングラード写本」(https://archive.org/details/Leningrad_Codex)を底本にしている)、BHK1は幸いPDFで手に入れられますので(イザヤ書は第二巻に収録されている https://archive.org/details/torahneviimukhet02kitt)そちらで見てみましたら、3章18節においては短い方の異読資料、7章14節、28章2節、37章24節はBHK3と同じでした。


BHK 3章18節
ビブリア・ヘブライカ第三版 イザヤ3章18節欄外

 そして、ついでにまずはBHK3とBHSの本文が同じなのかを指で行を追いながら見て行き、次にthe letters Edition(vienna 1852)の本文(https://archive.org/details/torahneviimukhet00lett)を使用しているJay P. GreenのThe Interlinear Bible: Hebrew-Greek-English の本文とも比べてみて同じであることを確認しました。

 最新の校訂本文であるBHQの異読資料ではどうなっているのか気になるので、はやく一冊本として出版してもらいたいと思いました。


******


頌栄
2015/3/16(月) 午後 0:34

 今日聖書に加筆や編集などがあったのは常識の範疇ですが、原理主義的傾向が強くなればなるほど、そういうことを受け入れられなくなったり、激しく否定したり拒絶したりします。SNS等のキリスト教系のコミュニティー等(リベラル系)にそういう人の不合理な反論などがたまに有ったりします。

 その中のひとつで普通「主の祈り」とか「主禱文」と呼ばれるマタイ6:9-13、ルカ11:2-4に記録されているイエスが弟子たちに教えられた祈りがあります。この祈りは今日においても個人の祈りでも教会での共同の祈りでもよく祈られる定式となっています。

 大抵、プロテスタントの祈祷書やリタジー(礼拝式文)などにおいては、マタイ型の「主の祈り」に頌栄の「国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。」を付した形で祈られます。カトリックなどはラテン語訳ウルガタ聖書の影響から頌栄がなく「アーメン」で結ばれる形がよく見られます。最近ではエキュメニカルの影響からなのか頌栄が付いた形も見られるようになりました。

頌栄 ラテン語ウルガタ聖書クレメンス版
(ラテン語ウルガタ聖書クレメンス版)

 しかし、この頌栄部分が聖書にないものであることは常識の範疇です。カトリックはラテン語訳ウルガタを公認聖書としていましたから、日本においてもフランシスコ会聖書研究所訳が出版されるまではウルガタからの重訳でしたから“(アーメン)”とラゲ訳などにはなっていました(ラゲ訳の凡例で “( )内の言葉は、ラテン語訳にはあるが、ギリシア文にはない言葉である。”と説明しています。)。フランシスコ会聖書研究所訳の欄外注には、頌栄について“若干の写本は、本節のあとに「国と力と栄光は、とこしえに あなたの ものだからです。アーメン」をつけ加えている。”と説明しています。

 プロテスタントで頌栄が聖書本文に入り込んでしまったものも幾つかあります。まずは公式にはテクストゥス・レセプトゥス(TR)から翻訳されたとされていますが、実際にはKing James Versionから翻訳され(KJV自体TRを底本としているので同じことだが)1880(明治13)年に出版された「明治元訳」です。これは元のKJVもTRもこの頌栄が本文に入っているのでしょうがありません。あと同じTRステファヌスの第三版を底本にした「永井直治訳」もこれを含みます。また、明治元訳などは外人の翻訳委員と日本人の補佐人でしたが、日本人補佐人たちは漢訳聖書を用いていたようですが、モリソン訳やシェルシェウスキー訳においても頌栄は含まれていました。

頌栄 Authorized Version
(KJV)

King James Version
And lead us not into temptation, but deliver us from evil: For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen.

頌栄 モリソン訳 シェルシェウスキー訳
(漢訳聖書)

明治元訳
我儕を試深(こゝろみ)に遇(あは)せず惡より拯(すくひ)出(いだ)し給へ國と權(ちから)と榮(さかえ)ハ爾(なんじ)の窮(かぎり)なく有(たもち)たまふ所なりアーメン

永井直治訳(1928年版)
また我等を試のうちに導き給はず、されど惡より我等を援ひ出だし給へ。そは國と力と榮光とは、永(とこしへ)に汝のものなればなり。アメン。 

 他には正教会の上田将訳(1892)とニコライ訳(1901)もこれを含めていますが、ギリシャ正教はビザンチン型の写本を伝えているから当然といえば当然でしょう。

上田将訳
我等を誘(いざなひ)に導かず、乃(すなはち)我等を兇惡より救ひ給へ、蓋國と權能(ちから)と光榮ハ爾に世々に歸すアミン

ニコライ訳
我等を誘(いざなひ)に導かず、猶我等を凶悪より救い給へ、蓋國と權能(けんのう)と光榮は爾に世世に歸す、「アミン」。

頌栄 上田将訳 ニコライ訳
(上田将訳 ニコライ訳)

 ここまでは日本において聖書翻訳の初期の時代ですし、プロテスタントで広く普及した1917年発行の大正改訳(「文語訳聖書」の新約部分)では、底本をネストレの校訂本(実際は英訳聖書のRevised Version)としたので、ネストレ校訂本の本文はこの頌栄を含んでいませんのでRVも大正改訳も当然ありませんので、プロテスタントでも頌栄が聖書の文言であるとは思う人は少なかったことでしょう。

頌栄 Nestle初版
(Nestle初版)

 しかし、その勘違いを起こさせる最悪の聖書が出ました(この箇所においての話に今回は限定です。)。それが新改訳聖書です。その翻訳を見てみましょう。

新改訳
 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

 頌栄部分が亀甲括弧に囲まれて本文に載せられました。手元にある「聖書 新改訳 注解・索引・チェーン式引照付」(第二版)と小型「聖書 新改訳」(第三版)、小型和英対照、新約聖書中型伝道版の凡例と後書きを見てもこの亀甲括弧については説明がありません。欄外注に “最古の写本ではこの句は欠けている”と記載されていますが、スタンダードタイプとチェーン式以外では引照・注はないので、この情報は知ることができず聖書本文と勘違いする危険があります。また引照・注付きでもちゃんとそれらを利用しなければ誤解してしまいます。なぜ欄外注の方に記載せずに本文に載せたのか、これもファンダメンタル系のKJV信仰が関係しているのでしょう。KJVやNKJV、NASBなどファンダ系が好むものに引きずられているのかもしれません。

New King James Version
And do not lead us into temptation,
But deliver us from the evil one.
For Yours is the kingdom and the power and the glory forever. Amen.

 その他のものとしては、詳訳聖書、尾山令仁氏の現代訳と創造主訳がこれを本文に含めています。詳訳聖書は活字の大きさを変えて凡例にて “六ポイント活字で印刷してある部分は、英語欽定訳には訳出してあるが、その部分が最良の写本にはないことが一般に認められている部分である。”としていますし、原書Amplified Bibleの方では斜体にして “Italics point out:
1. certain familiar passages now recognized as not adequately supported by the original manuscripts.
This is the primary use of italics in the New Testament, so that, upon encountering italics, the reader is
alerted to a matter of textual readings. Often these will be accompanied by a footnote. See as an example
Matthew 16:2-3.
2. conjunctions such as “and,” “or,” and the like, not in the original text, but used to connect additional
English words indicated in the same original word. In this use, the reader, upon encountering a
conjunction in italics, is alerted to the addition of an amplified word or phrase. See as an example Acts
24:3.
3. words which are not found in the original Hebrew or Greek but implied by it.”と凡例に説明しています。

 現代訳の「新約聖書小見出し・脚注付き」の欄外注には、新改訳の注と同じく “古い写本には、これのないものがほとんどである。”と説明していますが、創造主訳には何も説明もありませんし、括弧もありませんし、斜体にもしていません。また活字の大きさも変えていません。

詳訳聖書 マタイ6:13
また、私たちを誘惑に陥れないで<連れ込まないで>、悪い者から私たちを救い出してください。 み国とみ力とご栄光はいつまでもあなたのものであるからです。アーメン。 

Amplified Bible
And lead (bring) us not into temptation, but deliver us from the evil one. For Yours is the kingdom and the power and the glory forever. Amen.

頌栄 NASV  Amplified Bible
(NASB Amplified Bible)

現代訳 マタイ6:13
私たちを誘惑に陥れないでください。かえって、私たちを悪魔から救い出してください。御国と力と栄光は、いつまでもあなたのものです。アーメン。』

創造主訳 マタイ6:13
私たちを誘惑に遭わせず 悪魔から救い出してください。 御国と力と栄光は、 いつまでもあなたのものです。 アーメン。』

 この頌栄はNestle-Alandの本文批評欄を見て分かるとおり、古い写本はこれを欠いていることが分かります。これを含めている大文字写本はレギウス写本、W写本、コリデティ写本、0233。小文字写本は家族13、33、多数派本文。その他としてラテン語訳やシリア語訳、コプト語訳の一部、ディダケーに見られます。この中で最古のものはディダケーの8:2でしょう。

頌栄 Nestle-Aland 27版
(Nestle-Aland27版 本文批評欄)

 ディダケーには、マタイ型の主の祈りに続けて “・・・ ὅτι σοῦ ἐστιν ἡ δύναμις καὶ ἡ δόξα εἰς τοὺς αἰῶνας.” “・・・ 力と栄光とは永遠にあなたのものだからです」。”(「使徒教父文書」 荒井献[編] 講談社文芸文庫 p.34)とあります。これに “η βασιλεία και ”「国と」が加えられた形でやがて一部の写本に入り込み、それらから書写された多くの後代のビザンチン型写本に載せられる結果を招いたのでしょう。

頌栄 ディダケー
(ディダケー)

 そして、やがてエラスムスが最初の「校訂版 新約聖書」(Novum Instrumentum omne)を作成するに当たって、Codex Basilensis A. N. IV. 2(12世紀)、Minuscule 2814(12世紀)、Codex Basiliensis A. N. IV. 1(12世紀)、Codex Basilensis A. N. IV. 4(12世紀)、Minuscule 2816(15世紀)、Minuscule 2817(12世紀)、Minuscule 817 (Gregory-Aland)(15世紀)これらのバーゼルの図書館にあった写本を用いて(欠落していた部分はウルガタをエラスムスがギリシャ語に翻訳して補った)出版しました。

頌栄 エラスムス
(エラスムスのNovum Instrumentum omne,2nd Edition, 1519)

 ルターはドイツ語訳をするにあたってエラスムス版の第二版を用いました。そのため1545年のルター訳においても頌栄はあります。

頌栄 1545年のルター訳
(ルター訳 1545年)

Luther 1545
13 Vnd füre vns nicht in versuchung. Sondern erlöse vns von dem vbel. Denn dein ist das Reich / vnd die Krafft / vnd die Herrligkeit in ewigkeit Amen.

 TRを底本としルター訳などから影響を受けたティンダルの英語訳聖書にも頌栄は載ることとなるのもしょうがありません。

頌栄 ティンダル訳 1525年 1534年
(ティンダル訳)

Tyndale New Testament 1525
And leade vs not into teptacion: but delyver vs fro evell. For thyne is ye kyngedome and ye power and ye glorye for ever. Amen.

 この流れがKJVに流れ、一端RVとASV、RSV、NRSVなどの方は写本上からその流れを断ち切ったものの、NKJVやNASBなどのファンダ系では継承されるに至っています。日本でもファンダ系の翻訳ではその流れが継承されています。そして、この形が正しいと思い込んだ人がでてくるのでしょう。


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Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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