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洗礼者ヨハネ、神の愛の「福音」に帰ろう

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洗礼者ヨハネ
2012/2/2(木) 午後 1:45
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/8382197.html

サバクトビバッタ
(Wikipediaより、パブリックドメイン画像)

 この前YouTubeで動画をいろいろと見ていましたら「イエス・キリストの謎に迫る」というナショナル・ジオグラフィックからの動画がありました。

http://www.youtube.com/watch?v=uw1G4rBq7g0&feature=related

この中で洗礼者ヨハネが出てきて、生きた蝗を捕まえて食べる場面がありました。福音書の中にヨハネがイナゴと野蜜を食べ物としていたことは、誰でもが知っていることですし、レビ記11:22に食物規定(カシュルート)として4種の昆虫を食べてもよいことが記されていることも知られたことです。

 しかし、どのように食べていたかはあまり触れられてこなかったように思われます。手元にある本にはそのことについて書かれているものはキリスト教サイドの本にはありませんでしたが、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)の『聖書に対する洞察』の本には『…サバクトビバッタはその75%がたんぱく質でした。今日では食用にする際、頭、脚、羽、腹の部分が取り除かれます。残った部分つまり胸部は、調理するか生のままで食されます。』(242頁)との記述がありました。ものみの塔の本ですからどこまで信用できるかは難しいところですが、特に教義に関わるところでもないので、この記述に関しては信用してもよいかもしれません。

 調理して何かに混ざっていたり、せめて素揚げならあれですが、生でそのままいただくというのは抵抗がありますね。その点日本のイナゴの佃煮はまだましかもしれませんね。

 さて、レビ記11章22節を文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳第2版・第3版、フランシスコ会訳(11年合本版)、岩波訳、七十人訳の秦剛平訳、新世界訳の訳語を比べてみると、見事なくらいバラバラでした。以下にそれぞれを記します。

 アルバ(’arbeh) LXX(βρουχον)
文語訳:蝗蟲【いなむし】の類
口語訳:移住いなごの類
新共同:いなごの類
新改訳:いなごの類
フラン:蝗【いなご】の類
岩波訳:トノサマバッタの類
秦剛平:蝗【いなご】と同類のもの
新世界:移住いなご

 ザールアーム(sol’am) LXX(αττακην)
文語訳:大蝗【おほいなご】の類
口語訳:遍歴いなごの類
新共同:羽ながいなごの類
新改訳:毛のないいなごの類
フラン:ソルアムの類
岩波訳:ヒシバッタの類
秦剛平:羽長蝗と同類のもの
新世界:食用いなごの類

 ハルゴール(chargol) LXX(ακριδα)
文語訳:小蝗【こいなご】の類
口語訳:大いなごの類
新共同:大いなごの類
新改訳:こおろぎの類
フラン:ハルゴルの類
岩波訳:こおろぎの類
秦剛平:バッタと同類のもの
新世界:こおろぎの類

 ハーガーブ(chagab) LXX(οφιομαχην)
文語訳:螇蚸【はたはた】の類
口語訳:小いなごの類
新共同:小いなごの類
新改訳:ばったの類
フラン:ハガブの類
岩波訳:羽長蝗の類
秦剛平:姫蜂と同類のもの
新世界:ばったの類


 ウィキペディアなんかを見ると、イナゴ(Catantopidae科)は大群となって蝗害を起こすことはなく、アルバ(出エジプト記10章でアルバは蝗害を起こしている。)はバッタ科のバッタであり、サバクトビバッタであるとの見解が書かれていました。そうすると大群となって蝗害をおこすトノサマバッタと訳した岩波訳は妥当な訳と言えるのでしょうね。また、これらザールアーム、ハルゴール、ハーガーブは実際はよくわかっていないものですから、フランシスコ会訳のようにそのまま音訳とするのもいいのかもしれません。

 しかし、虫嫌いとしては、生でバッタを食べるというのはぞぞ毛がたちますね。


*****

神の愛の「福音」に帰ろう
2013/10/8(火) 午後 2:08
https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/12133686.html

 映画「塩狩峠」の一場面に、俳優の滝田裕介さん演じるキリスト教の伝道者伊木一馬が辻にて、朝から暗くなっても道行く人々に伝道する路傍伝道の姿とそれを聞いている主人公の場面が出てきます。

「塩狩峠」より

「塩狩峠」より 2

 この場面で、伝道者は次のように道行く人々に語りかけています。

皆さん、本当の愛とはどんなものか、皆さんには分かりますか。
皆さん、愛とは自分の最も大事なものを人にやってしまうことです。
最も大事なものとは何でありますか。
それはいのちであります。
愛とは、自分のもっとも大事なものを人にやってしまうことではないでしょうか。
最も大事なものは何でありますか。
いのちであります。

十字架に掛かりたる  救い主を見よや
是(こ)は  汝(なが)犯したる  罪の為
唯(ただ)信ぜよ 唯(ただ)信ぜよ
信ずる者は誰(たれ)も 皆救われん

皆さん、しかし、私はたった一人、世にも馬鹿な男を知っています。
その男とは、イエス・キリストであります。
イエス・キリストは何一つ悪いことをなさらなかった。
そのイエス・キリストが十字架に掛けられたのであります。
自分の命を犠牲として、我々に与えてくださったのであります。
彼は自分は悪くないと言って、逃げることができたはずであります。
しかし、彼はそれをしなく、悪くない者が悪い者の罪を背負い、
悪い者が悪くないと言って逃げ、
ここにはっきりと神の子の姿と、罪人の姿があるのであります。
しかも皆さん、十字架につけられた時
イエス・キリストはその十字架の上で己を十字架につけた者のために、キリストはこう祈ったのであります。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」
聞きましたか皆さん、今、自分を刺し殺す者のために
何をしているのか自分でわからない彼らを
お赦しくださいと祈ることのできるこの方こそ
人の姿を取られた神の子そのものであることを、私は信じるのであります。
私はこの人となった神、イエス・キリストの愛を知っていただく為に、東京からここへやってまいりました。十日間というもの、町々で叫び続けてきましたが、誰も耳を傾けませんでした。
しかし、聖書はこのように約束しています。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。」
今でも心を開いて、我々の罪の為に、十字架の上に死んで三日目によみがえられた活ける神の子イエス・キリストを受け入れるなら、
あなたは救われて、新しい命を歩むことができるのです。
天にまします…

 今日、このような辻説法というか路傍伝道はトンとお目にかかりません。私のすでに亡くなった両親から、両親が子供の頃、まだ戦争が始まるずっと前のことですが、「耶蘇が赤い縁取りの聖書をもって、道端で信ずる者は救われると歌いながら布教していた。話しを聞くと赤い縁取りの聖書をもらえた。」と聞いたことがあります。聖書も今では、小口が赤いものは日本語訳では見かけなくなりました。絶版となったラゲ訳の当用漢字版が、新刊で小口が赤いものの最後のような気がします。

 この映画の伝道者の言葉は、「福音」であります。では今街中にあるキリスト教看板やそれを貼り付けている団体による街宣伝道、また、一部の福音派や聖霊派の行なっている街頭での伝道や配布されているチラシなどのメッセージは、「福音」でしょうか。

 1903年に三谷種吉によって作詞され、日本福音連盟の「聖歌」に収められている聖歌424番「ただ信ぜよ」(「十字架にかかりたる」)の歌詞は、この素朴な「福音」のメッセージをよく表しています。また、路傍伝道にて広く歌われたため、キリスト教徒でない人でもキリスト教とは、キリストを「信ずる者は救われん」であることが知られています。

 キリスト教看板も断罪のメッセージではなく、本当の神の愛の「福音」、良い便りを知らせてもらいたいものです。この「福音」を伝えているのかで、偽物のキリスト教が第一の篩にかけられ見分けられます。エホバの証人(ものみの塔協会)の布教などは戸別訪問伝道を行っていることもあり、その伝道に遭ってしまう可能性の高いものですが、しかし、彼らのメッセージは先ほどの映画のものですが、そのような内容と比べてどうでしょうか。彼らの喜ばしいたよりとは、世の終わりの大患難やハルマゲドンを生き延び、最後の審判にて地上の楽園に生き残ることにしか過ぎません。また、ファンダメンタリストでディスペンセーションなんかを信じる人々も終末や携挙なんかの比率は高いですし、聖霊派などの神からの祝福と呪いなどの現世利益や奇跡追求型のメッセージも「福音」から大きく離れています。

 キリスト教はリベラル・エキュメニカル派、福音派・聖霊派問わず、神の愛の「福音」に帰ろう。ということにこころを砕いてもらいたいですね。これはわたし達の信仰の礎を、この国に築いた先達者たちの伝えた「福音」であります。もう一度この足元に目を向けて、神の愛の「福音」に帰るべきでしょう。

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