主の十字架
受苦日を目前にし、聖週間ということで2013年に北からのルーアハに書いて公開した記事を再掲します。
◎鞭打たれる
マタイによる福音書27章11節~26節
27:11さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 27:12しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。 27:13するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。 27:14しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。 27:15さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。 27:16ときに、バラバという評判の囚人がいた。 27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。 27:18彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。 27:19また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。 27:20しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。 27:21総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。 27:22ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。 27:23しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。 27:24ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。 27:25すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。 27:26そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。

イエスは死刑判決を受けた後に、十字架刑に引き渡される前に鞭打ちの刑を課せられました。メル・ギブソンの監督した映画、「パッション・オブ・ザ・クライスト」においてこの場面は、それまでのキリストの受苦(パッション)を描いた映画にはないほどよく再現再現されていました。

ローマ帝国における鞭打ちの刑はとても残酷なものでした。鉄の玉や動物のとがった骨などが編みこまれた革鞭が用いられました。映画においては金属のかぎ状のものがついた革鞭が用いられ、イエスの背中を30回、続いて体の前面を30回鞭打っていました。ユダヤの律法による鞭打ちならば(鞭の形状はローマ帝国ほど残酷なものであったかは不明です)、ハラハーによって鞭打ちの回数は39回までと定められていました。

現在でも鞭打ち刑はシンガポールでは行なわれているようです。ウィキペディアによると同地においては籐の鞭が使用され、最大で24打までで死刑判決を受けた者には施さないとされています。また、同じウィキペディアのページでは、水牛の皮を用いた革鞭で50打もすると、外傷性ショックから死にいたる危険性があると出ていました。
鞭打ち
ローマ帝国の鞭打ち刑は、現代や近代のものに比べるとはるかに残酷で過酷なものと感じられます。ローマ兵があの鞭にて、力いっぱい振るったとき、打たれた場所は挫傷し強烈な打撲が加えられます。背の皮は裂け、打たれる度に皮膚と血、筋肉組織ははじけ飛び、脊椎やあばら骨があらわに成ることでしょう。

下手をすると十字架を荷うまでもなく、外傷と大量の出血により循環血液減少性ショックによって死に至っていてもおかしくはない状態でした。イエスが十字架にかけられた時、すでにこれらの症状が出ていたことが福音書の記述からも判ってきています。

◎主死に給まえり
十字架に引かれて行くことになったイエスは、事前の鞭打ち刑により、その体に極度の裂傷や打撲が加えられ、相当量の出血があったと考えられます。生きているのがぎりぎりであったのかもしれません。

ローマ兵たちは、通常の十字架刑と同じく、囚人に自分の磔けられるであろう一本のスタウロスを担がされます。もう一本の縦のスタウロスはすでに刑場に立っていたと考えられています。

しかし、福音書の証言によれば、刑場に向かう途上に、そこに通りがかったクレネ人のシモンに強いてイエスの十字架を負わせたと書かれています。カトリックの伝承の中に「十字架の道行」とか「主の十四留」と呼ばれるものがありますが、イエスは刑場への道すがら三度倒れられ(第三留、第七留、第九留)、最初に倒れられた後(第三留)、クレネ人のシモンがイエスに代わって十字架を担いで行きます(第五留)。イエスが倒れられたことは、四つの福音書は伝えていませんが、イエスがその鞭打ちの怪我と出血のため、急性の循環血液量減少性ショックの状態に陥っていた為、ローマ兵が死刑囚ではない通りがかった行きずりの人間に、その十字架を負わせなければならなかったほどだったと推察できるでしょう。


さて、このイエスの状態は大変危険なもので、その怪我と打撲によって、背中の皮膚は破け、血管は裂け、筋肉組織はそぎ落とされて骨が見えるばかりで、そこから出血が続いている状態です。大量に血液を失ったことにより血圧は極端に低くなり、頻脈が起こり、体の細胞は酸欠状態となりチアノーゼが現れ、各種臓器には深刻なダメージが与えられ、過呼吸、意識障害、乏尿などがおこり、それが継続するだけでなく悪化して行くという、とても生命を維持すること自体、困難な状況になりつつありました。そして、刑場に着いた時、十字架につけるために、傷跡にへばりついた衣服を無理やり剥ぎ取りました。マルコが伝えるところでは、この時ローマの兵士は鎮静薬としても使われた“没薬”を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたことからも、ひどい状態であったと思われます。

衣服を剥ぎ取られたイエスは、スタウロスに釘付けにされます。

1968年にエルサレムの都市の境界の真北にて、一世紀の前半ごろに十字架に磔られた男の骨が入った納骨棺が発見されました。納骨棺には名前が記されていて、ヨナタンという名前の人物であったことがわかりました。その発見により十字架刑の形態が判ってきました。

まず、十字架の上に横たわらされ、手を釘付けする為に腕を広げさせられ、正中神経のある手首に約15cmもある釘が打ち込まれます。

そして、同じように足にも釘が打ち込まれます。ヨナタンのかかとの骨を見ると、彼は真横から打ち込まれていました。イエスの場合はどうだったのかはわかっていません。


こうしてイエスの釘付けられた十字架は立てられ、死へのカウントダウンが始まります。このような形で吊るされた時、胸部の拡大と収縮を行なう呼吸筋が緊張した状態になります。この状態では息を吸い込んだ状態のまま固定され、息が吐けなくなります。息を吐くためにはこの緊張を解かなければなりません。そのためには釘付けにされた足に力を入れ、体を持ち上げなければなりません。そして、やっとの思いで息を吐き出して足に掛けた力を緩めることができます。このままではすぐに力尽きて、体が落ちて死んでしまいやすいので、十字架には台座が取り付けられているので、体が落ちきってしまうことはなく、苦しいのにぎりぎり死ねない状態になります。すぐに死なせようと思えば、ローマ兵がイエスと共に磔にされた二人の強盗したように、すねの骨を折って、足で体を支えられないようにすれば、すぐに窒息して死んでしまいます。

この状態で数日間置かれて死に至るのですが、イエスの場合はすでに瀕死の状態でしたので、昼の十二時より前に十字架に磔られたイエスは、三時ごろに亡くなったといわれています。あまりにも早く死んだので、ローマの兵士がわき腹から槍を刺し、その死を確認しました。

この時、イエスのわき腹から“すぐ血と水が流れ出た。”(ヨハネ19:34、新共同訳)といわれていることから、心不全を起こして死んだとも考えられます。それはこのヨハネの伝える状態が、心臓と心臓を覆う心外幕の間に液体が溜まる心タンポナーデの状態と肺に水の溜まる胸水の状態であったと思われます。
急性の心タンポナーデすなわち急性液体貯留の原因の一つとして、「チーム医療を担う医療人共通テキスト 病気がみえる Vol.2 循環器」(メデックメディア刊)によると、出血(急性心筋梗塞〔AMI〕後の心破裂.外傷)があげられています。そのためイエスの死因について、昔のものには心破裂をあげる説もありました。しかし、心破裂は心室圧が400mmHg以上になった時起こるとされていますので、急性循環血液量減少性のショック状態で起こるのかわかりませんが、基本的兆候として血圧が極端に下がるといわれていますので、心破裂はないのではないかと感じられます。そして、外傷もまた原因とされているので、そちらの方が可能性が高いように感じられます。

さて、心タンポナーデとは、心外幕と心臓の間に液体が大量に溜まり、そのことにより心臓の拍動が阻害されてしまう状態で、早期に心不全に移行してしまう危険な状態です。
胸水と心不全は多くの人は経験したことのないものですが、わたしは心臓の難病から来る慢性心不全ですので、この状態の苦しみというものの僅かですが体験しています。ものすごく悪い時に、おそらく心不全の病期の分類ではNYHA Ⅳ度(Ⅰ~Ⅳまであります)で、安静時にも呼吸困難が起こっている状態で、わずか50メートルに満たない距離にあるところに歩いて行くのにも、まるで全力で走った後のように荒い呼吸となり、酸欠状態を起こしチアノーゼが出ている状態でした。また胸水が溜まっているので、横になると呼吸困難を起こし横になって寝ることができませんでした。そんなことからもイエスがこの状態で刑場まで引かれて行かされ、さらに十字架で呼吸も絶え絶えになられた苦しみはいかほどであったのかと思います。
こうしてイエスは死なれ、その亡き骸は安息日が始まるまでの二三時間の間に取り降ろされ、墓に納められました。

◎鞭打たれる
マタイによる福音書27章11節~26節
27:11さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。 27:12しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。 27:13するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。 27:14しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。 27:15さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。 27:16ときに、バラバという評判の囚人がいた。 27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。 27:18彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。 27:19また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。 27:20しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。 27:21総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。 27:22ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。 27:23しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。 27:24ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。 27:25すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。 27:26そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。

イエスは死刑判決を受けた後に、十字架刑に引き渡される前に鞭打ちの刑を課せられました。メル・ギブソンの監督した映画、「パッション・オブ・ザ・クライスト」においてこの場面は、それまでのキリストの受苦(パッション)を描いた映画にはないほどよく再現再現されていました。

ローマ帝国における鞭打ちの刑はとても残酷なものでした。鉄の玉や動物のとがった骨などが編みこまれた革鞭が用いられました。映画においては金属のかぎ状のものがついた革鞭が用いられ、イエスの背中を30回、続いて体の前面を30回鞭打っていました。ユダヤの律法による鞭打ちならば(鞭の形状はローマ帝国ほど残酷なものであったかは不明です)、ハラハーによって鞭打ちの回数は39回までと定められていました。

現在でも鞭打ち刑はシンガポールでは行なわれているようです。ウィキペディアによると同地においては籐の鞭が使用され、最大で24打までで死刑判決を受けた者には施さないとされています。また、同じウィキペディアのページでは、水牛の皮を用いた革鞭で50打もすると、外傷性ショックから死にいたる危険性があると出ていました。
鞭打ち
ローマ帝国の鞭打ち刑は、現代や近代のものに比べるとはるかに残酷で過酷なものと感じられます。ローマ兵があの鞭にて、力いっぱい振るったとき、打たれた場所は挫傷し強烈な打撲が加えられます。背の皮は裂け、打たれる度に皮膚と血、筋肉組織ははじけ飛び、脊椎やあばら骨があらわに成ることでしょう。

下手をすると十字架を荷うまでもなく、外傷と大量の出血により循環血液減少性ショックによって死に至っていてもおかしくはない状態でした。イエスが十字架にかけられた時、すでにこれらの症状が出ていたことが福音書の記述からも判ってきています。

◎主死に給まえり
十字架に引かれて行くことになったイエスは、事前の鞭打ち刑により、その体に極度の裂傷や打撲が加えられ、相当量の出血があったと考えられます。生きているのがぎりぎりであったのかもしれません。

ローマ兵たちは、通常の十字架刑と同じく、囚人に自分の磔けられるであろう一本のスタウロスを担がされます。もう一本の縦のスタウロスはすでに刑場に立っていたと考えられています。

しかし、福音書の証言によれば、刑場に向かう途上に、そこに通りがかったクレネ人のシモンに強いてイエスの十字架を負わせたと書かれています。カトリックの伝承の中に「十字架の道行」とか「主の十四留」と呼ばれるものがありますが、イエスは刑場への道すがら三度倒れられ(第三留、第七留、第九留)、最初に倒れられた後(第三留)、クレネ人のシモンがイエスに代わって十字架を担いで行きます(第五留)。イエスが倒れられたことは、四つの福音書は伝えていませんが、イエスがその鞭打ちの怪我と出血のため、急性の循環血液量減少性ショックの状態に陥っていた為、ローマ兵が死刑囚ではない通りがかった行きずりの人間に、その十字架を負わせなければならなかったほどだったと推察できるでしょう。


さて、このイエスの状態は大変危険なもので、その怪我と打撲によって、背中の皮膚は破け、血管は裂け、筋肉組織はそぎ落とされて骨が見えるばかりで、そこから出血が続いている状態です。大量に血液を失ったことにより血圧は極端に低くなり、頻脈が起こり、体の細胞は酸欠状態となりチアノーゼが現れ、各種臓器には深刻なダメージが与えられ、過呼吸、意識障害、乏尿などがおこり、それが継続するだけでなく悪化して行くという、とても生命を維持すること自体、困難な状況になりつつありました。そして、刑場に着いた時、十字架につけるために、傷跡にへばりついた衣服を無理やり剥ぎ取りました。マルコが伝えるところでは、この時ローマの兵士は鎮静薬としても使われた“没薬”を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたことからも、ひどい状態であったと思われます。

衣服を剥ぎ取られたイエスは、スタウロスに釘付けにされます。

1968年にエルサレムの都市の境界の真北にて、一世紀の前半ごろに十字架に磔られた男の骨が入った納骨棺が発見されました。納骨棺には名前が記されていて、ヨナタンという名前の人物であったことがわかりました。その発見により十字架刑の形態が判ってきました。

まず、十字架の上に横たわらされ、手を釘付けする為に腕を広げさせられ、正中神経のある手首に約15cmもある釘が打ち込まれます。

そして、同じように足にも釘が打ち込まれます。ヨナタンのかかとの骨を見ると、彼は真横から打ち込まれていました。イエスの場合はどうだったのかはわかっていません。


こうしてイエスの釘付けられた十字架は立てられ、死へのカウントダウンが始まります。このような形で吊るされた時、胸部の拡大と収縮を行なう呼吸筋が緊張した状態になります。この状態では息を吸い込んだ状態のまま固定され、息が吐けなくなります。息を吐くためにはこの緊張を解かなければなりません。そのためには釘付けにされた足に力を入れ、体を持ち上げなければなりません。そして、やっとの思いで息を吐き出して足に掛けた力を緩めることができます。このままではすぐに力尽きて、体が落ちて死んでしまいやすいので、十字架には台座が取り付けられているので、体が落ちきってしまうことはなく、苦しいのにぎりぎり死ねない状態になります。すぐに死なせようと思えば、ローマ兵がイエスと共に磔にされた二人の強盗したように、すねの骨を折って、足で体を支えられないようにすれば、すぐに窒息して死んでしまいます。

この状態で数日間置かれて死に至るのですが、イエスの場合はすでに瀕死の状態でしたので、昼の十二時より前に十字架に磔られたイエスは、三時ごろに亡くなったといわれています。あまりにも早く死んだので、ローマの兵士がわき腹から槍を刺し、その死を確認しました。

この時、イエスのわき腹から“すぐ血と水が流れ出た。”(ヨハネ19:34、新共同訳)といわれていることから、心不全を起こして死んだとも考えられます。それはこのヨハネの伝える状態が、心臓と心臓を覆う心外幕の間に液体が溜まる心タンポナーデの状態と肺に水の溜まる胸水の状態であったと思われます。
急性の心タンポナーデすなわち急性液体貯留の原因の一つとして、「チーム医療を担う医療人共通テキスト 病気がみえる Vol.2 循環器」(メデックメディア刊)によると、出血(急性心筋梗塞〔AMI〕後の心破裂.外傷)があげられています。そのためイエスの死因について、昔のものには心破裂をあげる説もありました。しかし、心破裂は心室圧が400mmHg以上になった時起こるとされていますので、急性循環血液量減少性のショック状態で起こるのかわかりませんが、基本的兆候として血圧が極端に下がるといわれていますので、心破裂はないのではないかと感じられます。そして、外傷もまた原因とされているので、そちらの方が可能性が高いように感じられます。

さて、心タンポナーデとは、心外幕と心臓の間に液体が大量に溜まり、そのことにより心臓の拍動が阻害されてしまう状態で、早期に心不全に移行してしまう危険な状態です。
胸水と心不全は多くの人は経験したことのないものですが、わたしは心臓の難病から来る慢性心不全ですので、この状態の苦しみというものの僅かですが体験しています。ものすごく悪い時に、おそらく心不全の病期の分類ではNYHA Ⅳ度(Ⅰ~Ⅳまであります)で、安静時にも呼吸困難が起こっている状態で、わずか50メートルに満たない距離にあるところに歩いて行くのにも、まるで全力で走った後のように荒い呼吸となり、酸欠状態を起こしチアノーゼが出ている状態でした。また胸水が溜まっているので、横になると呼吸困難を起こし横になって寝ることができませんでした。そんなことからもイエスがこの状態で刑場まで引かれて行かされ、さらに十字架で呼吸も絶え絶えになられた苦しみはいかほどであったのかと思います。
こうしてイエスは死なれ、その亡き骸は安息日が始まるまでの二三時間の間に取り降ろされ、墓に納められました。

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