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神を畏れ、信頼し、愛する

十誡 一・二誡


 十誡(「十戒」は仏教の「十戒」、聖書の「10のことば」とも呼ばれる十誡はごんべんの方の「誡」が本来)の区分において、カトリック教会とルーテル派教会ではアウグスチヌスの区分に従っているので、ユダヤ教の区分に従っているギリシャ正教や聖公会、その他のプロテスタント諸教派諸教会の区分と異なり、彼らの「第一誡」と「第二誡」が第一誡となり、そして、彼らの「第十誡」を二つに区分し第九誡と第十誡となっているのはルーテル派やカトリックのキリスト者なら周知のことだと思います。
 
 よく、この区分の違いからカトリック教会に対して、偶像の禁止を省いているとか、聖像や聖画崇拝を容認する為に取り除いたなどという批判をプロテスタントの信者が投げかけているのをよく目にしたりするものです。ルーテル派に対してそのような批判が無いのは、単純にルーテル派の区分もそうなっているというとを知らないだけでしょう。おなじプロテスタントなので同じだと思われているのかもしれませんし、ルーテル派の礼拝堂にはカトリックのような聖像や聖画などは一切置かれていない、他のプロテスタント同様精々十字架(カトリックのようなイエスの「像」は付いていないもの)がある程度なため意識下にも上らないためなのかもしれません。
 
 しかし、わたしたちの「第一誡」を二つに分けてしまう方が、偶像というものを単なる彫像に限定してしまい、矮小化してしまう危険が大きいと感じられます。まずはルターの「小教理問答書」から見てみましょう。いつも通り著作権保護期間切れの岩波文庫の石原謙訳(昭和14年)から引用したいと思います(漢字は当用漢字に直しています)。
 
“第一誡、「汝は他の神々を有つべからず。」
 此意味は何か。
 答。我々はあらゆる物にまさつて、神を畏れ愛し且つ信頼すべきである。”
 
 とても簡潔ではありますが、ここに必要なすべてがあります。まず「偶像」ということについて見てみましょう。ルターは「神を畏れ愛し且つ信頼すべきである。」と述べています。これはわたしたちの神以上にわたし達が畏れ、信頼し、愛するすべてのものは、私たちにとって偶像となるということです。単に刻まれた像や描かれた絵だけを指すのではありません。わたしたちの心の作用が神ならぬものを神としてしまいます。お金も、人も、関係性も、学問も、力も、権力も、自分自身も、意識するとしないとに関わらず偶像になりえるということです。

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これはヘブライ語のこの箇所の冒頭句がよく表しています。昔、改革派の牧師より此の箇所が「してはならない」ではなく「ありえない」「あるはずがない」という意味であることについてこのように教えてもらいました。“現代ヘブライ語で言えば動詞未来形二人称(三人称)は命令の意味になるのです。聖書ヘブライ語で言えばそれは動詞の未完了形です。出エジプト記20章の十戒はその良い例です。”と、そして牧師からヘブライ語とその読みなどを手書きで詳しく書いてくれたものと私訳で「あなたにとって神々はありませんでしょう。」「あってはならない。」との説明を受けました。
 
 原語では「ろー イヒイェ」(ありえない)ではじまります。すなわちわたしを畏れ信頼し愛するあなたに「他の神々はありえない」と神はわたしたちに語りかけています。わたしが本当に神を畏れ、信頼し、愛しているなら極端な話し、カトリックの聖像や正教会のイコン、その他の像を持っていたとしてもそれはその人にとって偶像になりえないしなっていないということです。昔、求道者だった頃、牧師(当時の)に御像つきの十字架について、「先生これは偶像になりますか?」と問うた時、牧師は「それは○○さんの心次第です。」と言われました。後にルターのこの小教理問答書を学んだ時、あの時牧師の言わんとしたことはこのことだったのかと気づかされたということを思い出します。
 
 わたしたちはどのようにそのような正しく主を畏れ、信頼し、愛することができるのだろうかと疑問に思ったりもします。そこで「小教理問答書」の主の祈りを思い起こします。
 
“「天に在し給ふ我等の父よ。」
此意味は何か。
 答。神は之を以て我々を誘ひ、我々をして、神が我々の眞の父であり、我々は神の眞の子であることを信ぜしめ、かくて我々は慰められ、また全き信頼を興へられて、恰も可憐な子達が其愛する父になす如くに彼に祈り求めることを得しめられるのである。”
 
 神こそがわれわれを「誘い」、われわれに「信ぜしめ」、「慰められ」、「信頼を興へられ」、祈ることすら「得」せしめられているということです。わたしがそれをするのでも、できるのでもなく、神がまさしくそれをなさられるのです。わたしたちは子猫が母猫に身を委ねるようにしていれば、神は良いようにしてくださることでしょう。

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