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The Emphatic Diaglott(エンファティック・ダイアグロット訳)①

 さて久しぶりにエホバの証人系の気になったところを一つ。エホバの証人では新世界訳聖書の日本語改訂版(2013年改訂英訳からの翻訳)が2019年に出版されましたが、今は昔と違って紙媒体ばかりでなくネットなどで、ものみの塔聖書冊子協会が現在信者や研究生、一般の人に読んでもらいたい聖書、雑誌、冊子、書籍などが公開されています。これは70年代以降のものならオフラインでも使えるダウンロード版のWatchtower Libraryやオンラインで使えるWatchtower ONLINE LIBRARY で読むことができます。

 現在、「ものみの塔聖書冊子協会」が公開している聖書では、英語版は「New World Translation of the Holy Scriptures (1984 Edition)」、「New World Translation of the Holy Scriptures (2013 Revision)」、「New World Translation of the Holy Scriptures (Study Edition)」、「The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures」、「American Standard Version」、「The Bible in Living English」、「King James Version」などがあります。あと日本語訳では「新世界訳聖書(1985年版)」、「新世界訳聖書(2019年改訂版)」、「聖書 ― マタイによる福音書」、「新世界訳聖書(スタディー版)」などです。

 紙媒体聖書の方は新しいものが出ると古いものは印刷出版されないので、在庫がなくなれば手に入れられなくなります(これは他の出版物も同じ)。そして、この中で彼らが版権と著作権を買い取って長い間販売してきた(著作権が1952年に切れて以降も1990年まで配布)「The Emphatic Diaglott」が公開されていないのに気が付きます。

The Emphatic Diaglott 1891Edition URL
(The Emphatic Diaglott 1891 Editionのリプリント版)


The Emphatic Diaglott URL
(The Emphatic Diaglott 1942 Edition)

 出版権を得て販売したりしていた「American Standard Version」、「The Bible in Living English」、「King James Version」などはもう著作権などは切れていますが、このように公開していますが「The Emphatic Diaglott」はそうはしていません。

 The Emphatic Diaglott(エンファティック・ダイアグロット訳)はインターリニア(テキストの行間に翻訳を載せたもの。多くの場合行間訳の横に何らかの翻訳を対照として載せている形態のものが一般的です。エンファティック・ダイアグロット訳の場合はベンジャミン・ウィルソンの訳を載せている)版の聖書で、1864年にベンジャミン・ウィルソンによって出版されたもので、彼の死後、著作権相続者から出版権と版板をチャールズ・テイズ・ラッセルが第三者を通じて買い取ったものです。そのことについてはものみの塔誌にこうあります。


”*** 塔70 2/15 113–115ページ 6–9節 聖書の「行間逐語訳」 ***
6 その後200年を経て,一般の聖書研究生にとってさらに実用的な翻訳が世に出ました。1857年のこと,アメリカのイリノイ州ジュネーブの一新聞編集者ベンジャミン・ウィルソンが,霊感の下にしるされたギリシア語聖書の行間逐語訳の第1部を出版したのです。その最後の巻は1863年に出版され,1864年には全巻が1冊にまとめて出版されました。これが「エンファチック・ダイアグロット訳」です。「ダイアグロット」とは文字どおりには「ことばによって」という意味ですが,「行間翻訳」を意味するものとされています。1902年,この「ダイアグロット訳」の版権および金属版はニューヨークのファウラー・ウェルズ社から買い取られ,当時,チャールズ・T・ラッセルが会長を勤めていた,アメリカの,ものみの塔聖書冊子協会に寄贈されました。1927年,同協会は協会所有の印刷機でこのダイアグロット訳を印刷出版しはじめ,以来今日でも出版し続けています。
7 「ダイアグロット訳」は,ドイツのJ・J・グリースバッハ博士が1775年から1777年にかけて行なった校訂に基づくギリシア語本文を各ページの左側の広い欄に載せ,その本文の下に各々のギリシア語に対応する英語のことばをしるしています。そして各ページの右側の狭い欄にはベンジャミン・ウィルソンの行なった近代英語の翻訳が掲げられています。
8 ものみの塔協会初代会長C・T・ラッセルが,霊感の書であるギリシア語聖書がキリストの再「臨」について述べていることを知ったのはこの「エンファチック・ダイアグロット訳」からでした。「ダイアグロット訳」は問題のギリシア語「パルーシア」を欽定訳聖書の場合のように,「来る」という意味に訳さず,正確に「臨在」と訳出しています。したがってC・T・ラッセルは1879年7月に刊行した新しい聖書雑誌を,「シオンのものみの塔およびキリスト再臨の先ぶれ」と命名しました。90年後の今日,この雑誌は「エホバの御国を知らせる,ものみの塔」と呼ばれており,72か国語で発行されています。1862年つまり「エンファチック・ダイアグロット訳」が完成された前年,ロバート・ヤング博士がスコットランドのエジンバラで「ヤングの逐語訳聖書」を出版しました。この訳もギリシア語の「パルーシア」を,「来る」という意味に訳出せず,「臨在」という意味に翻訳していました。しかし「ものみの塔」誌の編集者ラッセルは当誌の名称を最初に定めた1879年当時,このことを知らなかったようです。ヤングはまた,「聖書分析索引」を出版しました。その188ページ第1欄に「パルーシア」は「そばにいること」,または「臨在」を意味するとしるされています。「ものみの塔」誌1883年4月号はこの聖書索引を聖書研究生に推薦しました。
9 「エンファチック・ダイアグロット訳」の出版後,聖書の他の行間逐語訳が世に出ました。1877年,英国,ロンドンのサムエル・バグスター・アンド・サンズ社がいわゆる「英国人のギリシア語新約聖書」を刊行しました。これは1550年ステファヌス版ギリシア語本文の下に行間逐語訳を付し,各々のページの外側の欄に1611年版「欽定訳」の訳文を載せたものです。後日,1960年にこの同じ出版社は「新約聖書 希英行間逐語訳」を刊行しました。この聖書は各ページの右側の欄に,1898年ドイツの学者エベルハルト・ネストルの編さんしたギリシア語原文を掲げ,その下にアルフレッド・マーシャルの行間逐語訳を載せ,各ページの左側の欄には欽定訳聖書の訳文を収めたものです。 ヘブル語聖書の行間逐語訳については1896年,アメリカのイリノイ州シカゴで「ヘブル語旧約聖書 行間逐語訳」が出版されました。これはジョージ・リッカー・ベリー哲学博士による行間逐語訳ですが,創世記と出エジプト記を収めた第1巻が出版されたにすぎません。“


 このエンファティック・ダイアグロット訳について検索しますと、引用のようなものみの塔協会の書籍や雑誌などの情報しかないので、そういったものから得られるネットの記事の批判もそれに基づいたものになり、例えばベンジャミン・ウィルソンが利用した「新約聖書の学問的批評の始まり」(「新約聖書本文研究」 B.M.メッガー著 日本基督教団出版局)であるJ・J・グリースバッハの本文自体の批判はギリシャ語の能力や聖書学の知識などからできないので、J・J・グリースバッハ博士(ドイツの聖書学者)個人の信仰である永遠の裁き(地獄)を否定していることを批判したりしています。はっきり言って全く筋違いの攻撃をしていたりします。そんなこと言えば現在の翻訳聖書の底本となっているネストレ=アーラントやUBS版の校訂本文などはユニテリアンの学者なども入っていますからけしからんとか、旧約聖書の底本の一つ「ビブリア・ヘブライカ・クインタ」にはモルモンの学者が入っているからけしからん、信用できんなどと言うのと一緒で(米国のKing James Only movementや福音派の原理主義者、聖霊派などにみられる)頓珍漢なものです。

 ベンジャミン・ウィルソンとものみの塔のチャールズ・テイズ・ラッセルとは直接的なつながりはありません。なのでものみの塔関連での批判は意味がありません。しかし、聖書学者でもなく、神学教育などを受けたわけでもない独学のベンジャミン・ウィルソンのこのエンファティック・ダイアグロット訳が学問的かといえば疑問でしょう。

 そして、ベンジャミン・ウィルソン自身の信仰的立場、所属団体を知れば、実にチャールズ・テイズ・ラッセルやものみの塔協会が利用するのに都合の良いインターリニア聖書であったことがわかります。

 まず、ものみの塔協会のこのインターリニア聖書の利用個所で、特にものみの塔独自の教義の裏付けのように使われているものとしては、

●18か所でJehovah(エホバ)を使っている。
●ギリシャ語パルーシア(παρουσία)をキリストの再臨の個所において再臨(Coming)ではなく臨在(presence)と訳している。
●イエスが神ではなく被造物であるとしている。
●地獄の否定

といった四点でしょう。


”*** 論 89ページ 9節 エホバ ***
エンファティック・ダイアグロット,ベンジャミン・ウィルソン訳: クリスチャン・ギリシャ語聖書のこの翻訳の中では,エホバという名がマタイ 21章9節と他の17箇所に出ています。“


”*** 聖8‐参 1768ページ 5ロ キリストの臨在(パルーシア) ***
5ロ キリストの臨在(パルーシア)
マタイ 24:3 ― ギ語,τὸ σημεῖον τῆς σῆς παρουσίας(ト セーメイオン テース セース パルーシアス)
1864年
『汝の臨在のしるし』
エンファティック・ダイアグロット訳(エ21),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。“

”*** 塔83 11/1 23–24ページ 8節 「神のイスラエル」と異邦人の時の終わり ***
8 メシアなるイエスが目に見えないご自分の「臨在」の証拠として描写された「しるし」は,1914年における異邦人の時の終わりに目に見えるようになりました。イエスが殉教する少し前に使徒たちはイエスにこう尋ねました。「これらのことがいつ生ずるか,― あなたの臨在と時代の終結のしるしが何であるか,わたしたちに告げてください」。(マタイ 24:3,J・ロザハムによるエンファサイズド・バイブル。ベンジャミン・ウィルソンによるエンファティック・ダイアグロット訳。“


”*** 塔99 5/1 4ページ すべての人が自由を得る ***
すべての人が自由を得る
「今の時期のいろいろな苦しみは,わたしたちのうちに表わし示されようとしている栄光に比べれば,取るに足りないものとわたしは考えます。創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです」― ローマ 8:18‐22。
*** 塔99 5/1 5ページ すべての人が自由を得る ***
「虚無に服させられました」
ここで出てくる「創造物」という言葉について,ベンジャミン・ウィルソンは「エンファティック・ダイアグロット訳」の中で,これは一部の人たちが示唆しているように「獣類や無生の被造物」を意味するのではなく,「全人類」を指していると述べています。(コロサイ 1:23と比較してください。)この言葉は,人間家族全体,つまり自由を待ち望むわたしたちすべてに言及しているのです。わたしたちは,最初の二親の取った行動ゆえに「虚無に服させられました」。そうなったのは,「[わたしたち]自らの意志によるのではなく」,また個人的に決定した事柄の結果でもありません。わたしたちはその状態を受け継いだのです。聖書的な観点から見ると,「人は生まれながらに自由」であると述べたルソーは間違っていました。わたしたち一人一人は罪と不完全さの束縛のうちに生まれ,欲求不満と虚無に満たされた体制のいわば奴隷となっているのです。―ローマ 3:23。“

上に引用した記事に関連した箇所
” †19.20.21.22. has the same signiflcation here as in Mark xvi. 15: ''Proclaim the GLAD TIDINGS to the Whole ,'' that Is, all mankind ; and also CoL. 1. 23, where a similar phrase occurs. That the brute and inanimate creation is not here spoken of, but mankind , is evident from the hope of emancipaton from the ''SLAVERY of CORRUPTION'' held out in the 21st verse, and the contrast introduced in the 23rd verse, between the ktisis and those ''possessing the FIRST-FRUIT of the SPIRIT.'' ( †19.20.21.22。 ここでは、Markxviと同じ意味があります。 15:「全体にGLAD TIDINGSを宣言する」、つまり、すべての人類; そしてまたCoL。 1. 23、同様のフレーズが発生します。 野蛮で無生物の創造物はここでは話されていませんが、人類は、21節で行われた「腐敗の奴隷」からの有生性の希望と23節で導入されたktisis間のコントラストから明らかです そしてそれらは「精神の最初の果物を所有している」。)“
(「The Emphatic Diaglott」 ローマ8:19の欄外注 p.531、Google翻訳)

”*** 塔88 6/1 13–14ページ 17節 イエス・キリスト ― 神の愛するみ子 ***
17 イエスは決して神ご自身ではあり得ませんでした。神によって創造されたからです。ベンジャミン・ウィルソンのエンファティック・ダイアグロット訳が黙示録(啓示)3章14節をどのように訳出しているかに注目してください。「アーメンなる者,忠実かつ真実なる証人[イエス],神の創造の始めである者がこれらのことを言う」。同様に,コロサイ 1章15節と16節はイエスについてこう述べています。「彼は見えない神の像であって,全創造物の初子です。なぜなら,他のすべてのものは,天においても地においても……彼によって創造されたからです。他のすべてのものは彼を通して,また彼のために創造されているのです」。したがって,全能の神は天においてみ子を直接に創造してから,ちょうど熟練した職人が自分の代わりに,訓練を受けた徒弟に仕事を行なわせるように,「彼によって」,あるいは「彼を通して」他のものを創造されました。それら「彼によって」創造されたものにイエス自身は含まれていませんでした。神はすでに彼を創造しておられたからです。それで彼は「初子」,「独り子」と呼ばれています。子供が初子,独り子であれば,子供が父と同じであることは絶対にありません。どんな場合でも,父と子供という,二つの異なった人格的存在が関係しているのです。“


”*** 千 15章 291–292ページ 18節 やぎのような人たちが王国を受け継げない理由 ***
18 この問題に関するそうした論理的で,聖書にかなった理解と合致するものとして,ベンジャミン・ウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳(1864年版)は,マタイ 25章46節を次のように訳出しています。「かくて,これらの者は永久<アイオニアン>の切断をこうむり,義人は永久<アイオニアン>の命に至らん」。新世界訳聖書(1971年版,英文)は同様にこう訳しています。「そして,これらの者は去って永遠の切断にはいり,義なる者たちは永遠の命にはいります」。この「切断」ということばについて,その新世界訳は脚注でこう述べています。「文字どおりには,切り取ること,したがって,切り詰める,抑制すること。ヨハネ第一 4:18を見よ」。この翻訳は何と適切でしょう。というのは,不義の「やぎ」は永遠の死をこうむることにより,いかなる領域における命からも永遠に切り断たれるからです。ですから,彼らの場合,意識を保ったまま永遠に責めさいなまれるということは不可能です。彼らは滅ぼしつくされます。それは悪魔とその使いたちである悪霊がついにはそうされるのと同く同様です。「大患難」の後,悪魔とその使いたちは「底知れぬ深み」に投げ込まれます。しかし,キリストの千年統治が終わった後,回復された人類を実際に試みるため,しばらくの間解き放たれ,その後永遠に滅ぼされます。“


”*** 聖8‐参 ルカ 10:15 ***
「ハデス」,シナ写,アレ写,バチ写,エ21; エ7‐18,22,「シェオル」。“


”*** 聖8‐参 1771ページ 6イ イエス ― 神のような者; 神聖を備えた者 ***
ギ語,καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος(カイ テオス エーン ホ ロゴス)
1808年
「言葉は神(a god)であった」
「新約聖書」(ニューカム大主教の新しい翻訳に基づく改訂訳: 修正本文付き),ロンドン。
1864年
「神(a god)は言葉であった」
エンファティック・ダイアグロット訳(エ21,行間の読み),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。“

The Emphatic Diaglott St.Jon 1:1
(The Emphatic Diaglott ヨハネ福音書1:1-3)

 ベンジャミン・ウィルソンはキリスト・アデルフィアン派のChurch of the Blessed Hope(the Church of God of the Abrahamic Faith)という教会の創設者の一人です。キリスト・アデルフィアン派は

” キリスト・アデルフィアンは ~派 〔英〕Christ-adelphians 1848年アメリカに生まれた教派。創立者ジョン・トマス(Jon Tomas, 1805-71)の名にちなんでトマス派とも呼ばれる。キリスト・アデルフィアンズとは<キリストの兄弟たち>の意。トマスは<クリスチャン>という呼称をさけて、この語を用いた。彼らは、原始教会の信仰と生活に帰るべきことを主張し、キリストの再臨の切迫を信ずることが福音の根本であるとした。バプテスマの浸礼のみを有効とし、悪しき者は絶滅すると信じた。教職制をもたず、信徒の数は公表しない。“
(「キリスト教大辞典 改訂新版」 教文館 昭和52年改訂新版第4版 p.307)

 辞典の情報だと彼らが何を信じているのかがわからないのでWikipediaを見ますと

”教義
以下はバーミンガム修正信仰声明(the Birmingham Amended Statement of Faith)によっている。

・聖書は全的に神の霊感によっており、誤りを含まない。
・三位一体の教義を拒絶する。
・子は紀元前5年に文字通り生まれた(子はそれ以前には存在せず、それゆえ過去から永遠である父と同じく永遠なのではない)
・子は人の汚れた本性を共有する被造物であり、バプテスマにおいて聖霊によって清められた。
・イエスは試みを受けたが、罪を犯さず、それゆえ罪を負う人類に救済をもたらす供犠となった。
・聖霊は父と区別される位格ではない。「聖霊」は文脈によって、神の創造と救済の働きを指す場合と、神の性格/精神を指す場合がある。キリスト者として生きることに必要とされる「聖霊」は前者ではなく後者であり、それは聖書を学ぶことによって我々のうちに涵養される。
・霊魂消滅説。地獄における永遠の苦しみは存在しない。信仰によって永遠のいのちに入らない魂は滅ぼされ、消滅するのみである(第二の死)。
・キリストは千年紀の始まりにあたって地上に来臨する。
・千年紀の初めにおける死者の復活。ただし、復活した死者は不死ではなく、千年紀の終わりに悪しきものは永遠にほろび、善きものは永遠のいのちに入る。
悪・魔は超自然的存在ではなく人類の有する罪への傾きのことである。“

Church of the Blessed Hope(the Church of God of the Abrahamic Faith)の信仰
https://cotbh.org/what-do-we-believe-teach/

 この団体はキャンベル派の覚醒運動やウィリアム・ミラーの再臨運動の流れ(「セブンスデー・アドベンチスト教会」も「ものみの塔」もこの再臨運動の流れ)からできた団体ですから、実にものみの塔と近しい教義を持ったということです。そういう信仰の人物が出したThe Emphatic Diaglottというインターリニア聖書はものみの塔の教義を援護に利用できたということです。またこのキリスト・アデルフィアン派は ”教派は1845年頃にアメリカで誕生し“ た団体ですから1870年のラッセルのグループ(後のものみの塔)に先駆けてできた団体でもあります。

 チャールズ・テイズ・ラッセルとベンジャミン・ウィルソンの信仰の系譜は実によく似ていると感じます。

王国行間逐語訳とエンファティック・ダイアグロット訳 URL


 The Emphatic DiaglottでJehovaの語がつかわれている箇所は、
マタイ21:9、21:42、22:37、22:44、23:39。
マルコ11:9、12:11、12:29(2か所)、12:30、12:36。
ルカ10:27、13:35、19:38、20:37、20:42。
ヨハネ12:13。
使徒2:34。

 パルーシアは24か所ありますが、行間と訳の両方で「coming」としているのはテサロニケ第一3:13と4:15。訳の方だけ「Appearing」としているのはコリント第一15:23、テサロニケ第一2:19、ペトロ第二1:16。そして「COMING」としているのがテサロニケ第二2:1、2:9、ヤコブ5:7、5:8です。他は行間も訳も「presence」でした。

 このパルーシアを王国行間逐語訳(Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures )で見てみると、行間も訳(新世界訳)も両方「臨在、いる(presence)」になっています。日本語訳は「臨在」と「いる・いた・いさせて」と「置かれている」となっていますが英訳はすべて「presence」でした。

The Pocket Interlinear New Testament by Jay Patrick Green,Sr. 記名

Greens Literal Translation Athanasius


 米ファンダメンタル系のグリーンのインターリニア「Pocket Interlinear New Testament」(Jay Patrick Green Sr. 1991年 BAKER)、 「The Interlinear Bible Hebrew-Greek-English With Strong's Concordance Numbers Above Each Word」(Jay Patrick Green Sr. 2011年 HENDRICKSON)などを見てみますと、エホバの証人の王国行間逐語訳などと違い行間ではパルーシアに「presence」としていても訳においては、コリント第二7:6、10:10、フィリピ1:26、2:12の四か所のみが「presence」で他は「coming」です。「The Emphatic Diaglott」もグリーンのインターリニアも訳すか所の文脈によってある程度柔軟にしていますが、王国行間逐語訳みたいに一つの訳語で統一するのは乱暴なことに見えます。

 「The Emphatic Diaglott」は、現在はもう印刷配布はされていないもののWatchtower Libraryなどの聖書では、「参照資料付き聖書 新世界訳」が使われているので、資料「エ21」として名前が出てきています。

***

マルコ12:36 The Emphatic Diaglott 欄外注 p.175 Google翻訳
† 36. In the original (Psa. cx. 1) it is Jehovah. But the Evangelist has adopted the version of the LXX. who I suppose, could not venture to translate that word which every Jew regarded with the profoundest reverence. and could pronounce it without danger of forfeiting his claim to a future state. - Wakefield.
†36。原文(詩篇cx。1)ではエホバです。 しかし、伝道者はLXXのバージョンを採用しました。 私が思うに、すべてのユダヤ人が最も深い敬意を持って見なしたその言葉を翻訳することはできませんでした。 そして将来の状態への彼の主張を失う危険なしにそれを発音することができました。 -ウェイクフィールド。

続き ②
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当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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