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おいしいのにね。ユダヤ人は食べられないんだね。


 まずはじめに、律法の規定が定められた理由として、レビ記自体に明確にその理由が記されています。

20:22あなたがたはわたしの定めとおきてとをことごとく守って、これを行わなければならない。そうすれば、わたしがあなたがたを住まわせようと導いて行く地は、あなたがたを吐き出さぬであろう。 20:23あなたがたの前からわたしが追い払う国びとの風習に、あなたがたは歩んではならない。彼らは、このもろもろのことをしたから、わたしは彼らを憎むのである。 20:24わたしはあなたがたに言った、「あなたがたは、彼らの地を獲るであろう。わたしはこれをあなたがたに与えて、これを獲させるであろう。これは乳と蜜との流れる地である」。わたしはあなたがたを他の民から区別したあなたがたの神、主である。 20:25あなたがたは清い獣と汚れた獣、汚れた鳥と清い鳥を区別しなければならない。わたしがあなたがたのために汚れたものとして区別した獣、または鳥またはすべて地を這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。 20:26あなたがたはわたしに対して聖なる者でなければならない。主なるわたしは聖なる者で、あなたがたをわたしのものにしようと、他の民から区別したからである。

 それを踏まえて、次の規定を見たいと思います。


11:9水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。 11:10すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。 11:11これらはあなたがたに忌むべきものであるから、あなたがたはその肉を食べてはならない。またその死体は忌むべきものとしなければならない。 11:12すべて水の中にいて、ひれも、うろこもないものは、あなたがたに忌むべきものである。


 この規定において、現代ではあんこう、ナマズ、どじょう、うなぎ、ヤツメウナギ、アナゴ、鱧、ウツボ、エイ、サメ、イルカ、クジラ、タコ、イカ、ナマコ、くらげ、水生の貝類、水生の甲殻類、ウミヘビ、ヒトデ、亀類などが清くない魚となります(古代イスラエルではお目にかかれなかった生き物も現代では禁止になっているのでしょう)。もちろんこれらの生き物の幼体や卵なども清くないものです。

 こりゃあ、日本人には縁遠い宗教だな(笑)


 さて、実際にはどのように取り扱われていたのでしょう。イエスのたとえ話から見てみましょう。


マタイ13:47-48
13:47また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。 13:48それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。


 イエスはこのたとえの中で、漁師の実際の行動から天国を説明しています。このたとえから当時の漁師たち(おそらくガリラヤ湖やヨルダン川の)は、律法で清いとされ食べることを許された魚は器に入れて市場や食卓に、そして、鱗やひれのない清くない魚は捨ていたということがわかります。


 鱗のないやひれのない魚といえば、うなぎやどじょう、ナマズなんかがぱっと思いつきます。また、ドキュメンタリー系の番組やネット動画などでエジプトやアフリカなど広い範囲で、現在もそういった魚の漁や料理なんかが紹介されているのをよく目にしました。現代に限らず古い時代からナマズなどが食されていることもよく知られたことです。

 なぜ、広い地域で食されて身近な魚であったにもかかわらず、捕囚から帰還したユダヤ人、特に祭司たちによって禁じられたのでしょうか。レビ記には「あなたがたの前からわたしが追い払う国びとの風習に、あなたがたは歩んではならない。」と理由を述べていますが、彼らが向かうカナーンの人たち、捕囚されずに残されたイスラエルの中流・下流層の庶民やアッシリア帝国、バビロニア帝国の鉢植え政策でよそから連れてこられた異民族がまじりあったカナーンの人たちの宗教的習慣や食生活と関係しているのでしょうか。また、レビ記が書かれた捕囚から帰還した後の時代、アッシリア帝国と新バビロニア帝国による国の滅亡と捕囚と生活を体験し、キュロスの勅令により帰還した人たちのメソポタミアでの経験に基づいた記述だったのでしょうか。

 現代のユーフラテス川には、この規定に該当するものではオオメジロザメ、ブラウンブルヘッドというナマズ、フクドジョウの類、ウナギによく似たトゲウナギなんて魚類が生息しています。

 まずはレビ記がモーセによって書かれたなどと、いまだに信じているキリスト教原理主義者たちのために、古代エジプトの鱗やひれのない魚と宗教から見てみましょう。

 第5王朝ティのマスタパ及び第6王朝メレルカのマスタパの壁画には「牧人の歌」が描かれていて、そこでナマズが出てきます。その中にこのような詩があります(マスタバとは何かについてはWikipediaの説明から ”マスタバ(英語: Mastaba)とは古代エジプトで建設された長方形の大墓。エジプト先王朝時代末期頃からエジプト中王国時代頃にかけて建造され、古い時代の基本的な貴人の墓の形態であった。“ )。

”「西方の神よ。 牧人はどこにいるのか。 牧人は魚と共に水の中にいる。牧人はナマズと話をする。牧人はオクシリンコス魚に挨拶をする。牧人はどこにいるのか。西方の牧人よ。」“
(「ナマズにみる象徴現象 -古代エジプト文明と現代アフリカの種族を例として-」 萩生田憲昭 著)

という一文があるそうです。西方とは冥界を指すそうです。

 また、また、それよりのちの時代の「洞窟の書」(第三洞窟)には、オシリスに率いられるナマズの頭を持った七柱の神が描かれています。、第二洞窟にはナリウ(Nariu)と呼ばれる原始のナマズの頭の神があるようです(ネット検索で画像が出たものの小さいため図像は確認できず)。

「洞窟の書」 第3洞窟に描かれている頭部がナマズ型をした7神
(「洞窟の書」 第3洞窟に描かれている頭部がナマズの型をした七柱の神々)

 この食物規定がエジプトと関連付けられるのかは不明であります(帰還したパレスチナはシリアとエジプトの間にありますから)。レビ記が彼らが信じるようにモーセの書いた古い伝承であれば、出エジプトの関連とも考えられるのかもしれませんが、まあ、エジプトの神々には清い食べていい動物に分類される動物の頭を持った神々もたくさんいますからねぇ。エジプトとは関連は無い感じがします。

 ヘレニズム時代のローマのアイリアノスの著書「動物奇譚集」などには、治癒神サラピス(セラピス)の助手の働きをする魚としてウツボが出て来たりします。ナマズ、ウナギ、イルカなど清くないとされる魚類が出てくるので、地中海沿岸地域の広い範囲で、これらは律法で清くないとされる魚類は珍しいものではなかったことがうかがえます。

「バビロニア誌」に出てくるオアンネスとメソポタミア神話の神 エンキ

 メソポタミアの方だと、メソポタミア神話に出てくる神々の一柱エンキ、ベロッソスの書いた「バビロニア誌」に出てくるオアンネスなんかが川や魚と関連付けられますが、オアンネスは鱗もひれもあるし・・・なんか関係なさそう。

 手元にある「ギルガメッシュ叙事詩 付イシュタルの冥界下り」、「世界最古の物語<バビロニア・ハッティ・カナアン>」、「エジプトの神話 兄弟神のあらそい」、「世界最古の原典 エジプト死者の書」、ヘロドトスの「歴史」、プルタルコスの「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」、ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」なんかを足早にパラパラと流し読み返ししてみましたが、関係ありそうな記述はありませんでした(ちゃんと読み返したらあるかもしれませんが)。

 さて、聖書の欄外注に目を向けてみます。注釈付きの聖書の中で、この個所で解釈があるのはフランシスコ会訳2011年合本版だけでした。その注を見ますと、

”水に棲む動物を清いものと汚れたものに区別する基準は、それが蛇に似ているかどうかであったようである。“

 この説明ですとレビ記の以下の規定と被ってしまうように感じます。

11:41すべて地にはう這うものは忌むべきものである。これを食べてはならない。 11:42すべて腹ばい行くもの、四つ足で歩くもの、あるいは多くの足をもつもの、すなわち、すべて地にはう這うものは、あなたがたはこれを食べてはならない。それらは忌むべきものだからである。 11:43あなたがたはすべて這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。 11:44わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。 11:45わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

 カナーン、シリア、メソポタミア、エジプトなどで、忌避感を抱かせるほどの宗教的なものは無いように見えます。これらの地域碑文や遺跡などを調べている専門家なんかなら何かわかるかもしれませんが、素人では結局はなぜこの規定が創られたのかはよくわからないといったところです。

 ユダヤ人の律法規定はなんか理不尽なものが多いですね。神の名のもとに捕囚から帰還した祭司やレビ人、民の指導層が作り上げて民を縛り付けた律法規定は、なぜそれが必要なのか理由がある程度はっきりしているものは極僅かで、あとは理由がよくわからないが従わなければならないといったものです。


***追記2021.07.12***

古代エジプトの兄弟神の物語(聖書のヨセフ物語のボテファルの誘惑の話の元ネタ)にナマズが出て来ると文献にあったので、最初に持っていた「世界の神話 2 エジプトの神話 兄弟神のあらそい」(矢島文夫 著 筑摩書房)で調べてみたら載っておらず、巻末に

 ”「アヌプとバタの物語」はしばしば「ふたり兄弟の物語」と呼ばれるもので、より忠実な邦訳が『古代オリエント集』および矢島文夫編『古代エジプトの物語』(社会思想社・現代教養文庫)に収められている(前者は屋形禎亮訳、後者は矢島訳)“

 とあったので社会思想社の「古代エジプトの物語」を見てみますと、無実のあかしとしてバタが自分の男根を切り落とし、水に投げ込むとナマズが呑み込んでしまうことがでてきて、その箇所の註に、

”これは奇妙な文面であるが、プルタルコスが伝えているオシリス神話(『イシスとオシリスについて』)に類似のエピソードが述べられている。それによると、オシリスの体は兄弟のテュフォン(セト)によってばらばらにされてしまったので、オシリスの妹で妻のイシスはこれを探して歩いたが、その男根だけは見つけられなかった。その理由は、これはまっさきに河に落ちたため、レピドートス(鱗魚)やファグロス(鯉の類)やオクシュリュンコス(カマスの類)がこれを食べてしまったためである。そこでエジプト人は、これらの魚を極めて慎重に避けるようにしているという。“

 という注釈があり、 これを見ると若干エジプトにいたであろうヘブライ人にも影響があったのかもしれないと思いました。

「世界の神話 2 エジプト神話 兄弟神のあらそい」 「古代エジプトの物語」 URL
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