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一ヨハネ5:7-8


 キリスト教系の異端とされる団体は、その神観において、キリスト教で信じられている「三位一体/至聖三者」という神観を持っていません。日本でよく目にするキリスト教系の異端や破壊的カルト宗教の団体としては、まずエホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会(天の父母様聖会、世界平和統一家庭連合。旧称 世界基督教統一神霊協会))あたりが有名でしょう。これらの団体に限らず、異端とされる団体はどれも「三位一体/至聖三者」の教義や信仰を否定します。

 彼らのその批判の中でよく出てくるのが、一ヨハネ5:7-8になされた後代の改ざんが挙げられます。今回はエホバの証人の書籍からそれを見てみたいと思います。


”三位一体論者がその信条の裏付けとして用いる聖句には,その教義の確かな根拠となるものがありますか
神に関する真理を本当に知ろうとしている人は,自分のすでに信じている事柄と合っているように読み取れる聖句が見つかることを期待して聖書を調べようなどとはしません。むしろ,神の言葉そのものが何と述べているか知りたいと思います。中には,二通り以上の読み方ができるような聖句が見つかるかもしれませんが,同じ問題について聖書がほかの所で述べている事柄と比べてみると,そのような聖句の意味は明らかになります。まず最初に,三位一体を支持する“証拠”として用いられる聖句のほとんどは実際には,三者ではなく,ただ二者について述べているにすぎないという点に注目しなければなりません。ですから,たとえそれらの聖句に関する三位一体論者の説明が正確であっても,それらの聖句は聖書が三位一体を教えていることを証明するものとはなりません。では,以下の事柄を考えてみてください。
(特に注記がない限り,以下の箇所に引用されている聖句はすべて口語訳からの引用です。)
・・・・
聖書の翻訳によっては,二通り以上の結論が引き出せるような聖句
ある箇所が文法的には二通り以上に翻訳できる場合,どれが正しい訳ですか。それは聖書のほかの箇所と一致した訳です。もし,聖書のほかの部分を無視し,自分の好きな訳の特定の節を中心にして自分の信条を組み立てるなら,その人の信じている事柄は実際には神の言葉ではなくて,自分自身の考えか,もしかすると別の不完全な人間の考えを表わすものとなります。
・・・・
ヨハネ第一 5章7,8節:
欽定訳はこうなっています。「天において記録を有するもの三つあり。御父と御言葉と御霊なればなり。この三つは一つなり。また,地において証するものは三つ,霊と水と血となり。この三つ合いて一つとなる」。(ドウェーにも三位一体論者の用いる箇所が含まれています。)しかし新世界訳には,「天において……御父と御言葉と御霊(なり)。この三つは一つなり。また,地において証するものは三つ」という言葉は入っていません。(改標,新英,今英,エルサレム,共同もやはり三位一体論者の用いるこの箇所を省いています。)
本文批評家,F・H・A・スクリブナーは三位一体に関するこの箇所に関して次のように書きました。「論議を呼んだその言葉は聖ヨハネによって書かれたものではないという確信を表明することをためらう必要はない。これは8節に関する宗教的かつ正統的な注釈として欄外に書かれていたものが,最初アフリカでラテン語の写しの中に書き入れられたのである。そして,ラテン語の写しの中から後代の二,三のギリシャ語写本にいつの間にか挿入され,それから印刷されたギリシャ語本文に入ったが,その箇所はこの語句が入るべきところではない」―「平易な新約聖書本文批評入門」(ケンブリッジ,1883年,第3巻),654ページ,英文。
また,エルサレム聖書のこれらの節の脚注や,1985年版,参照資料付き新世界訳の付録,1772ページも参照。“
(「聖書から論じる」 p.167、p.171、p.179)


 この批判はエホバの証人がアメリカの宗教で、アメリカのキリスト教(福音派や聖霊派などの原理主義的な諸教派・諸教会)を見ているため、その批判は切れる刃として効力があるのでしょう。しかし、アメリカのプロテスタントでも、正統派・伝統的歴史ある教派、リベラル系な教団や諸教会、また、日本のキリスト教には、その批判は何ら痛痒をもたらすものではありません。

 ファンダメンタル系はエホバの証人批判する語句を含む King James Version (KJV、1769修正版、ジェームズ王欽定英語訳聖書)やその修正版というか亜流の翻訳を好んで使っています(King James Only movementなんてものまであります)。しかし、正統派では、聖書本文の学術的批評版を底本とした校訂本から訳しているので、この後代の改ざんは当然のことながら取り除かれています。

 スペインの枢機卿フランシスコ・ヒネメスのもと出版された(1502年に開始)コンプルトゥム・ポリグロット(多国語対訳)聖書(全六巻)の新約聖書部分(第五巻)が、まず最初に1514年に完成しました。このギリシャ語本文の底本になった写本ついてはわかっていません。このコンプルトゥム・ポリグロット聖書の新約聖書が、印刷された最初のギリシャ語新約聖書となりました(しかし、カトリック教会の聖書の出版・発行の場合、教会の許認可を受けないと出版できないので、出版されたものの最初のものはエラスムスのギリシャ語新約聖書が最初ということになります)。

 そして、ヒメネスのコンプルトゥム・ポリグロット聖書が公認され(1520年に教皇認可。実際に出版されたのは1522年)出版されるまでのわずかの間に、オランダの人文学者エラスムスが、それよりも先に出版しようと大急ぎでこしらえ1516年に出版しました(第二版は1519年出版)。その為、市場に出た最初のギリシャ語新約聖書もエラスムスのギリシヤ語新約聖書ということになりました。

 このエラスムスの出版したギリシャ語新約聖書には(1516年の第一版と1519年の第二版)にはコンマ・ヨハンネウム(Comma Johanneum)と呼ばれる一ヨハネ5:7-8への加筆部分がありませんでした。しかし、ヒメネスのコンプルトゥム・ポリグロット聖書のギリシャ語新約聖書部分もラテン語訳部分もこの加筆を載せていました。そのことからエラスムスのギリシャ語新約聖書には不備があると評され、それに対してギリシャ語の写本を調べたがこの語句は見出されなかった、もしこの章句を含む含むギリシャ語写本が一つでも見つかれば、以後の版にこの句を載せると反論しました。


Complutensian Polyglot 一ヨハネ5:7-8
(コンプルトゥム・ポリグロット聖書一ヨハネ5:7-8)


エラスムス 「Novum Testamentum omne」 第二版 1519年 一ヨハネ5:7-8
(エラスムス 「Novum Testamentum omne」 第二版 1519年 一ヨハネ5:7-8)


エラスムス 「Novum Testamentum omne」 第三版 1522年 一ヨハネ5:7-8
(エラスムス 「Novum Testamentum omne」 第三版 1522年 一ヨハネ5:7-8)


 しかし、ギリシャ語の写本は見つかりました。というか作られてしまいました。1520年ころにオックスフォードでフランシスコ会士によってウルガタ聖書からこの句をギリシア語にして挿入しました。その為にエラスムスは約束通り、そのギリシャ語新約聖書第三版にこの章句を載せざるを得ませんでした。この写本は「ネストレ=アーラント ギリシア語新約聖書」のアパラトゥス(異読一覧)に61として出ているCodex Montfortianus(61)です。


Codex Montfortianus (Comma)
(Codex Montfortianusの一ヨハネ5:7-8、画像Wikipedia


 田川訳聖書の註では、ラテン語訳ウルガタ聖書の写本で、ヴェローナにあった6世紀(田川訳では7/8世紀)のR写本(Codex Veronensis (R))、スイスのザンクト・ガレンにある8世紀のS写本(Codex Sangallensis 907)、それとウルガタ聖書のクレメンス版を挙げています。

”・・・
 しかし第一ヨハネに対するこの付け加えは、シクスト・クレメンス版以前からすでにカトリック教会では、R写本、S写本だけでなく、他にも広く知られ、これが正しい聖書だと思われていた。それで、エラスムスがギリシャ語諸写本を校合して新約聖書を印刷発行した時に(1516年)、カトリック教会は、エラスムスが第一ヨハネのコンマ・ヨハンネウムをわざと削除した、難癖をつけ、エラスムス版ギリシャ語聖書を取り締まろうとした。有名な話である。・・・“
(「新約聖書 訳と註 6 公同書簡/ヘブライ書」 田川建三訳 2015年 作品社 p.482)



”エラスムス以来数千にのぼる新約聖書ギリシア語写本が調べられたが、そのうちこの疑わしい章句をもっている写本は、わずか3つにすぎない。第1の写本Greg.88は12世紀のもので、コンマは17世紀に欄外に記入されている。第2にTisch.ω 110はコンプルトゥム・ポリグロットのギリシア語本文の16世紀の写本である。最後にGreg.629は14世紀か、あるいはリゲンバッハ(Riggenbach)が論じたように、16世紀後半に由来する。知られているかぎりで、コンマのもっとも古い引用は、Liber apologeticus という表題の4世紀のラテン語論文に見られる。これは、プリスキリアヌスかその弟子であったスペインの司教インスタンティウスの作品である。コンマはおそらく「あかしをするもの三つ」についての寓話的解釈に起源し、ヨハネの手紙一のラテン語写本の欄外余白に書き込まれ、これが5世紀に古ラテン語聖書の本文に取り入れられたものと考えられる。ラテン語ウルガタの写本では、800年以前のものにはこの記述は見られない。ラテン語ウルガタのクレメンス版(1592年)に含まれていることから、1897年に教会の最高評議所であるローマ聖省は、かの章句は本来の聖ヨハネの手紙に属することを否定せぬ方が安全であるという公式声明を発表し、これを教皇レオ13世が承認、確証した。しかし現代のカトリックの学者はこの個所がギリシア語聖書に属さないことを認めている。“
(「新約聖書の本文研究」 B.M.メッガー著 日本基督教団出版局 pp.118-119)

 メッガー博士によれば、Greg.88(Minuscule 88)は欄外余白にこの語句があり、Greg.629(Minuscule 629)は本文中に、そしてTisch.ω 110はこの語句を含むコンプルトゥム・ポリグロット聖書の写本ですから、当然この語句を含みます。

 ”ラテン語ウルガタの写本では、800年以前のものにはこの記述は見られない。“ということなので、ラテン語ウルガタの写本でアミアティヌス写本(Codex Amiatinus)という716年に教皇グレゴリウス二世に献呈された写本を見てみましたら、この語句は見られませんでした。

Codex Amiatinus 一ヨハネ5:7-8
(アミアティヌス写本の一ヨハネ5:7-8)


 ”しかし現代のカトリックの学者はこの個所がギリシア語聖書に属さないことを認めている。“ ということですので、クレメンス版とバチカンのサイトにある新ウルガタの訳を並べてみます。

Vulgata Clementina(ラテン語訳ウルガタ聖書クレメンス版)
7 Quoniam tres sunt, qui testimonium dant in cælo : Pater, Verbum, et Spiritus Sanctus : et hi tres unum sunt.
8 Et tres sunt, qui testimonium dant in terra : spiritus, et aqua, et sanguis : et hi tres unum sunt.
7天に記録を残す者は、父、子、聖霊の3人であり、これら3人は同意する。 8証人となるのは、御霊、水、血の三人であり、これら三人は同意します。

NOVA VULGATA Bibliorum Sacrorum Editio(新ウルガタ聖書第二版)
7 Quia tres sunt, qui testificantur:
8 Spiritus et aqua et sanguis; et hi tres in unum sunt.
7耐える者が3人いるからです
8、水と血; そして、これら3つは1つです。

 確かに新ウルガタ聖書ではコンマ・ヨハンネウム(Comma Johanneum)はありません。
 

 この語句が後に書き加えられたことはわかりました。では日本語訳聖書ではどうなっているのでしょうか。まずはカトリック、そしてプロテスタントの翻訳でこの語句を本文に入れているものを見て行きます。最後に正教会の翻訳となります。これらのもので欄外注のあるものは併せて引用します。


◎カトリック

・ラゲ訳 我主イエズスキリストの新約聖書(1910年版)

5:7蓋〔けだし〕(天に於〔おい〕て證〔しょう〕するもの三〔みつ〕あり、父と御言と聖霊と是なり、而〔しか〕して此〔この〕三のものは一〔いつ〕に歸し給ふ。 5:8又地に於てハ)證するもの三あり、霊と水と血と是なり、而して此三のものは一に歸す。

ハ 括弧中〔くわつそちゅう〕の言〔ことば〕はギリシア文に見えず。


・ラゲ訳 我主イエズス・キリストの新約聖書(1959年版)

5:7けだし(天において証するもの三つあり、父とみ言葉と聖霊とこれなり、しかしてこの三つのものは一〔いつ〕に帰し給う。 5:8また地において3)証するもの三つあり、霊と水と血とこれなり、しかしてこの三つのものは一〔いつ〕に帰す。

③ ( )内の言葉はギリシア文には見えない。


・新約聖書 バルバロ訳(1981年、講談社)

7 実に証明するものは三つある。(*天においては御父〔おんちち〕とみことばと聖霊であり、この三つは一致する。
8 地において証明するのは三つ)、霊と水と血である。この三つは*一致する。

7 このことばは後世の写本にだけある。
8 「一致する」とは、水と血と霊の三つが証明において一致するという意味である。神秘家であり神学者であるヨハネの思想である。ヨハネはカルワリオ山でキリストの脇腹から水と血が流れ出るのを見た。そして水と血には、聖霊に導かれる教会において洗礼の水と聖体の血が行うであろう清めのかたどりがある。(他の解釈として)聖霊、イエズスの洗礼と死は、イエズスがまことの人間であったことを証明する。また、そのとき神が現されたしるし(10節)は、イエズスがまことの神であることを証明する。


・フランシスコ会聖書研究所訳1984年改訂版

7 証しをするものが三つあります。
8 すなわち、霊と水と血とです。この三つは一致します⑶。

⑶ 今までのブルガタ=ラテン訳(クレメンス版)では、ギリシア語テキストの7節のあとに加筆がなされており、その7~8節は次のようになっている。「7天において証しをするものが三つあります。すなわち、おん父とみことばと聖霊で、この三つは一つです。 8また、地において証しするものが三つあります。すなわち、霊と水と血とです。この三つは一致します」。この加筆は、「この三つは一致します」という本節の句が、三位一体を述べるに適した表現なので、最初欄外に書かれ、後にテキストの中に入れられたものと思われる。


 ラゲ訳はラテン語訳ウルガタ聖書からの翻訳なので、当然のことながらコンマは含まれています。それでも欄外注に「ギリシア文には見えない。」としているのは、1881年に「ウェストコット=ホート ギリシャ語原語による新約聖書」が出版されていますし、ネストレ版の「ギリシア語新約聖書」もラゲが使えたであろう年代ですと第7版(1908)まで出ていましたし、英訳では1885年のRevised Version、1901年のAmerican Standard Versionなど、テクストゥス・レセプトゥスは過ぎ去った古典になりつつあった時代ですからこのような注釈もつけれたのでしょう。

 バルバロ訳もウルガタ聖書からの訳ではないかとされています(ギリシャ語本文にも多少あたり、現代イタリア語訳にかなり依拠していると「書物としての新約聖書」の中で田川建三氏は書いている)。本文に入れつつも括弧で囲い。さらに欄外注で「このことばは後世の写本にだけある。」とエミール・ラゲ神父の訳に比べるとかなり後退してしまっている印象を受けます。

 フランシスコ会聖書研究所訳になると聖書協会世界連盟発行の「ギリシャ語新約聖書」からの翻訳ですので、もう本文にはなく、欄外注でウルガタ聖書クレメンス版からの訳であるとして載せています。これは第二バチカン公会議の神の啓示に関する教義憲章第6章(21-26)の22などがあるからなのでしょう。

”22(聖書の正しい翻訳) 聖書に近づく多くの機会がキリスト信者に与えられなければならない。そのために、協会は当初から七十人訳と呼ばれる旧約のかの最も古い、ギリシア語訳を自分のものとして採用した。なお、その他の東方語訳およびラテン語訳、特にいわゆるブルガタ訳を常に尊重した。神のことばはいつの時代にもすぐ読めるものでなければならないから、協会は母としての心づかいをもって、各国語の適当かつ正確な訳が特に聖書の原典からなされるよう意を用いている。分かたれた兄弟たちとの協力による訳が必要であり、教会当局の承認を得て行われるならば、すべてのキリスト者はそれを利用することができる。“
(「第2バチカン公会議公文書全集」 サンパウロ p.212)

 この憲章が出されるまではトリエント公会議の第四総会の議決(1501~1508)が適用されていたのでしょう。その影響は第二バチカン公会議までの長い期間カトリックの組織、聖職者、修道者、信徒に染み渡っているために、新しい憲章が出てもなかなか拭い去れないのはしょうがありません。

”1504 以上の書物を聖なる正典として、カトリック教会において普通に読まれているラテン語訳、ブルガタ版に従って、全部を残らず受け入れなかったり、知りながら故意に上に説明した伝承を軽視したりする者は排斥される。“

”1506(785) 同じ聖なる公教会は、聖書のラテン語版すべての中で、どれを決定版とすべきかを決めることが神の教会にとって非常に有益であると考える。何世紀にもわたり教会において使用され承認されてきたブルガタ版を公の朗読、論議、説教、解説において使用すべきとみなすことを決定し、宣言する。たとえどのような理由からであっても、この版を否定しようとしたり、または拒否したり、または拒否したりしてはならない。“
(「改訂版 H・デンツィンガー編 A・シェーンメッツァー増補改訂 カトリック教会文書資料集」 エンデルレ書店 pp.270-271)


◎プロテスタント

 プロテスタントの翻訳の聖書では、ほとんどのものはこの句を含めていません。また以前に書いたように、ピューリタンの圧力で半ば強引に聖書に見出しや注釈、その他を載せないのが、聖書協会のカトリックとの共同翻訳事業が始まるまで伝統化してしまったために個人訳を除けば、カトリックと違い本文になければないということになります。

 正統派・リベラル派系で主に使われる聖書協会発行のものにも、福音派や聖霊派でよく使われる新改訳聖書にはこの語句はありません。また、King James Versionやテクストゥス・レセプトゥスなどを底本にしている「明治元訳新約全書」には、コンマがないというのはとても面白いことです。

 プロテスタントでは以下の翻訳が本文や欄外注にコンマを載せています。

・新契約聖書 永井直治訳(1928年)

7 そは天に於て證をなし給ふ者は、父と言と聖靈と三つなればなり。また此等三つの者は一におはします。
8 また地に在りて證をなす者は、靈と水と血との三つなり。されど三つの者は一のためなり。


・新契約聖書 修正改版 永井直治訳(1960年)

7 そは天に於て証をなし給ふ者は、父と言と聖霊と三つなればなり。また此等三つの者は一におはします。
8 また地に在りて証をなす者は、霊と水と血との三つなり。されど三つの者は一のためなり。


・新約聖書(TR 日本語訳) エターナル・ライフ・ミニストリーズ

7 というのも、天において証言者は、御父、みことば、そして聖霊の三者であり、これら三者は一つであり、
8 また、地において証言者は、御霊と水と血の三者であり、この三者は、その一つのもののためにあるからです。


・ギリシヤ語直訳新約聖書コンコルダンス付 金の器社

5:7 天(3772)にあって証言する(3140)ものは、父とことば(ロゴス)と聖なる霊と3つあり、これら3つは1つとなる。
5:8 また地(1093)にあって証言する(3140)ものは、(聖)霊と水(5204)と血の3つで、この3つが1つとなる。


・電網聖書(電網聖書はパブリック・ドメイン)

5:7 証言する者が三人います。すなわち 5:8 霊,水,血であり,三者は一致しています。

[4] 5:7に戻る 少数の最近の写本だけは言葉を加えて次のようにしている。「天において証言する者が三人います。すなわち父,言葉,聖霊であり,これら三者は一つです。また,地上で証言する者が三人います」。


・詳訳聖書<新約> 1962年

7 そしてあかしをするものは<聖>霊です。<聖>霊は真理であるからです。
8 それで、あかしをするものが【天に】三つあります。【み父とみことばと聖霊、この三つは一つです。また地においてあかしがあります。】み霊と水と血です。これら三つのものは一致しています<調和しています。これらのあかしは合致しています>。
(当ブログ筆者注:【】の表記は原書にありません。【】で囲った箇所は原書では6ポイント活字(小さい文字)になっています。)

凡例
7 六ポイント活字で印刷してある部分は、英語欽定訳には訳出してあるが、その部分が最良の写本にはないことが一般に認められている部分である。


 この中永井直治訳「新契約聖書」とエターナル・ライフ・ミニストリーズの「TR 日本語訳」はテクストゥス・レセプトゥスを底本にしています。前者はステファヌス版、後者はテクストゥス・レセプトゥスとだけしか書いてありませんが、サイトを見ると「諸外国版TR聖書」としてTrinitarian Bible Societyのものが出てきますので(http://www.bible-jp.com/ss/snt.html)、おそらくTrinitarian Bible Society発行の1800年代後半にF.H.A.スクリブナーによって準備されたテクストゥス・レセプトゥスから翻訳したものと思われます。金の器社版はKJVと永井直治訳を基に口語化したものです。

 詳訳聖書は英訳Amplified Bible, Classic Editionからの翻訳になります。アメリカの福音派の聖書ですからKing James Versionの呪縛下にあるのでしょう。しかし、日本語訳も福音派の出版社であるいのちのことば社からですが、新改訳はネストレ版版からの翻訳なのでこの語句を入れていないのですが、新改訳の英語訳との対照聖書では以前はNew King James Versionが使われていてNKJはコンマがあり、新改訳は無しというものでした。使っている人たちは違和感なかったのかちょっと気になりました。

 プロテスタントの訳ではこれらくらいしか見ないですね。

 さて、次に正教会の翻訳を見たいと思います。


◎正教会

・我主イイススハリストスの新約 正教会訳聖書(ニコライ訳、1902年、1985年再版)

7 蓋(けだし)天に在りて証(しょう)を作(な)す者三(みつ)、父なり、言(ことば)なり、聖神゜(せいしん)なり、此三の者は一(いつ)なり。
8 又地に在りて証を作す者三、神゜(しん)なり、水なり、血なり、此三の者は一に帰す。

 ニコライ訳にはコンマがあります。そこで気になるのが、カトリックで入り込んだこの加筆があるウルガタ聖書クレメンス版からの訳やコンプルトゥム・ポリグロット聖書、エラスムスのギリシャ語新約聖書第三版以降、テクストゥス・レセプトゥスなどから翻訳されたものならわかりますが、正教会でなぜコンマが入っているのかな? と気になりました。そこで少し前の1910年に支那で出版されたFigurovsky, Ivan Appolonovich主教(http://www.orthodox.cn/localchurch/beijing/innoc-fig_en.htm)による漢訳聖書「東正教譯本 (1910 宣統二年) 英諾肯提乙 譯 - 新約聖經」を見てみたら、こちらにもコンマがありました(画像)。

東正教譯本 (1910 宣統二年) 英諾肯提乙 譯 - 新約聖經 一ヨハネ5:7-8

 ニコライ訳もイヴァン・アポロノヴィッチ訳も時代的にテクストゥス・レセプトゥスを手に入れれるのですが、そこで彼らの出身国ロシア正教会の聖書はどうなっているのかが気になりました。

 まず両主教が使ったであろうシノド聖書(1876年)。こちらを見てみました。そうするとコンマがありました。

・ロシア語訳シノド聖書(1876年)

7 Ибо три свидетельствуют на небе: Отец, Слово и Святый Дух; и Сии три суть едино.
8 И три свидетельствуют на земле: дух, вода и кровь; и сии три об одном.

Google翻訳
7 天国で証言するのは、父、みことば、聖霊の3つです。 そしてこれらの3つは1つです。
8そして三人は地上で証言します:霊、水、血。 これらの3つは約1つです。

 シノド聖書の新約の底本はシノド聖書のWikipediaのロシア語版によればテクストゥス・レセプトゥスとなっていました。まあ、印刷されたギリシャ語新約聖書、それもビザンチン型としては手に入れやすかったのでしょう。シノド聖書はテクストゥス・レセプトゥスが底本ということで、漢訳も日本語訳もその流れであるとすることができるでしょうが、もしかしてシノド聖書ではなく、それ以前の教会スラヴ語訳聖書を使っていた可能性もあります。そこで1744年のエリザベタ聖書、1581年のオストロク聖書も見てみました。

・教会スラブ語訳エリザベタ聖書
7 яко трие суть свидетелствующии на небеси, отец, слово и святый дух: и сии три едино суть.
8 И трие суть свидетелствующии на земли, духъ и вода и кровь: и трие во едино суть.

Google翻訳
7三人は天国、父、言葉、聖霊の証人であり、これら三人は一人です。
8そして、三人は地上、霊、水、血を証しする者であり、三人は一つである。

教会スラブ語訳エリザベタ聖書 1751年 一ヨハネ5:7-8
(教会スラブ語訳エリザベタ聖書 一ヨハネ5:7-8)


 こちらにもコンマがあります。1751年ですからテクストゥス・レセプトゥスを使っていても不思議ではありません。


教会スラブ語訳オストロク聖書 1581年 一ヨハネ5:7-8
(会スラブ語訳オストロク聖書 一ヨハネ5:7-8。画像の節番号はエリザベタ聖書の文字を対照して付けたもので正しくないかもしれません。)

 オストロク聖書はWikipedia(英語版)によれば、”The Ostrog Bible was translated not from the (Hebrew) Masoretic text, but from the (Greek) Septuagint. This translation comprised seventy-six books of the Old and New Testaments and a manuscript of the Codex Alexandrinus. Some parts were based on Francysk Skaryna's translations.(オストロク聖書は、(ヘブライ語の)マソラ本文からではなく、(ギリシャ語の)セプトゥアギンタ訳から翻訳されました。 この翻訳は、新約聖書と新約聖書の76冊の本とアレクサンドリア写本の写本で構成されていました。 一部の部分は、フランシスク・スカリーナの翻訳に基づいていました。)“とありますが、アレクサンドリア写本(おそらくその写しの何代目かの写本)にはコンマ・ヨハンネウムは無いので、旧約と新約で使った76冊の本の中にコンマ・ヨハンネウムを含むものがあったということになります。1581年ですからその中にエラスムスのギリシャ語新約聖書やテクストゥス・レセプトゥスのステファヌス版があった可能性もあります。


CodexAlexandrinusを小文字を使ってわかりやすくしたもの 一ヨハネ5:7-8
(CodexAlexandrinusを小文字を使ってわかりやすくした印刷本より)


 また、アメリカ正教会のサイトにある1904年にコンスタンティノープル総主教庁の承認を得たギリシャ語新約聖書)では

7 ὅτι τρεῖς εἰσιν οἱ μαρτυροῦντες ἐν τῷ οὐρανῷ, ὁ Πατήρ, ὁ Λόγος καὶ τὸ ῞Αγιον Πνεῦμα, καὶ οὗτοι οἱ τρεῖς ἕν εἰσι· 8 καὶ τρεῖς εἰσιν οἱ μαρτυροῦντες ἐν τῇ γῇ, τὸ Πνεῦμα καὶ τὸ ὕδωρ καὶ τὸ αἷμα, καὶ οἱ τρεῖς εἰς τὸ ἕν εἰσιν.

となっており(当ブログ筆者注:このサイトの本文には節番号がないので(PDFの方では付いていました)こちらで付しました。)コンマを含むものでした。そして、このサイトにある英訳聖書では(一応6節から引用)

6Water and blood came out from the side of Jesus Christ. It wasn't just water, but water and blood. The Spirit tells about this, because the Spirit is truthful.
7In fact, there are three who tell about it.
8They are the Spirit, the water, and the blood, and they all agree.
6水と血がイエス・キリストの側から出てきました。 それは水だけではなく、水と血でした。 御霊は真実であるため、御霊はこれについて語っています。
7実際、それについて話す人は3人います。
8彼らは霊、水、そして血であり、彼らは皆同意します。

 となっておりなぜかコンマは含まれていません。不思議です。


 こうやっていろいろと見て行くと、コンマ・ヨハンネウムという改ざんが広まってゆく過程がなんとなく朧気ながら見えてきます。しかし、本文の批評がなされても都合の良いドグマ的な加筆というものは駆逐され辛いということも見えてきます。


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ちょっとあとがきとしてシノド聖書について、ロシア聖書協会のシノド訳聖書の歴史というページ(現在は削除されていてarchiveで見たところ)で、”新約聖書のシノド訳は、ギリシャの新約聖書、特にC. F. Matthei(1803-1807)とM. A. Scholz (1830-1836)の印刷版に基づいていました。“というものもありました。

ボン大学のショルツの本文について
”・・・ショルツの編纂した2巻のギリシャ語聖書(Leipzig,1830-36)は本文批評において「公認本文」への後退を示すものとなった。“ (「新約聖書の本文研究」B.M.メッガー著)


現代のコプト語聖書(2007年)を見るとコンマはないようだ。


Sahidica - A New Edition of the New Testament in Sahidic Coptic 2007 1 john 5.6-8
(サヒド方言訳)



Bohairica The Bohairic New Testament 2007 1 John 5.6-8
(ボハイル方言訳)


 現代のアルメニア語訳聖書(Eastern Armenian Bible)には、現代のコプト語訳同様コンマは含まれていませんでした。

Eastern Armenian Bible 1 John 5.7-8

 コプト正教会やアルメニア正教会ではコンマのない聖書ということになるのでしょう。


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資料としてルター訳(1522年の9月聖書と1545年版。これらはエラスムスの第二版を底本)と英訳聖書(英訳は引用したティンダル訳からKJVまでエラスムスの第三版以降やテクストゥス・レセプトゥスを底本)をいくつか載せておきます。


Scan von Luthers Neuem Testament 1522
7 Denn drey sind die da zeugen, der geyst, vnd das Wasser, vnd das blut,
8 vnd die drey sind eynis,
7証言する者は三人いるからです、霊、と水、と血、
そして3つはeynisです、



Luther Bibel 1545
7 Denn drei sind, die da zeugen: der Geist und das Wasser und das Blut;
8 und die drei sind beisammen.
7証言する者は三人いる。霊と水と血。
8と3つは一緒です。


William Tyndale Bible 1534
7 (For ther are thre which beare recorde in heuen the father the worde and the wholy goost. And these thre are one)
8 For there are thre which beare recorde (in erth:) the sprete and water and bloud: and these thre are one.
7(天に記録されているのは、父の言葉と聖霊である。これらの3つは1つである)
8(地で)記録されているものがあり、水と水と血があり、これらは一つである。



Coverdale Bible 1535
7 (For there are thre which beare recorde in heauen: the father, the worde, and the holy goost,
& these thre are one.) 8 And there are thre which beare recorde in earth: the sprete, water and bloude, and these thre are one.
7(天国で記録されているのは3つあるからです 、父、言葉、そして聖霊、
8これらは一つである。)そして、地には、霊、水、血の3つが記録されており、これら3つは1つです。


Matthew Bible 1537
7 (For there are thre which beare recorde in heauen, the father, the worde, and the holye Ghoste. And these thre are one.)
8 For there are thre, whiche beare recorde in earth the spyrite and water, and bloude, and these thre are one.
5:7(天国で記録されているのは3つあるからです、父、言葉、そして聖霊。 そしてこれらの3つは1つです。)
5:8地には、霊と水と血が記録されているものがあり、これらは一つである。


King James Version (KJV) 1769修正版
7 For there are three that bear record in heaven, the Father, the Word, and the Holy Ghost: and these three are one.
8 And there are three that bear witness in earth, the Spirit, and the water, and the blood: and these three agree in one.
7天に記録を残しているのは、父、みことば、聖霊の3つであり、これら3つは1つです。
8地、霊、水、血の中で証しをする者は三人いる。これら三人は一つに同意する。


Revised Version 1895
7 And it is the Spirit that beareth witness, because the Spirit is the truth.
8 For there are three who bear witness, the Spirit, and the water, and the blood: and the three agree in one.
7そして、証しをするのは御霊です。なぜなら、御霊は真理だからです。
8証しをする者は三人、霊と水と血とである。三人は一つに同意する。


Revised Standard Version 1952
7 And the Spirit is the witness, because the Spirit is the truth.
8 There are three witnesses, the Spirit, the water, and the blood; and these three agree.
7そして、御霊は真理であるから、御霊は証人である。
8証人は、霊、水、血の3人です。 そしてこれらの3つは同意します。


Amplified Bible, Classic Edition 1958
7 So there are three witnesses [b]in heaven: the Father, the Word and the Holy Spirit, and these three are One;
8 and there are three witnesses on the earth: the Spirit, the water, and the blood; and these three agree [are in unison; their testimony coincides].
7ですから、天には3人の証人がいます。父、みことば、聖霊であり、これら3人は1人です。
8そして、地球上には、霊、水、血の3人の証人がいます。 そして、これら3つは同意します[一致しています。 彼らの証言は一致します]。

b. 1 John 5:7 The italicized section is found only in late manuscripts.
b. 1ヨハネ5:7イタリック体のセクションは、後期の写本にのみ見られます。


New International Version 1978
7 For there are three that testify:
8 the[a] Spirit, the water and the blood; and the three are in agreement.
7証言するのは、次の3つです。
8[a]霊、水、血。 そして3つは一致しています。

a. 1 John 5:8 Late manuscripts of the Vulgate testify in heaven: the Father, the Word and the Holy Spirit, and these three are one. 8 And there are three that testify on earth: the (not found in any Greek manuscript before the fourteenth century)
a.1ヨハネ5:8ウルガタの後期の写本は、天国で証言しています。父、言葉、聖霊、そしてこれら3つは1つです。 8そして地球上で証言する3つがあります:(14世紀以前のギリシャの写本には見られません)


New King James Version 1982
7 For there are three that bear witness [b]in heaven: the Father, the Word, and the Holy Spirit; and these three are one.
8 And there are three that bear witness on earth: the Spirit, the water, and the blood; and these three agree as one.
7天国には、父、みことば、聖霊の3人が証しをしているからです。 そしてこれらの3つは1つです。
8そして、地上で証人となるのは、霊、水、血の3つです。 そしてこれらの3つは1つとして同意します。

b. 1 John 5:7 NU, M omit the words from in heaven (v. 7) through on earth (v. 8). Only 4 or 5 very late mss. contain these words in Greek.
b. 1ヨハネ5:7 NU、Mは、天国(7節)から地上(8節)までの言葉を省略しています。 たった4つか5つの非常に遅いmss。 ギリシャ語でこれらの単語が含まれています。


The Message: The Bible in Contemporary Language 2002
6-8 Jesus—the Divine Christ! He experienced a life-giving birth and a death-killing death. Not only birth from the womb, but baptismal birth of his ministry and sacrificial death. And all the while the Spirit is confirming the truth, the reality of God’s presence at Jesus’ baptism and crucifixion, bringing those occasions alive for us. A triple testimony: the Spirit, the Baptism, the Crucifixion. And the three in perfect agreement.
6-8イエス—神のキリスト! 彼は命を与える出産と死を殺す死を経験しました。 子宮からの誕生だけでなく、彼のミニストリーのバプテスマの誕生と犠牲的な死。 そして、御霊が真理を確認している間、イエスのバプテスマとはりつけにおける神の臨在の現実は、私たちのためにそれらの機会を生き生きとさせます。 三重の証言:霊、洗礼、はりつけ。 そして、3つは完全に一致しています。



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