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リンゴの木

 2015/1/9(金) 午後 1:15にYahoo!ブログにアップした記事(https://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/13680742.html 現在限定公開)をこちらに再掲します。

Wenn ich wüsste, dass morgen der jüngste Tag wäre, würde ich heute noch ein Apfelbäumchen pflanzen.(もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう。 )
 
Und wenn Morgen Weltuntergang wäre, ich werde am heutige Tage doch Apfelbaumen pflantzen.(たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える)   
 
 このことばは、宗教改革者マルティン・ルターの言葉として日本でも広く知られています。そのことについてルター研究家であるルーテル学院大学・ルーテル神学校教授、ルーテル神学校ルター研究所所長を長年勤められ定年を迎えられた徳善先生は著書「マルチン・ルター 生涯と信仰」(徳善義和 著 教文館 2007年8月7日初版〉のpp.152-153 「第6話 福音主義教会の建設へ 」において次のように語っておられました。

マルチン・ルター 生涯と信仰 Athanasius


“  八日間の連続説教
 
・・・
 
 もう一つ、こういう言葉もあります。これはマルチン・ルターの言葉だと言われて、あちらこちらに引用されるのですけれども、その言葉がどこにあるのかと何人かの方に訪ねられた機会に、私が何回かにわたってかなり大捜索をして探してみましたけれども、見つかりません。その後、高名な学者に伺ってみても、やはりルターの言葉ではないということのようですけれども、ルターの信仰の気持ちをよく表していますから、それでマルチン・ルターの言葉ということになってしまったと思うのです。それは、「たとい明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える」という言葉です。世界の終わり、それは神のみ手の中のことだ。この世界の完成としての、世界の終わりが神のみ手から来る。そのことをルターははっきり信じていました。それが神のみ手から来るものであるならば、あれやこれやと私たちが詮索してみたり、考えて悩んでみたりしてもしょうがない。それは神にお任せしよう。そして、私としては今日一日私に託されている仕事を精一杯行っていこうという、そういう気持ちもうルターの生涯の中に絶えずあったわけで、それに似た言葉をルターはよく言っていますので、たといこの言葉がルターのものでなくても、考え方、信仰的な基本はルターのものだと言っていいと思うわけです。” 
 
 ルターの著作にはなく、ルター関連の文献に出てこなかったが、この言葉はルター的であり、またルターに似たような言葉はあるということなのでしょう。なんとなく偽パウロ書簡と共通のものを感じます。
 
 wikiquoteのマルティン・ルター(http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC)でルターの言葉として出ていました。そしてこのページのドイツ語のページ(http://de.wikiquote.org/wiki/Martin_Luther)には、
 
リンゴ 一


リンゴ 二


“"Wenn ich wüsste, dass morgen der jüngste Tag wäre, würde ich heute noch ein Apfelbäumchen pflanzen." - Der früheste Beleg für den Satz findet sich in einem Rundbrief der hessischen Kirche vom Oktober 1944. Alexander Demandt: Über allen Wipfeln - Der Baum in der Kulturgeschichte. Böhlau-Verlag 2002. S. 211 f., zitiert in der Rezension des Buches in Welt am Sonntag 20. April 2003. Martin Schloemann: Luthers Apfelbäumchen? Ein Kapitel deutscher Mentalitätsgeschichte seit dem Zweiten Weltkrieg, Göttingen: V&R, 1994, 258 S.”
(機械翻訳:文のために最も初期の文書は、1944年10月からヘッセンの教会の丸い手紙で見つかります。アレキサンダーDemandt:すべてのこずえについて-文化歴史の木。2002年のボーhlau出版社。 S. 211の以下日曜日に世界で本のチェックにおいてあげられます。2003年4月20日。マーティンSchlömann:Sサイズのリンゴが木に追い上げるLuthers?第二次世界大戦(Goettingen)以来ドイツの心理史の章:V&R, 1994, 258 S.)
 
 そして、リンクに飛んでみますと次のような説明がありました。
 
“Wer nun denkt: Und wenn morgen die Welt untergeht, so werde ich doch heute noch ein Apfelbäumchen pflanzen, muss wohl damit rechnen, dass das Bäumchen noch vor dem Untergang der Welt wieder gefällt wird. So folge ich doch einem Lutherwort, mag der Apfelbaumstifter da denken - dass dem nicht so ist, zeigt Demandt: Der früheste Beleg für den Satz findet sich in einem Rundbrief der hessischen Kirche vom Oktober 1944.”
(機械翻訳:そしてその人は現在考えます:そして、明日ならば、世界は固まります、それでも、私は今日さえ植えます。そして、リンゴ小さな木は小さな木が再び世界を決める前にまだ好かれるという事実を多分あてにしなければならないでしょう。それでも、このように、私はLutherwortに続きます ― リンゴの木創設者がそこで思うかもしれない ― それはそのような方向(点Demandt)にありません:文のために最も初期の文書は、1944年10月からヘッセンの教会の回報(einem Rundbrief)で見つかります。)
 
 ヘッセンの教会というのはルーテル派のヘッセン=ナッサウ福音主義教会のことなのでしょう。この教会はWikipediaによれば、
“1934年2月6日に帝国監督ルートヴィヒ・ミューラーはドイツキリスト者の代表者であったエルンスト・ルートヴィヒ・ディートリヒを最初の州教会監督に任命した。1934年2月10日、州教会は教会規則にいわゆる「アーリア条項」を導入し、教会運営からユダヤ人事務職とユダヤ人牧師を解雇した。同日、新たな教会規則で5つの教会管区を作った。ナッサウ、フランクフルト・アム・マイン、オーバーヘッセン、シュタルケンブルク、ラインヘッセンである。オーバーヘッセン、シュタルケンブルク、ラインヘッセンにはその時まで管区監督がいた。結果としてヘッセン=ダルムシュタットとナッサウから受け継がれてきた中間運営組織「教会地区」が維持され続けることになった。1934年4月に新たに39の教会地区が組織された。
 指導者原理によって行動する州教会監督に対して、すぐに告白教会による抵抗運動(教会闘争)が生じた。エルンスト・ルートヴィヒ・ディートリヒは1945年まで監督職にあったのに関わらず、事実上権力を奪われた。この州教会の歴史は1935年から1937年までルドルフ・ツェントグラフを議長とする州教会常議員会によって指導され、1937年から1945年までヴァルター・キッパー議長によって代表されていた。”
という動乱の中にあり、そのナチスとの闘争の中であの言葉がルターの言葉として回覧されたというはとても感慨深いものがあります。
 
 O・ブルーダーの小説「嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語」(新教出版社、http://www.shinkyo-pb.com/2008/07/18/post-895.php)などを思い出してしまいます。
 
 また、日本にこの言葉が広く伝わったのは、コンスタンチン・ ビルジル・ゲオルギウ(1916~92)の著作の『第二のチャンス』という小説が初出のようです。ネットで検索しますと詳しく調べたサイトがあるので参考になります。

第二のチャンス Athanasius
(昭和34年第四版)
 
 その作品の中で次のように書かれています。
 
“ マグダレナは死者の胴衣から紙片を抜出す。
 これは第九東ヨーロッパ連邦から、僧院から逃げ出した叛逆カトリック僧へ宛てられた命令書だった。僧院への復帰勧告だった。命令書には、世界治安軍最高司令官のアメリカ将軍と、〈一つの世界〉政府第九連邦司令官の南スラヴ国元帥の署名がしてある。
「可哀そうな坊さんたちが、世界政府にたいして何の罪があると云うのか? どうして射ち殺さねばならんのだ? 坊さんたちは地上の人全部の融和を説きつづけている人だよ。どうして世界政府は坊さんたちを殺したがるのだろう? あの人たちが〈一つの世界〉になんの罪があると云うのだ?」
「坊さんたちは支配者を認めようとしない罪があるのよ。」とマグダレナは答える。「あの人たちは自分のところ、カトリックの中でしか話をしないでしょう。戒律があるのよ。平和が宣言された際、カトリックの法王さまは大世界政府の大臣に任命されたの。だけど法王さまは大臣になりたくなくてね、すぐにお亡くなりになったわ。気鬱から亡くなったのだわ。そこで遠い西欧の果てから別の方王様が連れてこられたのだけれど、その人ラテン語を知らないのよ。ヴァチカンの坊さんは教会ではラテン語しか話さないので、その人と折れあわなかったのよ。坊さんたちは、法王さまなのだから、その人には直接当たらないで、みんな森に逃げてしまったのだわ。坊さんたちがあたしたちの山に来ているのも、警察が追いかけまわすのも、そのためよ。あの人たちはお祈りばかりしているだけなのにね。」
 新に飛行機の編隊が山の上にあらわれる。パラシュート部隊がまた山頂に降下する。
 「世界の終りだ、と云っていたわ。」とマグダレナが云う。ピラはおどおどとした彼女の美しい眼を見、マルチン・ルッターの言葉を思い出す。世界の終りの問題が、マグダレナの口調と同じ気高さで述べられているのだ。ピラは云う。
 「Und wenn Morgen Weltuntergang wäre, ich werde am heutige Tage doch Apfelbaumen pflantzen.」
  「上から射ってくるわ。」とマグダレナは云う。 「どうしましょう? (彼女はすっかりおびえている。) どうしたらいいの?」
「どんな時でも人間のなさねばならないことは、」とピラは云う。 「Und wenn Morgen Weltuntergang wäre・・・・・」
 弾丸が叢をかすめ、彼らの頭の上の樹にあたる。
 マグダレナは地面にぴたりと頬をつける。
「いまなんて云ったの?」と彼女は小さな声でそっとたずねる。
 ピラはドイツ語を訳しはじめる。「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える・・・・・・」
 
 機関銃の一斉射撃が、語っているピエール・ピラの口と、耳を傾けている美しいマグダレナの耳を永遠に閉す。
 ヘリコプターのマイクロフォンが世界政府の兵士たちに天気予報を告げている。その声は谷間の彼方にまで響きわたって行く。《お天気が続きます!  お天気が続きます!》” 
(『第二のチャンス』 コンスタンチン・ ビルジル・ゲオルギウ(1916~92)著 pp.360-361 一つの世界)
 
 ゲオルギウは作家ではありますが、ハイデルベルグ大学の神学部で神学を学んでいるようですし(Wikipedia英語)、1963年5月31日にルーマニア正教会の司祭に叙聖(じょせい、カトリックでいう叙階)されました(Wikipediaフランス語)。また彼は、わたしはまだ未読ですが「若きルターとその時代」(ゲオルギウ著 浜崎史郎訳 聖文舎)というルターに関する本も書いていますし、ルターについてなんらかの資料を知っていたのかもしれません。
 
 この「第二のチャンス」に引用されていた「たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴの木を植えるなどを見ますと解りづらいですが、ドイツ語では「Weltuntergang wäre 最後の審判の日」となっていて、キリスト教の表現が使われていて、日本人の考える終末や世の終わりとは違ったものであるということ、人間の手の介入できない神意であるというものを背景にしているのも見落とすべきではないでしょう。

***

この記事を書いた同じ年の8月に教文館から「ルターのリンゴの木 格言の起源と戦後ドイツのメンタリティ」(М・シュレーマン 著 棟居洋 訳 教文館)が出版されました。

ルターのりんごの木 Athanasius


 このルターの言葉とされているものについて書かれたものが出たという事で、さっそく購入して読んで、とてもがっかりしたのを思い出します。
 
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