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数珠と定式文での連祷 2


 祈りの為の数珠を用いて、短い定式文の祈りを繰り返すことに対して、福音派や聖霊派(ウェスレアン神学の教会とその系譜、非国教系やピューリタンの流れの諸教会)などは、カトリックやその伝統、マリア崇敬・天使や諸聖人崇敬を悪魔の如く嫌っているので、プロテスタントの中でも強い拒否と否定を示します。

 プロテスタントでも聖公会は彼等のロザリオを持っています。ルーテル派では全体ではないものの一部にロザリオを用いている教会や信徒たちもいます。日本のルーテル派においてはその文化はありません。

 定式文の祈りの繰り返し否定についていくつか見てみたいと思います。

 まずは福音派系のGot Questionsという疑問に思うことについてそれに答えを示す形のサイトの日本語版のページに

質問 無益な繰り返しで祈るとはどういう意味ですか?“ という質問に対する回答を述べています。 また、”質問 祈りのビーズとは何?祈る時、祈りのビーズを使うのはいいのでしょうか?“という質問にも福音派の模範的回答を示しています。

 ネットで検索していましたら日本の福音派の集まりである日本福音同盟に加盟している日本バプテスト教会連合の東京中央バプテスト教会の ”「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」 マタイ6:7“ という記事を発見しまして、これも福音派だな~と思わせるような内容でした。

 またもう一つ。日本福音同盟に加盟の神の教会運動という団体に属する空知太栄光キリスト教会の牧師さんの書いておられる牧師の書斎という一連の記事の中の ”マタイの福音書を味わう No.1“ の中の ”17 6章5~8節 善行に対する警告と奨励(2)「祈り」“ というところをクリックするとPDF形式で記事が読めます。こちらを見てみますとGot Questionsのサイトやバプテストの記事とそう変わらない内容でした。共通しているのは、根拠はマタイ福音書6章7節ということであるということです。列王記上18:25-39なんかも出て来るのですが、こちらはまるっきり根拠にならない勘違い引用です。これは預言者エリアとのどちらの神が真であるかの勝負のような中での限定された出来事ですから、これらのバアルやアシラの預言者たちが、”朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。“ としても普段の礼拝や祈祷で同じであるとは限りません。そのような勝負下で当然とるであろう行動に過ぎません。これをマタイ6:7と関連付ける方が無理筋です。

 さて、次に福音派や聖霊派で定式文の祈りの繰り返し否定の根拠に使われるマタイ福音書6章7節の日本語訳聖書の訳文を比べてみましょう。

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明治元訳 爾曹(なんぢら)祈る時は異邦人の如く重複語(くりかへしごと)を言(いふ)なかれ彼等は言(ことば)おほきを以て聽(きか)れんと意(おも)へり

大正改訳 また祈るとき、異邦人の如くいたづらに言を反復(くりかへ)すな。彼らは言多きによりて聽かれんと思ふなり。

口語訳 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

共同訳(1978年) また、あなたたちは祈るときには、異邦人のようにくどくどと述べる必要はない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。

新共同訳 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。

新翻訳事業パイロット版(2016年) 祈るときには、異邦人のようにくどくどと言ってはならない。彼らは言葉を多く並べれば、聞き入れられると思っている。

聖書協会共同訳 祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。

新改訳(第一版) また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

新改訳(第二版) また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

新改訳(第三版) また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

新改訳2017 また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。

詳訳 あなたたちが祈るときには、異邦人がするように<同じ言葉を幾度も繰り返して、言葉の数を多くし>〔祈り〕文句の積み重ねをしてはいけない。彼らは多く言えば聞き入れられると思うのである。

リビングバイブル(1982年版) ほんとうの神様を知らない連中のように、同じ文句をくどくど唱えてはいけません。 彼らは、同じ文句をくり返しさえすれば、祈りが聞かれると思っているのです。

リビングバイブル(1993年改訂版) ほんとうの神を知らない人たちのように、同じ文句をくどくど唱えてはいけません。彼らは、同じ文句をくり返しさえすれば、祈りが聞かれると思っているのです。

リビングバイブル(2016年改訂版web) ほんとうの神を知らない人たちのように、同じ文句を何度も唱えてはいけません。彼らは、同じ文句をくり返しさえすれば、祈りが聞かれると思っているのです。

ラゲ訳(1910年) 又祈るに異邦人の如く繰言を為すこと勿れ、彼等は言の多きに由りて聴容れられんと思ふなり。

ラゲ訳(1959年) 又祈るに異邦人のごとく繰り言(ごと)をなすことなかれ、彼らは言葉の多きによりて聞き入れられんと思うなり。

バルバロ訳新約改訂版1957年 また、祈りのときに、異邦人のように無駄言(むだごと)をいってはならない。異邦人は、言葉さえ多ければ聞き入れてもらえると考えている。

バルバロ訳新約聖書1981年新装改訂版講談社 また、祈りのときに、異邦人のようにむだごとを言うな。異邦人はことばさえ多ければ聞き入れてもらえると考えている。

バルバロ訳聖書1980年講談社版 また、祈りのときに、異邦人のようにむだごとを言うな。異邦人はことばさえ多ければ聞き入れてもらえると考えている。

フランシスコ会訳(1984年改訂版) あなたがたは祈るとき、異邦人のよ うにくどくどと言ってはならない。彼らは言葉数さえ多ければ、聞き入れられると思っている。

フランシスコ会訳(2011年改訂版) あなた方は祈るとき、異邦人のよ うにくどくどと言ってはならない。彼らは言葉数さえ多ければ聞き入れられると思っている。

フランシスコ会訳(2013年版web) あなた方は祈る時、異邦人のよ うにくどくどと言ってはならない。彼らは言葉数さえ多ければ聞き入れられると思っている。

本田哲郎訳 あなたたちが祈るときは、世の民がするように、同じことばをくりかえすな。かれらは、ことば数が多ければ、聞き入れられると思っている。

山浦治嗣訳 又(まだ)、其方等(そなだァど)祈っ時(とぎ)ァ、他(ほが)の国がら来た異邦人等(ほがすァど)のように、くどくど喋(すゃ)べくんな。異邦人等(ほがすァど)ァ、口数(くちかず)ァ余計(よげェ)な程聞いて貰うにいい事(ごっ)たど思い込(ご)んでる。

ニコライ訳 又祷(いの)る時、異邦人の如く贅語(むだごと)を曰ふ勿れ、蓋(けだし)彼等は言の多きを以て聴かれんと意ふ。

永井直治訳 新契約聖書1928年Web また汝等祈るときは、異邦人の如く空しき繰り返し言(ことば)をなす勿れ。そは彼等は言(ことば)多ければ聞き入れらるるならんと思へばなり。

永井直治訳 新契約聖書修正改版1960年 また汝等祈るときは、異邦人の如く空しき繰り返し言をなす勿れ。そは彼等は言多ければ聞き入れらるるならんと思へばなり。

塚本虎二訳 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。

前田護郎訳 祈るとき異邦人のようにしゃべるな。彼らは多言によって聞かれると思っている。

岩隈直訳 また祈る時、異邦人のようにべらべらしゃべるな。というのは彼らは [彼らの] 多弁の故に聞き入れられる [だろう] と思っている。

田川健三訳 祈る時は、異邦人のようにぺちゃくちゃとものを言うな。彼らは言葉を多く並べれば聞き入れられると思っているのだ。

口語訳キリスト新聞社 祈りをする時には異邦人のようにくりかえして唱えさるな。異邦人はくどく祈ったならば、聞かれると思つている。

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳1995年web また、あなたたちが祈る時は、異邦人たちのように駄弁を弄(ろう)するな。彼らは自分たちの 言葉が多ければ聞き入れてもらえると思っているのだ。

岩波書店新約聖書翻訳委員会訳2004年 また、あなたたちが祈る時は、異邦人たちのように駄弁(だべん)を弄(ろう)するな。なぜならば、彼らは自分たちの言葉が多ければ聞き入れてもらえると思っているのからである。

現代訳(尾山令仁訳)1983年初版 また祈る時には、生けるまことの神様を知らない異教徒たちがしているように、同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはそうすれば聞かれると思っています。

創造主訳(尾山令仁訳) また祈る時には、生きておられる本当の創造主を知らない異教徒たちがしているように、同じ言葉を、ただ繰り返してはいけません。彼らはそうすれば聞かれると思っています。

国際ギデオン協会New Bible(泉田昭訳) また祈るとき、あなたがたは異邦人のようにくどくど言うな。彼らは、言葉数が多ければ聞き入れられると思っている。

新和訳(池田博訳) また、祈る時は異邦人のようにくどくどと祈るな。彼らは自分たちの言葉数の多さによって聞き入れられると思っている。

新約聖書TR日本語訳 あなた方は祈っている時、異教徒たちのように、空しくしゃべってはいけません。 なぜなら彼らはたくさんしゃべれば聞き入れてもらえると思っているからです。

新世界訳(1985年日本語版) しかし,祈る際には,諸国の人々がするように同じことを何度も繰り返し言ってはなりません。彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです。


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 見て行くと一つの傾向として福音派の教派訳(自分たちの教義に合わせた訳)である新改訳聖書と福音派系の翻訳では、ギリシャ語 βαττολογέω(battalogeó) を ”同じことばを、ただくり返“す という意味の訳文にしています。また、明治・大正期の外国人宣教師による翻訳やジェームズ王欽定英語訳(King James Version) 系の翻訳の影響下にある日本語訳聖書もその傾向があります。

 教義に引きずられないで原文や原語の学問的翻訳では、新改訳やその他の福音派系の翻訳とは違った訳になっています。

 田川訳の註が詳しいので、まずこちらを引用したいと思います。

”7 ぺちゃくちゃとものを言う(battalogeō) 本当は語源も語義も定かでない単語。新約ではこの個所と、ルカ11・2のD写本にしか出て来ない。ルカのD写本は、マタイのこの個所を知ってこの語をそちらに写したものであろう(ただしそちらはやや綴りが違ってbattologeōとなっている)。新約以外でも極めて僅かの用例しか見つかっていない。語源についてはいろいろ想像による仮説はあるが、確かなことはわからない。主な辞書がそれぞれ異なる語源を主張しているから、逆に言えば、どれもあてにならない。この種のことは辞書に書いてあっても信用するなという良い教材であろう。すなわちまず古くはリデル・スコット(Intermediate 版、1888年。本体の大型版では1968年の supplement に載っている)。ヘロドトス4・158に出て来るバットス(Battos)というリビアの王様の名前から来ている、とする。この王様、子どもの頃には発音障害があったからこういう名前がつけられたのだ、と。ただしヘロドトス自身は、この名前を発音障害に結びつけるのは間違いで、リビア語で「王」のことを battos と言うから、それをそのままギリシャ語化はただけだ、と説明しているけれども。ともかくリデル・スコットは、この王の名前から「バットスのように話す」という動詞が作られたのだ、としている(「多分」というただし書きがついているが)。しかしこれはまあ無理である。この話がよく知られた話でそこから発して battos という語が普通名詞として用いられるようになり、従ってこの動詞もよく用いられるというのであれば、こういう説も成り立つが、この動詞の用例は極めて僅かしかない。マタイ教会の人たちがヘロドトスをよく読んで知っていたというのなら話は別だが、むろんそういう可能性はない。
 むしろVGTが一つの可能性として示唆しているデモステネスのあだ名の方が多少はましだろうか。すなわちデモステネスには batalos は普通名詞としても「どもり」という意味で用いられる。しかしこれまたそんなによく知られたあだ名ではないし、マタイたちがそんなことを知っていたとは考えられない。
 もう一つはバウアーで(クロスターマンも)、こちらの神学者の常として、何が何でもヘブライ語・アラム語起源に従る(もっともバウアーも学者だから、「多分」としているが)。言い出したのはブラス・デブルンナーのブラスで(ただしブラスを後になって大幅に増補したデブルンナーは、ブラスはそういう説を唱えているけれども、と単に紹介しているだけ。§40,Anm.3)、アラム語の「空しい、空虚な」という語(bātēl)から来ているという。それにギリシャ語の「言う、話す」という動詞をくっつけたのだ、と。しかしそういう語がギリシャ語のユダヤ人の間で普及していたというのならともかく、まったくその形跡はないから、もしもそうだとすればマタイたちの造語であろうが、しかし、そういう造語が読者に通じる可能性はほとんどないから、まあ考えられない。おまけに、もしもマタイたちの造語であるなら、「空しいことを言う」の意味があるはずだが、マタイ自身はこの語を自分で「言葉を多く並べる」と言い換えている。
 一番説得力のあるのは ThWzNT の G.Delling (Bd.I,598)。ギリシャ語では battarizō (どもる)という動詞がある。この動詞(ないしその派生語)はある程度用いられている。マタイは多分その語を生半可に知っていて、それを適当に利用したのだろう、と。それなら、マタイが語の意味を正確に知って用いたかどうかという問題にはならないし、何となく「バッタ」という音の感じからして、「ぺちゃくちゃ言う」程度の意味だろうと勝手に思い込んで用いた、ということは大いにありうる。それに、battalogeō という音の感じからして、何となく雰囲気は伝わるものだ。私にしたところで、大きな本の一冊も書けば、ほかの人が用いない奇妙な単語の用い方をする例が一つ二つは出て来るだろう。誰でも、たとえ自分の第一言語で書いていても、そういった現象は時たまあるものである。マタイだってたまにはいいではないか。新約聖書の著者に限り、そういった人間誰にでもある言語現象がありえない、などと想像する方が間違っている。“
(「新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書」 田川建三訳 作品社 pp.585-586)

 続いて希英辞典などやグノーモンから。日本語訳はGoogle翻訳やWeblio翻訳などを使用しています。

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◎Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon
リデル=スコット 希英辞典
βαττο-λογέω ,
A.= βατταρίζω, speak stammeringly, say the same thing over and over again, Ev.Matt.6.7, Simp. in Epict.p.91D.
A. =βατταρίζω、どんよりと話し、同じことを何度も何度も言います、Ev.Matt.6.7、Simp。 Epict.p.91Dで。

◎Thayer's Greek Lexicon
STRONGS NT 945: βαττολογέω
βαττολογέω (T WH βατταλογέω (with א B, see WH's Appendix, p. 152)), βαττολόγω: 1 aorist subjunctive βαττολογήσω;
a. to stammer, and, since stammerers are accustomed to repeat the same sounds,
b. to repeat the same things over and over, to use many and idle words, to babble, prate; so Matthew 6:7, where it is explained by ἐν τῇ πολυλογία, (Vulg.multumloqui; (A. V. to use vain repetitions)); cf. Tholuck at the passage Some suppose the word to be derived from Battus, a king of Cyrene, who is said to have stuttered (Herodotus 4, 155); others from Battus, an author of tedious and wordy poems; but comparing βατταρίζειν, which has the same meaning, and βάρβαρος (which see), it seems fax more probable that the word is onomatopoetic. (Simplicius, in Epictetus (ench. 30 at the end), p. 340, Schweigh edition.)

セイヤーのギリシャ語レキシコン
ストロング新約945:βαττολογέω
βαττολογέω(TWHβατταλογέω(אB付き、WHの付録p。152を参照))、βαττολόγω:1アオリスト接続法βαττολογήσω;
a。 吃音に、そして、吃音者は同じ音を繰り返すことに慣れているので、
b。 同じことを何度も繰り返すこと、多くの怠惰な言葉を使うこと、せせらぎをすること、祈ること。 だからマタイ6:7、それはἐντῇπολυλογίαによって説明されています、(Vulg.multumloqui;(A。V.無駄な繰り返しを使用する)); cf. 通路でのソラックこの言葉は、つまずいたと言われているキュレネの王バトゥスに由来すると思われる人もいます(ヘロドトス4、155)。 退屈で言葉の多い詩の作者であるBattusの他の人。 しかし、同じ意味を持つβατταρίζεινとβάρβαρος(を参照)を比較すると、その単語は擬音語である可能性が高いようです。 (Simplicius、エピクテトス(最後のench。30)、p。340、Schweigh版)

◎A Pocket Lexicon to the Greek New Testament by Alexander Souter
βαττολογέω I chatter, am long-winded, utter empty words.
βαττολογέω 私はおしゃべり、息の長い、全くの空の言葉です

A Pocket Lexicon to the Greek New Testament by Alexander Souter. p.48, βαττολογέω


グノーモン新約聖書註解 (坪井 正之訳)
”マタイ 6:7

異邦人のように)すべての事で偽善者のやり方を避けるべきである。祈りにおいては異邦人のやり方も避けるべきである。

くどくどと祈るな)mê battologêsête. ガタカーは古文献から、Battus と呼ばれた多くの人々の例を集めている。バトスとはどもりで、従って同じ言葉を繰り返すことで有名なキレネの王の名前であったが、同じ習癖のある者がこう呼ばれた。ヘシキアスは battologia を argologia 「むだなおしゃべり」、akailogia「場所柄を弁えないおしゃべり」と説明している。彼は battarizein 「どもる」は擬声語からできたと思われると言っている。battalogein「くどくど言う」はすぐあとに出る polylogia 「言葉かずが多いこと」と同意語になる。polylogia も初めの発声を次の発声で訂正しようするどもりと同じように、同じことを何度も何度も繰り返すことである。

言葉かずが多ければ)すなわち、多くの言葉を言っているあいだに。彼らは願いごとを詳しく神々に知らせ、たとえ今でなくても、いつかかなえてもらうためには、多くの言葉が必要であると考えている。「あなたがたの父はご存じなのである」(8節)と比較せよ。同じ語 polylogia は箴言10:19に出ている。「言葉かずが多ければ、とがを免れない」アンモニウスは makrologos は少ないことについて多くの言葉を言うもの、polylogos は多くのことについて多くの言葉を言うものと言っている。キリストは多くのことを祈るときでも、少ない言葉で祈るように命じている。9-13節を見よ。[言葉は多くないが多くの祈り、余分の言葉はないが、絶えざる敬虔な心。アウグスチヌス。]

聞きいれられる)神は確かに答えてくださる。7:7。 ヘブル語の הנע「答える」が七十人訳では eisakouein「聞きいれられる」と訳されている。“

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 田川訳の註を読んでから希英辞典、今回引用はしませんが新約聖書の希和辞典なんかを見ますと、註を読まないで辞典や注解を読んでしまった場合では、辞典を鵜吞みにしないで見てみるということができるかと思います。

 希和辞典ですと山本書店の岩隈直氏の方ですと、福音派系の翻訳に見られる「繰り返す」という文言はありません。しかし、語源としてアラム語としているので、田川建三氏の ”こちらの神学者の常として、何が何でもヘブライ語・アラム語起源に従る“ という言葉を思い出してニヤリと。織田昭氏の辞典では ”無駄にくりかえす“ という説明が入れられていますが、他に示された訳語の中で、この語だけが意味合い的に異質なので、英語圏の解釈を取り入れたのだろうか?と思いました。そこでこの辞典の中心資料となった3つの辞典のリデル・スコットとシューターは確認できました(引用してあります)。バウワーは検索しましたが利用できそうなのが無く諦めました。シューターには無く、リデル・スコットの方に「同じことを何度も言う 」とあったので、こちらからなのかなと思いました。

 田川訳の註を見て、全くこのバットロゲオーに「繰り返す」という語義が無いことからよく見られる。初めに教義があり、それがギリシャ語辞典にも入り込むパターンの一つなのかなと思い。英訳聖書を見てみました。ちょっと年代順に引用したいと思います。初めは1545年のルターによるドイツ語訳、それ以降は英訳聖書の引用です。


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Luther Bibel 1545
7 Und wenn ihr betet, sollt ihr nicht viel plappern wie die Heiden; denn sie meinen, sie werden erhört, wenn sie viel Worte machen.
7祈るときは、異教徒のようにたくさんしゃべってはいけません。 彼らはたくさん言うと聞かれると思っているからです。

***

Tyndale New Testament 1525
And whe ye praye bable not moche as the hethe do: for they thincke that they shalbe herde for their moche bablynges sake.
そして、あなたがたは、ヘザのようにモチェではなく、聖書を祈るのです。

Tyndale New Testament 1525(古英語の単語を現代英語の単語に直してあるもの)
But when ye pray, babble not much, as the gentiles do: for they think that they shall be heard, for their much babbling's sake.
しかし、あなたがたが祈るとき、異邦人のように、あまりしゃべりません。彼らは、ぺちゃくちゃのために、彼らは聞かれると思っているからです。

Coverdale Bible 1535
7 And when ye praye, bable not moch, as ye Hethen do: for they thinke that they shalbe herde, for their moch bablynges sake.
7あなたがたが祈るとき、異邦人のように、あまりしゃべらないでください。彼らは、多くの異邦人のために、群れをなすと思っているからです。

Matthew's Bible 1537
7 But when ye praye, bable not much as the Heathen do: for they thinke that they shalbe herde, for their muche bablynge sake.
7しかし、あなたがたが祈るとき、異教徒のようにせせらぎをすることはあまりない。

Great Bible of 1539
7 But when ye praye bable not moch, as the heathen do: for they thyncke it will come to passe, that they shalbe herd for their moch bablynges sake.
7しかし、異教徒のように、あなたがたがせせらぎをあまり祈らないとき、彼らは、彼らの多くの祝福のために群れをなだめるために、それが通り過ぎるであろう。

Geneva Bible 1560
7 Also when ye pray, use no vain repetitions as the Heathen: for they think to be heard for their much babbling.
7あなたがたが祈るときも、異教徒のように無駄な繰り返しを使わないでください。

KJV 1611,1769
7 But when ye pray, use not vain repetitions, as the heathen do: for they think that they shall be heard for their much speaking.
7しかし、あなたがたが祈るときは、異教徒のように無駄な繰り返しを使わないでください。

RV 1881
7 And in praying use not vain repetitions, as the Gentiles do: for they think that they shall be heard for their much speaking.
7異邦人のように、祈るときは無駄な繰り返しをしないでください。彼らは、多くのことを話すことで聞かれると思っているからです。

ASV 1901
7 And in praying use not vain repetitions, as the Gentiles do: for they think that they shall be heard for their much speaking.
7異邦人のように、祈るときは無駄な繰り返しをしないでください。彼らは、多くのことを話すことで聞かれると思っているからです。

RSV 1952
“And in praying do not heap up empty phrases as the Gentiles do; for they think that they will be heard for their many words.
7「そして、祈るとき、異邦人のように空のフレーズを積み上げないでください。 彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思うからです。

Amplified Bible, Classic Edition 1958
7 And when you pray, do not heap up phrases (multiply words, repeating the same ones over and over) as the Gentiles do, for they think they will be heard for their much speaking.
7そして、あなたが祈るとき、異邦人がするようにフレーズを積み上げないでください(単語を増やし、同じものを何度も繰り返す)。彼らは彼らが多くのことを話すことで聞かれると思うからです。

THE NEW ENGLISH BIBLE 1961
7'In your prayers do not go babbling on like the heathen, who imagine that the more they say the more likely they are to be heard.
7 'あなたの祈りの中で、異教徒のようにペチャクチャしゃべりに行かないでください。

New American Standard Version 1963
7 “And when you are praying, do not use thoughtless repetition as the Gentiles do, for they think that they will be heard because of their many words.
7「そして、あなたが祈っているとき、異邦人のように思慮のない繰り返しを使わないでください。彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思っているからです。

New International Version 1973,1983,2011
And when you pray, do not keep on babbling like pagans, for they think they will be heard because of their many words.
そして、あなたが祈るとき、異教徒のようにぺちゃくちゃしゃべり続けないでください。彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思っているからです。

NKJV 1982
7 And when you pray, do not use vain repetitions as the heathen do. For they think that they will be heard for their many words.
7そしてあなたが祈るとき、異教徒のように無駄な繰り返しを使わないでください。 彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思うからです。

New Revised Standard Version 1989
7 “When you are praying, do not heap up empty phrases as the Gentiles do; for they think that they will be heard because of their many words.
7「祈っているときは、異邦人のように空のフレーズを積み上げないでください。 彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思うからです。

New American Standard Bible 1995
7 “And when you are praying, do not use meaningless repetition as the Gentiles do, for they suppose that they will be heard for their many words.
7「そして、あなたが祈っているとき、異邦人のように無意味な繰り返しを使わないでください。彼らは彼らの多くの言葉で聞かれると思っているからです。

The Message 2002
7-9 “The world is full of so-called prayer warriors who are prayer-ignorant.They’re full of formulas and programs and advice, peddling techniques for getting what you want from God. Don’t fall for that nonsense. This is your Father you are dealing with, and he knows better than you what you need.
「世界には、祈りを知らない、いわゆる祈りの戦士がたくさんいます。彼らは手法とプログラムとアドバイスでいっぱいです。そして、あなたが神から望むものを手に入れることの技術を小売りします。 そのナンセンスに騙されないでください。 これはあなたが扱っているあなたの父であり、彼はあなたよりもあなたが必要としていることをよく知っています。

Amplified Bible 2015
7 “And when you pray, do not use meaningless repetition as the Gentiles do, for they think they will be heard because of their many words.
7「そして、あなたが祈るとき、異邦人のように無意味な繰り返しを使わないでください。彼らは彼らの多くの言葉のために彼らが聞かれると思っているからです。


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 1560年のジュネーブ聖書(Geneva Bible)から ”vain repetitions“ (無益(無駄)な繰り返し)という訳語が入ってきます。ジュネーブ聖書の強い影響を受けているジェームズ王欽定英語訳もそれを受け継ぎ、それ以降の英訳はジェームズ王欽定英語訳の呪縛に囚われてしまいました。それでも学問的な訳はそれを脱却することができていますが、福音派や聖霊派などで使われることを意識した訳では、相変わらずの「繰り返し」が訳語に入ってきています。


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155 その後テラの名士であったボリュムネストスが娘を引き取り、妾に囲った。やがて舌の廻らぬ吃(ども)りの男児が生れ、その子に附けられた名がバットスであったとテラ人もキュレネ人も伝えているのであるが、私の考えではそれは別の名であった。彼はリビアへ行ってからバットスと改名したもので、デルポィで彼に授けられた神託と、彼の得た栄位に基いてこの名を名乗ったのであった。リビア人は王のことをバットスというからで、また私の考えではそれなればこそデルポイの巫女も託宣を下す折に、彼の名をリビア語で呼んだのであろう。・・・
(四巻155 「ヘロドトス 歴史 中」 岩波文庫 p.90 )


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当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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