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「脈打つ」? 「向かう」?


 さて、ある兄弟から教会ホームページ等でルターの薔薇の紋章の説明として、

"ルターの紋章
この紋章には「薔薇の上に置かれたキリスト教徒の心臓は、十字
架の真下にあるとき脈打つ」という題字が記されています。"

との文言について質問されたことがありました。

 この文言は、日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会などのホームページでも引用されていました。また、牧師個人のホームページまで含めますと、日本基督教団など他教派などにも散見されます。

 この文言は、青木茂氏が著書「ヘーゲルのキリスト論」(南窓社)のなかで引用されていました。

ヘーゲルのキリスト論 Athanasius


"ルター家の紋章は、白薔薇に囲まれた心臓の真ん中に黒い十字架が描かれている。その紋章の意味は、「薔薇の上に置かれたキリスト教徒の心臓は、十字架の真下にあるとき脈打つ」という題字から明らかであるという。(13)"(p.26)

 この中で注の13を参照するように促されています。そこを見ますとこの文がK.レーヴィット著「ヘーゲルからニーチェへ Ⅰ」(柴田治三郎訳 岩波現代叢書 1952年)からの引用であることが示されています。

ヘーゲルからニーチェへ Athanasius


 確かにK.レーヴィット著「ヘーゲルからニーチェへ Ⅰ」を見ますと、

"薔薇と十字架の本来のルテル的な意味によって測ると、ヘーゲルとゲーテにおけるキリスト教に對する立場の相違は取るに足らないものになる。白薔薇に囲まれたハートの眞中に黒い十字架を描いたルテルの紋章の意味は「薔薇の上におかれたキリスト教徒の心臓は十字架の眞下にあるとき脈博つ」という題銘から明らかになる。"(p.24) とあります。

ルターの紋章


 しかしながら、ルターの薔薇の紋章に付された文章は、Des Christen Herz auf Rosen geht, wenn es mitten unterm Kreuze steht.というもので、Google翻訳やエキサイト翻訳、infoseek楽天マルチ翻訳などを使用して翻訳してみましても、「脈打つ」という語は見出されません。

 gehtはgehenの現在第3人称単数形で、動詞gehenは1.歩あるく、歩行する 、2.行いく、通とおる 、3.(...の状態に)なるという意味であるそうです。

 ルーテル学院大学の江口 再起 教授(http://www.luther.ac.jp/education/teacher/details/eguchi.html)は、論文 「薔薇と十字架 : ルターとヘーゲルを結ぶもの」(ROSE UNT KREUZ : EINE VERGLEICHENDE UNTERSUCHUNG VON LUTHER UNT HEGEL)の中で(http://ci.nii.ac.jp/naid/110006483358)ドイツ語の銘文と共に訳出し、更に説明しています。

"この「薔薇と十字架」の紋章は、しかし、より正確に言うと、「薔薇と心臓と十字架」の組み合わせである。つまり、薔薇の真ん中にハート形の心臓(つまり心)があり、その心臓の真ん中に更に十字架あるのである。そして紋章の周りには次のような銘文が刻んである。「キリスト者の心は、十字架の真下にあるとき、薔薇の花にむかう(Des Christen Herz auf Rosen geht, wenn es mitten unterm Kreuze steht)」。ここから、この紋章によってルターが何を示そうとしたのかがわかる。すなわち、キリスト者の心(信仰)が十字架にむけられるときそこに薔薇の花が咲く、つまり和解が成り立ち救われるというのである。"

 これはルターがこの紋章について1530年7月8日付のラザルス・シュペングラー宛の手紙での説明

"私の紋章が正しい意味を表わしているかどうか知りたいということですので、よい交わりのためにも、私の紋章について思っていることをお知らせしましょう。これは、私の神学の目印です。第一は十字架です。それは、自然の色をした心臓の中に黒く描かれています。これによって私たちは自ら、十字架につけられた方を信じる信仰が私たちを救うことを思い起こしたいのです。なぜなら、人が心から信じるならば、義とされるからです。これが黒い十字架であるというのは、死のしるしであり、痛みを与えるからです。しかし、心臓が自然の色をしているのは、本性がだめなのではありません。十字架は殺すためではなく、生かすためにあります。義人は信仰によって、それも十字架につけられた方を信じる信仰によって生きるのです。この心臓は白いバラの真ん中にあります。信仰は喜びと慰めと平和を与えることを示しています。それはこの世が与える平和や喜びとはちがいます。だから、バラは赤くなく、白なのです。白は霊と天使の色だからです。このバラは空色の地の中にあります。霊と信仰における喜びは、やがて到来する天の喜びの始まりです。今すでにその喜びの中に招かれており、希望によって与えられているが、まだ完全には明かにされていません。その地のまわりには金色の輪があります。それは、救いが天では永遠に続くことを示しています。金は最高の、高価な金属だからです"
(http://www.jelc-ikebukuro.org/pastor15/pastor150830.html、http://luther500.wixsite.com/jelc より引用)

を、解り易く端的に説明しています。しかし、「脈打つ」ではルターの手紙とはつながりません。

 年代的に柴田治三郎氏の訳文が、日本では定着してしまい、原語のドイツ語文の訳として検証されることなく使われ続けてきたのでしょう。丁度もう引退された牧師さんたちが神学生のころに出版されていますから、その影響はあったのかもしれません。まあ、Karl Löwithの原著VON HEGEL ZU NIETZSCHEの中の銘文が「脈打つ」である可能性もありますが。

 英語のサイトなどを検索してみますと、この銘文の英訳としてWhen they stand under the Cross Christian Hearts turn to Roses というものを見つけることができました。これもドイツ語文を損なってはいません。

 一度定着してしまうと、それが誤訳や極端な意訳であっても、なかなか修正されずに使われ続けることは、残念なことに聖書翻訳などでもよく見られます。これもその一つなのかもしれません。

日本語の「脈打つ」は、国語辞典を見ますと
"② 内部にあって生き生きと流れる。"
"2 内部で力強く活動を続ける。"
という意味もあるとのこと。しかし、ドイツ語のgehenにはそんな意味があるのでしょうか? やはり意訳しすぎ、置き換えのし過ぎと見えます。


***追記2020年06月17日***

明治四十年に出版された「ルーテル言行録」(松本赳 著 内外出版協會 p.179)には、

" ルーテルの衣服の袖に付けたる紋章は円形にして、中方に白き薔薇を描けり。而してその薔薇の上には心情(ルビ:ハート)の中に黒き十字架を現わせるものなりき、紋章の全部は、『Inpatientiâ sauvites』(快き忍耐もて)といふ文字の金色の環にて囲はれぬ。その裏には次の句あり。
 『基督者の心情は薔薇の上に横はる、
  十字架に愁へ悲しむ時にこそ。』"

とあり、また違った訳文でした。


***関連記事***


ルターの薔薇の紋章について

ルターの薔薇の紋章種類


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