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現代訳聖書 いうほど一般の人に分かりやすいか?

聖書 現代訳 1983年 URL

 さて、今回は「現代訳聖書」について「リビングバイブル」「共同訳新約聖書」と比較しつつ個人的な感想を書きたいと思います。

 尾山令仁という人が個人で、校訂本から日本語に聖書全体を翻訳し1978年に新約が、そして、1983年に旧新約のコンプリート版が羊群社より出版され「現代訳」と銘打たれ発売されました(印刷本は第10版まで、電子版で第11版が出ている)。

 個人による旧新約聖書全体の日本語への翻訳はこの人くらいでしょう(個人訳としては、旧約のみなら関根訳。新約のみなら塚本虎二訳、岩隈直訳、前田護郎訳、田川建三訳、泉田昭訳、柳生直行訳、山岸登訳、池田博訳などがある)。このことについては、まあ、大変だったろうねくらいしか感想はありません。そして、2020年に改訂版がロゴス出版から出版されました。

 次に、現代訳聖書の旧版は外箱に「読むだけでよく分かる翻訳」と印刷され、改訂版は出版社のHPなどを見ますと「読むだけで分かる!! 聖書」など帯に書いてありました(改訂版は持っていないので)。現代訳聖書を読む限り、言うほど「読むだけでよく分かる翻訳」なのか~? と思います。

現代訳 外箱「読むだけでわかる翻訳」表記 URL

 現代訳は、日本聖書協会で1978年に新約聖書の全体が出された「共同訳」と同じアメリカの言語学者ユージン・ナイダ氏の動的等価(Dynamic equivalence)という考えのもと翻訳されたものです。

 あと、ナイダ理論によって訳されたものとは違いますが、小さな子供でも分かるようにとアメリカの神学者ケネス・テイラー氏によって作られた「リビングバイブル」があります。

 この三つをマタイ福音書の始めの10章までですが、何箇所か比べてみたいと思います(リビングバイブルは先の二つに合わせ1982年の印刷版を使用しました。93年改訂版や2016年改訂版とは訳文が異なる箇所がありますのでご注意ください。リビングバイブルの引用の前には「JLB82」と表記します。)。そして、引用のあとに現代訳の訳文についての感想を書いてみます。また2020年改訂版は持っていないので2013年に出版された創造主訳(現代訳を底本に「神」の語を「創造主」に改変し、また一部本文も修正などされて出版されたもの)にて引用箇所を確認しました。特に修正箇所は無かったです。

現代訳・創造主訳(尾山令仁訳) URL


マタイ2章12節

現代訳: 彼らはまた夢の中で、ヘロデの所へ引き返してはならないという主の御告(みつ)げを受けたので、別の道を通って、自分の国へ帰って行った。

JLB82: それから、ヘロデ大王に報告をするためにエルサレムへは戻らず、そのまま、自分たちの国へ帰って行きました。神が夢の中で、ほかの道を通って帰るように警告されたからです。

共同訳: ところが、「ヘロデスのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国へ帰って行った。

 ここで気になったのが「御告(みつ)げ」の訳語です。リビングバイブルや共同訳の方が一般の人にはわかりやすいのではないかと思います。


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マタイ3章5節~7節

現代訳:5  エルサレムとユダヤ全土とヨルダン川のあたりの人々が皆、ヨハネの所へ来て、 6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。 7 しかし、パリサイ派の人たちとサドカイ派の人たちが大勢バプテスマを受けに来るのを見ると、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえども。だれが来るべき御怒りから逃れるように教えたのか。

JLB82: 5 このヨハネの説教を聞こうと、エルサレムやヨルダン川流域だけでなく、ユダヤの全地方から、人々が荒野に押しかけました。  6 神にそむく生活を送っていたことを全面的に認め、それを言い表した人たちに、ヨハネはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。 7 ところが、パリサイ派(信徒で、特におきてを守ることに熱心なユダヤ教の一派)やサドカイ派(神殿を牛耳っていた祭司階級。 ユダヤ教の主流派)が大ぜい、バプテスマを受けに来たのを見て、ヨハネは彼らをきびしくしかりつけました。 「まむしの子らめっ! だれがおまえたちに、もうすぐ来る神のさばきから逃れられると言ったのか。

共同訳: 5 さて、エルサレムとユダヤ全国から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハンネスのところにやって来て、 6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けていた。 7 ヨハンネスは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子孫ども、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

 ここでも現代訳はキリスト教用語を何の説明もなく使っています。福音派や聖霊派のキリスト教徒や求道者に「バプテスマ」と言えばわかるでしょうが、一般の人には「洗礼」と言った方が通じると思います。また、パリサイ派やサドカイ派にしてもリビングバイブルのように括弧して説明を入れるか、訳文自体に説明を入れてやった方がこの人たちが誰で何なのかがわかると思います。

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マタイ3章11節

現代訳: 私は、お前たちが悔い改めたことを象徴する水のバプテスマを授けている。しかし、私のあとから来られる方は、私よりもはるかに偉大な方である。私はその方の靴の番をする奴隷ほどの値打ちもない者である。その方は、お前たちに聖霊と火によるバプテスマ、つまり最後のさばきをなさる方である。

JLB82: 私は今、罪を悔い改める者たちに水でバプテスマを授けている。 しかし、まもなく、私など比べものにもならない、はるかに偉大な方がおいでになる。 その方のくつをお運びする値打さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになる。

共同訳: わたしはお前たちに水で洗礼を授け、悔い改めるよう導いている。だが、わたしのあとから来られるかたは、わたしよりも優れていて、わたしは、そのかたの履き物をお脱がせする値うちすらない。そのかたは、聖霊と火でお前たちに洗礼をお授けになる。

 「お前たちが悔い改めたことを象徴する水のバプテスマ」、「私はその方の靴の番をする奴隷ほどの値打ちもない者」、何かねぇ、もっと別な表現の仕方ないのかと言いたくなります。

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マタイ3章15節

現代訳: すると、イエスは答えて言われた。「今はこのことについて議論することは、やめましょう。わたしは自分の罪のためにバプテスマを受けるのではありません。人々の罪を負う者として受けるのです。

JLB82: しかしイエスが、「今はそうさせてもらいたい。 なすべきことは、すべてしなければならないのだから」とお答えになったので、ヨハネはバプテスマを授けました。

共同訳: しかし、イエススは答えた。「今は、止めないでください。御心にかなうことをすべて実行するのは、我々にふさわしいことなのだから」。そこで、ヨハンネスは承諾した。

 「わたしは自分の罪のためにバプテスマを受けるのではありません。人々の罪を負う者として受けるのです。」、これも酷いね。これがこの人個人の解釈なんだろうね。代理洗礼みたいなセリフというのが率直な感想(近いところではモルモン教の死者のためのバプテスマみたいな印象を受ける。)。

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マタイ4章1節

現代訳: さて、イエスは、救い主としての試練を受けるため、御霊(みたま)に導かれて荒野(あらの)へ行かれた。それは、また悪魔による誘惑という意味も持っていた。

JLB82: それからイエスは、聖霊に導かれて荒野に出て行かれました。悪魔に試されるためでした。

共同訳: さて、イエススは悪魔から誘惑を受けるため、聖霊に導かれて荒れ野に行った。

 「御霊」は分かりづらいんじゃないかな~。他の二つの「聖霊」も「神の聖霊」とか「神の霊」あたりにした方が理解しやすいかもと。

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マタイ4章3節、4節

現代訳: 3 すると誘惑者である悪魔がやって来て、こう言った。「あなたが神の御子であることは、先ほどの天からの御声(みこえ)にもございました。それなら、この石をパンに変える奇蹟がおできになりましょう。あなたご自身、空腹の苦しみをご存じであり、空腹の人々に対する思いやりもお持ちです。いかがでしょうか、ここにころがっている石をパンに変えて、貧しい人たちに施しておやりになったら。きっと喜ばれると思いますが。」 4 イエスは答えて言われた。「『人はパンさえあれば生きられるわけではない。神の御心でなければ、決して生きられるものではない』と旧約聖書に書いてあるではないか。」

JLB82: 3 その時です、悪魔が誘いかけてきたのは。「どうだい、ひとつ、ここに転がっている石をパンに変えてみたら? そうすりゃあ、あんたが神の子だということも一目瞭然だろうが。」  4 しかしイエスは、すかさずお答えになりました。 「それは違う。旧約聖書には、『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。 わたしたちは、神のすべてのことばに従うべきなのだ。」

共同訳: 3 すると、悪魔が誘惑しようとやって来て、イエススに、「お前が<神の子>なら、そこらの石がパンになるように命令したらどうだ。」と言った。 4 イエススは答えた。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と聖書に書いてある。」

 「先ほどの天からの御声(みこえ)にもございました。」、お前どこから見てたんだよと突っ込みたくなるセリフ。もちろん原本にはない言葉。 「あなたご自身、空腹の苦しみをご存じであり、空腹の人々に対する思いやりもお持ちです。いかがでしょうか、ここにころがっている石をパンに変えて、貧しい人たちに施しておやりになったら。きっと喜ばれると思いますが。」 尾山氏による作文。作り話。まあ、ひどい。

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マタイ4章7節

現代訳: イエスはこう言われた。「聖書には、『あなたの主なる神様を試みてはならない』と書かれている。お前の聖書引用法は間違っている。」

JLB82: イエスは鋭く言い返しました。 「あなたの神である主を、試してはならない、とも書いてあるではないか。」

共同訳: イエススは、「『お前の神である主を試してはならない』とも書いてある」と答えた。

 「お前の聖書引用法は間違っている。」これも作文。ブーメラン。「お前の聖書翻訳は間違っている。」と帰って行くんでないのと思う。

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マタイ5章3節

現代訳: 「ああ、なんと幸いなことでしょう。むさぼらない人たち。神様が、その人たちの心を支配してくださっています。

JLB82: 「自分の貧しさを知る謙そんな人は幸福です。 天国はそういう人に与えられるからです。

共同訳: 「ただ神により頼む人々は、幸いだ。天の国はその人たちのものだから。

 この個所「むさぼる」ことを語った箇所でないのに、尾山氏にはそう読めてしまうのだろう。
 共同訳がまだ原文の枠から外れていない感じ。リビングバイブル改訂版で「心の貧しさを知る謙そんな人」と修正。

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マタイ5章31節

現代訳: また、旧約聖書には、『妻を出すには、離婚状を与えよ』としるされているのをご存じでしょう。

JLB82: また、モーセの律法では、『離縁状を手渡すだけで、妻を離縁できる』とあります。

共同訳: 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。

 これも不親切な訳。

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マタイ7章13節

現代訳: 罪や欲望を持ったままでは決して入ることのできない天国への狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、罪や欲望を持ったままでも十分入れます。また、そこを通って行く人はたくさんいます。

JLB82: 狭い門を通らなければ、天国に入れません。 人を滅びに導く道は広く、大ぜいの人がその楽な道を進み、広い門から入って行きます。

共同訳: 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多いのだ。

 すべての罪や欲を無くして悟りを開いて如来にでもならないと天国への狭い門は入れなさそう。そして、自力で罪を無くせるというキリストの贖罪が無用の自力救済を語っているように読める。確か尾山氏が教祖の個人商店(単立教会)の「聖書キリスト教会」ってWikipedia見るとカルヴァン主義の長老主義の教会となっていたが、全的堕落と二重予定説は採用せずに、アルミニウス主義にでも鞍替えしているのかな?

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マタイ8章17節

現代訳: これは、主が預言者イザヤを通して語られた預言の成就であった。「彼は、私たちの煩いを身に引き受け、私たちの病を背負って取り去ってくださった。」

JLB82: こうして、イエスについてイザヤが、「彼は、私たちの病弱を身に引き受け、私たちの病気を背負った」と預言したとおりになったのです。

共同訳: こうして、預言者イシャヤを通して言われていたことが実現した。「彼は、我々の患いを除き、我々の病を取り去った」。

 「成就」の訳語も大人ならわかるけど小さい子供は分かるかな? と思う。


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マタイ8章20節

現代訳: すると、イエスは彼に言われた。「さすらいの習性のある狐にさえ、ねぐらはある。空の鳥だって同じこと。しかし、わたしには仮寝の場所もない。わたしに従ってくるもの者も同じことを覚悟しなければなりませんぞ。」

JLB82: しかし、イエスは言われました。 「きつねにも穴があり、鳥にも巣がある。 しかし、メシヤ(救い主)のわたしには自分の家はおろか、横になる所もない。」

共同訳: イエススはその人に答えた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、<人の子>には寝る所もないのだ」。

 「さすらいの習性のある狐」ってふつう思わないでしょ。狐には巣があって、巣を中心にエサを探したり狩りをしたり、子育てする動物で、放浪する動物と考える人いるのかな?

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8:28
現代訳: それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人が二人墓場から出て来て、イエスに出会った。彼らはものすごく凶暴で、だれもその道を通れないほどであった。

JLB82: やがて、舟は湖の向こう岸に着きました。 ガダラ人の住む地方です。 と、そこに、二人の男がやって来ました。 実はこの二人は悪霊に取りつかれ、墓場をねぐらにしている連中でした。 何をされるか分かったものではないので、だれもそのあたりに近寄りもしませんでした。

共同訳: イエススが向こう側のガダラ人の地方に着くと、悪魔にとりつかれた者が二人、墓場から出て来てイエススを迎えた。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。

 これは「つかれた」とするなら漢字を使って「憑かれた」としないと。ひらがな表記なら「とりつかれた」の方がよい。

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マタイ9章10節

現代訳: イエスがマタイの家で食事の席に着いておられると、その時、大勢の収税人や罪人と呼ばれている人たちがやって来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

JLB82: そのあと、イエスと弟子たちは、マタイの家で夕食を食べることになり、取税人仲間や名うての詐欺師連中も大ぜい招かれました。

共同訳: イエススがその家で食事をしていたときのこと、徴税人や罪人も大勢やって来て、イエススや弟子たちと同席していた。

 リビングバイブルは「罪人」を分かりやすく説明しようと「名うての詐欺師連中」とか「あんなひどい連中」(11節)と訳し、13節でこういう人たちが「罪人」と呼ばれていて段階的に説明を試みています。改訂版では「名うての詐欺師連中」を「律法の規定を守らない人」(16年改訂版)と改訂しています。それに比べると現代訳はキリスト用語は無批判に説明もなく使っていて、読者層はどこ? と思います。

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マタイ9章23節

現代訳: それからイエスはその会堂管理人の家に来られた。そこでは、もう娘が死んでしまっていたため、笛吹きが来ていたり、群衆が騒いでいた。

JLB82: さて、管理人の家に着くと、人々でごった返し、葬式の音楽が聞こえてきます。

共同訳: イエススが指導者の家に行ってみると、もう葬式をする者たちが来ており、群衆が騒いでいた。

 「笛吹きが来て」。これじゃあ一般の人や求道者には何のことかわからないだろ。

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マタイ10章5節

現代訳: イエスは、これらの十二人を遣わすに当たって、彼らにこう命じられた。「汚らわしい異邦人の道に行ってはいけません。また、異端者であるサマリヤ人の町に入ってはいけません。

JLB82: イエスは、次のような指示を与えて、弟子たちを派遣なさいました。 「外国人やサマリヤ人のところに行ってはいけません。

共同訳: イエススはこの”十二人„を派遣するにあたり、次のように諭した。「異邦人の土地に行ってはならない。またサマリア人の町に入ってはならない。

 いつからサマリヤ人は「異端者」になったんだ。

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マタイ10章16節

現代訳: さあ、いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。

JLB82: いいですか。 あなたがたを派遣するのは、いわば、羊を狼の群れの中へ追いやるようなものです。 ですから、用心深さの点では蛇のように、純真さの点では鳩のようになりなさい。

共同訳: 「わたしがお前たちを遣わすのは、狼の群れの中に羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように抜けめなく、鳩のように素直になりなさい。

 「蛇のようにさとく」。これも読者視点のない、聖書に慣れ親しんだキリスト教目線の訳文。

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マタイ10章34節

現代訳: わたしは、この地上に、表面的な平和をもたらすために来たとは思わないでください。平和の前に、まず刀(かたな)を投じ、偽りの平和を破壊しようと思っています。

JLB82: わたしが来たのは、地上を平和にするためだ、などと誤解してはいけません。 平和ではなく、むしろ争いを引き起こすために来たのです。

共同訳: 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、争いをもたらすために来たのだ。

 「平和の前に、まず刀(かたな)を投じ、」。これも独りよがりの悪文。日本だから剣(つるぎ)より刀がよろしかろうと思ったのかもしれないが、リビングバイブルや共同訳のように既存の聖書の訳文から離れて説明訳にすればいいものを、変なところで既存の訳語に囚われるからこんなへんてこりんな訳になる。

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 はっきり言っちゃうと聖書を初めて手に取る人や求道者なんかは、現代訳や創造主訳買うくらいなら、リビングバイブル買った方がわかりやすい(個人の感想です)。また、共同訳(1978年)は日本聖書協会の方では絶版になっていますが、講談社の学術文庫で、この共同訳(1978年)はカトリックの学者による欄外注が付いた「新約聖書 共同訳全注」として今も出版されているので、現代訳や創造主訳買うくらいならそちらでもいいかなといった感じです。

 まあ、普通に中学卒業程度の国語力あれば、新共同訳や新改訳で十分だとは思いますが、それでもキリスト教用語や当時の風習や文化など知らないとわかりづらい言葉が字義訳されていたりしますので、その場合はスタディー版聖書(欄外に解説の付いたもの)を買うか、聖書と一緒に聖書辞典(最初は安いのでもいい)なんかも買っておくといいですが、聖書を読むだけで分かるといいならリビングバイブルや共同訳でいいと思います。

 現代訳のような個人訳で、個人の考えや信仰を反映させた訳は、特定の団体(尾山氏の作った「聖書キリスト教会」グループ)に関連している聖書は、その団体に所属している人たちだけが使えばいいんじゃないかな。この団体に属していない人には不要。

 エホバの証人の新世界訳、モルモン教の霊感訳、地元にあって合一である立場に立つ教会(「その教会のある地名」にある教会)の回復訳、キリストの幕屋(キリスト聖書塾)の新和訳など異端やカルトの聖書やディスペンセーション主義主義に立つめぐみキリスト教会のエマオ出版訳などとおなじく、その団体の信者などが自分たちだけで使えばいい聖書と同じ部類。

個人の感想です いらすとや

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創造主訳聖書について
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当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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