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モルモン教義と黒人


 「末日聖徒イエス・キリスト教会」、通称「モルモン教」の本などを読むと、とてもおかしな教えというか教義に出会います。

 その一つが神についてで、彼らの信仰箇条を見ますと「第1条 われらは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと聖霊とを信ず。」と一見キリスト教と同じに見えますが、中身は全く別物で父なる神についてはジョセフ・スミスは講話の中でこのように言っています(1844年4月7日,ウィリアム・クレイトンによるジョセフ・スミスの講話の報告)。
https://www.josephsmithpapers.org/paper-summary/discourse-7-april-1844-as-reported-by-william-clayton/3

"What kind of a being was God in the beginning. hear all ye ends of th[e] earth, I am going to prove it by the bible & the relati[o]n the human family sustains with God. 1st. God that sets enthroned is a man like one of yourselves— that is the great secret. If the vail was rent to day & the great god who holds this world in its sphere in its orbit— the planets— if you were to see him to day you would see him in all the person image very form of man. for Adam was created in the very fashion of God. Adam received instruction walked talked as one man with anothe[r]. In order to understand the subject of the ded for the consolation of thos[e] wh[o] mourn for the loss of their friends necessary they should understan[d] Going to tell you how God came to be God. We have imagined that God was God from all eternity. These are incompr[e]hensible to some but are the first principle of the gospel— to know that we may converse with him as one man with another & that he was once as one of us and was on a planet as Jesus was in the flesh [p. 13 [25]]"
(Discourse, 7 April 1844, as Reported by William Clayton)

 当初、神はどのような存在でしたか。 地球のすべてのあなたがたの終わりを聞いてください、私は聖書と人間の家族が神と維持する関係によってそれを証明するつもりです。 1日 即位する神はあなた自身のような人です—それは大きな秘密です。 もしベイルが今日借りられていて、この世界をその軌道の球体、つまり惑星に保持している偉大な神が今日彼に会うとしたら、あなたは彼をすべての人の姿で見るでしょう。 アダムはまさに神の方法で創造されたからです。 アダムは、一人の男が別の男と話しているように歩きながら指示を受けました。 必要な友人の喪失を悼む人々の慰めのための献身の主題を理解するために、彼らは神がどのようにして神になったのかをあなたに話しに行くことを理解するべきです。 私たちは、神が永遠の神であると想像しました。 これらは理解できない人もいますが、福音の第一原理です。私たちが彼と一人の人間として会話できること、そして彼がかつて私たちの一人であり、イエスが肉体を持っていたように惑星にいたことを知ることです[p。 13 [25]]
(Google翻訳)
参照:モルモン教の公式サイトの記事「神のようになる

 神がかつてイエス・キリストと同じように肉体を持って人間として地上を歩まれたと語っています。また神が肉体を持っていることについては彼らの経典の一つ「教義と聖約」130章22節に「御父は、人間の有する肉体と同じく蝕知得る骨肉の体(たい)を有したもう。・・・」と書かれています。

 また「予言者ジョセフ・スミスは天父に父がおられることやさらに次々と同じことが言えることを教えた。」とジョセフ・スミスのことばをジョセフ・フィールディング・スミス(1970年1月23日~1972年7月2日まで末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長)は著書「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集 第一巻」の中で伝えています。(p.12)

 もうこれだけですでにキリスト教の神とは別物となっています。その他に父なる神(モルモンではよく「天父」という呼び方も使われます)とその子イエス・キリスト、聖霊はそれぞれ別個の存在で、この三者で一つの神会を構成し、この「神會は会員の性質、権能、目的等に於て凡て一致して居ます」(「末日聖徒イエス・キリスト教會 信證講義」 p.37)としていて、キリスト教であることの前提である三位一体の教義を保持せず、かえって否定し、全く異なる宗教であることがわかります。

 さらに父なる神には妻たちが大勢いて、その妻たちとの間に多くの子をなしました(父なる神は多妻婚)。この子供たちはなぜか父母が肉体を持っているのにも関わらず肉体を持たない霊体で生まれ、その最初の者が長子である後にイエス・キリストと呼ばれる者で、第二の者はルシファ―、そしてミカエルのちに人間として生まれ人祖アダムと呼ばれる者などをはじめとした多くの霊の子らがいたとしています。この霊の子らが神の救いの計画に従って、最初の人アダムとイヴの夫婦の子や子孫として生まれました。全人類は前世で父なる神と天の母たちの間に生まれた霊の子らであるとしています。

 ここから進んで、モルモン教における黒人差別の教理と精神が形成されて行きます(1978年9月30日に「公式の宣言二」が出されるまで黒人には極少数の例外を除けば神権が与えられませんでした。)。

 なぜ黒人が差別されるのかといえば、先ほど少し触れた人間の前世が関係してきます。天において天父の救いの計画が話し合われ、イエスとルシファーそれぞれが計画案を出し、イエスのものが大多数の賛成により採用されルシファーのものは斥けられました。しかしルシファーとそれに追随する反対者たちは反抗し戦い、天の三分の一がルシファーに与しました。この者たちは地上に肉体を得て人間になって進歩するという特権は与えられず悪魔となりました。天での戦いにおいて天に与した者も一枚岩ではなく積極的に戦ったものもいればそうでなかったものもありました。それが恵まれた白人家庭の子として生まれるか、社会的にも不遇で神権を与えられない黒人家庭の子として生まれるかの理由とされました。そのことについて彼らの本から見てみましょう。

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「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 全3巻 URL


"   どちらにもつかない者は天にはいなかった
 天上で戦いがあった時どちらにもつかない者はいなかった。すべての者がキリストかサタンに付いた。すべての人は前世で自由意志を持ち、そこでの行動に基づいて地上で報いを受けている。またさらに体をもってなした行為に対して来世で報いを受ける。黒人は明らかに受けるべき報いを受けている。"
 (「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 第1巻 p.64)

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ジョセフ・フィールディング・スミス著 「完成への道」 URL


"   もっとも大いなる特権を奪い去られた霊たち
神の御前より堕落した霊の間に、すぐれた英智もいないわけではなかった。ルシファー自身もその一人であった。そして彼が従って来る多くの霊達に感化を及ぼすことの出来たのは、彼が他の霊よりすぐれていたからなのである。どれ位の霊がルシファーの説得を受けたか、どれ位がルシファーに無関心であったか、そして又ルシファーに同情を示したものの、彼に従わなかった霊はどれ位あったか、われわれには全く知らされていない。聖典中にも、このことについて何ら記述されていないのである。大々的に謀反しえなかったけれども、自由意志と人間の救いのための計画とを擁護せんとする大戦争に於て、勇敢にミカエルの側に立って戦わなかった者が極めて多くあったと結論する魔は、理に適っている。われわれは、この点に、関連を持つと考えられる若干の聖句を引用することにより、前述の如き結論に達するのを正当としている。人間は、自由の意志を持っていたから、全体の三分の一が謀反を起こしたのであり、われわれは、又他の三分の二中にも、示すべき忠実さを主に示さなかった霊たちがいたと結論するのを自然な考えとすることが出来る。これらの霊たちの罪は、悪魔とその使いたちに与えられるが如き極端な罰に値するものではない。彼らは、現世に送られる特権(第二の身分)を拒否されはしなかったけれども、ある種の制限を受けつつ、この地上の生活に入ることを許されたのである。たとえばネグロ(黒人種)が霊の世界に於て示した態度の故に、今、現世に於て一種の制限を課せられているということを殆んど人は疑わないであろう。神権の力が黒人たちよりとり上げられているということを考える時に、まず思いを至さねばならぬことは、それが前世に於ける彼らの行いに対する罰として与えられたということである。しかしながら、彼らはこの世に送られるすべての霊たちの如くに、この世に来るときは、神の御前に罪のない存在であり、この現世に於て、ある種の制限を受けつつ第二の身分でつとめ働くことが出来る。そして、若し現世に於て信仰あつい生活を営むなら、公平にして、真実の天父なる神は、その行いに従って報いをたまい、必ずや彼らのために救いを用意したもうことである。"
 (「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.42-43)

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"   人がいろいろな人種に生まれてくるのはなぜか
 私たちは皆神の子である。神は私たちの父であって私たちを愛しておられる。白人であろうと黒人であろうとすべての人を愛しておられる。皮膚の色や生まれ育った環境にかかわりなく、主はすべての子を慈悲の目で眺め、彼らに最善を尽くされる・・・・。
 ある人が黒人に生まれたの不利な条件を負って人生に旅立ち、ある人が白人に生まれ有利な条件の下で人生を送る背後には理由がある。その理由というのは、地上に生まれてくる前に私たちに位(生活する世界)が与えられており、そこで与えられた律法に一様に忠実でなかったことである。前世ですべてのことについて忠実であった者は地上でより大きな祝福を受け、忠実でなかった者は小さな祝福しか受けない。"
 (「救いの教義 ジョセフ・フィールディング・スミスの説教及び著作集」 第1巻 p.59)

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 なんというか、こういう教えを生み出したジョセフ・スミスとその仲間たちの醜悪さが、モルモン教徒の肌は白くても精神性は真っ黒にしていると感じられます。黒い肌イコール前世で忠実でなかった者で、彼らはアダムとイヴの子で最初の殺人者となったカインへの呪いとして肌が黒くなり、その子孫も肌が黒いとされています。すなわち前世、天で忠実でなかった者たちは肌の黒いカインの子孫としてこの地上に生まれ出て来るということです。そして彼らには神からの権能、神権が与えられることがないとされています。まあ、しかし、キリスト教の原罪は否定するのに、カインの殺人の罪の報いは、その子々孫々に及ぶという不条理さは気にならないのでしょうかね。

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"  カインとその子孫に対する呪い
 カインは苦しむために召されたばかりでなくその忌まわしき行いの故に、 ”劣等種族“ の父ともなった。呪いが彼に来たり、その呪いは、彼の血統を通じて子孫にまで伝わった。このため ”ある時の至るまで“ その如くに続くのである。黒い膚をもつ呪われた状態でこの世に生まれ、神様と福音の完全な祝福に与ることを拒否されている人が多くいるがこれらの人々たちこそカインの子孫である。更に、彼ら自身の劣等を感ぜしめられ、はじめから他の人類より離れた状態にある。エノクはカインの子孫であるカナンの民をみて、次のように云っている。「見よ、主はその他をのろいて酷熱の地となし、そこはとこしえに不毛の地となり行かん。またすべてカナンの子らの上に暗黒来たり、彼らはすべての人々の中にありて賎められん。・・・・・而してエノクはカナンの民を除きて、その他すべての民に悔い改めよと呼びつけたり」。しかし、カインの種族の間にも、尊敬すべき、且つこの世にて得られる光明に従つて生きている人たちが多くあることを忘れてはならない。主が完全でないにしても、この世に於ける彼らの誠実さに対して、ある程度の救いの祝福を彼らにお与えくださる様祈ろうではないか。
しかし次に示す如く、何と大きな差異のあることよ。即ち、セス、エノク及びノアの息子たちは、神様の権能と祝福によつて栄誉を受け、又、アブラハムの息子たちに、祖先の人たちの受けたすべての祝福を受け継ぐものとなったにも拘ず、カインの息子たちは、神権を拒まれ、且つ王国に於いて栄光の聖約を受ける特権も拒まれてしまつたのである。これ以上悲しいことが他にあるだろうか。われわれは、この世の裁主が公平でなかつたと云うことが出来るだろうか。われわれは、今、完全に理解することが出来ないが、これらすべてのことのはつきりと説明される時がやがて来るであろう。その時、われわれはこうゆうだろう。「輝かしき王国の祝福をもつてわれわれに祝福を与えてくれたアブラハム、イサク、ヤコブの神の名は幸である。輝かしき王国に於て、われわれは信仰により永遠の真理と光明の中に住うことが出来る」と。同情、慈悲、信仰の気持ちから、われわれは又祝福が黒人の兄弟たちに与えられ得ることを希望している。何とならば、たとえ、永遠の暗黒の象徴を示す黒い膚をもつているとしても、彼らも又、われわれの兄弟であり――神の子供たちであるからである。"
(「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.111-112)

***

   第十六章
  洪水後のカインの子孫
 次のような質問が尋ねられる 「現在の黒人がカインの子孫であるということに、どんな証拠があるのか、又何故カインの子孫は神権を受けられないのか」。聖書の中では、この質問に関して定まつた知識を得られないし、又聖典に関係しない世俗的な歴史もこの質問に解決を与えてくれない。高価なる真珠、ジョセフ スミスの教え、及びジョセフ スミスと交際していた教会初期の長老たちの教えからのみ、われわれは、この問題に関して定まつた明瞭なる教えを得ることができるのである。

  呪いはハムの子孫を通じて続く
 カインに置かれた呪いは、その子孫に続き、且つハムの子孫を通し、洪水を切り抜けてもたらされたものであるということが一般に信じられている。ところが、ハムは、ノアの子である故に、われわれは、黒い膚を持ち、且つカインの子孫であつたのはハムでなかつたと結論するかもしれない。しかしながら、ハムは、カインの子孫である女と結婚したゝめ、カインの呪いが洪水の後、ハムの子孫に続いたのである。この事実こそ教会で信じられている教えなのである。予言者ジョセフ・スミスと交わつていたある数人の兄弟は、ジョセフ スミスがこの教義を教えたと宣言している。ハムの妻がカインの子孫であつたということは、アブラハムの書の次の言葉に具体化されているように思われる。
 さて、このエジプトの王は、ハムの子孫より生れしすえにして、素性によればカナン人の血統を引きたる者なり。
 この子孫より、すべてのエジプト人出でたり。されば、カナン人の血統はこの地に保存せられたり。
 エジプトの地始めて一人の女によりて発見せられしが、この女はハムの娘にしてエジプタスの娘なりき。エジプタスとは、カルデヤ語にてエジプトを表わし、これはまた禁ぜられしものなる意なり。
 この女がエジプトの地を発見せし時、そは水の下にありたれど、後にこの女はその息子らをこの地に定住せしめたり。かくて、のろいをその地に留めたるかの種族ハムより出で来りたり。
    (アブラハムの書 一章二十一節-二十四節)

  エジプタス
 われわれは、ハムの妻の名が ”エジプタス“ で、その意味が ”禁ぜられしもの“ という意味であることを知つている。子供たちに誕生は初代の生活に関連ある著名な出来事に基ずくところの確実な意味を伝える名前をつけたり、又は性格の特殊性や、彼らの作つた慣習を指摘して、それに注意を払うということは、当時の習慣であつたのである。しばしば、後になつて、名前が変えられたりしたのは、著名な出来事や個人の生活の特性が新たに発見されたからなのである。このやり方に従つて、エサウの名前も変えられたのである。エサウは生れた時、毛の衣服をまとつていたから、エサウと名ずけられたが、後になつて、彼は自分の生得権を売つたので、その出来事の故に、名前をエドムと変えられた。そして彼の子孫は、エドム人と呼ばれるようになつた。こうした事実から、エジプタスという名前がつけられたのは、彼女の祖先の人たちの呪いを受けたためであると仮定することが出来そうである。更に又、この考えは、ハムより、土地の呪いを保持する種族が生ずることとなつたという陳述の中に強調されている。ハムの子孫を通して保持されたこの呪いは、ハムの妻即ちエジプタスより生じた呪いであるという説明が極めて強力なものの様に思われる。B.H.ロバーツ長老は、数年前にこの問題について次のように話している。
 何故、ハムの子孫は神様に関して呪われたのか。彼の子孫は、なぜ神権の権能を持つことが出来なかつたのか。ハムの妻は、エジプタスであり、これはカルデヤ語でエジプトということであり、 ”禁じられしもの“ という意味である、・・・・・かくしてハムより土地の呪いを保持するところの種族が生じたのである。ハムの妻は、その名前の意味する如く、神権を所有した人たちが血族結婚するのを禁じられた種族の出なのであろうか。彼女は弟を殺したために呪われたところのカインの子孫であつたのか。ハムが彼女と結婚したため、子孫が生じ、そして彼女は、舟にあつて洪水より救われたので、土地にある呪いを保持した子孫がたえることなく続いたのであるのか。若しそうであるなら、私は、これら地の呪いを保持する種族を通して、天上の大戦争の折に勇敢でなかつたところの霊が生ずる筈であると信ずる。これらの霊は、正義に無関心で、且つ正義に対する実直さに欠け、神権とその力を受くるに足らぬ者であることを自ら示した霊たちである。この故に、神権は、今日までこれらの人たちから取り去られているのである。

  天に不定中立なるものはない
 ブリガム ヤング大管長は、一八六九年、十二月二十五日、ソートレーク市で開催された会合に於て、ロレンゾ D.ヤング長老によつて出された質問に答え、次のように云つた。「ジョセフ スミスは、黒人が天上にて中立不定の存在でなかつたと宣言した。何とならば、すべての霊は、二つの側に立つたのであつて、両者の中位に立つものは、なかつたからである。しかし、カインの子孫の膚が黒くなつたのは、カインが殺人罪を犯したからであり、彼がアベルを殺したので、神は、彼の子孫にしるしをつけられたのである。しかし、すべて肉体を浮る霊は、汚れなきものであり(教義と聖約九十三章三十八節を参照)、永遠の滅亡の子を除くアダムのすべての子孫たちには、贖われる機会があるのである。」
(「完成への道 福音に関する簡潔なる講話」 ジョセフ・フィールディング・スミス長老 著 pp.113-116)

***

 こういったものは「公式の宣言二」以降声高には出ないでしょうが、しかし、カインとその子孫への呪いとしての肌の色の考えが彼らの教えの中からなくなったわけではありませんし、モルモン書第二ニーファイ5章なんかでも不信仰と罪悪の為レーマン人たちが神の呪いを受け肌が黒くなる記述があり、それなどは子供向けの絵本「モルモン書ものがたり」、旧版の「モルモンけいものがたり」なんかでも出てきます。

***

2ニーファイ5章 モルモンけいものがたり モルモン書ものがたり


モルモンけいものがたり 1980年

この人びとは、ニーファイ人とよばれました。みんなはよくはたらき、神をあいし、しんでんをたてました。
第2ニーファイ 5:9-11,16; ヤコブ 1:14

レーマンやレミュエルといっしょにいた人びとは、レーマン人とよばれ、悪いことばかりをしていました。そのため神のばつで、黒いはだになってしまいました。
第2ニーファイ 5:21,24; ヤコブ 1:14

***

モルモン書ものがたり 1997年

ニーファイにしたがう人びとは,神にしたがい,よくはたらき,しゅくふくをうけました。木ときんぞくをつかってけんちくするほうほうをニーファイから教わり,りっぱなしんでんをたてました。
(2ニーファイ5:10-11,15-16)

レーマンとレムエルにしたがった人びとは,レーマン人とよばれ,ひふが黒くなりました。わるい行いをしたので,神がのろいを下されたのです。
(2ニーファイ5:14,21)

***

 彼らの標準聖典(聖書およびジョセフ・スミスによる改ざん(Joseph Smith Translation of the Bible)、モルモン書、教義と聖約、高価な真珠)にあるわけですから差別意識は沈殿物のように精神の中に深く沈んでいるのではないかと思います。

佐藤龍猪譯 「モルモン經」「教義と聖約・高價なる眞珠」 URL


関連

偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 1

偽りのかなめ石 偽書であるモルモン書 2

聖書を改変するモルモン教

有名なモルモン書のあり得ない箇所と言い訳

白い肌と黒い肌

金版、真鍮版

金の板に文字が書かれていれば利用しようとする

モルモンに対して

Joseph Smith, Jr., as a translator : reprint of an inquiry conducted  pp.23-31


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