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新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 THE NEW TESTAMENT AND PSALMS An Inclusive Version

 キリスト教徒が僅か1%しかいない国で、なんでこんなに聖書の翻訳が次から次へと出て来るのか不思議に思います。

 今回は、「新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 THE NEW TESTAMENT AND PSALMS An Inclusive Version」 (1999年 株式会社DHC出版事業部 7800円+税)について簡単に見て行きたいと思います。

新約聖書・詩編 英語・日本語 聖書から差別表現をなくす試行版 URL


 聖書から差別表現を取り除いた翻訳とうたっています(日本語版は英語版からの翻訳)。序文にて

"序文

本書の包括的な特徴
 ・・・
 本書では、男女どちらかの性に偏ったことばのうち、特定の歴史的人物を示さないものはどれも、説明的なことばや別の訳語などで、言いかえたり、言いたしたりしてきました。また、人種や肌の色や宗教に対する軽蔑的なことばも、身体的な障害だけで人を判断するようなことばもすべて、包括的な表現で言いかえています。
 ・・・"

ということから包括訳とも表現しています。

 新約聖書全体を読んで思ったのは、これは聖書の改ざんだなということです。

 まず、聖書ら出て来る 「父なる神」 という言葉について

"聖書の翻訳と隠喩
・・・
 もう一つ、見慣れてしまった隠喩に、「父なる神」というのがあります。神が父であると言うとき、いわゆる良い父親には、愛と思いやりといった資質があることから、神と人間の父親とが似ていると言っているのです。しかし、世の父親全員がかならずしも愛と思いやりを示すわけではないし、もっと突きつめれば、神は人間の父親のようにかぎりある存在ではないのですから、神はすべての人間の父親に似ていないこともまた明らかです。というわけで、神は人間の父親に似ていないところがたくさんあります。隠喩の力は、類似性と相違性の双方から生まれるのです。しかし、どの聖書の隠喩も硬直化して、文字どおり神は父だと言い切ってしまったら、なぜ神が父親に似ているのか、なぜ神が父親以上の存在なのか、と考えさせるコミュニケーションの力を失うことになります。
 わたしたちは、隠喩の本質に迫るこの見識をもとに、包括訳の大部分を作ってきました。本書で「父母(Father-Mother)」という新しい隠喩を作った目的は、その隠喩がどのように読まれているのかを読者に考えてもらい、どうしてそれと神とが同じなのか、また違うのか、と質問せしめる隠喩の力を体験してもらうためです。
・・・
神の言いかえ「父」
 神の言いかえとして使われる「父」という隠喩は、新約聖書では、いちばん短い文章であるⅢヨハネ書を除いて、全文書に出てきます。ヨハネ福音書だけでも百回以上、神の代わりにこの隠喩が使われています。当然、男性を意味する隠喩ですから、それをくり返し読んだ人は、神が男性だと考えてしまいます。それに家族の親密さとか、威厳、さらに扶養や保護などの意味を言外に含み、人性を色濃く示した隠喩です。しかし、隠喩というのはどれも、くり返し読むことによって、隠喩としての意味が失われ、ただの命題として、文字どおりのことばとして受け取られる傾向があります。教会では、この傾向が新約聖書の「父」という隠喩に表れています。神が「父」であると話すことによって、また神を何度も「父」に言いかえることによって、神は文字どおり「父」であり、したがって、男性でもあると思いはじめるのでしょう。しかし、「父」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、神を表す隠喩に閉口します ― 父と言いかえたくもないし、父と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。
 ところが、聖書ではときどき、神は母と類似するものであると考えられています。しかも、教会では、神が文字どおりの父だと考えずに、「父」が一つの隠喩だと理解しているので、本書では、「父(Father)」という隠喩を、「父母(ちちはは Father-Mother)」という新しい隠喩に訳しています。この新しい隠喩なら、文字どおりのことばに受け取られることはなく、隠喩的な意味にしか考えられないでしょう。一人の人間が文字どおり父母(ちちはは)であるはずがないので、その隠喩を読んだ人は、神には父性と母性があると考え、「父」なる神と「母」なる神の間で気持ちが揺れ動くことになるのです。
 ・・・""

 本文を読む前に、まずこの序文を読むわけですが、なにも響かないというか、難癖つけているようにしか感じられなかったのと、「父母(ちちはは Father-Mother)」という表現についてものすごい違和感を覚えたことです。


>しかし、「父」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、神を表す隠喩に閉口します ― 父と言いかえたくもないし、父と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。

特にこの部分は難癖以外の何物でもないよねって思いました。母親に捨てられたり、虐待されていた子供では 

しかし、「母」ということばには、肯定的な意味ではなくて否定的な意味があると考える人たちは、 母と言いかえたくもないし、母と言いかえるのを聞きたくもないというわけです。

と言い換えれると思います。また、両親からの虐待を受けた子供では、父を「母」「親」「父母」に置き換えても同様に否定的感情が沸き起こるのではないかなどとも読みながら心の中で反論してしまいます。

 また、「父母(ちちはは Father-Mother)」という訳語についても、英語ならハイフンで単語をつないで一つの複合語になるのでしょうけど、日本語で「父母(ちちはは)」とすれば、それは「父」と「母」と二人であって、一人の人物を指す言葉ではありません。父なる神と母なる神がいるように思ってしまうでしょう。

 ヨハネ1:14なんかはもう多神教の神みたいです。本文(英文・日本語訳)と欄外注を引用します。

14 And the Word became flesh and lived among us, and we have seen the Word's glory, the glory as of a parent's only child, d full of grace and truth.
d Or the only Child of the Father-Mother
14 言葉は肉となって、わたしたちの間で暮らした。わたしたちは言の栄光を見た。それは両親の独り子dとしての栄光であり、恵みと真理に満ちていた。
d または「"父母(ちちはは)"の独り子」

 ここでは「父母」が「両親」と訳され、神がまるで夫婦神のようになって、イエス(言葉)はその子供ということになっています。オイオイ、モルモン教じゃないんだからとツッコミたくなります。



 ⅠコリントやⅠテモテなんかでは、同性愛者を表す「男色」という訳語も聖書の中から削ってしまっています。

Ⅰコリント6:9
9 不正を行う者が神の国を受け継ぐことができないことを知らないのですか。惑わされてはいけません。性的に不道徳な者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、
9 Do you not know that wrongdoers will not inherit the dominion of God? Do not be deceived! People who are sexually immoral, idolaters, adulterers, male prostitutes,
 
 同じ個所の他の邦語訳聖書をいくつか見てみましょう。

口語訳
9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

新共同訳
9 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、

聖書協会共同訳
9 それとも、正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけません。淫らな者、偶像を礼拝する者、姦淫する者、男娼となる者、男色をする者、

新改訳(第一版) 
9あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

岩波翻訳委員会訳1995
9 それともあなたがたは、不義なる者たちが神の王国を受け継ぐことはないであろう、ということ を知らないのか。あなたがたは惑わされてはいけない。不品行を行なう者たちや、偶像礼拝をする者たちや、姦淫を為す者たちや、男娼た ちや、男色者たちや、

原語のギリシヤ語では
οὔτε πόρνοι(性的に不道徳) οὔτε εἰδωλολάτραι(偶像崇拝者 ) οὔτε μοιχοὶ(姦淫者) οὔτε μαλακοὶ(男娼) οὔτε ἀρσενοκοῖται(男の同性愛者)

となっいるのに、この包括訳ではἀρσενοκοίτης(arsenokoites アルセノコイテス)を故意に落としています。

続いてⅠテモテを見てみましょう。

Ⅰテモテ1:10
10 for those who are sexually immoral, for male prostitutes, slave traders, liars, perjurers, and whatever else is contrary to the sound teaching
10 性にみだらな者や男娼、人身売買をする者、偽りを言う者、偽証する者、その他健全な教えに反することを行うすべての者のためにあるのです。

口語訳
10不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。

新共同訳
10 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。

聖書協会共同訳
10 淫らな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、噓をつく者、偽証する者のためにあり、そのほか健全な教えに反することがあれば、そのためにあると知っています。

新改訳(第一版)
10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。

 この個所ではⅠコリント6:9と同じ言葉ἀρσενοκοίτης(arsenokoites アルセノコイテス)を「男娼」と訳しています。これも故意による変更と見えます。

 この包括訳の英語版はNRSVをベースに使用したものですが、NRSVでこの個所はSodomy(同性愛者)としていますが、包括訳で取り除いたり用語を変更したのでしょう。これは改ざんです。

 同性愛者に対して偏見を与えると考えそれを取り除いたのでしょう。近年、聖書の同性愛に対する禁忌表現について、日本ですと日本基督教団あたりの牧師・神学者の書いたものなのでは、同性愛を罪としない見方・解釈にたった本や注解が出ています。しかし、それとそこにあるものを自分たちの解釈に合わないからと言って取り除いたり改ざんするのは別なことだと思います。



 あともう一つ奴隷という表現について

"「奴隷たち(Slaves)」か「奴隷にされた人々(Enslaved people)」か
 本書がギリシャ語の慣用句に従って、「盲人」「らい病人」の代わりに、「目の見えない人」「重い皮膚病を患う人」という言い方をしたように、「奴隷」も「奴隷にされた人」に変えました。「奴隷」ということばを使うと、その人間のもつさまざまな状態のうちの、一つを指すのではなく、その人間の丸ごとの特性を指すことになります。「奴隷」と明言された人について、大事なことは言い尽くされたとばかりに。しかし、「奴隷にされた人」ということばの場合、その人について、いろいろな特性があげられるが、その中の一つが奴隷だと言っているのです。ですから、本書では後者のことばを用いています。
 ・・・"

 これもなんかね~。「奴隷にされた人」という訳も違うよなって感じです。借金などで自ら奴隷となった人、奴隷の子として生まれ、生まれながらの奴隷で生涯解放されない者、戦争で負けて奴隷に落とされた者、奴隷と言ってもいろいろ違いはありますが、共通しているのは「奴隷」であるということです。「された人」という一つだけではないのにそういう訳語にしてしまうと意味が一つになってしまいます。あと実際の訳なんか見るとなお

テトス2:9
9 奴隷にされた者には、自分を奴隷として雇った人の権威を受け入れ、あらゆる点でその人を喜ばせるように言いなさい。口答えをせず、

口語訳
2:9奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、

 包括訳では、「奴隷」が単なる雇われ人のようになっています。

 その他にもひどいなぁ~と思う箇所が何十カ所とありますが、ただ一ついい点は、この本の値段が高くて買う人が少なくなることくらいでしょう。

 エホバの証人の新世界訳、現代訳(尾山令仁訳)、創造主訳(尾山令仁訳)と並ぶ、いらない聖書の一冊と思いました。

個人の感想です いらすとや
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Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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