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大品 第1大揵度



12 かくの如く、世尊佛眼を以て世間を観察したまふに、有情にして塵垢少き者、塵垢多き者、利根の者、鈍根の者、善行相の者、悪行相の者、教導し易き者、教導し難き者、或はまた他世と罪過との怖畏を知りて住する者を見たまへり。見巳りて索訶主梵天に偈を以て説きたまへり。
 甘露の門は開かれたり
 耳ある者は聞け、[己]信を棄てよ
 梵天よ、人々を嬈惑せんかと思ひて
 微妙の正法を説かざりき
13 時に索訶主梵天は「世尊は説法することを許したまへり」と[知り]世尊を敬礼し右遶して其處に没せり。

OD版「南伝大蔵経3 律蔵3」(大品 第1大揵度) 大蔵出版 p.12

索訶主梵天(brahmaa sahaMpati)
嬈 音読みは「ジョウ」「ヨウ」「ニョウ」「ドウ」「キョウ」
右遶(うにょう) 仏語。敬礼法の一つで、尊者の傍を右回りに回ること。


***

 その時、世尊は、梵天王の勧請を知りて、衆生に対する哀憐の心を生じ、覚者の眼をもって、世間を眺めたもうた。そこには、塵垢(けがれ)おおい者もあり、塵垢すくない者もあった。利根(りこん)の者もあり、鈍根の者もあった。善き相の者もあり、悪しき相の者もあった。教えやすき者もあり、教えがたき者もあった。その中のある者は、来世と罪過の怖れを知っていることも見られた。そのさまは、譬えば、蓮池に生いる青き、赤き、また白き蓮の花が、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水の中にとどまっているものもあり、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水面にいでて花咲けるもあり、またあるいは、水より抜きんでて花咲き、水のために汚れぬものもあるに似ていると思われた。
 かくて世尊は、偈をもって梵天王に答えて言った。
  「いま、われ、甘露の門をひらく。
  耳ある者は聞け、ふるき信を去れ。
  梵天よ、われは思い惑うことありて、
  この微妙の法を説かなかったのである。」
 これを聞いて、梵天王は、世尊はわが願いを許したもうた、世尊は説法を決意したもうたとて、世尊を拝してその姿を没した。

「阿含経典による仏教の根本聖典」 大蔵出版 pp.30-31

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