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佐藤龍猪訳「モルモン経」の「ごらん」の訳語と改訂箇所


 ひさしぶりに「モルモン経」を手にして開いて見ますと、なんともやたらと「ごらん」という言葉が出てきます。モルモンの宣教師から「モルモン経」をもらって一回通読した時にも、この「ごらん」というフレーズがよく出てくるなーという印象を持ったものです。

 「モルモン経」で「ごらん」と訳されている語の原文はBeholdで、それを「モルモン経」の原典である英文のThe Book of Mormonのコンコルダンスで見た所、Beholdは1575回出ていると書いていました。英訳聖書であるジェームズ王欽定英語訳聖書(King James Version、KJV)に出てくるBeholdの語は、「STRONGEST STRONG'S」というKJVのコンコルダンスで、KJVには1326回出ているとあります。英語訳の旧・新約聖書よりもずっと本として分量の少ないのにもかかわらずこんなに頻出しているのに驚きました。

 1575箇所全部調べるのは面倒なので、「モルモン経」の最初の書である「ニーファイ第一書」をみてみました。見落としがあるかもしれませんがBeholdは81回出て来て、その内46回が「ごらん」、27回が「見よ」その他、8回が訳出されていませんでした。訳者の好みなんでしょうかね。平成訳になるとこういうことはなくなり改善されました。

昭和版(佐藤龍猪 訳)モルモン經の四つの装丁版

 あとこの昭和の佐藤龍猪訳「モルモン経」は以前書いた「昭和版 佐藤龍猪訳モルモン經 」の記事の中でも取り上げましたが四つの装丁があり、最初の装丁版の1957年初版の誤字脱字・誤植などの正誤表は機関紙「聖徒の道」1957年7月号にて発表され、翌年1958年7月10日二刷で修正されました。そう言った誤字脱字などの修正は別として、ずっと同じ訳文なのかと思っていたらそうではありませんでした。

 これも全体を一々違いを探すのは面倒なので、「ニーファイ第一書」と「ニーファイ第二書」から見て行きたいと思います。ざっと探したところ三カ所ありました。


ニーファイ第一17:41の第一装丁版と第二装丁版では


"しかし、かれらはちょうどあなたたちのように心をかたくなにしたから、主は荒野の中で主の棒をもってかれらの罪を罰し、かれらの曲がっているのをため直し、火のように飛ぶ蛇をかれらの中につかわしたもうた。しかし、かれらがかまれたあとでこれを癒す方法は備えて置きたもうた。そして癒されるための骨折りとては、ただ目を向けて見るだけのことであったが、この骨折りが簡単で容易であったがためにかえって死んだ者が多かった。"


となっていますが、第三装丁版で次のように改訂されました。

"しかし、かれらはちょうどあなたたちのように心をかたくなにしたから、主は荒野の中で主の棒をもってかれらの罪を罰し、かれらの曲がっているのを直し、火のように飛ぶ蛇をかれらの中につかわしたもうた。しかし、かれらがかまれたあとでこれを癒す方法は備えて置きたもうた。そして癒されるための骨折りといえば、ただ目を向けて見るだけのことであったが、この骨折りが簡単で容易であったがためにかえって死んだ者が多かった。"


これは表現がおかしかったものを読みやすく直した感じです。


次にニーファイ第二9:6の第一装丁版と第二装丁版では


"万人に死が伝わったから大いなる造り主の憐み深い道が成就するためには必ず復活を来す能力がなくてはならない。そしてこの復活は人間の始祖が堕落をしたから必ず人間にこなくてはならない。そして人間の始祖が堕落をしたのは律法を破ったから生じたのである。かように人間は堕落をしたために、主の御前から追い出されてしまった。"


第三装丁版で次のように改訂されました。


"大いなる造り主の憐み深い道が成就するためには万人に死が伝わったから必ず復活を来す能力がなくてはならない。そしてこの復活は人間の始祖が堕落をしたから必ず人間にこなくてはならない。そして人間の始祖が堕落をしたのは律法を破ったから生じたのである。かように人間は堕落をしたために、主の御前から追い出されてしまった。"


冒頭の "万人に死が伝わったから" の部分と "大いなる造り主の憐み深い道が成就するためには" の部分を前後を入れ替えた改訂です。


そして、ニーファイ第二25:23です。こちらは第一装丁版


"何故ならば、人がどんなに勉め励んでも、その救われるのはひとえに神のめぐみによることを私たちは知っているから、自分らの子孫と兄弟たちにキリストを信じさせ、神のみこころにかなうようにするために、私たちは力をつくして書き誌(しる)すからである。"


となっていたのですが、第二装丁版から以下のように改訂されました。


"だから私たちが力をつくして書き誌(しる)すのは、自分たちの子孫と兄弟たちを説得してキリストを信じさせ、神との一致を得させるためであり、それは人が最前をつくしてはじめて、神のめぐみにより救われることを知っているからである。"


 この個所は思想が大きく変わっています。神の恵みによる救いが、神の恵みによる救いを得るには人の行いが前提という方向転換の訳に代わってしまいました。


第一装丁版の訳文は明治訳の訳文と変わりません。以下に明治訳を引用します。


"何となれば、人は如何ばかり勉め励むとも、其救はるゝは偏(ひとへ)に神の恩恵(めぐみ)に頼(よ)ることを我等知れば、己が子孫と兄弟等にキリストを信ぜしめ、神の御旨に適(かな)はしめん爲、書物(かきもの)に力を盡せばなり。"
(明治訳)


第二装丁版以降はモルモンの行為主義にあった訳になっています。今回は英文原典の1830年初版、1879年改訂版、1920年改訂版、1981年改訂版に当たっていないので、原文の方の変更があるのかもしれません。気が向いたら確認しようかなと思います。

和訳モルモン聖典 明治訳・昭和佐藤龍猪訳、昭和訳合本、平成訳、平成訳改訂版

***追記2022/12/30***

「The Book of Mormon」のニーファイ第二25:23の個所は、1930年、1840年版、1920年版、1981年版、2013年版を見てみましたが本文自体は変更されていませんでした。

2 NEPHI 25:23

1830年版
for we labor diligently to write, to persuade our children, and also our brethren, to believe in Christ, and to be reconciled to God; for we know that it is by grace that we are saved, after all that we can do.
Book of Mormon, 1830 . 105ページ ニーファイ第二25:23
(画像 Book of Mormon, 1830. p105)


1840年版
for we labor diligently to write, to persuade our children, and also our brethren, to believe in Christ, and to be reconciled to God; for we know that it is by grace that we are saved, after all we can do.
Book of Mormon, 1840 . 104ページ ニーファイ第二25:23
(画像 Book of Mormon, 1840. p104)

1920年版
23. For we labor diligently to write, to persuade our children, and also our brethren, to believe in Christ, and to be reconciled to God; for we know that it is by grace that we are saved, after all we can do.
Book of Mormon, 1920 . ニーファイ第二25:23
(画像 Book of Mormon, 1920.)

1981年版
23 For we labor diligently to write, to persuade our children, and also our brethren, to believe in Christ, and to be reconciled to God; for we know that it is by grace that we are saved, after all we can do.

2013年版
23 For we labor diligently to write, to persuade our children, and also our brethren, to believe in Christ, and to be reconciled to God; for we know that it is by grace that we are saved, after all we can do.

Google翻訳で訳すと

23.私たちは、子供たちや兄弟たちにキリストを信じ、神と和解するよう説得するために、熱心に書いています。 私たちは、できる限りのことをした後、恵みによって救われることを知っているからです。

となり、佐藤龍猪訳の第二装丁版以降の訳文と同じです。明治訳と第一装丁版は、どうして英文原典と違ってしまったのかと疑問が残ります。

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