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ちょっと気になったアレクサンドリア写本のテモテ一3:16


 B.H.Cowperの「Codex Alexandrinus. Η Καινη Διαθηκη. Novum Testamentum Graece」を開きながらWikipediaのCodex Alexandrinusに出ているSome Textual Variants(いくつかのテキストの異形)の新約の異読を見て、ネストレ27版(最新の写本証拠確認のために28版も使用)とネストレ版の旧版である22版、UBS第四版、テクストゥス・レセプトゥスなどを比べつつ使徒行伝やパウロ書簡の異読を抜き出し、直訳しつつ現在のテクストと比べていると面白いな~と思いながら比較していました。

Codex alexandrinus. E Kaine Diatheke. Novum Testamentum graece ex antiquissimo codice alexandrino


 Wikipediaのアレクサンドリア写本を編集している人たちは、やっぱりアメリカの福音派の人なのかなーと感じました。写本証拠で「Majority of manuscripts」(写本の大部分)という語がくり返し出てきます。

 11世紀から15世紀に大量に作られ数だけいっぱいあるビザンチン型(コイネー型)の小文字写本のことなんでしょうが、「Majority of manuscripts」(写本の大部分)と書いてあると、これが正しい本文みたいに見え、アメリカの福音派ファンダメンタルの考えにミスリードしているように見えました。

 聖書学者の田川建三氏はビザンチン型本文について分かりやすく書いています。

"  ビザンチン型(コイネー型)

福音書
A、E、G、H、K、P、S、V、W(マタイ、ルカ8・13-24・53)、Π、Ψ(ルカ、ヨハネ)、Ω、及びほとんどの小文字写本

使徒行伝
H、L、P、049、及びほとんどの小文字写本

書簡(パウロ及び公同)
L、049、及びほとんどの小文字写本

黙示録
046、051、052、及びほとんどの小文字写本

 これはビザンチン世界に最も普及していたテクストの型であるから、このように呼ばれる。いわばギリシャ正教のテクストゥス・レセプトゥスである。また、エラスムス以降の印刷公刊本の基本にすえられたのも、この型である。非常に普及していたから(何せ小文字写本のほとんどであるから、数の上では圧倒的である)、コイネー型とも呼ばれる。(それでネストレでは25版まではKのゴチック文字を当てていた)。
 これは要するに、正統派教会が固まって行くにつれて、新約のテクストをその教義に見合うように徐々に手を加えていき、普及版のテクストを作った、というものである。従ってその成立の時期もほかの型よりぐんと遅いし、内容的に言っても、もちろん、大本のテクストを復元する役には立たない。ただし、後世の正統派教会がどのように考えていたかを知るためには重要な資料である。 "

(「書物としての新約聖書」 田川建三著 勁草書房 pp.446-447)

 アメリカの福音派ファンダメンタルは、17世紀に訳されたKing James Version (Authorized Versionとも表記される。ジェームズ王欽定英語訳聖書)への信頼とこだわりがものすごく強く、それに伴って翻訳の底本となったテクストゥス・レセプトゥスの信頼も高く、学問的な現代の本文批評版への不信がものすごく強く、1881年に出たWestcott博士とHort博士による「The New Testament in the Original Greek」(ギリシャ語原語による新約聖書)に始まる批評版に対してものすごく批判的で、劣悪ないくつかの小文字写本から作られたテクストゥス・レセプトゥスへの信頼は極めて大きいという変な連中です。

 日本でもそのようなファンダな人たちが少数いて、テクストゥス・レセプトゥスから訳された聖書こそ正しい、批評版は改ざん聖書だという感じの主張のものがネット上では見られます(写本証拠からの批判ではなく、学者の個人的な素行などを問題視しているが、そんなものはどうでもよく、学者として信頼できるのか、学者として誠実であるのかが問題で、学者の信仰とか素行とかそんなものが研究成果と関係ないだろと思います。それよりも自分の思想信仰によって、目の前の事実を曲げる方が問題だと感じますし、彼らの引用なんかに使っている批判している学者の経歴を見てもまったく専門外の人間ばかり。)。

 さて、そういうファンダは屑籠に丸めてポイしておいて、Wikipedia取り上げられている異読の中で、テモテ一3:16は面白いな~と感じました。アレクサンドリア写本ではΘϹの上に横線がありΘεός(セオス「神」)の縮約形と見られ、B.H.カウパーの「Codex Alexandrinus」もΘεόςとしています。

Θεόςの縮約形

アレクサンドリア写本テモテ一3:16
テモテ一3:16 1879年大英博物館発行のファクシミリ版

大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写真版
テモテ一3:16 大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写本画像

大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写真版 拡大
テモテ一3:16 大英図書館の Digitised Manuscriptsで公開されている写本画像を拡大したもの


カウパーは欄外注と序文で

欄外注
2) θεός. Nune legitur Θς. sed In recens lineam supra Θς crasavit. Quid olim valde obscurum; nobis tenebrae sunt. Locum saepe inspeximus, sed fugit aciem veritas.

2) 神。 現在は、Θςと読みます。 しかし、Θςの上の最近の行では、彼は太くなっています かつては非常に不明慮。 私たちにとっては暗いです。 私たちはその場所を何度も見てきましたが、しかし真実は戦いから逃れます。
(Codex Alexandrinus. Η Καινη Διαθηκη. Novum Testamentum Graece by Cowper, B. H.)


序文
Such aro the horizontal line in 1 Tim. 3.16, where we now read Θεος (Θς),

これは、1 Tim.3.16 の横線で、現在は Θεος (Θς) と読めます。


 カウパーが底本に使ったのは、カール・ゴットフリート・ヴォイデによって1786年に出されたファクシミリ版(手書き複写版)によるものですし、序文などはヴォイデのものに従ったものであることが序文に出てきます。

*) We may here state once for all, that many of the facts and suggestions in this introduction, are either borrowed from Grabe, Woide etc., or in accordance with their statements. The prolegomena of Woide contain very much of which no use has here been made, and the claims of brevity have often compelled us to condense what he has developed at considerable length. In the notes to the text also, Woide's edition has been freely used, and generally our obligations to him have been very great.

*) ここで、この序文の事実と提案の多くは、Grabe、Woide などから借用したか、または彼らの声明に従っていることをここで断言しておきます。 ウォイデのプロレゴメナには、ここでは使用されていないものが非常に多く含まれており、簡潔さを主張するために、彼が開発したものをかなり長く要約することを余儀なくされることがよくあります. 本文への注記においても、Woide の版が自由に使用されており、概して彼に対する私たちの義務は非常に大きいものでした。

 ヴォイデのファクシミリ版とはどういうものか気になるので、ヴォイデの1786年のファクシミリ版(Wikipedia)と大英博物館が1879年に発行したファクシミリ版のヨハネ1:1-7の画像をあげておきます。

1024px-Codex_Alexandrinus_J_1,1-7 Woideのファクシミリ版(1786年)からの断片、ヨハネ1:1-7のテキストを含む
ヴォイデの1786年のファクシミリ版

1879年大英博物館発行のファクシミリ版 ヨハネ1:1~
1879年大英博物館発行


 メッガー博士などは「新約聖書本文研究」の中で

" 1 読みと誤り
(a) 乱視の写字生が、ことに前の筆記者がていねいに書いていない場合、互いに類似した形のギリシア文字を判読するのは困難であった。したがって、大文字書体において、シグマ(通常、円形シグマであった)、イプシロン、テータ、オミクロン(C、E、Θ、Ο)は時々混同をきたした。・・・Ⅰテモ3・16では、より古い写本はΟC('he who')と読むが、後代の多くの写本ではΘC(θεός「神」を表す普通の縮約形)となっている。 "
(「新約聖書の本文研究」 B.M.メッガー著 橋本滋男訳 日本基督教団出版局 p.192)

大文字写本で筆記者によって混同されやすい文字

と述べて、ΟC(ὃς)が誤読か、誤記によりΘCと変わったとしています。カウパーの欄外注でもこの個所は横線が太い、不明瞭であるとしています。

 次にこの個所の写本はどうなっているのかを見て行きました。本文はテクストゥス・レセプトゥスとネストレ28版を使用し、写本証拠はネストレ28版のアパラトゥスによります。


1550 Stephanus New Testament
θεός ὃς ἐφανερώθη ἐν σαρκί,

Ac א‎³ C² D² K L P Ψ 81. 104. 630. 1241. 1505. 1739. 1881 𝔐(多数派本文) vgᵐˢ(ᵐˢは独自の読みを持つ個々のウルガタ写本)


Novum Testamentum Graece (NA 28)
ὃς ἐφανερώθη ἐν σαρκί,

A* א‎* C* F G 33. 365. 1175; アレクサンドリアのディデュモス、コンスタンティアのエピファニオス

*→修正がなされた箇所での元来の読みを示す。
c→後代の修正を示すが、時には最初の写字生による修正もある。
¹ ² ‎³→第一、第二、第三の修正者によってなされた修正を示す。


 新約聖書本文研究所(INTF)の多くの学者たちでは、アレクサンドリア写本のこの個所の読みは、ὃςが元来の読みで、Θεόςの縮約形は後代による修正という見方なのでしょう。Wikipediaに出ている記事の確認もなかなか楽しめるというものです。

 最後に主な日本語訳の比較です。

●テクストゥス・レセプトゥスを翻訳の底本としているもの

明治元訳:神肉體となりて顯れ

永井直治訳:〔卽ち〕神は肉にて顯はれ給へり、

TR新約聖書:「神は肉において現され、

金の器社:「神は肉において現われ、


●批判的校訂本を底本としているもの

大正改訳:『キリストは肉にて顯され、

口語訳:「キリストは肉において現れ、

新共同訳:キリストは肉において現れ、

聖書協会共同訳:キリストは肉において現れ

新改訳(第一版):「キリストは肉において現われ、

新改訳2017:「キリストは肉において現れ、

フランシスコ会訳2011年合本版:「キリストは肉において現れ、

バルバロ訳聖書1980年講談社版:「キリストは肉体に現れ、

前田護郎訳:「(キリストは)肉にあって現われ、

塚本虎二訳:彼(キリスト)は肉にて顕され、

田川訳:「肉において顕れた者が、

詳訳:「この〔d かた〕<神>は人間の肉体で現われ、
(d) ある権威ある写本は神と読む。

岩波書店聖書翻訳委員会訳:その方は肉においてあらわにされ、


***

引用した本のほかに「捏造された聖書」(バート・D・アーマン著 松田和也訳 柏書房) pp.146-148 でもこの個所が出てきます。
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