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式文改訂に思う 2


さて、改訂式文について。さらに見て行きましょう。

第7次式文と第8次式文 記名


前回、礼拝における「共同懺悔」または「罪の共同の告白」と呼ばれる箇所において、新たに「怠り」の罪、「無関心」の罪という文言が書き加えられ、そして、いままであった原罪条項が削除されたことを見ました。

今回はもう一つの問題点。「赦しの祈願」についてです(歴史的な経緯は、「キリスト教礼拝史」(W.ナーゲル著 教文館)のpp.135-136、p.171などが参考になります。)。

ここで改訂式文の文言は、それまでのゆるしの祈願文ではなく、ゆるしの宣言の文言に変更されています。

さらに(2)においては、 "私はあなたのすべての罪が赦されたことを宣言します。父と子と聖霊のみ名によって。" と、まるでカトリックの「ゆるしの秘跡」(悔悛の秘蹟・告解)において司祭が行うゆるしの宣言のような文言になっています。

まるで牧師がカトリックの司祭になるかのようです。会衆とともに神に赦しを願うのではなく、一段高い位置から、まるで神の代理人、神に会衆をとりなす存在かのようにしてしまっています。すべてのキリスト者が神の前に祭司性を有し(「全信徒祭司性」。一般のプロテスタントでは「万人祭司」と呼ばれる)、それぞれが祭司として第一の按手に召されたものとしてこの世に派遣され、とりなしをなすものですが、その信徒とは切り分けた存在。一段高位にいて祭司たるキリスト者を神にとりなす存在に牧師を位置付けるかのようです。

たしかに、前の「第7次式文」において、この「ゆるしの祈願」は「ゆるしの宣言」とタイトルが付され、牧師は会衆に向かって文言を述べていますが、式文の文言自体は文体の違いはあるものの同じ祈願文でした。それが今回の改訂では、祈願文ではなく、宣言に替えられています。これはとても問題だと感じます。牧師はカトリックの司祭みたいになりたいのかと怪しみます。

つづく


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