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般若心経


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キリスト教徒でキリスト教徒になる前に、まあ、熱心な仏教徒であったとか興味があったというのでもないと、なかなかお経に触れる機会というのも限られてしまいます。異教徒である家族や親せき、友人知人、仕事上の関係者などの葬式、回忌法要、お盆、墓参などの時にちょっと坊さんの読経を聞くくらいなものでしょう。

 そんな中でも般若心経という300文字にも満たない短い経文があります。私は実家が曹洞宗の檀家でしたからなじみのある経文なのでしょうが、私個人は家が曹洞宗というだけで特に興味もなく、ただお盆に坊さんが来てお仏壇の前でモニョモニョお経を唱えて、ちょっとしたお話をして、お布施をもらって帰ってゆく、あとお寺さんから何かしらの案内のはがきが来て、母親がお供えとお布施を以てお寺さんに行ってくるのを年に何回か見る程度で、親も毎朝欠かさずお仏壇と神棚の前で手を合わせてはいますが、お経などというものにはまったく興味がなく、神様とご先祖さんに手を合わせているといった程度でした。

 不思議なことにキリスト教徒になってから、お経や仏教に興味が湧いてきたというのは面白いものだと思いました。特に般若心経などは先ほども言いましたが短くて、それでいて日本文化の根底にある禅を理解するのに、素人でもとっつきやすくていい感じがします。私は岩波文庫の「般若心経・金剛般若経 」はすでに持っていましたが、それよりも「般若心経のすべて―読む・唱える・書く・描く・祀る」 (公方俊良 著 日本実業出版社 1987年)を読んで興味を持ちました。この本はとても分かりやすく、それで興味を失わなくて済んだのでしょう。やっぱり最初は解り易いものから入るのは基本ですね。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経

 般若心経は短いとはいえ漢文ですから、これを見ただけで嫌気がさしてしまうのかもしれません。

摩訶般若波羅蜜多心経 読み下し

観自在菩薩、深く般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう。舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色即ち是れ空、空即ち是れ色。受・想・行・識も亦復是くの如し。

舎利子、是の諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず。是の故に空中には色も無く、受・想・行・識も無く。眼・耳・鼻・舌・身・意も無く。色・声・香・味・触・法も無く。眼界も無く。乃至、意識界も無く。

無明も無く・亦無明の尽きることも無く。乃至、老死も無く、亦老死の尽きることも無く。所得無きを以ての故に、苦・集・滅・道も無く。智も無く。亦得も無し。

菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙無し。罣礙無きが故に恐怖あること無し。一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。

三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

故に知る、

般若波羅蜜多は是れ大神呪なり、

是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なり、能く一切の苦を除いて、真実にして虚ならず。故に般若波羅蜜多の呪を説く。
即ち呪を説いて曰く、

羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。

般若心経。

 読み下し分にしますと、まだ意味も解りますし、これで読経してもリズムも崩れず、漢文より覚えやすいかもしれません。最初に固い本で出合ってしまうと、もう駄目だ解らないとさじを投げてしまいかねません。また、この中に基本的な仏教の考え方が出ていて、五蘊は何かとか、六根、六境、六識、十二処、十八界、十二因縁、四苦八苦、四諦八正道などの基本的な用語なんかも意味を知って覚えると、他の経典や仏教の祖師たちの書いたものなどを読む下地になると思います。

 もちろんキリスト教徒から見れば、仏教などは荒唐無稽な阿弥陀仏の話や密教の世界観、法華経のありえなさなんかが目につきますが、そんな荒唐無稽な世界観を省いて、人間釈迦が人間として苦しみから逃れる生き方や方法、あり方を原始仏典や大乗仏教の中では般若経典や禅が示してくれる感じがします。非宗教的なものと感じられるゆえに、キリスト者もこの中から益を得られると思われます。

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 臨済禅師の臨済録の中で、この言葉が好きですね。

師示眾云。道流。佛法無用功處。
秖是平常無事。屙屎送尿著衣喫飯。困來即臥。
愚人笑我。智乃知焉。古人云。向外作工夫。
總是癡頑漢。爾且隨處作主。立處皆真。
境來回換不得。縱有從來習氣五無間業。自為解脫大海。

師は皆に説いて言った、「諸君、仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよいのだ。糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり、飯を食ったり、疲れたならば横になるだけ。愚人は笑うであろうが、智者ならばそこが分かる。古人も、『自分の外に造作を施すのは、みんな愚か者である』と言っている。君たちは、その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となり、いかなる外的条件も、その場を取り替えることはできぬ。たとえ、過去の煩悩の名残や、五逆の大悪業があろうとも、そちらの方から解脱の大海となってしまうのだ。

 なんとも肩ひじを張らない自然な姿。私の好きな曹洞宗で得度を受けた種田山頭火の句集「草木塔」(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000146/card48249.html)などもこういった禅の在り方がよく出ていると感じます。



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