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法華経や日蓮について感じたこと 2


 さてさて、いろいろとネットで日蓮や法華経について検索して行くと、出てくるのは日○正宗の末寺か信徒団体である法華講の人間のものや元正宗の信徒団体であった創価○会や顕彰○のものばかりで嫌になります。

 日蓮宗などはお寺のホームページはたくさんありますが、動画の方は公式のものくらいしか見かけません。こちらの方は見たりしてもあちらと違ってあまりいやな気分になったりもせず、抵抗なく見たり読んだりできます。

 しかしながら残念なことに、圧倒的にカルト系のいっちゃってる人達の方が出てくるのは辟易します。

 そのいっちゃっている人たちの方に目を向けると、やたらと功徳と謗法、罰(ばち)、血脈、本門戒壇の大御本尊、ニセ本尊、魔の通力なんて言葉ばかりが繰り返されています。


 謗法とは何ぞやということで彼らの文書を見ると、

法華講員の基礎知識 信心の原点 上 Athanasius


"   一、謗法とは
 日蓮正宗の信仰に励む人は、必ず謗法という言葉を耳にしていると思いますが、謗法とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか。

 ① 謗法正法
 大聖人が『顕謗法抄』に、
  「謗法とは法に背(そむ)くという事なり」(御書286ページ)
と仰せのように、謗法とは誹謗(ひぼう)正法、すなわち正法に背くことです。
 末法における正法とは、御本仏日蓮大聖人が唱え出(い)だされた文底下種本因妙の南無妙法蓮華経であり、その御当体は大聖人が出世の本会として顕(あらわ)された本門戒壇の大御本尊です。したがって、謗法とは末法の正法である大聖人の仏法ならびに御本尊を誹謗することを言うのです。

 ② 誹謗三宝
 また、大聖人が『真言見聞(けんもん)』に、
  「凡(およ)そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(同608ページ)
と仰せのように、末法下種の三宝(仏・法・僧)は内証において一体であり、これを一体三宝と言います。故に、日蓮正宗の三宝たる、
 仏法 — 日蓮大聖人
 法宝 — 本門戒壇の大御本尊
 僧宝 — 第二祖日興上人を随一とする御歴代上人
に背くことは、三宝を誹謗することとなるのです。

 ③ 下種仏法を信じないこと
 また、大聖人は『戒体即身成仏義』に、
  「謗と云(い)ふは但(ただ)口を以(もっ)て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非(あら)ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即(すなは)ち謗なり」(同10ページ)
と仰せです。つまり、積極的に身口意をもって正法を謗るだけでなく、大聖人の下種仏法を信ぜず、行じないこと自体も謗法となるのです。"
(「 — 法華講員の基礎知識 — 信仰の原点 上」 編集 日蓮正宗宗務院 pp.76-78)


"謗法(ほうぼう)
誹謗正法[ひぼうしょうほう]の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。▷護法/十四誹謗"
(創価学会 SOKAnet 教学用語検索 https://k-dic.sokanet.jp/)


 彼らの教えを信じないことや反発すること、悪く言うこと、布教している人を誹謗することもみんな謗法ということになるようです。それに対して、


"   三、謗法の報い
 ここでは、日蓮大聖人の仏法に背(そむ)く謗法行為の結果として受ける報いとは、どのようなものかについて学びます。

 ① 謗法は無間地獄の業因
 大聖人は『顕謗法抄』に、
  「謗法は阿鼻(あび)地獄の業(ごう)と見へたり」(御書279ページ)
と仰せられ、謗法は、阿鼻地獄(無間(むけん)地獄)に堕(お)ちる業因(原因となる行為)であると御教示されています。
 阿鼻地獄について、同抄には、
  「大阿鼻地獄とは、又は無間地獄と申すなり(中略)若(も)し仏此(こ)の地獄の苦を具(つぶさ)に説かせ給はゞ、人聴きて血をはいて死すべき故に、くわしく仏説き給はずとみへたり」(同278ページ)
と仰せられ、人が、その地獄の苦しみを聞いただけでも死に至ってしまうほど、恐ろしい地獄であることを示されています。
 また『光日(こうにち)上人御返事』には、
  「無間地獄と申すは十二時に一時(ひととき)かた時(とき)も大苦ならざる事はなし、故に無間地獄と申す(中略)東西南北に走れども逃げ去る所なし」(同1564ページ)
と無間地獄の苦しみの一端を示されています。すなわち無間地獄とは、息つく暇(ひま)もなく、大きな苦しみに永く苛(さいな)まれることから無間と呼ばれる地獄で、四方に逃げる所もない、最も苦しみの大きい最下の地獄なのです。"
(「 — 法華講員の基礎知識 — 信仰の原点 上」 編集 日蓮正宗宗務院 pp.92-93)


という報い(罰)を受けると教えています。もちろんこのような来世の事ばかりではなく、今を生きる中にも様々な現証(その教説が真理であることを現実の上から証明されること-Wikipedia)が現れるとしています。


"罰(ばち)
正法を誹謗することをはじめ、悪い行いの報いとしてもたらされる苦悩・困難。功徳[くどく]に対する語。罰の現れは、不幸の道に陥ることを知らせる兆しであり、警鐘ともいえる。罰が現れることで、自身の誤りに気付き反省し、信仰の姿勢や生き方を見つめ直して修正することができる。このように見方を変えれば、罰もまた、人々を正しく導く妙法のすぐれた性質の一つなのであって、功徳と捉え返すことができる。▷功徳"
(創価学会 SOKAnet 教学用語検索 https://k-dic.sokanet.jp/)

 
 日蓮の遺文などには、この手の事が本当によく出て来ます。いくつか見てみましょう。引用は日蓮正宗の「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」から引用し、括弧の中には「御書」の引用ページと合わせて、日蓮宗側の「宿刷遺文」とも「霊艮閣版(りょうごんかくばん)」とも言われる「霊艮閣版 日蓮聖人御遺文」(山喜房佛書林)のページ数も載せておきます。これはカルトの文書を信用しない(日蓮の遺文には漢文で書かれたものもありますが、出版されている正宗の「御書」も創価学会の「御書全集」も読み下し文に訳されていますので、自分たちの教義にあった訓じ方をしていたりする場合もあるでしょうから、日蓮宗側の遺文個所もなるべく併記しておきたいと思います。)

霊艮閣版縮刷日蓮聖人御遺文、新編日蓮大聖人御書全集創価学会版、平成新編日蓮大聖人御書大石寺版 URL


種種御振舞御書
"今の世の人々は皆頭(こうべ)阿梨樹の枝のごとくにわれたれども、悪業ふかくしてしらざるなり。例せばてを(手負)いたる人の、或は酒にゑ(酔)ひ、或はねい(寝入)りぬれば、をぼえざるが如し。又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して、頂(いただき)の皮の底にある骨のひゞたふるなり、死ぬる時はわるゝ事もあり。今の世の人々は去ぬる正嘉の大地震、文永の大彗星に皆頭われて候なり。其の頭のわれし時ぜひぜひやみ、五臓の損ぜし時あかき(赤痢)腹をやみしなり。これは法華経の行者をそ(謗)しりしゆへにあたりし罰とはし(知)らずや。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」p.10711、霊艮閣版p.1412)


阿仏房尼御前御返事
"御文(ふみ)に云はく「謗法(ほうぼう)の浅深軽重(せんじんきょうじゅう)に於ては罪報如何(いか)なるや」云云。夫(それ)、法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり。然りといへども、信ずる者は成仏をと(遂)ぐ、謗ずる者は無間(むけん)大城に堕(お)つ。謗法の者にも浅深軽重の異(こと)なりあり。法華経を持(たも)ち信ずれども、誠に色心相応の信者、能持此経(のうじしきょう)の行者はまれなり。此等の人は介爾(けに)ばかりの謗法はあれども、深重の罪を受くる事はなし。信心はつよく、謗法はよはき故なり。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」p.905、霊艮閣版 p.1314)


十法界明因果抄
"法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○若し人と為ることを得ては諸根闇鈍(あんどん)にして盲・聾・背傴(はいう)ならん○口の気(いき)常に臭く、鬼魅(きみ)に著せられん。貧窮下賤(びんぐげせん)にして人に使はれ、多病瘠痩(しょうそう)にして依怙(えこ)する所無く○若しは他の叛逆(ほんぎゃく)し抄却(しょうこう)し竊盗(せっとう)せん。是くの如き等の罪横(よこしま)に其の殃(わざわい)に羅(かか)らん」文。又八の巻に云はく「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん。若し之を軽笑(きょうしょう)すること有らん者は当に世々に牙歯疎(げしす)き欠(か)け・醜(みにく)き脣(くちびる)平める鼻・手脚繚戻(しゅきゃくりょうらい)し、眼目角睞(かくらい)に、身体臭穢(しゅうえ)・悪瘡(あくそう)・膿血(のうけつ)・水腹(すいふく)・短気(たんけ)諸の悪重病あるべし」文。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」p.210、〔霊艮閣版 P.314〕)


顕謗法抄
"仏宝を破るが故に、法宝を破るが故に、僧宝を破るが故に。三宝を破るが故に則ち世間の正見(しょうけん)を破す。世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇(むりょうむへんあそうぎ)の罪を得るなり。無量無辺阿僧祇の罪を得已(お)はって則ち無量無辺阿僧祇の憂苦(うく)を受くるなり」文。
又云はく「破法の業の因縁集むるが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ。此の破法人の輩(やから)は一大地獄より一大地獄に至り、若し劫火起こる時は他方の大地獄の中に至る。是くの如く十方に徧くして彼の間に劫火起るが故に、彼より死するも破法の業の因縁未だ尽きざるが故に、還(かえ)って是の間の大地獄の中に来たる」等と云云。法華経第七に云はく「四衆の中に瞋恚(しんに)を生じ心不浄なる者有り。悪口罵詈(あっくめり)して言はく、是の無智の比丘(びく)と。或は杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を以て之を打擲(ちょうちゃく)す。乃至(ないし)千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」等云々。此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔(ざんげ)せりといへども、罪いまだ減せずして千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ。
懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし。故に法華経第二に云はく
「経を読誦(どくじゅ)し書持(しょじ)すること有らん者を見て軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐(いだ)かん。乃至其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入り、一劫を具足して劫尽きなば更(また)生まれん。是くの如く展転(てんでん)して無数劫(むしゅこう)に至らん」"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」p.279、〔霊艮閣版 pp.438-439〕)

 まあまあ、法華経からしてあれなので、日蓮の書いたものもこうなのは仕方がないのかもしれません。しかし、このようなことを書いていることも謗法なのでしょう(笑)

つづく 
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athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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