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法華経や日蓮について感じたこと 3


 「大乗非仏説」という "大乗仏教の経典は釈尊の直説ではなく、後世に成立したものだという説" (Wikipedia) というものがあそうですが、釈迦が死んで何百年も後に書かれたもの、それもそれが出るまでそのような教説があった痕跡もないものを釈迦の仏説だと信じてしまうのが(特に法華経)、ちょっとと言うかかなり理解しがたい感じがします。

 Wikipediaで「法華経」の項目を見ますと、成立時期について

 "『法華経』の成立時期については諸説ある。
代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品〜如来神力品が同時成立した」とする説が唱えられたり、「勝呂信静によって27品同時成立説が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は『振り出しにもどった』というのが現今の研究の状況だ」と管野博史は1998年刊行の事典において解説した。
中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した。また、渡辺照宏も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会はバラモンを中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない」と述べた。 "

などとあります。手元の本とも大差がないので、こういう感じなんだろうと思います。

 口伝で大乗の在家信徒に伝承されていたというのは無理があるでしょう。第一次結集が阿羅漢果を得ている弟子たちによってなされていることと、結集当日の朝に阿羅漢果を得て参加が認められた弟子の中で多聞第一で、仏説をよく記憶していた阿南尊者によって「如是我聞」として教えが語られまとめられたとされます。

 法華経が言うように、釈迦の本当の優れた教えであるのなら、まずそれが結集されていなければおかしな話です。この結集には釈迦の十大弟子と文殊菩薩(大乗経典)をはじめ阿羅漢果を得た弟子たちが集まっていたわけですから、それはまた法華経の中で、釈迦から直接その教えを受けた弟子たちと云う事になりますから、まずは何をさておき結集しておかなければおかしな話ですが、この思想が出てくるのは、それよりも何百年も後で、完成したのは釈迦が死んでから6世紀も後の事。これを仏説と呼ぶのは無理があると思います。

 また、口伝伝承は非凡な才能と長い訓練が必要なもので、誰でもできるものではないでしょう。だからこそ第一次結集の時、仏説をよく記憶していた阿南尊者が望まれていたのでしょう。単に話を多く聞いていても、記憶していなければ意味はありません。また、多くの神話や民族譚の伝承者たちが非凡な才能と厳しい訓練を受けていることは、多くの神話や民族の間で見られたことです。

 古事記の稗田阿礼は、
"時有舎人。姓稗田、名阿礼、年是二十八。為人聡明、度目誦口、払耳勒心。即、勅語阿礼、令誦習帝皇日継及先代旧辞"
"そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。"

と、"聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。" という才覚の持ち主であったと伝えられています。また、アイヌのユーカラやウエペケレにしても、それぞれ伝承者がいて語り伝えてくれ、それを文書化してくれた人たちがいて、そのおかげで現在のわれわれも知ることができています。

 つづく

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