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法華経や日蓮について感じたこと 5


 なぜ、法華経や日蓮、日蓮系カルト宗教に対して嫌悪感を持ってしまうのか。普通の日蓮宗(普通の釈迦本仏論に立つ日蓮宗)については、嫌悪感もなく、日本式仏教の宗派やお寺の一つくらいにしか感じないものの、日蓮本仏論に立つ日蓮系とその破壊的カルト的信徒団体。それの元信徒団体で宗門から離れて行った新興宗教諸団体に関しては、ウジ虫が湧いてコバエが飛んでいる状態の生ごみの入った台所の三角コーナーの生ごみ汁のように、思わずその腐臭と状態に嘔吐いてしまうほどの嫌悪感を覚えてしまいます。

 講員の書いた自分たちの教えの普及のための破折パンフレットなるものを見た時、1 表 1 裏 、 2 表 2 裏 、三角コーナーの生ごみの汁がはねてひっかかって付いたような嫌な感じを受けます。以前YouTubeでこのパンフレットができたのを講員同士で自画自賛している動画を見た時、此れこそ日蓮が「立正安国論」で言っている"辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。"(「平成新編日蓮大聖人御書 大石寺」p.242)、というやつなんだろうなぁと思いました。

 謗法と罰、そして謗法の者の臨終の相、他宗への誹謗しか無いパンフレット。破門した宗門側の講員に残る、あのいやらしい戸田城聖時代の創価学会の体質が今も色濃く残っているのでしょう。昔、仕事中、「お兄さんどんな宗教を信じているの?」とこちらの宗教を訪ねてきて、それに答えると学会員のおばはんが聖教新聞片手に「あなた○○なんて信じていると不幸になるわよ」なんて初対面にも関わらずぶしつけに言ってきたあの醜悪な顔を思い出します(その後も何日もしつこかった。: この当時はまだ学会は講中)。また、町内の学会員がしつこく聖教新聞を取るように勧誘してきたり、時にはかってに何カ月間送って来たり(向こうでお金払っているんだろうけど)、選挙時期になれば近所の学会員が熱心に公○党の応援をお願いに来りしたものです。あるクリスチャンの最近の体験には、顕正会の勧誘にあって「いいですか、教会に行ったって幸せになれませんからね・・・・」と後ろから罵倒されたという体験談があり、富士門流は講中も破門された団体の信徒も体質は同じだなと思いました。YouTubeなんかで見ると、顕正会はより強く言葉がまるで通じないようではあるなとも感じました。

 「守護國界主陀羅尼經卷第十 阿闍世王受記品第十」(経典の個所としては「SAT DB 大正新脩大蔵経テキストデータベース」で言うならT0997_.19.0574a02:~T0997_.19.0574c24:の個所記述)の臨終の相を援用していたり、日蓮の遺文で以下のものなど

報恩抄  建治二年七月二一日 (霊艮閣版 報恩抄(下))

"死してありければ身やう(漸)やくつヾ(縮)まりちひ(小)さく、皮はくろ(黒)し、骨あらわ(露)なり等云云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1023 、霊艮閣版 p.1488)


千日尼御前御返事 弘安元年閏一〇月一九日 

" 人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1290 、霊艮閣版 p.1816)


神国王御書 弘安元年(霊艮閣版 建治元年、乙亥)

 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)・金剛智(こんごうち)三蔵・不空(ふくう)三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人々、即身成仏の根本なり等云云。日蓮勘(かんが)へて云はく、法偸(ほうぬす)みの元師なり、盗人の根本なり。此等の人々は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしっじ)経等を齎(もたら)し来る。此の経々は華厳・般若・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣なり。経文に見へて赫々(かくかく)たり明々たり。而るを漢土に来りて天台大師の止観(しかん)等の三十巻を見て、舌をふるい心をまどわして、此に及ばずば我が経弘通しがたし、勝れたりとい(言)はんとすれば妄語(もうご)眼前なり、いかんがせんと案ぜし程に、一つの深き大妄語を案じ出だし給ふ。所謂(いわゆる)大日経の三十一品を法華経二十八品并(なら)びに無量義経に腹あ(合)わせに合はせて、三密の中の意密をば法華経に同(どう)じ、其の上に印と真言とを加へて、法華経は略なり、大日経は広なり、已(い)にも入れず、今(こん)にも入れず、当(とう)にもはづれぬ。法華経をかた(方)うど(人)として三説の難を脱れ、結句は印と真言とを用ひて法華経を打ち落して真言宗を立てゝ候。譬へば三女が后と成りて三王を喪(ほろぼ)せしがごとし。法華経の流通の涅槃経の第九に、我れ滅して後(のち)悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとしと記し給へるは是なり。されば善無畏三蔵は閻魔(えんま)王にせめられて、鉄の縄七脈(すじ)つけられて、から(辛)くして蘇(よみがえ)りたれども、又死する時は黒皮隠々として骨其れ露(あらわ)ると申して無間(むけん)地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後(のち)色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1303 、霊艮閣版 pp.1360-1361)


法尼御前御返事    弘安三年七月一四日

めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。
 法華経に云はく「如是(にょぜ)相乃至(そうないし)本末(ほんまつ)究竟等(くきょうとう)」云云。大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」等云云。守護経に云はく「地獄に堕つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」等云云。
 夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬(なおたと)へにあらず。かし(賢)こきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんが(勘)へあつ(集)めて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこ(少)しもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生(せいほうじょうどおうじょう)とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだん(讃歎)し、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてやま(病)するがごとし。
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1482 、霊艮閣版 pp.1749-1750)


光日上人御返事    弘安四年八月八日

"悪人は風と火と先づ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水と先づ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生まるゝ相なり。"
(「平成新編 日蓮大聖人御書 大石寺」 p.1564 、霊艮閣版 p.2062)


などの文証を根拠に、あのいやらしい考えを載せていたりします。わたしの亡くなった両親などは、生前一貫して大の学会嫌いでしたが(昔学会の幹部から受けた仕事で、支払いもされずにドロンされたこともあって)、死ぬときには肌は黒くなることもありませんでしたし、安らかな顔で苦しむことなく旅立って逝きました。あの嫌悪すべきいやらしいパンフレットのようなことは何もありませんでした。

 また、多くの人もあんな死相が現れたり、苦しんだり、肌が黒くなったりなんて、癌だとかその他の病気、器質的な要因でそうなったり、社会的な状態に起因するのであって(日蓮の時代の医療や衛生、食料摂取の水準、また社会情勢だろう。記述状態なんかは野ざらしの屍のことだろ。この当時の仏教の宗祖などの記述にも屍が道端にあるような記述もあったと記憶しているが、そういうものを見ている日蓮が守護國界主陀羅尼經なんかの記述と自身の頑迷さが相まって、そのよう信じ込み、それを書き送っただけだろ。)、法華経や日蓮を信じるとか誹謗したからと云う事で変わるわけではない。そういう古代の文書のバカげた迷信を現代社会で布教に利用するあたり盲目になっているのだろう。

つづく



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