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福音ではなく、それは断罪と恐怖


カルヴァン主義に立つコングリゲイション(会衆派)の牧師、ジョナサン・エドワーズが1741年7月8日に、コネチカット州のハートフォード群の北東の角にあるエンフィールドにおいて行った「怒りの神の御手の中なる罪人」という有名な説教があります。

エドワーズ説教集


 ウィキリークスに怒れる神の御手の中にある罪人その概要が載せられています。実際に西村書店の伊賀衛氏の訳で読んでみますと、概要とは違いなかなか聴衆を引き付けるであろう説教であることが分かります。

 ちょっと有名な個所を読んでみましょう。❝人が、蜘蛛か、何か厭はしい虫けらを、火の上に吊るすやうに、あなた方を地獄の火の上に吊り下げてゐる神は、あなた方を嫌ひ、恐ろしい程激昂して居られるのであります。神のあなた方への怒りは火のやうに燃え、神はあなた方を、火に投げ入れられる以外には何らの價値もないものとして見下して居られるのです。神はその前のあなた方の醜い存在に堪へる事のない出来ないやうな清い眼をもつて居り、吾々の眼の前にゐる毒蛇の厭はしさより萬倍もあなた方が神の眼には厭はしいのであります。頑強な反逆者が王を怒らせるより、遥かに激しくあなた方は神を怒らせてゐるのです。しかもあなた方が今此の瞬間にも火の中へ落ち込む事から守つてゐるのは唯神の御手にあるのです。あなた方が昨晩地獄へ落ちなかつたのは、此の世で睡らうと眼を閉ぢた後に、再び醒める事を許されたのは、他の何者によるのでもないのであります。朝にあなた方が起きてから地獄に落ちずにすんでゐるのは、神の御手が支えてゐたのだ、と云ふ以外には、何の理由もありません。あなた方が此の神の家に座ってから、神の厳かな禮拜に出席してゐるあなた方の罪深い邪惡な態度で神の清い眼を怒らせながらも、地獄に落ちずにゐると云ふのは、他の如何なる理由からでもありません。さうです。あなた方が今此の瞬間にも地獄に堕ちないのは、他の如何なる理由からでもないのであります。❞(「怒りの神 エドワーヅ説教集」 pp.162-163 怒りの神の御手の中なる罪人 西村書店 昭和23年発行 )

 読んでいて、ちょうど神が芥川龍之介の短編小説蜘蛛の糸(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html)の地獄にいる亡者カンダタが生前に蜘蛛を助けた功徳により釈尊は蜘蛛の糸を垂らして地獄から抜け出すチャンスを与える姿とは真逆の、糸に人を吊るして地獄にいつでも落とすぞという怒れる恐ろしい神として描かれ説教されたことは、対照的で面白いと感じました。

怒れる神と釈尊


 あとはとてもこの説教はカルヴァンの人類の全的堕落と二重予定説に忠実で、それゆえ断罪の説教になってしまっているのでしょう。現代のアメリカの福音派や聖霊派など、全的堕落と二重予定説を否定するウェスレアン・アルミニウス主義系のメッセージにもやっぱりこれは強く息づいているように見受けられます。一種のアメリカの宗教的文化遺産なのかなとも思ってしまいます。

 日本では福音派などは米国とは違い、裁きの強調よりも、イザヤ43:4 ❝わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。❞(新改訳1970年版)などといった聖書の句を用いたメッセージがよく見受けられ、断罪型のアメリカの福音派とは大きく違います。しかし、キリスト教看板で有名な聖書配布協力会の配布物(小冊子やカートゥーン・トラクト)やいわゆるキリスト教看板などと呼ばれるものにあるメッセージは、まさしくアメリカ福音派型のメッセージです。

永遠の01

永遠の02

永遠の03

永遠の04

 1913年にアメリカで出版されたエレナ・ポーターの小説、「少女パレアナ」の中にポール・フォード牧師という登場人物が出てきますが、彼は教会のいろいろな争いや不和に悩み、会衆に向けて「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなたがたは、わざわいである」という書き出しの断罪のメッセージの下書き原稿を書こうと思いめぐらしていましたが、主人公のパレアナという少女に合い、彼女から聖書には楽しめとか喜べといった言葉が800回も出てくることや、牧師であったパレアナの亡き父の話と父から教わった喜びのゲームについて聞かされることにより、フォード牧師の心境に変化が起こり、はげますこと、彼らに自分に与えられた仕事は楽しいことだと、それに打ち込む喜びが心にあふれて、隣の人の仕事を見て余計な世話を焼いたりひがんだりしないようにしようと思い立ち、「ただしき者よ、エホバを喜び楽しめ、すべての直き者よ、喜びよばうべし」との聖書のことばからメッセージを作り始めました。

少女パレアナ

 イエスのメッセージを見ても、エドワーズのような怒りの神、恐怖を前面に出しているようなものはありません。もちろん神の裁きなどについてもしっかりと語られてはいますが、ピューリタンが好むような断罪と神の怒り、地獄の強調といったメッセージは福音とは真逆のものと言えるのではないでしょうか。






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