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聖書協会共同訳 7 と聖書の訳


聖書協会共同訳旧約続編付き Athanasius


 聖書協会共同訳のマタイと使徒言行録を読み終わり、「う~ん」としか出てこない。前回の続きで使徒言行録の変な個所については、いろいろとありましたが、今回は一つだけを取り上げて見ます。

 聖書協会共同訳 23章3節
"パウロは大祭司に向かって言った。「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従って私を裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、私を打て、と命令するのですか。」"

 新共同訳と「わたし」が「私」と漢字になっただけの違いです。パウロが口元を殴られたのか、 引っ叩かれて反射的に言った言葉なのに、なんともお上品じゃありませんか。こういう場面ならもっと語調も厳しく棘のある言い回しになるものです。

新改訳聖書2017 Athanasius


 この点、新改訳2017の方が、それまでの新改訳(第一版から第三版)の柔らかい言い方を改めていますし、原文にない「ああ」などと言う感動詞を無くして改善してします。

 新改訳(第一版から第三版)
"そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」"

 新改訳2017 23章3節
"そこで、パウロはアナニヤに向かって言った。「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる。あなたは、律法にしたがって私をさばく座に着いていながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」"

 こういうものを目にすると聖書協会共同訳の翻訳委員は、日本語の専門家を入れていると言いながら、日本語のセンスというより、言葉のセンスがないのだなと感じてしまう。

 他にもいろいろと目につくものはあるが、一つ一つ挙げて行くのも面倒です。

田川訳 携帯版 記名入り


 さて、田川訳の「新約聖書 本文の訳 携帯版」(作品社)をパラパラパラとめくっていた時、巻末の解説の所で「野菜畑」の文字が飛び込んできて、ちょっと気になったので読み返してみました(前読んだ時には気にならなかったのだが)。

" 実例を二つ。マルコ六・四〇。イエスの話を聞こうと大勢の人が集まって来た。イエスは彼らを草の上に座らせた。「彼らは、百人ずつ五十人ずつ、野菜畑のように座った」。原文にははっきり「野菜畑」(ないし葱畑)という語が用いられている。確かに、日本語には「野菜畑のように座る」という表現はない。それで口語訳は勝手に「列をつくって」とお訳しになった。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしいずれにせよ、「野菜畑」という語を「列をつくる」という意味に用いる用例なぞ知られていない。それにギリシャ語でも当然「列をつくる」ぐらいの表現はある。もしも著者がそう言いたかったのなら、そう言っただろう。いずれにせよ、表現として「野菜畑のように座る」と言われれば、なんとなく雰囲気として目に見えるような感じになる。それなら無理をしないで、そのまま「野菜畑のように座った」と訳しておけばいいではないか。それを、こっちの方が日本語としてよく感じますから良い「意訳」です、なんぞと主張なさったら、原文の味が消えてしまう。"
(pp.473-474)

あれ、そんな注あったかな、なんて思いつつ「新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書」(田川建三訳著 作品社)の方を開いてみました。そうしたら「あったよ」でした。

"40 野菜畑のように これも前節の「組々」と同じで、単に「野菜畑」という語の複数形を二つ並べているだけである(prasiai prasiai)。まあ、気分の出る表現ではあるが。口語訳はこれを「列をつくって」と意訳なさった。この語、もともとは葱畑を意味する。そうすると、葱坊主がきれいに列をつくって並んでいる場面を想像なさって、こうお訳しになったのだろうが、単語の意義としては「葱畑」であっても、もはやこの語は広く一般に「野菜畑」を指すようになっている。かつ、続いて「百人ずつ五十人ずつ」とある。つまり百人ごとにないし五十人ごとに組をつくってかたまって座った様子が野菜畑みたいな感じだった、と言っている。口語訳みたいに「列をつくって」だと、縦横百人×五十人の列をつくって、というおつもりなのだろうが、原文はそこまで算術的に考えているわけではない。むしろ新共同訳のように全体の意をくんで、「百人、五十人ずつまとまって」と訳すのがいいだろう。"
(p.244)

そこでUSB第四版で「πρασιαὶ  πρασιαὶ」の表現箇所を確認し、ギリシャ語辞典と他の翻訳ではどうなっているのか気になり見て見ました。

○聖書協会共同訳
  "人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。"
これと類似する訳には、新共同訳、共同訳、新改訳(第一版から第三版)、新改訳2017、フランシスコ会聖書研究所訳(1984年改訂版、2011年改訂版)、ラゲ訳(1910年版、1959年当用漢字版)、バルバロ訳(講談社版)、本田哲郎訳、キリスト新聞社口語訳、岩波書店新約聖書翻訳委員会訳、リビングバイブル(1984年版)、泉田昭訳(国際ギデオン協会「ニューバイブル」)、創造主訳、エターナル・ライフ・ミニストリーズTR新約聖書、新世界訳、回復訳(web、これのフットノートの説明はよい)

○口語訳
  "人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。"
これと類似する訳には、明治元訳、ニコライ訳、岩隈直訳、塚本虎二訳

○大正改訳
  "或は百人、あるひは五十人、畝(うね)のごとく列びて坐す。"
これに類似する訳は、詳訳

○永井直治訳「新契約聖書」1928年(web)
  "されば彼等は百〔人〕、また五十〔人〕つつ、畝々(うねうね)〔の如く〕に席に着けり。"

 田川訳の畑を思わせる訳は、大正改訳、永井直治訳、詳訳があります。その中で「列」という語を使ってるいないで分けました
(「畝」自体が「列」みたいなものですが)。

黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版を見ますと、

"註解: 組々となるのは家における食卓の形をここに現さんとしたもの。畝のごとく列(なら)んだのはその間を弟子たちが食物を分配するために通り易からしめたのである。イエスはここに神の国の家族の食卓の光景を出現し給うた。
辞解
[組々] sumposia sumposia 同一の語を繰返してその数の多きことを示す。「組」は食卓につく一組のこと。「畝のごとく」 prasiai prasiai 畝々。"

とありました。


文語訳と詳訳 記名入り


 この中でも詳訳聖書は面白い訳文です。

"そこで人々は百人、あるいは五十人ずつの列を作って腰を下ろした<花壇のように整然と並び、まるで庭園のようであった>。"

Amplified Bible
"40 So they threw themselves down in ranks of hundreds and fifties [with the [r]regularity of an arrangement of beds of herbs, looking [s]like so many garden plots]. "

英語版の通り訳されています。しかし、Bible Gatewayのサイトで、Amplified Bibleを見ると訳文が変わっていて、手元にあるAmplified Bibleと訳文違うなと思ったら、サイトの方ではわたしの持っている詳訳の英語版は、Amplified Bible, Classic Edition ということになっていました。

 新しいAmplified Bibleの訳文では、聖書協会共同訳などと同じ一つのまとまりになっています。訳語の補足(日本語版では山括弧< >で囲われている個所。英語版では角括弧[ ]で囲われている個所の説明は、整然とした並び)

Amplified Bible
"40 They sat down in groups of hundreds and of fifties [so that the crowd resembled an orderly arrangement of colorful garden plots]."

THAYERS GREEK LEXICON 記名入り


セイヤーの希英辞典
"πρασιά, πρασιας, ἡ, a plot of ground, a garden-bed, Homer, Odyssey 7, 127; 24, 247; Theophrastus, hist. plant. 4, 4, 3; Nicander, Dioscorides (?), others; Sir. 24:31; ἀνέπεσον πρασιαί πρασιαί (a Hebraism), i. e. they reclined in ranks or divisions, so that the several ranks formed, as it were, separate plots, Mark 6:40; cf. Gesenius, Lehrgeb., p. 669; (Hebrew Gram. § 106, 4; Buttmann, 30 (27); Winer's Grammar, 464 (432) also) § 37, 3; (where add from the O. T. συνήγαγον αὐτούς θημωνιας θημωνιας, Exodus 8:14)."
(「THAYER'S GREEK LEXICON of the NEW TESTAMENT」 HENDRICKSON社 p.535)

の訳語、a plot of groundやa garden-bedからだと現代なら整然と並んだガーデンベットを想像してしまいます。

ブラシア 辞典付き


「増補改訂 新約ギリシヤ語辞典」(岩隈直著 山本書店)
"苗床、花壇、畝;⦅比⦆ ~αί~αί 組組に、組をなして、(セム語法? 口語的表現でもある);マコ6:40"

「新約聖書ギリシャ語小辞典」(織田昭 編 クリスチャンセンター書店)
"花壇、苗床などの長方形の列;マル6:40、πρασιαὶ πρασιαὶ, 青草の上にいくつもの長方形の花壇のように整然とすわった人々の群れを、同格の nom. で副詞的に表現した句。"

と、織田昭氏の辞典の方では、口語訳的な見立てをしています(文法上の事ではないので、織田昭著「新約聖書のギリシャ語文法」3巻本では特に言及はされていませんでした。)。

 いろいろ翻訳を並べてみるとそれぞれいいところ悪いところがあり、「これこそ」というものが無いのも現実です。そのためにいろいろな訳を比べて見たり、原文を調べたり、ギリシャ語辞典もいくつか用意して比べて見たりしないと、一つのものばかり使っていると気が付かないでいることになったりします。



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No title

野菜畑は知りませんでした。

翻訳にはそれぞれ特徴と目的があるので
それに合ったものを見ていけばいいわけですが
一般的に普通に聖書を買い求めるとなると
今回の訳や、新共同訳、新改訳になるわけです。
ホントのところはどうなんだ聖書研究用に岩波や
田川をみることになります。

でも意訳に意訳を重ねていって、聖書が変化していくのが
こわい。

改善の度合いとしては新改訳の方が良くなったと
思います。

Re: 一匹狼のまーくん さんへ

> 野菜畑は知りませんでした。

思わず「野菜畑」の語に引き付けられました(笑)

> 一般的に普通に聖書を買い求めるとなると
> 今回の訳や、新共同訳、新改訳になるわけです。

リベラルとカトリックなら聖書協会の聖書。福音派や聖霊派なら新改訳と住み分けができてますからね。

> ホントのところはどうなんだ聖書研究用に岩波や
> 田川をみることになります。

研究用には、それに加えて詳訳もあると便利ですが、著作権で再版はされませんから英語版でもあるといいかもしれませんね。英語版なら数百円ですから。

> でも意訳に意訳を重ねていって、聖書が変化していくのが
> こわい。

そうですね。その罠に陥らないために本当ならギリシャ語やヘブライ語の底本と云う事になるのでしょうが、そうはいかない現実もあるでしょうから、いくつかの訳を比べるしかないでしょうね。

> 改善の度合いとしては新改訳の方が良くなったと
> 思います。

それは思いましたね。新改訳2017は、良くも悪くも新改訳のままなんですが、ざっと見た感じではいい感じに改訂されたようですね。

プロフィール

athanasius

Author:athanasius
当ブログにおいて、キリスト教関係の記事などにつきましては、あくまでもわたしの信仰や所属する教派・教会の教義的な私個人の立場から、わたしがおかしい、納得できない、ウソだろう、こうではないか、なとなどの批判・批評、否定、または合意、賛同などを書いています。また他宗教については個人的な感想として書いています。ある人にとってはとても不快に思ったり、反対意見もあると思います。その場合、広い心でお読みください。また、人の考え方は不変なものではありません。過去の発言と現在の発言が変わったりするのも自然なことですのでご留意ください。

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