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聖書協会共同訳 8


聖書協会共同訳旧約続編付き Athanasius


 聖書協会共同訳を読み進めますと、おかしな訳語に出逢うことがよくあります。これは以前も軽く触れたのですが、この聖書協会共同訳においてピスティスの語を「真実」とお訳しになっている個所が数か所あります。日本聖書協会の方ではそのことをこのように宣伝しておられました。

小冊子 聖書聖書協会共同訳について 聖書聖書協会共同訳特徴と実例 Athanasius


 まず出版前に出された小冊子では

"(二)新しい聖書学の成果を生かす
聖書協会共同訳の原語担当翻訳者や、原語担当編集委員は日本の聖書学を担っている方々ですので、最新の聖書学の成果が随所に表されています。以下にそのごく一部をご紹介します。
・・・
④「キリストの真実」(ローマ三22)
この節は従来、以下のように訳されてきました。
 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。
            [新共同訳]
 すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。
             [新改訳2017]
しかし、ピスティス・クリストゥという句は、両義的で、「キリストへの信仰」、あるいは、「キリストの真実」という意味があり、文脈によって訳し分けるべきであることが明らかになってきました。ロマ三21─26は、「神の義」がテーマですので、そこでは「キリストの真実」と訳すことにしました。
 神の義は、イエス・キリストの真実を通して、信じる者すべてに現されたのです。
             [聖書協会共同訳]
この訳ですと、救いが神の業であり、神がアブラハムへの約束を守る正しい方であることが、浮き彫りになってきます。三27以降は、信仰義認が主題となりますので、「信仰」となります。ちなみに、ギリシア語では、従来22節で「与えられる」と訳された箇所には動詞はありません。動詞を補って訳出する場合は、21節の「現される」を補うべきですので、そのように改訂されています。以下に、聖書協会共同訳の三21─31を引用しました。ゴチックは小見出しです。
・・・"
(「聖書 聖書協会共同訳 特徴と実例」 日本聖書協会 2018年1月1日発行)


と触れていました。出版後に出された小冊子では、更に


"重要な訳語の変更
・・・
もう一つは新約におけるギリシア語「ピスティス・クリストゥ」の訳語です。「ピスティス・クリストゥ」の訳については、新翻訳事業の作業が始まった二〇一〇年から重要な課題となり、事業に参加した諸教派の神学者・牧会的指導者の意見も聴取しながら、検討を重ねました。「ピスティス・クリストゥ」は、「キリストへの信仰」と「キリストの真実」の両方の訳が可能です。第七回検討委員会(二〇一七年三月一三日)は、限定した部分に限り主格的属格の意味で訳すことを承認し、「キリストの真実」とする合意に達しました。「限定した部分」とは、ロマ三22、25、26、ガラ二16-20、三22-26、エフェ三12、フィリ三9、「神は真実な方」(二コリ一18)などの場合です。ただし、「キリストの真実」と訳した場合も、「キリストへの信仰」の別訳が可能であることを欄外に注記しています。
このうちローマの信徒への手紙三章について若干の説明をします。パウロは「神の義」について、神は、アブラハムへの約束をイエスの十字架によって果たし、そのキリストを信じる者を義と認めることで、ご自身が義であることを現されたことを述べていると考えられます。21節から26節はその神の義がテーマなので、「神の義が現された」という小見出しを付け、その中で「キリストの真実」と訳しています。これに対して27節以降は、信仰による義認がテーマとなるので、「信仰による義」という小見出しを付け、そこでは、伝統的な「キリストへの信仰」を前面に示す訳となっています。したがって、今回、「キリストの真実」という訳語を採用したからといって、「信仰による義認」というパウロの立場を否定するものではありません。"
(「聖書 聖書協会共同訳について」 日本聖書協会 2018年12月15日発行)

とあります(こういう宣伝や自画自賛の多いのにろくなものはない)。

聖書協会共同訳新約聖書パイロット版


 ここから解るのは、2016年に発行されていた「新翻訳事業パイロット版」の「ローマの信徒への手紙」(4月1日発行)・「ガラテヤの信徒への手紙」(5月1日発行)・「エフェソの信徒への手紙・フィリピの信徒への手紙」(2月1日発行)のピスティスの一部の訳語「信実」が「真実」という別な語に変更なったという事が、最初の小冊子が、パイロット版の発売が終わってちょっと経った、聖書協会共同訳聖書の出版の約一年前弱にローマ三章の数節の変更が分かるようになり、聖書協会共同訳が出版された後、まだ多くの読者が読み始めたり、調べ始めたばかりのころに、もう一つの小冊子が出され批判の軽減を図っているように感じられました。

 聖書協会よりも前に、田川訳がこのピスティスの語を「信」・「信実」・「信仰」・「信頼」(田川訳ではピスティスは主にこの四つ。使徒17:31「保証」、黙2:13「忠実な」などもある)と訳し、そのことについては、田川訳ですでに詳しい注の中で田川氏によって述べられています(第1回配本は2007年7月の「パウロ書簡 1 (第1テサロニケ、ガラティア、第1第2コリントス)」で、当該ガラテヤ書がある )。


The STRONGEST STRONGS Athanasius

Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament. Athanasius記名


 今回、ピスティスについて、まずAuthorized Version(ジェームズ王欣定英語訳聖書) のコンコルダンスである「STRONG'S」で当該箇所を調べ(デカくて重いのが難点)、続いてギリシャ語のコンコルダンス「Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament」で、ピスティスの個所を全部ノートに書き出し、Greek Interlinearと口語訳の和英対照(RSVとの対照)で、ギリシャ語原文とRevised Standard Versionと口語訳の訳文を確認し、Revised VersionやNew King James Versionなんかでも確認しつつ、ラテン語やウルガタ、ウルガタから訳されたラゲ訳(1910年版)、田川訳も比べるというアナログな調べ方をしました。

 ほぼ英訳は「faith」、口語訳は「信仰」、ウルガタは「fides」でした。しかし、ローマ1:17、3:22なんかはBible Hubのサイトでいろいろな英訳並べて出てくるのでざっと流して見て見ましたが、「真実」(truth、reality)は見当たらなかったです(老眼にとって小さい文字見るのはキツイ。見落としがあるかもしれません。)。

 ピスティスの語をギリシャ語の辞典で見て見ますと

"πίστις, -εως, ἡ : [< πείθω] ①信頼(用)を呼び起こすもの: ㋑忠誠(信),忠(信)実;マタ23・23,ロマ3・3,ガラ5・22. ㋺誓い,誓約;Ⅰテモ5・12. ㋩証拠,保証;行17・31。 ②信ずる事,信頼,信仰;(正しい宗教的態度,真の敬虔としての)ルカ18・8,行6・5,ヘブ11・1,6. ⦅τινός (目的語的 属),εἰς τινα , ἐν τινι ,ἐπί ・πρός τινα …に対する⦆マコ11・22,ピリ1・27,Ⅰテサ1・8,ヘブ6・1.~Ἰησοῦ Χριστοῦ (も同様)ロマ3・22(主語的 属 「イエス・キリストの(持ってい給う)信仰(あるいは、信実)」と解する者もある.しかし多分目的語的).ヤコ2・1.~ μου 私(イエス)に対する信仰;黙2・13.しかし,この 属 をパウロの場合に,主語的 属 に,あるいは神秘的交わりの 属 に解する者もある. ~ διά τινος 某によって呼び起こされた信仰;行・ロ.(特殊な意味・種類の信仰)ルカ17・5(イエスの奇跡能力に対する),Ⅰコリ12・9,13・2.(教え・教義を受け入れる意)ヤコ2・14,17.(信仰の自由・強さの意)ロマ14・22.③⦅客観化されて⦆信仰の教え(使信),(従って)キリスト教;ガラ1・23,3・2? ユダ3."
(「増補・改訂 新約ギリシャ語辞典」岩隈直著 山本書店 p.383)

とあります。この辞典の

"⦅τινός (目的語的 属),εἰς τινα , ἐν τινι ,ἐπί ・πρός τινα …に対する⦆マコ11・22,ピリ1・27,Ⅰテサ1・8,ヘブ6・1.~Ἰησοῦ Χριστοῦ (も同様)ロマ3・22(主語的 属 「イエス・キリストの(持ってい給う)信仰(あるいは、信実)」と解する者もある.しかし多分目的語的)."

の説明は、田川訳の注にもみられる考え方でしょうね。

 ピスティスの語源πείθω(ペイトー)から見ても「真実」は違うなと思いますね。

コトバンク
"しん‐じつ【信実】
[名・形動]まじめで偽りがないこと。打算がなく誠実であること。また、そのような心や、そのさま。「信実を尽くす」「信実な人柄」 "

コトバンク
"しん‐じつ【真実】
[名・形動]
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。「真実を述べる」「真実な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。"

 「真実」では意味が通じないし、ピスティスの持つ語意を表現できない。キリストの「真実」、下手な週刊誌のタイトルかよ。

 パイロット版の「信実」に今からでも遅くないから戻すべき。これなら意味が通る。あと属格なのだから「への」なんて付けるなと思う。聖書協会の翻訳は一度定着したものは間違っていても是正されない典型なので(いまだに「心の貧しいものは幸い」なんて訳語、恥ずかしげもなく出すぐらいだから)期待はできないか。



 
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