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聖書協会共同訳聖書 9


 前回はピスティス(πίστις)について見ましたが、今回はピストス(πιστός)について見ました。

キリスト教大事典 旧約新約聖書語句大辞典 Athanasius

 これもギリシャ語のコンコルダンス「Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament」(Württembergische Bibelanstalt Stuttgart)で当該箇所を調べました。このコンコルダンスと「旧約新約聖書語句大辞典」(教文館)を使用し、口語訳聖書を調べ、次いで聖書協会共同訳聖書、田川訳、新聖書翻訳事業パイロット版を比べてみました。

Handkonkordanz zum griechischen Neuen Testament. Athanasius記名

ギリシャ語のコンコルダンスでピストスの用法が三つに区分されていて、一番目が 1) de Deo, de Christo dictum(神について、キリストは言いました:Google翻訳使用、以下同じ)、2) de hominibus dictum(人から言いました)、3) de rebus, imprimis de verbis(事項、特に付き)、この三つの区分・用法に、聖書協会共同訳聖書の翻訳も沿っています。

 第一の区分は、ほぼこれらを「真実」(パイロット版は「信実」)と訳し、文章の流れ上そう訳せない箇所(ヘブライ書)と黙示録(こちらは同じ文章の中に「真実」(ἀληθινός、アレーティノス)と訳すべき言葉があるためにそう訳せない箇所のみ「忠実」にしています。

 第二の区分は、「真実」(パイロット版「信実」)と訳している個所は、聖書協会共同訳聖書とパイロット版ともに一か所もありません。

 第三区分では、第一テモテ(全3か所)、第二テモテ(全1か所)、テトス(1か所)でだけ、聖書協会共同訳聖書とパイロット版で「真実」(パイロット版「信実」)と訳されていました。他の五か所は別な訳語です。

 しかし、第一区分と第二区分で重複する文書、第一コリント、第二コリント、第二テモテ、ヘブライ、第一ペトロで筆者は、同じ単語を使用する際、神やキリストに対しては「真実」(「信実」)の意味、信徒に対しては「忠実」などと仕分けする意図があったとは思われません。

田川訳 携帯版 記名入り

 田川訳なんかは素直に、文脈上「信実」と訳せるところはそのような区分をせずに訳していますが、その方が自然だと思います。

 翻訳委員会は、まあ、去年流行った言葉じゃないですが「忖度」している感じがします。聖書の原語はドライで日本語みたいに「イエスは言われた」などとせず、単に「彼は言った」と書かれていますが、日本の翻訳者は畏れ多い、不敬と感じたのか、それとも信徒は誰が誰に言っているのか理解できないと思ってなのか、そう言う個所に来ると意訳して「イエスは言われた」みたいな訳し方をします。このピストスの区分の訳し分けも、ドイツの研究がそうしているのだから何も考えず右え倣えしたのか、不敬だと思い忖度したのか、両方なのか、浅さが透けて見えてくる感じがします。

 それにしてもこの翻訳委員たちは「真実」という語が好きだな~と感じます。

 しかし、もし「真実」がピスティスやピストスの訳語として本当にふさわしいのなら、そう訳していない(文脈上そう訳されない箇所じゃない箇所)に、その語「真実」を置き換えてみておかしな文章にならなければまだしも、置き換え見て意味が通らなくなるのですから、それはその語の使い方としてどうなの? と首をかしげたくなります。しかし、これが当初パイロット版で使われていた「信実」なら、そう言うおかしなことにはなったりしませんでした。

 マタイ24:45の口語訳からの引用です。田川訳は「信実」と訳している個所です。

"主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 "

 ここの「忠実」の語はピストスの第二区分なのですが、これを「信実」に置き換えて見ても意味は通りますし、このしもべが単に「忠実」なだけではなく、"まじめで偽りがないこと。打算がなく誠実であること。また、そのような心や、そのさま。"(コトバンク「信実」より)を持ったしもべであるからこそ「思慮深い」とも言われることが、よりよく理解できます。しかし、ここに「真実」のことばを置き換えてみると意味がまったく通りません。

 次にこれも第二区分の第一コリント4:2の個所ですが、第一コリントは第一区分と第二区分が重複している文書です。ここも田川訳は素直に「信実」にしている個所です。

4:1このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 4:2この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。

 ここも「忠実」を「信実」に置き換えた方がより一層意味が深化されると思います。しかし、「真実」では求められていることがとても狭くなってしまいます。

 語の訳し方として、文意の小さい語意を前面に出して、神やキリストにはこれ、としているのに無理があると感じます。ギリシャ語のコンコルダンスの区分に従うにしても、パイロット版の「信実」にしておけば、無理矢理な訳にはならなくて済んだと思います。

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